SEAN 1 魔女のお仕事
「___」
暗い小さな小屋の中で、二人の女が向かい合って座っていた。一人はごく普通の町娘。もう一人は黒いローブに身を包んだ妖しい女。
「でました」
紫色の布の上にタロットカードを並べ、ローブの女が呟いた。
「ど、どうでしょう」
町娘は酷くそわそわした様子で尋ねる。雀斑がなんだか初々しい素朴な少女だ。
「告白するのであれば明日が吉です。今日は避けるべきですね。彼に思いを伝えるには暖色系の服がよいでしょう。今後のあなたと彼の相性はなかなか良好です」
「本当ですか!」
何のことはない、ここは占いの館である。
「わざわざ占っているんです、嘘なんて言うはず無いでしょう」
黒いローブの女は艶めかしく笑って見せた。町娘の素朴さとは裏腹に、あか抜けた非常に整った顔立ちをしている彼女は他でもない、シャルルだ。
「ありがとうございます!」
町娘は晴れ晴れとした笑顔になって小屋を出ていった。一人きりになるとシャルルは並べたタロットカードを集めて立ち上がった。
「今日はもう終わり」
小屋を出て、出入り口を閉める。市街地の雑貨屋と金物屋の間に彼女の「仕事場」はあった。二つの建物の隙間に張りぼての小屋。出入り口を閉めると言っても開いていた暗幕を閉じるだけ。看板だけはやけに大きく、黒く塗った板に真っ赤な字で「占いの館当たります」と書いてあった。いやはや実にうさん臭い。
「あれ?もう閉めるんですか?」
占い館の隣で靴磨き屋を開いていた青年が親しげに尋ねた。
「必要な分は稼いだわ。帰るよ」
シャルルも青年と知らぬ仲ではない口振り。青年も彼女の言葉に従い、店を畳み始めた。
「相変わらずとろいわねえ」
仕事の後は一服と決めている。シャルルは煙草を取りだして形の良い口にくわえ、その先端に指を当てた。
「ん」
火種は彼女の指にある。彼女は一つ煙を吸って、ゆっくり吐き出した。
「あ〜、駄目ですよシャルルさん。町中でヒョイヒョイ魔法使ったら」
「いいじゃない、魔法使いなんだから」
「必要外の魔法の使用は条例で禁止されてるんですよ。そりやシャルルさんは天の邪鬼かもしれませんけど___」
ごん。荷物をまとめて立ち上がった青年に、細身の拳骨がたたき落とされた。ちなみに彼は、シャルルよりも背が低い。
「ふざけたこと言ってると御飯抜きよ」
「___御飯作るの僕なのに」
二人はちまたで評判のコンビだった。青年の名はランディ・コースキー。栗色の髪と黒目勝ちな瞳、そして何より小さな背が特徴的。体そのものが貧相で、いつもハの字になりがちな眉が何とも弱々しさを増長させる。自信に溢れているシャルルとは、対照的な青年だった。
とびきりの美人で色気のあるシャルルと、妙に軟弱で童顔なランディ。見るからに主従的な二人の関係は、まるでシャルルが奴隷をこき使っているように見えてしまうため、彼女が魔女と呼ばれることに拍車を掛けていた。
二人が暮らしている場所はリブロフ王国の首都リブロフ。建国当初より変わらない、優美で奥ゆかしい城と、発展止まるところを知らない城下町からなる大陸有数の大都市である。整備された陸路と、都市南端部が面する海洋。他国との商業交流も盛んで、城下町は自国民だけでなく各国の商人や旅人で溢れている。地場産業も盛んで、リブロフの衣服といえば各国でも有名な品だ。
「でもさぁ、おかしいと思わない?この街で満足に魔法つかえる奴なんかあたしだけなのよ。魔術師ギルドに加入してるへっぽこ冒険者共なんか、古式媒体使わなきゃ何もできない奴等なのにさ」
リブロフは治安の良い都市だ。ただその分規則もうるさい。冒険者といえど、町中で重大な事情もなく剣を抜くことは禁止されているし、特例を除き魔術師が魔法を使うことも禁止されている。黒の魔女と称されるシャルルは当然ながら魔法使いであり、この条例に矛盾と不満を感じている一人だ。
「だいたい国王の間抜けがさ、あたしを王宮に呼んで魔法見せろなんて言って___」
シャルルがリブロフにやってきたのは三年前。当時十八歳であった。この時シャルルはちょっとした経緯により町中で魔法を使った。この世界に魔法使いは数いるが、操ると言うよりは辛うじて使わせていただいているといった人物がほとんどである。それだけに真に魔法を「操る」シャルルの噂は広まり、王の元へと届いた。王はシャルルに魔法を披露するよう要求したが彼女は___
「私は手品師じゃありませんから」
___の一言で素っ気なく断った。それでも王がしつこく要求してきたので、彼の髭を燃やすという形でシャルルが魔法を見せたのは有名な話だった。魔法禁止の条例が出たのはその直後で、明らかにシャルルに対する当てつけだったのだ。
「髭を燃やしてやったときの王の慌てようは傑作だったわ」
「ははは______その話もう十五回は聞いたかな___」
「なんか言った!?」
「い、いえなにも___」
ランディは焦りながらも片手で脳天をガードする。シャルルよりも随分幼く見える彼だが実は十七歳。年はほんの四つしか離れていない。
彼がシャルルと出会ったのは去年のこと。シャルルも街に馴染み、あまり目立たないように暮らしていたこともあって、凄腕の魔法使いの噂をさほど聞かなくなった頃の話だ。幼い頃に両親を亡くして、陰険な叔父夫婦に引き取られたランディは、弱気で内向的な性格が災いしてか冷たい扱いを受けていた。さらに同世代の仲間にも苛められていた彼は、非力な自分が身につけられる力を求めるようになっていた。そして、二年前に街を騒がせた魔法使いの話を思い出し、シャルルの元へ弟子入りを志願したというわけだ。
「ああ、そうそう、キンガティさんからの預かりものの受渡日が今日だったわね。ちょっと行って来てくれる?」
「僕が貰って来るんですか?」
「もう慣れたでしょ。行って来なさいな」
「は〜い」
弟子入りしてから約一年。いつの間にか彼はシャルルの世話役のような存在になっていた。素質があまりにもなかったのだろうか、ランディは魔法を自在に操るどころか、これっぽっちの神秘を起こすことも出来ずに今に至っている。シャルルも初めのうちは真面目に彼を指導していたが、一月もしないうちに「あんたには素質がない」ときっぱり言い切っていた。
「なるだけ早く戻ってきなさいよ」
通りの交差点で別れ、まるで母が子供に言うような言葉を掛けるシャルル。ただこの場合、心配してではなく、家には仕事がいっぱいあるから早く帰ってこいという意味だが。
「えーと、キンガティさんの家はプラツェロ通りの五番だったよな」
小柄な彼は見上げるように、建物に記された住所を確認しながら進んでいた。
「あ〜ら、ランディじゃないか」
ねちっこい声が背中を叩き、ランディはびくっと肩を震わせた。この声を聞くときはきまっていいことなんてありゃしない。
ポンッ。
まるですくんだように動けなくなった彼の肩に、女にしては頑丈な掌が乗っかってきた。独特のイーストの匂いが鼻を擽る。
「こんな所で何してるんだい?今日はあんたのボスはいないみたいじゃないか」
力ずくで振り向かされたランディは、中年のくせに弱い者いじめが三度の飯より好きな女とまともに目を合わせてしまった。トラウマというかすり込みというか、彼はそのシャルル以上に魔女っぽい、小皺ばかりが目立った顔を見ると怯えて何もできなくなってしまう。この人物こそ、両親を失った彼が養ってもらっていた叔母である。
「ちょっとこっち来なさいな」
叔母はランディの腕を強引に引っ張って、人気のない路地へと連れ込んだ。
「さて、久しぶりに会ったんだから挨拶くらいしたらどうなのさ」
薄暗い路地の壁にランディを追いつめ、叔母はごわごわした掌で彼の顎を掴んだ。パン屋を営む叔父夫婦であるが、この叔母はパン生地まで練る剛力。固い掌はその賜だった。
「こ、こふにひわ___」
顎を捕まれてうまくしゃべれない。そうでなくとも緊張しているというのに。
「フフ、あたしにあってゾッとしてるみたいだねぇ。丁度いい、あの厄介な魔女がいないことだし___」
片手でランディの顎を掴み、叔母はもう片方の手で拳を作った。
「あんたが逃げ出したおかげであたしたちの仕事は一気に大変になっちまった。しかもあんたが魔女の所へ行ったおかげで変な噂が広まってね、店の評判が落ちてるんだよ。当然売り上げもね。こいつはあんたへの貸しとして記録してあるから。しっかり払いに来るんだよ。今日は一日分の利子を払わせてやるからさ!」
叔母はおもしろ半分にランディの腹に拳をたたき込んだ。彼よりも背の高い叔母の拳は、手加減無しに重く、痛烈だった。そして毎日のように、いろんな形で虐待を受けていた日々に比べれば、シャルルのために働いている方がよっぽどましだと改めて実感した。
「頂戴」
帰宅の道すがら、シャルルは通りの角で新聞を買う。占い屋から帰るときの定番だ。
「はい!ありがとう御座います!今日もお綺麗ですね!」
「当たり前だからチップはあげない」
「うっ___」
新聞屋の青年とのやり取りもいつものこと。お得意さまのご機嫌取りに頑張る青年の言葉をさらっと流して去っていくのだ。
「きょ、今日の注目記事は自殺事件ですよ!」
青年の声だけがやけに響いた。
さてそこから歩くこと五分。限りなく人気の少ない路地へと入り、今は使われていないアパートに挟まれた短い石段を登る。やがて古びた建物が多く並び立つ、いわゆる旧市街へ。そこにシャルルの家がある。
腰丈ほどの石塀で囲まれた、決して大きくはないがこの辺りでは珍しいに平屋の一軒家。回りが四階建ての高層アパートばかりなので日当たりは最悪。庭らしきスペースが塀から玄関まで続いているが、ここは綺麗に手入れされていた。ただこれも、もとはといえば手が着けられないほど雑草が生い茂っていたのだ。
「お、今日は大量」
塀の内側にある郵便受けから手紙類を取り出す。今日はかなりの枚数、見ただけでも十通はありそうだ。何しろ手紙は彼女にとっての収入源。占い師はあくまで収入を補うための副業で、本職は別にある。
「よっ」
新聞を口にくわえ、空いた手を使って自宅の鍵を開ける。
「ただいま」
日の射し込まない家の中は始終真っ暗。誰もいないと分かっていても、「ただいま」の声だけは欠かさないのが彼女のポリシー。家に帰宅を告げ、感謝を示す意義がある。
パチッ!
壁にあるスイッチを入れると、少しの間をおいて部屋が弱冠明るくなった。電灯だ。
決して大きくはない家、玄関からすぐに居間。そこにあるテーブルの上にシャルルは手紙を投げ置いた。居間から他へと続くドアは三つ。玄関から見て右手のドアが寝室、正面が書斎、左手がキッチンだった。一人で住むぶんには十分な広さだが、ランディが来てからは少し狭く感じる。
「___」
まだ薄暗かった電灯は、時間と共に徐々に明るさを増してくる。シャルルはソファに腰を下ろして新聞を広げた。これも習慣だ。
「自殺事件か___」
シャルルは一面を無視して、新聞売りが言っていた事件の記事を探した。ちなみに一面は、「国王陛下のご子息、社交界デビュー」である。
コンコン。
プラツェロ通りの五番、ジョルジョ・キンガティ宅前。腹を殴られたせいか、ランディは少し青ざめた顔でドアをノックしていた。
「はいどなた___」
程なくしてドアが開き、大人しそうな婦人が顔を出した。
「キンガティさんのお宅はこちらですか?」
「はい」
「私はカークマイルの助手を務めていますランディ・コースキーです。預かり品の受け取りに参りました」
「ああ!そうでしたの。それはそれは、さ、どうぞお上がりになって」
少し不思議そうにランディを見ていた婦人の顔が一気に晴れやかになった。
「魔道探偵さんがいつ来て下さるかと待ち侘びてましたのよ」
魔道探偵。一般人には聞き慣れない言葉を口にして、婦人はランディを招き入れた。この魔道探偵こそズバリ、シャルルの本業。普通の探偵とはひと味もふた味も違う、常人には取り合えない、奇怪な事件専門の探偵である。
「いやあ、お待ちしていましたよ。いやいや、しかしもっと早く来ていただければ良かった」
ジョルジョ・キンガティは恰幅のいい、ふっくらとした体型で、いかにも商人面をしたひげの男である。それでも人柄のよい男で、周囲からの受けもいい人物だ。
「手紙をいただいたのが三日前ですね、それから何かあったんですか?」
シャルルの元に来て一年。魔道探偵の助手をはじめたのは半年前くらいだろうか。もう事情聴取、いや用件聴きについては慣れたものだ。
「ありましたとも!夜ふと目を覚ますと椅子が宙をふわふわと浮いていたんですよ!それに妻が大事にしていた鉢植えの花がバラバラにちぎられていたり___妙なことばかりですよ」
キンガティは面白いものを見たように笑顔混じりで話すが、目の下には隈がくっきりと浮き上がっている。ゆっくり眠れないストレスと疲れは明白だった。
「それでお預かりする品物は___」
「ああ、これです!」
キンガティは自分のデスクの引き出しを空け、小さな宝石ケースを取りだした。それをランディに手渡す。ランディは少しおっかなびっくりで蓋を開いてみた。用件聴きには慣れても、事件の種である怪奇は未だに怖い。
「指輪ですか___」
ブラックトパーズのような、黒光りする大きな宝石が埋め込まれた指輪だ。特になんの変哲もないのでランディはほっと胸を撫で下ろした。
「妙なことが起こりはじめたのは間違いなくこの指輪を買ってからなんですよ」
「いつ、どこで購入されたんですか?」
「買ったのは手紙をお送りした三日前のこと。だいたい一週間前ですな。場所は宝石の取引所。今度私は宝石商の方にも手を伸ばすことにしましてね。こう見えても目利きには自信があるんですよ。その宝石を見たとき一目で良い物だと分かったので、買ったんです。いま思えば前の持ち主もこの指輪に悩まされていたんでしょう、値段は格安でしたよ」
「なるほど」
ランディはメモを書き終え、ペンをポケットにしまった。
「それでは、約束事項なんですけども、事件の性質上、宝石を破損する可能性もあります。それをご了承の上でのお預かりということになりますが」
「ええ、それは承知の上ですよ。もともとそれは売らずに手元に残すつもりでいたんです。売上金は期待していませんでしたからね。とにかく、お任せしますよ」
「畏まりました」
ランディは懇切丁寧に対応していく。それを見て、キンガティは感心した様子で髭を擦った。
「いやしかし幼くてらっしゃるのに、立派な方ですな」
「魔道探偵さんの助手が少年だなんて噂だけかと思っていましたの。本当に、驚きましたわ」
ランディ一人で用件聴きに行くとだいたい二度に一度はこう言われる。ただ、言ってもらうえたほうが良い。
「いえ、こう見えても僕、十七歳なんですよ___」
「なんと、そうでしたか。いやこれは失礼」
こうやって噂を真実に変えられるから。自分が帰ってから「やっぱり噂は本当だったんだ」と言われるよりはこの方が良い。
イグリス街18番、クラペロハウス302。このアパートに住むマウリッツィオ・ペドローニが自殺した。照明器具にロープを渡しての首吊り自殺。まだ二十歳の彼は、大手出版社に就職が決まっており、誰の目にも将来は順風満帆。すなわち動機不明。
シャルルはこの記事に気を引かれていた。その彼女の手には別の新聞の切り抜きがあった。それは先月半ばのもので、内容は___
バー・エストーニュの看板娘、ミカエラ・ストランスが自殺した。バー二階にある彼女の私室で、照明器具にロープを渡しての首吊り自殺。二十六歳の彼女は数週間後に結婚を控えていた。結婚に関してなんらトラブルはなく、こちらも動機不明。
「___」
シャルルは無言で記事を睨み付けていた。経験上、この自殺には裏があると感じたからこそ、彼女はミカエラの記事を切り抜いておいた。
「ただいまです」
控えめに玄関が開き、ランディが無駄に丁寧な挨拶で帰ってきた。
「おかえり」
シャルルは一通り読み終えた新聞を折り畳んだ。
「手紙がいっぱい来てたから、頼むわね」
「あ、はい」
「それで品物は?」
「これです」
ランディは宝石箱をシャルルに手渡した。シャルルは箱を開いて漆黒の宝石を手に取った。
「ふ〜ん、なかなか良さそうな品じゃない」
シャルルは指輪を躊躇い無しに右手の人差し指に填めた。彼女には少しサイズが大きいようである。
「闇に紛れし者の姿___今、光の元へとさらけ出す___ライトブリース」
囁くほどの声で呪文を詠唱し、シャルルの右手に青白い輝きが灯る。輝きは人差し指の指輪に結集し、宝石の漆黒が、まるで墨に水を溶かしたように薄らいでいく。
「あ、いたいた」
「どれです?みせてくださいよ」
たわわな黒髪を掻き上げ、ライトに指輪を翳すようにして宝石を覗き込むシャルルのそばにランディも寄ってきた。
「あんたってば現金ね。あたしの態度見て凶悪なのじゃないって分かったから見に来たんでしょ」
「そ、そんなことないですよぉ___」
図星である。
「ほら」
シャルルはランディにも宝石を見せてやった。灰色に近いほど薄ぼやけてきた宝石の中に、確かに何かの影が見える。はっきりとは分からないが輪郭からいくと小鬼、ゴブリンなどと呼ばれる魔物の格好によく似ている。
「ピクシーの類ね。宝石には魔力を受容する力があるから___こういうのが入り込みやすい。そんなかでもこいつは、暗くなってからこっそり抜け出して悪戯をするだけの奴よ」
「へえ」
「ちゃんとメモってんの!?」
「あ、すみません」
「たくっ」
ランディは慌ててメモを取りだした。請け負った依頼の記録を作るのも彼の役目だ。
「退治するんですか?」
「まあほっといても大したことする奴じゃないけど___引き出しの外に出て悪さをするのはちょっと腕白よね。ビー玉よこしなさい」
「はい」
ランディは書斎へとビー玉を探しに行った。書斎とはいうものの、本が半分、物が半分だったりする。
「おっそい」
何をやらしてもどうも鈍くさいランディ。三十秒もするとシャルルは顔をしかめていた。
ガシャガシャン!
派手な音を聞いてシャルルはソファから立ち上がり、書斎へと向かった。なにやら高いところの物を取ろうとして、自分が下敷きになってしまったらしい。物の下で小さな尻だけ出しているランディ。シャルルはその尻を蹴とばした。
「ったく、本当に使えないわねあんたは!」
結局ビー玉は居間の引き出しの中にあった。さらに拳骨を見舞われたランディ、今日は散々である。ただ打たれ強さだけは大したものだ。
「さて___」
シャルルは左手にビー玉を握り、ただ純粋に魔力を小さなガラスの弾へと送り込んだ。ビー玉を淡い光が覆うと、それは吸い込まれるように消え、澄んだ青色だったビー玉はくすんだ黒色に変わった。
「ファイア」
長い呪文の詠唱はない。シャルルはたった一言で、指輪ごと右手に炎を灯した。
指輪の中で、薄黒の澱みが揺らめいて見える。ランディはただただ感心してその様子を眺めていた。
「ギギィッ!」
炎に燻り出され、ガラスでも擦ったような甲高い音とともに、宝石の中から小さな何かが飛び出した。そしてすぐ側にあった、魔力で受け入れ態勢を作ってあるビー玉へと入り込んでいった。
「いまのが___」
一瞬の出来事に、ランディはぽかんと口を開けていた。初めてこういう場面をみたわけではないが、いつ見ても驚かされる。
「宝石に宿るのは土の精霊。どんなのか見えた?」
ランディは首を横に振る。体そのものが影のように黒いそいつの姿を、しっかりと確認することは出来なかった。
「庭に埋めておきなさい。土の精霊は土に返せば紛れて消えるわ」
「あ、はい」
いつの間にか彼女の右手の炎も消えていた。
「それが終わったら手紙ね」
「は〜い」
「あ、やっぱり御飯が先。お腹空いたわ」
「わっかりましたー」
こうして一つ依頼完了。このようにしてシャルルの仕事は遂行されるのである。といっても、これくらいはまだまだ序の口だが。
少し早い夕食を終え、外出用のローブから楽ちんなシャツと長パンに着替え、シャルルは寝室の鏡台の前で髪を束ねていた。
「洗い物終わりましたー」
「うむ、ごくろう」
ランディは毎晩シャルルにドキッとさせられる。まだ大人の女性との恋を体験していない彼は、年齢的なものもあってか女性に敏感だ。とくにシャルルが寝間着に使っているこのシャツは、胸元が少しだらしなく開いていて、ランディには刺激が強い。
「なにしてんの」
「い、いえ」
二十一歳にしては大人びているシャルルは、自ずと男の目を引きつけ、女に憧れか嫉妬を抱かせる容姿の持ち主でもある。こんな人と同棲しているだけでも夢のようなのだが___それも立場が対等ならであろう。
「んじゃ、手紙やりましょ」
「あ、はい。すぐに持ってきますね」
手紙を読むのはランディの仕事。目を通すのではなく、シャルルに呼んで聞かせるのだ。シャルルはその間に、新聞を読んだり、髪をとかしたり、爪の手入れをしたりする。
ランディは手紙の束とゴミ箱を持って、寝室の丸椅子に座った。
「それじゃ、読みますよ」
「おー」
シャルルは爪の手入れをはじめていた。生返事だが一応は耳を傾けている。
「最初はリード川沿いの主婦からです。魔道探偵様、お噂はかねがねお聞きしております」
「どんな噂よ」
シャルルは苦笑いした。
「この人は宛先も魔道探偵様ってなってますよ」
「要するに、あたしの名前知らないんじゃん」
「でも魔道探偵様でここに届くようになるなんて、シャルルさんってば有名人ですね」
「別に有名になんかなりたかないっつーの」
シャルルが魔道探偵をはじめたのは一年前。ランディが居候するようになってからのことである。ひょんな事から魔法で悪霊退治をしたのがきっかけで、噂が広まり、生活費調達のために悪霊退治の依頼を受けるようになった。最初は嫌々ながらやっていたシャルルであったが、ランディのすすめと、報酬の額面の多さに負け、正式に魔道探偵をはじめた。それまでのシャルルは、まるで魔法使いであることを隠すかのように、ひっそりと暮らしていたのだ。
「んで、内容は?」
「えっと、実はうちの亭主が不倫を___」
「却下」
「はやいですね」
「あたしは普通の探偵とは違うの。馬鹿にしてるとしか思えないわ。捨て捨て」
ランディはハガキをゴミ箱に入れ、次の手紙の封を開いた。
「次行きますよ」
「うーん」
シャルルは脚の爪の手入れをしている。膝を抱えて前屈みになった姿が鏡に映っていた。胸元の開いた服で前屈みになればどうなるか?ランディはシャルルの肩越しに見える鏡に釘付けになっていた。
「むっ!?」
だが鏡なのだから、シャルルが顔を上げれば、頬を染めてボーっとこちらを見ているランディの姿も映って見える。彼が何を見ていたのかすぐに察知したシャルルは立ち上がり、服の胸元を押さえながら彼に拳骨を三発見舞った。
「変に色気づきやがって!こっそり覗いてんじゃないわよ!」
「しゅみましぇん___」
舌を噛んだらしいランディは、口と頭を抑えて謝った。
「はい次ぎ、さっさと読む!」
「はい___」
寝室にはベッドが二つある。一つはふかふかで寝心地の良さそうなベッド。もう一つは木を組んだだけのところに毛布が乗せてあるベッドだ。シャルルは当然、ふかふかのベッドの上へと飛び乗った。
「市街地の武器屋ゴドルフィンからです。東方の国から珍しい祈祷杖を輸入しました。よおこしいただければ、シャルル様のために特価でご奉仕いたします」
「とっといて」
「はい」
こうして彼女が興味を示した手紙はゴミ箱の憂き目から逃れることができる。
「次は魔術師ギルドからです」
「貸して」
ランディはシャルルの方へと手紙を投げた。封を開いて中身を見るのかと思いきや、彼女はいきなり手紙に火を灯し、一瞬で灰へと変えてしまった。
「な、なにやってるんですか」
「ゴミ箱に捨てるのも烏滸がましいわ。何度催促されようと、ギルドなんぞに加入はしない。なんで魔法を使えるからってだけで、国に管理されなきゃいけないのよ」
魔法使いだけではない、国の兵士を除き、剣術魔術などを操り冒険や行商をする物は、定住地のギルドに登録しなければならない。これは戦闘技能を持った者たちのリストを管理することで、彼らが技能を犯罪に用いた際、即指名手配するための危険防止措置である。と、シャルルは認識している。
「さあ次よ次」
爪の手入れが終わり、シャルルは一度大きく伸びをしてからベッドに突っ伏した。
「あ、いいなあ」
「なぁによ」
「僕も横になっていいですか?」
「あたしの隣がいい?」
シャルルはニコリと笑って尋ねた。
「本当ですか!?」
ランディの顔が一瞬希望で明るくなる。ふかふかなベッドに寝転がれる喜びが笑顔に出ているのなら、頬の紅潮はシャルルの隣に寝転がることへの期待感か?
「嘘よ馬鹿。あんたみたいなスケベ、隣に寝かせられるもんですか」
「やっぱり___」
「自分のベットでいいなら好きにしなさいな。さ、早く次の手紙」
こうして時間が過ぎていく。これだけの枚数が来ていても、だいたいはくだらない仕事ばかり。ただ、それを全て断るのはシャルルが我が儘だからと言うわけではない。魔道探偵として依頼を募集する際「警備隊、他の探偵業、医師等では解決できなかった問題、またそうであると思われる問題を請け負います」との前提を設けているからだ。
これはあくまで自分は探偵である前に魔法使いであるという、プライドの証だった。
「次です」
次は八通目。
「うーん」
シャルルも大したハガキがないのでだらけはじめていた。
「次は、おっ、確か富豪ですよこの人」
「ほんと!?」
シャルルの目の色が変わった。
「ヒューゴ・マクブライドさんからです」
「あ、聞いたことあるわその人。大商人よね、山の手に豪邸を持ってる人でしょ」
「一週間ほど前から妻が悪夢にうなされるようになりました。どうかお力添えをいただきたいと存じ、お手紙を差し上げた次第です。ご協力いただけるのでしたら、こちらの住所までお出で下さい。詳細はその時にお話しいたします」
「よし決まった。次の仕事はこれよ。早速あした訪問するとしましょう」
こうしてシャルルは魔女のお仕事を獲得していく。モンスターや悪霊あってこその仕事だが、自分にとってはこれ以上ない天職であろう。
「あ、でももう一通、王宮警備隊の第五部隊から明日来るようにって呼び出しが掛かってますよ」
「第五部隊?アルフレッドか。ああ、そんなの無視無視」
王宮警備隊第五部隊というのは、武装を固めて城の警備をしたり、王の守護に付いたり、軍事訓練を必要とする部隊ではない。要するに兵隊ではなく捜査隊である。そこの部隊長はアルフレッド・クォーツ。国王との軋轢から国家権力と仲がよろしくないシャルルは、仕事柄この部隊とは特に仲が悪い。アルフレッドは何かにつけてシャルルを悪く言い、シャルルもアルフレッドを馬鹿呼ばわりする間柄だった。
「さあ、そんな手紙はささっと捨てて、明日に備えて今日はもう寝るわよ」
「はーい」
シャルルはベッドの中に潜り込み、ランディも固いベッドで毛布に身を包んだ。
「あ、そういえばシャルルさんって、寝間着の時はやっぱりノーブラなんですね」
しばしの沈黙。そして___
夜になると一段と静かな旧市街に、ランディの悲鳴だけがやけに響いた。
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