SEAN 3 謎の自殺事件
「あんたさぁ」
シャルルは憮然とした顔でいた。
「本業の方はどうなってんの?こんな平日の真っ昼間から___」
滅多に客のやってこないシャルルの家に、定期的に客が来るようになった。
「毎週、中日は医師同士の意見交換を行う日という事で、休診なんですよ。大病院は別ですけどね」
オルフェウスだ。
「意見交換って___あたし医者じゃないんだけど」
「いいじゃないですかシャルルさん。オルフェウスさんは魔法の勉強をしたいんですよね」
ランディはつきあいやすい友人ができたこともあってか、彼に好意的。シャルルは温厚だがちょっと強引にも見える彼に、少し懐疑的。ただ、悪い奴ではないと思っているので、突っぱねることもしなかった。
「そうなんです。正直、魔法というものに前々から大変興味があったんですよ。それで、この前実際に見ることができて感銘を受けました」
オルフェウスは、ソファでコーヒーを飲んでいるシャルルの前へと立ち、深々と頭を下げた。
「お願いします。私を弟子にして下さい」
ブッ。シャルルは思わずコーヒーを吹き出した。
オルフェウス・ワーグナー。年は二十六歳。西方の大都市ホルマージュで医学の勉強をして、昨年リブロフに移住。今年から念願の開業医を営んでいる。
「なんで魔法を勉強したいの___?」
コーヒーまみれになった顔を布で拭い、シャルルは尋ねた。
「医学で役立てることができると感じたからです」
「治癒系の魔法のこと?」
魔法の中には人の傷を癒すものもある。ただそれは浄化の魔法と同様、炎地水風の力を成す呪文とは相反する類だ。この両者は大きく分けて、攻撃的魔法、守護的魔法と言われる。浄化の呪文を得意でないというシャルルは、当然、攻撃的魔法の使い手である。
「あいにくだなぁ、あたしその手の魔法は得意じゃないんだ」
「どういうことです?」
「魔法には二つの系統があってね___」
シャルルはオルフェウスに攻撃的魔法と守護的魔法のことを説明していく。ランディも最初はそれを聞かされた記憶があった。
「わかった?」
「はい、大変勉強になりました」
「む?」
説明しきってからシャルルはあることに気が付いた。
「ちょっと、いまのってまるっきり誘導尋問じゃない。結局魔法の授業をしてたってことでしょ?」
「ですね」
オルフェウスはニッコリと笑った。
「あ、郵便屋さんがきたみたいですよ」
玄関のドアに付いた小窓から外の様子を見ていたランディは、依頼状を期待して外へと出ていった。
「いつもこの時間は家にいらっしゃるんですか?」
「本当は副業の占い師をやってる時間よ。でも今日はお客さんが来ちゃったからね」
それを聞いてオルフェウスは申し訳なさそうに頭に手を当てた。
「それは申し訳有りません。お邪魔でしたね」
「いいのよ別に、どうせ儲かる仕事じゃないんだから」
シャルルは立ち上がり、キッチンにコーヒーのお代わりを注ぎにいった。
「シャルルさんシャルルさん!」
郵便物を片手に、ランディが駆け込んできた。勢い余って玄関の小さな絨毯がツルリと滑り、ランディは思いっきり腰から転倒した。
「だ、大丈夫ですか___?」
オルフェウスが心配して歩み寄る。
「なんなのようるさいわね!」
ランディの馬鹿騒ぎように苛ついたシャルルがコーヒー片手にキッチンから戻ってきた。
「いてててて、あっ、シャルルさん見て下さい。プロスペクター卿からお手紙が来てますよ!」
「まじっ!?」
だがそれを聞くと一転して笑顔になる。
ランドリュー・プロスペクター卿は、以前シャルルが依頼を受けた上流階級の雄。リブロフの周辺地域統合戦線で卓越された指導力を発揮し、指揮官として名を馳せた人物だ。その後も国家運営の一翼を担い、人々からの信頼も熱い。今は一線から退いたが独特のカリスマ性は衰えず、凛々しくも厳しい顔つきとは裏腹に、非情に人情家で柔和な人物だった。
ちなみに、何故二人がこんなに色めきだっているのかというと、このプロスペクター卿が魔道探偵史上(開業してまだ一年だが)、最も高額な報酬を与えてくれた人物なのだ。その額は十万カレント。ちなみに先達てのマクブライドの二十万カレントは詐欺だったので無効である。
「また依頼かしらね!ね!」
その時戴いた十万カレントはあっさり使い切ってしまった。大金はあるうちにパァッと使う。そのくせ小銭は節約するというのだから、けちなのかなんなのか良く分からない。
「あのときはあっという間にお金を使ってしまいましたものね」
「あの葉巻まだ一回しか吸ってないわ」
確か以前は、シャルルが一万カレントの葉巻を買いたいとか言ってランディともめたのであった。勿論ランディの抵抗はささやかなものだったが。
「仕事が舞い込んだのなら私はお邪魔ですね。これでおいとまします」
オルフェウスは少し寂しそうな笑顔で会釈した。
「えー、帰っちゃうんですか?」
「またいらっしゃいな、オルちゃん」
上機嫌のシャルルから出た言葉に、オルフェウスはニッコリと笑った。
「是非またお邪魔します」
はっきり言ってどっちが年上なんだか分かったものではない。
「さあ、ランディ読んで読んで」
オルフェウスが帰ると、シャルルはソファの自分の隣をポンポン叩きながらランディを急かした。ランディはとりあえず手紙を一通だけ持ってシャルルの隣に座った。
「んじゃ読みますよ」
ランディは封を破って中から手紙を取りだした。
「私はキューウェル街道沿いで鍛冶屋を営んでおりますグスタボ・ザボネッティです___あれ?あ、間違えた」
ランディは慌てて手紙を取り替えに玄関前へ。
「冗談も程々にしなさいよ___」
シャルルの手がメラメラと燃えている。
「す、すみません」
とりあえず手紙束を全部持ってきてその中から今度こそプロスペクター卿からの手紙を取りだした。
「それじゃあ読みますよ」
ランディは一度、軽い咳払いをした。
「親愛なるシャルルタティナ・カークマイル様___」
「声真似はしなくていいから」
「あ、はい。親愛なるシャルルタティナ・カークマイル様、その節は娘共々たいへんお世話になりました。おかげさまでメアリーも安心して日々を送れるようになりました。カークマイル様には感謝の言葉も御座いません」
プロスペクター卿から___娘がいつも誰かに見られている気がしてならないと恐れている。そう依頼が入ったのは二ヶ月も前のこと。この事件は壮絶で、探偵としての技量を多く問われる事件だった。悪霊だのなんだの、神秘的要因に端を発する事件ではないと確信するのに五日を要し、様々な可能性を消去していき行き着いた結末が、メアリーの部屋の屋根裏に生身の男を発見という結末。この男は三ヶ月もの間、屋根裏からメアリーを見ていたという。食糧は使用人の目を盗んで食糧庫から調達していたが、この食糧の変化がシャルルに男の存在を気づかせるきっかけとなった。
「そこでですが、娘が是非またカークマイル様にお会いしたいと申しておりまして、二十三日に、我が家の晩餐へとお招きしたいと思っております」
「今日は何日?」
「二十二日です」
「明日か___勿論行くわよ!」
依頼でなかったのは残念だが、晩餐だけでも十分な価値がある。
「オルフェウス呼んでらっしゃいな、魔法のこともうちょっと教えちゃるから」
シャルルはその日、ずっと上機嫌だった。
「するとその魔力というのが魔法の源なんですね?」
「そういうこと」
シャルル先生の魔法学校は、オルフェウスの熱心さも相まって、午前中のうちに始まり、もう午後の二時を回っている。
「魔力は誰でも少なからず持っている。ただそれの使い方を知っている人はごく僅か。そう言う人たちが魔法使いと呼ばれるわ」
オルフェウスはシャルルの言葉を熱心にメモしている。
「魔力そのものは目に見えるものではないし、人の体の中にそんなものを蓄える臓器がないことはあなたの方が知ってるわよね」
「そうですね。そんな発見はされていません」
「だから余計に魔力を発揮するのは難しいことなんだと思う。よく魔法は精神力と集中力のなせる技だと言うでしょう、あれは精神的なエネルギーとして、見えない形で体の中に存在する魔力を捕らえ、結集するのに、高い集中力が必要なんだということだと思うの」
オルフェウスは頷いている。ランディはというと、キッチンでお菓子作りの真っ最中だった。
「呪文は魔法を使うのにブツブツいっている言葉ね、あれはなんて言ったらいいのかな___そう、必要なものじゃないのよ。自分の力だけで魔法を操れるようになればね」
「あの言葉にはどんな意味があるんですか?」
「魔法には大きく分けて二つの系統、さらに細かく分けて六つの種類があることは話したわね」
「炎地水風・光輝宵闇ですね」
「そう、炎、大地、水、風、光、闇、この六つ。これはみんな自然の力で、それぞれが強い魂を抱いていると言われているわ。信じるかどうかは別だけどね。あの言葉は、それぞれの魂に力添えを頼む言葉なのよ。魂の力を借りて、無色の魔力をあなたの色で魔法に変えてくれってね」
「なるほど___」
「精霊や悪霊の類は皆、この自然の魂を身体に宿している。だから力のある精霊や悪霊は、魔法を使うことが出来るのよ。悪霊の憑依だって一種の魔法だからね。ただ、彼らは自分の魂と同じ属性の魔法しか使うことができないわ」
「ではなぜ人は様々な魔法を使うことができるのです?」
「何故そうなったかは私にだって分からない。でも人は、魂から独立することで自分の色を持たなくなり、同時に魔法の使い方も忘れた。ただ使える可能性は持っているし、無色だからどんな色の魔法を使うこともできる。ある一つの色を強くして、無色でなくすることだってできると思う」
「無限の可能性を得た変わりに、魔法の使い方を忘れてしまったわけですか」
シャルルは頷いた。
「魂の恩恵を受けるには、その魂が強く集まっている場所に行くといいのよ。例えば炎の魔法を使いこなしたければ、火山に籠もって修行するほうがいい結果を期待できる」
「シャルルさんも修行したんですか___?」
今までオルフェウスの質問にあっさりと答えてきたシャルルがはじめて口ごもった。
「まあ、そりゃね」
何となく濁した答え。オルフェウスは聞いてはいけない質問だったと気づく。
「昔こんな事を言った人がいたそうよ。『魔力は水のようなもので、呪文や、意志の力を使ってそれを熱し、魔法という蒸気を放つ』確かにその通りだと思うわ」
「熱せられれば水は減っていきます。魔力にも限界は有るんですか?」
「そりゃあるわ。でも休めば回復する。蒸気は冷めれば水に戻るでしょ」
オルフェウスは納得の表情だった。この男の勤勉意欲は大したもので、まだ目をキラキラさせてシャルルの話に聞き入っている。教えているシャルルの方は少し疲れ気味だ。
「クッキーが焼けましたよ。休憩にしましょう」
タイミング良くランディがお菓子と紅茶を持ってやってきた。
「今日のあんたはなかなかいいわね、ランディ」
「そうですか?」
なんのことかは良く分からなかったが、とりあえず誉められたのは嬉しい。
それから数時間後___
「お邪魔しました、今日は本当に良い勉強になりました」
「また気が向いたら教えてあげるわよ」
シャルルは疲弊した様子でソファに凭れながら、手を振ってオルフェウスを見送った。
「うぁぇぁ〜、疲れたぁ〜」
慣れないことをしたせいか、どっと疲れが沸いてでたシャルル。ソファに寝転がってしまった。
「ランディお風呂〜」
「そう言うと思って沸かしてありますよ」
「うーん、偉いっ!抱きしめてあげちゃいたいわ」
「えっ!?」
「ジョークよ」
やっぱりな。ランディの期待はまたから回り。
ドンドンッ!
一風呂浴びて食事して、今日はさっさと寝ようとしていたシャルルだったが、粗雑なノックのせいで予定は覆されようとしていた。
「どなた?」
ランディが扉を開けると、男はズイッと半身をドアの隙間にこじ入れてきた。
「王宮警備隊第五部隊のアルフレッドだ」
隊員証を示し、バッドタイミングの男はまたもシャルルの邪魔をしに現れた。
「で、なんなのよ、話ってさ」
ソファの背もたれにだらしなく胸から寄りかかり、シャルルは不機嫌ありありの口調で尋ねた。
「また自殺事件が起こった」
「自殺?いま話題の」
「___そうだ」
話題を集めている自殺事件。新聞の記事を切り抜き、シャルルが関心を示していた一連の事件だ。
「今日また一人自殺者が発見された。ピエトロ・フォッジ。住所はトール街二十四番。市街地の真ん中だな。年は三十六。武器職人だ。小さい頃から武器職人に憧れ、修行していたが、ついに近々店を持つことが決まっていたらしい」
「明るい未来が待っているのに自殺した___」
ランディが呟く。
「動機不明ってわけね」
シャルルは背もたれに埋めていた顔を上げ、アルフレッドの方に向き直った。
「死に方は?」
「一緒に言ってみるか?」
「嫌よ」
アルフレッドは小さな溜息を付く。
「照明器具に紐状に絞り上げたシーツを渡しての首吊り自殺だ。死んだのも発見されたのもつい先程」
「またか」
前の二件とはロープがシーツに変わっただけ。
「俺はこの事件をただの自殺だとは思っちゃいない。現場の状況は自殺以外の何物でもないが、人を死に追いやるほどの動機が彼らにはない」
「で、それは分かったけど、だからってなぜあたしのところに来たの?」
「アリバイを聞かせて貰いたい」
シャルルは呆れたような仕草をする。「捜査に協力して欲しい」ではなかったことに幻滅したのだ。
「魔法の授業をしていたわ。生徒は、そう丁度そのトール街で開業医をしている男性よ。名前はオルフェウス・ワーグナー」
「なるほど。裏付けが取れれば今回の件に関しては一応、無実だな」
アルフレッドはシャルルの証言を手帳に記録した。
「今回も前回も次回もないわ」
「確かに、この事件はおまえが手がけるべきものなのかもしれん。だが、ということはだ、俺にとってはおまえが容疑者でもあるということだ」
この馬鹿らしい頑固さがなければ、もう少しましな隊長になれるだろうに。シャルルは嘆かわしくて何も言う気になれなかった。
「さっさと帰って」
シャルルは彼を見送りもせず、風呂場へと消えていってしまった。アルフレッドも、無言で家から出ていってしまう。なんだかもやもやした空気が残った家の中で、ランディはいても立ってもいられずにアルフレッドを追いかけた。
「あ、あの!」
アルフレッドはまだ庭にいた。声を聞いて立ち止まり、振り返る。
「どうしてそんなにシャルルさんのことを敵視するんですか___?」
できる限りの勇気を振り絞って、ランディは尋ねた。
「さあ、ある種の嫉妬かもな」
そう答え、アルフレッドは近くで待っていた部下の所へと去っていってしまった。
「嫉妬___?」
ランディは首を捻るばかりだった。
次の日、いつもより少し余計に化粧をし、出来るだけ見栄えのする服と、なけなしの装飾品でシャルルは着飾っていた。ランディも寝癖などないように栗色の髪をピシッと整え、正装していた。
「さあ、まいりましょうか」
「ええ、そうですね」
貞淑な会話を交わしてみながら、意気揚々と、二人はプロスペクター卿の邸宅へと向かうのであった。
卿の邸宅は、リブロフの街を見下ろせる丘にある。手紙と同封されていた交通費をふんだんに使って、二人は馬車に揺られていた。卿の敷地内に入ってから邸宅に辿り着くまで実に十分。ここは大都市リブロフの一部でありながら、別の空気を持っている場所だった。
「凄い___何度来ても凄いわ」
「本当に、呆れるくらいのお金持ちですね」
それもプロスペクター卿が国家のために尽力して止まなかったからだ。努力はいずれ自分に還元される。
ようやく門扉を潜り抜け、丁寧に刈りそろえられた街路樹の間を進む。続いて庭園が広がり、正面には城さながらの邸宅が顔を出した。
「___」
馬車を降りて、ひとまずは屋敷を一望する二人。
「いきましょう」
獅子をかたどった呼び金を叩き、暫くすると大きなドアが開いてメイドが顔を出した。
「こんばんわ」
シャルルが簡単な挨拶をするだけで、メイドは笑顔になる。
「お持ちしておりましたカークマイル様。さあどうぞこちらへ」
これだけの豪邸に顔で入れる自分が怖い。落ち着いているシャルルとは裏腹にランディはそんなことを考えていた。
ドアを潜ると、全体的にしっとりとした雰囲気の色でまとめられた景色が広がる。ロビーの真正面に二階へと続く大階段があり、それを登り切った壁には卿と赤ん坊を抱いた婦人の肖像画が飾られていた。
「シャルルさん!」
彼女がやってくるのを心待ちにしていたのだろう、大階段を一人の少女が駆け下りてきた。慣れないことをするものだからスカートの裾を踏んでしまってバランスを崩してしまう。
「メアリー様!」
メイドが慌てたのもなんのその、彼女は手すりに掴まって事なきを得た。
「まだ完調ではないようですね」
「もう、意地悪を言わないでください」
彼女がメアリー。二ヶ月前の事件の被害者だ。屋根裏で睨みを利かされていたかつては、心身共に疲労が酷く、歩くことさえままならない状態だった。その後も暫くの間はリハビリを必要としたが、今の充実ぶりは別人かと思うほどだった。
「あ、ランディさん!来てくれたんですね」
「こ、こんにちわ」
ブロンドの髪が流れる。変質者に狙われるだけの器量の良さと可愛らしさを持つメアリーに笑顔を向けられ、ランディは照れくさそうに頭を下げた。それを見てシャルルが苦笑する。ちなみにメアリーはランディより一つ年下の十六歳。卿の年齢からすればかなり晩年に授かった子となる。
「今日の晩餐に二人をご招待してって頼んだのは私なんですよ。お二人が来てくれるのをずっと楽しみにしていたんです」
「私は兎も角、こいつはそんなに楽しい男じゃないですよ」
シャルルはランディの頭をポンポンと叩いて言った。
「メアリー、そんなところで話していないで、中に入っていただきなさい」
「あ、お父様」
奥手の部屋から卿が姿を現した。老人と呼ぶには体躯ががっちりしていて逞しく、威厳に満ちた口ひげは高圧的な印象を受ける。しかし内面は実に優しい性格で、相当の子煩悩。娘のメアリーからも好かれていて、まさに理想の父親と評判である。
「お邪魔いたします、卿」
「そんなに改まらなくとも結構ですよカークマイルさん。我々は知らない仲ではないのだから」
仕事上、こういった人脈は実に心強い。アルフレッドに虚偽の罪で捕まったら彼に弁解してもらおうかと思うくらいだ。
メアリーは晩餐の用意を手伝うため、しゃかりきになってキッチンへと向かっていった。ランディもシャルルの言いつけでそちらを手伝うことにした。シャルルは卿の部屋へと通され、メアリーのその後について少し話をすることになった。
「おかげさまで、メアリーはすっかり元気になりました」
卿はデスク向こうの定位置に、シャルルはソファに腰を下ろした。卿の後ろには立派な剣が飾られている。これは彼が戦時中実際に使用していた物だ。ただ、彼の名誉を示す品はその程度で、必要以上に飾らない、権力に固執しない彼の性格がよく現れていた。
「天井に恐怖を感じることは?」
「まだ物音には過敏になっているが___自分自身で安心するように言い聞かせている様子ですよ」
シャルルは満足げに頷いた。
「自分で修正できるようになれば大丈夫。トラウマは残るでしょうけど、それで錯乱してしまうようなことはもうないと思います」
「まったく、あれ以来私も天井が気になるようになってしまいましてね。城中のネズミを駆除してもらいましたよ。とんだ親ばかですな」
卿はそう言って髭をしごきながら笑った。
「いえ、それだけあなたがメアリーへ愛着を抱いていると言うことですよ」
メイドがコーヒーを持ってきた。適温適量、すぐに口を付けても大丈夫な熱さに気配りを感じる。
「まったく、妻が亡くなって以来、私が愛を注げる存在はあの子だけになってしまいましたからな」
「再婚の予定は?」
「妻を誰よりも愛していましたから。他の伴侶は持たないと決めているのですよ」
卿は照れくさい話を切るかのようにコーヒーを口にした。
「シャルルさん」
「はい」
コーヒーを足の付け根に抱きながら、シャルルは話しに耳を傾けた。
「娘が回復してくれたのは良かったのですが、少し困ったことがありましてな」
「なんでしょう?」
そんなに深刻な悩みでないことは卿の表情からも見て取れた。
「実はメアリーが酷くあなたに憧れてしまいまして、近頃では魔法に関わる本ばかりかき集めて読書に耽っているのです」
「そうでしたか___」
「教育だけを押しつけるつもりはありませんが、最近では学業に費やしていた時間を魔法の勉強にあてているようで」
「それは困りましたね___」
ちょっと問題だ。独学であっさり使いこなせるほど魔法は簡単ではない。
「無碍に魔法を否定するつもりではないが、なんというか、そんな、簡単なものではないのでしょう?」
シャルルは少し間をおいてから答え始めた。
「魔法は___あなたが思っているほど危険な物でも、陰湿な物でもありません」
卿が魔法に対してそう言う印象を抱いているのは、会話と表情から感じ取れた。
「ですが、やはり箱入り娘のお嬢様には向かないと思います」
「でしょうな」
卿は納得の様子で深く頷いた。
「かつては非力な女たちの護身術として、魔法を用いたこともあったと聞きます。ですがそれも過去の話。これだけ満たされた社会の中では、魔法を使いこなすほど研ぎ澄まされた精神はそう簡単に得られませんよ」
「左様ですな」
コンコン。
ノック後にメアリーが顔を覗かせた。
「食事の準備が出来たわ」
「すぐに行くから、先に席に着いていなさい」
卿の言いつけを聞き、メアリーは一足先に食堂へと走っていった。
「元気が有り余っているみたいですね、メアリーは」
「うむ、まあそれはいいことなんですが」
卿は立ち上がり、シャルルの側に寄って声を潜めた。
「魔法の勉強は諦めるようにあなたから言ってください。私が言ってもまるで聞いてくれないのですよ」
シャルルはウインクで答えた。
「ねえシャルルさん、魔法を使うのって大変なんですか?」
晩餐の席。メアリーは好奇心旺盛な瞳でシャルルに尋ねてきた。晩餐とは黙々と食事をする席ではない。家族会議の場でもあり、客人を招けば懇談の場ともなる。
「大変ですよ」
「おいおいメアリー、また魔法の話かね?」
メアリーがここぞとばかりに魔法の話をし始めたのを見て、卿が呆れた笑みを浮かべる。
「いいじゃない。せっかくシャルルさんが来てくださったのよ。魔法の話なんて、シャルルさんからじゃないと聞けないわ」
やけにせわしないメアリー。子供と大人の狭間の年齢だ。まだ子供っぽい部分も多分に残っているのだろう。
「そうですよねぇ。うぎっ!」
メアリーへのポイント稼ぎか、純情なくせに面食いなランディが下手な相づちを入れる。テーブルの下ではシャルルがこっそり彼の足を踏んでいた。
「どうかいたしましたか?」
「いえ、なにも___」
魔法をやめさせる話をしなければいけないときに、妙なノリのランディ。シャルルは後で彼に拳骨を見舞ってやろうと心に決めた。
「シャルルさん、魔法ってどうしたら使えるんですか?」
さて、どう答えるか___シャルルは手元にあるワインを軽く口にした。
「そうですね、まずはよく勉強すること、親の言いつけを守ること、規則正しい生活を送ることかしら?」
期待はずれの答えにメアリーは口を窄め、むくれた顔で卿を見やった。卿は彼女から目をそらして、肉を口に運んでいた。
「でも決して冗談ではありませんよ。精神の鍛錬はそこから始まりますから」
「辛い修行なんですね___」
「一番大事なのは、その人にとって魔法が本当に必要であるかでしょうね。本当に必要であれば、死にものぐるいで魔法の勉強に取り組める。そうでもしないと、一朝一夕に使えるようにはなりませんよ」
こういった場面で会話にとけ込めるシャルルを見ると、自分って幼いなぁと思ってしまうランディ。まあ見た目相応だろう。
「興味本位だけではどうにもならんということさ、メアリー」
「残念ですわ___」
「興味を持っていただくのは大いに結構。ただ、他のことの妨げにならない程度にしておくことをお勧めしますよ」
シャルルの説得がうまくいったことに満足してか、卿は何度も髭をしごいていた。
「シャルルさんはどうして魔法を___?」
メアリーがその質問をしたときに、なぜかランディは心に動揺を感じた。
「ちょっとしたことがきっかけです」
今まで穏やかな笑顔を見せていたシャルルだが、この時だけ、僅かに刺すものがあった。ただそれに気づいたのは、普段から彼女を見ているランディだけ。それくらいの微妙な感情の揺らぎだ。
「そうか___」
ランディはあることを思い出して、思わず呟いた。
「なんか言った?」
「いえ___」
シャルルを苦笑いでやり過ごし、もくもくと食事に手を掛けながら一年前のことを思い起こしてみた。
突っぱねられながらも、持ち前のしぶとさでシャルルを動かし、弟子入りに成功したランディは、暫く彼女とどう会話して良いかも分からずに困り果てていた。そういうときに一番手っ取り早いのが自己紹介である。お互いの素性を明かして認識を深める、初々しい会話の代表といえた。
「シャルルタティナさんはこちらに来る前どこにいらしたんですか?」
そんな些細な質問だったと思う。彼女は冷静ではあったが、明らかに、殺気の籠もった瞳で見つめ返され、それ以上は何も言えなくなった。
その時ランディは思ったのだ。
「この人の過去には触れてはいけない」と。
過去に対して敏感で、頑なに語ろうとしないシャルルではあるが、卿からの質問であればそれなりの答えを返すはず。ランディは急にシャルルの過去に対して興味が沸き、卿が彼女を質問責めにしてくれればと思った。
「そう言えばカークマイルさんはまだ若くてらっしゃる、このリブロフに越してこられたのは確か三年も前のことでしたな」
「よくご存じですね」
ランディは心の中で卿を後押しする。
「当時話題になりましたからな。何せあなたは人目を引く魅力をお持ちだ」
「光栄です」
「ご出身はどちらで?」
シャルルは答えを躊躇っているようだった。即答せずにまずワインを口にする。
「北方です」
そして漠然とした言葉を返した。
「ご両親は健在なのですか?」
「いいえ」
「そうでしたか___」
場の空気が悪くなる。卿も触れてはならないことと察したのだろう、それ以上の質問をやめた。彼も妻を失った身、気持ちは良く分かる。
「___」
シャルルが両親を失っていることはランディには何となくだが分かっていた。同じ境遇を味わったものの特権というか、感じるところがあったのだ。
「ねえシャルルさん、私では魔法使いになれないかしら?」
暫く食卓が静かになったが、辛気くさい雰囲気がいやになったのだろう、メアリーがとびきり明るい声で尋ねた。
「誰でもなることはできます、上達の早さに差はありますけど。ネガティブで、意志薄弱で、優柔不断な人、この小男みたいなのには向きません」
そう言ってシャルルはランディの頭を軽く叩いた。
「だから、魔法使いっていうのは癖のある人物が多いんですよ。ポジティブで、頑固で、判断の速い人間が多いですね」
「なるほど、おまえには頑固と言うところだけ向いていそうだな」
「そ、そんなことないわよ!」
卿にからかわれてメアリーが頬を膨らます。食卓に笑い声が戻った。
晩餐が終わっても、会話の時間は談話室へと持ち込まれた。本来は人付き合いが悪いシャルルも、今日は明らかに営業用。ランディにしてみれば嘘臭い彼女の姿だった。
「あ、シャルルさんもうこんな時間ですよ」
「あら本当」
ついつい話し込んでしまい、いつのまにやら時計の針は十時を回っていた。
「もし良かったら泊まっていきませんか?お客様用の寝室もありますし、ねえお父様」
「ああそうだな、是非そうしてください」
よっしゃ。二人は心の拳を握った。実はこれは打ち合わせ済み。遅い時間になってからこんな会話をすれば、きっと「泊まっていったら」という声が挙がると踏んでいた。せこい話ではあるが、一流の料理屋よりもずっと高級感漂う只飯を食べた上に、最高に寝心地の良いベッドで寝られるのだから、こんなにおいしいことはない。
「よろしいんですか?」
「ええ、喜んで。ローズ、部屋を用意してくれ」
「はい旦那様」
ローズとは最初に二人を出迎えた中年のメイドである。
「旦那様ももうお休みになられるのでしたら、ベッドメイクはすんでおりますので」
「ああ、ありがとう」
年のせいもあるのか、先程から眠そうな卿が立ち上がった。
「では、私は先に休ませてもらいますよ。もう若くはないので夜はあまり得意ではないのでね」
「そんな、まだ卿はお若いじゃないですか」
ランディがお世辞半分に言った。
「なぁに___もうこの年では夢も希望もない。全く妻が恋しくなるよ」
「お父様!」
「はっはっ、冗談だ。メアリー、おまえもそろそろ寝なさい、夜更かしは美容に良くないぞ」
卿が談話室を後にする。彼と一緒に品格ある空気も談話室から消えていった。
「ふ〜」
緊張が解けた様子のランディが、肩で大きく息をする。ふとシャルルの方から見ると先程から口数少なであまり元気がない。
「どうしたんですかシャルルさん」
「___調子に乗って飲み過ぎたわ。なんだか気分悪くて」
シャルルはあまり酒が強くない。飲めないわけではなく、自分にとっての適量を超えては飲まないように心がけている。だが今日に限っていえば、過去に触れられた際に必要以上にグラスを運び、余計に飲んでしまったようだ。
「少し庭を見てきて良いかしら」
「ええどうぞ、暗いから気をつけてください」
「大丈夫ですよ、シャルルさんなら」
「うるさい」
ランディの鼻の頭に火が灯った。
「うわぁちちちちっ!!」
「うわぁ、今のが魔法ですね!」
貞淑なシャルルからすっかり普段の彼女に戻り、ランディに「ばーか」と呟きながら庭へと出ていった。
「ねえねえ、ランディさんはどうしてシャルルさんとお知り合いになったの?」
「え?ああっ、え〜っとねぇ___」
さて卿もシャルルもメイドのローズもいなくなり、ランディは談話室でメアリーと二人きりになってしまった。彼に対してこれといった意識を抱いていないメアリーは無頓着のままだが、うぶなランディはこれしきのことで舞い上がっている。多感な年頃のランディにとって同世代の女性との会話は緊張の連続だった。勿論、シャルルは別。
「僕がシャルルさんに出会ったのはその___」
両親に先立たれ、意地悪な叔父の家で暮らし、そのうえ苛められっこで、背も小さくて腕力もない。そんな自分が強くなるにはこれしかないと思った___
「魔法使いになりたかったからなんだ」
なんて、好意を抱いている娘の前では言えない。
「へぇ。それでシャルルさんのところに居候したの?」
「うっ___」
確かに居候である。だからシャルルの身の回りの世話に勤しんでいるのだ___
「いや、僕、結構素質があるらしくて、シャルルさんが家に住んで勉強しないかって言うから___」
勿論、それも好意を持っている子の前では情けなくて言えやしない。
「へぇ、じゃあランディさんも魔法使えるんだ」
「えっ!?」
案の定、嘘を付くとろくな事にはならないものである。
「くしゅん!」
夜風を浴びて体が冷えたか、シャルルは可愛らしいくしゃみをして口を横に突っ張らせた。このくしゃみはランディ曰く、シャルルさんには似合わないとのこと。
「寒い___今日はやけに冷えるわね」
冷たい風が頭に響く。酔いは醒めるがこれでは風邪を引いてしまうだろう。
「それにしても広い庭ねぇ、こんなの手入れするだけで幾らかかるか___敷地だって、管理しきれないだろうになぁ」
一人になるなり次々と本音をこぼし、寒さに耐えかねたシャルルは屋敷へ戻ろうとした。
「ん?」
不意に奇妙な感覚が体を駆け抜けた。空を彷徨う悪霊が、自分の身体を通り抜けていったような___そんな感覚だった。はっきりとは分からない。ただ一つ分かるのはあまりいいものではないということだ。
「なんだ今のは___?」
シャルルは訝しげな顔で辺りを眺めてから再び屋敷へと歩き出した。もしこの辺りを悪霊が彷徨っていて、それの波動が自分の感覚を擽ったのであれば、その悪霊は相当に強い力を持っているのだろう。
悪い予感を胸に抱き、シャルルは談話室へと戻った。中ではメアリーが魔法を見せてとランディに言い寄り、ランディは見栄を張ったことを後悔しながら四苦八苦していた。シャルルは救いの手をさしのべようともせず「あたし寝るわ」とだけ言い残していなくなってしまった。
事件は___もうこの時起こっていたのだろう。発覚こそ翌日のことであったが、事件を耳にしてすぐ、シャルルは夕べ庭で感じた悪しき感覚はこの事件により生じたと確信していた。
翌日の早朝。第一発見者はメイドのローズ。いつもの起床時間になっても起きてこない主の様子を見に行くと、主はぶら下がっていた。
死亡したのはランドリュー・プロスペクター。照明器具に紐を渡しての首吊り。
動機は___不明。
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