序章

 「グヒェァァ!」
 中途半端な実体ながら、辛うじて人型を保つ煙が奇音を発する。煙はくすんだ灰色で、ベッドに眠る娘の口からもくもくと立ちのぼっている。煙には醜く歪んだ老婆の顔が浮かび上がり、戒めの力をその身に受けて喘いでいるようだった。これは典型的かつ、最も脆弱な悪霊体の姿である。
 「去れ!悪しき亡者の魂よ___!」
 煙と対峙するのは黒い女。肌が黒いわけではなく、背中を覆うほどの黒髪と、胸元にほんの小さな銀の飾りがある以外は真っ黒のローブが印象的な女だ。
 キッ!
 彼女は細くしなやかな指を目一杯広げ、煙に向けた。その黒い瞳が一瞬煌めいたかと思うと、喘ぎながらも滞留を続ける煙に異変が生じる。
 「ギュヒャッ!」
 煙にまるで光でも刺したかのように、縦の筋が幾つも刻み込まれる。老婆の顔が溶けるように崩れると、筋に沿うように煙が消え去るまではほんの一瞬のことだった。
 煙の澱みが晴れ、品のいい寝室の景色が舞い戻る。ベッドでは若く高貴な印象の娘が穏やかに眠り、黒い女から離れた場所には両親と思われる男女が不安げな面持ちで立っていた。
 「終わりました」
 悪霊退治を終えた黒い女は、振り向いて両親にその一言を告げた。二人は我先にと娘のいるベッドへと駆ける。お礼の言葉は当人が目を覚ましてからと言うのがもはや慣例である。
 「ん___」
 「おお!ジェシカ___パパだ、分かるかい!?」
 感激の瞬間を後目に、黒い女は寝室の外へと出て煙草を取りだした。先端に指先を近づけるだけで煙草は煙を発するようになる。仕事が終わった後の一服は格別だった。
 女の名はシャルルタティナ・カークマイル。気の強そうなはっきりとした目鼻立ちと眉、艶っけもあるがそれ以上に精悍な薄紅色の唇、色気を醸すのは黒く若干カールした長髪くらいで後は攻撃的な美しさを持つ女。名前で呼べばシャルルと呼ばれる彼女は、その風貌と技能から「黒の魔女」とも言われている。




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