1 抵抗
『ふむ___』
バランは七色の壁を己の前に反り立たせ、自分は足元を見ていた。そこには焦土がある。彼は少々驚いていた。
『実に頑強な世界だ。オル・ヴァンビディスを無に返す力に耐えている。』
そして空を見上げる。黒い闇の中に所々青い空が開いているが、その円は徐々に小さくなっていた。
『あれが少なからず力を散らしているのか?やはりオル・ヴァンビディスと表裏一体に位置するだけのことはある。不思議なバランスで守られた世界のようだ。』
多少の感心はあったが、大したことではない。バランはいつもより少しだけ力を強め、大地に向かって七色の光線を放つ。それは大地に深く抉り込むと猛然と爆発し、新たな光の柱を立ちのぼらせると、今度はそれを飲み込んで漆黒が立ち上がった。しかしオル・ヴァンビディスのときほど巨大な虚無の柱ではない。ちょっとした神殿の大柱ほどの太さでしかなかった。
『なるほど、素晴らしい強度だ。ここに立つ生命はさぞ強固であろうな。』
強固な生命は一人の神の元に返す。そうと決まればバランの行動は速く、高々と掲げた右手に禍々しいエネルギーを宿していく。全身から様々な色のオーラが沸き上がると、彼の肌を撫でるようにして右腕へと寄り集まっていく。凄まじい力はそこにあるだけで辺りの大気を吸い寄せ、大地を震えさせ、空に蔓延る闇も___本来は四方八方から引きつける力を持つはずの黄泉の闇さえ___バランの腕に引っ張られようとしていた。
バランはおもむろに右腕を振り下ろす。しかし、蓄積した力を大地に放ることはせず、僅かに体を逸らすと、そこに走った黄金に輝く腕を無造作に掴んでみせた。
「ぐっ!?ぅああっ!」
呻いたのは拳を放ったソアラの方だった。七色の光線と同じ破壊力を秘めた掌は、竜戦士と化したソアラの腕を易々と焼いていく。
『なぜだ?』
バランは苦痛を片腕だけにとどめ、ソアラに抵抗する余地を残した。それは彼女がなぜここにいるのか、聞き出す必要があると考えたからだ。
『なぜここにいる?』
「オルローヌの力持ってるんでしょ?調べりゃわかるじゃない___ぅああっ!」
脂汗を浮かべ、顔を歪めながらもソアラは精一杯の減らず口をたたく。しかしバランの右手が肉を溶かして骨に食い込んでいくと、顎を突き上げて喘いでしまう。
「ぁぁああああっ!!」
それでもソアラは抵抗を忘れた訳ではない。
「フレアドラゴン!!」
全身を猛烈な炎に包む。それはかつての八柱神、ラングにも劣らない激しさでバランの七色に挑むと、僅かとはいえ彼の手を緩めさせた。
「神竜掌!!」
その隙に、ソアラは逃れるだけでなく攻撃に転じた。バランの右肘に竜の力を込めた左の拳を叩き込む。それは思いのほかの手応えでバランの肘をねじ曲げると、ソアラの右腕を食っていた指も開いた。
(通じる!)
思いがけない発見だった。破滅的な攻撃力のせいで彼の防御もまた鉄壁と思いこんでいたソアラは、自分の攻撃が十分に通用したことに色めきだった。右腕の痛みなど無視して、彼女はバランの体勢が崩れているうちに追撃を掛けようとした。
そのとき。
(駄目だ!!)
脳の髄に打ち付けるような激しさで、良く知った男の声が聞こえた。ソアラは反射的にブレーキを掛ける。その瞬間、バランの真下の大地に穴が開き、虚無の柱が立ちのぼった。バルカンが虚無を克服した頃から良くやっていた罠だ。隙を見せて、敵を引き込んでから真下の大地を破壊して虚無の柱を立てる。冷静なら十分気づけたはずの単純な罠。
「百鬼___」
ソアラは思わずそう呟いた。彼の声が聞こえなければ、半身を虚無に削り取られていただろう。
「お父さん___」
それは隙を突いてバランの背後から迫っていたリュカも同じ事だった。二人は百鬼の叫びを聞いて踏みとどまり、バランの攻撃から逃れたのだ。
『よく気が付いた。』
だがバランはそう言った。それは彼には百鬼の声が聞こえていないことを意味する。
「___悪い予感ってやつよ。だてに長いこと戦ってないんでね。」
ソアラは左手で髪をかき上げ、平然を装って言った。百鬼の声は幻聴ではない。リュカにも聞こえたのだから確かだ。しかしバランには聞こえなかった。
『後ろの少年も同様か?』
「___気付いていたのか。」
リュカもソアラの態度を真似た。母が踏みとどまったのは父の声が聞こえたからなのに、母はそんな素振りも見せなかった。いや、隠していたのだ。髪をかき上げた不自然な仕草を、リュカは母の合図と直感していた。
聞こえたことを悟られてはいけない。母はきっとそう言っている。
『さて、改めて問おう。君たちはなぜここにいる?虚無を克服したわけでもないのに、なぜここに立てている。なぜオル・ヴァンビディスとともに___』
バランの言葉が止まった。神を黙らせ、驚かせたのは、彼を包む虚無の柱が消えたという事実。正確にいえば消えたのではなく、何もない場所に「有」が現れたのだが。
「こういう事だよ。」
表情に乏しい大神を驚愕させたのは、彼の真下にいたフュミレイだった。彼女は大地に開けられた漆黒の穴を塞いでいた。穴の周囲の大地が削り取られ、その土で塞いだかのように、先程まで虚無に消えていた場所に大地が再生していた。
『___』
バランは僅かに口を開けたまま、フュミレイを見下ろしていた。
「コツを掴んできた。それに黄泉はオル・ヴァンビディスよりも遙かに豊かな世界だ。ちょっとくらいの傷なら回りから材料をもらって、カサブタを作ることができる。」
フュミレイは不適な笑みを浮かべて言った。バランを唖然とさせることを楽しむかのように。
『魔力の真原理___よもやその境地に達するものが___』
バランは思わずそう呟いた。フュミレイの笑みは嘲笑へと変わっていた。
「やはり知っていたか。それはそうだろうな、色々考えると、おまえが虚無を克服できるのもこれと無関係ではない。」
そこまででバランは動いた。殺意を持ってフュミレイに七色の光線を放った。しかし次の瞬間にはフュミレイの体は彼女の魔力と無関係に消え失せた。
ゴッ!
黄泉を焦土に変えていく七色の壁に穴が開いた。見ればソアラもリュカもいない。三人がその穴を抜けて逃れたのは明白だった。おそらく三人に転移呪文の魔力を結び、一人遠方へと飛んだルディーが呪文を発動させたのだ。
『___小賢しい真似を!』
その時初めて、バランは苛立ちを露わにした。
背中に破滅を感じながら、ルディーと合流したソアラ、リュカ、フュミレイは飛んだ。とにかく少しでも、大神に挑むための考慮時間が欲しかった。一方、ここまでの道を築いた空雪は、ルディーとともに先んじて七色の壁を抜け、遠方へと降り立った時点で別れた。義理を果たし、故郷に帰ればお役御免。おそらくあの男のこと、この危機も独力で乗り切るだろう。
「聞こえたわね!?」
「聞こえた!」
ここまでは予定通り。だが先ほどの接触で予定外のことも起こった。
「何が?」
ルディーが問う。すでに飛行の魔力は師匠に託し、彼女は体を休めて回復に努めていた。
「百鬼の声!」
「お父さん!」
母と息子は揃って言った。ルディーだけでなくフュミレイも、その名に目を見開いた。
「チャンスと思って攻めようとしたところを止められたのよ!もし声がなかったらあたしたちは死んでいた!」
「本当か___?」
「本当よ!それってどういうことか、分かるでしょ!?」
ソアラは興奮していた。右腕の傷はまだ塞ぎきっていないが、それすらお構いなしの様子だった。
「バランは完全じゃない!完全と思っているだけで、オル・バンビディスでのバルカンと変わってないのよ!」
Gは力の集合体。そしてその本体たる精神は、内なる精神闘争によって築かれる。それまで百鬼の力を借りてバランを抑えていたのがバルカンであった。そのバルカンの力が弱体化し、Gの支配権はバランに移り、若きバランが誕生した。これにより、精神闘争は終わり、絶対的な力の元に全ての精神がバランのもとに統合された___と思っていた。
だがそれは違う。百鬼の声が聞こえたのだから確かだ。
「チャンスはある!これ以上強くならなければ!」
「___それが問題だな。奴も今の自分が昔ほどではないと感じている。」
背中に破滅の視線が浴びせられる。しかし攻撃は無かった。フュミレイが苦々しい言葉で予見したとおり、七色の光線は別の方角へ向けて放たれていた。
「!」
遠くの大地に火柱が立つ。闇が貫かれて青空が射すと、灰色の黄泉でそこだけがスポットライトを浴びたように明るくなった。
ゾクゾクッ___!
ソアラだけではない、リュカとルディーも震えた。大量の命が喪失し、それらの力がバランへ向かって流れていく、その波動のようなものを感じたからだった。
「あそこ___きっと大きな集落が___!」
「でもここはもうオル・ヴァンビディスじゃないのに!」
ルディーとリュカが口々に言う。
「あいつそのものがGなんだ。力の吸収はオル・ヴァンビディスのルールではなく、あいつのルールだ。」
「止まって、フュミレイ。」
ソアラの声にフュミレイはすぐさま反応した。ソアラは左手に黄金の波動を迸らせていた。
「ハァァッ!!」
そして気合いと共に虚空へと放つ。ほぼ同時に、またも炎の壁を貫いて七色の光線が走り、ソアラの黄金と吸い寄せられるように交わって、宙で激しく飛び散った。黄泉に太陽が現れたかのような目映さで、輝きが消えるとまた闇に穴が開いた。
「戻りましょう。これ以上離れたって状況は変わらないわ。あたしたちまで逃げたら誰が戦うのよ。」
「同感だ。だがその前に傷を癒そう。」
そう言うなりフュミレイは大地に降下する。そこは炎を逃れた豊かな森だった。彼女は敏速に、湿った大地に手を触れて、目を閉じて強く念じた。
「!」
変化はすぐに起こった。辺りの木々の葉が次々に落ち、一方で青ざめていたフュミレイの顔に血色が戻っていく。
「これって___」
ソアラは少なからず戸惑っていた。フュミレイを中心に周囲の木々が枯れていく光景は、禍々しいと言うほか無かったからだ。
「皆まで言うな。確かにあたしがやっていることはGに近い。」
短期間にしてフュミレイは魔力の真原理をほぼ手の内に入れていた。有で無を埋めることができるなら、解いた有を自らの力に変えることもできる。奪った力を自分のものにというのはGに等しい。違いは、それに対応した進化の術を持たないことくらいだった。
「だが敵は世界を消せる男だ。それと戦おうというあたしたちが世界に力を借りることを悪とは言わないでほしい。もとより終わったら全て返すつもりだ。そうだろ?」
そう言ってフュミレイはソアラを見た。語りの途中にはリュカとルディーにも目をやったが、最後の問いはソアラに投げかけられていた。彼女の顔つきが変わったのを見て、フュミレイは満足げに頷いた。
「あたしたちがGを倒す。」
そう言って手を差し出したフュミレイの体は、燃えさかるような白いオーラで包まれていた。
「もちろんよ。」
ソアラはしっかりと頷いてから、まだ傷の残る右手で彼女と握手する。瞬間、オーラはソアラの体にも走り、右腕の傷は瞬く間ににして塞がった。
「奪うことができるなら、返すこともできる。そういうことね?」
「そうだ。それがあたしたちの唯一の道だ。」
「付き合ってくれるの?」
「一人で終わらせるつもりは毛頭無い。」
その会話は二人だけのもの。握られた手を通じて、二人の心で交わした言葉だった。
「リュカ、ルディー、おいで。」
「はい。」
やがて力は子供たちの手へ。幼い二人は漲るエネルギーにも騒ぎ立てることなく、落ち着いて、内に闘志を蓄えていく。小さな事だったが、ソアラは二人の戦士として成熟を感じた。
「あたしたちにあってあいつにないもの。それは絆、信頼、結束。敵は強いけど、一人。一人では絆も、信頼も、結束も無いわ。そして___百鬼の存在を感じて。あたしたちの愛する人のことを思いながら戦いましょう。彼との絆、信頼、結束、それがあたしたちを勝利に導くはずよ!」
またどこかの集落が消えた。しかしソアラの決意の声は、響き渡った轟音を打ち消すほどに力強かった。
『妙な。』
バランは怪訝な顔をしていた。黄泉の頑強さに戸惑っている訳ではない。自らの力に物足りなさを感じているのだ。
『長き眠りの間に失われた力はそれほどに大きいのか?補って余りある新たな生命を奪っているにも関わらず。それとも、我が身に何らかの欠陥があるのか?』
疑問を抱き始めていた。それはソアラたちにとっては望ましくないこと。強者の隙は、自らを省みないことから生まれるものだから。
『バルカン、オコン___皆朽ちたはずだ。それとも未だに我が体内にありながら、我に屈せぬ力があるのか?』
バランは目を閉じると、まるで心鎮めるように沈黙した。そして___
シュッ!!
突如として襲いかかったソアラの爪を、飛翔して回避した。しかし竜の力を全開にしたソアラも反応して追尾する。スピードは互角。ソアラは竜の鱗で左腕に作り出した鞭を飛ばし、バランの足に巻き付けて一気に引きつけようとする。
ゴォォッ!!
しかしバランに触れた瞬間、鞭は恐るべき火炎に包まれて焼き切られてしまう。だがその隙にソアラはバランへと接近した。
「やあああっ!」
気合いと共に拳を、蹴りを連発するが、バランは壮絶なソアラの攻撃を防御することもなく回避する。だがソアラが慣れないながらも剣竜の棘を飛ばし、尾を振るうと、ついに拳の一つがバランの頬を掠めた。
『栄光の盾。』
バランは視線を厳しくし、そう呟く。
ガギンッ!!
次の攻撃はバランに触れることもなく、彼の体の前に現れた純白の盾に阻まれてしまった。
『ゼッドスクライド。』
続け様に、バランの指先から鋭い矛が飛び出した。それは目隠しにもなっていた盾を裏から破いて、ソアラの胸を貫こうとする。盾の後ろの様子が見えない彼女には、避けることなどできない攻撃。
『ほう。』
___のはずだったのだが、ソアラは下へと逃れ、そればかりか竜波動の力を迸らせていた。
「はああっ!!」
黄金の波動を凝縮した光線にして放つ。
『無駄だ。』
しかしバランは片手でそれを弾いた。横へ飛ばされた竜波動は遙か彼方の大地に突き刺さり、大爆発を巻き起こした。
「くっ___」
ソアラは思わず苦い顔をする。
(止まるな!動け!)
しかし脳裏に浮かんだ言葉にハッとすると、彼女はすぐさまその場から飛び退き、バランの手が空を掻く。交わされたのは意外だったろうが、バランに戸惑いなどあるはずもなく、急旋回してソアラへと追いすがる。そこにルディーが割って入った。
「無限爆弾!!」
ルディーの十の指全てに無色の魔力が装填されていた。彼女はそれを雪合戦の雪玉ほどの大きさで、一斉に放つ。
「わあああああっ!!」
しかも一度ではない。矢継ぎ早に、息つく暇もないほどに魔力の砲弾を連発した。一部はバランに打ち付け、一部は肌のすれすれで互いにぶつかり合って、球体の中心に宿していた氷や炎を飛び散らせた。
『やかましい!』
威力に乏しいが、辺りは大量の蒸気に包まれ視界を封じる。バランが苛立って腕を一振りにすると、真空刃のデュランダルが走り、煙に切れ間を作る。その瞬間、間隙を突いてリュカが彼の懐に入り込んでいた。
『ふっ。』
しかしバランはうろたえはしない。逆の手を目の前に迫るリュカではなく、背後に向かって振るうと、真空の刃は真後ろにいたもう一人のリュカの腹を真っ二つに切り離した。
『!』
だが出血はない。いや、そもそも前にも後ろにもリュカはいないのだ。ルディーが魔力の砲弾で氷と炎の粒を散りばめ、彼の像を映し出したに過ぎなかったのである。
「つあああっ!!」
『!?』
攻撃は真上からだった。竜の蹴爪を剥き出しにしたソアラのキックが、バランの脳天へと突き刺さった。真下へと吹っ飛ばされるバラン。そこにはフュミレイが待っていた。
「宵闇の裁き。」
レイノラ直伝の闇の波動砲が天へと走る。それはバランの体を捉えると、否応なしに真上へと押し返す。
「竜波動!!」
そこへ上からソアラ。
『ぐぅおぉぉっ!?』
バランは闇と光、両極の力に上下から挟みつけられて悶絶する。手応えは確かにある。しかしソアラもフュミレイも攻撃だけに全霊を傾けようとはしなかった。
(押し切れると思うな!バランにはまだまだ余裕がある!)
その声がハッキリと聞こえていたからだった。
『小賢しい!』
バランのエネルギーが膨れあがると二つの波動を軽々と押し戻し、素早く飛び退いた。
『異極の力が交われば弾けるのみ!』
残された二つの波動は相殺しあい、衝撃は使い手自身に及ぶはず。バランはその隙にソアラとフュミレイの心臓を貫くべく、両手から七色の光線を放とうとした。しかし___
『!?』
たった今まで自分が上下から挟みつけられていた場所で、光と闇は瞬時に絡み合い、白黒まだらの光線となってバランを追ってきたのだ!
『馬鹿な!?』
彼は偉大なる神だからこそ、性質を二分する力の融合がどれほど困難かも良く分かっている。しかし目の前には、二人の使い手が何ら迷いもなく絡み合わせた波動が迫っていた。それはジェイローグとレイノラが二人がかりで冥府を押し返した、あの一撃にも良く似ていた。
『小癪!』
だが脅威となる威力ではない。バランは両手を突きだして攻撃を受け止めようとした。その時!
ザンッ!!
『なっ___!』
バランの背を見るからに不格好な大剣が切り裂いた。正確に言えば、背中を叩くようになぞっただけだ。しかしそれでも、リュカの放ったファルシオンの一撃は、この戦いで初めてバランを脅かした。何しろその瞬間、彼の背中から鮮血のようにして、七色のオーラが飛び散ったのだから。
『ぅおおおおっ!?』
一瞬ではある、しかしバランの力が半分になったその時、波動は炸裂した。猛烈な爆発は、白黒入り乱れた火柱を天地へと走らせた。これで倒せるとは思わないが、ただでは済まないはず。それは次に聞こえた百鬼の声が証明していた。
(両腕が砕けている!このチャンスを逃すな!)
四人は弾けるように動いた。
(リュカが力を裂いたら、一斉に仕掛けろ!)
そして誰よりも早く、爆風入り乱れる場所にリュカが斬りつける!
「!」
しかしファルシオンはバランには届かなかった。いや、届いたと言えば届いたのだが、タイミングはリュカが考えていたものより遙かに早かった。白黒の爆炎を貫いて飛び出した「バランの拳」が、ファルシオンの刃の中程に叩きつけたのだ。
キンッ。
そして澄んだ音が鳴った。リュカはただただ唖然とするしかなかった。父が「砕けている」と言ったはずの拳が、錆び付いたファルシオンの痛点を突き、ものの見事にへし折ってしまったのだ。
「逃げて!!!」
叫んだのは心に語る父ではなく、耳に聞こえる母の声だった。しかしリュカが我を取り戻すより、バランの拳のほうが早かった。
「っ___!!!」
世界をも消し去る右腕は、やすやすと若き勇者の胸を貫き、背へと抜けた。折れたファルシオンはすぐに彼の手から転げ落ちる。
『やはりそういうことか。』
バランの声が百鬼のそれに変わっていた。おもむろに装束の胸元を開くと、逞しい胸板にははっきりと無限の紋様が刻まれていた。
『まったくしぶとい死に損ないだとは思わぬか?』
愕然としていたソアラの怒りはすでに沸点の寸前だった。愛する夫の声で、嘲りの極みのような顔されると、彼女は冷静ではいられなかった。
「バラン!!!」
ソアラの力はこれまででも全開だったはず。しかし彼女の全身から噴きだしたエネルギーは今までにない凄まじさで、黄泉の大地を振るわせ、空の闇に荒波のようなうねりを作り出すほどだった。
ギャウンッ!!
そして流星となってバランに突貫する。だが強者は冷静だった。勢いをつけてリュカごと腕を振るうと、青年の体は力無くすっぽ抜けてソアラに向かって吹っ飛んだ。
「リュカ!」
戦士よりも母の本能が優先した。ソアラはすぐさまリュカを抱き留め、その瞬間だけバランから目を逸らしていた。ルディーは起こった出来事を整理しきれずに呆然とし続け、地に立つフュミレイは___
「っ!?」
リュカを放り捨てた直後、自らの前へと現れたバランに息を飲んだ。
『私は万全を期す。』
バランはそう呟くと、笑みを浮かべてフュミレイに襲いかかった。この戦い、虚無を消し、瞬く間に傷を癒す彼女の存在が鍵だと見抜いてのことだった。
「ちっ!」
バランの狙いは肉弾戦。魔道師との戦いではセオリーだが、フュミレイの魔力は肉弾戦にも遅れをとらない瞬発力を持つ。今も一瞬にして十のエクスプラディールをばらまいていた。
『ウラールの鏡。』
しかし、バランの前に現れた光の壁がその全てを跳ね返した。フュミレイは僅かな隙に飛び退いていたが、十のエクスプラディールは持ち主の元へと帰ろうというのか、逃れた彼女を追尾してきた。
「ならば___!」
フュミレイはエクスプラディールに向き直り、迫る白熱球に両手を向ける。それは接触の瞬間大爆発を起こすはずなのに、フュミレイの全身から波動が噴き上がると白熱球の形が歪み、彼女の両手にことごとく吸い込まれていった。
『それは神の所業だ。』
その時、彼女の体側にバランがいた。指には七色の光線。
ギュンッ!!
光線はフュミレイの左肩から入り込み、右肩へと抜けた。
『君ごときができて良いことではない。』
フュミレイが崩れ落ちるよりもはやく、バランはおもむろに振り返り、ソアラの強烈な回し蹴りを腕で受け止めた。
『ほう。』
その一撃はバランの体を横へ流れさせる力強さ。
「よくも!!」
ソアラの力は一層高ぶっていた。だが我を忘れた訳でもない。果敢にバランに猛攻を仕掛け、押し込み、少しでもフュミレイから遠ざけようとする。だが如何せん気持ちが高ぶりすぎて、彼女の意図はバランに筒抜けだった。バランはあえてそれに便乗し、高らかに空へと舞い上がり、ソアラは放されることなく食らいついた。
その時、リュカを背に抱いたルディーがフュミレイの元へと駆け寄るのが見えた。三つの獲物が一箇所に集まったのだ。
『破滅の鉄槌。』
「!」
ロゼオンの技だろうか、塔のように巨大な鋼鉄の斧がどこからともなく現れた。瞬時に斧の破壊力を悟ったソアラだったが、強すぎる前への意識と絶妙なタイミングのカウンターに、僅かに体を擦らすことしかできなかった。
「ぐあっ!!」
斧は右肩を掠め、ソアラの体を弾き飛ばした。その時、ソアラは自分の見当違いを知った。
「!?」
斧が狙っていたのはソアラではなく、大地の三人だ。いつの間にか三人と結ぶ垂直線上に誘導されていたことを、ソアラは見落としていた。リュカを傷つけられたことで、視野が狭まっていたのだ。
慌てて踵を返そうとしても遅い。それどころか背後に迫るバランを無視できる状況でもなかった。
「やめて___!」
悲痛な叫び。二人の治療に意識を傾けていたルディーは明らかに反応が遅れていた。鋼鉄の斧はすでに、彼女たちを巨大な影に捉えていた。
「うああっ!!」
助けにもいけない。バランに背を見せて飛べば、七色の光線に心臓か頭を撃ち抜かれてお終いだ。ソアラはもどかしさに喘ぎながら振り返って、迫るバランの拳に己の拳をぶつけた。
非情に徹しなければいけないと分かっていても、見捨ててしまった自分への怒りは彼女を明らかに取り乱させた。ぶつけた拳は集中を欠き、完全に力負けした。指が拉げ、甲が割れ、ソアラの右手の竜は醜く顔を砕かれた。
敗色を感ぜずにはいられない状況だった。
(落ち着け!!)
「!!!」
しかし、またも心に響き渡った叫びがソアラに我を取り戻させる。
(あいつらなら大丈夫だ!)
「百鬼!?」
ソアラはたまらず彼を呼んだ。その時、ソアラの命を奪おうと彼女の喉笛に迫っていたバランの左手、その動きが明らかに鈍った。
「百鬼!!」
ソアラはもう一度彼を呼び、バランの左手に自らの左拳を叩きつけた。今度勝ったのはソアラのほう。左腕を跳ね上げられ、バランの懐が空く。だがソアラの右腕も使い物にならない。尾を撓らせるにも遅すぎる。
『ぐぅあぁっ!?』
だがソアラが攻撃をせずともバランは呻いた。その肩越しに、背中から七色のオーラが噴きだすのが見えた。明らかにファルシオンに切られたダメージ。そして___
ゴォッ!!
野太い腕が、バランの左の横腹に食い込んだ。
『ぬぅっ___ぅぉおぉぉおっ!?』
吹っ飛ばされたバランは宙で踏みとどまろうとしたが、なぜだが再び先ほど以上の強烈な衝撃が腹を押し、隕石かと見まがう勢いで、爆煙を上げて大地に突き刺さった。
「油断するな、それほど効いたとは思えない。」
「なんだと!?俺様の拳をなめるなよ!」
「___うそ。」
ソアラは何が起こったのか理解に苦しんだ。しかし夢でも幻でもないのは確かだ。目の前には折れたファルシオンを握るバルバロッサと、ソアラに敗れて黄泉のどこかへ飛ばされたはずの餓門がいた。先ほどの攻撃は餓門の「遅れてくる打撃」だ。力の蓄積に応じて、殴られた衝撃がインパクトの瞬間ではなく、遅れて敵に届く彼の能力だ。
「まことにおぞましい敵じゃのう。」
「!___姫!!!」
隣には黄泉での一番の友、小柄で愛くるしい榊がいた。彼女を庇うような位置に、棕櫚も現れた。
「暫く見ぬ間に随分変わったものじゃ。」
「そっちこそ!」
「再会を喜ぶのは後だ。まず腕を治療する。」
久方ぶりの顔に喜びを隠せないソアラに、釘を差したのはフュミレイだった。驚くソアラにフュミレイは下を指さす。そこにはリュカを治療するフローラと、彼を抱いて練闘気を注ぐ竜樹、防御態勢を整えつつソアラに手を振るライとサザビーがいた。
「先ほどの斧はあやつらが僅かに食い止めたところで闇に飲ませたのじゃ。」
「さっすが!」
「神の封印___セサストーン!!」
感心するのも束の間、今度はルディーの声が響く。するとバランが地中深くまで抉り込んだだろう場所を中心に、大きな三角形で、紫色の柱が立ち上がった。
「今のうちに早く!」
ルディーに急かされ、フュミレイはソアラの傷を「再生」によって塞いでいく。これは生体の快復力を増幅させる通常の回復呪文とは異なり、魔力をソアラの肉体に置換していく方法。先ほど森から力を貰ったのと仕組みは同じで、魔力の真原理に触れた彼女だからできる治療法だが、ソアラ自身の体力を満たすものではない。だからリュカはフローラの「治療」を受けているのだ。
「___凄い。」
施術の間、ソアラはぽつりと呟いた。だがそれはフュミレイの術にではなく、今ここに見える景色への感嘆だった。現れたのはおなじみの顔ぶれに、死んだと思っていたバルバロッサ、さらには予想外の餓門だけではなかったのだ。セサストーンに魔力を注ぐルディーの回りには耶雲に吏皇、そのほかにも戦場には腕に覚えのある妖魔たちが並んでいた。その景色にソアラは大いに勇気づけられた。
「これがお主の成し遂げた事への報いであり、お主の父である覇王水虎の威光であり、新たな覇王玄道の人望じゃ。のう餓門?」
榊はしみじみと語って餓門を振り向く。餓門はばつの悪い顔をしてすぐに声を張り上げた。
「俺に聞くなよぉ!だがよう、あんたと玄道にゃ感謝してもしきれねえ!こてんぱんに伸してくれたおかげで目が覚めたんだ!俺が何で水虎様に仕えたかってのは、のし上がりたかったからじゃねえ!ゾクゾクするような戦いがしたかったんだ!そいつをよぉ___俺ぁとんでもない大馬鹿者だ!」
そう言っている間にも餓門の瞳は潤み、その巨大な体躯に似合わず、腕で大粒の涙を拭った。なるほど榊が根は悪い奴ではないと言っていたのが頷けるし、アヌビスに利用されたのも納得である。
「済んだことよ。いまあなたが危険を顧みずにあいつに一発ぶちかましてくれたのでチャラにしてあげる。父さんもきっとそう言うわ。」
「ぅおおおぉ!ありがてええぇぇ!」
餓門はついに堪えきれず、オイオイと声を上げて泣き出してしまった。そんな姿に、ソアラは自然と優しい笑顔になった。半竜半人の体で、厳しさを増した顔つきで、それでも紫の時と変わらない微笑みだった。
恐ろしいバランが目の前にいる。
あのセサストーンを破って出てきたとき、ここにいる何人が殺されるかも分からない。それはみんな分かっているのだ。それでもこうして戦場に立ってくれる。
それは世界を守るためでもあれば、自分を守るためでもあるだろう。だがここにいる顔ぶれは、この戦いがソアラを中心に回っていることを承知の上で立っている。
アヌビスと戦ったときは、あえて一対一の戦いを望んだ。だが今はそうは思わない。志を共にする仲間の存在はこれほどに心強く、自分の心を穏やかにしてくれる。
敵が世界を蝕むのなら、私たちは世界と共に戦うのだ!
「動き出した!!!」
ルディーがヒステリックに叫んだ。セサストーンに抵抗する力が膨れあがるのを感じたのだ。微動だにしないはずの三角柱の表面がグラグラと波打っている。一気に緊張が走った。
「お待たせ!」
笑みを消したソアラの横にリュカが舞い戻る。すぐにバルバロッサが折れたファルシオンを差し出した。
「これを持て。まだ切れる。」
「!無事だったんですね!?」
「まあな。」
隻腕となったバルバロッサはいつもの無愛想だったが、リュカとの会話は彼なりに楽しそうに見えた。
「や、破られる!」
ルディーの悲鳴とともに彼女の手の甲で血が弾け飛んだ。魔力を引き裂かれ、掌の皮膚を破いたのだ。それでもルディーはヘブンズドアを唱えて耶雲と吏皇ごとライたちの側まで飛んだ。バランが姿を見せたのはその直後だった。
『___』
大神は動かなかった。傷は一切無く、力の衰えも感じない。しかしバランは目を閉じて宙に留まっていた。隙だらけの姿に見えて、一歩近づくのも憚られる。明鏡止水の趣は、不気味なまでの緊張を戦場に張り巡らせていた。
「!」
最初に異変に気付いたのはソアラだった。
「無限が___!?」
バランの胸の紋様が薄らいでいくのが見えたのだ。
『見るがいい。』
声に答え、バランは目を開けた。その瞳が怪しく光ると、自らの眼前に陽炎のような像を浮かび上がらせる。それは漆黒の野に立つバランと、その手に首を掴まれた百鬼の姿だった。
「百鬼!?」
「お父さん___!」
「そんな___!?」
ソアラ、リュカ、ルディーは声を上げ、すぐに息を飲んだ。像が広がってバランの足下までを映し出すと、そこにはオコン、ビガロス、キュルイラ、セラなどが転がっていた。
『どうにも邪魔だてをする連中がいた。戦いの最中、我が意識が外へと注がれる隙に、地獄の底から這い上がって君たちの助太刀をしていた。とくにこの男は、私の意識に働きかけ、動きを鈍らせた。そこで私は、まず内在闘争を終わらせることにした。』
像は喋らない。しかし首を鷲づかみにされて喉を潰されていく百鬼の悶絶は、あまりにも惨たらしかった。
『一介の人間になぜそのような真似ができるのかは理解に苦しむ。だがいずれにせよ、こやつも、ここに朽ち果てる愚かな神崩れも、私の内で死する。虚無へと帰り、純然たる力となるだけだ。』
そう語らっている間に、無惨な光景は終わりを遂げた。像のバランは百鬼の首を押しつぶし、彼の頭は跳ねて転げ落ちた。同時にバランの胸の無限が消えた。
「うあああああ!」
双子の姉弟の声がピタリと揃った。抑えきれなくなったリュカとルディーがバランに襲いかかった。それが号砲となって、戦場へ立った多くの妖魔がバランへと迫った。
ゴッ!!
その時、空が光った。闇に包まれた黄泉の空に、青空の窓が開き、中心には巨大な球体があった。その球体から、辺り一面に七色の雨が降り注いだのだ。
一帯が無数の火柱に包まれる。球体は回転し、黄泉の闇を消し飛ばしながら辺りを地獄に変える。
『他愛もない。』
バランがそう呟いたとき___
ガッ!!
間隙を突いて炎の中からソアラが襲いかかった。しかし渾身の拳はバランは掌に受け止められる。
『貴様___っ!?』
それだけではない、リュカとルディーも傷を負いながらバランに攻撃を仕掛けた。
「茶番だ。」
『なに___?』
「騙されるな。俺は死んじゃいない。守るべきものがある限り、俺は絶対に諦めない。」
ソアラが男言葉で語る。猛然と沸き上がった黄金のエネルギーはバランの掌を浸食する。
『馬鹿な___!』
バランの顔が歪んだ。消えたはずの無限の紋様が、ソアラの力と呼応するようにして再び浮かび上がってきたのだ。同時に、ソアラの左腕にも竜の紋様を打ち消して、無限の紋様がくっきりと浮かび上がる。動揺の隙を付かれ、リュカの折れたファルシオンがバランの腹を食った。それは大神の全ての力を半減させる。
「百鬼がそう言ってた!」
同時にソアラの力は頂点へ。バランの掌はやすやすと砕かれ、拳はそのまま大神の顔へとめり込んでいく。弾き飛ばされたバランは頭の半分が潰れて消えていた。
「これがある限り、あたしは強くいられる!百鬼はあたしの___そしてあんたの中にも生き続けている!」
燃え上がる戦場。炎の輝きを打ち消すほどに目映く黄金に輝く戦士。周囲の目にはバランとソアラ、どちらがより力強く、より神々しい存在に見えただろうか。
『無限か。意志の力は死なず、死せる者共の遺志がおまえを立たせ、我が身を阻むか。』
頭を砕かれたまま、バランは言った。動揺は一瞬に過ぎなかった。
『だが遺志は形なきもの。虚無の中では存在し得ぬ。虚無にあって無限なる唯一の存在である私には脅威にはならない。』
頭はすでに再生を始めている。だがこれまでとは少し違うところがあった。
「おまえは無限じゃないだろう?」
そう言ったのはフュミレイだった。
「確かに圧倒的な力だが無限ではない。正確にいえば還元、あるいは循環がきくというだけだ。一方的に力を消費すれば底はある。それは無限じゃない。」
『その底が途方もなければ無限も同然。そしてあらゆる存在が私の力となる。』
「だがおまえという存在は一人だ。おまえが衰え、力を御しきれなくなったらどうする?」
口の減らないフュミレイに、相手をするのも馬鹿らしくなったのだろう、バランはソアラに砕かれた右手を彼女に向けて付きだした。その時、手はほぼ再生を果たそうとしていた。
『!!?』
が、異変があった。ソアラもリュカもルディーも、バランの異変に気が付いていたから無理な仕掛けをしなかった。驚きは、おそらくバランが力を切り離して作っただろう球体からの攻撃も止めていた。
『こ、これは___!?』
異変は自らの手にあった。再生したバランの手の甲は、皮膚のきめが粗く、張りが無く、皺ついていた。爪もややくすみ、柔軟性を失っていた。
明らかに老いていたのだ。
『馬鹿な___なぜだ___なぜこのような!』
急激だった。掌に鏡を張って己の顔を映すと、再生を果たした場所が明らかに老いていた。そしてその切れ目から、健常だった顔半分までも老いに引っ張られていくのがはっきりと分かった。つまり、老いは刻一刻、恐るべき速さで進んでいた。
それはライとフローラの息子、アレックスがそうであったように。
『!』
バランの気が逸れた隙に、ソアラが、リュカがルディーが、フュミレイが、餓門が、次々に襲いかかる。辺りの火柱はサザビーや榊が消していき___
「花陽炎!」
「___」
隻腕の竜樹とバルバロッサまで攻撃に転じる。
『ぬぅおおお!』
動揺はバランを追い込む。しかし彼が放った球体が再び破壊光線の雨を注ぐと、戦いに間を生んだ。今度の光線は先ほどより弱く___
『はぁはぁ___』
傷ついたバランは、再生のたびに老いていく。先程から数分と立っていないのに、バランの顔には深い皺が畳まれ、頭髪は白くなり始めていた。
「あんたは確かに強い。でも全部が中途半端で完璧なんて言うにはほど遠いわ。奪った力に秘められた遺志を御することもできなければ、彼らの力を自在に操ることだってできない。もしあんたが探求神オルローヌだったら、あたしたちが何をしたかなんて聞かなくたって分かってたはずよ。」
ソアラの言葉でようやくバランは彼女らの記憶、思考を読みとった。そしてアヌビスが、まだGがバルカンであった頃に、この肉体に老化を急速に進める秘宝を埋め込んだと知った。それは多大な力の消費でより一層の老いを加速させる。虚無の中へ立つことや、再生は、同時に彼を大幅に老いさせていた。
『なるほど___どおりで昔ほどの力がない訳だ。』
バランは合点がいった様子だった。風貌はすでに爺と呼べそうなほどで、老いは今もなお進んでいる。しかし答えを知ったバランからは動揺が消えてしまった。
『分かった。出し惜しみはやめよう。』
「!?」
そればかりか、衰えの目立った波動にも変化が。
『この時代で最も手強いのは君たちだ。』
バランの全身から噴き上がる力は、彼に寄り添うように漂う球体と結びあう。双方に流動する七色の力の動きは、まるで血の巡りのよう。そして球は突如として脈打ち、不気味な胎動を始める。
『私も痛みを覚悟の上で君たちを殺そう。だが、この体では遅れを取るやもしれぬ。』
蠢きは激しさを増す。一方で悠然と語るバランの老いはさらに加速していく。かつて、バルディスの時代にいた頃と同じ、白髪の老人へと変わり果てていく。
『まずは若さを取り戻してからだ。』
嗄れた声でなお、バランは自信に満ちていた。先ほどは若干驚かされた。しかし、この戦いで自らが脅かされたと感じるまでには至っていない。彼にはまだまだ無数の方法があるから。
「まさか___!!」
ソアラは背筋の凍る思いだった。バランと球体の関係、二つを結ぶ何かと、巡る七色の流動。それはまるで、母と子と臍帯のようだったからだ。
「竜波動!!」
ソアラは突如として全霊を込めた竜波動を球体に向けて放った。しかし___
「く、口!?」
誰彼と無くそう叫んでいた。バランの球体に大きな口が開き、ソアラの竜波動に自ら大口を開けて食らいつくと、そのまま一飲みにしてしまったのだ。直後、球体は明らかに活力に満ち、拍動を速める。
「み、見ろ___!」
指さしたのは竜樹だったろうか。球体と結ばれていたバランは、もはや骨と皮だけになっていた。死体同然の姿で、実際に球体から漲る波動の衝撃だけで、手先足先から崩れ落ちていった。
「生まれ変わっている___」
ソアラは口惜しげに呟いた。無限は老いたバランの胸に残ったまま、共に崩れ落ちようとしていた。
『おぎゃあ。』
そして、球体が言った。その形はすでに未熟な胎児のようになっていた。色は赤み帯び、真っ先に開いた口に続いて、鼻と目が生まれ、声というよりは異様な音でそう言ってのけた。
『老いは永遠を阻む重大な敵だ。克服の手段は当然見つけてある。』
もはや先ほどのバランの面影はない。体の大きさは小さくなった。なにしろ手足もまだ突起でしかない。しかも明らかに力が落ちている。
『弱くなった。それも確かにその通りだ。』
新生バランは、敵の心を瞬時に読んだ。だが今度はそれだけではない。
『しかしシンプルにもなった。不要なものは老体に唾棄し、より君たちと戦うに相応しい私となった。』
全員、首筋を撫でられるような不快感を味わった。それは記憶を覗き見られた感触。オルローヌの得意としていた能力だ。
『あとは最後の敵である君たちを確実に倒せるよう、力を蓄えてこようと思う。』
次の瞬間だった。
「えっ!?」
「まさか___!」
「いけない!」
バランは一瞬のうちに空の闇に飛び込んでいた。
『別世界で。』
榊は感じていた。闇が無理矢理ねじ曲げられ、こじ開けられるのを。別世界への口が開くのを。それはかつて榊も開いたことのある道、青空の目映い世界への道であることを。
ソアラたちはバランを止めようと、空へと突っ込んでいった。
しかし切り離されたバランの抜け殻が行く手を阻んだ。
ソアラがその胸を貫くと、太陽のごとき光が炸裂した。
それは抜け殻にしてはあまりにも凄まじすぎる爆弾だった。
瞬時に黄泉の全土へ光が走った。
大地に破壊の雨を降らせた。
「そ、そんな___」
誰もが愕然とした。
衝撃を何とか凌いで見上げた黄泉の空は、目映い青一色だったのだ。
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