プロローグ

 俺の名前は煉(れん)。大陸の西部に位置する小国「九狐(きゅうこ)」の出身で年は十六。座右の銘は正義は勝つ!頭を使うのは少し苦手だが、体を使うことなら誰にも負けない自信がある。九狐は武闘の盛んなところで、ジャンルを問わずに数多くの道場が並び立つ戦士の国だ。乱世の時代にこの小国が頑として生き残っているのは、国を守る兵士一人一人の質の高さのためだと言われている。毎年のように武闘大会が行われ、そこで好成績を挙げることが各道場の反映に繋がる___
 「その大会で俺はなんと八傑に残ったんだ!」
 煉は赤色の武闘着に身を包み朝日に向かって吠えていた。真っ黒の短髪で、額の真っ赤な鉢巻きには「闘覇」の文字。凛々しく引き締まった眉、大きな目は黒目勝ちで、いつも瞳の奥に炎を思わせる輝きを宿す。程良く日に焼けた肌、歯並びの良い口、彼はまさに熱血漢の顔だった。身長は百七十に届かない、体格だって人並み程度だが、武闘着の陰から見える体は実に筋肉質だ。
 「はいはい、それは何度も聞いてるわよ。」
 朝から燃えている煉を冷ますように、後ろから穏やかな女性の声が掛かる。
 「げっ!三咲!いつの間に___」
 「もう随分と後ろに立っていたけど___」
 三咲(みさき)は呆れたように眉を下げ、煉に微笑んでいた。黒よりやや青みがかって見える美しい長髪。駿馬のようなつぶらな瞳。厚みに優しさを、桜色に華やかさを含んだ唇。淑やかな物腰で、誰にでも優しい姿を想像させる彼女は、煉の幼なじみ。早いうちに両親を亡くした煉にとって、家族のような存在である。 
 「朝ご飯ができたよ。今日は特に一生懸命作ったから。」
 「おうっ。」
 今日は特別な日だ。二年前から武闘大会に挑戦しはじめた煉だが、彼の所属する道場は弱小で、所属人数も少ない。一昨年、去年と不運もあって成績がさえなかったが、努力の甲斐あって今年はベストエイト進出。ここで敗れはしたものの、弱小道場だからこそ身に付いた「型にはまらない自由な戦法」は高い評価を受けた。
 「はいどうぞ。」
 「うわ〜___!」
 ずらりと並べられた料理に煉は思わず舌なめずりをした。品数は多くても、朝食であることと、煉の体作りを考え、軽くてヘルシーな料理が並ぶ。
 「いただきます!」
 三咲の手料理はいつも抜群。でも今日はさらに格別だった。
 「あれ?おじさんたちは?」
 「今日はもう出てるわ。」
 三咲の家は市街からやや外れた丘の上にあり、煉は近くに掘っ建て小屋を立てて住んでいる。彼女の両親は、煉を養子として迎えるつもりでいたが、煉は迷惑ばかり掛けられないと答え、家を建てる場所と食事だけ頂くことになったのだ。ただ、三咲やその両親に呼ばれてしょっちゅう母屋にお邪魔しているため、バラバラに住む意味はあまり見いだされていない。
 「月世(げっせい)まで行くって言ってたっけ。」
 「うん。」
 「いい医者がいるといいな___」
 三咲の母は数年前から病を患っている。心根から優しく、母性に溢れた実に素敵な人で、名前は春花(しゅんか)。煉が悩んでいるときに励ましてくれる、彼にとって本当の母親のような人だ。病は脚の自由を奪うもので、数年前に倒れて以来、彼女は自由に歩くことができなくなってしまった。それからは三咲が家事をこなし、父親は仕事の合間を縫って妻の病を治せる医者を捜し、東奔西走する日々が続いている。
 「今日入門するところ、住み込みなんでしょ?」
 「まだ入門できるって決まったわけじゃないさ。」
 「___陰ながら応援してるから、頑張ってよ。」
 「まかしとけって。」
 煉は御飯粒を頬につけたまま胸を張り、その姿がなんだか滑稽で三咲はクスクスと笑った。
 「でも驚いたな。まさか煉があんなに頑張るとは思わなかったもの。」 
 「実力はあったんだ!今まで運がなかっただけだよ。」
 「去年は食あたり、一昨年は二回戦の試合に遅刻だっけ?それって運って言うかしら?」
 武闘大会で八傑に残ったものは、無条件に「最高道場」の入門試験を受ける権利を得る。最高道場とは、九狐の国における最強の戦士が師範をつとめる道場である。この師範について、その存在は確かだと言われているが、どんな人物かどれほどの実力を持っているかなど、まったく知られていない。ただ、戦士の一番弟子の女が試験監督をつとめていることは有名で、この試験が強烈に厳しいらしく、皆ここであっさりと不合格の烙印を押されるという。そのため師範の姿を知るものはいないのだ。
 「おっと、そろそろ行かないと遅刻しちまう!」
 煉は掛け時計を見て、慌てて食べるのを中断し荷物を握る。
 「忘れ物はない?」
 「体と生活用品と八傑の証明書。全部あるぜ。」
 「それじゃああとはこれね。」
 三咲はにこにこ顔で煉に布のつつみを差し出した。
 「なんだこれ?」
 「お弁当。」
 三咲の心遣いは嬉しいが、実は彼女のお弁当には苦い思い出がある。去年の武闘大会での食あたり。煉は隠しているがあれは実は三咲のお弁当が原因だった。彼女の料理は素晴らしいのだが、おっちょこちょいなせいで時々手違いがあるのが玉にきずなのだ。
 「あ、ありがとう。」
 とはいえ三咲をイヤな気分にはさせたくない。ただでさえ、煉が暫くいなくなるかもしれないことに寂しさと不安を感じているのだから。もちろん、試験に不合格なら帰ってくるわけだが。
 「合格しなさいよ。せっかくのチャンスなんだから!煉は世界一の武闘家になるんでしょ?」
 「もちろん!俺はやるぜ!」
 「その意気!」
 三咲は煉の背中をポンと叩き、気合いを注入する。煉はその勢いで家の外へと飛び出した。
 「じゃあな!三咲!」
 明るい笑顔で手を振る煉。三咲も満面の笑顔で手を振り返していたが、彼が背を向けて歩き出すと寂しそうな笑みに変わった。ただそれも一瞬。すぐに意気揚々と歩く煉の後ろ姿に触発されて、口元に手を運ぶ。
 「煉ーっ!不合格だったら変な意地張らないで、ちゃんと帰って来るんだよーっ!」
 丘に響き渡るようなその声に、煉は思わずこけそうになった。
 「馬鹿にすんな!俺はそんなにガキじゃねえ!」
 すぐに大声を張り上げて答える。もう会話をするような距離ではないのに___なんだか楽しかった。
 「がんばれよ!煉!」
 「おまえもな!おじさんとおばさんによろしく!」
 そして煉は、名残惜しさを振り切るように丘を駆け下りていった。三咲は煉のチャレンジを喜びながら、彼がいなくなることへの寂しさを感じていた。不合格なら帰ってくる。それが分かっているのにこんなに寂しいのは、きっと彼の合格を信じているからなのだろう。
 「俺はやるぜぇい!」
 煉も寂しかったが、それよりも自分のこれからに燃えていた。
 熱い気合いを胸に、苛烈な挑戦が始まる!




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