2 技と力の練闘気

 勝利の余韻に浸る間もなく、舞台はルディーの対戦相手を決める戦いへと移る。颯爽と現れた麗濡ことクレーヌは、担架で運び出されていくグレインと入れ替わるように戦場へ。
 「阿呆。」
 すれ違いざま、無様なグレインに捨て台詞を投げかけて、クレーヌは軽やかに舞台の上へ。両側に深いスリットの入ったスカートに、臍の辺りまで大きく開いた装束。胸には布を巻いているものの、何とも挑発的な姿に所々で異様な歓声が上がる。
 「お〜、色っぽい姉ちゃん。」
 先に舞台に上がっていたサザビーも、彼女の身のこなしに口笛を吹いた。そんなサザビーの空々しい態度に、クレーヌは冷笑を浮かべながら扇情的にスカートの裾を翻した。
 「殺される前に良いもの見たでしょ?」
 「殺す?そりゃ勘弁だ。こっちはさっきの男を始末しなかったんだぜ?」
 「___ふぅん、あんたってやっぱりそういう奴。」
 あからさまな戦意で相手を威圧するわけでもなく、それでいてのらりくらりとマイペースに引き込む策略家。決して気を許せる相手ではないとクレーヌは感じた。
 「アヌビスはおまえみたいな姉ちゃんが好みなのか?」
 「さあどうかしら、あたしより竜の使いの方が好きなんじゃない?」
 「ふっ、そりゃ違えねえや。」
 「___あの〜。」
 互いに警戒しつつもなんだか話が弾んでいる二人。取り残されてしまった翠が申し訳なさそうに割り込んできた。
 「始めても良いですか?」
 二人は気にも留めていなかったが、待ちぼうけを食らって会場が騒がしくなり始めている。
 「あぁ、いつでもどうぞ。」
 「いや待ってくれ、女を傷つけるのって趣味じゃねえんだ。」
 「は?なに格好つけてんだよ。ほら、早く銅鑼ならしな。」
 気障ったらしい台詞に顔をしかめ、クレーヌは構わずに腰を落として武術の構えを取った。しかしサザビーは動じない。
 「お互いの同意があればルールは変えても良いだろ?」
 「え?ぇぇえ?え〜っと___」
 戸惑う翠を後目に、サザビーはニヤリと笑ってクレーヌの胸元を指さす。そして芝居がかった口調で声高に宣言した。
 「女を殴るつもりはない!だから俺はおまえの下着を奪ったら勝ち!」
 「はぁっ!?」
 素っ頓狂な提案ににクレーヌの声も上擦ったが、会場に広がった妙な歓声はそれ以上。冷静かつ自制心が強いといわれる妖魔だが、その定説もここの観客たちには通用しないようだ。
 「よ〜し、それで行くぞ!銅鑼鳴らせ!」
 「は、はい!」
 「えっ!?ちょっ___!」
 グァァァァァ〜ン!
 クレーヌは納得していない。しかし会場の異様な雰囲気に惑わされた翠は、サザビーの声に背中を押されて派手に銅鑼をうち鳴らした。
 試合開始。サザビーの宣言を掻き消す暇もなく、戦いは始まってしまった。
 「さあ来な!」
 策略家だと見抜いてはいた。それなのに結局は相手のペースに巻き込まれている。グレインの不甲斐なさを嘲り笑うつもりでいたのに、幾らかでも敵を見くびっていたのは自分も同じだ。
 「___不愉快だよ、あんた!」
 食いしばった歯で苛立ちを噛み締めて、クレーヌは怒声と共に地を蹴った。駆け引きを得意とする相手には一気呵成で始末をつけるのが定石。しかしこういう相手だからこそ、定石が通用しないのもまた必然というものだ。
 「参った!」
 「なっ!?」
 今まさに殴りかかろうとしたその時、サザビーが叫んだ。耳を疑う言葉に、クレーヌは必死で勢いづいた自らの体を止める。何とか踏みとどまったその時、やり場のない苛立ちを溜め込んだ拳はサザビーの鼻先にまで迫っていた。
 「なんなんだよ!あんた!?」
 「殺す前に良いもの見せてくれるんだろ?いや、本当に良い眺めだ。」
 「!」
 冷静さを奪われていたクレーヌは、サザビーの視線が自分の豊満な胸に向いていることで、ようやく事態に気づく。隙の多い装束の内側で、胸を隠していた布が消えていた。
 「そんな!どうして!?」
 頬を染めて取り乱すほどウブではない。だからクレーヌは危うい胸元を隠そうともせず、自分の、そしてサザビーの体を見回した。まだ一切の接触もしていない、それでいてどうやって下着を奪ったのか。
 「っ___!」
 気配を感じろというのは無理な話だったろう。しかし落ち着き払っていれば見えたかもしれない。
 サザビーの右手の指先から淡く光る糸が延びていること。
 それを辿って振り返ると、先ほどまで自分が立っていた場所に続くこと。
 そこで端を糸に結ばれた下着がヒラヒラと宙を泳がされていること!
 「技の練闘気。力馬鹿の使い方とはひと味違うぜ。」
 舞台へ上がったのはサザビーが先だった。その時にはもう糸が自分の足下までやってきていたのだろう___と、クレーヌは今更ながら考えた。
 「あんたは___」
 あまりに馬鹿馬鹿しい罠に怒りも失せたか、サザビーに向き直ったクレーヌは急に吹っ切れたような笑みを見せる。
 「大した奴だ!」
 「うぉっ!?」
 そして何を思ったか、サザビーの頭を胸の谷間に埋めるようにして抱きしめた。
 「勝者、麗濡さん!って___攻撃してません?」
 「女の胸が居心地悪い男なんているかい?まんまとあたしをだましたこいつにご褒美さ。」
 「むがーっ!」
 それはささやかな仕返し。美女の胸で窒息できるなら、サザビーもきっと本望だったことだろう。

 「さあ続いての戦い!まずは巌山さんの入場!」
 戦いは休みなく続く。司会変わって帰蝶の良く通る声が響く中、出番を待つあの男が目を開く。娘の奮闘で高ぶりきっていた心を静めるべく瞑想に耽っていた彼は、サザビーのらしい戦い振りを雑念とすることもなく、短い間に本来の集中力を取り戻していた。
 「よし!」
 一つ頬を叩いてから立ち上がり、新たな刀を手にして扉の前へ。
 「続いて百鬼さんの入場です!」
 短径の灯りだけの室内から、篝火目映い舞台へ。扉が開かれるとともに百鬼は全身に血の猛りを感じる。高揚から一瞬の身震いをし、力強い歩みで舞台へと進んだ。
 「連中が強いのは間違いない。まともにやり合うなら手は抜くな。」
 「ああ。」
 普段通り飄々と舞台を降りてきたサザビーとのすれ違い様、互いに目を合わせないまま言葉だけ交わす。視線を交わさなかったのは、集中を妨げまいとするサザビーの配慮だった。
 「いい気迫だ、だがそれだけで俺に通じるか?」
 現れた百鬼を見るなり、ガッザスはそう言い放つ。筋肉質な百鬼にも増して隆起した肩や胸、丸太のように太く引き締まった腕や足は、彼の力強さの象徴でもある。
 「それだけじゃないから通じると思うぜ。」
 「ほう。ならば目に物見せてみろ!」
 ガッザスはグッと舞台を踏みしめて体側の拳を強く握ると、内に渦巻く力を高めていく。それは大気を振るわす波動となって百鬼の体を圧した。しかし彼は怯むことなく、静かに腰を落として刀に手をかけた。
 「始めろ。」
 「!___は、はい!」
 特異な能力での勝負ではない。ただ純然と二人の力がぶつかり合う戦い。その前哨戦とも言える露骨な気迫の激突は、妖魔の目には希有に映る。呆気にとられていた帰蝶は百鬼に声を掛けられて、思い出したように銅鑼を打ち鳴らした。
 「おおおお!」
 先手を打ったのはガッザスだった。思いがけない俊敏な動きで一気に百鬼との距離を詰めると、その巨大な拳を百鬼の腹めがけて振り上げる。
 ガシィッ!
 おおよそ人を殴ったとは思えない硬質な音が響く。ガッザスの左拳は確かに百鬼の腹にめり込んでいたのだが、百鬼は両の踵を地から浮かすこともなく踏みとどまっていた。
 「おらあああっ!」
 「!」
 拳の感触を腹に感じたまま、百鬼は刀を抜き放った。左から右へ、ガッザスの胸へと斬りつける。しかし感触は思わしくなかった。
 「浅いか!」
 「そうだな!」
 返す刀でさらに斬りつけようとした百鬼だったが、ガッザスは逆の手で彼の頭を掴むと軽々と掲げ上げて、舞台の外へと力任せに放り投げた。
 「うおおっ!?」
 大柄な百鬼が小さなボールのように吹っ飛び、背中から場外の石畳に叩き付けられる。幾らか地を滑りながら、すぐ後ろに自分が出てきた部屋の扉を見る場所まで軽々と投げ捨てられていた。
 (すっげえ力!)
 だが百鬼は苦悶の表情一つ見せず、勝ち気な笑顔まで見せて立ち上がった。
 (練闘気を守りに使った分、攻めが甘くなった。様子を見るつもりだったが、こりゃ肉を切らせて骨を断つ覚悟が必要かもな___)
 体に走った痛みはそれほどでもない。腹への一撃も、今の背中への衝撃も、練闘気のオーラを集中させることでダメージを最小限に抑えている。しかしその分、刀への威力が削がれた。長い戦いで培った精密な剣技は、ガッザスの胸に浅い筋を刻みはした。しかし深手を負わせる威力はなかった。
 「!」
 考え事の一瞬の隙。顔を上げるとガッザスの足の裏が目前まで迫っていた。
 「くっ!」
 咄嗟の横っ飛びで逃れた百鬼だが、ガッザスはそのまま側壁を蹴って百鬼に迫る!
 ドガッ!
 今度の拳はまともに顔面を捉えていた。そればかりか、揺らいだ百鬼の体を高々と蹴り上げ、それを追い越す程の凄まじい跳躍を見せたかと思うと、今度は宙を泳ぐ彼の背中に両手を結んで強烈な一撃を叩き落とす。一直線に舞台へと吹っ飛ばされた百鬼は石のステージに体を打ち付け、二三度跳ねた。
 「ふんっ、口ほどにもない!」
 そのまま宙へと留まり百鬼を罵倒するガッザスだが、ふと右手の指にまとわりつくような生暖かさを感じる。
 「___!」
 あのどさくさの中で狙ったのか偶然か、いずれにせよ百鬼の刀が彼の腕を切り裂いていた。あまりにも鋭敏な切り口だったから、ガッザスは傷に気付くまで痛みを感じていなかった。
 「いてて___こんなに重い攻撃は久しぶりだぜ___」
 傷に気を取られているのもつかの間、舞台の上では百鬼がゆっくりとその身を起こしていた。
 「奴め___!」
 思いの外タフな相手にガッザスは口元を歪める。
 (さすがはアヌビス様に挑んだだけの相手。やはりこうでなくては!)
 自らの闘志が沸々と掻き立てられるのを感じながら、ガッザスは舞台へと降り立つ。再び両者は真正面から対峙した。
 「感謝しろ、舞台の外でボケッとしていられるのは二十秒までだ。」
 「あ?ああそうか、そうだったっけな。」
 口の中に蟠る血を吐き出してから、百鬼は思い出したように答えた。目の前の戦いだけを見ていた彼にとって、ルールなどどうでも良いこと。しかしあのまま場外で考え事をしていたらあと数秒で敗者になっていたのも確かだった。
 「今のはかなり効いたぜ〜。さすがにアヌビスの近衛兵だな。」
 「その割に良く回る口だ。」
 「今度はこっちから仕掛けてやるよ。」
 百鬼は正眼で刀を構え、一瞬にして息を、鼓動を整えていく。呼応するようにガッザスも深く腰を落として身構えた。
 (決めるつもりね___)
 小さな窓から戦況を見つめていたソアラは、百鬼の眼差しにこれで決着をつけようとする覚悟のようなものを感じていた。
 「行くぞぉ!」
 突如として、百鬼の腕から刀の剣先にかけて白く輝くオーラが吹き出した。それは練闘気をより極端に集中させた力。その波動の力強さは竜の使いのオーラを彷彿とさせるものがあった。
 「凄い___!」
 ソアラは思わず呻いた。一年という期間は長いようで短くもある。その間に百鬼が遂げた進歩の凄まじさに、彼女は素直に感嘆していた。
 「うおおおっ!」
 気合いとともに、百鬼はガッザスに襲いかかる。
 「来いっ!」
 刀に秘められた威力は感じている。しかしガッザスはそれに気圧されるような男ではない。そればかりか、あの刀が諸刃の剣であることまで見抜いていた。
 「ずおりゃぁぁっ!」
 渾身の力を込めた一太刀を、ガッザスは体を開いてやり過ごす。しかし夥しい波動は刃の軌跡にさえ、鋭利な切れ味をもたらしていた。
 ズバッ!
 生々しく肉を裂く音と共に、鮮血が百鬼に降りかかる。ガッザスはそれを狙っていたわけではないだろう、しかし飛び散った血が目に降りかかったことで、百鬼に僅かな隙が生じた。
 「終わりだ!」
 肉を切らせて骨を断つ、それを狙っていたのはガッザスも同じだった。体を開いたことで横に回り込むような形となったガッザスは、そこから痛烈な蹴りを百鬼の右膝に打ち付ける。その瞬間、百鬼の膝は鈍い音と共に内側に抉れるように曲がっていた。だがまだ終わらない。百鬼は崩れながらなおも気配を頼りに刃を放ち、ガッザスもまた百鬼の鼻を押し潰すようにして、拳を放っていた。
 鮮やかな音と鈍い音の交錯。百鬼の刃はガッザスの右大腿を深く切り裂き、ガッザスの拳は百鬼の顔面を砕く。そこからさらなる追い打ちを掛けたのはガッザスの方だった。
 「ぐおおおっ!」
 雄々しい咆哮と共に、拳を受けて仰け反った百鬼の頭を掴むと、畑のカブでも引き抜くかのように勢いよく振りかぶる。片足を砕かれたとはいえ、百鬼ほどの大男が軽々と振り上げられる姿は異様だった。
 「ずああっ!」
 渾身の力を込めて、ガッザスは百鬼を石のステージに叩き付ける。
 「お父さぁんっ!」
 その瞬間、リュカは悲痛な叫びを上げて足場の椅子を蹴飛ばして転び、ルディーは小さく唇を噛んで掌に魔力を燻らせていた。
 「___」
 ステージの中央付近で俯せに倒れた百鬼。帰蝶のカウントが始まる。それでも、ソアラは冷静な目で舞台を見つめていた。そして別の窓では___
 (まだ終わっていない___)
 冬美も隻眼に複雑な思いを込めて、百鬼に視線を向け続けた。
 「くっ___」
 肘を張って、百鬼が動き出した。
 「ほぅ!」
 あれほどの攻撃を食らってもまだ立ち上がるだけの力がある。ガッザスは少しだけ楽しそうに、目を見開いた。
 「大したもんだ、まだ動けるじゃないか。」
 悠然と肩を揺すって、ガッザスは背後から百鬼に近づく。刀が逆手になっていないことを瞬時に確認し、彼は百鬼の頭を掴んだ。そして___
 ドムッ!
 「なぬっ?」
 ガッザスの横腹に刀の柄が食い込んだ。肝にほと近い、適格に痛点を付いた一撃ではあったが、それ自体は大した威力ではなかった。
 「多分こうするだろうと思ったよ___癖って奴?おまえさっきから頭掴むの好きだもんな。おかげで腹ががら空きだぜ。」
 百鬼はこの瞬間を待っていた。輝かしいオーラは、刀身でなく柄の部分に結集していた。それに気付いたとき、ガッザスは彼の意図を知った。刀があれば誰もが刃を警戒する。だが例えば気を放つ媒体として使うなら、それが刃である必要はない。
 決定打になる。そう考えたから、百鬼は相手の致命的な隙を待っていた。
 「闘気爆裂!!」
 百鬼が叫んだ瞬間、結集された練闘気が一挙に弾けた。腹を貫いたわけではない、しかし衝撃はガッザスの臓腑を駆け抜け、背中で閃光となって迸る。百鬼以上の大男が一直線に、観客席に向かって吹っ飛んでいく。
 突然のことに逃げ惑う観客。ポッカリと開いた石段状の客席の一部を砕き、ガッザスの体は止まった。黒い服は腹と背中の部分だけが弾けるように消し飛ばされ、屈強な腹筋は異様に歪んで見えた。それが一撃の破壊力を物語る。
 「ぐぅ___お、おのれ___!」
 ガッザスは立ち上がろうとする。しかしどうしても腰に力が入らない。打ちのめされた臓腑は、彼の肉体美をもってしても鍛えられる場所ではなかった。
 「勝者!百鬼さん!」
 やがて百鬼の勝利が告げられる。
 「やった___」
 しかし彼もまた満身創痍。勝利を告げる銅鑼の音と共に、舞台上で前のめりに倒れてしまった。
 短い戦いではあった。しかし妖魔には無い力と力のぶつかり合いが見る者を楽しませたのは事実。会場には自然と、激闘を讃える拍手が広がっていた。




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