3 誇り

 再び天界。
 「ソアラだ!!」
 ドラゴンズヘブンでトーザスが歓喜の声を上げる。最初はあまりに見た目の変わった彼女に目を疑ったが、長らく竜を見てきた天族の直感か、ソアラだと気付くのに時間は掛からなかった。
 「あ、あれ___伝説の___」
 ロザリオはトーザスほど脳天気ではなく、ひたすら呆気にとられていた。竜人とでも言うべきソアラの姿は、絵本や伝承記の類でしか見たことがない、いわば作り話かと思っていたような伝説の竜戦士の姿そのままだったのだ。
 「か、神だ___あの方は新たなる竜の神だ!!」
 誰からともなく、そう叫ぶものがあわれた。決死の抵抗だった呪文がまるで通じず放心していた天族たちは、突如現れた救世主に沸き立たずにはいられなかった。

 『き、貴様ら___!』
 幼年のバランは猛攻に曝されていた。彼らの執念は知っているつもりだったが、闇を奪われた黄泉からどう脱出したのかは分からなかった。動揺は、ソアラを「君」ではなく「貴様」と呼んだところにも現れていた。
 「はあああ!」
 休まず攻めろ!それは闇の出口を抜ける前から示し合わせていたことだった。バランに反撃の余裕も再生の時間も与えず、攻めきること。
 激しい戦いは天族の目でも捉えられるレベルを超えていた。ソアラ、リュカ、ルディーは家族であり、フュミレイは親友であり師である。四人は言葉を交わさずとも特別な絆で結ばれ、その流れるような連携はバランの想像を超えていた。なにより悩ましいのはファルシオンだ。あれを食らうとバランは一気に追い込まれる。
 『くっ___!』
 苦し紛れに、バランは七色の光線を放つ。自らの真上の空の果てへと突きさすことで、一帯を虚無に変えようというのだ。
 ババババ!
 しかし七色は立ちはだかった銀色の壁に阻まれた。それは光線を受け止めると同時に、絵の具が染みていくように壁を七色のマーブルへと変えていく。
 「上と下は要注意だからな。」
 壁はフュミレイの体に魔力で結ばれていた。予測済みと言わんばかりに彼女はバランを挑発した。
 『図に乗るな!』
 七色の光線がフュミレイに向けて放たれると同時に、ソアラたちが襲いかかる。バランは腕をソアラに叩き折られていた。だが迸った灼熱の血液が追撃を阻む。
 クンッ!
 一方の光線はフュミレイの前で急に軌道を変え、彼女の背後のドラゴンズヘブンへ。
 『エネルギーを追加させてもらう!』
 力を落としたバランは劣勢だった。腕をくれてやってでも、いまは緊急のエネルギー補充が必要だったのだ。
 だがしかし、四人は誰も慌てていない。光線の威力が以前のバランに比べて圧倒的に見劣りしていたからだ。それでもドラゴンズヘブンに甚大な被害を与えるだけの破壊力は秘めていたが___
 「練闘気!!!」
 島に立つ男の、命の盾は砕けなかった。盾の練闘気は、ライの背に触れるサザビー、フローラ、ミキャックの力添えもあって、バランの光線をものの見事に蹴散らしてみせた。

 斬!

 幼い体で老練な表情をするバラン。その顔が驚愕に歪んだとき、リュカは彼の背中をファルシオンで斬っていた。しかし溢れ出た力をバランはすぐに再吸収する。それを止めるべく、ルディーが敵の動きを封じる古代呪文を放っていた。とはいえ一介の呪文が大神に通じるとは考えづらい。
 『!』
 だからルディーは、斬られて溢れた七色のオーラへと呪文を放った。オーラは宙に留められ、バランの体に流れ込むことができなくなっていた。
 一瞬の好機。いま、バランの力は弱まっている。
 「はあああああああっっ!!」
 ルディーの呪文が破壊されるのと、ソアラの拳が敵を捉えたのは同時だった。しかし力が彼に戻るよりも早く、ソアラは怒濤の攻撃を始めていた。

 竜の爪がバランを食らう。非情に徹したソアラの攻撃は、一つ一つが容赦なく急所を捉え、彼の肉体を破壊していく。時間にして数秒とあったろうか、脆弱化したバランは全力を尽くしたソアラの前に何もできなかった。
 そして___
 胴から切り飛ばされ、右半分が砕けた頭になおも翳されたソアラの掌。バランはそんな状態でも意志を持って左目を見開いていた。
 「竜波動!」
 だがその目までが光の中に消え去る。
 「宵闇の裁き!」
 そこにさらに闇の波動。それはソアラが始末し損ねていたバランの左手、右大腿、おそらく左手の人差し指、それらを一気に飲み込んだ。
 夥しい白と黒の力の余韻が消えると、何もないまっさらな空が現れる。そこには僅かな肉片も、七色の霞みもない。
 「___やった?」
 静けさに戸惑いながら、リュカは訝しげに言った。
 「やった___」
 ルディーが呟く。彼女は持ち前の鋭い感覚で、辺りにバランの気配がないと感じていた。だが確信には至っていない。
 「やった?」
 「やった___よね?」
 二人で目を合わせて頷きあうと、ようやく息詰まるような熱がこみ上げてくる。
 「倒した___倒したんだ!」
 「やったああ!」
 歓喜する子供たち。
 「ぉお___勝った___!」
 「竜の戦士の勝利だ!」
 その様子を見守っていたドラゴンズヘブンの天族たちも沸き上がる。
 「先輩!」
 「やったやった!やりました!」
 ロザリオとトーザスも笑顔でミキャックの元へ。それに続いて天族たちも、島の縁で敵の光線を止めた勇者たちを祝福しにやってくる。
 「待って、喜ぶのはまだ早いかもしれない。」
 しかしミキャックは彼らとの再会を喜ぶことも懐かしむこともなく、険しい表情のままでいた。その横顔にロザリオは足を止め、トーザスは後ろから押し寄せた天族に潰されるように転倒した。
 「は、早い___?」
 ざわめきが広がる。見ればライ、フローラ、サザビー、誰も素直に喜んではいない。それはミキャックの優れた目が、ソアラの表情を克明に見ていたからだった。
 「___」
 ソアラとフュミレイは、今までバランがいた虚空を見つめて微動だにしなかった。その頬は強張り、目は凄みを帯び、額にはこれまでの戦いとは別の汗が滲んでいた。黄泉までのバランに比べてあまりにあっけなかったから、というわけでもないようだった。
 「お母さん!やったよ!」
 リュカが喜び勇んで母に飛びつこうとする。
 「触らないで!!」
 しかしソアラは一喝で止めた。彼に続こうとしていたルディーもろとも、大きくなった子供たちは肩を竦めて止まった。そこでようやく母の異変に気が付いたのだ。
 「ど、どうしたの___?」
 「___ごめんね、ちょっと体が___ぐっ___ぅぅ___!」
 母はその場で呻き、宙に留まりながら体を折り曲げ、何かを掴むように空を掻き、音を立てて息を荒らげる。汗は滝のように溢れ出て、顔は真っ赤に紅潮していた。明らかに様子がおかしかった。
 ゴォォォッ!!
 その時だった、すぐ後ろで虚無かと見まがうような黒い炎が立ちのぼった。驚いて振り返ると、そこではフュミレイが顎を突き上げて天を仰ぎ、声にならない悲鳴とともに炎に包まれていた。
 「師匠!?」
 ルディーが驚愕し、沈火しようと手に魔力を灯す。
 「待って___!」
 しかし苦しげな声でソアラが止める。
 「手を出しちゃ駄目___これがGを倒したあたしたちへの___試練!」
 「これを克服しなければ___あたしたちが力に飲まれる___!」
 炎の中で、フュミレイが仰け反った体をゆっくりと戻していく。先ほどバランを倒したのは二人だ。均等かどうかは別にして、両者にはバランの肉体の中にあった力が流れ込んでいる。
 「そ、それじゃあGは___!?」
 「お母さんたちの中に!」
 そうなることは分かっていたが、現実を目の当たりにするとリュカとルディーは困惑するばかりだった。
 「うぐぐぐ___!」
 フュミレイが呻く。その銀髪が信じられないスピードで伸びていく。服の袖が弾け飛び、腕になにやら呪文のような紋様が浮かんでいく。
 「ぁぁぁああ___!」
 ソアラはより竜に近づいていく。顔の造形が竜になる訳ではないが、爪、角、棘、翼、尾など、竜の特徴を持った箇所がより重厚さを増していく。
 「___お、お母さん___」
 人格が変わる訳ではない。血縁が揺らぐ訳でもない。しかし二人は禍々しさを増していく母の姿に、少なからず動揺せずにはいられなかった。とくに母の目が優しい女性と血に飢えた竜の狭間で揺れ動くように、紫と黄金で二転三転するのは、見ていて息苦しさを感じるほどだった。
 もし、母がGの強大な力に精神を奪われたら___?
 かつてのバルカンと同じように殺戮に走ったら___?
 ___リュカにはもうどうしていいか分からなかった。
 そのとき!

 「え?」
 リュカとルディーは後ろを振り返った。そこにはドラゴンズヘブンがある。大勢の天族がいる。ライたちもいる。
 いや、いた。
 いたはずだ。
 なのに、彼らがいたはずの場所には巨大な火柱が立ち、ドラゴンズヘブンの大地は粉々に砕け散ろうとしていた。
 「___え?」
 「___そんな___」
 遙か彼方の空が七色に光った。次の瞬間には、火柱の向こうで辛うじて形を保っていた竜神帝の居城を、七色の光線が襲った。
 バァァァッ!!
 だがそれはリュカたちの肩越しに放たれた黄金の光線とぶつかり合い、目映く輝いて凄烈に爆発した。
 「お、お母さん___!」
 黄金を放ったのはソアラ。なら七色を放ったのは!?
 「凌いで___あたしたちも___すぐに戦えるようにするから___!」
 母の言葉で二人は確信する。敵はまだ生きているのだ。あの光線を放ったのはバランなのだと。
 「見て___!」
 凄まじい爆風はドラゴンズヘブンの火柱をも消し飛ばした。完全に消失したと思われていた島は半壊程度で留まり、竜神帝の居城に至っては見晴らし塔がいくつか崩壊したものの、しっかりと形を保っていたのだ。ルディーが指さしたのは、その入り口で生き残った天族たちを中に誘導するライやフローラたちの姿だった。
 「!」
 背筋を嘗めるような寒気とともに、遙か彼方の空に黒い棒が立ちのぼるのが見えた。ここからはほんの爪の垢ほどの細さでしかない。しかし確かに天界の一角が、またも虚無に落ちた。それがかえってリュカを冷静にさせた。
 「そうか___僕たちが来るまでの間に、体を分けていたんだ___エコリオットの神殿でバルカンがそうしたように!」
 そう言うなりリュカは遙か彼方に見える虚無の方向へと飛び出した。
 「リュカ!待って!」
 それをルディーが追う。
 「体を分けたってのは正解よ!でも問題は何人に分かれたか!ここで戦いづらいのは分かるけど、お母さんたちをあのままにしていくの!?」
 「大丈夫!分かれた人数が多ければそれだけ個々の力は弱くなる!分かれたのはきっと二人か三人!そしてその中でも特に力の強い本体は、虚無に落とすくらいの攻撃ができるあいつで間違いないはずだ!」
 「それはそうだけど___!」
 ドラゴンズヘブンと藻掻き苦しむ母たちの盾になるように、自分の後ろには一切入らせないつもりで戦う。それが今の自分にできる最善のこと。リュカはそう確信していた。
 『問題は、その本体とおぼしきバランに君たちごときで抵抗できるのかということだ。』
 しかし最善はあっさりと次善に変えざるを得なくなった。気付いたときには、リュカと同世代に見える青年バランが、耳元で囁いていた。
 ギャウンッ!
 リュカは振り向き様に剣を振るい、バランは掌から破壊の力を放つ。しかしそれはリュカの背を抉ることはあっても、貫くには至らなかった。左で逆手に握ったファルシオンがバランの腕を掠めたからだった。しかもリュカは右手に握った花陽炎で彼の腕に裂傷を刻みつけた。
 「古代呪文___ゼクサジーダ!」
 思わぬ抵抗に隙を作ったバランの真横から、竜の力を全開にしたルディーが呪文を放った。それは目が眩むほど目映い光と共に、バランを襲って空の彼方まで突き抜けた。
 「浅いよ!」
 ルディーが叫ぶ。すると彼女の後ろに突如としてバランが現れる。だがルディーは悟ったように身を屈めると、黄金に輝くリュカが敵の眉間を狙う感覚で鋭い突き!
 『残念。』
 しかしバランには眉間がなかった。ルディーの呪文で頭が三日月のように削り取られていたのだ。バランは勇者の剣以上に鋭利な爪を七色に輝かせ、一気に振り下ろした。
 「くっ___!」
 「まだまだ!」
 爪はリュカの胸とルディーの背を切り裂いた。しかし致命傷ではない。ソアラほどではないとはいえ、すでにこの若さで竜の使いの域を超えた二人は、神に抵抗しうる戦士らしくバランに向き直った。
 『ゼクサジーダ、これは恐ろしい呪文だ。いわば力押しで破壊する呪文とは違う、触れたものを消滅させる最強の呪文。古代呪文の中でも、もっとも魔力の真原理に近い領域であり、私に通じる唯一の攻撃呪文と言ってもいい。ただその分、極めて難しく膨大な魔力を消費する。』
 次の瞬間だった。リュカは辛うじて目で追えていたが、魔力の急激な消耗で反応が鈍ってしまったルディーは、バランを完全に見失っていた。
 「え___?」
 分かったことは、決して太くない腕が自分に突き刺さり、嫌みなほどに美しい掌が、胸から伸びて血の花を咲かせたことだけだった。
 『ならば私は、弱った者から確実に片づける。』
 バランの言葉はもうルディーには聞こえなかった。
 「___ルディー!!!」
 リュカの絶叫ですら、遠くの山で啼く鳥の声のようでしかなかった。
 「うああああ!!」
 バランはルディーを投げ捨て、追い打ちの光線を放とうとする。しかしそれはリュカが渾身の花陽炎を叩き込んで僅かに軌道を逸らした。だがそれすら意味があるかどうか分からない。ましてこの状況。バランに背を向けてルディーを追うことも許されない。
 (割り切るか。)
 リュカの決断はバランの想像より潔かった。彼のことだから、情に駆られて果てのない空に落ちていくルディーを追い、決定的な隙を晒すものと思っていた。それがルディーを振り向きもせず、左にファルシオン、右に花陽炎の二刀流で向かってきたのだ。その潔さは、先ほど黄泉で母が見せた決断と同じだった
 「これ以上おまえの好きにさせるか!!」
 リュカの全身が黄金に燃え上がる。ソアラほどの完成度ではないが、明らかに竜人に似た変化を遂げていく。
 「おおおおおおっ!!」
 『面白い。君の全力を見せたまえ。』
 リュカとバランの戦いは壮絶だが拮抗しているとは言い難かった。リュカの攻撃は通用しないわけではなかったが、全てバランに見極められていた。どの程度のダメージで、どの程度で再生できて、またそれによってリュカがどの程度消耗するか、それまで全て計った上で、避ける、受ける、いなす。
 それはリュカにとって、戦えども戦えども「勝算はない」と愚弄され続けるような戦闘である。遊ばれていると分かった時点で戦意を消失し、絶望に駆られてもおかしくはない。しかしリュカは絶対に諦めず、塵の一粒になるまで挑み続けるつもりでいた。
 「リュカ___」
 城の内部へと逃げ込んだ天族たちは、ミキャックの誘導で庭園へと避難していた。そこは竜神帝が眠る光の祭殿があり、いわばドラゴンズヘブンの心臓部とも言うべき場所。気休めかもしれないが、最も安全な場所だ。
 「こんなの辛すぎる___」
 そこには外の様子を観察できる水晶がある。城の外観はかなり破壊されたが、水晶はまだ機能を保ち、ミキャックたちにリュカとバランの戦いを見せつけた。しかしそれは希望を抱くにはあまりに痛々しく、彼女たちはただ自分たちの無力を呪い、やるせなさを募らせることしかできなかった。
 「レネ様___我らが神に祈りましょう___」
 水晶を見続けられるのは意志強きものだけ。ミキャックも良く知っている老天族が、達観の面もちで諭した。
 「でも帝様は___」
 「存じております。しかし我らが唯一の神であることに変わりありません。祈ることで我々の心にせめてもの安らぎをもたらしてくださるでしょう。どうか、祭壇の扉をお開け下され。」
 ミキャックはしばし逡巡する。しかし水晶内の情景が目にとまると、彼女は吹っ切れたように頷いた。戦場ではバランが反撃を始めていたのだ。

 「ッ___無茶苦茶しやがる___」
 生きた心地はずいぶん前からしていないが、さしものサザビーも緊迫に喉が詰まる思いだった。自分の懐では胸に大穴を開けられたルディーがピクリとも動かない。より高い空からは、血の雨が降り続いている。
 「くそ___天界だと邪輝が弱まるな___」
 投げ出されたルディーを、バランの目を盗んで受け止めたまでは良かった。一刻も早くドラゴンズヘブンに戻ってフローラの治療を受けさせねばならないが、アヌビスから貰った彼のエネルギー源は、光の神が統べる世界では明らかに弱体化していた。それは仮面の効果も、彼自身の生命力にも等しく響く。喉が詰まる思いなのは果たしてリュカを追い込むバランのプレッシャーのためなのか、疑わしい。
 その時だった。血の雨に混じり、ごく小さな七色の光弾がアヌビスの仮面の鼻面を打った。
 「!」
 小さくとも拳で叩かれるより遙かに力強い光弾は、サザビーの顔から仮面を引っぺがし、しかもアヌビスの尖った鼻を粉々に砕いていた。流れ弾だろう、あまりの不運にサザビーはたまらず空のバランを仰ぎ見た。
 「野郎___」
 そして確信した。リュカをめった打ちしながら、バランはこちらを一瞥してニヤリと笑ったのだ。流れ弾ではなく、意図して放った攻撃。しかも無駄な力を注ぐことなく、リュカや他の誰かに気付かせることもなく、絶望を注ぎながら殺す。
 サザビーは漆黒に塗られた顔を歪める。苦しさもあったが、それ以上に口惜しかった。
 「くそっ___」
 どうせなら中庸界だ。こんな性に合わない場所で死ぬのかと思うと、濁っていく景色が本当に腹立たしかった。それだけじゃない、ルディーも救えなかった。もう、なるようにならない時が来ようとしているのだ。
 サザビーの体はたちまち力を失い、ルディーもろとも青空の果てへと落下していった。

 『どうした、もうお終いか?』
 リュカはついに動かなくなった。しかし剣だけはしっかりと握りしめていた。右に花陽炎、左にファルシオン。頭をバランに鷲づかみにされ、両腕をダラリと下げていても、剣だけは肌に張り付いているかのように放さなかった。だが体に力が残っている訳でもない。
 バランが反撃を始めると、もう手も足も出なかった。殺そうと思えば一撃でも殺せたろうに、バランは見せしめとばかりにリュカをいたぶり、いまは頭を掴んで自らの前にぶら下げている。
 骨の折れていない場所など無いかもしれない。ソアラのように竜の鱗を身に纏っても、バランの前には鎧袖一触であった。装束はあってないようなもので、そのほとんどが赤く染まっている。頬は腫れ上がり、目は眼球こそあるが真っ赤に染まり、歯も砕かれ、全身が傷口で埋め尽くされている。息は辛うじて保っていたが、もう声も出ないほどに弱々しかった。
 『分かった、お終いだな。』
 反応できないリュカに、バランは逆の手をユラリと振り上げる。ひと思いに首を落とすときが来たのだ。リュカはもうほとんど見えない目で、それでもバランを睨んだ。彼の殺意が露わになったのは分かった。

 「?」
 気が付くと、リュカは見覚えのある場所にいた。
 「あれ?」
 「あれ?」
 忘れるはずもない。そこは彼らにとって大切な場所だった。
 「ルディー?」
 「リュカ?」
 そう、彼らだった。リュカは気が付くと、ルディーと二人でソードルセイド城を見下ろす丘の上にいたのだ。
 「ここ___」
 丘の縁には石碑がある。そこにはソードルセイドの歴史が刻まれている。それは決して褒められた歴史ではなく、ケルベロス移民のホープ家と現地民による血で血を洗う闘争の歴史だった。だが父にここに連れてきてもらったとき、二人はその重みを何となくは分かっていても、まだ理解できなかった。
 「そうだ、思い出した。」
 「うん、あたしたちはこの旅の前に、お父さんと一緒にここに来た。」
 「ルディーがお父さんにバンダナが暑苦しいからやめなよ、って言ったからだよね。そしたらお父さんがここに寄っていこうって。」
 「小さいときにも何回も来てるよ。でも全然、意味分からなかった。ただ大事な場所だって言うのは聞いてたよね、たしか___」
 二人は顔を見合わせ___
 「俺の誇りがここにある。」
 「俺の誇りがここにある。」
 「俺の誇りがここにある。」
 声を揃えた。ただ、声は二つではなく、三つ揃っていた。
 「思い出してくれたな。」
 二人の肩に、武骨な手がいつものようにやや乱暴に置かれる。どこか汗くさい、それが二人の父に染みついた臭い。震えながら振り向く子供たちに、百鬼は白い歯を輝かせて笑った。
 「お___」
 これが夢か死後の世界なのかはどうでもいい。だが二人は確かに、死んだはずの父の姿を見ていた。
 「お父さん!!」
 もう体は大きくなった。でもこの時ばかりは幼かった頃に戻って、リュカとルディーは百鬼に抱きついた。
 「お〜、立派になりやがって。」
 「お父さぁん!!」
 厚い胸板、骨っぽい腕、この大きな感触は間違いなく父その人。リュカとルディーは彼の胸に縋り付いて泣き喚いた。
 「よぅし、それまで!」
 二人の頭を抱いて撫でていた百鬼は、頃合いを見て彼らの背中を叩いた。二人はまだ涙をこぼしながらも、百鬼の声に従って顔を上げた。
 「リュカ、ルディー、俺もまだバランと戦ってる。それは誇りを失っていないからだ。守りたいものがあるからだ。絶対に諦めないからだ。」
 「___」
 「ソードルセイドの王家は昔、他人の居場所に踏み込んで住み着いた。そんな輩が王にまでなったんだ、だから恨まれもした。でもよ、そんなだから余計に、そこに住む人たちみんなを幸せにしなけりゃいけない、みんなを守らなきゃいけないって思ってきた。それがホープ家の誇りだ。誇りを守るためなら、血の一滴が燃え尽きるまで戦うんだ。」
 「血の一滴___」
 力強い父の面もち。もうずいぶん前から、戦いでは父よりも強くなっていたと思う。でもリュカもルディーも、ソアラでさえ、父のことを頼もしく思い、事実頼ってきた。弱さを受け止めてくれる唯一の存在とも言えた。
 フュミレイも竜樹も、だから父のことが好きになったのだろう。そしてそれは彼が誰よりも強い魂の持ち主だったからなのだろう。
 「おまえたちの誇りはどこにある?おまえたちは何を守るために身を粉にして戦う?ソードルセイド?違うはずだ。」
 その魂を、僕らは継いでいるはずだ。
 「頑張れ!おまえたちの誇りを守り通してみろ!!」
 父は拳を握り、二人の胸元を軽く突いた。おまじないのようなそれは、いわば気合いの注魂であり、二人の体に熱を迸らせる。同時にルディーには胸の空洞が、リュカには全身の傷と痛みが蘇ってきた。
 「僕は___」
 「あたしは___」
 体に力が漲る。滅びかけの体のどこにこれほどの力が眠っていたのかは分からない。しかし父から受け継いだ魂は、死の淵の肉体に煮えたぎる炎の一雫を注いだ。
 「バランが奪おうとするもの全てを守る!」

 竜の使い、それは光の神である竜神帝ことジェイローグの血を引く者。
 その竜の使いが母だった。
 でも母は混血児で、母の父は別世界の王だった。
 そんな母に見初められた父は、普通の人間だった。
 でも母の偉大なる血を受け止められる特別な器を持った人だった。
 バルディス時代の神や英雄の遠い遠い血縁者は少なからずいるという。だから父もその一人だったかもしれないし、まったくそんなことは無いかもしれない。
 でもとにかく、父は偉大なる魂を持った人だった。

 僕は、あたしは、三つの偉大な力から生まれた。
 それは運命だったのだろうか?
 分からない。
 分からないけど、運命だというならそれも良い。
 運命だろうとそうでなかろうと、僕たちの心は決まっている。
 何を為すべきかも分かっている。
 そう。僕たちは、あたしたちは___
 この世界を守るために生まれた!!

 「!」
 自由落下していたルディーは、彼女を抱き締めるサザビーの胸の中で意識を取り戻し、突如として黄金に光り輝いた。それは黄金の中に純白の清らかな光を纏い、サザビーの黒く塗りつぶされた顔を照らしていく。
 「うああああ!」
 胸には穴が開いたままだ。傷口の血はもはや渇き始めている。しかしルディーの瞳には確かな光が宿り、猛然と燃えたぎっていた。そして遙か上空に見えるドラゴンズヘブンに向け、弾丸の如く跳ねた。

 『!?』
 リュカの首を断ち切ろうとした瞬間だった。バランの左手がなぜだか動かなくなった。それだけではない、まるで金縛りにあったかのように全身が硬直したのだ。
 「ああああ!」
 そしてリュカが急に意識と力を取り戻し、叫んだ。さしものバランも驚愕した。
 『っ!』
 刀身半ばのファルシオンがバランの腹へと食い込む。七色の光が吹き出す。いつもならすぐに再吸収されてしまうのに、ファルシオンを押し当て続けると力はバランの体に戻れない。その上、動きを封じられていた。
 「だああああっ!!」
 リュカは花陽炎を一閃した。
 『ぬおおお___!』
 同時にバランが叫んだ。そして関節がへし折れる音と共に、あり得ない方向に曲がった左腕で花陽炎を受け止めようとする。
 『!?』
 だが勝ったのは花陽炎。リュカの最後の魂を込めた攻撃には、彼の命の全てが乗っている。それはバランがバルカンだった頃、オル・ヴァンビディスで見た百鬼の一撃に良く似ていた。
 「ああああああああ!!!」
 刃はそのままバランの首を狙う!

 「ぅううぅうぁああぅぅぁぁ!」
 ルディーは獣のように喚いた。口から濁った血の泡を吹き、黄金を明滅させながら、それでも彼女は上を目指して藻掻いた。だが弾丸のような勢いはもうない。
 「ぁぁあ___ぅぁ___」
 線香花火のように、時に火花を飛ばし、落ちることだけはしまいとする。しかし、明滅すらできなくなると、彼女の目はもう焦点が定かでなくなっていた。もう少しで、もう少しでドラゴンズヘブンに届くというのに。
 「___ぁ___」
 駄目だった。しかし___
 「ありがとな。」
 気を絶つ瞬間、そんな声が聞こえた気がした。そして空に一筋の光を見た気もした。
 「やった!」
 それは幻覚ではなかった。だがルディーの意識は絶たれ、二人の男の腕ががっしりと互いを結びあった瞬間は見ることができなかった。
 ドラゴンズヘブンからは光の釣り糸が垂れていた。その先端には、糸を放っているライ自身が釣り針となって垂れ下がっていた。彼はドラゴンズヘブンの一角に練闘気を結びつけ、それを命綱代わりにして島からルディー目がけて飛び降りたのだ。勢いを失うルディーを見て居ても立ってもいられなかったライの、命がけのバンジージャンプだった。
 そして彼の腕を掴んだのはルディーではなくサザビーだった。その顔は、半分が未だに黒いものの、もう半分は以前の彼の肌と血色だった。
 「サ、サザビー!仮面は!?」
 「いいから急いで引き上げろ!このままルディーを死なせたら___俺たち死んでも死にきれねえぞ!!」
 ルディーの黄金に肌を触れたからだろうか、サザビーの邪輝は多少なりとも退けられ、彼に自ら息づく方法を呼び覚まさせていた。

 「く___そ___」
 リュカは絞り出すように言った。黄金の輝きは、消失へと向かっていた。
 『残念だったな。』
 バランの左腕を落とした花陽炎だったが、首に浅い傷を付けたところで止まってしまった。何か特殊な防御をした訳ではない。刃がバランの首を切れなかった、ただそれだけだった。
 『しかし私も驚かされた。乾坤一擲、見事な気迫だった。』
 大神は冷静だった。右手は防御ではなく、攻撃に使われていた。リュカがバランの左腕を切り落としたのと同時に、バランの右手は腹に食い込むファルシオンの刃を、根元から叩き折っていた。柄から離れた刃はすでに砕け散り、力はバランに舞い戻った。その結果がこれだった。
 「___ご___め_______」
 ファルシオンの破壊。それは希望を繋ぐ上であってはならないことだった。結局、敵を追いつめることもできず、リュカの最後の一撃は玉砕に終わった。希望は絶たれ、彼の血の一滴も枯れ果てる。
 『君は良くやった。』
 バランの左腕が再生し、そのまま鞭のように撓ってリュカを襲う。しかしまたもバランの腕は思うように動かなかった。そして___
 ドガッ!
 彼の顔に竜の足が深々とめり込んだ。
 「リュカ!!」
 バランが吹っ飛ぶと同時にリュカも吹っ飛んだ。しかもだ、バランは蹴飛ばされた瞬間に左腕を振るい、リュカの喉笛を切り裂いたのが見えた。ソアラはそれを追わなかったが、首に開いたはずの傷口からあまり血が出なかったことにはゾッとした。
 「フュミレイ!頼むわよ!」
 『自分の死体をか?』
 吹っ飛ばされたはずのバランはもうソアラの横に戻っていた。すぐさま二人の拳が交錯する。
 『姿が変わったな。Gの力の一部を我がものにしたか。』
 ソアラは竜の戦士として研ぎ澄まされた姿へと変わっていた。ドラゴンの色合いがより強くなった先ほどとは変わって、むしろ普段のソアラが肌に密着する特殊なスーツを纏ったような姿になっていた。剣竜の棘は消え、陸竜のようだった足はより人間らしく、一方で手の甲に伸びた刃はそのままだった。以前ほど輝くこともなく、少し長くなった髪は紫で、光の加減によっては白銀のようにも見えた。
 『あの二人はもう助からない。心配するだけ無駄だ。』
 バランとの戦いに集中しているように見えて、どこか後ろ髪を引かれているソアラに、大神は嘲笑を浮かべながら言った。それはソアラを苛立たせる。
 『命が消えぬうちに君の手で殺してみたらどうだ?私を超えられるかも知れないぞ。』
 「黙れ!」
 ソアラは一喝とともにバランに襲いかかった。しかし黄金に輝くことはなく、紫のままだ。
 ガッ!
 肉体がぶつかった。ソアラはスピード、パワー、強靱さ、全てにおいて先ほどを上回っている。彼女の拳を腕に受け、それを悟ったバランはニヤリと笑った。露骨な余裕がソアラには腹立たしかった。
 「ハアアア!!」
 猛然と仕掛ける。武器はなくとも、その手が竜の爪や牙に等しい鋭さでバランを襲う。天性の武術の才と相まって、ソアラの攻撃は疾風怒濤の勢いだった。
 しかしバランの余裕を奪うには至らない。ソアラが今のような変化を遂げたのはGの力の一部を手に入れ、それをものにしたため。彼女なりの進化した姿がこれだった。だがそれにしては、確かに強くなっているものの大きく変わったとは言い難かった。
 『黄金にならないのか?』
 バランが冷笑を浮かべながら問う。嘲りながら、ソアラの事情を見抜いた上で言う。
 『そんな拳では___』
 だが二の句は継がせない。一瞬の動きの中で、僅かにタイミングをずらした拳が、それまで掠らせもしなかったバランの頬を捉えていた。しかし次の瞬間にはバランが消え、ソアラは耳元に吐息を感じた。
 『舐められたものだ。』
 「っ___!」
 振り向き様に拳を放つが、もうバランは距離を取っていた。その手には紫の髪が絡んでいた。
 『私も全ての力を出していないのに、君ごときが出し惜しみをして、万が一つにでも勝てると思うのか?』
 ソアラは顔色を変えない。努めて冷静に、挑発に乗るまいと心に決めていた。だがバランの言うことももっともなのだ。確かにこのままでは勝てない。しかし黄金に輝くのは恐怖でもあった。それはリュカとルディーの治療に当たっているフュミレイの魔力が、いつもに比べて安定を欠いているのと同じ理由だった。
 『愚か者め。』
 迷いは危機の呼び水となる。バランの嘲りが憤りに変わった直後、ソアラは腹を拳に突き上げられていた。

 「___」
 フュミレイは懸命に魔力を注ぐ。しかし物言わぬリュカとルディーは指一つ動かさず、目の前に転がっているだけだった。傷口は塞いだ。血液も再生した。それでも二人には呼吸も鼓動もない。もう必要なのは治療ではなく蘇生、あるいは復活。しかし、失われた命を蘇らせる方法は、彼女の辞書にはなかった。
 「くそ___」
 魔道師の肝は集中力。だが先程から、魔力を高めれば高めるほど、全身が火照るような、胸の回りがもやつくような、言葉にしがたい不快感と高揚感に擽られるのだ。彼女の魔法は明らかにキレを欠いていた。同時に、受け入れがたい現実をうち破る術も見つけられずにいた。
 「___」
 ついにフュミレイは、魔力を注ぐのを止めた。
 「フュミレイ___?」
 二人の回復を祈っていたライが、何度も瞬きしながら尋ねる。
 「___」
 フュミレイは答えない。
 「嘘だ___嘘だよ___そんな冗談___」
 ライは声を震わせて、譫言のように言う。しかし医師でもあるフローラが、彼の手をことのほか強く握り嗚咽を堪えている姿に、現実を直視せざるを得なくなった。

 ゴォォッ!!
 その時だった。ドラゴンズヘブンの謁見の間の上、城の中心を飾る屋根が音を立てて崩れた。
 「っ___!」
 すぐに瓦解した屋根からソアラが飛び出す。そして自らを追って放たれた七色の光線を、必死の形相で打ち払った。バランはやや離れた上空からソアラを見下ろして口元を歪めている。嫌らしい、今までにもまして不愉快な、感に障る笑み。
 ゾクリ___
 なぜだろう、いまは腹立たしさよりも寒気が勝った。苦戦はしているが、決して敵に怯えている訳でもないのに。
 「___」
 妙な胸騒ぎが、ソアラの視線をバランから逸れさせた。この辺りでリュカとルディーの治療をしているはずのフュミレイを探した。そしてすぐに見つけた。
 謁見の間の屋根からは、半壊したドラゴンズヘブンの様子が良く見える。その外観、竜たちが戯れているはずの緑園に、嘆きの光景があった。
 倒れる若き竜の子が二人。側には立ちつくす銀髪、憚らずに涙を流す男、嗚咽を堪えようと俯く女、やるせなさのあまり煙草に火を付けた男。
 その瞬間、ソアラの時間は止まった。
 理解の外に追いやろうと、全てを拒絶しようとした。
 揺るぎない現実の前から逃げ出したくなった。
 しかし一方で、バランを倒すという使命感は、憎しみを纏いながら猛然と燃え上がった。
 結果、彼女は理性を捨てた。

 ゴォゥッ!!
 ソアラの全身が突如として紫の炎に包まれた。その輝きの中で、洗練されていた彼女の身体に変化が起こった。腕や足に黄金の鱗が走り、血走った眼は獣のように大きく見開かれ、口元からは鋭い牙が伸びる。尻尾、翼、角、押さえ込まれていたものが続々と露わになり、しかもそのいずれもが極めて攻撃的な形状。竜と人、それに破壊神を加えたらこんな姿になるだろうか。ともかく先程までのソアラとは別人の姿だった。
 「ガアアアア!!」
 その声も竜の唸り声に等しい。そして力は___
 カッ!!
 バランに勝るとも劣らない。
 「っ!」
 「うわっ!」
 ソアラの喉奥から放たれた黄金の閃光は天界の空を焼き、炸裂する。衝撃はドラゴンズヘブンを激しく揺さぶり、傾かせるほどだった。
 「ソ、ソアラ___!?」
 涙でかすむ目を擦り、ライは空を仰ぎ見た。ドラゴンズヘブンの砕けた屋根には、彼の良く知るソアラとはほど遠い竜の化身がいた。
 「ど、どういことだ___!」
 サザビーもフローラも、ソアラの変化に動揺を隠せなかった。なにより全身から縦横無尽に放たれる息も詰まるような殺意が、とてもソアラのそれとは信じられなかった。
 「二人の死を知ったんだ___怒りが理性を失わせた___!」
 ただ一人、フュミレイだけはソアラの変化の理由を見抜き、舌打ちをした。
 「でもあの姿は!?」
 「バランの一部を倒したことであたしたちには強力な力が宿った。だがこの凄まじい力を放散せずに内に留めるには、強い抑止力が必要だ。そうでなければGと同じ、肉体が制御を失い力が一人歩きする。」
 「そんな___」
 だが無理もない。愛する我が子の命を奪われて、落ち着き払っていられる母などいるものか。

 「ゴァアァァアアアアア!」
 凄まじい力。しかしソアラの面影は消えかけている。仲間たちを、この世界を守るために戦っているはずの彼女が、ドラゴンズヘブンの中心でお構いなしに猛烈な波動を吹き上げていく。
 それはあらゆる屋根を消し飛ばし、床を刮ぎ取り___
 「う、うわぁぁ!」
 「みんな伏せて!!」
 「レネ様!?」
 人々が逃げ込んでいた竜の祭壇をも崩壊させる。力の接近を感じたミキャックは必死の思いで練闘気を迸らせた。だが天井を破った黄金の波動は練闘気などもろともせずに膨れあがる。
 「この感触___ソアラならやめて!!」
 ミキャックは叫んだ。だが怒れる竜の耳には何も届いていなかった。
 「ガアアアアッ!!」
 ソアラが飛んだ。上空で可笑しげに見ていたバランへと突如襲いかかった。だが飛び上がった衝撃だけで、城の上階は全て崩落した。
 ソアラの爪とバランが手に現した剣がぶつかる。もはや瓦礫の墓場と化したドラゴンズヘブンが激しく揺れる。
 『フハハ!凄まじい力だ!羨ましくなるほどにな!』
 バランは今まで武器を手にしていなかったが、暴走したソアラを前にしてなんの迷いもなく剣を現していた。そしていつになく興奮した面もちで高らかに言った。
 「ゴアアア!」
 『そうだ!全力で私に挑め!』
 バランはソアラを煽る。それが世界の崩壊を速めると知っているからだ。
 「くそ___」
 上空から襲いかかる強烈な風圧と、吹雪のように飛び荒れる瓦礫の山に、フュミレイは顔をしかめた。
 「フュミレイ!君もこっちへ!」
 ライとサザビーは練闘気を露わにして、フローラたちを守ろうとする。
 「やるしかないか___」
 「フュミレイ!?」
 身を守ろうともせず立ちつくす彼女に、ライは声を上擦らせて叫んだ。
 「みんな!あたしはこれからソアラを止めてみる。」
 しかし彼女は熱の籠もった声で言った。
 「なんだって!?だがどうやって___!?」
 「ギリギリまで___理性が許すギリギリまで力を出してみる___!」
 そう言うなり、フュミレイの体から漆黒の波動が溢れ出た。同時に彼女の体に急激な変化が巻き起こる。銀髪は足先に届くほど長くなり、空洞だったはずの左眼下に真っ赤な輝きが宿る。ソアラに比べれば大人しい変化だが、体から放たれる気配は確かに禍々しさを増していた。
 (これじゃ駄目だ___もう少し!)
 だが、今のソアラを止めるにはまだ足りない。ギリギリまで、溢れるギリギリの所までコップに水を満たすような繊細さが必要。だが果たして、そんなコップの水を零れさせずに戦えるかどうかはやってみなければ分からなかった。
 「うぅぅぅあぁあ___!」
 フュミレイの体がさらに変化していく。額に紋様が浮かび上がり、漆黒の気配の中に心臓も凍り付くような殺意が入り混ざる。フュミレイは額を汗で濡らしながら、しかし力を保って空の激闘を睨んだ。
 「___」
 そして飛び立とうとした時。
 「待て。」
 聞き慣れない声が彼女を止めた。
 「!!」
 その男は、ギリギリまで削り取られていた彼女の理性をすぐに引き戻させるほどの威厳、気品、知性の持ち主。
 「そんな状態ではおまえも我を失う。そうなれば世界は終わりだ。」
 「あ、あなたは___まさか!」
 それは幼い黄金竜。化石のようになって眠っていたはずの竜神帝ことジェイローグだった。
 「蘇ったのですか___!?」
 「復活と言うにはほど遠い。だがこうなっては眠り続けることはできないよ。」
 ジェイローグは大きな目を悲しげに細め、リュカとルディーを見やった。
 「Gを止められますか___?」
 「今の私ではバランに傷一つつけられまい。しかし我を忘れた竜を目覚めさせ、志し半ばで倒れた若き竜に新たな命を吹き込むことはできよう。」
 「!!___二人を蘇らせることが!?」
 ジェイローグは頷く。しかし___
 「ただし二人が人の道を捨てるならば。」
 険しい面もちで続けた言葉は、フュミレイの笑みを曇らせるのに十分だった。




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