1 少年

 瓦礫から少し離れた岩の上に老翁が横たわっていた。意識はないが、確かにザキエルは生きていた。
 「あなたには本当に感服します。是非、色々とご教授願いたい。」
 「そんな、あなたに巫女たちの鍛錬をお願いしたいほどです。」
 ミロルグとニーサがそんな言葉を交わしている間に、フローラの覚醒呪文がザキエルの意識を呼び覚ました。
 「む___」
 「気が付いたわ。」
 「なぬっ!?」
 驚愕と共に身を翻そうとしたザキエルだが、その体はポポトルの頑丈な蔦植物で雁字搦めに縛られていた。さらに魔導師三人に睨まれては抵抗のしようもない。やがて観念したか、老翁は憮然として岩の上に鎮座した。
 「アレックスはどこ。」
 余計な質問は一切抜き。フローラはザキエルの前にしゃがみ込んで問いかける。縋るような仕草だが、思いの籠もった眼差しはザキエルを圧する迫力があった。
 「___クーザーにおる。おまえらなら獣たちを片づけるのも難しくはなかろう。しかし戦いが激しくなればアレックスと言ったな、きゃつも無事ではすむまい。」
 だが彼女の迫力は気勢に過ぎない。ザキエルの他愛もない言葉だけで、フローラの視線は頼りなげに宙を泳いだ。
 「助けたければ儂をクーザーに連れて行け。宝の隠し場所はそうそう分かるものではないぞ。」
 罠だろう。フローラの動揺につけ込み、老翁は強かに逆転のチャンスを狙っている。隠しだてもせず、挑発的な笑みを浮かべる姿は老獪そのものだった。
 アレックスに情熱の全てを注ぐフローラが、この提案を断るはずがない___ザキエルはそう確信していた。
 「___」
 そして事は思惑通りに運ぶ。フローラはミロルグを一瞥し、彼女が小さく頷くのを見ると改めてザキエルに向き直った。
 「分かりました。あなたをクーザーまで連れて行きます。」
 ザキエルは頬に刻まれた皺を一層深くして笑った。その態度を見る限り、彼はなんらかの奥の手を残しているのだろう。

 「ドラゴフレイム!」
 中級の呪文でも大魔導師アモン・ダグが使えば無双の破壊力となる。火炎の渦は街路一杯に広がって魔獣を襲い、さらに彼の背後では十数人の男たちが弓を引き絞っていた。
 「よし今だ!」
 炎の奥に大きな影が揺らいだその時、アモンが叫ぶ。一気に放たれた矢は炎から飛び出してきた魔獣をことごとく射抜いていく。抜群の統制を誇る彼らは、国の奪還を信じてフィラと共に潜伏してきた兵士たちだった。
 「よし、この調子だ。片っ端からぶっ倒すぞ!」
 「おおーっ!」
 街に蔓延る魔獣の掃討はアモンの仕事。ただそれだけでなく、できるだけ派手に暴れて敵を引き付ける役目がある。間隙を縫って城へと突き進む、三人の負担を少しでも軽くするために。
 「右だ!」
 フィラの声でライは狭い水路を右へと折れる。そこには岩のように巨大な蛙がいたが、敵の舌が伸びるよりも早く、ライの剣は蛙の口から頭まで真っ二つに切り裂いていた。
 「その先から城に入れる!」
 「よしっ!」
 ライとフィラは視線を交わして力強く頷くと、崩れ落ちた蛙を踏み越えた。
 ___伝書カモメの道案内で、ライ、アモン、デイルはフィラとの合流を果たした。地下水路に潜伏していたゼルナスは再会にも笑顔無く、ただ沸き上がる怒りを抑えることに必死で、異様な凄みを放っていた。
 しかし怒りの理由を説明する必要はない。ライたちもまた彼女の居場所にたどり着くまでに、水路を流れる惨たらしい死体をいくつも目の当たりにし、酷い死臭に嗚咽したのだから。
 「ザキエルは多分、今クーザーにいない。」
 怒りを押し殺し冷徹に振る舞うことで、彼女の精神は研ぎ澄まされた。そして自分の才能を信じることで、少なからずその片鱗を知ることもできた。
 「どうして分かるんだ?」
 「ついさっき感じたんだ。でっかい魔力が遠くの空に飛んでいった。」
 「___確かに。だがそれが本当に敵の大将か?」
 「間違いないと思っている。」
 天依巫女ニーサの元で数年に渡り修業した女だ。アモンも彼女の言葉を疑おうとはしなかった。
 「こんなチャンスそうあるものじゃないよ。あたしは___あんたたちが来てくれたことを天命だと思いたい!」
 決断は早い。ライたちも熱意に答える道を選んだ___

 錆び付いた鉄の格子をゆっくりと持ち上げてライが顔を覗かせる。水路の先は城の裏庭に続いていたが、そこは酷く草が生い茂っていた。ライは素早く庭へと這い上がり、彼の手を借りるまでもなくフィラが続いた。
 「この庭が何で手入れされてないか分かる?」
 「なんで?」
 「抜け道を隠すためさ。もちろん城の中からここに辿り着くにも、色々と隠し通路を抜けなきゃならない。ただそれを知ってる奴にとっては、これほど便利な道もないよ。気づかれない上に一気に中枢までたどり着ける。」
 「なるほど!」
 ライは音を潜めて手を叩き、溌剌とした笑みを見せた。しかし言葉と裏腹に、ゼルナスの顔はそこまで晴れやかではない。その理由は自分自身にある。
 「ただ___問題はあたしがその隠し通路を思い出せるかどうか。」
 「え〜。」
 眉間に皺を寄せて露骨に不満顔をしたライに、ゼルナスはムッとして拳骨を当てる。
 「しょうがないだろ、ここを通ったのはもうず〜っと昔の話なんだから。大丈夫、その場その場で思い出すよ。」
 行き当たりばったりな彼女の気性は、そもそも隠密向きでないのかもしれない。ズキリと傷む脳天を押さえながら、ライは彼女に続いた。しかし___
 「駄目だね、そんな事じゃ一人前のスパイにゃなれないぜ。」
 上からの声に二人は肩を竦めた。驚いて見上げると、そこでは薄汚れた男がいつものように埃まみれで笑っている。
 「デイルさん!」
 そう、今日は頼もしい助っ人がいた。
 「おまえらが遅いから、城の中から迎えに来たぜ。」
 裏庭に面する壁の一角、二階ほどの高さのところで石が跳ね上がっている。デイルはネズミの如き隠者の技で、一足先に城へと忍び込んでいたのだ。

 警戒の目を光らせているとは言っても所詮は本能に正直な魔獣たちである。指揮の行き届いた番兵のような緻密さはない。唯一気を付けなければならない臭覚も、城の中に人間が飼われている状況では大した意味を成さない。
 つまり潜入はことのほか簡単だった。
 「敵の大将は謁見の間にいることが多いみたいだ。玉座が黒く塗り替えられていた。」
 狭い通路を四つん這いになって進みながら、デイルは調べた限りの状況を二人に伝えていた。
 「今は?」
 「いなかったぜ。お姫さんの読み通りだ。」
 お姫さんとの呼び方に不機嫌そうな顔をしながらも、フィラはしっかりと頷く。
 「フローラは?それにアレックスは___?」
 ライの切実な願いにデイルは手足を止めて振り返り、首を横に振った。しかし落胆させるだけで終わらないのも一流のスパイだ。
 「だが牢の中にはかなりの人間が捕らえられている。望みがない訳じゃないぜ。」
 「よ〜し、ならとりあえずモンスターを片っ端から倒していこうか。」
 血気盛んに拳を握るフィラだったが、それはあまりに無鉄砲というもの。
 「この城の中には少なくとも三十体のモンスターがいる。姫さんの読みが百体だから、アモンの爺様がだいぶ引き付けてくれたみたいだが、それでも俺たち三人で相手にするのは厳しいはずだ。」
 「牢の人たちを逃がすのは?」
 ライの問いかけに、デイルは舌を鳴らして否定した。
 「それはもっと難しい。クーザーが陥落してから何日か___とにかく牢の中じゃ身も心も衰弱する。例え突破口を作ったって、モンスターを振りきれる力が残っているとは思えない。」
 力押しこそ真骨頂のライ、大人びてはいても直情的なフィラ、二人だけだったらどうなっていたことか。
 「ならどうすればいい?」
 「戦力補強さ。殺されちゃいないと信じてフローラとニーサさん、あとミロルグだっけか?三人を見つけて助け出す。もちろんアレックスもな。城を取り戻すのはそれからでも遅くはないだろ?」
 作戦は決まった。デイルを先頭に三人は息を潜めつつ、足早に牢獄を目指した。

 隠し通路の出口は旧時代の王族の寝室へと続いていた。幸いにも部屋に魔獣はいなかったが、そこからは廊下に出るしかない。
 「っ___」
 廊下には生々しい惨状が残されていた。引き破られて乱れた絨毯、黒ずんだ血痕が染みつく壁や天井___あまりの光景にフィラは身を強ばらせ、その場を動けなくなった。こみ上げるのは口惜しさ、怒り、憎しみ。
 「はっ___」
 しかし憎悪の渦は暖かな温もりに断ち切られる。
 「大丈夫か?」
 フィラの手をデイルが握っていた。無精髭がいかにも汚らしい男に、サザビーの面影が重なる。
 「どうした?」
 「!」
 ようやく我に返り、フィラは反射的に手を引く。デイルも簡単に指をほどいた。
 「しっかりな。」
 「___ありがと。」
 少しだけはにかんで、フィラはデイルの後に続いた。些細な心地よさを胸に宿して。

 「向こうの廊下の右手の部屋、そこから牢まで続く通路がある。」
 「へぇ、知らなかった。」
 薄暗い廊下、柱の影に息を潜める三人。まっすぐ抜ければ目的地だが、それには謁見の間へと続く大廊下を横切らなければならない。見張りの巨漢モンスターが二匹、鼻息を荒らげている前を走り抜けることになる。
 「一気に行こうよ。部屋に入っちゃえば隠し通路だもの、モンスターには見つけられない。」
 ライの意見はもっともで、魔獣たちも見張りにしては集中力が無い。三人が互いに顔を見合わせて頷いた、その時である。
 「うわぁぁぁん!」
 「いやだぁぁっ!うわぁぁぁ!」
 大廊下に響き渡る子供の悲鳴が、飛び出そうとした三人の足を釘付けにした。再び柱の影に身を引くと、やがて豚顔の魔獣に担がれて、泣き叫ぶ子供たちが運ばれていった。向かうのは謁見の間か。
 「チャンスだ。今なら見張りの目を盗める。」
 冷静沈着なデイルはここぞとばかりに柱の影から躍り出ようとするが、ライとフィラはピクリとも動かない。感情的な二人が、いまだ響き渡る幼い声を見過ごせるはずがないのだ。それに気づいたからデイルは思わず舌打ちした。
 「気持ちは分かる。だがここで事を荒立てたら助かるものも助からないぞ。」
 「だからってあの子たちを見殺しにしろってのか?あたしは嫌だね。」
 「僕だってそうさ。だからデイルさんは牢屋に行ってフローラたちを助け出してきて。僕とゼルナスであの子たちを助け出す!」
 そう言うやいなやライは大廊下へと飛び出し、フィラもそれを追う。ライの鮮やかな一太刀が見張り番の太鼓腹を切り裂けば、跳躍したフィラが追い打ちとばかりに首筋に短刀を突き刺した。その鮮やかさにデイルは小さな口笛を吹いて、大廊下の向こうへと駆け抜けていった。
 「もう一つ!」
 「いくよ!」
 棍棒を振りかざして魔獣が襲いかかる。敵は思いのほか俊敏だったが、二人は熟練コンビのように落ち着き払っていた。
 「グオアアッ!」
 怒声とともに振り下ろされた棍棒を、二人はギリギリまで見極めて回避する。床を打った棍棒の上にはフィラが飛び乗り、一気に駆け上がって魔獣の鼻面に短刀を食い込ませた。続けざまにライが敵の周囲を疾走すると、魔獣は足から血飛沫を噴いて崩れ落ちた。
 「よし!」
 野性的な感覚を武器に戦う二人、だからこそ噛み合う波長。互いの意思を確認するまでもなく、二人は謁見の間に続く大扉へと疾走した。
 バンッ!
 体当たりで扉は簡単に破られる。前転しながら謁見の間に入り込んだライと、駆け込んできたゼルナス。思いがけない乱入者は、以前より豪奢に彩られた部屋の時間を止めた。
 状況は___
 三人の子供と、その母親であろう二人の女がいる。魔獣は四匹。うち二匹は子供たちを運び込んでいった豚顔の奴ら。母親であろう女は涙に濡れた顔で武器を握らされ、子供たちの前に突き出されているように見えた。
 察するに、この悪趣味な魔獣たちは母親に愛息殺しを強いていたらしい。
 「うおおお!」
 一瞬の制止から最初に抜け出したのはライだった。かつてアヌビスに挑んだ戦士の剣に、雑兵に過ぎない豚顔の魔獣は脇から胸へと切り裂かれた。
 「もう一つ!」
 一撃と共に魔獣の背後に抜けたライは、そのまま地を蹴って横っ飛びすると、呆然として身動きのできないもう一体の魔獣に急接近した。
 「ゲヒッ___!」
 剣の切れも戻りつつある。だがどんな相手にも慈悲深さを見せる彼が、敵の喉笛を一突きにしたのは感情の表れか。
 「さあ、立ち上がって速く逃げろ!」
 だがその早業は夥しい血潮を伴い、子供たちと母親を放心させてしまった。フィラの呼びかけにも彼らは動けない。
 「私を見ろ!おまえたちはフィラ・ミゲルの顔を忘れたか!?」
 別の魔獣がライに気を取られている隙に、彼らをここから引き離さなければならない。だからフィラはいくらかでも理性が残っているであろう母親の前に立ち、頬を叩きながら強く呼びかけた。
 「フィラ様___?」
 「そうだ私だ!おまえたちを助けに来たんだ!」
 助けに来たという言葉が覚醒を促し、二人の母親は飛び跳ねるように立ち上がった。すぐにそれぞれの子供の側へと縋り寄り、愛しさを爆発させて抱きしめる。しかし一人だけ母親がいない。彼は二匹の魔獣を相手にするライの近くでへたり込んだままだった。
 「ライ!その子を連れて来い!」
 謁見の間で待ちかまえていた魔獣はさしずめトカゲ男か。体中が堅い鱗で覆われて、まともに斬りつけるのでは通じない強敵だった。攻めあぐねていたライはまず先に、放心する黒髪の子へと駆けた。
 「!」
 問題なく助け出せる。だがその時、フィラの脳裏にあの言葉がよぎった。ミロルグが最後の一念で彼女に飛ばした言葉___
 (少年に気を付けろ!)
 この場には母親が二人しかいない。そして確か、担ぎ込まれた子供も二人だった。改めて疑惑の眼差しを黒髪の子に向けたとき、フィラは背筋に酷い寒気を感じた。それは強い魔力のためだ!
 「ライ!そいつは敵だ!」
 間一髪。驚くべき瞬発力で身を引いたライの頬を氷の粒が駆け上る。それはすぐに彼の左頬を氷結させ、目尻が裂けて血が弾いた。
 「くっ!」
 怯んだライを背後から魔獣が襲う。しかし彼は体勢を崩しながらも振り下ろされた拳を剣で受け、その勢いで床を転がると一気にフィラの側まで飛び退いた。
 「敵___あんな子が!?」
 「ミロルグがやられたのはあいつだ___間違いない!」
 信じ難くとも、頬に走る痛みが何よりの証拠だった。ライは口惜しそうに黒髪の少年を見つめる。
 「あ〜あ、せっかく親子で殺し合いさせようと思ったのに。邪魔してさぁ。」
 その言葉にライは一層強い衝撃を覚えた。ここで繰り広げられようとしていた悲劇も、少年が画策したというのか?
 「でもいいや、フィラ・ミゲルを捕まえればザキエルが喜ぶし!」
 少年の笑みは無邪気である。だが、だからこそ余計に空恐ろしく、フィラは思わず息を飲んだ。
 「なんで___何で殺し合いなんて___!」
 子供の姿の魔族とかそういったものではない。黒髪の少年は本当に年端もいかない子供だ。根拠はないが、ライはそう信じてやまなかった。
 「面白いよ。子供を殺せば助けてやるっていってるのに、誰も殺さないの。自殺しちゃう奴とかいるんだもの。すご〜く馬鹿!」
 「君は___君にだって両親がいるだろう!」
 思いあまった母の所業を冒涜する非道ぶり。ライは歯ぎしりする思いで声を荒らげた。しかし少年の心には何も響かない。
 「知らないね。僕はザキエルに育ててもらったんだから。ザキエルが僕の親じゃないのは知ってるけど、そんなのはどうでも良いことさ。」
 そう一気にまくし立てると、少年は急に口をへの字に歪めた。急速な感情の変化と共に、深い憎悪が魔力を伴って溢れ出す。
 「おじさんうるさい。嫌いだね。」
 膨れあがった魔力がトカゲ男の背に触れる。少年の前で肩を揺らしていたトカゲの魔獣が、ゆっくりと動き出した。
 「ライ___っ!」
 どうするか?二組の親子を庇うように立ち、フィラは彼を呼んだ。しかしそこで言葉に詰まるほどライの闘気は際だっていた。
 「ゼルナス、君はみんなを守って。僕は___負ける気がしない!」
 フィラはただ黙って、彼の邪魔をしないように沈黙した。
 猛然と迫る魔獣。対するライは正眼で剣を構えたままゆっくりと前へ歩む。堅い鱗を持つトカゲ男は、鋭い爪でライに襲いかかった。しかしそれは彼の鼻先を掠めただけ。まっすぐに構えた剣が敵との距離を教え、回避のタイミングを知らせていた。そして___
 ガリガリガリ!
 剣で切ったとは思えないようなけたたましい音がした。爪の攻撃でがら空きになった敵の脇腹を、ライの剣が撫でるように切り上げたのだ。魔獣は悲痛の叫びを上げてよろめき、離れたライの刀身には何枚もの鱗がへばりついていた。突きに対しては強い鱗も、その目に沿って削がれてはひとたまりもない。つまりは魚の鱗を剥ぐ感覚。近頃はフローラに変わって家事などもするライの知恵だった。
 「はああ!」
 まず一匹。剥き出しになった柔肌から刺し貫かれ、トカゲ男が朽ち果てる。
 「ギュアアッ!」
 すぐさま抜き放った剣で、今度は背後から迫るトカゲ男に一閃。弱点を晒した隙を見逃さず、大きく開いた口から入り込んだ切っ先は後頭部へと抜けた。
 「!?」
 しかしそれでは終わらなかった。トカゲ男は最期の力で口を固く結び、その長い腕でライに掴みかかる。さらに背後からはただならぬ鋭気が迸る。振り返ったそこでは、少年が両手に魔力を満たしてにやついていた。
 「ストームブリザード!」
 散弾のような氷の粒がトカゲもろともライを襲う。痛手を覚悟したライだが、目映い輝きと共に散弾の多くは威力を失っていった。
 「ゼルナス___!」
 ライの前には水気を帯びた煙の中に立つフィラがいた。その掌からは不慣れな呪文の痕跡ともいえる煙が燻っていた。
 「あたしだって魔法使いの端くれだって、最近ちょっと自覚するようにしたのずわっ!?」
 振り返って笑みを見せたのも束の間、一歩遅れて掌から小さな炎が吹き出すと、驚いた彼女は尻餅をついた。自分のやったことで言葉尻を滅茶苦茶にするほど驚くのだから、まったく初心者そのものだ。
 「大丈夫?」
 「気にすんな。それよりもこのがきんちょさ。」
 フィラはすぐに跳ね上がり、トカゲの骸を退けたライと横並びに立った。二人の視線の先にはあの少年。危機を感じ取っているのか、挑発的な笑みが失せていた。
 「ディオプラド!」
 白熱球を飛ばしても苦し紛れに過ぎない。ライとフィラが左右に散ると少年は狼狽し、迷い迷ってライに火炎を放つがあっさりとかいくぐられてしまう。
 呪文こそ使えるが戦いは知らない。それがはっきりと分かる困惑ぶりだった。
 「ひっ!」
 次の瞬間には、へたり込んだ少年の前にライが立っていた。目前で光る剣先に少年は身を竦め、怯えの色を隠せない。そんな仕草がいかにも人間臭く、ライは沈痛な面もちで首を横に振った。
 「もうやめよう。僕は___君を傷つけることはできない。」
 刃を向けることにさえ躊躇いを覚え、ライは剣を治めた。恐怖に怯えた少年の目には戦意も邪気もない。そう感じたライは戦いをやめたのだ。
 「さあ、デイルさんと合流しよう。」
 「待った!」
 しかし彼が背を向けると、少年の目にはすぐさま魔が差した。しかしフィラがそれを見逃さず、ナイフを手に威嚇すると少年はまたも肩を竦めて震え上がった。だがこうも変わり身が早いと芝居に見える。フィラは苛立った口調でライに言った。
 「こいつをこのままにしてはいけない!たしかにガキだけど、性根は最悪だ!」
 「放っておきなよ。この子は呪文は使えるだけで、魔族とかじゃない。」
 「それが親子の殺し合いをさせるのか!?」
 二人の意見が食い違う。そんな中、風を切って城に迫る弾丸があった。そして___
 グワシャァアンッ!
 「!?」
 豪快な音を響かせて、ガラス戸が砕ける。壮絶な勢いで部屋に転がり込んできたのは、巨大な肉団子か。
 「お〜いてえ。」
 いやいや、壁に四本腕と足を付いてさもそこが床であるようにへばり付いているのは禿頭の大男。砕けたガラス戸から彼まで、無数の糸が引きずられていた。
 「おまえは!」
 そうとも、ライは彼を良く知っている。何しろアレックスを浚った張本人がこいつ!
 「頭知坊!」
 「あん?」
 ついに見つけた倒すべき敵!呼べば振り返る愚鈍な男を前に、ライは再び剣を抜き放った。




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