SEAN 2  恩と仇

 翌日、占い館の仕事を取りやめ、いつもよりも身だしなみを気にしながらシャルルとランディはマクブライド邸へと向かった。
 「ランディ、寝癖ついてるわよ」
 「え!?」
 マクブライド邸は市街地より外れた高級住宅街の一角にある。豪勢な門扉と庭を抜け、辿り着いた大きな玄関の前で、二人は身だしなみの確認をしていた。
 「シャルルさんこそ、穴の空いたタイツはいてるでしょう」
 「え!?」
 確かにシャルルのはいていたタイツは目立たない場所であるが、脹ら脛の当たりに小さな穴が空いていた。
 「なんでそういうことを早くいわないのよっ!」
 ポカッ!いつもの調子でランディの頭をこづいていると、いきなり玄関が開き、中から男性が顔を出してきた。
 「あっ!」
 二人は慌てて気をつけし、軽く礼をする。
 「こんにちわ、マクブライドさんでらっしゃいますか?」
 「私、執事のバーラーです」
 「ご依頼を承りました、シャルルタティナ・カークマイルです。こちら助手のランディ・コースキー」
 バーラーは代わる代わる二人の顔を確認した。
 「お待ちしておりました。さ、どうぞ中へ」
 クスリとも笑わない彼の態度が冷ややかで、さっきのやり取りの一部始終を見られたかと思うとシャルルとランディは無性に恥ずかしくなった。
 「こんなのあたしのキャラクターじゃないわ。しっかりしないと」
 「なんかいいました?」
 「いちいちうるさいのよあんたは___!」
 「こちらです」
 玄関を入ると荘重な景色が広がり、臙脂色の絨毯が退かれた広間から大階段を半分くらい上ったあたりで、バーラーが振り返って二人を呼んだ。
 「あ、はい、すぐに行きます」
 どうにも不安の残る二人であった。

 「ご主人様、カークマイル様とお連れの方が参りました」
 「通してくれ」
 ドアの向こうから、高くて少し籠もった声が聞こえた。年相応の濁りのある、察するに太っている人間の声色である。
 「お初にお目に掛かります。依頼状をいただき参りました、シャルルタティナ・カークマイルです」
 「助手のランディ・コースキーです」
 「初めまして、ヒューゴ・マクブライドです」
 マクブライドは典型的中年太り。顎は三重層だし、体の中で一番せり出している部分は腹だ。それでも身だしなみは清潔で、白髪であろう髪を黒く染めている。その姿は金縁の眼鏡と相まって、成金の風格を存分に醸していた。
 「さあ、どうぞおかけになって下さい」
 挨拶の時だけ立ち上がり、マクブライドはすぐにデスクの椅子へ深々と腰を下ろした。
 「なにか飲み物でも持たせましょう。」
 「いえ結構、早速、依頼の詳細を伺いたいのですが」
 ランディがペンとメモ帳を取り出した。
 「___そうですな。では妻の所へ参りましょう」
 彼の部屋から二つ向こうに妻の部屋はあった。
 「私だ、カークマイルさんが来てくれた。入るぞ」
 妻の返事を待たずに、マクブライドはドアを開けた。部屋へと入り、シャルルはその困頓とした空気に眉をひそめる。ベッドの上に、その源であろう妻がいた。旦那ほどではないがこちらもかなり体格の良い女性だった。
 「妻のビクトリアです。ご覧下さい、こんなにやつれてしまって___」
 「は、はぁ___」
 それについては正直何とも言えない。だが顔色は悪く、目も座っている。何かに犯されているのは確かなようだ。
 「話せますか?」
 シャルルはビクトリアの側により、優しく、しかし冷静に尋ねた。
 「___ええ、話すことくらいはできます___」
 日々嗚咽しているのだろうか、彼女の声は酷くかれていた。
 「悪夢を見るようになったのは?」
 「先月の終わりくらいからです___」
 「するともう半月ほどですか」
 「医者や、魔術の心得がある友人にも見てもらったがさっぱりだったんだ」
 と、マクブライド氏。
 「悪夢の内容は?その___憶えている部分、断片的にでも結構ですから」
 「分かりません___とにかく恐ろしい夢で___そうです、誰かが私を酷く恨んでいて___呪いの言葉を投げかけてくる___そんな夢だった気がします」
 「夢の中にあなたがいて、何かに呪いの言葉を掛けられている?」
 「いえ、私は私___ああなんて言ったらいいのかしら___」
 「第三者的な視点ではないのですね?」
 「そう。そうです」
 つまり何か現実に、何者かに恨みを耳元で囁かれているような、そんな夢なのだろう。
 「失礼ですが、何か恨みを買うようなことは?」
 「妻に限ってそんなことはない!」
 マクブライドが猛反発する。シャルルは落ち着きを崩さず、抑えるようにと彼に片手を向けた。
 「い、いやすまん、取り乱した」
 「医者の見解を聞かせてもらえますか?」
 「ん?ああ。バーラー」
 バーラーがなにやら資料を取りだし、斉一な声色で読み始めた。
 「精神科医によりますと、酷く精神状態が不安定だとしかいいようがない。ストレスや疲れにより、何か自己暗示めいたものに陥っているのかもしれない。何か楽しめることに取り組む、気分を変えて外出する、自由に羽を伸ばすなどして様子を見るしかない。以上です」
 「十分にリフレッシュしたわ___でも何も変わらないのよ___!」
 ビクトリアはシーツで顔を覆い、泣き出してしまった。
 「妻には不自由させないように努めてきた。ストレスだって___全くないとは言わないが、そう困憊するほどではなかったはずだ」
 マクブライドはビクトリアの肩を手で優しく叩き、慰めの言葉を掛ける。
 「理不尽な怨恨は、良くあることです。最近墓場に行ったことは?」
 ビクトリアは首を振って否定した。
 「なるほど___」
 シャルルはビクトリアの側から離れ、数度、髪を掻き上げた。
 「分かりました、現状では何とも言えませんので、奥さんがうなされている現場を見に、今夜もう一度伺います。それでもよろしいですか?」
 「ああ、妻が治るのであればなんでもいい」
 「わかりました。ではまた後ほど___」
 「ああ、待ってください、報酬を先に渡します」
 シャルルは小さく首を傾げた。
 「先に___ですか?」
 「期待の現れですよ。あなただけが頼りなんですから」
 再びマクブライドの部屋へと戻り、彼のデスクから出てきたのは魅惑の輝きを放つ紅い宝石。大粒のルビーだった。
 「これは___凄いですね。大粒だし、ブリリアントカットが施されたルビーというのも珍しい」
 シャルルは思わず感嘆の息をもらし、ランディは食い入るように貧乏性丸出しで宝石を覗き込んだ。
 「時価二十万カレントにもなるルビーです」
 「二、二十万カレント!?」
 ランディが素っ頓狂な声を上げ、シャルルに脚を踏みつけられた。ちなみに、中流階級の四人家族が、一月暮らすのに掛かる費用が約一万カレントと言われる。シャルルの依頼に対する報酬は人それぞれであるが、だいたい二千カレント、多くて一万カレントと言ったところか。そう考えただけでも二十万カレントとは破格だ。
 「これを報酬としてお渡しいたします。現金に換えていただいても結構です。とにかく、これが返ってくることなどないよう、しっかり頼みます」
 「お心は良く分かりました。必ずや奥さんを悪夢から解き放って見せましょう」
 言葉とは裏腹に、シャルルは暫く遊んで暮らせるだけの収入に、舞い上がる心を抑えるので必死だった。

 「よろしかったのですか?」
 シャルルたちが帰ると、一際冷静にバーラーが尋ねた。
 「まだ原因があのルビーと決まったわけでは御座いませんでしょう」
 「決まってる___!」
 マクブライドは額に浮き上がった脂汗を拭いながら語気を強めた。
 「あれはジャクソンを殺して奪い取ったものだ___奴の呪いに間違いない!」
 「ジャクソンから調達したのはダイヤではありませんでしたか?」
 「ああそうだとも!そしていま奴等に渡したのもダイヤだ!」
 それを聞いて、さしものバーラーも顔を強ばらせた。
 「し、しかしあの宝石は赤かったではありませんか___」
 「だから呪いだと言うんだよ___あのダイヤにはジャクソンの返り血がべっとりと付いていた。それが幾ら洗っても染みついてしまって落ちない。それどころか、宝石が色を取り込んでルビーのようになってしまったのさ___」
 ゾッとする話だ。マクブライドは先程から汗が止まらない。シルクのワイシャツも汗で体に張り付いてしまっていた。
 「あんな気味の悪いものは早く売り飛ばしたかった。だが、形状が登録されている以上、すぐ売却しては足がつく___」
 「それにしてもなぜ奥様が___」
 「家内が先月、パーティーに出かけたろう。その時、あいつはルビーのネックレスをしていたらしいのだ。同じような大きさの宝石が填るネックレスを持っていたからな、私に気づかれないようこっそり付け替えていったのだろう___」
 「なんと___おいたわしや」
 「ルビーはカークマイルに渡した。これできっと家内は回復し、宝石の始末はあの女に任せられる」
 人殺しをして奪った宝石だなんて口が裂けても言えない。マクブライドの荒んだ心を表すかのように、髪を染めている塗料と汗が混じり合い、黒い滴が額を滴っていた。

 「これからどうします?シャルルさん」
 「そうね___」
 マクブライドの屋敷から少し離れた公園で、シャルルとランディはベンチに腰掛けていた。真昼の日射しがポカポカとして気持ちいい。
 「あなたは先に帰っていいわ。私は少しマクブライドのことを調べて、今日は彼の家に泊まるから」
 「はい」
 ランディははっきりとした返事を返す。
 「今日の分の記録付けと、家事全般、しっかり頼むわね。洗濯物がたまっていたはずだから」
 「はいぃ」
 今度は少したるんだ返事だった。
 「それと___君に重要な任務を与えよう」
 シャルルはマクブライドから貰ったルビーを取りだした。
 「これを持ち帰って大切に保管しておくように」
 「ラジャーッ!」
 シャルルはランディの手にしっかりとそれを握らせ、彼も力強く何度も頷いた。そしてお互い顔を見合わせ笑顔になると___
 「あっはっはっはっはっ!」
 「なははははははは!」
 高らかに笑いだした。金の力恐るべし。
 「さあて、まずはマクブライドと奥さんの評判でも聞き込みますか」
 事件解決には魔道の部分だけでなく、探偵の部分も必要。聞き込みや推理といった地道な仕事なくして、魔道の活躍はあり得ないのだ。
 「マクブライド?あのヒューゴ・マクブライドか?」
 聞き込みには酒場がいい。これ定説。シャルルもそれに乗っ取り、彼が仕切っている店舗に経営を圧迫されている商店街、そこの住人たちが寄り集まる酒場へとやってきていた。
 「そう、彼について知っていること、感じたこと、なんでもいいから教えて欲しい」
 実に活気溢れる男臭い酒場。こういう場所は地元意識も強く、シャルルのようにちょっと小綺麗で、見かけない人物が入ってくると敵視する傾向にある。酒場のマスターに質問をしても、彼は渋い顔で煙草を吹かしていた。
 「あまり敵に回したくない男だからなあ」
 「無駄だよ、帰んな姉ちゃん」
 シャルルが入ってきてからめっきり静かになった客たちが口々にそんなことを言った。
 「___しょうがない」
 帰るかと思いきや、シャルルはローブのポケットから札を数枚取りだした。
 「マスター、これで飲めるだけの酒を皆さんに振る舞ってあげて」
 突如歓声が巻き起こり、マスターも苦笑する。急にまた店が活気づいた。
 (ふふふん、これくらいの出費どうってことないものね)
 何しろ二十万カレントの収入があったのだ。千カレントで情報が買えるなら安いものだろう。
 「マクブライドはそうとう阿漕なことやってるらしいぜ。裏のルートを一本握っててさ、そこから安く仕入れた品物を高値で売りさばいてるんだ」
 客たちは流暢に話してくれた。シャルルが若くて美人だったせいもあってか、妙に馴れ馴れしい。
 「どうやって安く仕入れるのかしら?」
 「そりゃあんた___汚れた品物にきまってんだろ」
 「盗品ってこと___?」
 「まあそうだな」
 今度は別の客が話し出した。
 「あいつは宝石商と自称しているらしいが、実際は犯罪者の逃げ口さ。船も持っているからな、密航だってやってるって話だぜ」
 「何故取り締まれないのかしら」
 「権力さ。あいつはリブロフの中でも有数の大商人だし、偉い奴には徹底して諂う野郎だ。王宮の専属宝石商なんだぜ。ちょっとした犯罪くらいなら、権力と金でもみ消しちまうさ」
 マクブライドに関して、好意的な意見は何も得られない。金の亡者、権力の虜、犯罪者の鏡などなど___彼を形容する言葉は次から次へと出てくる。
 ただそれはどれも「えげつない」ものばかりだった。
 「この中に宝石の取引に詳しい方はいらっしゃいますか?」
 「おお、俺で良ければ教えてやるぜ」
 こうなると怪しくなるのがあのルビーの出所だろう。あれだけ大粒で、しかもブリリアントカットが施されたルビーだ、普通の宝石よりは出所がわかりやすいかもしれない。

 「今日はシャルルさんのベッドで寝ちゃおーっと」
 ランディは久々に一人で家を使えることに胸躍らせていた。今日は存分に羽を伸ばせる。といっても記録付けと洗濯だけはやらなければいけないが。
 「ランディ!」
 だが良いことがあった日というのは、埋め合わせと言わんばかりに悪いこともあるものだ。
 「よう、ランディ」
 あまりに浮かれていて、家までの最短距離を進んでいたランディは、つい叔父夫婦のパン屋の前を通ってしまっていた。
 「あ___ああ___」
 店の外で煙草を吸っていた叔父が、にやけながら手招きしている。あの叔父は若い頃は俊足で名を馳せた兵隊で、今でもその脚は衰えていないと言う。
 何故こんな所を通ってしまったのだろう___
 と悔やみながらも、逃げられないと分かっているランディは、重い足取りでパン屋へと向かっていった。
 「ランディ、久しぶりだな」
 叔父はランディを店の中まで招き入れ、バンバンと乱暴に背中を叩いた。そのせいで彼は噎せ返ってしまう。
 「しかしまあ、断りも無しに出ていって、よくもおめおめと店の前を通れたもんだな。挑発してんのか?ぁあ?」
 叔父は店のカーテンを閉め、ドアに掛かったボードを準備中へと変えた。これから何が起こるのかと思うとゾッとする。
 「そ、そんなつもりじゃ___」
 「じゃあなんだってんだよ」
 叔父はランディの首根っこを掴むと軽々と抱え上げた。
 「今日はあの魔女っ娘はいないみてえだなあ」
 「く、苦しい___」
 「なんだぁ?聞こえねえぞ」
 首吊りに近いような状態のランディは必死に足をばたつかせた。
 「てっ!」
 足がたまたま叔父の腹に辺り、ランディは手から逃れた。尻餅を付いて激しく咳き込む。  「なにしやがんだこのくそガキ!」
 叔父はランディの鼻っ面を蹴飛ばし、彼はパンの陳列棚まで吹っ飛んだ。派手な音がする。ランディは陳列棚の一つに突っ込み、そこに並べられていたパンを台無しにしてしまった。
 「なぁにやってんだい!あんた!」
 その音を聞いて裏にいた叔母までもが現れた。ランディは朦朧としながら、涙を浮かべ、パンくずにまみれていた。鼻が熱い。きっと真っ赤な鼻血がたくさん出ているのだろう。
 「あら、ランディじゃないか。人の店に来てこの仕打ちとはどういうことだい!?」
 「まあまあそう怒るなよ」
 叔父がつかつかとランディに歩み寄ってきた。ランディは恐怖しか感じ得ない。
 「腹減ってないか?ランディ。減ってるよなあ」
 叔父は仰向けに棚に寄りかかるランディの側へニコニコしながらしゃがみ込んだ。
 「おらたくさん食えよランディ!売れねえパンが一杯一杯できちまったからなぁ!」
 叔父は無理矢理ランディの口をこじ開け、パンを押し込んでいった。叔母は笑いながらその様子を見ていた。三個も押し込まれるとランディは白目をむき、胃の中身もろともパンを嘔吐した。
 「うわ、きたねぇ!」
 叔父は慌ててランディから飛び退く。彼は肩で息をしながら双眼からボロボロと涙を流し、ゆっくりと顔を上げた。
 「な___ん___で___」
 「あん?」
 「なんでこんなことするんですかぁ___僕が何したって言うんですかぁ___!?」
 そのランディの必死の叫びを聞いて、叔父の眉間がピクピクと痙攣した。
 「なんでだとぉこのくそがきがぁ!!くだらねえこと聞いてんじゃねえぞボケ!」
 叔父はランディを陳列棚から引き剥がし、床に叩きつけた。
 「誰のせいで俺たちの可愛い娘が死んだと思ってやがる!?ああっ!?俺の兄貴がよぉ、おまえの親父がだ!俺の娘を連れて旅行に行ったからじゃねえのかよ!ああっ!?」
 叔父がランディの腹を蹴飛ばす。常軌を逸し、我を忘れた顔で。
 「勝手に事故りやがってよぉ!馬車が崖から転落したんだっけなぁ!?兄貴夫婦は死んだ___俺の娘も死んじまった___だがよぉ___!」
 叔父は掃除用のモップを握り、振り上げた。
 「なんでてめえが生きてやがんだよぉ!!」
 「待ちなっ!」
 叔父が渾身の力を込めてモップを振り下ろそうとしたところで、叔母の一喝が飛んだ。モップはランディの頭に打ち付ける寸前でピタリと止まった。
 「なんだよ、なんで止めるんだ」
 ランディは薄ぼやけた視界の中で、怒りの収まらない叔父と、冷静な叔母の姿を見ていた。
 「殺しちまったら駄目さ。あたしらだって警察に殺される」
 「___わりいわりい、ついカッとなってよ___」
 叔母が助けてくれた。ランディは少し心の安らぎを憶えた。しかしただ叔母だってただで助けた訳じゃない。
 「それに見てご覧よあんた。あいつのポケットから顔を出してる物をさ」
 「なに?あっ!」
 叔父の目の色が怒りから欲望へと変わった。
 「ねえランディ、あたしはあんたが出ていったことも、魔女に売られたなんて噂が出たせいで店の評判が悪くなったことも、今こうして店を滅茶苦茶にしてくれたことも全部許してやってもいいと思っている」
 ランディは意識朦朧としているために答えられない。だが聞こえてはいたし、自分の顔を覗き込んで、顔にこびりついたクリームやらを拭い落としてくれる叔母の姿は見えていた。
 「嘘じゃないよランディ。これからはもう殴ったりもしない。だって義理とはいえ、私たちはあんたの両親なんだからさ」
 ランディにうっすら笑顔が浮かんだ。
 「ただし、変わりにこいつを貰うよ」
 叔母はランディのポケットから、マクブライドから貰った宝石を取り上げた。
 「悪かったなぁランディ、これからは仲良くしようや。さあさあ、汚れを落としてやるぜ」
 叔父も急に優しくなってしまった。この二人から受けたはじめての優しさがこんな場面とは___悔しかったが、同時に少し嬉しい、複雑な気分だった。
 「あはは!ご覧よあんたこの輝きを!」
 「こんなでかいルビーはじめてみたぜ!」
 店の中から歓喜の声が聞こえてくる。ランディは憔悴した面持ちでウインドウの奥を眺めていた。
 「なあなあ、これすぐに金に換えてこようぜ!」
 「まちなよぉ、そう焦らないでも宝石の価値なんてかわりゃしないさ!暫く身につけてていいだろぅ?」
 「___しょうがねえなぁ!がっはっはっはっ!」
 叫ぶ言葉も思いつかないし、考えられる反抗もない。彼は力無く、痛む身体を引きずるように、パン屋の前から立ち去ろうとする。それでも身体が思うように動かない。
 「大丈夫ですか?」
 そんな彼に肩を貸してくれる人がいた。
 「あ___すみません」
 ランディは礼を言う。その男は眼鏡を掛けていて、年はシャルルよりも少し上くらいに見える。青みがかった黒髪で、清潔感溢れる顔立ち。身なりも方正で、背はシャルルよりも少し高いくらいだった。
 「酷い怪我ですね___私はこの近くで医者をしていますオルフェウスというものです。うちで少し休んで行かれたほうがいいですよ」
 ランディにこれだけ好意的な誘いを断る理由はなかった。

 「___これが裏の世界か」
 裏路地を進み、下水の用水路がある場所へと下りていく。さらにそこから水路を進んで、ちょっとした秘密の抜け穴を出ると、とある建物の地下街へ。本来その筋の証明書がなければ入れない、裏の地下街である。
 「酷い匂いだ___」
 シャルルは鼻を突く刺激臭に苦しみながらも、寝ころんでいる男の側へと向かった。
 「ちょっといいかしら」
 「?」
 「盗品を売りたいの」
 「物は?」
 「宝石、ルビーよ。特大の奴」
 「なら突き当たりいけ、あそこはいい店だ」
 「ありがとう」
 シャルルは男の指示通り、決して広いとは言えない地下街の突き当たりにあるドアへと向かった。通りかかったドアの中には、恍惚の香りが漏れている場所もあった。だが全てを無視して真っ直ぐに進む。
 「いらっしゃい」
 店の中では、小柄で細身の老人が天眼鏡越しに宝石を睨み付けていた。
 「マクブライドに売った宝石についてお話を聞きたいんですけど」
 シャルルがそう口にしたと同時に、入り口すぐ脇のカーテンの影から体格のいい男が飛び出し、彼女の後頭部を殴りつけた。
 「くっ___」
 シャルルは正面のカウンターに胸から倒れ込む。男は追い打ちをかけようと再び拳を振り上げたが___
 「ファイア!」
 いち早く仰向けになったシャルルが、右手を突き出し、男の顔面に向かって炎を放った。
 「ぐおああ!」
 高温の火炎は男だけを襲い、他に燃え移りはしない。顔を炎で包まれ、何よりも目を焼かれた男は苦痛に喘いだ。
 「消えてろ、かす」
 シャルルが一度指をスナップすると炎は消え、もはや意識を失った男はもといたカーテンの裏へと倒れて消えてしまった。
 「酷い仕打ちをしてくれるじゃないか爺さん。頭なんか殴らせて、禿が出来たらどうしてくれるのさ」
 シャルルは右掌を炎で包み、老人に向けた。老人は顔中に冷や汗を浮かべて唇を震わせている。
 「これから聞く質問に答えろ。マクブライドが誰かに恨みを買うようなことは?」
 「あ、ある___ありすぎてわからん___そ、それくらいある___」
 老人は嗄れた声で答えた。
 「マクブライドは最近殺しをやったか?」
 「さ、最近___そ、そんなことはしらな___ひいい!」
 シャルルの右手の炎が火力を増した。
 「あんな男に恩を売ってもためにならないわよ、おじいさん」
 「こ、殺した、ジャクソンという盗人だ___あいつが、足元を見てきたんだ、だから他の宝石商に売ると言ったらしい___それで頭に来たマクブライドさんはジャクソンを殺した。だが悪いのはジャクソンだ___裏世界では契約は絶対だ___契約を破ったんだからジャクソンは殺されて当然だったんだ!」
 「あたしはジャクソンの女じゃない。だからそいつが死んだことなんかはどうでもいい。それよりも聞きたいのは、ジャクソンがいつ殺されたかだ」
 「先月の___真ん中当たり、いやもう少し後___それくらいだ、確かなことはわからん___」
 「その時マクブライドがジャクソンから奪った宝石は?」
 「ダイヤ、オパール、サファイア、エメラルド___大小様々___一番高価だったのは特大のダイヤ、偽物は一つもなかった___」
 「ルビーはない?」
 老人は何度も頷いた。嘘ではなさそうだ。だが目処はたった。宝石は魔性の物。魔力の受容体であり、悪霊や怨恨の住処にもなりえる。ジャクソンが殺された恨みが宝石の一つに乗り移り、後々それを身につけたビクトリアに憑依したのだろう。外してからも悪夢にうなされるのだから、怨恨の魂は彼女の身体に乗り移っている。そして同時に、本体である宝石にも残存している可能性が高い。
 「急がなければ___」
 マクブライドを問いただし、ジャクソンから奪った宝石を全て調べる必要がある。だが決意新たにマクブライド邸に向かおうとしたシャルルの前に、思わぬ障害が立ちはだかった。
 「動くな!王宮警備隊だ!」
 「一人残らず検挙しろ!」
 厄介なタイミングで厄介な奴等がやってきた。王宮警備隊第六部隊。第五部隊の任務において、実力行使が必要になったときに駆り出される部隊である。
 地下街にいる人物は片っ端から取り押さえられていく。勿論シャルルとて例外ではない。魔法を駆使すれば突破するのは簡単だが、それではリブロフにいられなくなってしまうだろう。
 「全員連行しろ!拘置所は十分に開けてあるぞ!」
 若々しい声で指示をする男。トレンチコート姿で決めているつもりだろうが、まだ貫禄が足りない。彼こそが第五部隊長アルフレッド・クォーツだった。
 「ん!」
 アルフレッドは連行されていく人物の中にシャルルの姿を見つけ、にやぁっと笑って駆け寄った。
 「運がなかったな。こんな所で尻尾を掴まれるとは」
 「ほんと、珍しくまともに働いてると思ったら___あんたってばとびっきりタイミング悪いわ」
 口論はこれから取調室で幾らでも出来る。だからシャルルはここで怒鳴ることはしなかった。

 バンッ!シャルルは立ち上がって激しく木製の机を叩いた。その両手は手錠で結ばれている。
 「だぁかぁらぁ!あたしは請け負っていた依頼の捜査のために、あそこに行ってたのよ!」
 「証人がいないだろう!」
 「いるわよ!宝石屋の爺さんに、地下街の道路で寝てた男、それに地下街の場所を教えてくれた人も!」
 「全部裏の人間じゃないか!信用できんな!」
 さっきから激しい無理問答が勃発している。他の取調室とはひと味もふた味も様子の違うここでは、取り調べと言うよりもシャルルとアルフレッドの口げんかが繰り広げられていた。もとよりこのアルフレッドは、シャルルが何らかの犯罪に絡んでいると言ってやまない男だ。
 「おまえは絶対裏の世界に一枚噛んでると睨んでいたんだ。悪霊退治は全て自作自演なんだろう?」
 「なんだと___」
 「おまえは悪霊を自分でばらまいて、それを退治するふりをして金をせしめているんだ。違うのか?」
 「貴様___本気でそう言ってるのか?」
 シャルルの漆黒の瞳は血の気に満ちた獣のようにギラギラしている。これは彼女の怒りが鬱積していることの現れだ。
 「現におまえがリブロフにやってきた三年前から、この街では得体の知れない事件が多く発生するようになった!」
 「だからあたしはその根源を探すためにこの街へとやってきた!」
 シャルルは真っ向から反論する。だが嘘は付かない。
 「減らず口をたたくな!」
 「貴様こそ無い知恵のこじつけで人を侮辱するな!」
 無理問答は終わらない。だがここで両者にクールダウンの間が生じた。
 「ならば聞こう___おまえはなんでこの街にやってきたんだ?」
 「___人を捜している___それ以上は言えない」
 シャルルは何度も答えを飲み込みかけ、最後にはむくれながら答えた。
 「ふん、よくある話だ」
 アルフレッドは同席していた隊員に合図を送った。
 「これからおまえのデータを取る。答えられて当然のことばかりだ」
 シャルルは返事もせずアルフレッドを睨み続けている。
 「名前は」
 「シャルルタティナ・カークマイル」
 「年は」
 「二十一」
 こういったやり取りは普通聴取の最初にやるものだ。だが二人はそれよりも早く口論になっていたのだから手に負えない。
 「現住所」
 この程度の基本的な質問には難なく答えていったシャルルだが___
 「両親の名前は?」
 「言いたくない」
 「は?」
 アルフレッドは呆れたような顔で問い返した。
 「言いたくないと言ったんだ。両親の名前、出身地、過去の話は口が裂けても貴様なんかに話さない」
 「黙秘権か?」
 「そんなもの有ろうと無かろうと話さない。それを話さなければ殺されると言うのなら、逆に貴様らを殺してこの国を出る」
 シャルルの視線には妙な威圧感がある。彼女の言葉が嘘でないと言うことは、彼女に気圧されているアルフレッドの本能が感じていた。
 「___まあいい、本題に移るぞ」
 「おまえは依頼の捜査のためにあの場所にいると言ったな」
 「___そうだ、今何時!?」
 「なんだ急に___」
 「いいから何時か教えて」
 「午後___九時半」
 「まずい___時間がないぞ」
 今日の夜はマクブライド邸で過ごす約束だったのだ。悪霊退治も今日のうちにやってしまうつもりだった。
 「アルフレッド、手柄が欲しいか?」
 「は?なんだ急に」
 「あたしの今日の依頼人、ヒューゴ・マクブライドを逮捕させてやる」

 「遅くなりました___」
 息を切らせ、どこか服装も乱れてしまっているシャルルがマクブライド邸に駆け込んだ時、時計はもう十一時を回っていた。
 「遅かったじゃないですか!」
 苛ついた様子のマクブライドに出迎えられ、シャルルはとりあえずもう一度深々とお辞儀する。
 「奥様は?」
 「家内なら寝室です。もう遅いので、睡眠薬を使って眠ってしまいましたよ。あなたが帰ってこないのでいつまでも不安そうでした___」
 「まだ悪夢を見ている様子はないのですね」
 「バーラーが見張っています」
 シャルルはそれを聞いて一息つき、笑顔になる。
 「それは良かった。では、マクブライドさん、少しお話をしたいことがあるんです。出来ればバーラーさんもご一緒に」
 それからシャルル、マクブライド、バーラーの三人は、午前中と同じ、マクブライドの書斎で話をすることになった。
 「で、話というのはなんですか?」
 シャルルはマクブライドが座るデスクの真正面へと椅子を運び、いやに貞淑に腰を下ろした。彼女の真後ろにある出入り口にはバーラーが立っている。
 「話というのはですね、ある男の話です。名前はジャッキー・ジャクソン」
 「!」
 マクブライドの顔が凍り付いた。
 「ご存じですか?裏の世界では結構有名な宝石泥棒だそうで、つい先月も特大のダイヤをはじめ数多くの宝石を盗んだそうですね」
 「ほ、ほう、そうですか。それはそれは」
 マクブライドは暑くもないのに沸いて出る額の汗を拭う。
 「その男はある宝石商と専属契約を結んで、盗品の売却を行っていたそうで。ただ、先月盗んだ品物について、料金の折り合いがつかずにご破算になった。だから、消されたそうですよ、ジャクソンは」
 「___そんな話がなんだと言うんです!それと妻の悪夢になんの関係が有るんですか!?」
 「関係があることはあなたが一番分かっているんでしょうマクブライドさん。奥さんを苦しめているのはジャクソンの恨みの魂ですよ。宝石にはね、様々な物が宿るんですよ。魔力、妖精、人の心___」
 シャルルは不適な微笑みを浮かべながら語った。ゆっくりと足を組む。
 「バーラーさん」
 シャルルは背後の男に、振り向かずに声を投じた。
 「足を組んだからって警戒していないわけじゃない。今回手を下したのはあなたじゃないにしても、あなたはそういう仕事のできる男だ。でもあたしが死ねばご夫人も助からないことをお忘れなく」
 彼女の後ろでバーラーは拳銃を構えていた。音もなく、息の乱れもない、暗殺者さながらの精密な動きだった。だがシャルルの研ぎ澄まされた感覚は欺けなかった。
 「ひとつ聞かせていただきましょう。返答次第では、あなたに死の痛みを味わって貰っても良いと思っている。ただ死ぬのはあなたではなく奥さんだ」
 「ふへ、ふへへへ、馬鹿をいってんじゃないさ___もううちの家内は苦しまない___なぜなら!」
 そこまで言いかけて、マクブライドは言葉を止めた。
 「ううぅっ、うあぁ!助けて!」
 妻の嗚咽の声が二つ離れたこの書斎まで届いてきた。
 「そ、そんな、あれはもう処分したのに!」
 「盗品ですか?」
 「レッド・ダイヤモンドはもう私の手元にないんだぞ!」
 「アルフレッド、いいかしら?」
 部屋の扉が開き、アルフレッドと第五部隊の面々がなだれ込んできた。すぐさまバーラーは床に押さえつけられ、マクブライドの両脇にも警官が付いた。
 「十分だ」
 アルフレッドは自らの手で、呆然とするマクブライドに手錠を掛けた。
 「か、カークマイルさん、家内は___!」
 「憑依型の悪霊。強い恨みの意志が生み出したなかなか強烈な代物です。ご心配なく、責任持って悪霊退治はやらせて貰いますよ。ご対面は留置所でと言うことになるでしょうけど」
 それを聞いたマクブライドは、実にホッとした様子だった。

 「______」
 シャルルは苦しむビクトリアの身体に優しく手を触れ、なにやら長い呪文の詠唱を行っていた。そして囁きが終わると、閉じていた瞼をキッと開き、一気に両腕から夫人の身体に光の輝きを流し込んだ。
 「かはっ!」
 ビクトリアは空気を吐き出すような声を上げ、激しく身体を仰け反らせる。引き裂かれんばかりに開いた口から、徐々にではあるが真っ赤な霧が吹き出してきた。
 「これがジャクソンの恨みか___」
 宙を漂う霧はやがて苦しみ喘ぐ男の顔に変わっていく。この男がジャクソンその人であろう。
 「恨むならヒューゴ・マクブライドだけを恨め___迷惑なんだよ、とばっちりは!」
 シャルルの長髪が風に吹かれるようにフワリと舞い上がり、揺らめいた。そして身体に引きつけていた左手は黄金の輝きを放っていた。
 「ホーリーブライト!」
 浄化の輝きが波動となって現れる。光は赤い霧を飲み込むと、一瞬にして消滅させた。
 「こいつは___!」
 聖職者ではない彼女にとって、浄化魔法は得意な分野ではない、それでも魔法についてなんの知識もない人が見ればとんでもない光景に違いなかっただろう。
 「凄いな___」
 浄化の光の余韻が消えると、アルフレッドは思わず拍手していた。
 「初めてみたが、大した迫力だなぁ」
 「驚いたなら、あたしを追いかけるのはやめな」
 「それとこれとは話が別だ」
 「ったく___」
 シャルルは突然何かを思いだしてハッとする。
 「そうだこれで終わりじゃなかったんだっけ___恨みの本家が宿っている宝石をどうにかしなきゃ___」
 そして先程のマクブライドの言葉が脳裏をよぎった。
 「レッド・ダイヤモンド___処分したって、そう言っていたなあの親父!」
 点が線で結ばれた。間違いない、レッド・ダイヤモンドとは報酬で受け取ったあのルビーのことだ。ジャクソンが盗んだ中でも最高級の代物、特大のダイヤが血で染まったもの、それがあのルビーに違いない。
 「宝石が大きければ大きいほど、込められる力は強いものになる___ダイヤであればなおさらだ!」
 ランディが危ない!
 「あ、こら!まだおまえの釈放は認めてないんだぞ!」
 アルフレッドの制止を無視して、シャルルは一目散に自宅へと駆けだしていった。

 「ランディ!」
 バンッ!玄関を勢い良く開いてシャルルが駆け込んできた。それでも電灯のスイッチを入れるのを忘れない。
 「ランディ!」
 続いて寝室へと怒濤の勢いで飛び込んでくる。
 「ご、御免なさい!シャルルさんのベッドで寝ちゃってました!」
 ランディはシャルルの柔らかい毛布で身を隠しながら、殴られるのを恐れて引きつった顔になっていた。
 ドゴガッ!
 ご期待に添うよう、シャルルは強烈なアッパーを彼に見舞ってやった。
 「あんたなんともないの?」
 「顎が痛いです___」
 シャルルはほっと一息ついてベッドに座り込んだ。ランディはすごすごと自分のベッドに移った。
 「あれ?あんたどうしたのその怪我」
 「あ、ちょっと事故に___」
 「またあの陰険な叔父夫婦だね」
 ランディの嘘は流暢でないのですぐばれる。
 「それにしても___随分綺麗に包帯が巻いてあるわね」
 頭部やらなにやらに綺麗な包帯が見え隠れするが、それはどれも実に丁寧に治療が施された証だった。
 「実はお医者さんに助けて貰ったんです。ドクター・オルフェウス。とっても優しくて、気のいいお医者さんでしたよ」
 「へえ、そう。それよりあんたさぁ、あの、あれは?ルビー」
 「あっ___それが___」
 「え?まさかここにないの!?」

 シャルルとランディは夜中の街を、息を切らせて走っていた。
 「もう今日は走り過ぎよ!高くても自転車買うべきだわ!」
 向かう場所は当然、ランディの叔父夫婦が経営するパン屋だ。悪い予感の的中はパン屋のあたりから聞こえる悲鳴で明らかだった。
 「叔母さん!」
 道路の真ん中で、叔母が暴れ回っていた。苦しみから我を見失い、白っちゃけた黒目でだらしなく口を開け、両腕に金属棒を持ってブンブンと振り回している。その彼女が踏みつけているのは額から血を流す叔父だった。
 「叔父さんも!」
 「あれか!レッド・ダイヤモンド!」
 シャルルは叔母が血糊のダイヤを首飾りにしてぶら下げているのに気づいた。身につけている時間が長ければ長いほど、身体は怨みに憑依され、ひいては乗っ取られ、今のような悲劇を生む。
 「相当強い力が込められている___あたしじゃ浄化できないかもしれない___!___いっそ肉体ごと葬り去るほうが!」
 「そんな!」
 ランディが悲痛な叫びをあげた。シャルルの顔を見上げ、潤んだ瞳で縋り付いてきた。
 「叔母さんを助けて下さい!シャルルさん!」
 「あいつはあんたを苦しめてきた奴等でしょ!?なのにどうしてそこまで___!」
 「___誰かが死ぬってとっても悲しいことなんですよ!知っている人だったら余計に!この世に安易に死んでいい人なんて誰もいないんです!それに___おばさんは僕に優しくしてくれました!」
 ランディの必死の訴えに、シャルルは一度舌打ちしてから彼を軽く突き放した。
 「離れてな、ランディ。浄化するのは破壊系魔法使いのあたしにとって苦手なことだ。だったら別のやり方でやってみせる!」
 シャルルは暴れ狂う叔母に向かって駆けだした。叔母はそれを受けて立つと言わんばかりに鉄棒を振りかざした。
 ボフッ!
 シャルルは大地に向かって爆発の呪文を放ち、一気に加速して叔母へと体当たりした。そして両手で首飾りのレッド・ダイヤモンドを握りしめる。そして素早く呪文を詠唱した。
 「ぐっ!」
 叔母の強烈な膝蹴りが彼女の腹にめり込んだが、それでもシャルルは手を離さなかった。
 「___砕けろ!!」
 呪文などない。単に魔力を宝石に流し込み、その許容量を凌駕して魔力が注がれた瞬間、レッド・ダイヤモンドは粉々に弾け飛んだ。
 シュオオオッ!
 赤い霧が空に吹き出し、切り裂かれたように散り散りになると、闇に紛れて消滅した。それと同時に叔母は意識を失い叔父の上へと倒れ込む。シャルルは叔母の身体に手を触れ、一つ念を送り込んだ。
 「私はおまえを殺すつもりでいた。おまえを救ったのは間違いなくランディだ。あの男は、仇に大いなる怨みを抱くよりも、小さな幸せに恩を感じる男なんだ。甘すぎるくらいにな。感謝するならあいつに感謝しろ___もし次にランディに手を出したなら、私が黙っていない」
 と。
 「シャルルさん!」
 「安心しなさい、二人とも命に別状はないわ___うっ___」
 シャルルは腹に手を当て、蹲ってしまった。ランディが心配して手を貸そうとする。まだ野次馬たちは何が起こったのか良く分からず、近づいてこない。ただその中でたった一人、近寄ってくる男がいた。
 「大丈夫ですか?」
 聞き取りやすい芯のある声、医者である眼鏡の男は蹲る魔女を放っておこうとはしなかった。
 「オルフェウスさん」
 「あ、あんた誰?」
 ぶっきらぼうな口を叩き、シャルルは尾を引く痛みで顔を歪めた。
 「私はオルフェウスです、先程このランディ君とお友達になりましてね。あなたのことは良く聞きましたよ。さ、ランディ君」
 「はい」
 シャルルの意志も無視して、二人はオルフェウスの医院へと彼女を運んでいってしまった。
 「隊長、追いますか?」
 シャルルを追ってきたアルフレッドは物陰から一部始終を見ていた。
 「いや、今日は釈放で勘弁してやる。帰るぞ、明日からマクブライドの聴取だ」
 「はっ」
 アルフレッドの追っ手もなくなり、ようやく事件は解決を迎えた。
 ちなみに___シャルルが今回の事件が「ただ働き」であったと気づくのは、翌日になってからのことだった。




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