3 新しい力

 「五番、百一番、六百三十三番、千五番、千十六番、本戦進出です!」
 予選第二組。名の知れた妖魔に注目が集まったこの組に、ソアラたちから選ばれた者はいなかった。銀髪の彼女や、黒マントの彼にも出番はない。そんな傍観者に徹していられる組を制したのは意外な面々。まずは水虎に仕えていたという以外は無名の妖魔玄道(げんどう)と、棕櫚でさえ見たことが無い四人だった。
 「妖魔ってどれほどのものかと思ったけど、大したことなかったわね。」
 「そりゃ俺たちに掛かればどうって相手じゃないさ。」
 「どうだか___おまえ一人では到底勝ち残れていない。」
 「なんだと!?」
 「グハハ、言えてるぜ。」
 その四人は言葉を交わしながら群衆の元へと戻ってきた。見れば濃紺を基調とした服装もよく似ている。待ちかまえていた女性もまた、同じような服を着ていた。
 「あまり浮かれるな。私たちの目的はこの程度ではないはずだ。」
 女性は厳格な面持ちを崩さず、四人に小さな声で告げた。他の妖魔たちとは違う、どこか独特の雰囲気を孕んだ彼らには、周囲も警戒の目を向ける。
 (アヌビスの手駒が五人か___)
 彼女たちのことを知っているのは極限られた人物でしかない。その一人、新八柱神の一員となっていたフュミレイにしても、カレン・ゼルセーナ率いるヘルハウンドのことは顔を見たことがある程度でしかなかった。
 「!」
 不意にカレンがこちらを振り向いた。唐突なことにフュミレイも僅かに目を見開く。カレンはすぐに視線を逸らしたが、その刹那の対峙はフュミレイの身体をいささか汗ばませるほど張りつめていた。
 「アヌビスにも___騎士がいたか。」
 「んぁ?なんか言ったか?」
 「いや、なにも。」
 ただの魔族とは、ただアヌビスに仕えるだけの兵とは違う。神髄より主人に忠誠を誓い、命を賭すことさえ厭わない誉れ高き騎士。その気高き品格をカレンに感じたからこそ、フュミレイはそう呟いていた。

 「さあて次は俺か!」
 予選第三組。次は百鬼の出番だ。
 「あなたの修行の様子ってほとんど見てないから、ちょっと楽しみにしてるからね。」
 ソアラは七十夜の間、ほとんどレイノラとだけ修行を重ねていた。そのためリュカやルディーはもちろん、百鬼やライと言った面々がどんな鍛練を重ねてきたのかさえ良く知らない。話を聞いてみても肝心なところを秘密にするのは子供たちと同じで、ソアラも途中からはあえて聞かなくなっていた。
 「ちょっとだとぉ?だいぶ楽しみにしてもらっていいぜ!」
 ここまでの二組を見てこれだけ軽口を叩けるのだから、少しは期待をしても良さそうだ。尤もソアラを安堵させたのは彼の自信よりも、一緒に戦うことになった助っ人の存在が大きかったのだが。
 「棕櫚くん、頼りないうちの旦那のサポートよろしく頼むわ。」
 「了解です。」
 「おいソア___じゃねえや、由羅。惚れ直させてやるからしっかり見てろ。」
 「へぇ、じゃあ期待しちゃおうかな。」
 二人は一度だけ拳を会わせ、百鬼は石のステージへと歩み出した。
 「頑張れお父さん!」
 心強いリュカの声援に手を振って応える。続いてルディーも___
 「床上手のお母さんが待ってるよ!」
 百鬼だけでなく、ソアラもズッこけたのは言うまでもない。ちなみにこの台詞を吹き込んだのが誰かは言わずと知れたことである。
 「由羅!砂座殴っとけ!」
 「任せて!」
 終始賑やかに、リラックスした面持ちで百鬼は歩く。その背中がいつも以上に大きく見えたから、ソアラは「大丈夫だ」と確信できた。

 石のステージに立ち、百鬼は思う___
 「より強くなりたいと___剣術使いのおまえが私に何を求めるというのかしら?」
 長くて短い七十夜。百鬼は早々に、レイノラの門戸を叩いた。
 「今のまま俺たちの鍛え方をしていても、せいぜい背伸びをするのが精一杯だ。だから強くなるためのヒントを教えて欲しい。」
 「なぜ強くなろうと?」
 「そんなの簡単だ。俺は昔はソアラと一緒に戦っていた。でも今は、戦場じゃかえって邪魔になっちまう。俺はまたあいつと一緒に戦えるようになりたい___あいつの助けになりたいんだ。それには今の倍、いや十倍は強くならねえと!」
 百鬼の情熱に触れる時間は決して気分の悪いものではない。レイノラは彼の気質を好ましく思っていたし、話せば話すほどソアラによく似合う男だと感じていた。
 「私はソアラを強くすることに時間を費やしたい。だが、おまえにも道筋だけならば示すことはできる。」
 「本当か!?」
 「そこからは自分で新たな道を切り開きなさい。おまえほどの素養があれば、そう難しいことではないはずよ。」
 ___
 「俺の力を試すときが来た!」
 百鬼たちが降り立ったのは、予選会場の中でもゴツゴツとした岩がいくつも転がる岩石地帯だった。周りに無数の妖魔がいようとお構いなし、久方ぶりの本気の戦いに百鬼は息巻いて叫んだ。
 グワァァァ〜ン!
 仰々しいドラの音と共に、戦いが始まる!直前の大声が癇に障ったか、早速数人の妖魔が百鬼に襲いかかってきた。
 「はあああっ!」
 しかし攻撃は届かない。気合いの籠もった一喝と共に、彼の身体からは白い波動が噴き出し、それは衝撃波となって襲いかかってきた妖魔をことごとく弾き飛ばしたのである。
 「俺の新しい力___練闘気!」
 噴き出した波動は百鬼の身体に留まり、オーラとなって揺らいでいた。
 「さあ、おまえらも力を見せな!真っ向勝負だ!」
 いきなり目立ってみせた百鬼の姿はスクリーンにも映し出されている。その姿を見て、なぜだかソアラはばつの悪そうな顔をしていた。
 (やっぱりなんだかやることがあの子に似てるのよね___)
 あの子がどの子かは言うまでもないだろう。なにせ気性も武器もよく似ている。
 「おぉ、百鬼だ!あいつもこっちに来てたのか!」
 当の竜樹は刀の手入れの手を止めてスクリーンを見上げていた。二人の居場所が離れているとはいえ、この声がソアラに聞こえなかったのは幸運だった。
 (___怖いな___)
 竜樹の横で同じようにスクリーンを見上げるフュミレイだが、さしもの彼女も悲哀の情を隠しきれずにいた。いずれ同じようにして彼らにも自分の存在が知れる。その時のことを思うと、天界で抱きしめられた温もりが再燃し、些かの恐怖すら覚えた。
 「小賢しい!力一つで何ができる!」
 妖魔には特異的な能力で相手の虚を突く戦い方を好む者が多い。そういった連中にとって、百鬼のような力馬鹿は目障りな存在だ。いまも痩身の妖魔が自らの能力を駆使して彼を追いつめようとしていた。
 「来るか!」
 痩身の妖魔は岩を背にして身構える百鬼の前に躍り出ると、手を空へと翳す。するとどこからともなく無数の紙吹雪が宙を乱れ飛びはじめた。
 「くっ!?」
 白い紙は百鬼に向かって吹き付けると、彼の刀、そして体に次々と張り付いていく。同時にまるで蛭にでも吸われたような痛みが彼を襲った。
 (血を吸ってるのか___!?)
 顔にまでへばり付いてくる紙だが、バンダナを瞼の辺りまで下げることで目だけは守る。その最中、手の甲に張り付いた紙が赤く変わっていることに気づいた。
 「我が吸血紙吹雪はそう簡単に剥がれぬぞ!全身の血を吸い尽くされるが良い!」
 そう勝ち誇る妖魔だったが、彼はこの戦いが一対一でないことを忘れている。
 「がっ___!?」
 女のような細い首に、いつのまにやら肌色の杭のようなものが食い込んでいた。それはたちまち妖魔の喉の奥へと剔り込み、彼の息を詰まらせる。抵抗する猶予もないまま、妖魔は泡を吹いて失神した。
 紙吹雪が風に飛ばされて散っていくのを見届けると、喉を剔る杭は次々と外れた。よく見ればそれは足の指。役目を終えた指たちは、宙を舞って主人たる棕櫚の元へと戻っていく。甲賀と交換した、体の一部を切り離す能力だ。
 「大丈夫ですか?百鬼さん。」
 「ぐぅぅ___はああっ!」
 まだ紙に覆われて藻掻いている百鬼を見て、棕櫚が近づく。しかし百鬼は気合いと共に練闘気を高めると、一気に紙を吹き飛ばしてみせた。
 「よしっ!痛みの中でもそれなりに集中できたな。」
 「それは良かったですね。」
 「あ。」
 自身の力量の確認に余念がない百鬼だが、相変わらず周りへの配慮には欠ける。いまも近寄っていた棕櫚に大量の紙吹雪をプレゼントしていた。
 「!」
 紙まみれの棕櫚を見て、百鬼は一瞬表情を緩ませた。しかし瞬間的に鋭い眼差しを取り戻すと、弾けるように振り返って背後の岩を斬りつける。岩は豆腐を思わせるほど簡単に、真っ二つに避けた。
 「ぐはっ___!」
 岩の内側からくぐもった声が響く。それと同時に、裂け目には赤い染みが広がっていった。何らかの能力で妖魔が潜んでいたのを、彼は僅かな気配で感じ取ったのだ。
 「感覚も研ぎ澄まされてますね。今のはそれほど露骨な殺気ではありませんでしたよ。」
 「まあな。でも少しやりすぎちまった___まだ力の加減が難しいな。」
 百鬼の向上は目覚ましいものがあった。もとより、巨大な敵をも討ち伏す力強さが魅力の彼だが、今までとは明らかにレベルが違う。曲者の妖魔を向こうに回しても互角以上の戦いができるほど、肉体的にも感覚的にも成長していた。
 「すごい___うちの旦那ってば思った以上にやるわね。」
 すっかりスクリーンに目を奪われていたソアラも感心しきり。別の戦士に映像が切り替わるまで、言葉を失っていたほどだった。
 「ねえ、あれってどういうもの?生命力を具現化させた力かしら?」
 「あれは闘気が元になってるんだよ。闘いに挑む心って言うのかな、それを高めることで僕らが持つ潜在能力を戦闘力として引き出すんだって。」
 ソアラに問いかけられると、座って戦況を見ていたライが満面の笑みで答えた。
 「もちろんあの波動を作るには生命力も必要だ。だが生命力だけに頼ったんじゃあ消耗が激しすぎるからな、僅かな生命力を闘気と練り合わせて増幅させるってわけよ。そいつが練闘気。」
 ライの頭に手を付いて、くわえ煙草のサザビーが続ける。そんな二人の振る舞いに、ソアラは失笑した。
 「ハハ〜ン、あんたたちもってわけね。」
 「ニヒヒ。」
 「まあな。」
 どうやらソアラの知らない所で、それぞれが大きな成長を遂げたようである。内心不安で一杯だったソアラだが、夫の闘いぶりを見る限りそれも杞憂に終わりそうだ。
 ただ___
 「もう!なんでお父さんを写さないんだよ。」
 「棕櫚さんがいるからそのうち写るわよ。ほら!」
 「棕櫚さんしか写らないじゃん!」
 我が子だけにはどうしても心配が尽きないが。

 「ぐはぁっ!」
 峰に返した刀の一撃が、切り上げるようにして男の胸を打つ。その妖魔は百鬼よりも一回り大きい巨漢だったが、易々と宙に浮き上がっていた。
 「よ〜し!どんとこい!」
 百鬼は絶好調。棕櫚のそつのないサポートのおかげで、大した危機に遭遇することもなく次々と妖魔を打ち倒していった。
 「さあ次はどいつだ!?」
 戦場に残された妖魔はあと僅か。決着の時は近づいているのだが、彼の力はまだまだあり余っているようだ。
 「ん?」
 しかし、ふと気勢を削ぐものが目に留まり、百鬼は眉をひそめる。岩石地帯で戦い続けていた百鬼だが、驚いたことに岩陰で一羽のウサギが草をはんでいたのだ。激しい戦場にはあまりに不釣り合いな小動物の姿に、百鬼の緊張はたちまち解されていった。
「信じられねえ___何でこんなところで暢気に草食ってられるんだ?」
 あれだけ激しい戦いが繰り広げられた岩場で、悠長に草を食べるウサギの姿に百鬼は感銘すら覚えた。「生きる」ことに関して誰よりも知恵者な彼らの技能を肌で感じた気がした。
 「野生動物は近くに敵がいても、感覚で相手の射程距離が分かるからギリギリまで逃げない。無駄な逃げは消耗を招くだけだから___って何かの本で読んだな。」
 そんな野生の感覚を身につければ、よりゆとりを持った戦いができるのでは?百鬼は小さな好奇心から、ゆっくりとウサギに近づいてみることにした。はたしてどれくらいの距離まで近づくと、彼は逃げ出すのだろうか?
「む。」
 およそ三メートルでウサギは口を動かすのを止めた。これがウサギが感じた百鬼の射程距離ということか。
 (もう一歩___)
 多少の悪戯心も交えて、百鬼はさらに前へと足を踏みだしてみることにした。しかし___
 「何してるんですか?」
 「わっ!」
 後ろから唐突に声を掛けられ、百鬼は肩を竦めて振り返った。そこにはいくつかの闘いを終えてきた棕櫚が、不思議そうな顔で立っていた。
 「なんだ棕櫚か___」
 「なんだは無いでしょう。」
 「面白いものを見つけたんだ。今そこに___」
 笑顔を交えながら百鬼がウサギを指さそうとしたその時である。
 ズバッ!
 百鬼の背で鮮血が舞った。背を蹴ると同時に肉を裂き、しなやかな跳躍で一気に棕櫚の後ろまで飛んだのは___
 「ウサギ!?」
 棕櫚が躊躇した隙をついて、ウサギは再び大地を蹴る。驚くべき跳躍力で宙を舞ったかと思うと、一直線に棕櫚の喉笛めがけて突っ込んできた。鋭い前歯を剥いて襲いかかってくるその姿は、まさしく狂気の沙汰!
 「オラァッ!」
 首に迫るウサギを、棕櫚の肩越しに飛び出した百鬼の拳が襲う。鋭いフックのタイミングは絶妙で、ウサギが叩き落とされるのは間違いない___はずだったのだが。
 「!?」
 ウサギは宙で身を捩ると、一瞬にして体を横に傾けていた。
 ダッ!
 そして百鬼の拳を後ろ脚で蹴りつけ、一気に棕櫚の喉笛へと加速する!
 「___!?」
 しかしその前歯が肉を食らうことはなかった。ウサギが驚愕したかどうかは分からないが、突如棕櫚の首が視界から消えたのだ。思わぬ出来事に危険を感じたのか、ウサギはそのまま空を切って二人の背後に降り立つと一目散に逃げ出した。
 「百鬼さん!それは間違いなく妖魔の能力です!」
 棕櫚の声が少し高い位置から響いた。なんと彼は自らの手で首を切り飛ばし、宙へと跳ね上げていたのだ。
 「待ちやがれ!」
 おそらくこのウサギは操られている。こいつの行く先に妖魔がいるに違いない!棕櫚の言葉からそう確信した百鬼は、猛然とウサギを追いかけ始めた。
 「よっと。」
一方の棕櫚は、慎重に首なしの胴体で自らの頭を受け止める。頭を元の位置に据えると、首の切れ目はたちまち消えて無くなった。
 「ふむ、動物ですか。なかなかおもしろいですね。」
 感触を確かめるように首を回しながら、棕櫚は不適な笑みを浮かべていた。

 「待てこら!待てって言ってんだろ!」
 罵声が岩場に二重三重と共鳴する。攪乱するようにして右へ左へと揺らぎながら逃げるウサギに、百鬼は手を焼いていた。それにしてもこの逃げ方は妙だ。岩場には人の入り込めないような隙間がいくつもあるのに、ウサギはまったくそれを利用しようとしない。まるで百鬼を誘っているかのようだったが、今の彼はそれに気づくほど冷静ではなかった。
 「この野郎!」
 ついには立ち止まったウサギめがけて、ヘッドスライディングのようにして捕らえに掛かり___
 ゴヂッ。
 「ぬぉぉぉ___」
 ウサギの上に迫り出していた岩に気付かず、しこたま顔を打ち付ける始末。しばらく呻いた後鼻血に染まった顔を上げると、ウサギは百鬼の手が届かないところまで岩の隙間に入り込み、暢気に用足しをしていた。草の匂いの強烈な尿が自分の手元まで流れてきたその時、ついに百鬼の苛々も頂点に達した。
 「___もう頭来た!岩ごと叩き切る!」
 妖魔が絡んでいるのなら、相手が可愛らしいウサギだろうと容赦はしない。百鬼は勢いよく立ち上がって練闘気を帯びた刀を振りかざすと、全身全霊を込めて一気に岩へと振り下ろした!
ズガガガ!
 豪快に切り裂かれた岩は次の瞬間無数の瓦礫へと砕け、周辺の岩をも巻き込んでウサギが逃げ込んだ隙間を押しつぶす。いくらすばしっこいウサギでも、これでは一溜まりもないだろう。
 「はぁっはぁっ___」
 瓦礫と土煙を前に、百鬼は刀を振り下ろした姿勢のまま肩で息をしていた。難敵のウサギをようやく仕留めたはずなのだが、その表情は苦渋に満ちあふれていた。というのも、岩を切ったその瞬間から体中が軋むように痛み出したのである。
 (調子に乗りすぎたか___)
 僅かな生命力を増幅してオーラとする練闘気。鍛練を積んだとはいえ、まだ気が高ぶると力のバランスを崩しやすい。今も興奮のあまり過度に力を消耗していた。突如沸き上がった痛みはそのためである。
 「ぐぅぅ___!」
 風が肌を撫でただけで傷口に塩水をかけられたかのよう。百鬼はまだ練闘気が自分のものになっていないことを、身をもって痛感していた。
 「へへっ、まだまだだな___鍛えなおさねえと___」
 その時、彼の頭は次の戦いへと向いていた。だが本当に目の前の戦いは終わったのだろうか?ウサギの死体を見たわけでもないのに。
 「___!?」
 右の足首を鋭い痛みが襲う。練闘気の反動ではない、何かが肉に突き刺さった痛みだ!
 「っ!」
 百鬼は思わず息を飲んだ。なんと自分の足首に、紋様も鮮やかな蛇が深々と食らいついているではないか。
 (今度は蛇だと!?)
 その蛇はまだ身体の一部が崩れた瓦礫の下にあった。つまり瓦礫の下から這い出してきたのだ。だがだとするとこいつはあのウサギと何か関係があるのだろうか?
 いや今はそんな思案を巡らせている場合ではない。右足の急激な痺れから察するに、こいつは毒蛇だ!
 「ぐっ___こいつ___!」
 あっという間に脚が言うことを聞かなくなる。蛇を切り捨てようと右手を見れば、無意識のうちに指が解れ、刀は足下に転がっていった。
 「うおおお!」
 しかし百鬼は絶叫と共にまだ感覚の残る左腕で蛇を掴むと、力任せに引き剥がしてそのまま放り投げた。だが蛇は岩に叩き付けられることもなく、緩やかな弧を描いてさほど離れていない瓦礫の上に落ちただけ。それほど彼の身体は急激に力を失っていた。
 「たかが獣と思って油断をするからそうなるのだ。」
その時、聞き覚えのない声がそう言った。
 (まさか___毒で幻覚でも見てるのか___?)
 百鬼がそう思うのも無理はない。朦朧とする意識の中で見たのは、瓦礫の上で鎌首を擡げて喋る蛇の姿だった。
 「その毒は簡単には消えぬ。失神しなかっただけでも大したものだ。」
 だが彼が幻覚を疑ったのはごく一瞬のこと。蛇の身体が見る見るうちに膨れあがり、一人の男へと姿を変えたのである。
 「私は馬徳(ばとく)。冥土のみやげに、我が能力の神髄をお見せしよう。」
 妖魔だ。しかし男が人の姿であったのは一瞬しかない。揺らぐ視界の中で、百鬼には彼の顔形も良く分からなかった。だが奴が次に変わった生き物が何かというのははっきりと分かった。
 (熊___だと___!)
 馬徳と名乗った妖魔は、百鬼よりも二周りは大きいであろう熊へと変身した。その筋骨隆々とした身体に鋭い牙、大きな手、凶悪な爪、獣独特の匂いまでまさしく熊そのものだ。唯一違うのは、鮮明な言葉を喋ることだけである。
 「我が能力は獣の力を借りること。無論、おまえの背を切り裂いたように、ウサギといえど我が化ければ獰猛な獣となる。熊ともなれば尚更な!」
 岩に凭れて何とか倒れまいとする百鬼の前で、大熊は悠然とその右腕を振り上げた。
 「なるほど、やっぱり面白い能力ですね。」
 「!?」
だが耳元でそう囁かれたことで馬徳は躊躇した。姿は違っても根幹は一人の妖魔に過ぎないということか、野生動物ならば当然気づいたであろう背後の気配に彼は全く気が付いていなかったのだ。もちろん、近づいていた相手が草花のさりげなさを会得している棕櫚だったことは、彼にとって不幸だったが。
 「その力___」
 棕櫚は馬徳の背中に両手を当てていた。人の姿でいればこの感触に気づかないはずがない。だが今の馬徳は、人に優しく撫でられる程度では何も感じないような大きな獣に化けている。
 「いただきます!」
 馬徳が振り向くよりも早く、棕櫚はいつになく力強い声で言った。その両手は緑の霧のようなものを纏い、言葉と共にそれは一気に広がって馬徳の背中一帯に広がった。
 「おのれ!」
 直に肌を嘗められるような不愉快な感触が背中を包む。馬徳は力任せに身を捩って棕櫚を引きはがし、そのまま熊の大腕を豪快に振るった!
 ガシッ___
 「な!?」
しかし腕は力無く受け止められた。
「馬鹿な!?」
 彼の言葉は、熊である自分の攻撃が易々と受け止められた事への驚きから出ていた。しかし本当に驚かなければいけないのは、人間の腕をした自分の攻撃が、熊の野太い腕に受け止められたことである。
 「ん?___ん!?」
 人の姿の自分。目の前に熊。馬徳がこの状況を錯覚でないと気づくのには、少々時間が掛かった。
 「ガオッ!」
 「うぉわっ!」
 腹に響く威嚇の声に、馬徳はたまらず尻餅を付く。そして己の目の前に立つ生き物の全貌を知った。
 「ば、馬鹿な___どういうことだ!?」
 それは紛れもなく、たった今まで自分が化けていた熊だった。何が起こったのか全く理解できず、狼狽した馬徳はヒステリックに叫んだ。
 「妖魔に嫌われている妖魔、棕櫚の名前を知っていますか?」
熊は流暢に語る。馬徳がそうしていたように。
 「しゅろ___棕櫚!?」
 その名は馬徳も知っていた。棕櫚と言えば能力を盗む悪辣な妖魔、なるほどそれなら今の状況も理解できる___わけがない!そもそも棕櫚は鴉烙の手で葬り去られたのではないのか?仮に生きていたとして、今の出来事が夢でないにしても、こんな現実そうそう納得できるものか!
 「棕櫚は死んだはずだ!」
 「ご覧の通り死んでいませんよ。ああ、それから私の能力は能力を奪うのではなく交換するだけですから、ご安心ください。」
 そんな言葉は何一つ慰めにならないだろう。動けない身体で様子を見ていた百鬼は、棕櫚が多くの妖魔から恨まれている理由を知った気がした。
 『さあ第三組!残すところあと二人の脱落で勝者が決まります!』
 とその時、帰蝶の賑やかな声が戦場に響き渡る。それを聞いた棕櫚は、混乱から立ち直れずに喚き続ける馬徳を前に、熊の顔でニコリと笑った。本人もどんな笑顔か分かっていないのだろうが、実にゾッとする不気味な微笑みだった。
 「馬徳さん、暫く気絶していてください。」
 「な、なんだとっ!?うっ、うぉぁあぁぁぁ!」
 ゴスッ。
 足が竦んでしまったか、ピクリとも動けなかった馬徳の脳天に熊の手刀が命中。棕櫚は加減したつもりだったようだが、馬徳はそのまま白目を剥いて仰向けに倒れてしまった。意識を取り戻したときの彼の不幸を思うと、同情するほか無いだろう。
 「おあえはいえあらほえあえあいあ(おまえ初めっからそれが狙いか)。」
 舌が痺れて旨くしゃべれない百鬼は、引きつった笑顔で棕櫚に言った。棕櫚はゆっくりと元の姿に戻り、満足げな笑みでウインクする。
 「正解です。いや〜でもお陰様で良い能力が手に入りました。何しろこれだけのために参加したんですからね。多人数の予選があって良かったですよ。それじゃ、俺はこれで抜けさせてもらいます。」
 「お〜、あおあああえお(後は任せろ)。」
 そう、棕櫚には元々黄泉の覇王なんて眼中にない。彼がこの大会に参加した理由はただ一つ。自分にあった新たな能力を見つけることだった。
 「では早速、鳥に化けて離脱してみましょうか。」
 手にした能力を完全に使いこなすには時間が掛かる。だがこつを得るのはそれほど難しいことではない。今だってこうして簡単に大空を舞う鳥に化けられるのだから___
 「あれ?」
 「ははっ、おえれおうおあ?(それで飛ぶのか?)」
 寸胴なボディと発達した胸板、赤いとさかに立派な尾羽。確かに鳥は鳥だが、棕櫚が化けたのは鶏だった。
 「コケッ?」
 どうやらさしもの彼でも少々の慣れが必要なようである。

 結局、棕櫚がリタイアしたことで予選第三組は終了した。見事に勝ち残った百鬼だが、毒が残っていて歩くことができず、親切な妖魔の肩を借りて戻ってきた姿は少々情けなくもあった。
 一方___
 「きゃ〜、棕櫚くん可愛い!」
 ソアラの前で鶏変化を披露して、棕櫚は胸にギュッとされていた。無欲の勝利か、相変わらず細かいところで役得に恵まれる男だ。
 と、浮かれ気分もそこまで。すぐに予選第四組が始まる。そしてついにソアラの恐れていた時もやって来ようとしていた。
 「あ!光った!」
 「えっっ!」
 「うわ、あたしもだ。なんだ竜光と一緒か〜。」
 「えぇっっ!?」
 リュカとルディーの出番である。ソアラは棕櫚を放り投げてすぐに二人の元に駆け寄り、しゃがみ込んでそれぞれの手を取った。参加者の証である数字が確かに光っている。ソアラは小さく唇を噛んで、二人の目を代わる代わる見つめた。
 「___あんたたち、やめてもいいんだからね?」
 強くなろうとしている努力は痛いほど分かるから、ソアラはその言葉を少し躊躇った。そして二人の反応も彼女が予想していた通りだった。
 「大丈夫、あたしたちだって戦えるんだから。」
 「そうそう、お母さんは泥舟に乗ったつもりでいてよ。」
 「大船でしょ。」
 「あれ〜そうだっけ?」
 余裕があるのは無邪気だからかなんなのか、ともかく二人は自分たちの力を見せる場面がやってきたことを素直に喜んでいる。そんな子供たちの姿勢にソアラはなんだか胸が切なくなって、たまらず二人の体を抱き寄せた。
 「お母さんどうしたの?」
 「心配しなくても大丈夫だって。」
 「心配しないなんて___できるわけないでしょ。」
 ソアラは絞り出すように二人の耳元でそう囁いた。弱々しい声に子供たちは一瞬笑みを消すが___
 「うははは!」
 「きゃははっ!」
 急にソアラが脇をくすぐったものだから、二人はまたすぐに笑顔を取り戻す。ソアラも手を離して立ち上がったときには笑っていた。
 「心配だけど見守っていてあげる。あんたたちの強くなったところしっかりと見せて頂戴。でもね、絶対無理したら駄目。危なくなったら意地張らないで降参すること、それだけは約束して!」
 「はい!」
 快活な返事が響く。ソアラは微笑みから憂いを消すのに腐心しながら、二人の頭を撫でてやった。

 もうここまで来たら見守るしかない。無邪気な笑顔を振りまいて石のステージへと向かう子供たちの後ろ姿を、ソアラはいつまでも見つめていた。
 「大丈夫、俺たちの子だぜ。」
 百鬼がまだ痺れの残る手をソアラの肩に掛ける。笑顔がぎこちなかったのは果たして痺れのせいだけだろうか。
 「うん、わかってる。」
 それでも彼の言葉はソアラを勇気づけた。もし自分一人でこの場にいたら、きっとスクリーンを直視することはできなかっただろう。やがて二人は手を取り合って、空へと目を移す。
 いざ、晴れの舞台へ。リュカとルディーの挑戦が始まる!




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