第三戦 俺って合格!?

 「大いなる渦潮に飲まれ、消えゆくも良し___これが三つ目のヒントか。」
 箱の中にあった紙切れを見つめ、吏皇は呟いた。彼の側には腐りかけた木箱と、十数匹の毒蛇の亡骸が転がっている。
 「一つ目が___頂点を知れ。二つ目は___目を閉じた蛙の絵。」
 三つのヒントを見比べて吏皇は頭を悩ませる。それでも、彼の鋭い感覚は人の接近をつぶさに捕らえていた。
 「___」
 気配のした方向を一瞥し、またヒントに目を移す。
 「もう気付かれてしまったか。さすがに三番を付けるだけのことはあるな。」
 森影から弁髪の男が出てくると、吏皇はヒントをポケットにしまって彼に向き直った。
 「なにか?」
 刺すほどにクールな瞳で睨まれて、男は苦笑いする。
 「そう怖い顔をするな。まずは名乗らせてもらおう、俺の名は越(えつ)だ。見ての通り、おまえの一つ上の番号、二番をつけている。」
 その言いぐさが吏皇を苛つかせた。彼は、本来なら自分が二番であって当然だと思っていたから。ただ、不運にも和泉と当たったのが準決勝だっただけだと。
 「僕は吏皇。」
 腹が立つと彼は無口になる。
 「知っているよ、和叉道場のお坊ちゃんだろう?あそこの師範とは知り合いでね。」
 「何のようで?」
 吏皇は越に無駄な会話をさせない。
 「___焦る気持ちも分かる。何しろこの広大な土地から師範の住処を捜さねばならないんだからな。」
 「それが分かっているなら用件を言って欲しいな。僕はあなたに構っているほど余裕があるわけじゃない。」
 とはいえ、もう一つ二つヒントを見つければ、場所を特定できる自信もあった。
 「分かった分かった。吏皇君、俺と取引をしないか?」
 この展開を予想するのは容易い。
 「俺は今ここに、三つヒントを持っている。君も何個か持っているんだろ?」
 「三つ。」
 越はそれを聞いて短い口笛を吹いた。
 「素晴らしい、それなら公平な取引ができるというものだ。」
 妙に距離を置いて話していた二人だが、越が少し吏皇に近づいてきた。
 「簡単な取引だ。俺のヒントと君のヒントを交換しよう。お互い、もう少しヒントがあれば場所がつかめそうだ。違うか?」
 「いや。」
 「なら悪い取引じゃないだろう。君がヒントを記した紙と、俺がヒントを記した紙を交換するだけでいいんだぞ。」
 吏皇は越の思惑に見え見えの下心を感じていた。確かに彼はヒントを三つ持っている。ここにくるまで、既に解かれた罠があったのだからほぼ間違いはない。だが、吏皇に渡そうとしているヒントが本物かどうかは分からない。
 「信用できないな。そのヒントが本物だという保証は?」
 「保証なんてあると思うか?」
 「もし本物だとしても、紙を交換せずに読み上げれば済むことだ。」
 「嘘を付いているかもしれないだろう。それに俺たち以外の奴に聞かれるかもしれない。」
 吏皇は呆れたように、手を挙げた。
 「話にならないよ。僕は自分で他のヒントを捜す。」
 「あいにくだが、もうこの辺にはヒントはない。俺と君の解いたので全部だ。長い時間を掛けて場所を移らなきゃ次のヒントは見つからないと思うが?」
 越は、自分に背を向けかけてまた向き直った吏皇を見てニヤリと笑う。
 「よほどその取引をさせたいようだな。」
 「そういうことだ。」
 単純なはずがない。元来、ここに来るような奴等は独占欲が強い。力の源があればそれを独り占めにしたいと思うものなのだ。世界で一番強くなるために。
 「___」
 騙し合いか殴り合いになる。吏皇はそう思った。
 「分かった、取引に応じよう。」
 だからあえてその挑発に乗ることにした。三番から二番になるために。
 「よし、ならお互いにヒントを記した紙を自分の足下に置くんだ。」
 「あ、その前に。」
 吏皇が手を挙げて話を断ち切る。
 「さっきからどうも妙な匂いが鼻につく___気にならないか?」
 「匂い?」
 越は一度鼻を動かしてから、納得したように頷く。
 「あぁあぁ、これだな。」
 そして自分の弁髪をギュッと握って持ち上げた。
 「特殊な油を塗ってるもんでね、きっとその匂いだろ。慣れない奴には気になるもんだ。さてそんなことより、さっさと足下にヒントを置こうじゃないか。」
 越は懐から何か書かれた紙を取り出し、足下の石の上に置いた。吏皇も同様に、ヒントをまとめたメモのページをちぎり、足下の茂みに隠すように置いた。
 「お互い真っ直ぐ歩くとしよう。公平にな。」
 吏皇は越の指示に従い、真っ直ぐ前へと歩き出す。同時に越もゆっくりと向かってくる。なにかあるとすれば___
 「!」
 すれ違う瞬間!
 先手を取ったのは越。二人の体が横に並んだその時に、吏皇の横顔目がけて肘を放つ。俊敏な動作で身を屈めた吏皇だが、越は勢いのまま吏皇の背中に肘を振り下ろした。
 「くっ!」
 地に突っ伏した吏皇だが、両手をついて一気に体を持ち上げると、既に自分の背後へと進んでいた越の尻を思い切り蹴飛ばした。
 「うおっ!」
 越は前のめりになってヒントを隠してある茂みへと倒れ込んだ。
 「やるな、普通ならノックアウトものの一撃だったんだが___まあ、ヒントは俺が___」
 ヒントの紙切れを見つけて手を伸ばした越だが、突如その顔つきが強ばった。吏皇が置いたヒントの側、汚れた草の中に地面と溶け込む茶色が動く。
 「こ、こいつ!」
 気付いたときには遅い。ヒントに伸ばした手に鋭い痛みが走る。
 「ぐああっ!」
 悲鳴と共に振り上げられた越の手には、茶色い蛇が二匹食らいついていた。
 「何だ!?何故こんな所に___!?」
 すぐさま越の全身に痺れが走る。蛇の頭を叩きつぶし、振りほどくことはできたが、彼は体を硬直させて真っ直ぐ仰向けに倒れてしまった。
 「さっき僕が解いた罠、そこに仕掛けられていた蛇がまだ二三匹残っていたんだ。大丈夫、痺れるだけで命に別状はない。」
 声も出せない越。吏皇は越の置いたヒントの紙切れを持って彼のすぐ側にしゃがみ込んだ。
 「何故蛇があんたに噛み付いたか知りたいか?油だよ。その髪の油の匂いに刺激されたんだ。さっき僕が手で髪を触らせただろ?」
 越は自分の半分もない年齢の男に虚仮にされても何もできない。ただ、筋肉が収縮して開きっぱなしの眼で吏皇を見るしかなかった。
 「とりあえずヒントを捜させて貰うよ。やっぱりあなたの置いていたヒントは偽物だったから。」
 吏皇が本当の紙切れを見つけるのに一分と掛からなかった。
 「さっきも言ったように、相手にしているほど余裕があるわけじゃない。もう行くとするよ。ああ、その蛇の麻痺毒、痺れが消えるまで後三時間は掛かるな。」
 「___!」
 越は何かを訴えているが声にならない。そんな彼を後目に吏皇はあっさりと越の視界から消えていく。
 「もう一匹蛇が残っているかもしれない。頭をかじられないように気をつけたほうがいいよ。あ、気を付けようもないか。」
 終いには気配も足音も、声さえも聞こえなくなった。敗れた越は「三番」吏皇を侮っていたことを心の底から後悔したらしい。

 「あう___」
 霧香は震えていた。罠を二つばかり解いてヒントを手に入れ、次のヒントを捜して動いているうちに震えてしまった。
 「___」
 はじめは気付かなかった。岩に触れたときに妙にぬるっとした感触があって、手を見てみたら真っ赤に染まっていたから気が付いた。血の原点を捜して数歩辿るとそこに二人転がっていた。
 「はあ___はあ___」
 とりあえず高ぶった心を鎮める。首を不気味に曲げて倒れているのが五番、両腕を切り飛ばされて倒れているのが四番だという事を確認した。
 「こんな事ができるのはあいつしかいない___」
 和泉だ___こんなときに互いに命を懸けて闘うような人はいないはず。和泉に___きっと大した理由もなく殺されたのだろう。
 「どうかしましたか?」
 「!?」
 不意に背後から声を掛けられ、霧香は外見にも分かるほど大きく震えた。今いた場所から飛び退いて背後に立っていた和泉から離れる。
 「おやおや、驚かせてしまいましたか。」
 「___」
 少し失禁した。だがそんなことに羞恥を感じている暇はない。弱い者が見せる敵意を剥き出しにし、霧香は和泉を睨み付けた。
 「どうしました?」
 「私も殺しに来たの!?和泉!」
 霧香は萎縮している声帯をこじ開けるように怒鳴った。あわよくば近くにいるかもしれない誰かに聞こえるように。
 「心外ですね。」
 和泉は髪を掻き上げる。
 「彼らを殺したのはあなたでしょ!?」
 「そうですよ。」
 よくもぬけぬけと!そう言いたくても言葉が出ない。
 「九狐の実力者に出くわしたなら、少しは数を削っておくのも役目の一つですから。」
 今の霧香は言葉の意味を噛みしめられるほど冷静ではない。どうやってこの状況から逃れようか、そればかり考えていた。
 「あなたも、かなりの手練れだということは分かっています。ついでですし___」
 和泉はゆらりと手を動かし、正眼の位置で交差させる。「死神の十字」と呼ばれる彼独特の構えだ。
 「殺しちゃいますね。」
 大地と垂直に立っていた和泉。その体を重力に任せて前に傾けたかと思うと、風の流れのように一気に霧香に迫ってきた。普通では考えられないテンポの動き、霧香は表情一つ変えられずにいる。
 斬!
 刃よりも鋭い手刀が、僅かな狂いもなく霧香の首を切り裂く。微笑みを絶やさない和泉の目の前で、霧香の首は確かに切り離されていた。
 「___手応えがない。」
 和泉はぽつりと呟いた。彼の目の前の霧香、首は胴から離れているが、切片から血が吹き出ることも、切り離された首が地面に転げ落ちることもなかった。
 「なるほど。」
 霧香の前で手を払うと、その姿が薄ぼやけ、歪んだ。
 「変わってますね、幻術に心得があるとは。」
 和泉が殺した霧香は幻だった。いつ頃から幻を作り出していたのだろう___闘う前から負けを認めた顔をしていた彼女の強かさは敬服に値する。
 「見逃してあげましょう。私を欺いたご褒美に。」
 和泉の視線の先、まだ目の届く位置に霧香の後ろ姿が見えたが、彼は追うことをしなかった。
 「危なかった___透偽香(とうぎこう)が無かったら確実に殺されていた。」
 霧香は特殊な灰や香を使って幻覚を作り出す特技を持っている。これは彼女の家柄に起因するもので、道場で習ったものではない。大会では道具の使用が禁止されているが、ここなら話は別。彼女は本領を発揮して和泉から逃げおおせたわけである。
 「う!?」
 だが相手は和泉。無傷で済むほど優しくはない。走っている内に少し息苦しくなり、体に濡れた感触を憶え、霧香ははじめて自分の喉元に切り傷が付いていることに気が付いた。
 「そ、そんな___!」
 逃げることに必死すぎて痛みも伝わらなかったのだろう。霧香は愕然として走るのをやめ、両手で傷口を押さえた。彼女の細い首、咽頭の下辺り、極めて鋭利な刃物で切ったような傷が開いていた。知らぬ間に血は彼女の腹まで流れ伝い、今頃になって猛烈な痛みが湧き出てきた。
 「く___うう___」
 念のため持っていた包帯で自分の首をぐるぐる巻きにしていく。傷が深くなかったのは幸いだった。
 「冗談じゃ___無いわよ___」
 あの幻術。幻の元となる灰の背後に自分の姿を重ね、練気と呼ばれる技術を施すことで自分の姿を投影する。幻の背後に立っているからこそ、気配はその場に残存し、よほどの手練れであっても欺くことのできるとっておきの技だった。
 「それなのに___」
 背後に立つと言っても、幻から一メートルは離れているのだ。和泉は幻を切った。それなのに一メートル離れていた自分の首まで切れている。もし後十センチ前で姿を映していたら、こんな傷では済まなかっただろう。
 「もう嫌だ___あたしは、格闘技に命を懸けているわけじゃない___こんな思いまでして最高道場なんて行きたくない___」
 霧香は包帯の上から傷を押さえつけ、歩き出した。日の傾きから方角を推測し、九狐のある方へと。

 「奴の持っていた三つのヒント___」
 吏皇はもう動くことなく、一つの場所でじっとしていた。
 「最高得点を狙い撃て。時の調べに胸を打て。最高の価値は財宝とともに。確信とは言えないが、僕の集めた六つのヒントのうち三つは、中心を表す。頂点とは山の核を成す、中心となる。渦潮に飲まれれば、飲まれたものは渦の中央へと行く。最高得点を狙い撃て、撃つと言うことは弓術を連想させる。最高得点は的の真ん中。」
 吏皇の回りはやけに開けていて、もう日没が近づいて赤み帯びてきた空もよく見える。
 「中心。半径五キロと示されたこの地域の中心は他でもないここだ。」
 彼が立っているのはスタート地点。だがここには家などない。そこで浮上するのが残りの三つ。
 「蛙が目を閉じている、つまり眠っている絵と、最高の価値は財宝とともにの二つ。ただ眠っているだけならともかく、寝ているのは蛙だ。これは冬眠を表している。そして財宝は大概地中に眠っている。住処は地中にある。」
 だがここに住処の入り口らしきものはない。
 「時の調べに胸を打て。銅鑼が鳴るまで待てと言う意味だと僕は考える。」
 胸を打つとは期待を意味する。おそらくそれ以外にはない。吏皇はただ流れるだけの時間に惑わされることもなく、彼が目した場所に座っていた。
 タイムリミットまでもう一時間を切った。
 「う〜ん、意味わかんねぇ。」
 煉はヒントを書き写した紙を見て頭を悩ませていた。彼はなんと四つもヒントを手に入れている。しかし自分で解いたものは一つもなかった。
 「あ、またあった。」
 ヒントが丸腰の状態で置いてある。これを解いたのは、彼を先行していた和泉だ。親切にも罠だけ解いてヒントを残していった和泉。彼の後ろを進んでいた煉は多大な恩恵を受けた。しかも和泉はもう別の場所に移っているので遭遇の危険もない。
 「わかんねえなぁ。」
 ヒントの内容からまるで繋がりを見つけられない煉。紙を見つめながら歩き続けていた。
 「あれ?」
 終いには迷う。結局どっちに進んでいいかも分からなくなってきた。時間が迫っている焦りは勿論あるが、それ以上にここから帰れるかどうかも不安だ。とにかく早足になってこっちと決めた方向に突き進んだ。
 そうしてだいたい一時間が過ぎる。
 「あ!」
 煉は暗くなってきた森の中で、まだ明るさの残る場所を見つけて駆けだした。
 「見つけたか!?」
 思わず薄ら笑いを浮かべながら走る。そして明かりの残る場所に飛び出した。
 「あれ?ここ最初の所じゃないか!?」
 「れ、煉!?」
 突然現れた思いもよらない人物に、吏皇が目を白黒させる。
 「吏皇!」
 「何で君がここに来るんだ!?」
 「え?何でって___」
 不意に現れたのが、場所をかぎ当てた優秀な戦士ではなく、煉だったことに吏皇が腹を立てる。口論が始まろうかというその時に、銅鑼が鳴り響いた。
 「げ!タイムアップだ!」
 煉は顔を歪めて空を見上げた。そんな彼の表情を見て、やっぱり奴がここに来たのは偶然だと確信する吏皇。
 ボコッ。
 突然、二人の立つ位置から少し離れたところの地面が、鍋の蓋くらいの大きさで盛り上がった。そして丸くはがれた地面を持ち上げ、見たことある顔が現れる。
 「ふう。」
 御影だ。煉と吏皇は無言になって彼女の方へと目を移した。御影は二人を見つけてニッコリと笑う。
 「おめでとう。よくこの場所をかぎ当てたわ。君たちは合格。」
 御影の言葉を吏皇はより自信を深めた笑みで、煉は唖然と口を開けて聞いていた。
 「ありがとうございます。」
 「お、俺って合格!?」
 だから二人の反応も対照的だった。




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