第9章 迷う事なかれ

 「気が高ぶってくるな。」
 小さな部屋の小さな窓を覗き見て、ソアラは一つ唾を飲んだ。壁に手を触れれば、歓声が震動となって指先から全身を駆け抜けた。
 彼女は今、観客席の下にいる。しかも最前列の。いや、彼女に限らず六十四の戦士が全員そうしているのだ。円い闘技場、円い武舞台、円い観客席。舞台と観客席の間にはいくらか隙間が作られ、また観客席は舞台より高い位置にあるが、その円の中心は舞台の中心と同じである。そして観客席の最前列の下には六十四の扉が作られ、それを開けば六十四の部屋となる。つまり、戦士たちも舞台を中心とした円周の中にあり、対戦相手は互いの真正面の扉の向こうにいる。扉には小さな窓がついているが、内側からは透けて見えるのに、外側からは黒く潰れて何も見えない。だが相手の気配、鋭敏な殺気は感じることができるだろう。
 (___あたしは四の山だから出番は当分先ね。)
 そんなことを考えて、ソアラは気持ちを落ち着かせるように石のベッドに転がった。部屋は小さいが、飾り気のない石のベッド、粗末な毛布、木製の椅子、水瓶がある。部屋の出入りは自由だが、入り口の扉はいまだ身体に刻みつけられたままの番号に反応する仕掛けになっており、別人は入ることができない。
 「うおおおお!」
 壱の山の戦いが始まるのだろう。大歓声が轟くと、ソアラは眉をひそめて体を起こした。
 (このベッド___震動が伝わり過ぎよ。)
 どうやら大会が盛り上がっているうちは仮眠も取れそうにない。
 「___まずはかつての覇王水虎に仕えていたという俊英、玄道!」
 予選で聞き慣れた帰蝶の声が届くと、ソアラは扉の小窓へと近寄った。
 (父さんの部下___どんな人かな?)
 真実を悟って以来、ソアラが誰よりも興味を持っている妖魔は水虎である。彼女はこの戦いの中で、父水虎のことをもっと知ることができればと思っていた。だからその配下だったという玄道をじっくり見るつもりでいた。
 「続いて、謎めいた風貌ですがで見事に予選を突破した耶北!」
 が、続いて現れた耶北に不覚にも視線を奪われてしまう。
 「___え。」
 耶北はなにやら狐の面を被ったへんてこな男だった。しかし大柄な体格、本物の犬耳、犬の尾、その白い毛を見てソアラは小さなため息をついた。
 「なにやってんのよ、あいつ。」
 そして理解した。棕櫚が耶北にだけは勝ち上がって欲しくないと言った意味を。そりゃそうだ、確かに白廟泉のことが気になるのだろうが、界門建設の折から朱幻城に居を移して榊の守護役になった男が何をしているのか。これでは立場を弁えて大会と距離を置いていた榊の配慮が台無しになりかねない。
 (それにしても___もうちょっとマシな名前考えられなかったのかしら。)
 耶雲の耶に北斗の北をくっつけただけだなんて___ねぇ。




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