SEAN5  四人の接点  

 「というわけだ___っておい。おいっ!聞いてるのかカークマイル!」
 「えっ!?」
 アルフレッドに怒鳴りつけられ、ようやくシャルルは素っ頓狂な声と共に顔を上げた。
 「あ、ああ、聞いていたわよ」
 一夜明けて情報交換日。これからは定期的に、自殺事件についてお互いに分かったことをアルフレッドと話し合う。話し合いの場所は警備隊詰所の取調室。しかしシャルルの頭の中はP.Jの事で一杯だった。
 「俺の方はこんな感じだ、おまえはどうだ?」
 ちなみにシャルルはアルフレッドの話をまったくと言っていいほど聞いていなかった。
 「えっと___あたしの方もまだ進展はないわ。悪霊のせいだとしても、犯行のタイミングに規則性がないし___とにかく、四人に何か接点でも見つかればと思っているんだけど」
 「それはさっきも言ったが___」
 憮然とするアルフレッドだが、シャルルは気づかぬふり。
 「この四人が顔見知りだと言うことはまずないと思っていい。人間関係における接点も調べたがまったく見つからなかった」
 「ふだんの生活習慣は?どこか接点があるかも」
 「生活習慣か___そこまでは調べていないな」
 アルフレッドは顎先だけで頷きながらメモを取った。
 「でも調べるのは難しいかもね___プロスペクター卿はともかく後の三人は一人暮らしでしょ?」
 アルフレッドは手帳をポケットにしまう。
 「二人目の犠牲者、ミカエラ・ストランスのことなら、詳しいことを教えられるぞ」
 「ああ、あのバーのウェイトレスの。え、でもなんで?」
 アルフレッドは天を見上げるような仕草をしてから答えた。
 「俺の婚約者だからな」
 「!」
 驚きと同時にシャルルは、アルフレッドがこの事件に執着を見せる理由を知った。
 「ミカエラは仕事上不規則な生活をしていた。夕方から深夜までが仕事で、それ以外は自由時間だ。ただ店の片づけとかがあって、寝るのは夜明け近く。昼過ぎまで寝てるよ。週の頭は客が少ないから休みを貰っていて、俺と会えるのもほとんどがその日か仕事中だったな」
 「御免なさいね、アルフレッド」
 「は?なんだよ急に」
 突然謝罪の言葉を口にしたシャルルにアルフレッドは訝しげな顔をする。
 「あなたのことを馬鹿だっていった事よ。あなただって一生懸命捜査していたのに、あの言葉はあなたの恋人の死をも侮辱することになる」
 「気にするな。俺だっておまえに謝らなければならないことがある。ミカエラは死ぬ前に、魔法に興味を持っていてな、客から聞いたんだろう裏世界の危ない魔法集会に顔を出したりしていたんだ。そんなタイミングであいつは死んだ。俺はどうしてもあいつの死と魔法を結びつけたくてな、おまえを犯人に仕立て上げたくてしょうがなかった。確かに馬鹿だったよ」
 アルフレッドは小さな溜息を付いた。
 「それだけ、人の死が与える影響は大きいのよ。どんな人であっても、その人は誰かにとって大切な人なんだから」
 いつになく湿気た空気のまま、その日の情報交換は終了しようとしていた。
 「残りの三人の生活習慣は俺の方で調べておく。おまえは引き続き自分の捜査を続けてくれ」
 「了解。お互い頑張りましょう」
 だがこの日を境に、二人の関係が少し良化したのは言うまでもなかった。

 「問題ありませんね、すっかり回復しています」
 食あたりから一夜明けたランディは、再びオルフェウスの元を訪れていた。
 「それにしても本当にとんだご迷惑を掛けてしまいましたね」
 オルフェウスは苦笑いしながらカルテを記入していく。しかしランディの表情が冴えず、どうも元気がないのが気になってペンを止めた。
 「どうしたんですか?ランディさん。元気がありませんね」
 「いえ、元気は元気なんですけど___実は今朝シャルルさんが___」
 シャルルがP.Jの事ばかり考えているのと同様に、ランディも彼女の錯乱ぶりが気になって仕方がなかった。
 「そうですか___そんなことが。シャルルさんらしくありませんね」
 事情を聞いたオルフェウスは厳しい顔つきになり、腕組みをした。
 「本人はムカデがいてびっくりしたって言っていたんですけど、ムカデなんていなかったし、いたとしてもそんなことで悲鳴を上げるような人じゃないから___」
 自分だったら悲鳴を上げているだろうけど___と付け加えるのはやめた。
 「すると、いったい彼女は何に驚いたのでしょう」
 「手紙かとも思ったんですけど、そんなおかしな手紙はどこにもなかったですし」
 ガチャ。受付窓口と診察室を結ぶドアが開き、実にスマートな美しさを放つ女性が顔を覗かせた。彼女が噂の看護婦、リヴレだ。
 「先生、患者さんがつかえています」
 「あ、はい、わかりました」
 ランディが一目見て憧れてしまうほど、色白で淡いブロンドの髪をした彼女は、背もすらりと高く切れ長な瞳が印象的。やや肉感と暖かみには欠けるが整った顔立ちをした女性だった。
 「私には何とも言えませんが___ランディさん。心配しすぎるくらいなら思い切ってシャルルさんを問いつめてみるのも悪くないと思いますよ」
 「それをやるにはもの凄い勇気がいるんですけどね___」
 そう言ってランディは微笑んだ。

 ___草花の匂いがする。
 風が頬を撫でて、日がポカポカと暖かくってなんて気持ちがいいのだろう。
 あ。誰かが僕の頬を撫でている。優しい、柔らかい手___女の人だ。
 「あ」
 ランディは草原の中で目を覚ました。緑が広がる景色の中、駆け抜ける風に短い草たちが揺れている。
 「こんにちわ」
 いつの間に、彼の目の前に一人の女性が立っていた。少女と言うには大人びている彼女は___
 「僕よりも随分背が高い___」
 シャルルよりも少し大きいくらいの背丈だった。それでもとても細身で、まるで風と一体化しているような白いワンピースがよく似合う。
 「あなたは誰?」
 ランディは寝転がっているから、女性の背後の太陽が眩しくて顔が良く分からない。
 「フフフ___」
 ランディが手を伸ばすと女性はすり抜けるように逃げ出してしまう。
 「まって___」
 微笑みながら、舞い踊るように逃げる彼女を、ランディは一生懸命追いかけた。草原を走り続け少しずつ追いついてきたところで、ランディは彼女をつかまえようと飛んだ。
 そこで一気に景色が暗転する。
 「え?」
 広がっていた草原は断崖絶壁の切れ端に変わり、宙に浮いたランディの眼下、何十メートルも下に荒れ狂う波が見えた。
 落ちる!だがもう、彼が取り付く場所はない。
 「うわあああああ!」
 ランディは悲鳴を上げて落下していき___

 ドスンッ!
 「うわっ!」
 目が覚めた。
 「なぁにやってんのあんた」
 一瞬錯乱してここがどこなのか分からなくなったが、よく見れば見慣れた家の天井だ。さらに見慣れた美女が馬鹿にしたような顔で彼を見下ろしていた。
 「あ、あれ?」
 「ソファで寝てて転げ落ちたのよ」
 オルフェウスの所から帰ってきたランディは、シャルルがいなかったのでソファでのんびりと過ごしていた。そのうちうとうとして眠ってしまったようだ。
 「お、お帰りなさいシャルルさん」
 「あたしが帰ってきたのはもう二時間も前よ。なんか夢でも見てたの?落ちる直前唸ってたわよ」
 ランディはまだボーっとしている様子だ。後頭部を掻きながら口をただパクパクと動かしている。
 「ああ夢、見てました」
 十秒もしてからようやく答えが出た。
 「どんなの?」
 「良く憶えていないけど、綺麗な女の人と一緒でした」
 「うわ、スケベ根性丸出しだ」
 「ち、違いますよぉ___」
 どんな夢かはすっかり忘れていたが、綺麗な女の人がいて、とても気持ちのいい夢だったと思う。あれ?それって___エッチな夢か?
 ランディはなんだかとても恥ずかしくなった。

 次の情報交換日は五日後。アルフレッドがそれまでに例の四人の生活習慣を調べてくれることを期待して、シャルルはいったん自殺事件の捜査を打ち切った。このところ魔道探偵の時間を全て自殺事件に回していたが、こちらの報酬は解決後。生活費調達のためには寄せられる手紙の依頼を受け、解決しなければならなかった。
 「こちらが報酬です」
 「確かに」
 だが幸い、請け負ったのはどれもマクブライドの事件よりも遙かに簡単なもので、生活費の問題はすぐに解決を見た。
 だがこんな膠着した日々であっても、シャルルは休まる時を得ることは出来なかった。
 「また来てる___」
 P.Jのカードに悲鳴を上げて以来、シャルルは毎朝、郵便受けを見に行くようになっていた。そして案の上、郵便受けにはカードが入っている。その内容は、日々刻々と変化していった。
 「私のことを調べているんだ___シャルルタティナ・カークマイルが生きていて、魔法使いとして育っていることを___あいつは知っている」
 P.Jから送られてきたカードの内容。
 最初は「P.J」。それだけ。
 二通目は「黒服のよく似合う魔法使いへ___P.Jより」
 三通目は「悪霊退治をしているあなたへ___P.Jより」
 四通目は「連続自殺については何か分かったかい___P.Jより」
 五通目は「あなたと同じ境遇の少年にもよろしく___P.Jより」
 少しずつではあるが、カードにはシャルルの詳細が書かれはじめている。今後どのような内容が記されてくるのかと思うと恐ろしい。
 「追いかけてはいた___両親の仇を討つため、闇の世界で暗躍するこいつを滅するため___あたしは魔法使いになったんじゃないか___」
 シャルルはまたもカードを握りつぶした。
 「だが___あいつがどこかであたしを見ている、あたしの凄く近くで___」
 見ているのは確かだ。一昨日、このカードが投函される瞬間を見てやろうと、シャルルは居間で一夜を過ごし、ずっと郵便受けを睨み続けていた。だがついにその日はカードは投函されなかった。これはシャルルの行動が監視されていることに他ならない。
 「あの男に見られている___そう思うと___怖くて___恐ろしくて___」
 思い出されるのは両親の凄惨な死の場面ばかり。P.Jの名は、それだけでシャルルのトラウマとなっていた。
 ドスンッ!
 シャルルの苦悩を断ち切るように、家の中から派手な音が聞こえてきた。
 「またか」
 くしゃくしゃになったカードをポケットにしまい、シャルルは小走りへ家の中へと戻っていった。
 「う〜ん___」
 寝室に向かうと、思った通りランディがベッドから転げ落ちていた。
 「また落ちたの?寝相は良かったはずなのに、最近おかしいわよ」
 「また夢を見ました___女の人がいてフワフワしてましたよ___」
 ランディは床に寝転がったまま、もたついた口調で言った。にこにこ顔で、いかにもまだ夢心地だ。
 「しゃきっとしろ、おまえがフワフワじゃないか」
 シャルルの右手が青く光ると、極寒の風がランディの額に向かって吹きつけた。前髪を凍らされたランディは勿論すぐに飛び起きた。

 「今日はなんなんですか?」
 外出着姿で朝食を取るシャルルにランディが尋ねた。
 「アルフレッドの所で情報交換よ」
 「今日はオルフェウスさんがおやすみのはずですから、僕、遊びに行ってきますね」
 「なら後であたしも行くわ」
 シャルルは朝食も程々に席を立った。
 「あれ、もう行くんですか?」
 「そろそろ行かないと間に合わないわ」
 「遅刻はしないのがシャルルさんのモットーですもんね」
 シャルルは遅刻をしない。約束を破ることが嫌いだから守れない約束もしない。だから彼女は引き受けた仕事は何があろうとも全て解決に導く。当然今回の自殺事件も。
 「犠牲者の生活習慣について調べたぞ」
 「さっすがぁ」
 アルフレッドから紙を受け取り、シャルルは彼に言える目一杯のお世辞を言った。今まであれだけ啀み合っていた相手に、これ以上の世辞を言うのはあまりにも嫌らしい。
 「一人目のペドローニさんは、これといって決まった生活習慣を持っていないし、情報も少ない。これから仕事を始めようかという人だったからな。分かっているのは夜型の生活をしていたと言うことだ。ミカエラについてはこの前述べたとおり。プロスペクター卿は規則正しい生活を送っている。朝は六時に起床、夜は九時に就寝。午前中は乗馬を楽しみ、午後は仕事に費やすのが基本だ。フォッジさんは以前は刀鍛冶の所で修行をしており、自宅にいる時間が長くなったのは最近になってから。ま、詳しいことはそちらで目を通しておいてくれ」
 「ねえ、ちょっとさぁ、これをわかりやすいように二十四時間の棒グラフにしてみてくれる?死亡推定時刻も書き加えてさ」
 「なるほど、確かにそのほうが分かりがいいな」
 同席していた隊員に紙を手渡すと、彼はすぐさま取調室から飛び出しグラフの作成に取りかかる。そのあいだシャルルとアルフレッドは二人きり。
 「お待たせいたしました!」
 隊員が戻ってくるまでおよそ五分。お互いに疲れのあるアルフレッドとシャルルは、結局一言も会話をしなかった。
 「どれどれ___」
 まずグラフがアルフレッドの手に渡る。
 「死亡推定時刻、普段彼らが何をしているか教えてくれる?鍵はそこだと思うの。その時間に悪霊が活動したということだからね」
 「なるほど___ペドローニさんは睡眠時間、ミカエラは休憩時間、プロスペクター卿は睡眠時間、フォッジさんは勤務中だ」
 「でもフォッジさんは自宅にいたんでしょ?」
 「そうだな、彼は新しい店の準備で曜日、時間に関わらず東奔西走していたそうだから、一概に勤務中とは言えない」
 とすると___一つの接点を掘り下げていく価値はありそうだ。
 「気にならない?この睡眠時間って」
 シャルルはアルフレッドの目を真っ直ぐ見つめ、言った。
 「___そうだな。ミカエラも遺体発見時にはネグリジェだった」
 アルフレッドも真っ向から目を合わせ、答えた。
 「睡眠中に動き出す悪霊___珍しいけど、いるかもしれないわ。寝ている間、人の意識は無防備になっている。その意識に取り付いて身体を自在に操れる悪霊なのかも。まあなにににせよ、フォッジさんが死亡時に睡眠をとっていたか、そこからね」
 「手伝えることがあれば言ってくれ、だがここから先はおまえ主導で頼むぞ」
 「ええ」
 シャルルはアルフレッドからグラフを受け取り、一通り眺めた。
 「あら?」
 そして一つ気になる点を見つけた。
 「このグスタボ・ザボネッティって名前どこかで聞いたことが___」
 フォッジの生活習慣について証言していた男の名前だ。
 「ん?ああ、証言者か。その人はフォッジさんが武器の作り方を教わっていた鍛冶屋さ。有名な人なのか?俺は聞いたことなかったが___」
 「う〜ん、そんなのじゃないんだけど___」
 「まあ何はともあれ、期待しているよ、カークマイル」
 アルフレッドが手を差し出した。
 「シャルルでいいわよ」
 シャルルもそれに応え、二人は固い握手を交わした。解決へ向け、二人はじっくりとだが確実に階段を上っていく。
 「あっ!」
 詰所を出てからもずっとザボネッティのことを考えていたシャルルは、ようやく思い出し、道の真ん中で声を上げて手をあわせた。
 「あ、いえ、なんでもないです」
 周囲の視線が集まっているのに気づき、彼女はそそくさとその場から走り去っていった。目指すは自宅だ。
 「ランディがプロスペクター卿の手紙と間違えて読んだ手紙、うちに依頼を出してたんだ!グスタボ・ザボネッティ!」
 あのときは卿のことで頭が一杯だったが、蔑ろにされたあの手紙こそ、弟子が死ぬ直前に師匠が魔道探偵に宛てた依頼状。これは大きな手がかりになる気がした。

 「最近変な夢を見るんですよ」
 「まあ、そうなんですか?」
 オルフェウスがたまたま外出中だったので、ランディは憧れのリヴレと会話を楽しんでいた。年は二十四というリヴレだが、透き通るかと思うほど白い肌は実にみずみずしく、痩躯ではあるがさほど不健康な印象を与えない。職業柄、化粧っけはないが、それでも彼女は十分に美しく、どこか神秘的で独特の色香を持っていた。
 「内容は良く分からないんですけど、なんだか気持ちのいい夢なんです。あととっても綺麗な女の人が出てきます、そうリヴレさんみたいな感じの___」
 「あら___」
 その言葉をお世辞と受け取ったリヴレはクスクスと笑った。
 「あ、いや別にリヴレさんが綺麗だとか、あ、いや違います、リヴレさんはとっても綺麗なんですけど、あれ?なんて言うのかな___」
 「ふふふ、どうしたんですか?」
 美人でスタイル抜群、仕事もできてお淑やかで___ランディはリヴレの魅力にすっかりあてられてしまっていた。オルフェウスが帰ってくるまで、リヴレとときめきのティータイムを過ごすランディは、先程から紅茶ばかり口にしている。
 「またおかわりします?」
 「あ、はい、お願いします」
 もう胃の中は紅茶でいっぱいだ。

 「発見」
 最近、封だけ開けて中身を見ていない手紙がたくさんある。ゴミと同じ扱いでテーブルの一角に寄せ集められていた手紙の中からシャルルはようやく例のものを探し当てた。
 「グスタボ・ザボネッティ、間違いないわ」
 期待に満ちた顔でソファに腰を下ろし、シャルルは手紙を読み始めた。
 「弟子の様子に少し気になることがあります。内々にお話がしたいので、よろしければこちらまでお出で下さい___ってか」
 シャルルは声を出して内容を読み上げ、確信の笑みを浮かべた。
 「手がかり掴んだ!師匠は弟子の異変を知っていた!」
 一人で拳を振り上げ、大いに盛り上がるシャルル。とりあえず勝利の一服。煙草二本を一度にくわえ、濃厚な一時を楽しむことにしよう。
 「ごほっごほっ」
 やっぱり噎せた。

 「それは変わった夢ですね」
 オルフェウスが帰ってくるとランディはまた夢の話を切りだしていた。好奇心旺盛なオルフェウスは面白そうに話に聞き入ってくれるので、話し手としても実に甲斐がある。
 「夢から目が覚めると僕はいっつもベッドの下に落っこちてるんですよ。おかしな話でしょ」
 「それはもしかすると、ランディさんは鳥になる夢を見ているのかもしれませんね」
 「鳥ですか?」
 オルフェウスは笑顔のまま一度ずれ掛けた眼鏡を正した。
 「よくあるでしょう、子供がトイレに行く夢を見るとおねしょをしてしまうとか、階段を踏み外す夢を見たとき体が震えて目が覚めるとか。ランディさんも鳥になって、ベッドの中で羽ばたいているんじゃないんですか?」
 「鳥になる夢を見る人は自由に対する憧れがあるって、占い師が言っていたわ」
 「はは、自由ですか___なるほどね」
 リヴレがの言葉が妙に突き刺さるランディであった。
 「それにしてもシャルルさん、来ませんね。久しぶりに魔法の話でもしていただければと思ったのに」
 「私も一度お会いしてみたいわ」
 リヴレはオルフェウスからシャルルの話を聞いている。彼のパートナーだけあって、オルフェウスに負けず劣らず何事にも興味津々なリヴレは、先程からいつシャルルが来てくれるかと期待している様子だった。
 「今日の話し合いは長くても昼までだって言ってたのに___もうお昼過ぎちゃいましたね」
 部屋の掛け時計を確認し、ランディは首を捻った。昼までには来るよう約束すれば、きっとシャルルは現れていただろうに。
 「ランディさん、昼ご飯をごちそうしますよ」
 「えっ!?」
 ランディの笑顔が明らかに引きつった。
 「はははっ、ご心配なく、今度はなまものは使いませんよ」
 「なはははは___」
 顔では笑っているものの、ランディの心中は不安で渦巻いていた。
 そのころシャルルは___
 「___」
 薄暗い工房で、見事なまでの輝きを放つ新しい剣の前に跪き、胸に手を添えて祈りを捧げていた。「まずはあいつの成仏を祈ってやってくれ」フォッジの師匠であるザボネッティの言葉だった。
 「剣には鍛冶屋の魂が宿り、鎧には鍛冶屋の血潮が染み込む。フォッジの魂はきっとその剣の中で生きているさ」
 この剣はフォッジが最期に打った、遺品となってしまった。ようやく完成し、師匠に一級品だと認めて貰った作品だった。これが完成したからこそ、店を持つことが許されたというのに。
 「俺たちは武具に強い魂を与えなきゃならねえ。自殺なんてする軟弱な奴は___少なくとも俺の弟子にはいねえはずだ」
 鍛冶屋独特の焼け付いた肌。筋骨隆々な上半身。七十を超える老人とは思えないザボネッティの体は、まさに熱き魂の賜であろう。
 「でしょうね。死を暗示しながら___こんな見事な剣は打てませんよ」
 ただそんなザボネッティがフォッジの死に酷く落胆しているのは明らかだった。決して若くはない彼が、後継と期待していたのがフォッジだったという。彼が亡くなったその日から、恐らくこの工房は活動を停止している。
 「依頼を受けたのは随分と前になりますが、その時は別の自殺事件に関わっていました。今更現れたことをお怒りでしょう?」
 「ああ」
 ザボネッティの鼻孔が確かに開いた。煮え切らないものがあるのだろう。
 「申し訳御座いませんでした」
 シャルルは心からの詫びを込め、長髪が煤けた床に広がるくらい深々と頭を下げた。ザボネッティはすぐに彼女に頭を上げさせる。
 「あんたの身体は一つしかないんだ。依頼の選択権はあんたにある。あいつは運がなかっただけだよ。それに、たとえあんたがわしの依頼を選んだとしても、間に合いはしなかっただろう」
 ザボネッティは作業着のポケットから安い巻き煙草を取りだした。
 「火を」
 「ありがとよ」
 赤熱するシャルルの指先に、ザボネッティは煙草を運んだ。
 「んで、今日はなんの用だい。まさか弟子の供養のためだけに来たわけじゃないだろ?」
 「あなたが感じたという異変を教えて下さい。フォッジさんに起こった、私に依頼をしなければならないような異変を」
 シャルルも煙草に火をつける。ザボネッティは巧みに煙のリングを吐き出してから話し始めた。
 「夜うるさくなったんだ」
 「睡眠中?」
 「ああ。やけに動くし、寝言も多い、唸ってる時もあった。急にさ。今までは静かなもんだったぜ。それがちょっとした仮眠でも、もぞもぞするようになっちまった。俺たちの仕事は一度作業をはじめたら時間なんぞ関係なくなっちまう。寝られるときにグッスリ寝るのも仕事のうちなんだが___とうのあいつは夢を見ていた気がするがそれ以上は憶えていないの一点張りだ」
 「異変が見られるようになったのはいつ頃からですか?」
 そう尋ねられたザボネッティは、深い皺が畳まれた顔をさらに皺くちゃにして首を捻った。
 「ああそうだ。確か手首を痛めた頃からだな」
 「そんなことがあったんですか?」
 「おお、目一杯の力使ってあの剣を打ち上げたもんだから手首が炎症を起こしてな、まあ医者に診てもらったらそっちの方はすぐに良くなったよ。ただそれから寝るときに騒がしくなったんだ。えっとありゃ、死ぬ二週間くらい前かな」
 シャルルは満足だった。この事件に関してこれほど具体的で身のある証言を得たのは初めてだ。フォッジは既にその時何らかの悪霊に付かれ、察するに___
 「夢」を操られて死へと導かれたのだろう。
 ザボネッティに最高の敬意を表し、彼の工房を後にしたシャルルはすぐさま馬車をつかまえて乗り込んだ。
 「王宮警備隊第五部隊詰め所へ」
 報告しなければいけないことがたくさんある。そして調査してもらいたいことも。
 だがまず何よりも、最初に伝えなければならないのは事件の元凶のこと___
 今回の事件を引き起こしている悪霊は恐らく___「夢魔」だ。
 夢魔とは、夢を操る魔物。悪霊というよりは魔物だ。より高等で、力の強い者は実体化も可能。夢に取り付き、悪夢を見せるのだけの弱いものから、夢を通じて一種の幻覚を見せ、人を操るものまで様々。今回は恐らく相当強力な夢魔だ。人を操り、殺害している。しかも潜伏している間は闇の気配を殺して完全にその人物に溶け込んでいる。これほどの夢魔が野放しで勝手に動いているとは少し考えづらい。もし野放しならば犠牲者はもっと出ているだろうし、ここまでシャルルの目をかいくぐることは出来ない。恐らく何者かの指示を受けて活動しているのだろう。
 そしてそれにはきっとP.Jの存在が関わっているとシャルルは睨んでいた。ランディにもオルフェウスにもアルフレッドにもその名を教えることさえしていない、シャルルだけが理解している影の男、P.Jが。

 一方オルフェウスの医院では___
 「来ませんね、シャルルさん」
 昼食も終わり、そろそろ会話もなくなってきていた。
 「もしかしたら家に帰っちゃったのかもしれませんね。僕もそろそろ帰ります」
 「そうですか?」
 「なんだか空模様も怪しくなってきたし___」
 外は昼間だというのにどんよりと曇り、風が吹き出したようで窓ガラスがカタカタと音を立てている。
 「また来てください」
 「はい、今度はシャルルさんと一緒に来ますね」
 外に出ると湿った生ぬるい空気がまとわりついてきた。雨が今にもランディの鼻先に落っこちてきそうだった。オルフェウスが差しだしてくれた傘を遠慮したランディは、自宅まで走って帰ることにした。

 シャルルが詰め所に到着したとき、雨はすでに降り始め、町から人の気配を減らしていった。
 「ここで待っていてください」
 馬車を待たせ、シャルルはアルフレッドの所へ急いだ。フォッジが妙な夢を見ていたこと、その点から推察して今回の騒動を引き起こしているのが「夢魔」であると睨んでいることを伝える。さらに、他の面々についても、睡眠中の異変について捜査を依頼し、もう一つ、関連事項の捜査を依頼した。しめて五分。
 「お待たせしました、次は___」
 次はオルフェウスの元へと急ぎ、危機的状況にあるかもしれないランディを拾っていく。この事件の黒幕が「夢魔」であると睨んだその時から、急にベッドから落ちるようになったランディが心配でしょうがない。彼を丹念に調べ、夢魔が潜んでないか確認する必要がある。
 「オルフェウス!」
 鍵の掛かっていた医院のドアを執拗にノックして、シャルルはオルフェウスを呼んだ。雨よけのない場所に立たされている彼女はあっという間にずぶ濡れになっていった。
 「はいはい」
 雨音がノックの音をかき消していたのだろう。拳で叩きつけるほど強くノックして、ようやく彼はやってきた。
 「これはシャルルさん、そんなに濡れて___まあ上がってください」
 「結構」
 シャルルは手を翳してあっさり断った。雨が冷たく打ち付けるせいか、彼女に笑顔はない。
 「ランディが伺っているでしょう?」
 「シャルルさんがあまりにいらっしゃらないから、自宅に戻ってしまいましたよ」
 「分かりました、ありがとう」
 シャルルはクルリと反転し、いやにあっさりと立ち去ろうとしていた。しかしふと足を止めて振り返った。
 「リヴレさんは今日もいらっしゃらないんで?」
 「雨が降る直前に出かけてしまって、きっとどこかで雨宿りをしているのでしょう」
 シャルルは頬に張り付いた髪に手櫛を通し、数回頷いた。
 「ああ、後ご報告までに、今回の事件を引き起こしている元凶が分かりました。やはり悪霊ですよ」
 「なんだったんです?」
 「夢鬼です」
 「へえ、ユメオニですか」
 オルフェウスはシャルルが馬車に乗り込むまで微笑みながら手を振り、馬車がいなくなるまでは笑顔で見送っていた。眼鏡には、雨の滴が大量に弾け飛んでいた。

 緑の草原。夢の世界はいつもこの場面から始まる。目覚めると全て忘れてしまうのに、この景色を見るとこれまでの夢が思い出される。きっとまた、あのリヴレのような素敵な女性が現れるのだろう___
 「さあ起きて___」
 今まで手を取り合うこともできなかった彼女が手をさしのべてくれている。草原に寝転がっているのはとても気持ちいい、しかしはじめて触れた彼女の掌は、溶けて消えてしまいそうなほど儚かった。
 つかまえていたい___そう思ったランディは草原から背を離した。いつもは逃げ出す彼女は今日は動かない。鼻面がふれあうほどに近づいたランディは、その儚き感触にぶつかった。柔らかな肌と甘い香りに全身が包まれ、当たりの景色が変わった。
 「見て___あの大空を飛ぶ鳥を___」
 ランディは大きな木の天辺に立っていた。決して太い枝ではないのに、落ちる気はしない。下への不安は皆無だった。むしろ隣で彼女が指さすように、目映いばかりの空へ、白く大きな翼を羽ばたかせ、舞い行く鳥たちに憧れを抱くばかりだ。
 「鳥のように飛びたい___?」
 「うん」
 彼女の優しい問い掛けに、ランディは素直な返事をする。その純朴さに胸打たれるように、彼女は自らの胸に両手を当てた。やがて白いワンピースと、彼女の掌の間に鳥の羽が幾重にもなって現れた。それは輪を描き、首飾りほどの大きさとなった。
 「これをつければあなたも鳥になれるわ___」
 「本当?」
 彼女の微笑みに嘘はない。ランディは疑うことなどしなかった。麗しき白い女性はランディの首に羽根の首飾りを付けた。
 「おまじない___」
 そして彼の頬に唇を添える。すると、陽光のきらめきと共にランディの背中に純白の翼が現れた。
 「うわぁ___」
 ランディは感動の面持ちで翼を見、そして自らの意志で動かしてみる。
 「さあ___飛びましょう___ランディ___!」
 女性は先に翼を広げ、空の高見へ、鳥たちの居場所へ昇ろうとしていた。ランディもすぐに追いかけようと、枝を蹴って飛び立った。
 その瞬間景色は暗転し、白い翼に黒が走る。羽根はボロボロと抜け、崩れ落ち、ランディは錐もみ状の風に飲まれるように、奈落に落ちていく自分を見た。夢だと分かったのはそこまでだった。

 シャルルの自宅前までは馬車が入ってこれない。それでも出来る限り近くまで馬車を使い、素早く支払いを済ませると、雨の中をシャルルは走った。石段の路地を抜け、一刻も早く自宅へ辿り着けるように、シャルルは走った。
 雷が鳴り響く。両親がP.Jに殺される前の日が、確かこんな天気だった。
 「帰っているか___」
 自宅の窓から明かりが漏れている。ランディが帰っていることは腰丈の塀の向こうからも確認できた。急いで自宅へ、そう思っていたシャルルだが、庭へ一歩足を踏み入れたところでピタリと止まってしまう。
 「まさか___今日二枚目だぞ」
 郵便受けにカードが挟まっている。外から帰ってくるシャルルが見つけやすいように、投函口の木目の隙間に突き刺さるようにして刺さっていた。
 シャルルは落ち着きを失い、奪い取るようにカードを引き抜いた。書かれている文字は雨に濡れて滲んでいたが、まだまだ読める状態だった。
 「夢鬼はあなたの側に。寝相の悪い少年の昼寝は___」
 そこまで読んだところでシャルルはカードを投げ捨て、駆けだした。
 寝相の悪い少年の昼寝は死を呼ぶ___P.Jより。
 「はああっ!」
 施錠されていた玄関。鍵を探す時間さえ惜しかったシャルルは、ドアノブを握りしめて気合一閃!魔力の放出と共に、彼女の掌の中でドアノブは音を立てて砕け散った。
 「ランディ!!」
 ロックの無くなったドアを蹴飛ばし、シャルルは家の中へと飛び込んだ。そして___あり得るはずのない状況に絶句する。
 「ランディィィィ!!」
 シャルルは童顔の青年の名を絶叫した。彼の身体は照明器具からロープで、首を回して吊る下げられていた。その小さな身体はまだ揺れており、ロープが照明とこすれて軋んでいる。
 まだ間に合う!
 シャルルの直感が、彼女に驚くほど俊敏な行動をとらせた。一歩を踏み出すよりも早く、左手を輝かせて空で手刀を振るい、飛び出した真空の刃がロープを切り飛ばす。落下するランディの下へいち早く回り込み、彼の身体を受け止め、心臓の拍動がないことを感じてそのまま、今度は両手から激しい黄金の輝きを巻き起こした。電撃の魔法だ。
 「蘇れ___!」
 電撃はランディの身体、そしてそれを抱くシャルル自身の身体をも駆けめぐった。だが彼女の思いは功を奏する。一瞬の電気ショックでランディの心臓は再び拍動をはじめた、後は呼吸だ。
 「___っ___」
 シャルルにはなんの躊躇いもなかった。ランディを寝かせて顎を上げさせると、口と口を重ね合わせ、息を送り込んだ。三回もそれを繰り返したとき___
 「げほっ!ごほっごほっ!」
 ランディが息を吹き返した。一瞬激しく噎せ返り、意識こそ戻らなかったが呼吸は取り戻した。魔法があるからこそできた、壮絶な早業だった。
 「良かった___」
 ホッとしたシャルルは急に脱力し、仰向けに眠るランディの上へと自分の身体を被せた。だがすぐにこれで終わりではないことに気づく。テーブルを一番下に、椅子を二つも重ねた足台はまだそのまま残っているし、ランディは寝室でなく居間で自殺しようとしていた。彼は外出着のままで、身体にはジトッと濡れた感触がある。足回りには泥が跳ねていて、何より彼は死ななかった。
 「夢魔を___引きずり出してやる!」
 シャルルは右手を大きく開き、純白のオーラを蓄積させる。白い煙は彼女の掌から離れることなく、漂っていた。
 バシィッ!
 シャルルは平手をランディの腹に思い切り叩きつけた。
 「うっ!ぐっ___!?シャ、シャルルさん___?」
 その衝撃でランディが意識を取り戻した。まだ朦朧としている部分はあるだろうが、彼は腹をヤスリで擦られるような痛みに顔を歪めた。
 「我慢しなさいランディ___あんたの身体に潜む夢魔をさらけ出すまで!」
 「___ぼ、くに___ゆ・め・ま___?」
 「捕まえた!」
 ランディの困惑をよそに、シャルルの表情はさらに厳しさを増す。額には玉の汗が浮かび、頬も紅潮していた。そしてより一層、白のオーラを強め、彼に取り憑く魔物を引きずり出しに掛かる。
 ズルルルルルル___
 ランディの腹から、皮をすり抜け、服を通り抜けて、シャルルの白いオーラを放つ手にがっしりと足首を握りしめられた形で、人の足が現れていく。憑依中は霊体で、そうでないときは実体になれる高尚な部類に当たる夢魔だ。だからその姿も人と変わらない。
 「う、うわわ___!」
 ランディも自分の腹から人が現れている状況に驚きを隠せない。それもそのはず、自分の腹から人が引きずり出されている上に、その人型の夢魔は、ランディよりも間違いなく長身だ。
 「女___ランディ、顔をしっかり見ておきな!あんたが夢の中で見た女がこいつなのよ!」
 細くしなやかな足と丸み帯びた腰の形にシャルルは夢魔が女性の形態であると確信する。
 「一気に引っこ抜くわよ!歯ぁ食いしばってなさい!」
 「んぎっ!」
 今はとにかくシャルルを信じるしかない、ランディは必死に拳を握りしめ、口を真一文字に結び、目を固く瞑った。
 「純粋なる魂に宿り憑き、幸せを喰らい、死の気配を振りまく悪しき魔性よ!その姿を白日の下にさらせ!」
 シャルルの掌のオーラが一気にうねりをまし、彼女の全身へと走る。本来得意でないはずの浄化の魔法、その波動に全身を包み込み、シャルルは力の限りの魔力を振り絞った。強烈な波動の放出に身体が限界を訴えているのか、シャルルの表情は険しく、口元からは血が滴っている。
 だがランディを助けられるのは自分しかいないという強い思いは、彼女に苦しみでさえ享受させた。そして___
 「ホーリーエクスペリエンス!」
 夢魔の足を右手で掴んだまま、シャルルは左手をランディの身体に叩きつけた。だがその一撃は、ランディには痛みを感じさせない。むしろ清き流れが電気のように身体を駆けめぐり、腹部への痛みをも緩和してくれるようだった。そして彼の身体はシャルルが放ったオーラですっかり包まれ、神々しい輝きを放っていた。
 「効いた!」
 夢魔の足がじたばたと、苦しそうに悶えはじめた。自分でもまだ使いこなせるか分からない領域の魔法だったのだろう、口元の血を拭いシャルルは充実と確信の笑みを浮かべた。
 「キャアアアアッ!」
 それからすぐに、夢魔の身体は一気にランディから飛び出してきた。女の夢魔は服など纏っていない。だが人ほどはっきりとした身体のラインを持っておらず、ぬめるような肌は淡い銀光を放つ灰色だった。
 「ランディ、よく見てみな」
 急に腹回りが軽くなったランディはシャルルの声におそるおそる目を開ける。
 「うわっ!」
 宙に浮き、石膏像のような夢魔は、殺気を露わにして二人を見下ろしている。はっきりした目鼻立ちが無くとも、面影は間違いない、ランディが夢の中で戯れていた女の顔だった。
 「キュゥアアアア!」
 夢魔はそのしなやかな腕を鞭のように撓らせ、シャルルに襲い掛かってきた。
 「向かってくるか___いい根性してるわ!」
 シャルルはランディにつぎ込んだ白き光のオーラで、また一瞬のうちに身体を包み込む。夢魔の腕は大きな孤を描いてシャルルの脇腹に打ち付けたが、逆に光のオーラに打ち負け、腕がシュゥゥゥと酸でも浴びたような音を立てて焼け付いた。
 「無駄よ無駄!さっさとおまえたちがいるべき闇の世界へ___帰れ!」
 シャルルは夢魔に両手を突き出し、一気にその輝きを炎のようにして放った。壮絶な純白の炎は、闇の力を源とする夢魔を骨の髄から焼き尽くしていく。夢魔は石膏のような目を大きく見開き、顎を上げて激しく喘いだが、白い炎に胸を焼き尽くされると一気にその体は溶け、やがて蒸気となって消えてしまった。
 「___やった___か」
 白い輝きの余韻まで消え、いつもの見慣れた居間の景色が戻ると、シャルルの瞼は半分まで閉じ、腰からその場にへたり込んでしまった。得意ではない魔法で身体を酷使したせいか、今になって強烈な脱力感に襲われているようだ。肩で息をして、汗は顎先から滴り落ちて絨毯を濡らしている。
 「ありがとうございますシャルルさん___」
 ランディはまだ腹に痛みの名残を抱きながらも、ゆっくりと体を起こした。助けて貰った事への感謝だろう、彼の目は涙で潤んでいる。
 「無事でなによりだったわ___もう一歩遅かったらあんたは助からなかった___」
 シャルルは少し苦しそうな顔をして、軋む身体を動かし、徐に___
 「え___?」
 ランディを抱きしめた。
 「シャ、シャルルさん___?」
 ランディは突然のことに困惑し、頬を真っ赤にしてあたふたしていた。それでもシャルルは、彼を切なげに固く抱きしめている。そしてランディも、彼女の肩が小刻みに震えているのを知り、小さな啜り泣く声を聞いて急に冷静になった。
 「生きていて___本当に生きていて良かった___あんたまで___私の前からいなくならなくて___」
 シャルルが泣いている。僕が生きていることを悦び、泣いてくれている。
 こんな経験は初めてだった。なんで生きているんだと叔父叔母に罵倒された自分の命のために、泣いてくれる人がいたことにランディは言い得ぬ感動を覚えた。
 「シャルルさん___生きています、僕は生きていますよ___!」
 彼女の優しさに誠意を以て応えよう。ランディは抱擁力に乏しい小さな身体で、それでも目一杯腕を広げて、シャルルを抱きしめた。



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