第34章 母なる世界とともに
「どういうことだよ!」
「やめてライ!」
ライは仮面のサザビーに食ってかかろうとして、フローラに抑えられていた。だが彼の怒りはサザビーよりも、こうせざるを得なかったほど力及ばない自分の不甲斐なさに向いていた。邪輝の黒い壁が消え、現れたのは見たことのある灰色の世界だった。空の闇、それでいて光は感じられる、寂しげで冷たい世界。
「またここに帰ってくるとは___」
棕櫚が感慨深げに呟く。すなわち、そこは黄泉だった。傍らには、白廟泉とは少し違うが七色の水が揺らめく泉があった。彼らはここを抜けてきたのだ。
「俺は何しにあっちに行ったんだ___くそっ___」
刀こそあれ、腕も、百鬼も、今はリュカまで向こうに置いてきた。竜樹は悔しさで歯を食いしばり、泉の縁を叩いた。
「あそこに残って死んでどうなる?バルカンに吸収されてあいつの力になるのか?」
「ソアラたちを見捨てて僕たちだけ帰って___!」
「それは違うわ!見捨てていないから必死に生きようとしてるんじゃない!」
サザビーは皆の視界が遮られているのをいいことに、邪輝に身を包んだまま静かに浮上し、アヌビスの開けた空の渦を通り抜けたのだ。これは彼の独断ではなく、ソアラとの目配せの中で確かめ合っての行動だった。
「棕櫚!」
聞き慣れた声がする。すぐに宙に赤い文字が浮かび上がると、黒い空間が開いて中から現れたのは榊だった。小柄、長い黒髪、猫のような大きな目、しかし元々細身の彼女は以前よりもさらに痩せたように思えた。
「この辺りに強い力の漏出を感じたが、お主らじゃったか!」
それでも喜々とした笑顔は変わらぬ可愛らしさ。
「何があった?詳しく聞かせよ。」
しかし勤めを忘れたのは棕櫚の手を握るまでで、一瞬の温もりの交換を終えると、榊はすぐに真顔へ戻って彼に問うた。
「多分あなたの言う力の漏出は我々ではありませんよ。その前に、アヌビスたちがこちらへやってきた気配でしょう。」
「アヌビス___牙丸か!しかし___」
榊はここにいる顔ぶれを見渡す。
「由羅がおらぬな___」
おそらくすぐに顔色を変えた理由がそれだ。ソアラがここにいれば、榊は間違いなく彼女とも握手を交わしたし、それを期待してもいた。
「それは___」
棕櫚が要点を話そうとしたその時だった。
「や、やばい!!」
七色の泉を睨み付けていた竜樹が、突如うろたえて叫んだ。
「みんなすぐにここを離れろ!死ぬぞぉっ!!」
必死の叫び。その足下では、七色の泉が激しく震えていた。そして___
カッ!!!
まるで噴火だった。七色に輝く泉は、煮えたぎったマグマのように膨れあがり、弾け飛び、空へ届く鮮やかな火柱となった。それは黄泉に蔓延る闇へと突き刺さり、それでもなお留まることなく噴き上げ続けた。
「な、なんじゃこれは___!」
空に開いた闇の窓から見る光景に、榊は唖然としていた。飛び散った七色が噴石となって辺りに降り注ぎ、一瞬にして辺りの森を地獄の炎に包み込んでいく。黄泉にも数多くの自然災害はあるが、これほどの広範囲が一気に壊滅させられるほどのは見たことがなかった。
「最悪の展開か。」
サザビーが呟く。榊がいなければ、闇を伝って一瞬で遠くに逃げなければ、あの七色の火柱の中で消え失せていただろう。
「嘘だろ___ソアラは___!?」
この所業の主がソアラだとは思えない。ライは分かっていても認めたくない思いで言った。
「バルカンなの___?」
「わからねえ___でもセラの声で聞こえたんだ。すぐに遠くへ逃げろって___!」
気丈夫な竜樹が恐怖を隠せずにいる。片腕に握られた花陽炎が、カチャカチャと音を立てている。
「分からないんですか?バルカンかどうか。」
棕櫚が翼の獅子に変身しながら竜樹に問うた。
「___ああそうさ!」
竜樹は七色の柱を恐怖の目で見つめながら答えた。
「皆さん、俺の背中へ。榊は闇を開いたまま、新覇王の元へ道を繋いでください。そして全員、竜樹さんと同じ方向を見ていてください。あそこに敵がいる。」
その瞬間はすぐに訪れた。突如として七色の柱は弾け飛び、中から若い男、大神バランが現れた。彼の足下には湖ほどの大きさになった七色の泉が広がっていた。
「榊!!」
バランの目がこちらを向くよりも早く、棕櫚は叫んだ。榊は闇を閉じる。バランの目から走った七色の光線は、紙一重の差で宙を裂き、空の闇へと突き刺さった。
ゾォォォォォォッ!
「っ!?」
闇の番人は、黄泉の空を覆う闇を自由に行き来できる。あらゆる場所へと繋がる闇を通って、遙か彼方へ極めて短時間で移動できる。黄泉の闇は絶対であり、それを自在にできるのは闇の番人だけのはずだった。
「くぅぁああっ!」
闇の中で榊が藻掻いた。皆の体にも引き裂かれるような痛みが走った。その全てが後方からの強い引きつけのせいだった。
「!?」
背後を振り返り、榊は目を丸くした。遠くの闇に、爽快な青色をした円が開いていたのだ。
「そ、空じゃと___!?」
僅かとはいえ異世界を知る榊には、円の正体がすぐに分かった。不変のはずの闇に穴が開き、空が現れたのだ。それが闇全体のバランスを狂わせていた。
ドンッ!!
ドンッ!!
穴は次々に開いていく。七色の針がどこからともなく突き刺さり、風船が割れるようにして闇の一部が弾け、丸い穴が開く。それが増えれば増えるほど、穏やかなはずの闇の流れが、渦潮のように激しくうねるのだ。
「ぐぅぅぅぅ___!」
「ぅあああ!」
制御がきかなくなる。空飛ぶ獅子に化けた棕櫚の翼がねじ曲がると、ついに榊は闇を開いた。
「すまぬ!限界じゃ!」
そして再び現れた黄泉。確かに距離は十分に稼いだが___
「!」
榊は言葉を失い、皆は少し前にオル・ヴァンビディスで見た景色をまた見ることになった。
「___なんじゃこれは___」
地平線の全てが燃えさかっていた。七色の輝きを交えた炎の壁が、空の闇にまで真っ直ぐに立ちのぼっていた。破壊の津波となって、世界の端から端までを焼き尽くしていくかのようだった。
「これが俺たちの敵さ。」
絶望的な光景を眺め、サザビーが言う。
「あいつ___バルカンじゃないみたいだった___」
「Gを自分のものにしたの___?」
ライとフローラの顔からは希望が消えかけていた。
「急ぎましょう、覇王の元へ。」
棕櫚は傷む翼を広げた。ただ彼も、覇王の元へと向かったからといって新たな策が出るとは思っていない。
「一人でも多くの人が、一秒でも長く生きられるように。」
それが本音だった。
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