1 鮮烈デビュー?

 「___はっ。」
 微睡みの中、耶雲は目覚めた。と、目の前にはニッコリと微笑む棕櫚の顔が。
 「よ、よう。」
 まだ少しぼんやりとした意識の中、耶雲は棕櫚に引きつった笑みを返す。棕櫚の微笑みが面のようにピクリとも動かなくて、ゾッとする思いだった。
 「なにしてるんです?」
 「いやなにって___」
 「なんのために榊と仙山が朱幻城に籠もってると思っているんです?」
 「あ〜それはだなぁ___」
 「自分の立場を弁えるだけじゃありません、新しい覇王にも差し障りなくその存在を認めさせるためです。彼女の将来を踏みにじる気ですか?」
 「でもよぉ、白廟泉は俺の___いや、北斗の宝だ。こっちだって放っておけなかったんだよ。」
 基本的な人格は耶雲のままだ。しかし彼には時折北斗の本能が覗くときがある。白廟泉を守るというのは北斗が何よりも優先していた事柄。だからこそ耶雲も体の疼きを止められなかったのだろう。
 「まあお面がはずれなかったのは幸いでしたが、しばらく朱幻城に戻らないようにしてください。」
 「え〜。」
 「え〜、じゃない。」
 覇王決定戦本戦の初戦は何とも言えない陳腐な結果に終わった。戦いの途中でお面のずれた耶雲があたふたしている間に、玄道の連撃を受けてノックアウトである。せっかく盛り上がっていた観衆も興ざめの様子だったが、おかげで耶北の存在も忘れ去られそうなのは幸いだった。

 さて、こうしている間にも戦いは繰り広げられていく。しかし壱の山に関しては、さほどソアラたちの気を引くものではない。妖魔同士の戦いに興味のあった百鬼などは小窓を覗き込んでいたが、大概は暇を持てあましていた。そんな中、一番熱心に窓の向こうを見つめていたのはリュカである。
 「わーっ、すごいなあ。」
 窓の位置が高かったため、リュカは扉の前に椅子を置いてその上に立っていた。戦いの様子に釘付けになり、妖魔の多彩な能力に魅入られて、キラキラと目を輝かせていた。と、その時___
 「おしっこ!」
 夢中になるあまり我慢していたのだが、もう限界。リュカは唐突に椅子から飛び降りて、部屋の外へと駆け出していった。部屋には「それ用」の壺も置いてあったのだが、彼にはそう使う物だという発想がなかったらしい。
 「漏れる漏れる!」
 六十四の部屋の外にはぐるりと一周する廊下があり、そのはずれに便所があるのはソアラから聞かされている。廊下に出るなりリュカは一目散に駆けていった。
 「ふん、本当にただのガキじゃねえですか。」
 「あれをやるんで?」
 「ガキだからやるんじゃえか。観衆の面前で叩きつぶしたら可哀想だからなぁ。」
 「ギヒヒ、違えねえや。」
 その後ろ姿を、危うい視線が見つめていたことなど気づきもしなかった。
 「はぁ〜、すっきりした。」
 父が家で良く言う言葉を真似しつつ、リュカは便所から出てきた。そこへ一人の男が近づいてくる。
 「ちょっともしもし。」
 「え?___僕?」
 リュカはキョロキョロと辺りを見回し、廊下には自分とその男しかいないと知って答えた。男は物腰が柔らかく、いかにも優男という感じで人当たりがよい。
 「そう、きみきみ。」
 「何ですか?」
 両親だけでなく、アウラールやミロルグという家庭教師もいたリュカのこと。見知らぬ大人相手でも戸惑うことなく、それなりの礼儀正しさも身につけている。濡れた手を頻りにズボンで拭いていたのは減点だが。
 「君の予選での戦いを見てお兄さんとても感激したんだ。それで、君には是非頑張って勝ち上がって欲しいと思ってる。それでね、君に必殺技を教えてあげたいんだ。」
 「必殺技!?」
 男児というのはこの手の響きに弱いもの。リュカのように純真無垢なら尚更である。

 「必殺技〜必殺技〜!」
 すっかり上機嫌なリュカを引き連れて、優男は闘技場の廊下を進む。無論、この男こそリュカの対戦相手、朱魅丸だ。逃げ戦法で予選を乗り切った彼は、本戦でも姑息な手段を画策していた。
 「さあこっちだ。」
 下調べは入念に。朱魅丸は闘技場の中にいくつか修練場が作られているのを知っていた。おそらく当初のアヌビスの考えで作られたのが、使うあてのないまま放置されたものである。例えば、本戦進出者の暇つぶしにと用意したのかもしれないが、他の目がある中での鍛錬は妖魔の趣味ではないし、折角の戦いが客のいないところで行われては勿体ない___とか。
 ともかく、リュカはそんな見たこともない広々とした部屋に連れてこられても、全く臆するどころか疑う素振りすら見せず、満面の笑みでいた。部屋の中には数本の蝋燭が立てられ、さらに二人の男が待っている。
 「あのお兄さんたちも一緒に教えてくれるからね。」
 「よろしくお願いします!」
 あまりにも馬鹿正直なリュカの姿がおかしくて、朱魅丸は内心吹き出しそうになっていた。それでも優男の顔を保ったまま、密かに修練場の扉に掛け金を下ろす。
 「さあ、そうしたら君は向こうに立って。」
 リュカを部屋の入り口から遠い場所へと向かわせ、自らは二人の男のそばに。改めて物怖じしないが猜疑心も皆無な少年と向かい合い、朱魅丸はニヤリと笑った。
 「まず必殺技を教える前に、君がその技をできるだけの力があるかを試したい。そこで、僕ら三人と真剣に戦って欲しいんだ。」
 「はいっ!」
 だがここまで堂々とされると朱魅丸にしても調子が狂う。三人を相手にすると言っているのに、リュカはむしろ体の疼きを止められないかのように、肩を弾ませている。
 「いいかい、君も本気だし僕たちも本気だぞ。どっちかが降参するまでの真剣勝負だ。ああそれから、武器は使っちゃ駄目だからそれは外してくれ。」
 「いいよ!」
 リュカは二つ返事で腰の剣を外し、部屋の壁際に立て置いた。軽く飛び跳ねながら元いた位置に戻ると、リュカは両の拳を合わせながら言った。
 「早くやろう!それで必殺技を教えてもらうんだから!」
 「そ、そうかい。」
 いずれにせよリュカがやる気満々なのは朱魅丸にとって好都合だ。子供だからといっても容赦することなく、逃げ腰になられる前に一気に叩きつぶしてしまえばいい。
 「なら行くぞ!」
 仲間二人に目配せし、朱魅丸は言った。しかしそのとき既にリュカは驚くべきスピードで床を蹴っていた。
 「いっ!?」
 ジャンプ一番!呆気にとられていた朱魅丸の顔面に、リュカの両足がめり込んだ。小柄でも勢いのあるドロップキックは、朱魅丸の体を仰向けに回転させる破壊力だった。
 「兄貴!」
 思わず仲間の一人が狼狽する。それでもリュカはお構いなしに、二人のうち大柄な筋肉質の男に向かって飛びかかっていく。
 ガシッ!
 しかし二発目のドロップキックは阻まれた。男は空中でリュカの両足を掴むと、そのまま力に任せて勢いよく抱え上げる。
 「おいたが過ぎるぜ!」
 「わわっ!」
 そして一気に振り下ろした!冷たい石床に叩き付けられることを覚悟しなければならない場面、しかしリュカは咄嗟に男の装束の帯に手をかけていた。
 「なっ!?ぐげっ!」
 帯を鉄棒代わりにして、リュカは逆上がりのように男の股下に滑り込む。天性の感覚で危機を逃れると同時に、偶然とはいえ両腕で敵の股間をいたぶるおまけ付きだった。
 「小僧が!」
 もう一人、やせ形の男の胸が風船のように膨らんだかと思うと、口から猛烈な火炎を吐き出した。しかしリュカは全く慌てることなく広い部屋を駆使して跳ね回り、炎をやり過ごしていく。ここ一年の間、リュカが共に鍛練を重ねてきたのはルディーだ。この程度の炎なら、彼女の呪文の方がよっぽど激しい。
 「っ___こっ、こいつめちょこまかと!」
 やがて男が息切れすると、リュカはすぐさま反撃に転じる。剣は無くとも、両手に纏った朧気な光があれば、彼は十分に戦える!
 「僕だってできるようになったんだから!」
 「なっ、なんだ!?」
 「ウインドビュート!」
 リュカは両手を突き出すと、少年らしい甲高い声で叫んだ。朧気な輝きは一気に激しさを増し、結集した魔力が凝縮された突風を生む!
 「ぐわっ!」
 風は鞭のように撓って男の胸に打ち付けた。痩せた男の体は宙に浮き上がり、修練場の壁際まで弾き飛ばされる。
 「小僧!てめえ風使いか!」
 屈強な男は忌々しげにリュカを睨み付けると、後ろから掴みにかかる。
 「わ、わあ!近寄らないで!」
 それに気づいて振り返ったリュカはなぜだか酷く取り乱した様子で言った。
 「今更怖がったって遅いぜ!」
 そう思うのは当然のこと。しかし彼は、まだリュカの両手が燻るように光を纏っていることに無警戒すぎた。
 「時々こうなっちゃうんだよ!まだうまくできないから___!」
 「あん?」
 何を意味のわからないことを___そう思って首を捻った次の瞬間、男は驚愕のあまり目を見開いた。
 ドンッ!
 リュカの両手の輝きが急激に強まったかと思うと、それは先ほどの呪文以上の目映さで、爆音とともに両手から放たれた。真っ白い魔力の迫撃砲の威力は凄まじく、咄嗟のことに身動きすらとれなかった男の胸元に剔り込むと、その巨体が天井にめり込むまでかち上げて壮絶な輝きとともに爆発したのである。
 「か___へ___」
 閃光に目が眩むんだも束の間、朱魅丸は天井から力なく落ちてきた仲間の巨体を目の当たりにして、顎を震わせていた。隙を見て後ろから斬りつけてやろうと手にしていたリュカの剣も、恐怖のあまりに手が震え、握っていられなかった。
 「うわ〜クラクラする。またやっちゃったよ〜。」
 先ほどまで元気満々だったリュカは、目を回したかのようにふらつくとその場に座り込んでしまう。だが、彼がそんな隙を見せたところで、朱魅丸は戦う気力すら失せてしまっていた。
 大男を圧倒したリュカの攻撃、それは無色の魔力に他ならない。彼は七十夜の鍛錬の間、呪文についても学んできた。父百鬼は魔導の才を持たないが、母はあのソアラであり、なにより双子の姉弟のルディーがあれだけの使い手なのだ。
 「呪文を使わせてみたらどうか?」
 というレイノラの進言で、リュカに魔導の手解きをしたのはフローラだった。生まれたときから双子であってもリュカは百鬼似、ルディーはソアラ似と言われてきた。だから二人ともその気になって、リュカは剣術を、ルディーは魔道を志した。
 果たしてそれが適正だったのか、その逆もできたのではないか___ちょっと教えただけで、リュカが思いのほか簡単に魔力を引き出したから、フローラはそう考えた。
 ただリュカはやはり百鬼に似ている。十二分な魔力は秘めているのだが、器用でないのだ。フローラは幾つかの呪文を教えたが、結局使えるようになったのは先ほどのウインドビュートだけ。大半の場合は、失敗して剥き出しの魔力を放ってしまう。ただ、それは非常に高度なことだ。ソアラやフローラでさえ、アモンの元で修行をしてようやく表に出せるようになったのが無色の魔力。それを早々に引き出してしまった彼の素養にフローラは驚愕したという。
 「呪文の練習は続けてもいいわ。でも必ず私かお母さんが一緒の時にしてね。」
 フローラはリュカに何度もそういった。無色の魔力は、凄まじい破壊力を秘めると同時に、術者を著しく消耗させる。自分の限界を知らない子供だからこそ、過度な魔力の喪失が身を滅ぼすことにもなりかねない。
 リュカはフローラとの約束を破ったことはない(さっきまでは)。しかしウインドビュートの練習中に、彼の意志と関係なく無色の魔力が暴発し、一度は意識を失ったこともあった。それは「低級な呪文に対して投じる魔力の量が多すぎるから」、とフローラは考えている。
 リュカにとって呪文はまさしく諸刃の剣。今も朱魅丸が戦意喪失したからよかったものの、そうでなければ敵の剣を避けることさえできなかっただろう。
 「う〜ん、これから試合なのに〜。お兄さんたちのせいだよ〜。もうお部屋に帰りたいから早く必殺技教えてよ〜。」
 リュカは気怠そうに頭を前後左右に揺り動かして言った。呆然としていた朱魅丸はようやく我に返って、ひとまず額の脂汗をぬぐった。
 「ふ、ふふ、いやぁ心配いらないよ!いま君が一生懸命戦っている間に、いつもより少しだけ速く動けるようにおまじないをかけてあげたから!」
 かなり頬が引きつっていたが、朱魅丸は必死の笑顔で取り繕う。
 「本当!?やった!」
 まったく、相手がひねくれ坊主でなくて良かったこと。
 「お兄さんありがとーっ!」
 先ほどの気怠さから早々に回復したのか、リュカは急に飛び起きると朱魅丸に満面の笑みを振りまいて、修練場から駆けだしていった。ちなみに掛け金は扉に放たれた跳び蹴り一閃で無情にも破壊されている。
 「速い速い〜!」
 遠ざかっていく陽気な声。深い溜息をついた朱魅丸は酷く老けたように見えた。

 「壱の山の第八試合は剛倶選手の勝ち〜!」
 さすがに予選を勝ち抜いた妖魔だけあって、壱の山から白熱した戦いが続いていた。
 (なかなかやるわね___)
 ただ、戦いに掛かる時間はそれほど長くない。なかには自らの能力が看破された時点で勝機を失うような妖魔もいる。今勝ち上がった巨漢の剛倶のように、能力だけでなく戦える肉体を持つ者の方が有利なのは間違いないようだ。ちなみに剛倶の能力は自らの血を操ること。小さな傷口から滴る血を自在に固まらせたり、あるいは弾丸のようにして飛ばしたりするだけでなく、裂傷を瞬時に塞ぐこともできる。
 「さて___」
 ただ、ソアラの心は既にここにあらず。胸の高鳴りを押し殺すようにして、小さな窓から武舞台を睨み付けていた。
 「ではでは、次は二の山です!司会交代して私、翠がお伝えしま〜す!まずは竜光さんの登場です!」
 いよいよだ!リュカの登場を待つ。しかし___
 「あぁっ!み、見づらい!」
 リュカの部屋はソアラの所から時計にして二時ほど左にある。扉が開いて彼が登場するなり会場が奇妙なざわめきに包まれたのだが、肝心のソアラの窓からは良く見えなかった。
 「あら〜!竜光さんはこんなに小さなお子様でした!これは驚きです!」
 リュカが小走りで武舞台に近づくと、ようやくソアラからも彼の姿が見えるようになる。
 (良かった、緊張はしてなさそうね。)
 と、ソアラがホッと胸をなで下ろしたのもつかの間。自分の背丈ほどあろうかという武舞台に飛び乗ろうとしたリュカは、縁につま先を引っかけて派手に転倒してしまった。
 「あちゃ〜。」
 ソアラは思わず目を覆う。格好良く見せようとして失敗したのだろう、リュカはすぐに起きあがってニコニコと照れ笑いをしていた。これを見た会場の雰囲気は___正直なところ冷ややかである。観衆は名の知れた実力者同士の凌ぎ合いに興味があるのであって、子供のお遊戯を見に来たわけではないと言うことなのだろう。
 「続いて対するは朱魅丸さんです!」
 対戦相手はどんな奴か?胸躍らせるリュカだけでなく、不安に苛まれるソアラもまた、固唾を呑んで扉が開くのを待った。しかし___
 「あれ?」
 勢いよく開け放たれた扉。当然ながらそこには誰もいない。まさか妖魔の能力か?と皆が疑って掛かったが、それにしては静かすぎだ。
 「え〜っと、透明になる力か何かですかね?朱魅丸さんいませんか!?十数える間に姿を見せないと失格ですよ〜!」
 司会交代して早々これでは翠も拍子抜けだろう。結局、朱魅丸は姿を現さず、戦わずしてリュカの勝利が決まった。
 「なんということでしょう!竜光くんの勝利!何があったか、朱魅丸さんよもやの敵前逃亡です!これはいけません!」
 それなりの結果を出して有力妖魔に取り入ろうと考えていた朱魅丸。これではむしろ居場所を無くしそうだ。
 「つまんないなぁ。」
 リュカは心底がっかりした様子で、時折未練がましく舞台を振り返りながら自分の部屋に帰っていく。彼の背には皮肉を込めた拍手と失笑が送られていた。
 「ほっ。」
 一方、無風に終わった一回戦に胸をなで下ろすソアラ。今になって、リュカ以上に自分の体が強ばっていたことを知る。とはいえまだルディーがいる。彼女が息を抜いていられるのはほんの僅かな時間でしかないだろう。 
 「良かったね〜、不戦勝だよ。」
 「ソアラが一番ホッとしてるんじゃないかしら。」
 ボックス席ではライとフローラがにこやかにリュカの勝利を喜んでいた。
 「不戦勝か___」
 一方レイノラは小さく含み笑いをして呟く。
 (その割に足が縺れるほど消耗しているのはなぜだろうな?)
 さすがは闇の女神。リュカの身に起こった出来事も全てお見通しのようである。

 「ま、まいった!」
 全身を臙脂色の装束で包んだ男が、舞台の中央で尻餅を付いて叫んだ。その瞬間___
 ヒュッ!
 男の眼前で、漆黒の剣が止まった。危機一髪を体現するかのように、男の顔と剣の間には髪の毛一本ほどの隙間しかなかった。
 「はひ___」
 震えただけでも刃に触れる状況。漆黒の剣が離れるまで、彼の体は石膏で固められたかのようにピクリとも動かなかった。
 「はへ___へへ___」
 顔を隠していた布に切れ目が走る。現れた出っ歯の男は、放心状態のまま仰向けに倒れた。
 「それまで!風間の勝ち!」
 リュカの不戦勝で気勢を殺がれた観衆だったが、バルバロッサの圧倒的な勝利に再び盛り上がりを取り戻す。対峙した骸は分身の術の使い手で、自らの幻影を無数に現したが、バルバロッサの前にあっさりと看破されてしまった。結局、風間ことバルバロッサは赤甲鬼の本領を発揮するまでもなく、易々と勝利したのである。
 「はへ〜。」
 「ほら、しっかりしろ。」
 大会の係員に肩を借りて退場する骸。相手がバルバロッサでなければ勢いのまま唐竹割にされていたことだろう。
 「あ、額から血が!」
 「ぎゃーっ!死ぬーっ!」
 ま、たまには手元が狂うこともあるようだが。

 弐の山の勝負が進んでいく。その中で、日輪という男がアヌビスを喜ばせる事態を巻き起こした。
 「がぁぁ___!」
 「ぎぃぃっ___!」
 日輪の能力は灼熱の光線だった。黄泉では馴染みのないものだが、それは極端に強い日差しに似ている。彼の額にある第三の目から放たれる光の帯は、強烈な輝きとともに水を奪う力を秘めていた。その攻撃は直線的であり、速い。対決した安侍は良く逃げ回ったが、結果として光線は客席へと降り注ぎ、およそ十人があっという間に干からびて死んだ。ただそれは些細なアクシデントでしかない。
 戦いはそれほど長引かなかった。会場は戦慄に包まれたが、それさえ覚悟の上でなければならない。安侍を含めて多数の命が潰えたこのとき、ソアラたちは戦いの厳しさを改めて心に刻み、観衆は自分たちが黄泉の覇王決定戦の立会人であるという自覚を胸に抱き、アヌビスは白廟泉への供物がやってきたことに頬を緩めた。
 そして、戦いは次の局面へ。
 「続いては、竜花さんと紅蓮さんの戦い!まずは竜花さんの登場です!」
 翠のけたたましい声を扉の向こうで聞きながら、石のベッドに座っていたルディーはすくっと立ち上がる。ゆっくりと扉が開き、薄暗い部屋から篝火の目映い武舞台へ一気に視界が開けた。
 「よしっ。」
 魔法使いらしい冷静さを携えて、ルディーは歩き出した。
 「あ〜これまたお子様の登場!今度は可愛い女の子です。あれ?よく見るとさっきの竜光くんに似てますね!」
 翠はそう囃し立てたが、幼子の登場はまたも会場の反感を買う。彼らについては予選でも偶然に勝ち残ったという目でしか見られていないのだ。
 (つ〜ん。)
 しかしルディーは物怖じすることなく、批判的な観衆の声を楽しんでいるかのようだった。小さな体で、はしゃぐこともなく鼻を高くして歩くルディー。その態度こそ、ソアラ譲りの気の強さである。
 「大丈夫かしら___」
 だがそれはそれでやっぱり心配なのが親というもの。
 (あの娘、鼻っ柱強いからいざって時に冷静じゃなくなりそう___)
 そんなことを考えるソアラ。昔の自分がそうだったことを忘れたか?
 「ルディー!頑張れーっ!」
 一方の父。息子ももちろん大事だが、なぜだか娘のこととなると落ち着かない。届かないと分かっていても、小さな部屋の小さな窓に向かって声が涸れるほど叫んでいた。
 (うっさいわね___!)
 隣の部屋にいた麗濡が苛々していようともお構いなしである。
 「さて、対するは紅蓮さんです!」
 続いて、ルディーの対戦相手が現れた。棕櫚の下調べ通り、扉の向こうから出てきたのは予選第弐組で揃って勝ち残った四人の一人。
 (あいつ___やっぱり妖魔じゃなさそうな気がする。)
 ソアラが敏感に気配を感じたその男は、カレン率いるヘルハウンドの一員、グレイン。アヌビスの近衛団と呼ばれる彼らの力が、今明らかになろうとしているのだ。
 (相変わらず浅はかな奴。)
 しかし、ヘルハウンドのリーダーであるカレンは冷然としていた。それはグレインの気配があまりにも露骨だったからだ。
 妖魔の多くは思慮深い。そうでない者にしても、元来能力者である彼らは一瞬の集中力に優れている。今のグレインが醸す気配はあまりにも雑念が多く、散漫。だからこそソアラに彼の気配を「妖魔でない」と感じさせたのである。
 (へへ、まずは確実に仕留めてみんなを出し抜いてやる!)
 当のグレインはそんなことには気付かない。ただ単純に、目の前のチョロい獲物を料理して、その先のハッピーな情景まで思い描いていた。
 彼はそういう男なのだ。
 ___
 前夜のこと。抽選会を前にしてヘルハウンドは一同に集っていた。
 「誰と戦うか、選択の許可が出た。」
 いつものようにクールな面もちで、カレンは居並ぶ面々を見渡した。ヘルハウンドの結成はそう古いことではない。少なくともカレンがライディアと八柱神の座を争い、敗れ、片腕を失い、その苦境から立ち直るチャンスを得てからの話である。
 彼女は魔族として若く、ましてや裏切者ディック・ゼルセーナの子だ。アヌビスの近衛団でありながら、ヘルハウンドが同族に疎ましい目で見られるのはそのためである。
 「連中の力を計るには良い機会だ。ただ、紫は泳がせる。」
 「アヌビス様の命令ね。」
 「無論だ。」
 その中でカレンに従う四人の面々は、いずれも志願してヘルハウンドに加わった。もちろん動機は様々。
 「ならあたしは砂座っていう男にするわ。」
 緩やかにカールした長髪、隙の多い装束、肉感的な唇、耳元に煌めく宝石、何かにつけて艶やかな女はクレーヌ。ハッキリとした二重まぶたが印象的な彼女は、八柱神の座を巡ってカレン、ライディアと切磋琢磨した間柄でもある。ヘルハウンドに加わったのも、親友カレンの助けになるためだ。
 「お!好みの男でも見つけたか?」
 「うるさいわね、予選の後に目が合ったのよ。」
 「向こうもこちらに感づいているということだ。俺は天族の女にしよう。」
 何を語るにも気障に振る舞うディメードは、見るからにナルシスト。それだけの甘いマスクをしているし、長髪をかき上げる癖も目立つが、戦いに関しては汚れ役も厭わない。根は誠実なのに、それ以上に色男の顔を見せるからもてない___とはクレーヌの談である。彼がヘルハウンドに加わったのは、カレンに惚れたからと言われているが果たして。
 「俺は一番力の強そうな奴!こいつだ!」
 筋骨隆々とした逆三角形の体、剛毛な眉、短く刈り揃えた髪、汗くさい顔、ガッザスは外見そのものの豪放磊落な男。あまりにも声が大きいので煙たがられるが、活力に満ちあふれた言動はメンバーの志気を大いに高める。他の面々よりも年上で、ディック・ゼルセーナに世話になった縁からカレンと知り合い、彼女の生き様に共感してヘルハウンド入りした。
 「後はグレインね。」
 「じゃあ___俺はこいつにする。」
 対戦相手を選んだのも最後なら、ヘルハウンド入りしたのも最後。五人の中では年齢も序列も実力も一番下っ端なのがグレイン。小柄で肉体的に目立つところはなく、顔立ちも少し歯が出ている以外は特徴が少ない。個性派が揃うヘルハウンドの中ではむしろ浮いて見えるが、本人はここが自分の居場所だと信じてやまないし、カレンを踏み台にしてのし上がるんだという野心だけは強く持っている。
 「うわっ。本当に?あんた悪趣味だわ。」
 「いいじゃないかよ。まずは小手調べさ。」
 「子供なんか選ばないでもっと強そうな奴にしろ!」
 「ガッザス、口を挟むな。」
 「だがよ___」
 カレンに制されて、ガッザスは不満げに口ごもる。
 「子供と言っても予選を突破した相手だ。弱い奴なんていない。」
 「そりゃそうだけど___ったく、しょうがないわね。カレン、あんたは誰と戦うの?」
 「あたしは誰でもいい。普通に抽選にかけてもらうよ。」
 ___
 確実に手柄を立てる!
 舞台に上がったグレインは、小柄な自分よりも遙かに小さい少女を見て、ニヤリと笑う。
 (変態?)
 それが色目に見えたルディーが怪訝な顔をしているとも知らずに。
 「それでは!試合開始!」
 二人が舞台に上がるやいなや、翠の声とともに銅鑼の音が響き渡る。どう料理してやろうか?と余裕を見せていたグレインだったが___
 ビギギッ!
 「え!?」
 迸った冷気が一瞬にしてグレインの足を凍り付けにした。慄然とした次の瞬間には、少女の奇声が耳を劈く。
 「はあああっ!」
 「!?」
 顔を上げると、ルディーはお臍が見えるほど仰け反って跳躍していた。
 「ディオプラド!」
 ドゴオオオッ!
 壮絶な爆発が巻き起こる。それはグレインを驚かせただけでなく、彼女を軽視していた観衆の度肝を抜く、ど派手な攻撃だった。
 「!」
 しかし爆煙はすぐさま激しい大気の動きに掻き消され、警戒を強めたルディーは大きく後方へと飛んだ。煙を散り散りにして現れたグレインの回りには、三つの風の塊が高速で動き回っていた。
 「コンドルサイス___」
 それを見て客席のフローラが呻いた。
 「呪文?なら、やっぱりアヌビスの!」
 「ええ___それもかなりの使い手___!」
 ライの言葉に彼女は頷く。先制攻撃の成功で笑みの見えるライとは裏腹に、フローラは険しい表情で舞台を見つめていた。それは小さな窓からヤキモキしながら戦況を見守るソアラにしても同じ事。
 (コンドルサイスを三つ___ディオプラドを防御した上にまだ余裕で持続させている。)
 一見ルディーが優勢、しかし敵の魔力は容易ならないものがある___期待と不安に入り乱れながら、それでもソアラは舞台から目を離さなかった。

 「くっ___」
 グレインの服は所々裂けていたが目立った外傷はない。警戒のあまり足を止めてしまったルディーを見て、先ほどよりいくらか引きつった笑みを浮かべた。
 「___小さいのに良くやるよ!」
 風のコンドルが不規則な螺旋を描いてルディーに襲いかかる。
 (さあどうする!逃げられるか!?)
 魔力同士のぶつかり合いなら負けることはない。走って逃げるならそうすればいい。いずれにせよ三羽のコンドルがルディーをとらえるのは間違いないはずだ。
 (でも、そう考えてるところに穴がある。さあルディー!あなたはどう対処する?)
 その瞬間、ソアラはグレインの心を見透かしたように冷静でいた。それは娘のルディーも同じ事。目の前に迫る驚異にどう対処するのか?肉体的な力強さがないからこそ、重要なのは判断力とアイデアだ!
 「アイスシックル!」
 目一杯に開いた両手の狭間に、巨大な氷の塊が現れる。ルディーが腕を振るうと、それは重苦しげに舞台に突き刺さり、彼女を守る分厚い壁となった。
 「盾のつもりかよ!子供らしいお茶目な発想だ!」
 三匹のコンドルは絡み合うように氷の盾へと突貫した。アイスシックルとコンドルサイスでは呪文の程度が違う。見た目に分厚い氷の塊でも、砕くのは造作もないとグレインは考えていた。
 ズガガガ!
 予測通り、強力なカマイタチの前に氷がその形を維持できたのはほんの一瞬でしかなかった。しかし___それくらいはルディーにだってお見通しだ。
 「たああ!」
 「なっ!?」
 氷の塊が砕けた瞬間、その脇をすり抜けるようにしてルディーが飛び出してきた。風のコンドルが勢い余って客席まで飛んでいく隙に、一気にグレインとの距離を詰める。それが彼女の狙いだった。アイスシックルを使ったのは身を守るためではない。氷の塊はコンドルを引きつけ、攻める隙を見つけるための餌だ!
 「も、戻れ!」
 グレインは念を込めて風のコンドルを急旋回させる。だがルディーはもはや彼の目前にまで迫っていた。コンドルサイスを諦めて別の呪文に切り替えれば対処できたはず。判断の未熟さを露呈したのはグレインの方だった。
 「やあああっ!」
 「くっ___!」
 呪文が来る!ようやくコンドルを消し去ったグレインは、魔力の残る両手をつきだしオーラで身を守ろうとする。しかし「裏をかく」という知恵に関しては、おませなルディーが一枚上手だった。
 ゴガッ!
 一瞬の交錯に言葉を失っていた会場に、鈍い音が響き渡る。
 「が___」
 舞台のほぼ中央。飛び上がったルディーがグレインに叩き込んだのは、呪文ではなく杖だった。今後の戦いに備えて天界から持ち込んだ武器。ルディーが貰ったのは金属製の伸縮する杖で、先端には輝かしい宝玉とそれを支える台座がある。その堅い台座がグレインの脳天を見事に捉えていた。
 「あげ___」
 大きな弧を描いて振り下ろされた杖には、子供の腕力以上の威力がある。ルディーが落ち着いて後方に飛ぶと、後はグレインが前のめりに倒れるだけだった。
 その直後、会場が歓声と、些かの失笑に包まれる。グレインに駆け寄った翠がルディーの勝利を宣言すると、それは一層大きなものとなった。
 「よーしっ!良くやったぞルディー!」
 会場の歓声にも負けない大絶叫で歓喜に噎ぶ父。
 「ほっ。」
 とにかく安堵した様子で脱力して椅子に座り込む母。
 「何だ、もう終わり?」
 当のルディーは不満顔。かくして二人の子供たちは、親の心配などどこ吹く風で次の戦いへと駒を進めたのであった。




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