第一戦 こんな試験ってありなのか!?

 集合場所は闘技場の正門前。九狐の町並みはいつも賑やかで、活気に満ちている。だが住民をよく見れば、この国の人々の迫力に目を見張るはずだ。おそらく、武闘を知らぬものなどいないのではないか?と疑いたくなるだろう。露天商でさえ筋骨隆々な男たちが居並ぶし、女だって油断をしてはいけない、男など軽く凌駕するような達人もいたりする。力が全ての街。性別に関わらず実力のある者は認められるのが九狐だ。
 だが、古くからこの街に住む者はこういう。力だけではない、かつてはそれ以上に人格が大事だった___と。
 「うわ、もうみんな揃ってるのか!?」
 人一倍目立つ赤い道着で煉は走った。正門前にはもう何人もの人が集まっている。集合場所に全力で駆けつけた彼は、他の戦士たちの視線を集めた。
 「おはようございます。」
 「あ!お、おはようございます!」
 大会当時に受付嬢をやっていた女性が、煉に近寄ってさわやかな笑顔を見せる。煉は軽く息を付き、少し照れた顔で答えた。
 「証明書を見せてください。」
 「あっ、はい!___え〜、あれ?」
 煉は証明書を捜して荷物の入った革袋をかき回す。
 「どこだ?」
 ドサッ。それでも見つからないのか、革袋を逆さにして中のものを路上にぶちまけた。それを見て他の戦士たちは馬鹿にしたような、煙たい顔をする。
 「ありましたわ。」
 先に見つけたのは受付嬢の方だった。彼の懐からのぞく証明書をさっと抜き取る。
 「あっ、こんなところに___そうだそうだ、忘れないように入れてたんだっけ。」
 煉は照れながらがさつに笑い、荷物をかき集めて地面の土埃ごと革袋に放り込んだ。
 「煉さんですね。ではこちらの札をどうぞ。」
 そして「八」と書かれた札を受付嬢から受け取る。
 「試験管は番号であなたのことを呼びますから、それをよく見える場所に付けておいてください。あと一かた来られますから、暫くお待ちになっていてください。」
 「は〜い。」
 煉は確かに熱血漢だが、この場に集まった猛者の中ではどうにも浮いて見える。ここいるのは強さを追求してきた者ばかり。どうにも無口で、いつも隙のない男が多かった。まあ、一人だけ女もいるが。
 (あ!あいつ!)
 煉は彼のどたばたを無視するように、そっぽを向いている青年を発見した。
 「押忍。」
 近寄って簡単な挨拶をする。だが青年はちらりと煉に目を向けるだけだ。彼の名は吏皇(りおう)。背丈は煉よりやや大きいが、顔立ちなどを見れば同年代であると分かる。茶色の長髪で、目つきも眉も切れ長で鋭い。熱い戦いを得意とする煉とは対照的に、見るからに冷静な戦いを得意とする戦士だ。
 「押忍。」
 煉はもう一度挨拶した。だが吏皇はすましているだけ。
 「挨拶してるんだから答えてくれたっていいだろ!?」
 ついにムッとして声を荒らげた。吏皇はようやく煉の方を向き、顎先を上げて言った。
 「君___番号札が八番じゃないか。僕は三番だ。」
 「だからなんだよ___ただの番号だろ?」
 「違うよ。これは強さを表す札さ。大会の成績から想定した総合順位上位八人がここに集まる。僕は三位で君は八位だ。それに実際、準々決勝で君を破ったのは僕だよ?」
 吏皇の鼻につく話し方。煉は悔しさと苛立ちで歯を食いしばった。
 「格というものを考えてくれよ。気安く話しかけないで欲しいな。」
 ちなみに吏皇は色男だ。髪を掻き上げる仕草を見て煉の血管がひくついた。
 (きーっ!むかつくーっ!)
 煉はムッとして一度彼に背を向け、怒りを飲み込む。
 「じゃ、じゃあこうすればいいんだな?」
 心を落ち着かせてから彼は吏皇に向き直った。
 「やあ、吏皇さん。おはよう。」
 吏皇は呆れた顔をしてから、フッと鼻で笑う。
 「それは冗談かい?冗談でないのなら、君は相当ここが足りないね。」
 そう言って吏皇は頭を指さした。煉はまた吏皇に背を向けて、肩を震わせ歯を剥いていた。
 (吏皇!こいつだけには負けねえぞ!)
 吏皇と煉が顔見知りになったのは二年前。道場が近く、煉の通っていた弱小道場と吏皇の通っていた大道場がライバル関係にあったため、意識しあうことが多かった。とはいえ弱小だが根性だけは座っている煉の道場が、勝手に大道場を目の敵にしていただけである。
 二人とも一昨年から大会に参加し、煉は相手に恵まれ一回戦を突破したが二回戦で失格。吏皇は準々決勝目前の五回戦で敗れた。昨年、煉は三回戦に進むが食あたりで棄権。吏皇は一昨年の成績を不服に感じ、より身体の充実を図るために修行に勤しみ、参加を見送った。そして今年。意識し会っていた二人は(正確には煉が吏皇に対抗意識を燃やし、吏皇は何であいつはいつも僕を見てるんだ?と思っていただけ)ついに準々決勝で対戦。結果は正攻法で吏皇が勝った。要するに煉の完敗だったわけである。
 「煉君だったね。君の実力じゃはっきり言って合格は無理。帰った方が身のためだよ。」
 「うるせえ!」
 それ以来煉はますます吏皇をライバル視するようになったのだ。
 「あ、最後のかたがいらっしゃいましたよ。」
 もう時間ギリギリだというのに、その男は慌てる素振りもなくゆっくりこちらに向かってきていた。長身痩躯で、あまり体格が良さそうには見えないが、離れていても言い表せぬ威圧感を持つ男。
 「誰あれ?あんな奴いたっけ?」
 しかし煉は彼から威圧感を感じていない様子。飄々と吏皇に尋ねていた。
 「誰だって?君は本当に大会に参加していたのか?」
 「悠長なもんよね。人が待たされてるって言うのにさ。五分前には来るもんよ、こういう時って。」
 二人のやり取りが愉快だったのか、いつの間にかただ一人の女性戦士が側に寄ってきていた。若いが二人よりは年上に見える黒髪の美女。番号は「六」。
 「お待たせしました。しかし時刻には遅れていませんね。」
 男は証明書を受付嬢に渡す。彼の笑顔はあまりさわやかではない。
 「和泉(いずみ)さん。はい、番号札は一番です。」
 煉はそれを聞いてキョトンとした顔で彼を見た。
 「一番!あいつ優勝者なの!?」
 吏皇は無視。六番の女が頷いて答えた。
 「でも___あんなのが優勝したんじゃ先行き不安よ。」
 女はイヤなものを見る目で和泉を見ている。
 「どういう意味?」
 「アサシンの和泉と言えば有名よ。あいつはこの国の出身者でもないし、殺しのための戦いしかしない男。まあ、大会中は随分大人しくしていたみたいだけど気は許せないわ。」
 「そうですね。異国からの汚れた流れ者が優勝しては、大会の名折れだ。」
 女と吏皇は口々に言った。和泉の評判は随分なようだ。
 「でもあなたも準決勝で和泉に負けたわね。」
 「お恥ずかしいながら。」
 「私は霧香(きりか)。西明(せいめい)道場の主将をしてるわ。」
 西明道場と言えば女性だけの道場として有名だ。ただその道場から八傑に残ったとなると、彼女が最初ではないだろうか?
 「ご丁寧にどうも、僕は吏皇。和叉(かずさ)道場の主将をしています。」
 「ああ、それじゃあやっぱりあなたが、将来有望って言われてるエリートさんね。」
 なんだか二人だけで進む会話。側にいた煉はいてもたってもいられなくなった。
 「俺は煉です!」
 「え?ああ、こんにちわ。」
 「魂示(ごんじ)道場です!」
 「?___御免なさい、聞いたこと無いわ。」
 霧香は苦笑いして答えた。
 「二人はお友達なの?」
 「まさか!この鬱陶しいのが僕についてくるだけですよ。」
 「いいや!俺はおまえのライバルだ!」
 「勝手に決めないでくれるか?迷惑だ___」
 「はい皆さん!」
 受付嬢の声で、煉と吏皇は睨み合いをやめる。
 「全員揃いましたから、これから試験会場に移動します。結構遠いから急いでいきますよ。遅れないでくださいね。」
 そう言い終わると受付嬢は突然走りだした。側にいた和泉がすぐそれに続き、慌てて他の戦士たちも彼女を追いかける。
 「なんで走るんだぁ!?」
 どたばたしていたからか、煉、吏皇、霧香の三人は少しスタートで遅れた。それでも受付嬢を見失ってはいない。
 「しかも速いぞあの受付!」
 ダッシュと言うほどではないが、彼女が「かなり遠い」と言っていたことを考えると、ランニングにしてはスピードが速い。見失わないためには妥協した走りは許されない。
 「なるほど、すでに試験は始まっているのか。」
 「そうみたいね。」
 そう。この程度のことに付いてこれないようでは試験を受ける資格もない。幸運だけで八傑に残った人間を篩に掛けるつもりなのだろう。

 「はぁい、つきましたぁ!ここです!」
 ざっと十キロは走った。しかも山あり岩あり川あり。九狐の街を出るやいなや道を外れて茂みに突き進んでいったのには参った。単純に受付嬢ばかり見ていた煉だけだったら取り残されていたに違いない。吏皇と霧香は一度見失ったときにも慌てずに彼女の通った道筋を探り当てていた。煉もその恩恵を受けたわけだ。
 「う〜ん、今年は優秀ですね、皆さんここまでこれましたか。」
 受付嬢はニコニコしながら八人の顔を一通り見回した。それにしても彼女は何者なのか?恐ろしく身のこなしが軽く、タフだ。八人の中では和泉以外の全員が呼吸を乱しているのに、彼女はケロリとしている。
 「あの〜。」
 思い余って尋ねたのはやっぱり煉だった。
 「はい、なんでしょう?」
 「あんたはいったい何者なの?」
 「私はただの受付嬢ですよ。ただ、昔ちょっと先生にお世話になりかけたことがあるだけです。」
 「先生?もしかして___」
 受付嬢は驚いている煉にニコリと微笑んだ。
 「さあ皆さん、後は試験官が来るまでここで待っていてください。頑張ってくださいね。」
 それだけ言って受付嬢は早々と、今来た茂みの方へと帰っていってしまった。
 「最高道場の試験を受けた人間のほとんどが、翌年からは大会に参加しなくなるそうよ。」
 彼女を見送って霧香が言った。
 「それってどういうこと?」
 「さあ?わからない。最高道場の試験が難しすぎて、大会に出る意味を見失うのかもしれないし___何かを悟って戦いをやめ、受付嬢をやっていたりするのかもしれないわね。」
 霧香は淡々と言うが、この後にやってくるであろう試験がどんなものか、不安を感ぜずにはいられなかった。
 「ただそれは試験を不合格になった者たちの末路だ。僕は必ず受かってみせる。だからその先を考えるよ。」
 「フフ、素敵じゃない。」
 「どこが!気障なだけですよ。」
 煉は吏皇を睨み付け、吏皇は涼しい顔。霧香は苦笑しながら煉を宥めていた。

 回りには茂みと木々が並び立つが、ここだけはぽっかりと開いて空が見える。きっと空から見たなら、緑の絨毯に虫食いの穴が空いているように見えるのだろう。ここが毎年恒例の待ち合わせ場所のようで、心なしか地面が踏み固められているような気がする。
 「遅いな。」
 十分待った。師範の弟子は現れない。どこから現れるのか?皆回りに気を配っていたため言葉数は少なかった。
 二十分、三十分___いくら待っても師範の弟子は現れない。しかし皆分かっているのだ。受付嬢が「ここで待て」と言っていたことを。
 「私の方が四つも上なの?なんだか気後れしちゃうなぁ。」
 「そんなことはありませんよ。」
 「そう言う先輩相手の口の効き方はやめてよ〜。あたしがすっごく年上みたいじゃない。」
 吏皇と霧香はなんだか楽しそうに話している。もう一つ輪に入りきれなかった煉は、他の選手の様子を見たりして暇を潰していた。
 (一番はあの和泉って人で___)
 和泉の方を見ていたとき、視線を感じた彼は煉の方を向いてニコリと笑った。煉は一位である人への礼儀として、合掌して軽くお辞儀する。実に短いやり取りだったが、これが煉と和泉の最初の関わりだった。
 (そんなに怖い人には思えないけどなぁ___えっと___)
 二番の札をつけている人を捜す。
 (あ、いた、あの人だ。)
 二番の札をつけているのは弁髪の男性。年齢も若くはなく、経験豊富な印象を受ける。今も恐らく煉の視線を感じてはいるだろうがピクリともせず、ずっと大地に胡座をかいていた。
 (三番が吏皇で___四番は___うわっ!何だあいつ!)
 四番は華奢な老人だった。今は両足を首の後ろに引っかける奇妙な体勢で瞑想している。異国にああいった技を使う人々がいると聞いたことはあったが、実際見ると不気味だ。
 (五番は___なんだか普通の人だな。)
 五番は煉よりは年上だが、さほど年齢に差のなさそうな男性。煉の視線を感じると彼を睨み付けてきたので、それ以上関わるのをやめた。
 (六番が霧香さんで、あの人が七番か。)
 七番の男はこの場で一番落ち着きがない。体が大きく、筋肉も凄い。いかにも怪力に見えるが、頭にも筋肉が付いている様子だ。師範の弟子がまるっきり現れる気配がないことに相当苛立っている。
 (俺ってあいつよりも下に見られてるの?あいつだったらきっと勝てるよ。)
 もし声を出してそんなことを言ったら、吏皇に馬鹿にされるのが落ちだ。
 さて時間は刻一刻と過ぎていく。朝からここにいて、昼食時になってもまだ現れない。
 「あ、そうだ。お弁当があったんだっけ。」
 煉は少しウキウキしながら三咲から貰った包みを取り出す。布を開くと中には笹でくるまれたおにぎりが六つも入っていた。三角ではない、まん丸のおにぎりだがそれはそれで味がある。
 「三角に作るの苦手だって言ってたからな___吹っ切れて丸いおにぎりにしたな。」
 煉は御飯相手に奮闘する三咲の姿を思い浮かべた。
 「あら?何それ。彼女からの差し入れ?」
 薄ら笑いでも浮かべていたのだろう、霧香が興味を示して近寄ってきた。
 「いえ、彼女だなんてそんな___」
 明らかに照れまくっている煉。
 「そうですよ霧香さん。こいつに彼女がいるように見えますか?」
 「なんだと!」
 「う〜ん、そうねぇ。」
 吏皇の意見に納得している様子の霧香。煉はがっくりきて霧香の方を見た。
 「でも煉君が彼女だと思ってないだけで、陰ながら見守っている女の子ならいそうな気はするな。」
 それを聞いて煉はキョトンとしていたが、いつの間にやら顔を赤くして___
 「さっすが霧香さんは分かってらっしゃる!もうこれ二つ上げちゃう。」
 そう言うなり霧香の両手に一つずつおにぎりを渡す。
 「え?あたしは別にそんなつもりじゃ___」
 「いいんですよぉ、食べてやってくださいな。吏皇、おまえも欲しい?」
 だが吏皇は無視している。
 「おまえは女の子といっぱい付き合ってても、こういうことしてくれる子はいないもんなぁ。」
 「っ。」
 吏皇舌打ち。伏し目で煉を睨む。
 「煉君、彼女の名前は?」
 「はい三咲ですぅ。」
 「!」
 吏皇の眉がピクリと動いた。煉の言葉が強がりでなかったのが癇に障ったらしい。
 「どれ、僕も一つだけ味見させてもらえるか?」
 「おうおう、まあくいたまえよ三位の吏皇君。」
 「___貴様___」
 吏皇は不機嫌な顔でおにぎりを受け取った。散々罵倒するつもりで形の悪いおにぎりを口に含むが___
 「___」
 文句を言う気にはなれなかった。
 「美味しいじゃない。御飯の炊き方も上手だし、丸いからどこから噛んでも具の香りがする。」
 「でしょお!?吏皇はどうさ?」
 「まあまあだな。ただ、おまえのために作るというセンスには疑問を感じる。」
 素直じゃない奴___そう思ってニヤニヤしてから、煉もおにぎりを頬張った。
 「もしもし。」
 「!?」
 聞き慣れない声が三人の輪に割って入ってきた。吏皇と霧香は思わず身じろぎ、急に真顔になる。
 「良かったら僕にも一つくれるかな?」
 和泉だ。彼は長身の腰を折れて、座っている煉の顔と同じ高さまで首を下げ、にこやかに頼んできた。吏皇と霧香はその姿を挟むように両側から見つめ、緊張を走らせていた。煉も少し驚きはしたが、さして動揺することはなかった。
 「はいどうぞ。」
 だから易々と和泉におにぎりを渡し、和泉は笑顔でそれを受け取った。和泉は吏皇と霧香が自分を警戒していることも分かっているようで、おにぎりを受け取るとさっさと元いた場所に戻っていった。
 「驚かせるな___まったく。」
 「そんなに怖い人か?あの人。」
 「見かけは確かにああだ、だがあいつはアサシン。気を許すとろくな事にはならない。」
 吏皇の額に微かに汗が滲んで見えた。
 「煉君、何もされなかった?」
 「大丈夫ですよ。」
 霧香も煉の微笑みにホッと胸を撫で下ろす。あの和泉という男___アサシンというのは殺し屋なわけで、恐れられるのは分かるが___
 「煉君、おにぎり二つじゃ足りないでしょ?あたしは一個で平気だから一つ返すわ。」
 霧香とそんなやり取りをしている間、おにぎりを口にした和泉がこちらに向かって「美味しい」というジェスチャーをしているのが見えた。やはり煉には、彼がそこまで恐れられる男とは思えなかった。
 さて昼食を終えてからさらに一時間。相変わらず師範の弟子は現れないが動きがあった。
 「もう我慢できねえぞ!」
 七番が突然大声を張り上げて立ち上がったのである。やけを起こした彼は、一人で受付嬢が帰っていった方角とは逆の茂みへと突っ込んでいってしまった。
 「あの男___かなり苛ついていたからな、四時間も持てば立派なものだ。」
 「そだな。」
 吏皇が軽くあしらい、煉も相づちを打つ。珍しく二人の意見が一致していた。
 「待っているのも試験のうちだっていうのにね。でもまだ不合格者は一人か。」
 他に___痺れを切らしてしまうような人物は見あたらない。いるとすればそれは煉だろう。だが煉も吏皇と霧香がじっとしている間はここにいようと決めていた。
 十分後。
 「うわおおあああ___!」
 野太い声が山間に響き渡り、まるで吸い込まれるように小さくなって消えた。
 「さっきの男の声じゃないか!?」
 煉は色めきだつ。だが他の面々はいたって冷静だった。
 「道無き道を進んで___谷にでも落ちたような声だったわね。」
 「焦ったあいつが悪い。大人しく待っているのが一番だ。」

 さて待ちに待ち続けてさらに三十分後。
 「お待たせしました。」
 草木を踏む音と共にようやく一人の女性が現れた。腰まで届く黒い長髪を揺らし、濃紺のローブ姿で現れた女性は開口一番こう言った。
 「御免なさい、試験明日だと思ってて___何時間遅れかな?本当にすみませんでした。」
 唖然呆然。待つことも試練だとか勝手なことを言っていたが、ただ単に彼女とその師匠が勘違いをしていただけらしい。可哀想なのはあの七番。もし本当のことを知ったらそれこそ浮かばれない。
 「さあ、予定より大幅に遅れているけど、気を取り直して試験を始めましょうか。」
 本当に大変なのはまだこれからのようだ。




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