3 六十四人の激突!
「ただいま。」
広い界門の中でも、かなり外れた町並みの一角にある宿、ではなく空き家にミキャックとサザビーが帰ってきた。宿探しに手こずっていたソアラたちであったが、実のところこれだけ賑わっている界門も、闘技場からも繁華街からも遠い町並みにはまだ空き家がある。そこでその中の一軒を拝借したというわけだ。
「あ、おかえり。その様子だと勝ち残ったみたいね。」
出迎えたソアラはどうやらルディーの髪を洗い終えたところだったようで、水瓶を手にしていた。
「いや、たまたまバルバロッサが同じ組でな、あいつと協力して楽勝よ。」
そう言ってサザビーはニヤリと笑う。
「協力って、すごく嫌がられてたじゃない。」
「フフ、何となく分かるわ。」
「ところでライさんは大丈夫?」
「ああ、もうピンピンしてるわよ。あれ?そういえば棕櫚は?」
「一応最後まで予選を見ていくとさ。」
一方その頃___
(う〜ん、今私が見ている人のことを果たしてソアラさんたちに話すべきか。それが問題ですね。)
当の棕櫚は悩んでいた。というのも予選第六組、時折画面に映るのは銀髪隻眼のあの人物なのだ。
「あの野郎、すんげえ手抜きしてやがるな。」
一方の竜樹は手の内を見せずに戦っている冬美の省エネ戦法に、少々苛ついているようである。結局冬美はさしたる苦労もないまま勝ち残りを決めた。一番苦労したことと言えば、できるだけ目立たないように勝つというテーマの遂行くらいだろう。
(ソアラたちは帰ったようだし___)
と、少し安堵していた冬美だったが___
「うっ___」
石のステージから元いた場所へ戻る途中、こちらに向かって笑顔で手を振る棕櫚の姿を見つけ、彼女は閉口した。
「お久しぶりです。」
「何か用か?」
結局、石畳の待機場に戻ってきたところで棕櫚に出迎えられてしまった。
「ソアラさんたちにあなたのことを話してもいいですか?」
「やめてくれ。」
「すぐに気づかれますよ。」
「会いたくないんだ。頼む。」
一瞬だけ足を止め、短いやりとりを経て冬美は竜樹の待つ場所へと去っていく。棕櫚はその後ろ姿を見送って、小さな笑みを覗かせていた。
それからも予選は順調に進む。すべての戦いが終わる頃には半夜が経過しようとしていたが、闘技場は熱気に包まれたままだった。
「___」
闘技場には階段状の一般席のほかに、壁で区切られた個室の席がいくつも設置してある。アヌビスの配慮なのか何なのか、頼みもしないのに席を確保してあるといって案内されたレイノラは、予選最終組の戦いを見ていた。
「何しにきた。」
唐突に、彼女はつぶやく。先ほどまでフローラが座っていた席に、音もなく別の気配が現れた。
「驚かせようと思って時を止めてきたのに、あっさりしてるな。」
未だに青年の姿のアヌビスだった。茶化すような彼の言葉に、レイノラは無表情のままでいた。
「まずは礼を言いたい。ソアラたちをずいぶん鍛えてくれたな。おかげで個人的にはこの大会の楽しみが倍増したよ。」
「___その余裕が鼻につく。」
「いやどうかな、ソアラだけじゃない、ほかの連中も力を隠して戦っている。それにあのガキ二人___俺もうかうかしてられないな。」
リュかとルディーに思いを向けたそのときだけ、貧弱な牙丸の容姿の奥で、一瞬だけ強い殺気が垣間見えた気がした。
「それにしても残念だ。今のところ白廟泉が反応するような力を持つ妖魔はいない。白童子の末裔でも出てくればと思っていたんだがな。」
「___」
一人で喋っているアヌビスを尻目に、レイノラは立ち上がった。
「どこに行くんだ?」
「帰る。」
「何だよ、つれねえな。一緒に一杯飲もうかと思ってたんだぜ。」
そう言ってアヌビスは酒瓶と二つの杯を見せる。レイノラは立ち止まって振り返ると、小さく微笑んだ。
「一人で飲んでれば?」
そして全く意に介する様子もなく、個室席から出て行った。
バリンッ!
その直後、アヌビスの手の中で酒瓶が粉々に砕け散る。
「フフ、怖い怖い。」
アヌビスは飛び散った酒の臭いとレイノラの残り香を味わいながら、不敵に笑う。酒の水たまりは彼が一念を込めると、すぐに跡形も無く消え去っていった。
予選の熱が冷めやらぬうちに、界門はさらなる熱気へと導かれていく。予選終了後すぐに闘技場では本戦へと勝ち進んだ六十三名に餓門を加え、勝ち抜き戦の組み合わせ抽選会が始まったのである。本戦の開始は予選終了から一夜後であるが、早々に組み合わせを決めてしまうことで大会からの興味を削がないようにするアヌビスの知恵だった。
「そろそろ発表するみたいですから、対戦表をもらってきますよ。」
「棕櫚よろしく〜。」
この戦いで優勝するとかそんな目標はないが、ソアラたちも次に戦う相手が誰かというのは気になるところ。たとえばあの竜樹だったり、おそらく勝ち残っているだろうアヌビスの部下だったり、あるいは身内同士で戦う可能性だってあるわけだ。もちろんそれ以外にも、戦いの中で白廟泉が反応しうる力を秘めた妖魔を見つければ、その人物をアヌビスの手から守らねばならない。さらにライとフローラにしてみれば、アヌビスの配下からアレックスの影を追うという思いもある。
「戻りました。」
「あ、おかえり。」
やがて棕櫚が帰ってきた。笑顔で出迎えたソアラだが、棕櫚がこちらを見てにやりと笑ったので首を傾げた。
「ソアラさんご愁傷様です。」
「は?どういうこと?」
悪い予感。ソアラは頬を引きつらせて、組み合わせ表を受け取った。
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黄泉覇王決定戦本戦 対戦表
壱の山
一 玄道 対 耶北
二 鶉 対 堅灼
三 地枯坊 対 斗露
四 静 対 霞峰
五 雷蔵 対 夜叉炎
六 草孫 対 狐狸
七 漢蛭 対 梅杏
八 裡 対 剛倶
弐の山
一 竜光 対 朱魅丸
二 骸 対 風間
三 岨鉄 対 大土門
四 安侍 対 日輪
五 柊 対 炬断
六 紗亜 対 聖良
七 竜花 対 紅蓮
八 麗濡 対 砂座
参の山
一 百鬼 対 巌山
二 藍火 対 黒閃
三 暫拍兎 対 石瑚
四 吏皇 対 吹雪
五 太鼓 対 凡
六 七対 対 役丸
七 花燐 対 播真王
八 冥土 対 美希
四の山
一 餓門 対 由羅
二 唐啄 対 酔亀
三 庵 対 銀獅子
四 大蹄 対 妖牽
五 烈火 対 瑠璃
六 秦冨波 対 内越
七 虫角 対 織
八 竜樹 対 坐呉将
二回戦 甲 一の勝者 対 二の勝者
乙 三の勝者 対 四の勝者
丙 五の勝者 対 六の勝者
丁 七の勝者 対 八の勝者
三回戦 甲の勝者 対 乙の勝者
丙の勝者 対 丁の勝者
四回戦 三回戦の勝者同士
準決勝 壱の山の勝者 対 弐の山の勝者
参の山の勝者 対 四の山の勝者
決勝 準決勝の勝者同士
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「何であたしがいきなり餓門と戦わなきゃならないのよ〜!」
借家の一角にある畳敷きの部屋はソアラたち家族で使っている。対戦表を手に部屋へと戻るなり、ソアラは頭を抱えて畳の上を転がっていた。
「大蹄と酔亀って妖魔はあたしたちの組の勝ち残りだよ。この二人も結構強いんじゃないかな?」
「はいはい、そうよね___」
励ましにも何にもなっていないルディーの言葉に、ソアラは突っ伏した顔も上げずに生返事をする。
「お母さん頑張れ!」
「うぎ。」
覇気のない母にハッパをかけようとしてか、突然リュカが背中に乗っかり、ソアラは小さく呻いて顔を上げた。
「何沈んでるんだよ、どうせだったら強いやつと戦って力を試した方がいいだろ?」
「それは分かってるし、確かにいい機会だと思うんだけど___リュカ〜、重いからどいて。」
「元気出た?」
「うん、ありがとね。」
リュカと笑顔を交わし、ソアラは体を起こして畳に安座した。
「な〜んかそれ見てると、アヌビスに遊ばれてる気がして腹が立ってくるのよね。」
抽選役は予選の抽選も担当した猫娘の翠。予選でも気まぐれで抽選用のガラス玉を枠から弾き出したりした彼女だが、どうにもアヌビスの作為を疑わずにはいられない。この大会は餓門の主催でありながら、実際はアヌビスの掌の上で行われているのだから。
「さて、今夜からはいよいよ本戦が始まりますね。」
予選の疲れをじっくりと癒した後、簡単な食事を終えてから皆は借家の大広間へと集まっていた。黒麒麟が上座に御し、その横には棕櫚が立つ。皆は殿の前に居並ぶ家臣がごとく、畳の上に座していた。
「というわけで俺と黒麒麟さん、それから途中までは風香さんも一緒にじっくりと他の妖魔の戦いを観察してきましたから、簡単に勉強会をしたいと思います。竜光くんと竜花ちゃんもしっかり聞いていてくださいね。」
「はーい。」
リュカの元気の良い声が広間に良く響いた。
「だがよ、いまいち目標がはっきりしねえんだよな。戦ったにしたって、それがアヌビスを喜ばせる結果になる可能性だってあるんだろ?」
不真面目な生徒は教室でも一番後ろや窓際を好むもの。部屋の隅で開け放たれた障子の向こうに煙管の先を延ばし、サザビーは気怠そうに言った。
「おまえたちにアヌビスを倒す力があるのか、そして奴が黄泉の裏側へと赴く道を絶つことができるのか、それを見極める戦いになる。目標が必要というならばそれはこの戦いに加わっているアヌビスの配下を一人でも多く倒すことであり、白廟泉を開く能力を持った妖魔が現れた時にその人物をアヌビスから守ることだ。」
「アヌビスの手下を倒すってのは賛成だ。一対一でやれる状況の方が戦いやすいしな。だが後の話、そんな妖魔がいるかどうかも分からないんだぜ?」
相手が竜神帝と双璧を成す神であると知りながら、こうも大胆でいられるのだからサザビーも大したもの。とはいえレイノラはむしろこのやりとりを楽しんでいるかのようでもあった。
「いるのだろう。手応えがあるからこそ奴はこの大会を開いた。私たちにできることはたとえ小さな可能性であっても、アヌビスの思い通りにならないよう努力することよ。」
「まあさ、とにかく俺たちは一試合一試合しっかり戦って自分たちの強さを確かめればいいってことだ。そうだろ?」
まどろっこしい理屈には目もくれず、結論を急ぎたがるのはいつも百鬼だ。そして大概の場合、ライもうんうんと大きく頷くのである。二人の単細胞は昔からのこと。
「なんだかこういうやりとり見てると、らしくなってきたって感じね。」
「フフ、そうかも。」
ソアラとフローラは楽しそうな顔でそんなことを囁き合っていた。
「はいはい、とにかく皆さんが戦いに挑むのは確かなんですから、心構えはどうあれ敵を知ることは重要です。何しろ相手は殺す気で来ますから、決して油断はしないようにしてください。」
手を叩いて雑談を制し、棕櫚は真剣な顔で続ける。木製の衣装かけに巻物を括り付けて勢い良く開くと、そこには大書きにされた対戦表が現れた。
「本戦は壱の山から順番に始まります。」
壱の山
一 玄道 対 耶北
二 鶉 対 堅灼
三 地枯坊 対 斗露
四 静 対 霞峰
五 雷蔵 対 夜叉炎
六 草孫 対 狐狸
七 漢蛭 対 梅杏
八 裡 対 剛倶
「見ての通り、壱の山は俺たちに無関係ですね。ただアヌビスの配下が紛れている可能性はありますし、堅灼(けんしゃく)、雷蔵(らいぞう)、夜叉炎(やしゃえん)、梅杏(ばいあん)らは知られた実力者です。勝ち抜けるのはこのあたりでしょうかね。対策を考えるのは対戦することになったらで十分でしょう。まあ耶北(やほく)が勝ち上がらないことを祈るのみです。」
棕櫚がほくそ笑んだのを見て、ソアラは首を傾げる。
「知り合い?」
「そんなとこですかね。」
いたずらっぽい棕櫚の笑みを見る限り、因縁の相手とかそういった類ではなさそうだ。
「さあ次は弐の山です。ここは初戦から大事ですよ。」
弐の山
一 竜光 対 朱魅丸
二 骸 対 風間
三 岨鉄 対 大土門
四 安侍 対 日輪
五 柊 対 炬断
六 紗亜 対 聖良
七 竜花 対 紅蓮
八 麗濡 対 砂座
「なんと皆さんの先陣を切るのは竜光くんです。」
「は〜い!」
元気の良さは誰にも負けないリュカ。何でも一番というのは嬉しいものなのか、いかにもウキウキした顔で手を挙げた。
「相手は何者なの?」
一方でソアラは真剣な表情を崩さない。我が子のこととなると自分のこと以上に一生懸命になるのは親の性である。ただその思いは概して子供にはあまり伝わらなかったりする。
「朱魅丸(しゅみまる)は予選ではほとんど目立つ場面がなく、逃げ続けて残ったような印象ですね。それだけに能力も定かではありませんし、アヌビスの配下の可能性もありますが、手強い相手ではないと思っています。」
「僕の方が強い?」
リュカの正直な問いかけに棕櫚はニッコリと微笑む。いくらか背も伸びた少年は無邪気に喜んでいたが、ソアラは終始浮かない顔のまま。百鬼に軽く背中を叩かれて、ようやく複雑な笑みを見せるのが精一杯である。
「もし竜光くんが勝てば、おそらく次の対戦相手は皆さんが良く知るあの男です。」
「バルバロッサか。」
風間と言う名にあまりピンと来ていなかった面々を後目に、サザビーが呟いた。
「バルバロッサ___そうか、風間ってそうよね。でも得体の知れない相手よりは安心できるわ。」
「バルバロッサさんにも勝つぞーっ!」
「無理無理。」
気合い高らかに拳を突き上げたリュカだったが、さすがにそこは皆に否定されてしまった。
「竜光くんに続いては竜花ちゃんの出番ですね。」
「相手はどういう奴だ?」
百鬼の問いかけに棕櫚は少しだけ首を捻った。
「実のところ知りません。ただ番号を照らし合わせてみると、この紅蓮(ぐれん)、それから次の砂座さんの相手の麗濡(れいぬ)、参の山の百鬼さんの相手の巌山(がんざん)、同じく美希さんの相手の冥土(めいど)は、予選第二組で揃って勝ち残ったあの四人です。」
「それってもしかして___」
「おそらくはアヌビスの手の者だろう。」
訝しげに呟いたソアラの声に、レイノラが重ねた。ささやかな緊張と共に、ソアラは一度唾を飲み込む。よりによってアヌビスの配下と最初に戦うのがルディーとは___
「あいつってつくづくだわ。やっぱりこの対戦表もアヌビスの演出ってことじゃない。」
「かもしれませんね。」
とすると予選で竜樹と同じ組にされたことも演出の一つだろうか?ソアラの疑念は募るばかりである。一方、親の心子知らずはここでも同じ。
「いいじゃん。力試しにちょうど良いよ。」
「おまえは言うことまで母さんに似てきたな___」
最近妙に落ち着いてきたルディーはいやに自信満々で、リュカ以上にソアラと百鬼をやきもきさせるのだった。一方同じく二の山でアヌビスの手先と戦うことになったサザビーは___
「麗濡って音からして、俺の相手はあの四人組の中の色っぽい女か?」
「多分。」
「よしっ。」
この調子である。
参の山
一 百鬼 対 巌山
二 藍火 対 黒閃
三 暫拍兎 対 石瑚
四 吏皇 対 吹雪
五 太鼓 対 凡
六 七対 対 役丸
七 花燐 対 播真王
八 冥土 対 美希
「参の山ではまず百鬼さんがアヌビスの手先と思われる巌山と対戦します。」
「あの四人って確か男三人の女一人だったよな。どいつだ?」
「おそらくがっしりした体格の男ではないかと思います。ただいずれにせよこの四人はほとんど手の内を見せていないでしょうから、予選での戦いはあまり参考にできませんね。」
百鬼は納得した様子で何度か頷く。
「あなたは相手のことなんて聞いたって気にしないでしょ。」
「そんなことねえぞ。」
「嘘ばっかり。」
ニヤリと笑うソアラの横で、ルディーも同じように笑っていた。
「あんたもよ。相手のことなんて聞いたって覚えてないんだから。」
「そんなことないよっ!」
ただし茶化す相手はリュカ。こういうやりとりを見るほどに、周りの皆は血の成せる技を実感してみたりして。
「この山では美希さんも冥土との対戦がありますね。」
「望むところよ。妖魔より戦い甲斐があるからね。」
そういって小さく拳を握るミキャックの姿が頼もしい。おそらくは自分のことで精一杯になるだろうルディーと、元々気の利くタイプではない百鬼、大会そのものに今ひとつやる気がないサザビー、この三人では相手の実力を推し量れるかどうか難しい___と、口に出しはしないもののソアラは考えていた。
「他で気になる人は?」
戦いには参加できないが、ライは好奇心旺盛に尋ねた。
「煉の後を受けて東楼城の主となった吏皇でしょうか。もっとも、簡単に勝てる相手ではないと思いますけどね。」
吏皇は鵺の身元引受人でもあり、水虎との関係も含め縁のある人物。
「吹雪って人が強いってこと?」
「ええ。俺の知る限りではかなりの強者ですよ。」
棕櫚は笑みを称えたままソアラと百鬼を一瞥する。その意味するところは戦いの時が来れば分かるだろう。
「もう一人気になるのは花燐(かりん)です。」
「女か?」
「はい。この人物はアヌビスの配下だと思われます。」
「あの顔は冥府で見た。」
レイノラが言うのであれば間違いはなかろう。
「ミキャック、一気に二人抜きよろしくね。」
「頑張るよ。」
「俺も抜いて欲しいな〜。」
「___サザビーちょっとこっちへ。」
ドガッ!バキッ!
「さあ、棕櫚くん進めて。」
些細なアクシデントはあったものの、次はいよいよ第4組。
四の山
一 餓門 対 由羅
二 唐啄 対 酔亀
三 庵 対 銀獅子
四 大蹄 対 妖牽
五 烈火 対 瑠璃
六 秦冨波 対 越角
七 虫角 対 織
八 竜樹 対 坐呉将
「え〜と、この山に関しては由羅さん頑張ってくださいの一言に尽きますね。」
「なによそれ。」
皆の失笑に晒され、一人で頬を膨らませるソアラ。
「餓門は言うまでもありませんが、並の妖魔ではありません。確かに頭が弱くて単細胞ですが、それだけの付け入る隙があっても容易な相手ではない。はっきり言いますが、地界で八柱神になったフォンは、妖魔としてはそこそこでしかありません。おそらく八柱神の中でも弱い方だったのでしょうが、餓門と比較すれば赤子の手を捻るような存在です。それだけ餓門は強いですし、覇王水虎の片腕であった事実は伊達じゃないですよ。」
「畳みかけるわね___」
餓門の存在を強調するばかりの棕櫚にやや辟易としながら、ソアラは苦笑した。
「ただ由羅さんなら勝てるかもしれませんね。あの当時だって、竜の使いの力を示せばフォンなんてあなたの相手じゃなかったでしょうし。」
「まあやるだけやってみるわよ。餓門だろうと何だろうと、ここで負けてるようじゃアヌビスは倒せないんだから。」
「そうそう。戦う前から勝てないって思ってるようじゃ駄目だぜ。」
「まね。それに約束を守りたいってのもあるのよ。そうしないとこの子にまた付きまとわれそうだから。」
そういってソアラは竜樹の名を指さした。
「誰なんだい?」
「予選でおまえに絡んでたあいつか。」
ライの素朴な問いかけに、サザビーが煙草の煙を吐き出しながら続けた。
「金城の戦いでやり合って以来、なんだか目の敵にされてるのよね。あ、そうそう、この子の刀あなたと同じ名前だったわよ。」
「そうなのか?いや〜そりゃまた偶然。」
「?」
なんだか白々しい百鬼の笑顔に、女の直感で不自然さを覚えたソアラであったが、さすがに二人の接点までは疑わなかった。
「竜樹___ああ、凛様はご存じですよね。」
ふとミキャックが思い出した様子で手を叩く。竜樹と直接会話したことはないものの、彼女が冬美と共にレイノラの救出に協力してくれた人物であることを思い出したのだ。
「アヌビスが新たな八柱神として天界の戦いに抜擢した妖魔の一人よ。」
「ということはこいつもアヌビスの配下ってことか。」
サザビーの言う通り、そう考えるのは極当然のことである。しかしレイノラは首を横に振った。
「いや、そうとは限らない。もとよりこの娘はアヌビスに心服して手を貸した口ではないからな。冬美のようにすでに奴の手から放れているのではないかと思う。」
「冬美___それってフュミレイですよね。」
その名を聞くとソアラの顔にはいささかの苦渋が走る。この七十夜の間、レイノラやミキャックにフュミレイのことを尋ねることもできたが、ソアラはあえてそれをしなかった。それは百鬼にしても同じこと。もっとも彼の立場では、妻子がいる前で昔の女の話に花咲かすなんてことは出来なかっただろう。
「フュミレイはなんで私たちのことを避けるんです?」
「さあ?私の知るところではない。」
ソアラは天界での彼女との再会にショックを受けていた。思えばこの旅路はフュミレイが生きているかもしれないという期待感から始まったものだ。それだけに彼女が天界で敵として現れ、なおかつ冷淡な振る舞いと共に去っていったことがソアラにとっては辛かった。
「俺たちに関わってたら厄介ごとばかりだ。避けて当然だろ。」
「アヌビスに睨まれているんじゃないかしら?ほら、フェイロウに命を握られていたあの時みたいに___」
現実的なサザビーと優しいフローラが口々に言うが、ソアラは苦心の表情を崩さなかった。そして___
「参加してないの?」
棕櫚を見つめて問いかけた。冬美に釘を差されていた棕櫚だが、顔色一つ変えずににこりと笑う。
「___していると思っているのでしょう。」
「この街にいるとは思ってるわ。」
感覚的なことだ。だがソアラはなぜだかそう確信していた。
「会えるといいですね。」
「戦えるといいわ。」
「おいおい。」
その言葉に百鬼が驚いた顔をする。
「女のやり方じゃないけど___なんていうかお互いに胸のつかえが無くなるまでケンカしたいときもあるじゃない。」
おそらくソアラはこの界門にやってきてから、ずっとフュミレイの存在を感じている。きっと向こうもそうだろうと思ったから、互いに意識しながらなんだか避け合っている今の状況に酷く焦れったいものを感じていた。
「___そうなると良いですね。」
「!」
棕櫚の答えは一つの可能性を示すもの。ソアラは力強い笑みを見せて頷いた。
黄泉の闇に鮮やかな彩りが灯る。骨身を揺さぶるような豪快な音と共に、花火が空を色とりどりに染めていく。これから始まる六十四人の激突を前にして、界門全体にただならぬ雰囲気が広がっていた。それまで商売本意で大会そのものに無関心だった人々も、予選で敗北して自信喪失気味な者たちも、花火の輝きに誘われるようにして黄泉の行方を決める戦いから目を逸らせなくなる。
「ただ賢しいだけで覇王になれるのか!?そんなことはねえ!これからは一対一の真っ向勝負だ!本当に強い奴だけが勝ち残るんだ!」
珍しく流暢だった餓門の宣誓で、会場は異様な熱気に包まれた。蟻の入る隙間もないかと言うほど超満員の観客席の中心に、無味乾燥な石のステージ。しかし戦いが始まれば、そこは戦乱の絵巻にも劣らない大活劇の舞台となるだろう。
さあ!黄泉の覇王決定戦、本戦へ!
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