2 選抜せよ!

 血湧き肉躍る瞬間!
 冷血なる妖魔の住む世界で、よもやこんな戦いが繰り広げられようとは誰一人として考えもしなかった。だが、だからこそ彼らにとってこの発想は新鮮であり、珍妙であり、内に秘めた熱意や野心を掻き立てられるのだ。
 妖魔にとって、自己を顕示することは何よりの欲望であると同時に禁忌だ。自己顕示はすなわち己の能力の暴露であり、それは自らの命を縮めることになりかねない。この戦いに参加するというのはそれだけのリスクを伴っている。
 だが一方で、妖魔は極めてプライドの高い人々でもある。誰しもが己の能力こそ最高だと信じて疑わない、傲慢な生き物である。妖魔が自己を明らかにするとき、それは勝利を信じて疑わないとき。それは___彼らにとって至福の瞬間でもある。
 界門に集まった二千三百余名の妖魔たちの多くは、自らが覇王となることを信じている。戦いに勝ち、頂点に立つことを考えて、この場へと足を運んだ者たちである。
 だが元来用心深い彼らが、これほど黄泉らしくない祭典になぜこぞってやってきたのだろうか?それは、餓門という名の知れたプロモーターを擁立し、短期間で希に見るほどの大集落を築いたアヌビスの知略に寄るところが大きい。アヌビスが七十夜を掛けて築いたもの、それはこの大会の「説得力」だったと言っても過言ではないだろう。
 黄泉の覇王決定戦。優勝商品はその名の通り黄泉の覇権___!
 それは餓門が言って初めて納得のいく言葉なのである。
 「俺の呼びかけに大勢の妖魔が集まってくれたこと、まず何よりも感謝する!」
 開会の式典。石造りの闘技場は黒山の人集りとなった。唯一、広々とした武舞台の上に立ち、餓門は持ち前の大声で雄々しく叫んだ。
 「この戦いは!」
 気の高ぶりを隠すことなく、大きな身振りを交えて観衆に訴える。その姿はさすが水虎の右腕と謡われただけあって、威厳と風格に溢れていた。
 「この戦いは___」
 しかし広々とした会場を埋め尽くした人々の視線に舞い上がったか、牙丸に言われてあれほど練習した開会の口上が吹っ飛んでしまった。
 「ええい!この戦いで黄泉で一番強い奴を決めるんだ!みんな真っ向勝負でぶつかり合え!絶対に手加減なんてするんじゃねえぞ!!」
 だがそこはそれ。深く考えない頭と持ち前の潔さで餓門はこの難局を乗り越える。簡潔で、明快で、豪快な言葉は、むしろ観衆の大喝采を誘った。

 一方その頃、界門から少し離れた場所では、この戦いの主役であるはずの戦士たちが待ちぼうけを食らっていた。そこは広大な森を切り開いて、大地に石畳を敷き詰めただけの退屈な場所。ただどういう仕掛けか、空には会場の様子が投影されており、飽きることはなかった。
 「すごい熱気だねぇ!」
 「まぁね。」
 音まで伝えるスクリーンを見上げ、ライが声を上擦らせる。会場の興奮は確かに伝わるのだが、ソアラは不満げな顔をしていた。
 「でもさ、何であたしたちはこんな所にいなきゃいけないわけ?」
 「おそらく予選会でしょう。これだけ大勢の人をすべて一対一で戦わせていたら何夜かかるか分かったもんじゃありませんから。」
 棕櫚の答えを聞いてもいま一つ釈然としない。そもそもこの大会、開幕したというのに戦士たちにはルール説明さえない。同じような不満を持つ妖魔はいるようで、締め切り当初より参加者が少し減ったなんて噂もある。
 「苛々してもアヌビスの術中に填るだけよ。」
 「そりゃそうだけどさ。」
 ミキャックの忠告にソアラが口を尖らせていると、空の映像の前に利発そうな女性が躍り出た。蝶のような羽をはためかせ、愛らしい笑顔を振りまく彼女は、スクリーンの真ん中で止まると深々と頭を下げた。
 「お待たせいたしました!私はこの戦いの進行を務める帰蝶(きちょう)です。それではこれから覇王決定戦の約定を説明いたします!」
 元気の良い進行役だが、拍手をして出迎えたのはソアラたちの一団くらいで、後は静かなもの。この辺りが妖魔の気質なのだろうが、おかげで彼らと帰蝶の目があった。
 「色目を使わない。」
 「いてて。」
 手を振って微笑むサザビーの頬をミキャックが抓る。どうやらこの七十夜の間で彼女の有耶無耶も片づいたように見えるが果たして。
 「え〜まず!ズバリ言いますと、ここで二千三百十八名の方に脱落していただきます!本戦、つまりあちらの舞台で一対一の勝ち抜き戦を行えるのはたったの六十四名です!」
 その言葉に、冷静な妖魔たちの間でも小さなざわめきがあった。おそらく、さほど高い目標を設定していなかった妖魔が狼狽したのだろう。彼らの多くは売名が目的であり、あの舞台の上で自らの力を披露して、新たな覇王なり権力者に買われようと考えている連中である。
 「壁が高いな。」
 「覚悟の上でしょ。」
 苦笑している百鬼をソアラが小突いて茶化した。他に比べて賑やかなためか、それとも子連れ姿が場違いなのか、二千を超える集団の中でもソアラたちはどこか浮いて見える。
 「皆さんをこれから約百五十名ずつの組に分けます!その百五十名で戦っていただき、各組から勝ち残った四名が本戦に進出です!」
 ただでさえ実力者の妖魔たちを百五十人も向こうに回して勝ち残らなければならないのだから、確かにハードルが高い。できるだけ無駄な戦いは避けて数が減るのを待つか、それとも自信を持って積極的に打って出るか、判断も分かれるところだろう。選抜方法が明らかになったところで、いよいよ妖魔たちにも異様な緊張感が漂い始めている。
 「では早速始めましょう!みなさん、登録時に受け取った札は持ってますね?それを片手で握って下さい。」
 帰蝶の呼びかけに応じて、二千三百の妖魔たちがその手に札を取る。
 「あれぇ!?どこにやったっけな!」
 「忘れないように晒しに挟んでおくんじゃなかったのか?」
 「あ!そうだ!」
 一部でまごついている面々を待ってから、帰蝶は徐に両手を空へと突き出した。
 「ではいきますよ。体に害はないですから、皆さんジッとしていて下さい!」
 そしてなにやら呟いて深い念を込めると、足下の石畳から桃色の光が立ち上る。
 「うわぁ。」
 「綺麗〜。」
 多くの妖魔たちが泰然自若としている中で、リュカとルディーは煌びやかな光に目を輝かせる。不愉快そうに一瞥した妖魔に、ソアラがペコリと頭を下げていた。まだ九つなのだから仕方ないが、これでも前よりは大人しくなった方である。
 「あっ。」
 子供たちの姿に気を取られているのも束の間、気づいたときには右手に握っていた札の感触が消えていた。そして驚いたことに、札に書かれていた数字が手の甲に刻みつけられていたのである。
 「さすがにこれだけの人数を一度にやるのは疲れるわぁ。あ、すみません、え〜お気づきのように、札に書かれた数字が皆さんの体に乗り移ったと思います。これで番号を使った不正はできません。そしてその数字は皆さんが戦えるかどうかを表す印でもあります。見てください!」
 帰蝶は軽やかに舞い、空のスクリーンの横手へと移動した。闇の中に鮮やかに映し出されているのは、武舞台に置かれた百五十のマス目だった。
 「これからあちらの会場で、このマスめがけて皆さんの数字が書かれた球を放り込みます。全てのマスが埋まった時点で、そこに書かれた番号の人は戦場に移動してもらいます。球は特殊なガラスで、まぁあたしの能力なんですけど、その人の生命力に応じて色が変わります。通常は赤色ですが、戦闘不能に近づくほど青色へ、もし亡くなられた場合は黒くなってやがて消えます。」
 そう、この戦いはルール無用だ。武器の使用は自由だし、相手を殺してはいけないなんて穏便な決まりもない。
 「降参される方は、戦場から逃げ出してください。その時点で私の能力は解除され、あちらの玉も消えて無くなります。ああ、戦場から弾き出されちゃった人も降参と同じですからお気を付けて!百五十人で一斉に戦っていただいて、最終的に四人残った時点で終了です。相打ちで三人になったり、もの凄く強い方が一気に一人勝ちしたら、余りは他の組に回します!皆さん分かりましたか?」
 「はーい!」
 相変わらず元気の良いリュカとルディー。周りの視線が怒気を孕んでいようとお構いなしで、ソアラたちを冷や冷やさせる。
 「ああそうそう、餓門様は主催者ですので本戦からの登場です!」
 それには不満の声もありそうだが、帰蝶は付け入る隙を与えずに言葉を続けた。
 「それでは早速始めましょう!会場の翠さん!やっちゃって下さい!」
 帰蝶の威勢のいい声を受けて、会場のボルテージも上がる。武舞台の上では鋭い牙がチャームポイントの女性が、しなやかに飛び跳ねて愛想を振りまいていた。彼女が翠。耳や尻尾、頬の長い髭、クリッとした眼を見る限り、どうやら猫の化身か。
 「はいはい!では前置きもなく予選第一組を始めちゃいましょう!」
 と、翠は武舞台の中央に置かれたテーブルに歩み寄り、巨大な樽に手を掛けた。
 「この中に帰蝶ちゃんの作ったガラス玉が人数分入ってます!それを今からここにあるマスが一杯になるまで転がすんです!本能でじゃれついちゃったらごめんなさ〜い!」
 露出の高い服で媚びる翠の仕草に、会場は異様な盛り上がり。こちらでも同じように空にマス目が投影されているが、翠の華やかさが無ければテーブルの上のみみっちい作業は実に地味だ。この辺りの人選もアヌビスの工夫なのだろうか?
 ともかく、大観衆に見守られながら翠は樽の栓を外す。ガラス玉は次から次へとマス目の中へと転げ落ち、たまに翠が気まぐれではじき出したりしながらも、すぐに百五十のマスが埋まった。
 と、その時___
 「あ、光ってる!」
 ソアラの手の甲の数字が桃色に光った。
 「いま数字が光っている方が第一組の出場者です!こちらの石床まで出てきて下さい!」
 どうやら早速の出番だ。ソアラは慌てて左腕に遊ばせていた手甲のベルトを締め直す。
 「よっ、切り込み隊長。」
 「お母さん頑張って。」
 「怪我しないようにな。」
 「おまえが負けたら俺ら望み薄だぜ。」
 「大丈夫、こんなところで負けてたまるもんですか。」
 矢継ぎ早な激励に笑顔で答える。ソアラは他の戦士とは比べ者にならないほどリラックスしていた。
 「修行の成果、ばっちり見せてやるわよ。」
 それは強くなった己への、自信の現れでもあった。

 慌てず騒がず、百五十人の妖魔たちが石畳から歩み出て、帰蝶の待つ黒ずんだ石のステージへと進む。お互いがお互いを密やかに意識しながら歩むその時間、ソアラも時折背に殺気を感じていた。
 (やっぱり___一人一人のレベルは高そうね___)
 その気配の鋭さ、或いは静けさ、ここに集った妖魔たちはやはり並ではない。だがソアラに向けられる気配は乏しく、別の妖魔への意識の方が遙かに強く感じられた。
 (あいつ強いのかな、みんなの敵意があいつに向いてる。)
 ソアラもその目つきの悪い妖魔に気を取られていた、しかし___
 「あーっ!おまえ!そこの紫の!」
 「!?」
 いきなり怒声を浴びせられてソアラは肩を竦めた。驚いて振り返ると、名前は思い浮かばないが忘れもしない顔がそこにいた。
 「___あの時の!」
 久方ぶりに再会した竜樹は金城で遭遇したときと同じく、野獣を思わせるギラギラした目をしていた。すぐさま腰を落として刀に手を掛ける無鉄砲さも変わりない。
 「見つけたぞ紫女!この前の戦いは決着が付いてねえ!今すぐ勝負だ!」
 「今すぐって___くっ!」
 竜樹の鋭い一太刀をソアラは左腕の手甲で受け止める。
 「あんたには節操ってものがないわけ!?」
 「うるせえ!」
 そうしている間に、二人はステージへと進む人波からも取り残されつつあった。
 「なんだありゃ。」
 やけに目立つソアラと竜樹を、サザビーは煙草をふかしながら見ていた。
 「な、なんだろうな、あははは。」
 その隣で笑う百鬼の頬が引きつっていたことは誰も知らない。
 「このまま押し通す!」
 「く___!」
 竜樹の腕力は金城の戦いでも思い知らされた。手甲で受け止め続けるなら、紫のままでは持ちそうにない。
 (冗談じゃない___いきなり目標取り下げなんてゴメンよ!)
 しかしソアラには思惑があった。この黄泉の覇王決定戦、彼女が一つのテーマにしているのは「どこまで紫のままで戦えるか」なのだ。いくら相手が強敵とはいえ、まだステージに立つ前から目標撤回では目も当てられない。
 呪文で引き剥がしてやる___と右手に魔力を込めたその時。思いも寄らぬ叫声が二人の力を削いだ。
 「ぐあああ!」
 石造りのステージ、その上で一人の若い妖魔が巨大な手に胸を貫かれていた。見せしめのように、串刺しの妖魔を高く掲げたのはあの目つきの悪い妖魔だった。命の霧散に呼応して、闘技場でも一つのガラス玉が黒へと変わっていく。その様は空のスクリーンに大写しにされていた。
 「なるほど、これなら分かりやすいな。」
 男は笑みと共に巨大な腕を振るい、若い妖魔の骸は弧を描いて宙を舞った。
 「なんだあいつ___」
 「気に入らないわね。じゃ、また!」
 「あ!待ちやがれ!」
 珍しく意見があったところで、ソアラは隙をついて竜樹から逃れた。
 「あれでもお咎めはなしか。」
 「ということは、今ここで襲撃されても文句は言えないということですね。」
 サザビーと棕櫚が口々に語ったその時、ソアラと竜樹が石のステージへとたどり着いた。
 「では戦いの場へ!ご健闘をお祈りします!」
 次の瞬間、帰蝶の声と共に前触れもなく石のステージが輝きだす。ステージ上でソアラに掴みかかろうとしていた竜樹も動きを止め、そのまま百四十九名の戦士たちが光に飲まれていった。

 戦士たちが降り立ったのは、黄泉らしい複雑な自然の中だった。今立つ場所こそ草一つ無い剥き出しの大地だが、右手には木々が生い茂る森林地帯、左手には大きな川が流れ、正面には起伏の激しい岩石地帯が見える。そこは戦いのために用意されたのではと疑うほど、多彩な地形だった。一瞬での移動からして、あの石のステージは転送機か。
 「すげぇなぁ___って、あいつどこいった!?」
 竜樹もその光景に圧倒されたか、ソアラを見失ってしまったらしい。
 (あんたばかりに構ってられないの。)
 当のソアラは隙を見て妖魔の雑踏の中へと紛れ、竜樹の目を逃れていた。
 「あら、見た顔ね。」
 「え?あっ___!」
 しかしそこに待っていたのは、妖艶さと狂気を併せ持つ派手な女。
 「朱雀___!」
 天破を失脚させた実行犯との再会に、ソアラは息を飲んだ。
 「やっぱり。あんた潮に殺されたんじゃなかったの?随分しぶといわね。」
 「まあね___」
 「どう?ここは一つ顔見知りのよしみで共闘しない?」
 一概に信用できない相手だが、答えを決めかねている間に野太い男の声が響いた。
 「これより予選第一組を始める!」
 おそらく餓門の声か。
 「おまえらのいる場所は巨大な光の円で囲まれている!そこから出たら失格だから気を付けろ!さぁて行くぞ!銅鑼の音で戦闘開始だ!」
 グワァァァァ〜ン!
 「え!?もう!?」
 用意の暇もありゃしない。間髪入れずに銅鑼が鳴ると、戦場はすぐさまめまぐるしく動き出した!
 「!」
 一瞬の気配。ソアラの足下の大地が真っ二つに割れた。その裂け目にはノコギリ刃が走り、さながら鮫が口を開けているかのようだった。大地に潜伏する能力を持った妖魔か?しかし気配をいち早く察したソアラはすでに飛び退き、彼が飲み込んだのは朱雀の放った大量の酸液だった。
 「ぐごぁぁぁ!?」
 悶絶の声を上げ、土が人型へと盛り上がっていく。そこで彼の命運は尽きた。
 「たぁぁっ!」
 おそらくは顔であろう場所に、ソアラの痛烈な膝蹴りがめり込む。見事とは言わないまでも、そこには朱雀との連係プレーが成立していた。
 「どうかしら?悪くないと思わない?」
 「___わかった。」
 下手に付け狙われるくらいなら一緒にいた方がまし。不信を捨てることはなくとも、ソアラは朱雀との共闘を受け入れた。
 「あいつ___強いな。」
 予選会場の様子は、これまでのように空のスクリーンに映される。被写体を決めるのはカメラマンとでも言うべき能力者なのだろうが、気になるのはやはり有力とされる妖魔の存在。先程からスクリーンに頻繁に映るのは、あの目つきの悪い妖魔だった。
 「あれは死神黒閃です。」
 それを見つめる棕櫚の目も決して穏やかではない。
 「死神?」
 「殺しを何よりも好む殺戮狂です、だからそう呼ばれています。」
 そう言っている間にも、スクリーンには黒閃が体に比べてあまりに巨大で凶悪な右腕を一振りし、妖魔三人の首を断つ姿が映し出されていた。
 「嫌なものを見せやがる。」
 百鬼は自分の両隣でスクリーンを見つめる子供たちの目を遮ろうとした。しかしリュカは届かないようにしゃがみ込み、ルディーも横に除けてスクリーンを見つめ続けた。
「おまえら___」
 「あたしたちだってあれと戦うかもしれないんでしょ。」
 「勇気を持たなきゃ。」
 二人は確かに逞しくなっている。百鬼は驚きを隠せなかったが、決して喜びはしなかった。
 「壊したり奪ったりするだけの強さ、そんなものはただの凶器だ。」
 「僕たちのはそれを止めたり守ったりする強さだよね。」
 身も心も少しずつ大人になっているリュカとルディー。だが百鬼は戦いに抵抗を感じない彼らの姿に一抹の不安を抱いていた。いや、ソアラはもっとだ。竜の使いだからこそ、彼女は日に日に力強さを増していく二人の姿に困惑していた。
 「逞しいもんだな、あのボウズたちは。」
 「でも___僕は自分の子供にあんなこと言われても嬉しくないと思う。」
 実際に、我が子を失った者にしか分からない痛みがそこにはある。だからこそ、ライの言葉には重みがあった。

 百四十九名の戦士たちは、さほど時も経たないうちにもはや両手で足りるほどの数まで絞られていた。最も多くの戦士を戦場から消し去っているのは黒閃だ。彼の前に次々と命が散り、戦意を失った妖魔たちが逃亡した。
 残った面々は、黒閃と接触せずに戦っていた者たちばかり。その中には朱雀の誘導で黒閃から離れたソアラ、そのソアラと戦うことに執着するあまり黒閃と交わらなかった竜樹も含まれている。
 「待ちやがれ紫!」
 竜樹は相変わらずソアラだけを追い続けていた。
 「ったく!しつこい!」
 だがソアラも簡単には掴まらない。障害物の多い森に逃げ込み、竜樹のスピードを殺しながら付かず離れずの距離を保っていた。
 「由羅!」
 朱雀の声で振り向いたソアラは、目前に空気の歪みを感じた。
 「ちっ!」
 素早く身を屈めると、頭のすぐ上で何かが炸裂する感覚があった。察するに空気の圧力弾か。
 「くらいな!」
 朱雀の手から酸液が迸り、入り乱れた枝葉に降りかかる。
 「ぐっ!?」
 青々とした葉はあっという間に焼かれ、その奥に隠れていた男の姿が晒される。彼が見たのは、腰を落とし拳を引くソアラの笑みだった。
 「おかえし。」
 「!?」
 その瞬間何が起こったのか、すぐ近くにいたのに朱雀には分からなかった。ただソアラがほんの少し動いたような気がしただけ。しかし男は木の上から落ちてきた。
 「さあ行くよ!竜樹が来る!」
 「え?ええ___!」
 呆気にとられている暇もない。舞うような軽やかさで森の奥へと逃げるソアラに、朱雀も続いた。
 (冗談じゃない___この女とんでもない強さなんじゃないか?)
 その面持ちは、驚愕という彩りを差し引いても穏やかではなかった。ほんの一時、ソアラの意識が全く自分に向いていない瞬間だけ、朱雀の目は冷然とするのだ。
 「ぐぉぉ___いてぇ___」
 木から叩き落とされた男は、顔に殴られたような赤い跡を刻みつけて呻いていた。彼の能力は空気を強烈な圧力で飛ばすこと。その攻撃は目に見えず、命中すれば金槌で殴られたような衝撃を与える。彼は木々の影を転々としながら、通りかかった妖魔たちを狙い撃ちにしていた。
 「なんだあの女!?あれは俺と同じ空圧弾___」
 だが驚いたことに、一見弱そうな紫髪の女に自分と同じような技を返された。あっさり能力を看破されただけでもショックだというのに、彼の悲劇はこれで終わらなかった。
 「邪魔だぁあああ!」
 「!?」
 ゴガッ。
 振り向いたその時には、竜樹のわらじの裏が目の前まで迫っていた。木々の狭間を劈いてきた跳び蹴りで、竜樹は見事に男の顔面を捉えたのである。
 「また逃げられた!」
 名前も分からぬまま失神した男をそのままに、竜樹はソアラを逃したことに地団駄を踏む。その様子をソアラと朱雀は少し離れた木陰から見ていた。
 「これで二十人目かな?いい仕事してくれるわ。」
 「何者なの?あの子は。」
 「知らないわよ。ただ妙にあたしに付いてくるだけ。」
 もしソアラにうまく誘われていると知ったら、竜樹の怒りはこんなものではすまなかっただろう。
 「いや___逃げられやしねえ。」
 それこそ、これほど素早く冷静さを取り戻すこともなかったはずだ。
 「音は消せても、息遣いや心臓まで止められる訳じゃない。気配を感じればすむことだ___」
 竜樹は刀の切っ先を下げ、ただその場に立ちつくす。目を閉じればすぐに気が静まり、やがて無心の境地へ。
 「何?あの子止まっちゃったじゃない。」
 朱雀は怪訝な顔で竜樹を見つめる。一方のソアラは___
 (まさか___気配を感じようとしている?)
 竜樹の意図に感づいていた。だがあれだけ感情の起伏の激しい人物に、僅かな気配を感じるほどの繊細さがあるのだろうか。ここはできるだけ息を潜めて、彼女の素養を図るのも悪くないかもしれない。
 「なにやってんの、今のうちに逃げるよ。」
 「待って___!」
 しかし朱雀が動いたことで、ソアラの狙いは潰えた。竜樹が勢いよく目を開いたのを確認するまでもなく、ソアラは朱雀に飛びつくようにして倒れ込んだ。
 ズガガガッ!!
 ソアラの背の上を夥しい衝撃波が駆け抜けていく。刀の一振りから放たれた鋭利な波動はまさしくカマイタチ。あたりの木々をやたらめったら痛めつけ、ソアラの背を撫でながら森の果てへと消えていった。
 (凄い___これがドラグニエル___!)
 並の服だったら背中に深い裂傷を刻んでいただろう。しかし竜装束ドラグニエルはソアラに一切の傷を許していなかった。だが今は、感激してもいられない状況である。
 「見つけた!」
 ついに竜樹に追いつかれた。
 「どうも___」
 片手で袴の裾を持ち上げ、竜樹は大股開いて苔むした石に足を踏み下ろす。そんな彼女の姿に、ソアラは引きつった笑みを浮かべた。
 「ここで会ったが百年目!いざ尋常に、この前の勝負の続きだ!」
 仰々しく刀を振り上げて見栄を切る姿は様になっている。しかし朱雀は勿論、ソアラもまともに相手にする気などさらさら無かった。だが、ただ逃げてまた追いかけ回されるのでは埒が開かない。
 「分かったわ。続きをやろうじゃないの。」
 「本当か!?やっほ〜い!おまえ強かったからなぁ、金城で俺を手こずらせたのは煉とかいうおっさんとおまえだけだ!」
 ソアラの言葉をあっさりと信じて無邪気にはしゃぐあたり、可愛らしいところもあるのだが、どうにもこうにも取り扱いが難しい。
 (この調子じゃ先々までつきまとわれそうね___)
 いつからそんな因果になってしまったのか、ソアラは首を捻りたい気分だった。
 「一騎打ちにしましょう。だから彼女には離れてもらう。良いわね?」
 「当然だ!」
 「そういうことだから朱雀、向こうに行っててくれる?あぁ、激しい戦いになるだろうから___絶対に振り向かないで逃げてね。」
 振り返って言いつつ、ソアラは朱雀にだけ見えるようにウインクを送る。煉と渡り合ったという言葉に動揺していた朱雀も、ソアラに策があると察し、戸惑いを消して頷いた。
 「分かったわ、振り向かずに逃げる。」
 意図はしっかり伝わったようだ。ソアラは満足げに小さな笑みを見せると、改めて竜樹に向き直った。頑丈そうな白い歯を見せた笑顔に緊張感はない。しかしその体から漲る闘争心は、ソアラの体を汗ばませるほど熱気に溢れていた。
 (誰かさんみたいな暑苦しさだわね、全く。)
 と、ソアラがそんなことを考えていると、竜樹が刀で空を一切り。
 「今度は俺も刀を使うから覚悟しておけ!」
 「へ〜、なかなか良さそうな刀じゃない。」
 夫の影響もあって、ソアラも刀には多少の興味があった。今も刃の軌跡が生み出した滑った輝きに、惹かれるものを感じていた。
 「当たり前だ!百鬼は最強だぜ!」
 だがまさかそんな名前だったとは。彼女に感じた暑苦しさと刀の名前。竜樹があいつの親戚の子のように思えてしまって気分が悪くなった。
 「___やな名前ね。」
 「ぬわぁんだと!?」
 「変えた方がいいわ、絶対。」
 「ぬぅぅぅぅ!冬美といいてめえといい、俺の百鬼を馬鹿にしやがって!絶対ゆるさねえ!」
 誰が俺の百鬼だって!?と思いながらも、ソアラは冷静に振る舞った。いきなり斬りつけてきた竜樹の刃を横っ飛びで回避すると、空中で身を翻して近くの木の横腹に足から突っ込む。太い幹を蹴りつけて、その勢いで一気に竜樹との距離を取った。
 「隙だらけだ!」
 しかし横っ飛びの分だけ、竜樹にはソアラをじっくりと見る余裕があった。逃れようとするソアラの動作は読みやすく、竜樹が追いつくのは造作もないことだった。
 「わざとよ。」
 しかしその隙は誘い水だ。竜樹を引きつけてから振り返ったソアラは、今まさに斬りかかろうとする彼女の前で両手に灯した魔力を解放する。
 「!?」
 ソアラが放ったのは二つの呪文だった。右手にドラゴンブレスを、左手にプラドを。どちらも初歩的な呪文で、今となっては念一つで瞬間的に放てる反面、威力は乏しい。しかし些細な応用を加えれば、この場はそれで充分だったのだ。
 「うぎっ___!」
 竜樹が呻いた。今まさに斬りかかろうというその時に、彼女の目前で小さな炎と目映い光の玉が重なり合った。その瞬間、目映い閃光が炸裂したのである。まさに一瞬の出来事だったが、その時だけ灰色の戦場は白へと変わった。
 「くぅぅぅ!?目がぁ!」
 炎爆の乱反射。爆裂の呪文に炎の呪文を浴びせることで、爆裂の呪文が持つエネルギーを瞬間的に膨張させ、それが強烈な光の輝きとなって発散する。さしもの竜樹も、目前で炸裂した閃光弾をまともに見てしまっては、顔を押さえて喘ぐしかなかった。
 「畜生!汚ねえぞこの野郎!」
 残念ながら一本取られてしまった。簡単に罠に掛かった自分、目眩ましに成功したくせに攻撃してこなかったソアラ、どちらにも苛立ちながら竜樹は叫んでいた。

 「これでますます嫌われるわね。」
 竜樹の追撃を振り切ったソアラは、そんなことを呟いて苦笑いを浮かべた。そんな彼女の表情を見る限り、竜樹への煩わしさはあっても敵意は抱いていないようだった。
 「あ、いたいた。朱雀!」
 朱雀の後ろ姿を見つけ、ソアラは少し声を潜めながらも彼女に呼びかけた。だが朱雀は、律儀に約束を守って振り向かず、しかも立ち止まっている。どうにも様子のおかしい後ろ姿に、ソアラが怪訝な顔をしたその時、異変が起こった。
 「!?」
 朱雀の身体が揺らぎ、崩れ落ちるように地に伏したのだ。驚いたソアラは足取りを速め、朱雀の元へと駆け寄った。
 「朱雀!?どうしたの___!?」
 横たわる朱雀の身体に、跪いて手をかけようとする。真上の小枝から飛び立った小さな虫の羽音など、耳に入る状況ではなかった。
 鋭い一手があれば、勝負は一瞬で決する。それでこそ、あと数人消えれば戦いが終わるところまで、ひたすら身を隠して機会を窺っていた甲斐があるというものだ。
 ソアラの首筋辺りで蝿の変化を解いた潮は、そう思いながら刃を飛ばしたことだろう。
 しかし___
 「なっ___!?」
 潮の短刀はソアラの首を捉えなかった。
 「後ろ。」
 「!?」
 ドガッ!
 空中で人の姿に戻り、急所を一撃するのは潮の常套手段。しかし今は、後ろを取ったはずのソアラに一瞬で体を入れ替えられ、しかも振り上げた踵の一撃で地に叩き落とされた。
 「___!」
 さらに追い打ちを掛けるかに見えたソアラだが、次の瞬間にはその場から消えていた。
 「馬鹿な___!」
 迸った酸の飛沫はソアラに届かない。朱雀が目を疑うのも無理はない、一秒とない間にソアラは十歩は離れた木の側に立っていた。
 「やっぱりそう言うこと。あたしが竜樹を利用していたみたいに、あんたたちもあたしを利用してたってわけね。」
 苔むした大木を背にして、ソアラは朱雀に微笑みを送る。潮の姿がまた消えていたが、彼女は慌てる素振りさえ見せなかった。
 「朱雀!恐れることはない!こいつはもう俺の姿を見失っている!まぐれがそう何度も続くものかよ!」
 小さく機械的だったが、それは確かに潮の声だ。蝿に化けた彼は、ソアラの命を狙ってこの辺りのどこかに潜んでいる。薄暗い森の中で一匹の蝿を目で捕らえることの難しさ、それは当の潮が一番理解していることである。
 「確かにあたしはあんたがどこにいるのか見えてないわ。でもね、あんたの居場所はとてもよく分かるわよ。」
 「ほざけ!」
 潮の声だけが響いた直後、ソアラは前を向いたまま右手だけを横に伸ばした。
 「ね?それだけ殺気ビンビンさせてるんだもの。見えなくたって分かるわよ。」
 その親指と人差し指の狭間には、一匹の小さな蝿が蠢いていた。蝿に向かって微笑みかけたかと思うと、ソアラはすぐさま手首を撓らせた。
 「っ!」
 凄まじい勢いで飛ばされながら、潮の姿が元に戻る。その先にいた朱雀は突然のことに立ち尽くすことしかできなかった。
 ドガッ!
 壮絶な勢いで二人の身体が激突する。潮はすぐさま飛び跳ねるように身を起こしたが、朱雀は気を失ったのだろう、地に伏したままだった。
 「貴様___!」
 潮は苛立ちを込めてソアラを睨み付けた。さらなる罵声を浴びせようと思っていたのに、その瞬間に言葉が詰まって出てこなくなった。
 「あたしはあんたが大っ嫌い。でも、二度とあたしの前に現れないっていうなら見逃してあげる。朱雀を連れてさっさと消えなさい。」
 彼を黙らせたのは、ソアラの紫色の瞳だった。悟ったかのような冷然さと、自らの勝ちを確信している大胆さ。そしてなにより、強者だけが持つ厳格なる気配に潮は確かに畏怖を抱いた。
 だが、潮はそれを受け止められるほど謙虚な人間ではない。見下されているという事実への怒りが、彼から冷静さを奪い取っていた。
 「___貴様ごときが俺にでかい口を叩きやがって!後悔させてやるぞ!」
 潮が地を蹴る。ソアラはただ直立して視線を浴びせる。あの自信ならば待ちかまえるに違いない!潮はそう思っていた、だからどこまでも姑息に、どん欲に、策を弄する。
 「!」
 枝葉のざわつきと共に、木の上からソアラに向かってどす黒いものが落ちてくる。それは大量にウジの湧いた獣の死体だった。思いがけない攻撃に、ソアラもそれを払い除けることができなかった。
 「それは俺の生み出したウジだ!一匹でも身体に取り付けば貴様は蝿に___!」
 いや、払い除ける必要など無かった。ただ潮には、気を失う瞬間までソアラがウジを身体に浴びたように見えていたことだろう。既に動き出したソアラの手で、首の後ろに一撃を喰らったことなど、きっと理解できないだろう。まして彼の見ていたソアラが、魔力の作り出した幻影だなんて、想像もつかないに違いない。
 「終了!終了です!」
 その直後、戦場の殺伐とした雰囲気とは正反対な帰蝶の明るい声が木霊する。次の瞬間、ソアラの身体は淡い光に包まれると、自分の意志とは関係なく周囲の景色が変わった。
 「っと___」
 気づいたときにはソアラは石のステージの上へと立っていた。
 「あっ!てめえさっきはよくも!」
 「い!?」
 自分のすぐ横に事もあろうか竜樹が立っていた。驚いたのはお互い様だが、相変わらず竜樹の瞬発力には目を見張る。すぐさま一刀を振るい、仰け反ったソアラの前髪を少しだけ切り落とした。
 「はいはいやめてください!言うこと聞かないと失格にしますよ!」
 「う___」
 追い打ちを仕掛けようとしていた竜樹が踏みとどまる。ソアラも刀を払い除けようとしていた手を止めた。
 「元気のいい嬢ちゃんたち、そんなにはしゃぐことはない。いずれ俺が殺してやるから。」
 漸く動きの止まった二人を見て、黒閃は一人せせら笑っていた。勿論、「嬢ちゃん」なんて言葉を浴びせられては竜樹が反応しないはずもないのだが___
 「失格。」
 「ぐ。」
 彼女の気性を察して歯止めを打ったのはソアラだった。
 「おめでとうございます!予選第一組を勝ち残ったのは七百八十七番、千五百六十一番、千九百四十四番のお三方です!最後の最後で何人かの方が同時に倒されたため、結局勝ち残りは三名となりました!会場の皆さん盛大な拍手を!」
 さらに翠の軽妙なアナウンスが竜樹の怒気を萎えさせる。やがてまず黒閃が、意図的に少し離れてソアラが、それを見て竜樹も石のステージから下りて皆の元へと歩き出した。
 「ありがとな。」
 「なにが?」
 不意に竜樹から礼の言葉を言われ、ソアラは怪訝な横顔で問い返す。
 「止めてくれたことだ。おかげで失格にならなかった。」
 「そう思うならつきまとわないで。」
 「それは別の話だっ。」
 「___」
 ソアラは短い溜息をつくと、足を止めて彼女に向き直った。
 「なら本戦で戦いましょう。お互い決着を付けるまでは誰にも負けない。そしてそれまでは互いに関わらない。いいわね?」
 苛立ちのあまり口をついて出たのは、付け焼き刃の対処法。
 「言ったな!全言撤回は無しだぞ!わざと負けたりしたら一生付きまとうからな!」
 その言葉を聞いた竜樹は明らかに喜んでいた。そして早速約束を守ると言わんばかりに、ソアラを置いて群衆へと駆け出していく。
 (___あの子、本当にあたしと戦うまで負けないかも___)
 妙なやる気を与えてしまったことを少し後悔しながら、それでもソアラは漸くささやかな安寧を得たのであった。




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