4 唯一の神

 大神バラン。その名前に覚えがあるのはソアラとフュミレイくらいで、リュカとルディーにとってはさして記憶に残る存在ではなかった。それもそのはず、彼が神の中の神であったのはバルディスの時代だ。ジェイローグやレイノラがまだ若く、いまのリュカたちとさして変わらない外見だった頃の話だ。
 ソアラやフュミレイにしても考えもしなかった名前だった。大神バランは、ロイ・ロジェン・アイアンリッチに殺されたと聞いている。いわば過去の偉人だ。この局面に及んで、いまさら出てくるような名前ではなかった。さらに言えば、こんな若い顔のバランのことは全く知らない。ジェイローグやレイノラでも知らないはずだ。
 『私は___』
 混乱している。しかし戸惑う四人をよそに、バランは言葉を発した。低く、重みのある声。
 『神だ。』
 バランは、もはや彼の足下は虚無に消えようとしているが、地表に近い位置に立っている。それなのに言葉は上から浴びせられるようだった。
 『我が名は、バラン。』
 虚無はバランの踵まででピタリと止まった。若き古代の王とでもいった風貌のバランは、虚無を背に這わせたままゆっくりと浮上する。
 『私は諸君らを讃えよう。』
 無駄に動きはしない。語りの抑揚も乏しい。機械のような均衡性、それはレイノラから聞いていた大神の特徴そのものだった。神を裁く神であった彼は、情など持ち合わせていない。
 『諸君らの力は、我を蘇らすまいとする愚かな諸共を黙らせた。見事であった。』
 意味深だが、幻聴とも思えなかった百鬼の言葉を聞いていたソアラには、多生の察しが付いていた。覚悟があったおかげで、彼女は声を出すことができた。
 「本当に見事だと思うなら褒美が欲しいわ。」
 強気な物言いは、完全に臆していたリュカとルディーに勇気を与える。
 「___惑うな、敵はただ一人だ。」
 さらにフュミレイに落ち着いた言葉を掛けられると、二人は立ち向かう者の目を取り戻した。
 「古代に死んだ大神バランが、今あたしたちの前にいるわけを教えて。バルディスの終わりから、今日までにあなたがしてきたことを!」
 ソアラの威嚇するような強い声にも、バランはまるで表情を変えない。しかし___
 『私の求めてきたものは、新たなる世界の創造だ。唯一無二の神の元に成すただ一つの世界だ。』
 彼はもったいぶることもなく答えた。
 『大神となったその時から、私は全てを見下ろし、それが永久に続くことを望んだ。しかし神々の王である私は、いわば衆人環視のもとにあった。そこで神に及ばぬ者たちにきっかけを与え、私は待った。見事期待に応えたのがロイ・ロジェン・アイアンリッチだった。』
 それは短いようで意味深であり、古代の逸話を知るソアラとフュミレイを愕然とさせる。
 『察しのいい娘たち、必ず君たちのようなものが現れる。それは私の知らないところで、現れる。なぜか?私は大神と呼ばれながら、世界の創造主ではないからだ。それは私の望むものではない。また正しき世界でもない。神は一人でよい。唯一無二の存在でよい。それに肉薄するものなど不要なのだ。それが正しき世界の姿。全ての力は唯一の神により供給され、過ぎたる者の出現により壊されることなく、恒久な巡りとなる。バルディスのように熟れきって腐ることもない。』
 口を挟みはしない。しかし徐々に考える頭を取り戻すに連れ、ソアラは大神の言葉に言い得ぬ苛立ちばかりを覚えた。
 (こんな奴のために___!)
 その思いはバルカンに対するものより遙かに激しかった。

 大神バランの言葉から読みとれる最大の事実は、彼がGを作り出した張本人であるということだ。究極の力の集合体は彼の悲願であり、その目的は唯一の神として現在の世界を消し去り、掌の上に新たな世界を創造することだった。
 事実を整理する必要がある。
 古代の世界バルディスにて、ロイ・ロジェン・アイアンリッチがレイノラへの倒錯した想いから、力を吸収する禁呪と虫の変態をヒントにGを編みだし、神々の殺戮をはじめる。
 確か三人の神を殺害した後だ。大神バランが殺され、Gの脅威は白日の下にさらされた。戦いの旗手となったのは、バランにより投獄されていたジェイローグだった。
 Gは次々と神々を殺していく。そして世界を破壊し、虚無に落としていく。しかし、残された十二の神と、ジェイローグ、レイノラ、彼らの娘であるセティ、レッシイの活躍により、力を分断されて封じられた。
 残っていたのは、アイアンリッチの干からびたような死骸だけ。レイノラはそれを、Gはすでにアイアンリッチの手を離れ一人歩きしていた、と言った。
 そして少し前に、アヌビスはGを世界の自爆装置と言った。それはアイアンリッチの発想ではあり得ないとも言った。

 そしていま、これらが全て大神バランの意志の元にあったと明らかになった。では、全てがバランの意志だったとして、再度整理する。

 ロイ・ロジェン・アイアンリッチは確かに偉大なる賢者の息子であり、優れた知恵を持ち合わせていた。一方で、性質に問題があったのも確かだろう。だがその男に種を与えたのは大神バランだった。
 アイアンリッチは見事に殺した相手の力を奪い、しかも自らの体を力の増大にあわせて進化させる方法を編み出した。それにより、彼はまず憎んでいた剣神ゼットを殺した。ただこれには伏線がある。アイアンリッチが行動を起こせるように、バランはジェイローグを投獄し、レイノラにゼットとの婚姻を命じている。
 アイアンリッチは初めからバランの掌の上で踊っていたわけだから、バランが彼を誘導するのは雑作もないことだったろう。バランは自らを殺めるのに必要であろう力を持つ神を、アイアンリッチに殺させた。そしてアイアンリッチはバラン殺害へと動き、それは容易く実行された。
 そこに居合わせたレイノラは、アイアンリッチの狂気ぶりを語ってくれた。今思えば、それはすでに彼の精神が破綻を来していたということなのだろう。アイアンリッチのGは確かに肉体の進化を伴うが、精神は考慮されていない。力ではない、意識、思考、魂、目に見えないものだが確かに存在する精神の融合は、彼には不可能だった。
 崩れかけたアイアンリッチの精神を、バランは想定通りに乗っ取った。彼はアイアンリッチとして振る舞いながら、神々を滅ぼしていった。抵抗したのはジェイローグとレイノラを中心とした神々であったが、当初ジェイローグを投獄し、レイノラを幽閉したのも、若く限りなく大きな可能性を秘めた二人を、バランが恐れたからと見ることができる。
 アイアンリッチはすでにGの中で死んでいる。世界を破壊し尽くそうとするモンスターの中心にはずっとバランがいた。しかし肉体はGに殺められた時点で滅びており、あったのは精神だけだ。全てが終わってから、自らの再生と共に新たな世界を作る算段だったのだろう。
 だがここで、バランにとって唯一最大の誤算が生じる。ジェイローグ、レイノラ、彼らの子供たち、十二神、残されたたったこれだけの戦力にGが破れたのだ。世界はすでに崩壊に向かっていたが、奇しくもバランが恐れていたジェイローグとレイノラの手に委ねられ、彼自身は十二神とともに異界の果てへと封じられることになってしまった。
 だがバランの精神は死なず。類い希なる精神の力は、密かに息づき続けていた。おそらく崩壊のきっかけを作ったムンゾではなく、バルカンの中で。
 ムンゾがフェリルら寵姫たちをオル・バンビディスに持ち込もうと考えたのは、Gが倒される前のことだ。つまり彼の性根は元々ねじ曲がっていたと言わざるをえない。そうすると、バランの精神はバルカンの元にあったと考えられる。
 偶然かも知れないが、鳥神バルカンはバルディスの時代より大神バランに最大の忠誠を誓っていたという。彼は鳥だから、まるで刷り込みだと揶揄されるほどだったという。
 バルカンはもしかすると自分の異変に気付いていたのかもしれない。バランの声が聞こえていたかもしれない。必死に抗おうとしていたかもしれない。しかしおそらく、ムンゾへの憎悪が決定的な隙となり、バランの支配を許したのだろう。それでもバルカンは抵抗し、本性が明らかになるまでは長い時間を要した。
 最初はフェリルの復讐に荷担する形だった。バルカンとバランの精神の闘争があったとしても、この時すでにバランは優位に立っていたと考えられる。バルカンも抵抗していたのだろうが、百鬼を殺め、多くの命を奪い、蛮行が明るみに出ると、もはや歯止めは利かなくなった。おそらく奪った力は、バルカンではなくバランの肥やしとなっていたのだろう。
 だがバルカンには味方もいた。あの無限の紋様、さらには声。崇高なる魂を持つ百鬼はきっと、バルカンに殺されても魂まではバランに奪われず、内なる闘争に踏みとどまったのではないだろうか?彼はバルカンとともにバランの精神と戦っていたのではないだろうか?
 オコンの疑念も同じだった。彼は昔のバルカンと今のバルカンがあまりに違いすぎることを疑っていた。そしてたったいま、バルカンの内にある病巣を暴いて散った。彼らは抵抗していたのかもしれない。バルカンの肉体、結集した力、それをバランに渡さないために、バルカンの体の中で戦っていたのかもしれない。
 しかし、バルカンがソアラたちの攻撃で深く傷ついたことで、抵抗力が弱まり、バランの再生を許した___のかもしれない。

 『その通りだ。』
 「!!」
 思考を簡単に読みとられ、ソアラは呻いた。
 『私はバルカンの抵抗にあいながらも、偶然に一人の男を殺めた。疑うまでもなく、小さくとも私を脅かす何かを生み出しうる男だと感じた。事実、私にとっては厄介の種となった。』
 あの胸の無限の紋様は、百鬼の抵抗の証だったのだ。ここは半死半生の世界、オル・ヴァンビディス。彼の肉体は滅んでも、魂はGのなかで生き続けていたのだろう。いわばあのバルカンの巨体の内側に、小さなオル・バンビディスがあったと考えても良いのかもしれない。
 『エコリオットを殺め、大量の精神が流れ込めばバルカンの意識は崩壊するはずだった。しかしあの男の力を借り、バルカンは全て受け止めてなお踏みとどまり続けた。バルカンの魂を滅ぼし、再生するという私の目論みを阻み続けていた。』
 「それを___あたしたちが手助けしちゃったってわけね___百鬼が必死に戦ってたっていうのに___」
 笑えない冗談のようだった。
 「そんな事って___」
 (お父さん___!)
 苦々しい顔で語るソアラの後ろで、ルディーは戦き、リュカはやるせない怒りを噛みしめていた。
 『私もまたバルディスの大地に生まれた。が、その頂点に立つと、ついには無をも支配した。もはや母なる世界は不要だ。私が新たなる父となり母となる。過去の全てを消し去り、あらゆる大地、海、空、生命、すべてが私の元に成す。新たなる世界を作る。君のような偶然の産物が生まれることもない。』
 そしてこのバランの物言い。ソアラには話に聞くアイアンリッチよりも、バランの方が遙かに狂った男に思えた。自らが頂点の存在であることを微塵にも疑わず、この世界に立つ資格のあるものは自分だけと確信している。築こうとするのはまるで機械仕掛けのような平坦で均衡な世界、生命、社会。欲や劣情に駆られて狂うほうがまだ人間らしく思える。
 「最低___あんた、最低よ。」
 限りなく強欲、限りなく傲慢、限りなく独善、限りなく無情、限りなく稚拙。崇高を装ってはいるが、思い通りにならないものや言うことを聞かない人を根こそぎ消し去って、全てが思い通りになる箱庭を作ろうとしているだけ。その発想はおぞましいことこの上ない。しかもそれを実現しようとしている。
 反吐が出る。今まで戦ってきたどんな敵よりも。
 『その程度の思考では、そこまでの存在でしかない。私には誰にもできぬ事ができるのだ、それをやらぬのは愚かしきこととは思わぬか?世界は一つの巨大な力から生まれ、全ての物質、生命、生きるために必要な要素の一つ一つまで、一つの巨大な力を源にしている。私の存在こそ、その証明なのだ。』
 その時だった、前触れも何もなく、バランの手が七色の光を発した。ソアラたちに向けてではなく、大地に向けてだった。そこに秘められた破壊力は想像を絶する。間違いなく、罅入ったオル・ヴァンビディスにとって致命的な一撃となる。しかし、食い止めることなどできなかった。あまりに唐突で、あまりに速すぎたから。

 七色が目映く迸る。
 あれほど強固だったファルシオーネを、一瞬にして無へと返す。
 そこにあった全てが、破壊された瞬間にバラン一人の元へと溶けて消える。
 十二神を失い、その意義を失ったオル・ヴァンビディスは、ついに最期の時を迎えた。

 だが、一帯の漆黒の中に、たった一箇所だけ彩りが残されていた。広大だった世界に比べれば遙かに遙かに小さい彩り。それはファルシオーネを中心として、オコンの世界を一時としたときに五時の方向、すなわち戦神セラの世界だった。そこだけ、僅かに大地が残っていた。しかし急速に、糸を引き抜かれていくセーターのように崩れていく。その「七色の糸」は極めて細いながらも、ファルシオーネまで伸びていた。
 「___はぁ___はぁ___」
 らしくないほど息を荒くして、蒼白だった顔を一層青ざめさせて、それでもフュミレイは無の中に四人が抱き合って立てるだけのスペースを作った。竜樹が生きていたおかげで、強固なままで保たれていたセラの世界があったから、無の中に有を作り出して留まることができたのだ。
 「フュミレイ!」
 突然彼女の元に引き寄せられたときは、何が起こるのか分からなかった。しかし今この状況を目の当たりにして、ソアラはただただフュミレイの能力に感嘆した。だが感心している場合ではないのだ。
 「___時間がない!」
 腹を割かれた傷も完全には癒えてないのだろう、フュミレイは血反吐を交えて叫んだ。
 「バランの後を追う!!」
 睨み付けたのは空、だがそこには漆黒しかない。しかし指を一つスナップすると、フュミレイは七色の足場を僅かに広げ、そこに走った影からあの男が現れた。
 「お呼びで。」
 空雪だ。フュミレイはあれだけの戦いを繰り広げながら、闇の力で自分の影に空雪を隠していたのだ。しかも彼は、目一杯弓を引き絞った姿で現れた。
 「目は逸らさなかったな?空雪。」
 「無論で、狙いは一切ぶれていませんぜ。真っ直ぐ渦まで飛んでいきまさぁ。」
 「フュミレイ___まさか!」
 ソアラも彼女の意図が分かった。バランがここにいないと言うことは、行き場は一つしかない。アヌビスが開けた空の渦だ。なにしろバランの目的は全ての世界を消すことだから、別世界へと続く渦を無駄にするはずがない。
 空の全てが無に消えたように思えて、確かに僅かだが黒に揺らぎがあるようにも見える。それを決して見失わないように、フュミレイは狙った獲物は決して外さない空雪に、空の渦を狙わせ続けていたのだ。
 彼女がバランの行動をどこまで読んでいたのかどうかは定かでない。しかしいずれにせよ用意周到だった。そしてここまでするということは、彼女は生きること、勝つことを諦めていない。
 「ソアラ、諦めたら終わりだ。自分が犠牲になればいいという考えも捨てろ。全員ができることを最大限にやらねば、誰一人として生き残ることはできない。」
 その教示はソアラの胸を打った。
 「ルディー!空雪の矢にヘブンズドアの魔力を結べ!!七色の道を切り開く希望の矢とともに、ここを脱出する!!後のことは考えるな!!魔力を使い果たしても必ず成功させろ!!」
 「はい!!」
 ルディーはすぐさま魔力を振り絞り、空雪の矢の中程に光を結ぶ。
 「ぁぁぁああああ!」
 そしてフュミレイの気合いとともに、矢が大きな七色のオーラを纏う。
 「!___セラの世界が!」
 しかし大半が虚無へと落ちたオル・ヴァンビディスには、七色に変えうる有が少なすぎる。唯一残っていたセラの世界ももう全てが消え去ろうとしていた。
 「私の魔力、命がある。初めからセラの世界の残存はボーナスみたいなものさ。」
 だがフュミレイにはそんなこと分かり切っていた。その上での行動だった。
 「僕の力も使って!」
 黄金に輝いたリュカが、フュミレイの体に己の力を流し込む。七色のオーラが勢いを増す。
 「あ、あたしも!」
 ソアラもそれに続こうとしたが___
 「駄目だ!おまえまで力を使い切ったら誰がバランを倒す!?」
 フュミレイは一喝した。そして___
 「案ずるな、私を誰だと思ってるんだ?」
 笑みを浮かべる。その瞬間、ソアラは彼女と出会えたことを心から嬉しく思った。自分にはないものを持っている、いつまでたっても心のどこかで憧れられる最高の友でありライバル。そう、彼女のやることに狂いはない。自信に溢れた彼女を信用しないなんて、愚かなことだ。
 「空雪!放て!!」
 直後、七色の道が走った!




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