4 指輪

 「ゴアアア!」
 ソアラの喉奥が輝き、迸った閃光がバランを襲う。それはバランの頬を削ぎ落として背後の空に抜け、彼方の空にあったらしい島に炸裂する。天界の青空の一部が、粉塵と赤熱に彩られて朱に染まる。
 『フフフ___』
 強靱なバランの体が、掠めただけで砕かれる。それほどソアラの攻撃は破壊的だった。しかし、ただ殺意に任せて動く彼女の攻撃には隙も多く、簡単に再生を許す。
 『ほうらこったちだ!』
 バランがソアラの頬に拳を当てる。ソアラは露骨に反応し、またも喉奥を輝かせる。しかしバランは笑みを浮かべながら、あえて彼女が追える速さで軌道を逸れた。
 カッ!!!
 再び黄金の閃光が迸る。もうその瞬間にはバランは姿を消し、光は先ほどと同じ場所、朱に染まる空に向かって走った。
 ゴゴォォォッ!!!
 朱の空にさらなる破壊。それは空間そのものの存在を消し飛ばすほどに強烈だった。朱の空は七色に歪み、次の瞬間、漆黒の柱へと変わった。
 『そうだ。上手にできだじゃないか。』
 屈強なる天界、それもドラゴンズヘブンからそう遠くないところに虚無の柱が立った。
 「ゥゥウゴガァァ!」
 その瞬間、ちょっとだけソアラが怯んだように見えた。しかし再び怒りの雄叫びを上げると、喉奥を輝かせる。今度はより広範な扇形の閃光が迸り、バランは上へと逃れ、それを見ていたソアラが消えた。
 「ァァアア!」
 ソアラはバランのさらに上へと回り込んでいた。そこから光線を放てばドラゴンズヘブンを巻き込むことは避けられないと言うのに、理性の欠片もない彼女は構わずに喉奥を輝かせた。
 ガガガガ!!
 しかし黄金の閃光は彼女の目と鼻の先で漆黒の壁に阻まれた。最初から避けるつもりでいたバランはソアラから離れており、今まで彼がいた場所にはフュミレイがいた。彼女はあれほどの威力を誇っていたソアラの光線を、漆黒の盾で完全に阻んでいた。
 「ゥガッ!!」
 突然のことに驚いていたソアラの左腕を、フュミレイが掴んだ。ソアラは呻いて右手を振るい、フュミレイの肩口から袈裟切りに切り裂く。鮮血が激しく噴きだしたが、フュミレイはただひたすら落ち着いて、ソアラの左手の指に何かをした。
 すると___
 コォォッ!!
 ソアラの体から白い炎が噴き上がった。それはフュミレイが触れていた左手から、左腕全体を包み込む。
 「感じろ!彼の魂を!Gが重すぎるなら、彼に身を任せるんだ!あたしたちには___彼を愛していたあたしたちにはそれができる!!」
 白い炎はフュミレイの左手からも広がっていた。それはすぐに二人を包み込み、さらに大きく立ちのぼっていく。フュミレイの傷はもう塞がっていた。
 『なんだ___?』
 バランは訝しげにそれを見ていた。なぜだろうか、胸の奥底に妙な煩わしさ、不愉快さを感じた。
 「______あ___」
 その時である、あれほど荒れ狂っていたソアラの理性が戻った。姿はそのままだったが、殺意だけに満ち満ちていた顔には落ち着きが舞い戻っていた。見ればフュミレイも、先ほどギリギリまで力を高めたときと同じ姿をしている。なのに彼女はまったく落ち着き払っていた。
 「ソアラ、左手を見ろ。」
 「え?___あっ。」
 言われるがまま左手を見たソアラは、そこで白い炎を発する指輪に気が付いた。それは彼女の良く知る、とても懐かしい指輪だった。
 「魂のリング___?」
 「そう。これは傷ついた竜が力を取り戻すために眠りについた時、その体を覆う石で作られるそうだ。かつての六つのリングは、超龍神自身の体を覆っていた鉱石から作られ、このリングは___」
 「___帝!?帝が目覚めたの!?」
 「ああ。今はリュカとルディーを蘇らせようとしている。」
 「!!!!」
 それを聞いたソアラは息を飲み、全身を硬直させる。
 「それだけじゃない。なぜ魂のリングか分かるか?そしてこの白い波動の感触、あたしたちにとっては愛おしくってしょうがないはずだ。」
 迂闊にもそう言われてはじめて気が付いた。魂のリングから広がる光が、左腕の無限と響きあっているのを感じ、確信した。
 「百鬼___?」
 フュミレイは優しく微笑む。
 「あたしたちはGの一部を手にした。それは、Gに奪われた彼の魂の一部を取り返したということだ。」
 それが現実かどうかフュミレイには分からない。このリングは竜神帝の加護により二人の心に平静をもたらしているだけかもしれない。しかし百鬼の存在を肌身に意識するだけで、二人の心はとてつもなく軽くなったのだ。
 「う___ぅわぁぁ___」
 ついにソアラは顔をくしゃくしゃにして泣き出してしまった。フュミレイは彼女の背を優しく撫でる。そうすると二人を包む白い炎の暖かさは一層強まっていった。
 「見て___」
 フローラが空を指さし、震え声で呟やく。炎は人の面影を象っていた。くっきりと浮かび上がっていたわけではないが、皆にはそれが百鬼の姿に見えてしょうがなかった。
 『下らぬ。』
 それをバランは一笑に付す。掌を突きだすとジェネリの得意技、シロッコの熱風が二人を襲った。風は白い炎を消し飛ばすがそれでソアラがまた狂乱することはなかった。
 「心にニックが___百鬼がいる。」
 「うん、分かるよ。魂のリングが教えてくれた。この力はあたしたち一人で受け止めるものじゃないって。」
 「恐れることはない。全力を出せ!」
 フュミレイが黒い炎に身を包む。
 「もちろん!!」
 ソアラが黄金の炎に身を包む。
 『___この力は___』
 それはバランを呻かせるほどの凄まじいエネルギーだった。先程までの不安定なソアラとは違う。彼女が倒したのはバランのほんの一部でしかないのに、相乗効果でもあるかのように夥しい力に満ちあふれていた。
 それをもたらしたのは心の安定。Gに対する不安の除去が、惜しみなく力を放出させている。驚くべきは、それでいて二人の肉体が悲鳴を上げないことだ。まるでそれが当然と言わんばかりに、心にも体にも浮ついたものがない。
 『!』
 突如、バランの右手前からソアラが襲いかかる。そちらに意識が向いた時、今度は左斜め後ろにフュミレイの気配。バランは飛翔して逃れると二人に向かって七色の波動を満たした手を向けるが___
 (違う!)
 後ろに迫っていると思ったフュミレイは、魔力の球だった。
 「宵闇の裁き!」
 声は上から響いた。バランの背中に漆黒の波動が打ち付ける。
 「竜波動!」
 それから脱出するよりも早く、下からソアラが黄金の波動を放つ。挟みつけられたバランは力を放出して僅かに隙を開き、素早く脱出するが___
 『っ!』
 そこにソアラ。このタイミングでこの位置に飛び出すと分かっていなければ捉えられない場所に彼女はいた。それはつまり、二人が巨大な波動の一部分を僅かに緩めることで、バランが飛び出す場所を操ったということ。
 ザンッ!!
 ソアラの手は竜の牙のごとき鋭さでバランの体を切り裂く。それだけではない、彼の周囲は無数の魔力の球が包囲していた。
 「ジェイルザード。」
 魔力の球それぞれが光線で結ばれる。バランの体は入り乱れた光線の格子の中にあった。と、それは猛烈な勢いで回転を始める。
 『ぐ!?ぬぉおおおお!?』
 光線の一つずつが灼熱する。高速回転することで白熱球となった光の中で、バランは破壊光線に焼かれていく。
 『ガアアアッ!!』
 今までにない絶叫が轟くと、唐突に白熱球の檻が消し飛んだ。だがその瞬間にはもうソアラの蹴りが彼の側頭部を捉えようとしていた。
 「!!」
 しかしソアラは踏みとどまる。現れたバランの体が漆黒の空間に包まれていたからだ。それを虚無と見たソアラは思わず動きを止めた。
 「違うぞ!ソアラ!」
 魔力が消し飛んだ感触から、あれが虚無でないと悟ったフュミレイが叫ぶ。しかし動きを止めた一瞬は、七色のオーラを纏ったバランの拳がソアラの顔面を砕くのに十分な隙を生んでいた。
 グッ___!
 『!?』
 しかしである。拳はバランの思うように動かなかった。見ればソアラの左手から未だ立ちのぼる白い炎が、虚無のように見せかけた黒い空間に入り込んでいた。百鬼の魂は二人に宿っているのと同じように、バランにも宿っている。オル・ヴァンビディスに年老いた肉体と一緒に捨ててきたつもりだったのに、あまりにも執念深い男の力は未だにGの一端として残っていた。
 『死人が___!!』
 忌々しい!!バランが怒りを露わにしたその時、ソアラの竜波動を込めた蹴りが彼の側頭部を撃ち抜いた。
 『がっ___!』
 蹴りはバランの頭部を粉砕した。口から上の頭部のほとんどが粉々になって飛び散り、彼の体は空の彼方へと打ち出される。
 「フュミレイ!」
 ソアラの呼び声を待つまでもなく、フュミレイはバランを待ちかまえる位置で力を満たしていた。銀髪に黒い彩りが広がると、ソアラはレイノラの面影を感じずにはいられなかった。
 「デッドエンド。」
 放たれたのは漆黒の槍。黒い輝きが一直線にバランを襲う。バランは頭を砕かれながらも軌道から逃れたが、槍は何ら惑うことなく鋭敏に矛先を変え、バランを追尾した。
 『ぬぅうおお!』
 深手を負ったバランの動きは鈍い。もはや逃れられないと悟ったか、彼はくぐもった叫びを上げていた。

 ゴォォォッ!!!

 天界の青空に、墨を落としたような黒い花火が散る。
 「やった!」
 その凄まじい破壊力。瓦礫の陰で生き延びた天族たちを守っていたミキャックは、思わず拳を握った。呪文のような名が付いてはいたが、古代呪文でも聞いたことはない。おそらく先ほどのジェイルザードも含め、フュミレイが自ら編み出した新しい呪文なのだろう。
 「___!?」
 だが漆黒の霞の奥に人影を見つけ、彼女は笑みを消した。

 『惜しかったな。』
 バランは笑っていた。片や再生半ばの無様な顔で、笑みは明らかに引きつっている。片や汚れ無き綺麗な顔で、優美に微笑んでいる。
 黒い花火の後、バランは二人になっていた。だが、いま体を分割したのではない。すでに分かれていた別のバランが、もう一人のバランの危機に駆けつけたのだ。
 『今ここでもう一人私を倒していれば、君たちの力は優に私を超えただろう。だがそこまでには至らなかった。』
 二人のバランが融合していく。
 「百鬼___!」
 だがソアラがその名を呼ぶと、粘土のように混じり合おうとしていたバランの動きが止まった。魂のリングから立ちのぼった白い炎がソアラの腕を包む。
 「百鬼!!」
 相手の心を導く能力。ソアラの言葉は自然とフュミレイの、バランの心に働きかける。フュミレイの左手だけでなく、バランの胸からも白い炎が浮かび上がっていく。
 『これは___!』
 無限の模様の上で漂う炎は、どことなく人の頭を象っている。それが誰かはバランとて考えずとも分かること。しかし幾ら彼が強靱な精神力の持ち主だとしても、本体であるバランを差し置いて、これほどまでに肉体の動き妨げられるのは驚きだった。
 「百鬼!そのまま!」
 おそらくこの白い炎だ。ソアラとフュミレイのものとなったGの一部が、バランのGに働きかけ、感応しあうように動きを同調させている。その橋渡しをしているのが、忌々しいバンダナ男の遺志。
 『___ふざけるな___唯一の神の行く手を阻む___貴様がそれほどの器か!?』
 黄金に輝く爪を振りかざしてソアラが襲いかかる。その後ろからフュミレイが漆黒の光線を放つ。だが、連中が今を好機と考えていること、勝てると思っていることが、バランにとっては甚だ腹立たしかった。
 『ウゥゥオオオオオオ!』
 バランが空を震え上がらせるような雄叫びを上げた。腹の底から突き上げるような声と共に、彼の体は七色の輝きを噴きだした。
 「ソアラ!止まれ!」
 フュミレイが叫んだ瞬間だった。バランの体から目映い光が飛び散る。七色の波動が散弾のように飛び、ソアラは必死に身を縮めてガードする。だがその痛みよりも、目も眩むような激しい輝きの奥で、バランの気配が一変したことの方が衝撃的だった。
 「こ、これは___そんな___!」
 対峙するだけで気が触れそうな殺気。あれほどの力を身に着けたソアラであっても、あまりにおぞましい気配に愕然とする思いだった。
 「!」
 太陽のような目映い輝きの中から、血のように赤い何かが飛び出す。それは動きを止めてしまったソアラに、逃亡を許さない速さで襲いかかった。
 ギュンッ!
 しかし漆黒の盾がいち早く立ちはだかり、赤い何かを一瞬だけ遅らせる。その隙にフュミレイはソアラをその場からかっさらった。だが強固な黒い盾は、赤に触れた瞬間、無抵抗に消え失せる。
 (吸われた___!)
 まるでグラス底面のアイスコーヒーをストローで一息に吸い尽くすかのよう。輝きの中から伸びていたのは、赤い触手だった。
 「この力___」
 「あたしたちと同じだ、バランも力を抑えて戦っていた。自らを暴走させないために!」
 光が収束する。現れたバランは今までとは全く別物だった。人型ではあるし、幾らか皺の畳まれた中年の顔になっていた。だがそれよりも驚くべきはその体で、まず何よりも身の丈がこれまでの三倍を優に超えている。百鬼の無限が居座っていた胸には丸い口が開き、全て閉じると蓋のようになる牙と、その周囲に赤い触手が蠢いていた。肌は無数の鉱石に覆われ、その一つ一つが破壊的な魔力を帯びている。
 レイノラとレッシイ、それぞれの遺志を受け継いだ二人には、これがバルディス時代のGに良く似ていることが直感的に分かっていた。
 キュゥゥゥンン___
 「!!」
 「!!?」
 驚愕している猶予など無い。バランの全身の鉱石に射すような光が宿ると、二人は地獄の冷気に背を撫でられるようなおぞましさに駆られた。

 カッ!!!!!

 バランを中心に、ありとあらゆる方向に破壊の輝きが注がれた。それは空を焼き、漂う島々を砕き、あらゆる生命を昇華させる、恐怖の輝きだった。これまでのバランの攻撃とは一線を画した、圧倒的な破壊力だった。
 『絶望せよ。』
 灼熱の大気の中で、バランの声は陽炎のように揺らぎながら轟いた。
 『忌まわしき血族よ。』
 その言葉はソアラとフュミレイに向けられた。ジェイローグとレイノラの血族、フュミレイは少し違うがレイノラに認められた以上同じ系譜の一人と言っても過言ではなかった。
 『忌まわしき死者の魂よ。』
 その言葉は百鬼に向けられていた。魂のリングは身を守る二人の波動に、まるで練闘気を注ぐかのように白い炎を纏わせていた。
 『絶望せよ。虚無を受け入れよ。』
 先ほどの攻撃で、ドラゴンズヘブンの周囲にも新たに虚無の柱が立った。それはオル・ヴァンビディスのときと同じようにジワリジワリと世界を浸食していた。
 『そうか___なおも抗うか。』
 ソアラとフュミレイは自らの力を盾にして、バランを睨んでいただけだった。だがバランは誰かの声を聞き、それに答えていた。
 「なにをいってるの___?」
 ソアラが訝しげに呟く。
 『二度と蘇ることはないと知りながら、そこまで抗えるのはあっぱれだ。ならば私はなんとしてもその希望を、誇りを打ち砕いてみたい。』
 その言葉は明らかに百鬼を連想させる。二人がハッとして互いの顔を見合わせた時、バランは唐突に動いた。
 「!?」
 バランの眼下の空に光の円が開いた。ソアラはその円に見覚えがあった。ドラゴンズヘブンから無限の空に飛び降りて、落ちて落ちて落ち続けた先に開いた黄泉への窓と良く似ていた。
 「いけない!」
 「ソアラ!?」
 「あれ___異世界への道よ!」
 ソアラは飛び出すが___
 「止まれっ!!!」
 フュミレイが叫んだ。密やかに放たれていた破壊の波動が炸裂し、空に新たな虚無が立つ。それは計ったようにソアラを飲み込む位置だった。
 間に合わない。気付いたときにはもう空が焼かれ、虚無の柱が立ちのぼろうとしていた。手遅れのタイミングだった。
 『貴様の世界を虚無へと返す。己の無力と絶望を知るがよい。』
 虚無に守られながら、バランは光の円に沈み込む。その姿はまるで手品のように消えて無くなった。




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