2 淡い初恋

 オル・ヴァンビディスの終わり。それはムンゾの世界から始まった。もともとは束縛の神ムンゾがバルディスから持ち込んだ火種。監獄の中で、娼婦のように扱った三人の女神のうちの一人、フェリルがいたのがこの世界だった。かつて愛した彼女を見つけ、ムンゾを死に追いやったことが、バルカンの暗躍のきっかけとなった。
 そして今。
 「ゥゥゥオオオォォゥォオゥゥゥゥ___」
 ファルシオーネまで届いた唸りと同じ音を体の奥底から轟かせ、バルカンは一層巨大になった体で飛んでいた。眼球こそあれ生命らしい輝きには乏しく、その意志はもはやどこにもないように見える。しかし、胸に刻まれた無限の紋様だけは意志を滾らせているかのような明朗さだった。
 彼が向かう方角は世界の中心。すでに溢れ出るエネルギーでムンゾの世界は崩壊している。ホールケーキを十二に割って、そのうちの一切れを今まさに奪い去ろうとしている。彼の飛ぶ後ろには何もなく、ただ果てのない虚無が広がるばかり。いや、後ろだけでなく、ムンゾの世界は内側へ向かってどんどん崩れている。その全てが、七色の輝きとなってバルカンの巨体に吸い込まれていく。
 「ォォォオオオオオオオオオ!!」
 轟きが虚無から在りし世界へと放たれる。それは両隣、ジェネリとエコリオットの世界を侵していく。世界は終わるのだ。崩壊はどんどん加速している。いや、帰巣か或いは還元か?元々一つだった力は、十二の世界に作り替えられた記憶を消し去り、自ずから元の一つへと戻ろうとしているかのようだった。
 「ァァァァァゥゥゥァアアアアアア!!」
 体の造形はバルカンのそれを基本としている。おぞましさを増した巨大な鳥人間は大きく嘴を開けると、喉の奥底から七色の光を迸らせた。

 「!!!」
 ソアラの背筋に寒気が走る。瞬間、彼女は竜の使いの力を全開にし、ドラグニエルもそれに呼応して目映く輝いた。
 「ソアラ!?」
 驚く皆。その時___
 キュンッ___!
 目にも止まらぬ速さで、空を七色の光が駆け抜けた。その軌道をしっかりと追っていたのはソアラだけ。一瞬で感じ取ってソアラと同じように体を震わせたのも、ルディーだけだった。
 直後、遠い空に太陽のような輝きが灯る。続いて轟音と、先程以上の破滅の熱風。ソアラが竜の力でバリアを作らなければ、灼熱の渦に飲まれていただろう。
 「空が___!」
 空は不思議な色をしていた。世界の崩壊を前にして昼も夜もなく、赤や青やオレンジや紫や、様々な色が入り乱れて空を飛び回っていた。限られたドームの中のようなオル・ヴァンビディスだ。空も自らの形を保つのに腐心しているのだろう。
 「向こうの方が黒くなっていく___」
 飛び抜けた視力を持つミキャックでなくても、景色の変化は時期に分かる。否応なしに世界は黒へと変わっていくのだ。先程の砲撃はムンゾの世界でもエコリオットの世界に近い場所から放たれた。中心点であるファルシオーネの上を過ぎ去り、対角線上のセラとオルローヌの世界の境目に着弾していた。
 ホールケーキはどんどん切り取られていく。

 「親方様、ついにこの時が来たようです。」
 古禅庵の縁側で、蓮池を前にしながら老翁ジバンは変わり果てた空を見ていた。遠からずの場所に立ちのぼった黒。熱風は戦神セラの加護を受けた古禅庵の竹垣が防いだが、虚無までは防ぐことはできない。老翁はもはや覚悟を決めていた。しかしオルローヌの世界が見る見る黒く塗りつぶされていくのに比べれば、セラの世界は抵抗していた。
 「しかし、侍は確かにまだ息をしておるようで___」
 それはセラ死せども、その全てがバルカンに奪われた訳ではない証だった。彼女の力は、まだ潰えてはいないのだ。だがそれでも、いずれ虚無は世界を食いつぶす。それが早いか遅いかの違いでしかない。
 「ささやかな傷も、巨城を滅ぼす徒となりうる。親方様の刀傷が勝利の鍵になる、そう願いましょうぞ。」
 そのとき、果てから新しい七色の光が超絶な速度で迫っていた。ジバンはただ深い皺が畳まれた目を一層細くするだけだった。

 「ぅあああっ!」
 突然だった。リュカに抱かれていた竜樹が、叫びながら目覚めた。
 「竜樹さん!」
 驚きながら、しかしリュカはすぐに笑顔になって、衝動的に竜樹を強く抱き締めた。
 「ぅえっ?あ、あれ?リュカ!」
 竜樹も我に返る。苦痛に歪んだ顔が一気に和らいだ。
 「良かった!気が付いて!」
 「俺は___助か___うわわわわわわわわわ!」
 落ち着きを取り戻すと、全身で触れ合う肌の温もりで今の互いの状況を知り、竜樹は慌てふためいた。
 「男同士だから裸は気にしないんじゃなかったのか?」
 一気に真っ赤になった彼女を、冷静に面白がる声がする。暗闇の中で二人を先導するように飛ぶフュミレイが、振り返って可笑しげにしていた。
 「て、てめえ!冬美!それにしたって相手によるだろうが!」
 「ああ、リュカのことを愛しているから。」
 「悪いかってんだ!」
 フュミレイに乗せられて見得を切った竜樹だが、ふと我に返って口元を強張らせた。
 「い、いや、そのな___」
 知らず知らず浮いてくる汗、熱くなる体に恥ずかしさを一杯にして、それでも竜樹は至近距離にあるリュカの顔を怖々と一瞥した。しかし彼があまりに真剣な眼差しで見つめているものだから、しっかりとは目を合わせられずにいた。
 「僕も好きです。」
 「は?」
 今度は耳を疑う。
 「好きです、竜樹さん。」
 そして、さすがに振り向いてしまった。目を合わせてしまった。今までお姉ちゃんと呼んでいた青年が急に竜樹さんと呼んだものだから、彼女も本気を感じてしまった。
 「!」
 まさかだった。リュカが彼女の頬を抱き、戸惑っているうちに唇が重なり合った。強張った竜樹の体からはすぐに力が抜け、知らず知らず全てをリュカに任せていた。いつの間にかフュミレイの姿が消え、二人だけの闇になると竜樹は目を閉じ、自らも愛おしげに彼に縋った。自然と涙がこぼれ落ちた。
 「やりますね、あの兄ちゃん。」
 「口を挟むな。」
 フュミレイの陰で、竜樹を刺激しないように隠れていた空雪が言う。何のことはない、竜樹が気絶している間にリュカを焚きつけたのはこの二人だ。
 ___この戦い、生きて終えられるとは限らない。後悔を残さないように、想いがあるなら飲み込まずに伝えるべきだ___
 フュミレイにそう言われると、素直なリュカはすぐに真剣そのものの顔つきになり、竜樹の寝顔を恥ずかしがることもなく見つめるようになっていた。
 「キスで終わりですかね?」
 「黙っていろ。」
 後ろの二人が何をどうしようと、フュミレイは二人が幸せならそれで良かった。
 それよりも彼女の意識は地を走る闇影の外側に向いていた。場所はすでにファルシオーネに入り、じきにソアラとアヌビスがぶつかり合っていた場所にたどり着く。アヌビスはすでに気配を消し、頭上を走る七色の光線がその余韻すら掻き消している。もし地を走らず空を駆けていればあの光に飲まれて消えていただろう。
 「二人には悪いが、到着したなら即刻影を解く。」
 「後は生き残ってからのお楽しみで。」
 「おまえはいちいち卑猥だ。」
 合流まであと僅か。それまでに、初々しい二人にはできるかぎり幸せを噛みしめてもらいたかった。

 「これからGと戦う。真っ向からぶつかるのはあたしだけでいいわ。みんなにはサポートをしてもらいたいの。」
 体力を少しでも全快に近づけるべく、フローラの回復呪文を背に受けながら、ソアラは皆の前で語る。
 「この戦いに負けたらそれでおしまい。あたしたちだけじゃなくてね。オル・ヴァンビディスが無くなっても、Gは虚無の中に生き続けるから、きっと全ての世界に影響が及ぶわ。だからみんなだけ逃げて___とは言わないから。」
 わざと間をあけて、ライが口を挟み掛けたところでソアラはそう続けた。そして世界の終末を暗示させる空とは裏腹な、毒のない笑みを見せる。
 「でもね、勝つことができたときも後悔はしたくないの。それに空を飛べなければバルカンとはまともに戦えない。だから、ライはフローラとアレックス、それからミキャックを守ることに徹して。」
 「了解!」
 「あたしも戦えるよ。後方支援くらいは___」
 「駄目。」
 ミキャックは翼を広げてアピールするが、ソアラはすぐにきっぱりと否定した。
 「新しい命に、Gの憂いが消えた世界を見せてあげて。それがあなたの使命よ。」
 今のソアラは、ミキャックがよく知るソアラと少し違っている。それは竜の使いとして覚醒したからか、レッシイを殺めた経験のためか、ともかく一介の人とは違う境地に達したような風格があった。
 近いものがあるとすれば、ジェイローグやレイノラだろうか。その言葉は意見と言うよりは教示であり、無闇に逆らうべきものではないと感じられた。
 「あたしのサポートは、ルディー、サザビー、棕櫚、お願いね。」
 「任せて!」
 「九分九厘死んだな。」
 「もともと死んでるでしょう?」
 三者三様、しかしプレッシャーに強い面々で、ルディーを除けば恐怖を恐怖とも思わない肝っ玉の持ち主。実に頼りになる顔ぶれだ。そのルディーにしても、母が自分を庇うよりも戦力として側に置くことを望んでくれたのが嬉しく、満面の笑みで闘志を漲らせていた。敵から逃げるより、共に戦うことを望む。竜の使いの娘らしい顔である。
 「で、この頼りない顔ぶれで何をすればいい?」
 「あたしが気を引いている間に、バルカンをこれで斬りつけてもらいたいの。」
 そう言うとソアラは自分の背後へ手を回す。そしてどこからともなく、鞘に入った剣を取り出すと自らの前に突き立てた。
 「おー!手品じゃん!」
 「いつ覚えたんだ?」
 「まあそれはいいから。」
 「教えて教えて。」
 「種明かしっ、種明かしっ。」
 妙に軽いノリのおっさん二人。しかも一人は仮装パーティーのごとき仮面姿だ。まあ彼らも彼らなりに緊張を解そうとしているのだろうが。
 「ゼレンガ___ああ、このドラグニエルの背中の竜だけど、彼に飲み込んでもらっていたの。レッシイが隠していたのと同じ方法よ。」
 「すると胃液まみれですね。」
 「比喩よ!比喩!」
 ソアラが少し苛ついてきたので、棕櫚も含めた悪ふざけ三人衆は口を詰むんだ。そしてソアラも真剣な眼差しを取り戻す。
 「でね、みんなには___なんとかこれでバルカンに斬りつけてもらいたいの。」
 難しい任務だ。しかし___
 「あたしがやるよ!」
 ルディーが真っ先に手を挙げた。しかしソアラはそれを制する。
 「待って、あたしとしてはサザビーに頼みたい。邪輝で身を守れるし、剣術のテクニックもあるし、なによりチャンスの見極めはあたし以上だと思うから。ルディーは呪文と竜の力で、棕櫚は変身能力で、彼をサポートしてほしいの。あたしは目一杯バルカンの気を引いて、サザビーが斬りつけたところで別れた力を消し飛ばすから。」
 いまの戦力では理に適った人選だ。ルディーも不満顔ながら反論の余地はなかった。しかし___
 「それでは失敗する。」
 知った声が割って入ると、ソアラの後ろに黒い影が立ち上がる。それはすぐに霧散して、現れたのはフュミレイだった。
 「フュミレイ!無事だったのね!?」
 ソアラが喜々として言った。しかしフュミレイはほんの僅かに口元を緩めただけだった。自分は無事でも、失ったものが多すぎるから。
 「気を引きながらでは、バルカンの力が二分されようと滅するだけの力を発揮するのは難しい。引きつけ役、ファルシオンで力をバラバラにする役、切り離された力を滅する役、三つが必要だ。かつては順に、レイノラ、レッシイ、ジェイローグと十二神だった。」
 「___ま、分かっていたつもり。」
 ソアラはそう言って頷いた。三役が必要だと知った上で、ここにいる戦力では引きつけ役と滅する役、一人二役でやらざるを得ないと考えていたのだ。
 「やれるかやれないかじゃない。やらないといけないんだ。十二神の力がバルカンに結集した今、全員が無理を承知で挑まなければならない。しかも失敗はできない。」
 「結集___じゃあやっぱりオコンも___それにリュカは?リュカがバルカンと戦ってるって聞いたけど___」
 「ああ、それは___」
 見ればフュミレイの後ろにはまだ影の塊が残っていた。彼女は少しだけ躊躇いつつも、手を揺り動かした。すぐに影が解かれ___
 「いっ!!?」
 ソアラの息を詰まらせるような情景が露わとなった。こともあろうか、自分の息子が知った顔の女というか小生意気なじゃじゃ馬と、ほぼ裸で抱き合っていた。しかも真っ直ぐに立つリュカは精悍な眼差しで母を見つめ、その胸には竜樹が愛おしげに身を埋めている。ソアラが見るのはリュカの顔と、抱かれる竜樹の後ろ姿。傷痕だらけで、引き締まった筋骨をしていても、彼女の背から腰、尻の流線などは女性そのものだった。
 「あちゃー。」
 リュカと竜樹のことは承知している。しかし母の前でのこの有様に、ルディーは苦笑して頭を抱えた。
 「うわわわ!」
 ライが大露わでアレックスの顔を隠す。眠る老人には無意味なことだが、彼もそれだけ取り乱していた。
 「ほう、やるねぇあいつも。」
 「でもいい顔してる。」
 サザビーが感心した様子で頷くと、ミキャックもさして照れることもなく同意する。
 「顔じゃなくてぇ___」
 その後の余計な言葉で鉄拳が飛んだのは言うまでもない。
 「お母さん。僕も戦います。」
 「___」
 「この世界のために、愛する人のために。」
 「______」
 ソアラは呆然としたまま固まっていた。
 「はっ!ちょ、ちょっとちょっと!えぇ!?なに!?なにがどうなってるわけ!?」
 「ソアラ、落ち着いて。」
 「ふ、フローラ!あれってどういうこと!?なんで!?なんであいつとリュカが!ぇえぇ!?うわうわうわうわうわうわうわ!!」
 フローラに背を叩かれて我に返ったかと思うと、今度はすっかり取り乱しっぱなしのソアラ。その肩に小さなリスが駆け上がる。そして鼻っ面に尻を向けると___
 プスッ___
 なにやら空気音。
 「ぅっ___くさぁぁぁぁぁ___」
 ソアラはそのまま蹲って悶絶した。
 「おまえってそういうことも平気でやれるのな。」
 「変身してしまえば習性の範囲内ですから。」
 棕櫚が化けたのはいわば黄泉のスカンク。変身を解くと、彼はサザビーの言葉に端正な顔でニコリと笑った。

 「ごめんな。俺___おまえの嫌がることばかりしてるよな。」
 「僕が竜樹さんに告白したんだ。竜樹さんは悪くない。お母さん、もしこの戦いで生き残ることができたら、僕は本気で竜樹さんと一緒にいるつもりだよ。」
 ソアラの前に竜樹が平伏し、リュカもその隣に正座する。リュカは真剣な交際を母に認めて貰おうと必死で、竜樹は百鬼に続いてリュカまで奪った自分の非礼を詫びることだけを考えていた。
 「ん___いいわよ。ショックだったけど、あなただってもうそういう年頃だもの。それにお互いに命をかけて守りあえる関係なんてそうはないからね。」
 臭いにあてられたからというわけでもないが、ソアラは思いのほかあっさりと二人の交際を認めた。彼女と竜樹の関係は、当人はもちろんリュカにしても知っていることだから、意外といえば意外だ。しかし母の反応に本当に嬉しそうな顔で竜樹の片手を握ったリュカの姿は、殺伐とした戦場にあってとても暖かな姿だった。
 たしかに、世界が終わろうかというこの状況で、誰であれ幸せを邪魔するなど無意味なことだ。そしてソアラの頭は、二人のことよりもすぐにやってくるだろう最後の戦いへと向いている。二人の背を叩いて皆のところへ押し出すと、彼女は一人バルカンがやってくる方角へと視線を移した。前方の脅威と、背に聞こえる和やかな声が異様な対比だった。
 「速まっているな。」
 ソアラの隣にフュミレイが立つ。
 「そうね。」
 色々なことが一度に起こりすぎた。まだ鼻の辺りをむずむずとさせていたソアラだったが、リュカと竜樹の告白、彼らとバルカンとの戦い、バルバロッサの死、リュカのために隻腕になった竜樹、オコンの自殺行為にも似た突貫、レイノラの死とフュミレイへの力の継承、バルカンの異変、それらを知れば知るほど鼻のことなど蚊帳の外になっていった。
 残された道は一つしかない。こうしている間も、バルカンの放つ七色の光が世界を消していくのだ。そして敵はこのファルシオーネに向かっている。
 「ファルシオーネはオル・ヴァンビディスの核だ。つまりここが他のどの場所よりも頑強。虚無に消える可能性が低い戦場だ。」
 「そうね。あたしも虚無が相手じゃどうにもならないから、できるだけ不安のない場所で戦いたい。」
 最後の戦場はファルシオーネ。その公算は高かった。敵は確実に、そして徐々に速度を増して、こちらに近づいてくる。
 「ところで、アヌビスはどうやって帰った?」
 「___さあ、分からないわ。」
 「あれだろ。」
 そう言って二人の間に割り込んだサザビーが、七色に揺らぐ空を指さす。そこには排水溝のように、七色が渦を巻いて消えていく漆黒の穴が開いていた。
 「ダ・ギュールはこのところずっと帰る準備を進めていた。それがあれだ。多分あの闇の穴を抜ければ黄泉だと思うぜ。」
 「近いわね。全然気付かなかったな___」
 「同じ方角からあれだけの力が迫っていたら無理もないさ。」
 「あれ、あたしたちも使えるかしら?」
 「いけるらしいぜ。さっき邪輝を通じてアヌビスがそう伝えてきた。」
 サザビーの答えにソアラは顔をしかめた。
 「相変わらずね、そうやって甘えというか、あたしの覚悟に逃げ道を作って。」
 「ま、邪神なりの親切だろ?それとだな___」
 そしてサザビーはソアラに耳打ちする。ソアラは驚きと気まずさが同居したような複雑な顔になった。
 「___本当に?」
 そう問い返し、リュカと竜樹を祝福しているライとフローラ、いや彼らと共にいるアレックスを一瞥した。
 「ああ。少しは希望が出てきただろ?」
 「でも素直に喜べないわ。」
 「受け入れろよ。ただあいつらには___」
 「分かってる。」
 そしてソアラは頷き、再びバルカンの迫る方角を見やる。そして目を閉じ、心を水を打ったような静寂に落とす。すると世界を遍く力の流動を感じることができた。もはや残っている世界は僅かだ。そして外周の虚無も内へと進む速度を一気に速めている。
 「すでにバルカン自身の世界も半分以上消え失せている。」
 ソアラが目を開けると、フュミレイが言った。
 「あなたも感じるの?」
 「感じるよ。バルカン自身の迷いもな。」
 その言葉にソアラは少し驚いた顔をすると、一段と真剣な眼差しになって続けた。
 「___やっぱりそう思う?」
 「ああ。今もバルカンの力の流動には不規則な波がある。バルカンの理性が暴走する力と戦っているのか、あるいはオコンが何かを果たそうとしているのかもしれない。」
 「どうしたらいい?」
 「決断はおまえがするといい。ただ私は、理性を失っているうちがチャンスだと思っている。」
 同じ考えだったのだろう、ソアラは頷いて後ろを振り返った。
 「みんな聞いて!」
 視線が集まる。
 「バルカンが不安定なうちがチャンスだと思うの!だからあたしとフュミレイと、リュカとルディー、このメンバーで打って出たい!」
 「あれ?俺は?」
 「サザビーはここに残ってみんなを守って。リュカが戻ってきたから、ファルシオンはリュカにお願いするわ。」
 我が息子は母として誇らしく感じるほど凛として頷いた。
 「リュカが行くなら俺も行く。」
 その横で、竜樹もまた彼に負けない凛々しさで言った。しかしソアラはすぐに首を横に振る。
 「駄目よ。あなたは前線には出せない。」
 「なんでだよ!」
 「あなたが生きていれば、僅かとはいえGを完全にしなくてすむからよ。」
 「は?」
 「忘れたの?あなたはセラの力の半分を受け継いでいる。十二神の中で、セラの部分だけ半分。あなたがバルカンに殺されたらどうなるか分かるでしょ?」
 「やられやしねえ!」
 先程までの低姿勢は何だったのか。もういつもの竜樹に戻ってソアラに反発している。だが今はソアラがいつものソアラではなかった。
 「殺されるわ!あなたと、あなたを守ろうとするリュカも!」
 力強い一喝は竜樹を怯ませた。
 「今は自己を通す時じゃない!あなたが戦場に立てば、リュカは自分のやるべき事に集中できなくなる。それではファルシオンを渡すこともできないわ!」
 今までだったら反抗していたかもしれない。しかしソアラの紫の瞳を見つめているうちに、「言うことを聞かなければならない」という気になっていた。それがソアラの妖魔の能力、魂への干渉のためだとは気付く由もなかった

 そして___
 「ごめんねリュカ、あとで彼女に謝っておいて。」
 「バルカンに勝ったらね。」
 三つの光と一つの闇がファルシオーネを外に向かって飛ぶ。空へと舞い上がるなり、ソアラはリュカとそんな言葉を交わした。花陽炎を竜樹に返したリュカの手には、見慣れない長剣が握られている。これこそがファルシオン。ロゼオン渾身の一剣だ。
 大急ぎで作られた剣らしく、柄や鞘に凝った装飾はなく、とくに鞘は金属の塊を宛っただけのような雑な作りだ。ただこの鞘から解き放ったら最後、聖剣は斬りつけた全てを半分にする。つまり鞘は唯一ファルシオンの力を押さえつけうる存在だが、それが何でできているのかはロゼオンしか知らないことだ。
 「でも驚いたなぁ、まさか竜樹だなんて。ま、百鬼とも馬が合ってたみたいだから無くはないんだろうけど。」
 「お父さんは関係ないよ。僕は最初から竜樹さんって素敵だと思っていたもの。」
 「そうなのぉ?顔は可愛いんだけどさ、性格がねぇ。ルディーは知ってたわけ?」
 「知ってたよ。あたしもお母さんと同じで、あの人嫌いだったんだけどね。親しくなってみるといい人だよ、男気があって。」
 「褒めてないだろ、それ。」
 「ねえルディー、あの子にオシャレさせてみたくない?素材は良いから、化粧とか髪とかいじったら多分ビックリするくらい化けるわよ。もう凄いギャップ!」
 「あ!それ楽しそう!」
 「やめてよ!そういうことすると怒るって分かってるくせに!」
 光に身を包む三人が雑談に花を咲かせる中、闇は前を見つめ続けていた。
 「見えたぞ。」
 そして呟く。蠢く空の七色はバルカンに近づくほど濃く入り乱れている。その空の下に、巨人がそびえ立っていた。
 「大きくなったわね___何かの塔かと思ってたのに、あれがバルカンだったんだ。」
 バルカンの神殿だった巨大な鳥の巣、今ではバルカンの体がそれと大差ない大きさになっている。身の丈にして三百メートルといったところか。それだけ巨大になっても、外見はバルカンの面影をしっかりと残していた。鳥人間の姿を保っていられるということは、バルカンは辛うじて自我を残しているのかもしれない。
 カッ!!
 嘴が開き、光線が迸る。七色の輝きは波動だけで身を引き裂く衝撃を走らせ、足下のムンゾの世界を虚無に落とす。だがすでに片足を踏み込んでいるファルシオーネは、地肌を剥き出しにはしているものの原形は保っていた。
 『ォォォォオオオオ!』
 生き物の声とは少し違う、まるで洞窟を風が抜けるような音が響く。
 『ゴォォォオオオオォォ!』
 声の轟きが大気を震動させ、ファルシオンの剣山岩を崩壊させる。
 「___」
 バルカンに近づくに連れ、ソアラは若干のもの悲しさを覚えた。
 「同情は不要だ。」
 その心理を読み、フュミレイが釘を差す。ソアラは少しだけ笑って頷いた。
 「同情はしてないよ。でもなんだかさ、あんなもののためにバルカンは必死になって、百鬼は死んで、レイノラもレッシイも、バルバロッサも___そう思うと本当に馬鹿みたいで、それでちょっと悲しくなったの。」
 そんなソアラの肩に、男らしい手が触れる。百鬼の感触に似ていたそれは、リュカの手だった。
 「だからこれ以上悲しみを増やさないために、僕たちが終わらせるんだよ。」
 その言葉はソアラを驚かせた。そして息子がどれほど成長したか、どれほど百鬼の魂を受け継いでいるか、実感した。頼れる男の姿に彼女は大きく勇気づけられた。
 「そうね!それでこそあたしと百鬼の息子!」
 嬉しくてしょうがなくなったソアラは、リュカの背を平手で叩いた。轟き続ける崩壊の序曲の中でも、バチン!という乾いた音はよく響く。リュカは一瞬顔をしかめたが、注入された母の気合いに力強い笑みを見せた。
 「お母さん、あたしも!」
 「よし!」
 続いてルディーも。そして___
 「フュミレイもやる?」
 「___」
 「やりましょうよ師匠!」
 「フュミレイさんは僕たちの家族も同然です!」
 「_________やれやれ。」
 さらにもう一度!全員に気合いが入った時には、息づかいが感じられる場所までバルカンが近づいていた。つまり、敵は目前。
 「よし、行くよみんな!悔いのないように___全力で!!!」
 「はいっ!!」
 ソアラが竜の使いの真の姿を露わにする。リュカとルディーも黄金に輝き、フュミレイは闇の炎を燃えたぎらせる。
 『ォォォォォォォ___』
 重低音の鳴き声と共に、首だけあさっての方を向いていたバルカンが振り向いた。夥しい力を求める本能は、すぐに四人をターゲットだと認めた。そして___
 『コォォォォァアアア!』
 七色の光線が迸る。それが開戦の合図だった。




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