第二戦 最高道場を探せ!

 「ええ、では手っ取り早く行きましょう。ああその前に自己紹介を。」
 師範の弟子はゆっくりとした貞淑なお辞儀をする。
 「私は御影(みかげ)と申します。今回皆さんの試験監督をさせていただきます。え〜、今のところ脱落者は七番だけのようですね。」
 御影は手帳を取り出してなにやら書き込む。
 「なかなか骨がありそうでなにより。」
 御影は溌剌さと冷静さを持ち合わせた実に精悍な顔立ちをしている。穏やかだが真実を見透かすような紺色の瞳。鼻筋はすらりと伸びて知性を感じさせ、厚みと色合いのバランスがとれた唇は艶を醸す。優しさと女の色気、さらには強さと知性を持ち合わせる、実に魅力的な女性だった。ただ、煉がそこまで感じるはずがない。
 (めちゃくちゃ美人だな〜。)
 この程度である。が、最もわかりやすい言い方ではあろう。
 「では早速___試験の話をはじめましょうか。」
 御影は手帳をポケットに入れ、一通り皆の顔を見回してから語りはじめた。
 「試験方法は単純明快。師範の家に辿り着くことです。師範の家は今あなた方がいる場所から、半径五キロの円の中にあります。この範囲内から師範の家を探し出せばいいんです。あ、でも森は十キロ以上続いてますし、ここが五キロ!なんて親切な案内はしてませんからね。制限時間は___本来なら正午までだったんですが___夕暮れまでにしましょう。試験終了の合図は里中に響く百里銅鑼でお知らせします。どうです?簡単でしょう。」
 「本当、簡単そ〜だな。良かった良かった。」
 どんなとんでもない試験が待っているのかと思えば。煉は早くも余裕の表情だった。
 「能なし。」
 「あん?」
 だが逆に吏皇は厳しい顔つき。煉は訝しげに彼を見た。
 「全然簡単じゃないわよ、煉君。七番だってここまでこれた男なのよ。それがこの場所を離れて十分で何か酷い目にあっている。わかるでしょ?」
 霧香はこの回りの地形がもの凄いと言いたかったのだが、腕組みをしていた煉がそれを理解するのには少し時間が掛かった。
 「え〜、それでは試験を開始する前に注意事項を。」
 何かしら制約が多いのだろうと吏皇は予想した。だがその予想はあっけなく外れる。制約をかけるほど甘い試験ではないのだ。
 「誰かと協力してはいけません。必ず一人で行動してください。禁止事項はこれだけです。」
 「質問。」
 和泉がにこやかに手を挙げた。
 「はい一番の方。」
 「禁止事項に触れなければ何をしても良いと言うことですか?」
 その質問が和泉から出されたという事実が、吏皇と霧香を緊張させる。煉を除く他の戦士たちも和泉に警戒を抱いているのだろう、緊張の面持ちで彼を一瞥した。
 「ええ構いません。」
 御影の答えに和泉は口元をさらに緩めた。
 「他の方を利用したり、騙したりするのは自由です。住処を見つけてから他の方に悟られないよう罠を張っても構いません。森を焼いても構いませんし、逃げ帰っても結構です。手段は問いません。とにかく師範の家へと辿り着ければ合格。よろしいですか?」
 「ええ、ありがとう。」
 吏皇も霧香も、和泉が何をしようとしているか想像するだけで怯えているようだった。だが和泉に殺気を感じないのは煉でさえも分かっていること。イメージっていうのは凄いものだと煉は実感した。
 「さあ、話はこれくらいにしたほうが良いですね。時間が無くなってしまう___私は先に師範の家で待っています。あ、そうそう、森の中に所々ヒントがあると思いますから、それを当てにするのも良いでしょう。それでは、日暮れまでに会えると良いですね。」
 フッ___
 「!?」
 御影の姿が突然消えた。まるで今までそこにいた彼女が幻だったかのように、突如として跡形もなく消えてしまった。
 「さて、試験開始ですね。どの方角に行ってみましょうか___」
 和泉は空を見上げて考えを巡らせる。もう試験は始まったというのに皆回りの様子を伺って動こうとはしない。煉は御影が急に消えたことで茫然自失し動けなかっただけだが、他の皆は和泉が動くのを待っているのだ。
 できればあの男と同じ方角には行きたくない___そう思っているから。
 「では私はこちらへ___最初に彼女が出てきた方角に行ってみます。皆さんも頑張ってください。」
 和泉は一通り全員に笑顔を送り、煉にだけは手を振って立ち去っていった。
 「おまえ___妙な奴に好かれたな___」
 吏皇は和泉を見送ってから、小さな溜息を付いて言った。和泉がいなくなると他の戦士たちは散り散りになって森へと入っていった。
 「おまえはどっちを捜すんだ?吏皇。」
 「そう言う質問は気安くしないで欲しいな。」
 「半径五キロじゃね、的を絞って捜さなくちゃ見つからないわよきっと。運が良くないと駄目じゃないかしら。」
 「そうとは限らない、探し方はあるはずだ。」
 吏皇と霧香は互いに顔を見合わせ、含み笑いを浮かべている。
 「あ、何か考えてるな!」
 「煉。もうつきまとうのはやめてくれ。これからは単独行動だ。もし俺をつけてくるようなら、おまえであっても霧香さんであっても、容赦なく倒す!」
 吏皇は言いたいことを言って、煉の言葉も聞かずにさっさと森の中へと消えていってしまった。
 「煉君、がむしゃらに捜していたんじゃ見つからないと思うよ。じゃあ、また日が暮れてから師範の家で会いましょう。」
 霧香も手を振りながら森の中へ。そして森の開けた場所に残ったのは煉だけになった。
 「う〜む。」
 煉は腕組みする。実は彼はかなりの方向音痴。先程受付嬢を追ってやってきたのがどっちの方角からかもよく分からない。
 「運が大事だって霧香さんが言ってたな___」
 煉は近くに落ちていた棒きれを拾い、地面に慎重に立ててみる。そして素早く手を離した。
 パタッ。何とも虚しく倒れた棒。
 「よし!こっちだ!」
 方角が決まった。後は___
 「よ〜し!俺はやるぜぇい!」
 気合い一閃、決め台詞を叫んで森へと駆け込んでいった。

 誰もいなくなった広場は急に静かになる。人の気配すらなかったが、それはその人物が気配を消すなんて朝飯前なほど熟練されているからだ。
 「あたしがここにいることに気付いたのは一人___」
 広場を囲む木の中で一番大きな木、その枝葉の中に彼女は隠れていた。
 「あの男には___家の場所ももうばれてるかもね。」
 彼女、御影は、まるで猿山を見下ろすかのように悠然と高みの見物をしていた。
 「和泉か___噂以上かもしれない。いったいここに何をしに来たのか___」
 御影はポケットからメモ帳を取り出した。ページを開くとそこに現れたのは煉の似顔絵と彼の大会における成績、プロフィール。早い話が履歴書を写したものだ。
 「そして、運に身を任せた結果、和泉の後を追うことになった彼。運がないのか悪運が強いのか、でもこういう運を持つ奴には惹かれる。」
 枝の隙間から地面を見れば、煉が残していった棒きれがある。皮肉にも、何の価値もないただの棒きれが示したのは、和泉の向かった方角だったのだ。
 「棒に生かされるか殺されるか、和泉の後ろを通っていったから好転するか、暗転するか。無意識でもそういう修羅場に入り込める魂は素敵よ。」
 御影はポケットから特製の煙草を取り出した。まあ何とも、悠長なものである。

 (ふん___普通に捜して見つかるものかよ___)
 五番の札をつけた戦士。煉の視線を感じると睨み返してきた、印象の悪い、それでいてどこにでもいそうな顔の男。彼は四番の老人を追跡していた。
 (俺は知ってるぜ、あの爺さんは地脈の流れを感じ取ることができる___)
 木の上から枝を移って老人を追跡する。
 (はるか東国、恵光仙の地命術。あの爺さんはその使い手だ___)
 恵光仙(けいこうせん)とは九狐よりも遙か東にある宗教国で、古式闘法の一つ地命術(じめいじゅつ)の発祥地である。地命術とは目や耳と言った主要感覚器官に頼らず、地脈の躍動、風の靡き、生命の息吹を肌で感じ取る術である。特に極めたものは、相手が立つ地面の躍動から、相手の心、意志、次の行動まで感じることができるとも言われている。勿論、この術を駆使して八傑に残ったほどの男なら、どこかの地面の上に立つ「最高道場」の場所をかぎ分けるなど簡単なことだろう。
 (俺の風長押は、俺自身が風となって移動する技。いくら地命術の使い手でもそう簡単に気付かれることはない。)
 一方の五番の男は、風のような滑らかで素早い動き、風長押(かぜなげし)を体得するため九狐を離れて修行していた。自慢の動きで八傑まで進んだが、今彼が追跡している老人に敗れた。地面に足をつけざるをえない、いわゆる「止まり木」のない闘技場では地命術の方が圧倒的に有利だったのだ。
 一方吏皇は___
 (ヒントがあると言っていた。それを一つでも見つければ手がかりは増える___)
 何の手がかりも無しに森の中を彷徨うのは馬鹿げている。ヒントを置くからには、見つかってもおかしくない場所に置くはず。例えば___
 「あの穴蔵___」
 森を進んでいくと、岩が盛り上がって折り重なるようになった場所に、人が入れるほどの横穴があった。吏皇は真っ直ぐそこへと進み、中を覗き込む。暗い横穴はあまり深くはないようだが、彼は十分に警戒していた。
 「___」
 足下に特に目を凝らし、慎重に進む。探るように、一歩一歩。鋭い目つきをさらに鋭くして、五六歩進んだところで横穴は行き止まりだった。
 「あった___」
 横穴の行き止まり、壁の隅の方に文字が掘られていた。吏皇は声には出さず、頭の中でその文面を何度か読んでみる。
 (最高は一日にして成らず。頂点を知るものは底辺をも知る。)
 文字列を利用した暗号の可能性もあるので念のためメモを取る。次は脱出。吏皇は横穴から出る際にも、慎重に、だが先程よりも遙かに素早く脱する。木漏れ日を受ける場所まで出てから、大きめの石を何個か拾い上げると穴の中にまとめて放り込んだ。
 ガキ。鈍い音がする。と同時に何かが外れて落ちる音、そして一瞬にして目の前の横穴が潰れた。ヒントを餌にした罠だ。
 (この程度の罠を見抜けない奴はヒントを見る資格もないと言うことだ。横穴の地面には至る所に罅が入っていた。罅に重さが掛かると岩盤の一部が外れて岩が崩れる___人工の罠。)
 吏皇は少し鼻を高くして、崩れた岩を見やってから別の場所を探した。
 「あ、そういえばあの七番、さては罠の落とし穴にでもはまったな。」
 とか呟いて。

 「あのジジイ___いつまでああしているつもりだ___!?」
 五番の男は木の上で息を潜め続けていた。先程から四番の老人は岩の上で座禅を組んでいるだけでピクリともしない。地命術を使っていることは良く分かる。住処を捜しているのだろうがいったいどれほどの時間が掛かるというのか。
 (もう一時間もあのままだぞ!?日没まではあと二時間くらいか___?)
 焦りが走る。もうこの老人を諦めて、自力で捜すべきだろうか?
 (いや___)
 だが彼は、この老人が自分の存在に気付いており、自分が老人の追跡を諦めて立ち去るのを待っているのだと考えた。
 (利用させないつもりだろうがそうはいかない___)
 このまま息を潜めていればそれでいい。しかし直後、その場に留まろうと決心した彼を恐怖が襲う。
 「いつまで待っても無駄だと思いますよ。」
 「!?」
 不意に背後から投げかけられた声。耳元の囁きに男は震え、バランスを崩した。
 「うわった!」
 隠れていた木からは落ちてしまったが、しっかり脚から着地し、今自分のいた場所を睨み付ける。彼を追うように、飛び下りてきたのは和泉だった。
 「い、和泉___」
 男の声が上擦る。四番の老人も和泉の気配を気にしてか、瞑想をやめて立ち上がった。
 「その老人を当てにしても無駄ですよ。彼の地命術では道場の場所は分かりません。」
 「なんだと___!?」
 和泉が一歩前に出ると、五番の男は一歩後ずさる。長身ではあるが細身の体に何をそんなに気圧されるのか。
 「師範そのものが地命術に多少の心得を持っており、彼の念を上回る精神を持っていれば、遮ったり逸らしたりのは簡単なんですよ。だいたい地命術で分かるくらいじゃ不公平じゃないですか。」
 五番の男は引きつった顔で老人の方を振り向く。
 「彼の言うとおりじゃ。地命術では分からない。これが通用しなければ私の乏しい視力では捜索は困難。諦めて瞑想していたところじゃよ。」
 至極冷静に、淡々と話す老人。五番は引きつった顔をさらに突っ張らせ、拳に力を込めていた。
 「はめたな!じじい!」
 彼は拳を振りかざして老人に襲い掛かろうとする。だが和泉が背後から手を伸ばし、うなじの辺りにほんの少し触れる。微かな音がしたと思うと五番の男は卒倒してしまった。
 「___なんと___」
 老人はその光景に目を奪われる。男のうなじの辺りが僅かだが歪んでいて、彼の表情は虚無に変わっていた。
 「首の関節をはずしました。頸椎脱臼です。簡単なものでしょう?」
 和泉は老人を見て笑う。ほんの一瞬の出来事だ。確かに男は和泉に対して隙だらけだったが、それにしてもあっけなさ過ぎる。
 「和泉よ___」
 「私は有名なんですかね?恵光仙のかたまで名前を知っていてくださって。」
 「殺し屋が何故こんな場に姿を現したのじゃ___?」
 和泉は微笑みを絶やさない。だがそれがかえって不気味なこともある。
 「あまり詮索しないで欲しいな。私のプライバシーはどうなるんです?」
 「何が目的じゃ___狙いは師範か!?」
 「うるさい人ですねぇ___長生きに敬意を表していたつもりだったけど、殺したくなってきたよ。」
 和泉のにこやかな唇の線が___直線に変わった。




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