エピローグ

 五年の時が過ぎた。
 ソアラとフュミレイはあれきり姿を見せなかった。少なからず予感はしていたが、彼女たちの事を思うばかりの日々は苦しいものだった。時の流れと共に、少しずつ傷を癒していくのは世界も人々も同じ。だがソアラもフュミレイも、リュカもルディーも百鬼も、彼らの心から薄らいでいくことはあり得なかった。

 東の都市カルラーンはバランの厄災を免れた大都市の一つ。同時に引き起こされた地震や突風では、やはり大きなダメージを受けたが、それでも復興は順調だった。
 ライとフローラは、アレックスを奪われた当時と同じように、カルラーンに住んでいた。デイルが手を回していたようで、彼らの家は白竜自警団により維持されていた。襲撃の跡も全て、傷跡さえ残らぬほどに修繕されていた。ここに戻ることに多少の迷いはあったが、おそらくアレックスにとって唯一の安らぎの場所だったろうから、彼らはまたここで暮らすことを決めた。
 「よう、旦那さんはいるかい?」
 そんな二人を最近よく見る顔が訪ねてきた。百鬼の友人であり、ソードルセイドで文筆業に目覚めた草光晴だった。
 「あ、草さんこんにちわ。」
 「やっほ〜、あたしも来ちゃった。」
 妻の小夏も、三つになる息子の手を引いてやってきた。
 ソードルセイドは消滅の憂き目を見たが、二人はたまたま南方へと旅行に出ていて難を逃れた。「ふとニックのことを書いてみたくなって、あいつの旅路を洗ってみようと思ったんだ」と虫の知らせに救われた話は、今では彼の十八番になっている。
 「お、久しぶりに見るとやっぱりお腹大きくなったね。」
 「ふふ、もうじきだからね。」
 フローラは重たそうなお腹に手を当ててニッコリと微笑んだ。すでに五年の時が過ぎたが、これは彼女にとってアレックスに続く二人目の子となる。医術に長けた彼女は、ここ三年以上復興のために身を粉にして働き、多くの命を救ってきた。ライもまた、白竜自警団の要請を受けて、アレックス・フレイザー一世の息子であることを宣言し、都市の建て直しの先頭に立った。が、今では復興がある程度軌道に乗ってきたことで、その任を退いている。
 「今日は稽古の日なの。もうじき帰るだろうから、入って。」
 フローラが職を退いた理由は出産に備えるため。しかし彼女の元には今でも医術仲間が訪ねてきては助言を請うている。また彼女自身も、できる限り医術の進歩のための研究と実践に尽力したいと考えている。
 ではライは何をしているのかというと___
 「ただいま。あ、草くん来てたんだ。小夏ちゃんも。」
 「進み具合はどうかと思ってな、画家先生。」
 「その呼び方やめてよ。」
 ライは苦笑しながら、草とともに自室へ向かう。小夏とフローラも付いていった。
 ライの部屋は絵の具の臭いが染みついていた。書きかけのキャンバスの他に、テーブルにはデッサンの束、壁にはこれまでに描き上げた絵が掛けられている。彼は一年前から本格的に、特技であった絵の腕を磨いていた。そのきっかけを作った一人が草なのだ。
 「どうかな?」
 「上出来だよ。ただここのところをもう少し___」
 デッサンの束を捲って、意見を交わす二人。草は難を逃れるきっかけとなった百鬼を主人公とした小説を、実際に書くことにしたのだ。取材のためにライやフローラを訪ねた草だったが、ライが絵を得意としていると知り、即断で挿絵の制作を依頼した。
 だがライが絵画に目覚めたきっかけはそれだけではない。ここへ来ると、フローラはつい壁に掛けられた一枚の大きな絵に見入ってしまう。それこそ、ライが本気で絵を描こうと決めてから最初に描き上げた絵だった。
 「___ソアラ___フュミレイ___」
 そこには、淡い緑に輝く結晶の中で眠る、ソアラとフュミレイが描かれていた。彼らの回りにはただひたすらの海が広がり、彼ら自身もまた海中に沈んでいる。それは一年前に、ライとフローラが実際に見てきた二人の姿だった。

 ライとフローラが職を退いたのは、暫くぶりだったゼルナスことフィラ・ミゲルから、船旅の誘いをもらったためだった。目指す場所は、北の果て。かつてはソードルセイドとケルベロスが栄華を極めたものの、両国の滅亡と共に、そのおぞましき事実を知らしめるように「死の海」と名付けられた大海の果てである。
 かつてバランにより虚無に落とされたあの海には、もはや誰も寄りつかなくなっていた。いまや世界最北の都市となってしまったローレンディーニを発てば、もうどこにも寄りつく場所はないのだ。資源があるわけでもなく、未知の大陸がある訳でもない。そんな海へ向かおうという誘いは、普通の人ならば酔狂にも思えるだろうが、ライたちにとっては是が非でも同行したい旅だった。
 なぜなら、そこがおそらくソアラとフュミレイが最後にいた場所だからだ。

 長い船旅だった。しかし何一つ苦になることはなかった。
 「それにしてもサザビーがちゃんと王様やるとは思わなかったなぁ。」
 船室でテーブルを囲んでいれば話は尽きない。いまもライ、サザビー、デイルがなけなしのワインを囲んで語り合っていた。
 「あん?俺だってやる時はやるぜ。今では理想の王様さ。」
 この四年で髭面になったサザビーだが、手入れされた髭はあまり彼らしくなかった。顔には以前より小さくなったものの、依然として黒い染みが残っていた。
 「嘘付け、ごり押しで出航を決めたことにみんな辟易としてたじゃねえか。」
 破綻した世界の再生に、人々は有能な指導者を求めた。もとより多民族国家であり、内乱の歴史を持つゴルガでは、各地で王や頭首を名乗る人物が跋扈し、いまや広大な大陸に十以上の独立国家が乱立している。ケルベロスの世界侵略が失敗に終わって以来、法王統制により平穏に保たれていた世界は、バランの破壊により法王の権威が失われたことで、再び不安定な様相を呈していた。
 その中で、今まで表舞台に立つことを毛嫌いしていたサザビーが、かつてよりも遙かにややこしい情勢の故郷に帰り、玉座に座ることを決意したのは驚きだった。だがその理由を聞いて、彼を知るものは皆納得したのだ。
 「ゴチャゴチャ言わないの。こいつはいっつも自分が面倒を背負って、あたしたちのために頑張ってくれてるんだから。」
 フィラがやってきた。手にした皿にはおいしそうな焼き魚。
 「髭だるま〜!」
 「うわっ!」
 と、彼女の足にぶつかりながら、後ろから元気のいい顔が飛び出す。バランスを崩したフィラはあやうく魚を落としそうになっていた。
 「髭だるまの真似!」
 黒髪の少年は頬から顎から海苔をへばりつけて、サザビーの前へと躍り出た。
 「あのな、俺の名前は髭だるまじゃないぞ。」
 「じゃあ、だるま髭?」
 「いや、それも違うな___」
 「こらグラヴィス!危ないでしょうが!」
 わんぱく坊主グラヴィスはフィラとサザビーの息子であるが、広義にはデイルとの子ということになっている。グラヴィス自身も自分の父はデイルと理解している。いずれは明かす日が来るかも知れないが、今はまだ真実を告げるには早すぎる。ゴルガの古代語で「友のために」と名付けられた、その意味を考えられる年齢になってからで十分だろう。
 「ちゃんと王様に挨拶しな。今日はまだご挨拶してないだろ?」
 「フィラ、言葉遣い。」
 「あっ___いや、船の上だとつい___」
 「髭だるまの王様!おはようございます!」
 「おう、おはようさん。でも髭だるまはよそうな。」
 で、誰がグラヴィスに髭だるまという言葉を教えたのかはともかく、いまフィラとデイルはゴルガに住んでいる。正確に言えば、クーザーという都市そのものをゴルガに移したのだ。
 バランとソアラたちとの戦いの舞台となったことで、再建途上だったクーザーは土地ごと消え失せ、海の環境も変わってしまった。フュミレイによってポポトルに移送されたことで、多くの人々が生き残ったが、全員が帰る場所を失ったのだ。
 めくるめく環境の変化は人々を苦しめる。ただでさえ疲労の極致にある彼らを救うためには、衣食住が必要だった。そして一都市分の難民を受け入れられる可能性があるのは、比較的被害が少なく、いまだ王家の威光が残るゴルガしかなかった。
 ましてやサザビーとフィラの関係は広く知られているし、デイル・ゲルナがゴルガの出身であることも今では有名だ。となればゴルガの王が再び表舞台に舞い戻り、因縁浅からぬクーザーの難民を救うというのは、筋書きとして十分だった。
 だからサザビーは、まだ顔の半分近くが黒く染まった状態で、臆することなくゴルガへと戻った。歓迎の声も数多かったが、彼の帰還が新勢力の勃興の引き金となったのは言うまでもない。
 いまデイルとフィラは、ゴルガ王国の港湾都市建設を任されている。労働力はクーザーの難民たちであり、サザビーはこの都市に「クーザー」の名を冠することを許した。そこには、かつての研究所が別の勢力の統治下に入ってしまったジャンルカ・パガニンも籍を置いている。この長い船旅が可能となったのも、彼の開発した最新鋭の高速船舶のおかげなのだ。
 「何か感じる?」
 甲板にはフローラとミロルグが立っていた。黒髪の魔女はゴルガ東部のバドゥルの麓、人の寄りつかない森の中でひっそりと暮らしている。とはいえ、地理的に近いサザビーとフィラは頻繁に彼女の元を訪れているようだ。
 「特に何も。」
 「私も全然___戦いが終わってから時間も経ったしね。」
 フローラは手に魔力を灯してみる。未だに力は健在だが、戦いから遠ざかっている分、感覚が鈍ったように思えた。しかしミロルグはそれを疑いの目で見ている。
 「本当にそうか?」
 「え?」
 「船の進路を決めたのはおまえたちだと聞いた。」
 「ああ___私とライとサザビーでね、指さした方向が偶然ほとんど一緒だったの。」
 「あの二人は虚無とやらが消え始めた地点を見ているという。だからソアラたちがいただろう場所を考える材料がある。だがおまえは全く見ていない。」
 「___」
 「私は感が鈍ったとは思わない。むしろ無意識に二人の存在を感じているのだとしたら、素晴らしいことだ。」
 「___そうだったら、私も嬉しい。」
 気分を煽るミロルグに、フローラは微笑みで答えた。

 船旅は一月以上続いた。北の海は進めば進むほど冷えていく。しかし大気は凍てつく寒さだというのに、海面には氷はなく、魚の姿も少なくなかった。
 「不思議なとこだな。」
 寒さに体を強張らせながらサザビーが言う。髭も煙草も凍り付いているが、今この場所までやってきて、徐々に溶け始めていた。
 実は、ここへと辿り着くまでは氷の海だったのだ。船体に施された削氷対策と、ミロルグの火炎呪文で海路を切り開いてきたほどだ。それがなぜか、より寒いだろうさらなる北の海には氷がなかった。
 「心なしか暖かいよね。」
 「いや、実際に水温が高い。ほら、あそこなんて霞が立ってるだろ?」
 そう言った自分の言葉を反芻しているうちに、フィラはハッとして皆の顔を見渡した。皆も同じような顔をしていた。
 「舵を切れ!あの霞に向かって進むんだ!!」
 フィラは高ぶった様子で、声を上擦らせて叫んだ。
 気付いたのだ。この海のどこかに何らかの熱源があると。そしてそれはきっと、ソアラたちに関係あるのではないかと。その推測は大正解だった。

 深い霞を呪文で蹴散らし、海面に目を凝らしながら進む。
 最初に叫んだのはフローラだった。彼女は海面に色の違う場所を見つけた。黒に近い藍だった海面の一部が、珊瑚礁の海のようなコバルトブルーに変わっていた。近づくに連れ、それは海中から発せられる光のためだと気付いた。
 最初は巨大なエメラルドかと疑ったほどだった。淡い緑の光を放つそれは、宝石のように美しかった。
 「___」
 言葉はいらなかった。誰もがただただ、緑の鉱石、その中を見つめていた。波に視界を歪められても、自ずから発光する鉱石の中に、二人の女が眠っているのが分かった。ミロルグが魔力で小さな防波堤を作り、海面の動きを止めるとそれははっきりと浮かび上がる。
 ソアラとフュミレイ。二人は鉱石の中で、背を付け合わせるようにして、並んでいた。目を閉じ、まるで大呪文のために集中しているかのような顔だった。
 「ママ。」
 母が何を見て、いつもとは違う深刻な顔をしているのか、不安になったグラヴィスがフィラの袖を引く。
 「グラヴィス___おまえも見てご覧。」
 フィラは幼子を抱きかかえる。海の女の息子は、恐れることなく身を乗り出して、海面を覗き込んだ。
 「だぁれ?」
 指さして問いかける。母は目を潤ませ、少し声に詰まりながら、答えた。
 「神様だよ。」
 「神さま?」
 「そう、あたしたちの住む世界を守ってくれている神様。」
 嗚咽してしまいそうなほど、こみ上げるものがあった。二人はおそらく自ら望んでこうしている。緑の鉱石は強いエネルギーを放ち、それが周囲の海を暖め、魚たちに活力を与えている。ライとサザビーが海中に潜って調べると、鉱石は海底まで続き、しかも広く海底に蔓延り、やがて地中に沈み込んでいるようだったという。
 二人はGの莫大な力を、時間を掛けて、世界に返しているのだ。
 帰還から半年後、ライたちはサザビーから、「ミロルグの協力で、ゴルガ東部にて秘密裏に地中深くまで穴を掘ってみたところ、地層の奥、極めて深いところに、淡い緑の流動が確認された」という報せを受けた。それはマグマのように、触れれば体が焼き尽くされるほどのエネルギーであった。
 彼はこれをソアラとフュミレイが世界の再生のために注いでいるエネルギーだと仮設した。それは世界の血液であると。同時に、あらゆる資源になりうるそれは、人の手に委ねるべきではないとも述べた。だから彼は、すぐさま穴を封じた。それがソアラとフュミレイの願いであると、彼だけでなく、ライもフローラも確信していた。

 このころには、ライは二枚目の絵を描き上げていた。
 それは今はここではなく、カルラーンに新設された大聖堂に飾られている。
 いや、祀られていると言った方がいいかもしれない。
 それは二人の女神の絵。
 世界に幸せの光と安らぎの闇をもたらす、光と闇の女神。
 五年振りに復活したローレンディーニ芸術祭に出展され、「魂」のある絵と絶賛された。
 女神の優しさと、それに対する感謝の念が、滲み出ているようだと人々を唸らせた。
 感銘を受けた工芸作家たちが、世界復興の象徴として、彫像を作ることを願い出た。

 「ありがとう、ソアラ。」
 「ありがとう、フュミレイ。」

 いまでは、かつての仲間たちだけではなく、多くの人々がその彫像を飾っている。あるものは家の守り神に、あるものは豊作の願いを込め、あるものは心の拠り所に、そして誰しもが、日々を無事に過ごせることに感謝を込めて、二人の女神に祈る。

 ありがとう___と。



G −the Great of soul−
「第3部 キャスト」

 ソアラ・バイオレット(ソアラ・ホープ)(シェリル・ヴァン・ラウティ)(紫龍)

 ニック・ホープ(百鬼)
 リュカ・ホープ
 ルディー・ホープ

 ライデルアベリア・フレイザー(ライ)
 フローラ・ハイラルド
 サザビー・シルバ(砂座)

 フュミレイ・リドン(冬美)

 棕櫚
 バルバロッサ(風間)

 ジェイローグ(竜神帝)
 レイノラ(黒麒麟)
 ミキャック・レネ・ウィスターナス(小鳥)

 フィラ・ミゲル(ゼルナス)
 デイル・ゲルナ
 ミロルグ・ヴィンスキー
 アモン・ダグ
 ニーサ・フレイザー
 草光晴
 草小夏(美濃小夏)
 テディ・パレスタイン
 ヤン・シェンバーフィールド
 ジョン・テイラー
 アーサー・コリンズ
 ギルバート・ホーン
 ジェイミー・アンズワース
 アレックス・フレイザー(ジュニア)

 榊
 仙山
 耶雲

 餓門
 天破
 煉
 吏皇
 鉄騎
 赤辰
 春貴

 門司
 唐木
 吉良
 周達
 嵐
 氷室
 瑚陸
 獅堂
 松蔭
 白百合
 海猿
 梓

 潮
 朱雀
 百済丸
 雷電
 玄武
 半蔵
 黒閃
 馬徳
 大蹄
 朱魅丸

 涼妃
 茶坊
 児玉
 梗

 鴉烙
 鵺
 甲賀
 皇蚕
 北斗

 迅
 多々羅
 幻夢
 頭知坊
 性骨(輪廻)
 空雪
 丹下山

 竜樹

 水虎
 寧々(ネメシス・ヴァン・ラウティ)
 玄道

 トーザス・フレア・ランドワール
 ロザリオ・クレイ・ベルハース
 ダイアン・シス・エンデルバイン
 グライティエンルン
 ソルオール・グリン・バーフェルヘイツ
 ラゼレイ・ダニス・フォルクワイア
 フォルティナ・シュシュ・フォルクファイア
 ターブラン・ジグ・オドッティ
 バルハラ・サハ・マガジェアン

 バラン

 バルカン
 フェリル(フェイ・アリエル)

 オコン
 ジェネリ
 リシス
 リーゼ
 オルローヌ
 セラ
 ロゼオン
 キュルイラ
 ビガロス
 エコリオット
 ムンゾ

 ジバン
 ゼンガー
 エルハーレ
 ウルヒラ
 ザノゥ
 ウィアロージェ

 ルグシュ
 ウルティバン
 ゼッド
 ウリゴス
 ヴァルビガン
 ロイ・ロジェン・アイアンリッチ
 ギギ・エスティナール

 セティ・ウィル・クラッセン
 ベル・エナ・レッシイ
 エレク
 ゼレンガ

 アレックス・フレイザー(シニア)
 シャツキフ・リドン
 ドルゲルド・メドッソ
 セルチック・ロドニー
 フェイロウ
 ジャルコ
 メリウステス
 グルー
 ラング
 ライディア

 テイシャール・ラグナ・ドルヴェーサ
 ザキエル
 カルコーダ
 ボルゴダ
 フェイザー
 ボルクス
 グイード

 カレン・ゼルセーナ
 ガッザス
 ディメード
 クレーヌ
 グレイン

 ダギュール(夜行)

 アヌビス(牙丸)

 G


 第3部 神々の遺志 −完−


(C)丸太坊 (2010完結)




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