1 戦士集結
長くて短い七十夜が過ぎた。
「___よっと。」
宙に開いた黒円から顔を出し、ソアラは颯爽と大地に降り立つ。頭首の人格の成せる業か、冷厳な黄泉にあって朱幻城の大気は柔らかく感じる。しかし彼女がやってきた場所は、それをも凌駕する汗ばむような熱気を帯びていた。
「お〜、凄いなこりゃ。」
「わっ。」
「明るいねぇ!」
連れて現れた百鬼と子供たちも感嘆の声を漏らす。薄暗い世界でおよそ一年も過ごしていると、輝きに溢れた集落の目映さにさえ目が眩みそうだった。
小高い丘から見下ろす新集落の界門は、それほど活気に満ちあふれていた。
「おい、後ろがつかえてるんだから早くどいてくれ。」
次から次へ、宙に開いた闇から人が現れる。サザビー、ライ、フローラ、ミキャック、棕櫚にレイノラ、最後に榊が顔だけを覗かせる。
「ここまでじゃな。」
「姫、送ってくれてありがとう。ばっちり活躍してくるからね。」
「お主が絡むと必ずいざこざが起こる。きっと面白い戦いになるじゃろうて。」
いつものようにソアラを皮肉って、それでも互いに笑顔を交わしてから榊は闇の円と共に消えた。
これから臨むのは黄泉の覇王を決める虚々実々の凌ぎあい。公正なる闇の番人がそんな大会に参加することはあり得ない。だから彼女はここでソアラたちと別れを告げた。それは忠心の仙山も含めてである。
次に会うときは勝利の報告を___その思いを胸に、ソアラは改めて決戦の地を振り返った。邪神が作らせたにしては余りにも目映い都市は不夜城を思わせる。暗がりの中の強い光は、人の戦意を掻き立てるのに充分だった。
「さあ、行こう!」
「おお!」
ソアラの掛け声で皆は歩き出した。外見の変化といえば、リュカとルディーの身長が明らかに伸びたくらい。もちろん大人たちも一様に逞しさを身につけたのは確かである。アヌビスの作った舞台にまんまと乗り込むというシチュエーションはともかく、漲る自信はこの七十夜での彼らの成長を物語っていた。
「ものすごい人だね!」
界門に辿り着くと、行き交う人並みの賑やかさにライは目を輝かせた。入り口から真正面に見える闘技場まで大通りが作られ、その両側には様々な商店が並び立つ。そこだけでも大した盛況ぶりなのだが、少し歩いて横行く路地を覗き込めば、またそこも活況で溢れていた。
「なんだかあそこを思い出すなぁ!え〜っと___なんだっけ?」
「ローレンディーニな。」
「そうそうそれそれ!」
ライが興奮するのも無理はない。この華やかさは中庸界でもローレンディーニ芸術祭くらいでしかお目にかかれないだろう。まさか黄泉でこんなお祭り騒ぎに出会うとは、棕櫚でさえ想像しなかった。
「こういうのを見せつけられると、アヌビスが作る世界もそんなに悪いものじゃない気がしてしまいますね。」
「そんなこと___」
棕櫚の言葉を否定しかけて、ソアラは口籠もってしまった。この景色はまやかしに過ぎないはずだ。しかしソアラは、地界のヘル・ジャッカルが決して居心地の悪い場所でなかったことを思い出していた。
「やがてここに新しい王が誕生する。その下にいられるのは弱者にとってなによりの安住だ。我先にと人が集まるのも無理はない。」
「___なるほど、確かにその通りですね。」
レイノラの言葉にソアラは納得した様子で頷いた。いずれここには黄泉の覇王が誕生する。妖人にせよ妖魔にせよ、門戸が開かれているうちにその傘下に入ろうと動くのは、生き残り競争の激しい黄泉だからこそなのかもしれない。
「やっぱり相手はアヌビス。気を引き締めて行かなくちゃ!」
と、自らの頬を軽く叩いて気合いを付けたソアラだったが、目に飛び込んでくるのは妙に浮かれているライと、美女探しに余念がないサザビーと、子供たちと同じような純朴さで街を眺める百鬼の姿。
「油断しっぱなしね。」
「あはは。」
フローラの微笑みに、ソアラは引きつった笑みを返していた。
この集落を形成する人種は三つある。
まずは商人たち。大通りを闘技場に向かって歩くだけで、露店をはじめ、多くの商店から呼び声が掛かる。彼らは妖人であったり妖魔であったりするが、これからもここで暮らしていこうと考えている人々が多い。
次は賑わいを楽しみに来た傍観者たち。その中には一定の力、それは財産であったり能力であったり地位であったりするが、そういった力を持った高位の妖魔もいる。彼らは娯楽として覇王決定戦を楽しむだけでなく、この賑わいの中に自分のテリトリーを作ることも考えている。心中に秘めるのは、新しい覇王に取り入ろうという強かさか。
最後はまさに覇王の座を賭けた戦いに挑もうとする戦士たち。外見ももちろんだが、来るべき戦いに向けて宿した鋭気は際だっている。そして彼らは戦士の勘みたいなものでお互いの存在を敏感に感じ取っているのだ。
「あの人は出場者ね。」
「ああ、雰囲気あるな。」
それはソアラたちにしても同じ事。今も一見すると商人風の細身の男を見て、そんな話をしていた。
「彼は暁御城(ぎょうぎょじょう)という集落の主で、千嵐(ちらん)といいます。なかなかの実力者ですよ。」
「へぇ。」
感覚は研ぎ澄まされている。長かった修行の成果は上々と言えそうだ。
「うわあ、これ凄いねぇ!」
「ほんとだ!」
「おいおい。」
一方ソアラに比べて張りつめた者を感じさせないのがその夫と子供たち。リュカとルディーに腕を引かれて行く先々の露店に吸い付けられていく姿は、到底戦士には見えなかった。
「ほらお父さん、こんなおっきいネズミ見たことある?」
「ほ〜、こりゃ確かに凄いな。」
リュカは食べ物に、ルディーはガラス細工などに惹かれがちだが、二人して大いに興味を示すのが生き物だ。今もなんだか禍々しい露店で売られている、人の頭ほどはあろうかという大ネズミに興味津々。
「坊ちゃん嬢ちゃん、こいつは守鼠(もりそ)といってなぁ、畑に放すと悪い虫を食べてくれると〜っても利口なネズミさ。」
背中がくの字に曲がった胡散臭い老婆の説明に、リュカとルディーは逐一感心している。親の百鬼まで彼らと同じような顔をしているのだから始末が悪い。
「今から餌やりを見せてやろう。」
「やった!」
「ちょっとあんたたち。」
老婆が背を向けたと同時に、ソアラもやってきた。こういうとき、家計の引き締め役はやっぱり母親である。
「寄り道ばっかりしてないの。早く闘技場に行くわよ。」
「え〜!もうちょっとだけ待って!」
「今いいところなんだから!」
二人の後ろ襟を引っ張るソアラと、懸命に抵抗する子供たち。さて父親はどちらに味方する?
「まあまあ良いじゃねえか。餌やりだけ見ていこうぜ。」
「わーいっ!」
「ったく、餌なんかやられたら買わないといけなくなるでしょ!だいたいあなたがそんなことだから___」
百鬼の腕を引き寄せ、店主に聞こえないような囁き声で詰め寄るソアラ。しかし、ふとその声が消えてしまった。不思議に思った百鬼が振り返ると、彼女はなぜだか急に青ざめていた。
「うわ〜すっごい!ムカデなんて食べるんだ!」
「あたし知ってるよ、躍り食いって言うんだよね。」
その直後、ムカデ嫌いな母の悲鳴が闇を劈いた。
「う〜。」
それからの道中、すっかりグッタリしてしまったソアラは、百鬼に引きずられるようにして力無く歩いていた。
「おい、しっかりしろよ。たかだかネズミがムカデを食べてただけだろ。」
「たかだかじゃないわよっ!思い出させないで!」
胃の中のものが逆流しそうなほど気持ち悪かったのだが、どうやら昔からデリカシーに欠ける旦那には分かってもらえそうにない。
「ねえねえお母さん。」
「なぁに___っ!!??」
しかも残念ながらその無神経さは見事に遺伝してしまったようだ。リュカに呼ばれて振り返ったソアラは、顔に玩具のムカデを乗せた息子の姿を見て、声にならない悲鳴を上げた。
「___」
人一倍やかましい一家に往来の人々は好奇の目を向け、レイノラたちは呆れた様子で他人のふりに徹している。しかしその中でフローラだけは、郷愁に満ちた面持ちで彼らのやりとりを見つめていた。
(アレックス___)
思い出されるのは我が子との悲劇的な別れ。百鬼一家の朗らかさに触れれば触れるほど、彼女は笑顔でいることが苦しくなっていく自分に気づいた。
「あ___」
しかし彼女は一人ではない。今も優しい温もりに手を取られ、いつもの穏やかさを取り戻していく。
「大丈夫、アレックスはきっと僕たちの所へ帰ってくるよ。」
「___うん。」
ソアラたちに自重してほしいなんてこれっぽっちも思わない。むしろ明るい家族の一コマを見せられるほど、必ずや我が子を取り戻そうと決意を新たにできるから。
「ありがとう、ライ。」
そしてなにより、彼の勇気と優しさを改めて実感できるから。
漸くたどり着いた闘技場。まだ青ざめていたソアラも、これまでの街並みとは違った緊張感に、幾らか鋭気を取り戻す。巨大で飾り気のない石造りの闘技場は、閉ざされた鋼鉄の門の無骨さからして「男」を感じさせる。力と力のぶつかり合い、誰が一番強いのかという単純明快な命題を競うに相応しい風格がそこにはあった。
「あそこが受付ですね。俺が行ってきますから、ここで待っていてください。」
迫力に見惚れている皆を後目に、棕櫚は門の脇に建てられた小屋に駆けていった。黄泉にいる時間も長くなって、ソアラたちもそれなりにこちらの文字や言葉遣いに慣れてきたが、やはりこういうときは棕櫚の存在が心強い。
暫くして___
「お待たせしました、これは皆さんの番号札です。一人ずつ渡しますから、無くさないようにしてください。え〜、まず由羅さん。」
「は〜い。」
大会に参加している間は黄泉の住人らしく振る舞うように、というのは黒麒麟ことレイノラからのお達しである。難しい注文だが、それぞれ榊に付けてもらった名前で呼び合うだけでも、それらしくはなるものだ。
「えっと、千五百六十一番ですね。」
「はい?」
「千、五百、六十、一です。」
驚きの数である。百人二百人は当然参加するだろうと思っていたが、千五百とは___黄泉一の剛力と謡われた餓門を相手にしても、これだけの数の妖魔が「勝てる」と思って出てくるというのか。
「締め切りまでまだ二夜あるんだよな?」
「きっともっと増えるでしょうね。はい、百鬼さんは千五百六十二です。」
続いて百鬼。彼の名前には榊も何ら手入れをしなかった。やはりソードルセイドと黄泉の文化はどこか似ているようだ。
「まあ後は皆さん連番ですので、まず雷さん。」
「はいっ。」
誰よりもおっちょこちょいな彼の性格に配慮をしてか、ライの名前にも変化はない。ただその音は、稲妻や厳かなる霊幻を意味しており、決して悪くはなかった。
「砂座さん、美希さん、それから竜花さん。」
「はいっ!」
一際元気良く返事をしたリュカだったが___
「違うでしょ、竜花はあたし。」
「いでっ。」
ルディーに頭を叩かれて引き下がる。誰に似たかは言うまでもないが、ルディーは成長するほど手が早くなっていくようだ
「最後に竜光くんですね。」
「紛らわしいよね、僕はリュカなのにさ。」
頭に手を当てながらリュカが千五百六十七番の札を受け取る。名前には不服そうだったが、自分の力を試す舞台への参加証を手にすると自然に笑みがこぼれ出た。これが遊具の引換券なら微笑ましいが、虚々実々の戦いへの入場券なのだから親としては心中穏やかではない。
「あんたたち、これは遊びじゃないんだからね。本番では父さんも母さんも手助けできないんだから。」
「大丈夫だよ!」
「心配しないで。この戦いでお母さんに認めさせてあげるから。」
「___ったく、相変わらず口だけは達者なんだから。」
リュカとルディーの頭を力を込めてなで回し、ソアラは複雑な笑みを見せた。
___
「おまえの子供たちは優れた資質を秘めている。磨けば___おまえにも劣らない戦いができるかもしれない。」
レイノラからそう聞いたのは大会まで三十夜を切った頃。レイノラとの激しい鍛錬の合間、丁度ミキャックを相手に稽古を付けてもらっている子供たちの姿を眺めながらのことだった。
「___」
切り立った岩の縁に立ち、ソアラは子供たちの躍動を見下ろしていた。滴る汗もそのまに、肩で息をしながらその姿を見つめ、彼らの資質を感じた。否定したかったが、実際にリュカの剣技はまだアヌビスを知らなかった頃のライを凌駕しているし、中級呪文を難なく操るルディーの魔力は当時のフュミレイに匹敵するかもしれない。何しろ、応対しているミキャックにそれほどの余裕を感じないのが力の証明だった。
「気持ちのいいものじゃないわ。」
だがソアラは認めたく無かった。百鬼は子供たちの参戦に、全面的とは言わないまでも賛成している。それは彼らが天界の戦いに触れたことで明らかに逞しくなったのを見てきたからだろう。しかしソアラは___できるだけ子供たちを危険から遠ざけたいと考えていた。
「嫌かしら?」
「当たり前じゃない。それは___あなただってそうだったでしょ?」
その言葉にレイノラは失笑した。
「確かに私も嫌だったわ。でも私の知っているセティとレッシイは、もう子供ではなかった。自らの意思で戦うことを望み、父と母の力になることを望んだ。その気持ちは否定するべきでは無いとも思った。」
「あの子たちはまだ大人じゃありません。」
「確かにまだ未熟だし、今は強くなることが楽しいだけで壁にぶつかった経験もない。でも、あの子たちはすでに戦士としての自覚を身につけている。強くなろうとして、私たち大人から少しでも多くの事を学び取ろうとしている。それがあの子たちの資質よ。」
それは分かっている。でも冷静に分析されるとそれはそれで気分が悪いのものだ。ソアラは渋い顔のまま、それでも二人の戦いから目を離さなかった。
「そうして見ていられるおまえは強い。」
「そんなこと言われても嬉しくない。」
「いずれおまえが稽古を付けてやるといい、きっと彼らも喜ぶよ。」
結局、ソアラが自らリュカとルディーに手ほどきすることはなかった。子供たちも毎夜ソアラに修行の成果を報告はしても、彼女と手合わせをしたいとは言わなかった。
今思うと、それは彼らなりの作戦なのかもしれない。強くなった姿を見せて、母さんを驚かせてやろう___と。笑みを隠せないリュカ、認めさせると豪語したルディー、二人の態度を見るとソアラはそう感ぜずにはいられなかった。
ともかく大会への受付は済んだ。鳳香と名付けられたフローラは後方支援に集中するため、レイノラはアヌビスの動きを探るため、共に不参加である。あとは大会期間中の寝床を確保するだけなのだが___
「宿の空きが無くて___えっと、次の中から決めて下さいね。綺麗なお姉さんたちが一杯いる通りの宿、綺麗なお兄さんたちが一杯いる裏路地の宿、脛に傷持つ人たちが集まるいわくつきの宿、どれがいいですか?」
「全部イヤ。」
「そう言わないでくださいよ。」
「断然綺麗なお姉さん!」
「おまえは黙ってろ!」
「ねぇねぇ、脛の傷って何?」
こちらは難航しそうである。
開幕まであと二夜。まだまだ一癖も二癖もある役者たちが、自らを誇示するために開門へとやってくる。
「千八百五番です。」
「___」
全身黒づくめの男___
「千九百四十四番です。」
「よーし暴れてやるぞ!」
「恥ずかしいから少しは落ち着け。」
熱気と冷気の温度差が極端な女同士___
やがて長い鐘の音が響き渡るその時までに配られた番号札の数は、二千三百八十二枚にも達した。
そして___黄泉の覇王決定戦はいよいよその幕を開けたのである。
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