3 悠久の終わり

 彼女のことを好きになったのはいつからだろう?良く分からない。もしかしたら初めて会ったときからかもしれない。でもその時は子供だったし、好きとかいうのは良く分からなかった。でも今は自信を持って言える。僕は竜樹のことが好きだ。
 僕と彼女を結びつけるのは、もともとは父さんであり母さんの存在だったけど、今では僕たちは誰も介さずに強い絆で結ばれていると信じている。でもそんな二人を結ぶ一番の絆が戦いだというのは残念だ。願わくば、バルカンもアヌビスもいない世界で、君と出会いたかった。
 次ぎに生まれたときにはきっと___
 ___
 「?」
 暗い。しかし暖かな場所だった。
 「え?」
 リュカは目覚めた。そして自分が頬を重ねる人の顔を目の当たりにする。
 「竜樹___?」
 ここは死の世界?暖かいから天国かな?もっと明るいところかと思ったけれど。
 「わ!」
 ぼやけていた頭がはっきりとしてくるに連れ、彼は自分がほぼ裸の竜樹と手足を絡めて抱きあっていることに気付いた。そんなつもりはなかったが、リュカの服もボロボロで、まるで二人は「その時」のようでもあった。
 「え!?え!?」
 初めての経験にリュカの頬は朱に染まる。しかし下手に彼女を突き放しては、ここがどこか分からない上に、色々見えてしまって余計に赤くなってしまいそうだった。リュカは戸惑いながらも、とりあえず竜樹の身体をしっかりと放さないようにした。
 「あれ?」
 そうするうちに、彼女の体温、自分の体温が実感できた。そして幾らか冷静になると、竜樹の左腕が無いことに気が付いた。そもそもまだ彼女は気絶したまま。つまり、ここは死の世界などではない。
 「気が付いたか。」
 闇に別の人影が浮かんだ。今まで気付かなかったのが不思議なほど近くに。
 「フュミレイさん!?」
 リュカの顔がまた赤くなる。見られてはいけないものを見られた感覚だった。
 「慌てるな。虚無から運び出すために、私が抱き合わせた。」
 「え?そうだったんですか___え!?虚無から運び出す!?」
 「正確には出しただ。だが、浮かれていられる状況じゃない。竜樹は命は取り留めたがまだしばらく意識は戻らないだろう。彼女を守るためにしっかりと抱いてやってくれ。」
 「は、はい!」
 なぜだろう、リュカは今まで以上にフュミレイの言葉に強さを感じた。逆らってはいけないオーラが出ているかのようだった。
 「そうだ!オコンさんは!?僕がバルカンを切って、オコンさんが確か___」
 記憶が乱れている。夢か幻のようだったので、現実との確信が持てなかった。そんなリュカを窘めるように、フュミレイは落ち着いて言った。
 「オコンは自爆した。」
 「!?」
 「彼がバルカンの中に入り込むところを私も見た。すぐにバルカンの体は再生し、裂け目が塞ぎ止められたところでオコンは自爆したんだ。」
 「そんなっ!」
 「バルカンの体は四分五裂したが、それでも奴は死なない。すぐに再生が始まった。」
 「___そんな___」
 リュカは明らかに落胆し、しかしすぐに悔しさとやるせなさに歯を食いしばった。気持ちは分かる。オコンを守りきれなかったことはもちろん、彼の取った選択にも納得がいかなかったのだろう。それは駆けつけたフュミレイにすればもっとだ。

 フュミレイは嘘を付いている。実際に彼女が駆けつけたのは、オコンがバルカンの体内に入り込んだときではなく、それよりも前だった___

 それはリュカが逆上して未知なる力を露わにし、バルカンに挑んだ時だ。フュミレイが有の道を作って虚無を抜けると、偶然にもそこにはリュカとバルカンの激突を見つめるオコンがいた。
 「!?君か!___どうやってここに!?」
 「虚無を通過する方法を得ました。リュカが戦っているうちに、あなたをここから逃がします。」
 そう言ってフュミレイは密やかにオコンに近づく。
 「いや待ってくれ、俺はいい。リュカを___」
 手を取ろうとする彼女を制し、そこまで言いかけてオコンは止まった。
 「___虚無を通過するだと?」
 「はい。」
 オコンは驚きの顔でフュミレイを見つめた。目を合わせると、今度は別の驚きの種に気付く。
 「驚いた。ただ者じゃないとは思っていたがそれほどとは。それに今の君はまるで___」
 「レイノラ様は私と共にあります。」
 「!!___やはりな。」
 その時の笑みは、彼女の気配に気づけた自分への満足感か、再びレイノラの面影を見ることができた幸福感か。
 「オコン様、俺は良いとはどういうことで?」
 リュカが追い込まれはじめた。フュミレイは話を急いだ。
 「俺は、自らの生命と意志を保ったまま、バルカンに食われてみようと思う。」
 「!?」
 「戦いを重ねるほどに疑問が出てきたのだ。バルカンの意志、目的の不明朗。それは昔のバルカンを知る者なら皆が抱いた疑問だ。そして胸に現れたソアラの左腕と同じ無限の紋様、さらにはバルカンとの戦闘中にリュカが聞いたという父の声。」
 「ニックの___?」
 オコンは頷いて続ける。
 「もはやあの肉体はただの箱なのではないか?Gという生き物を象る箱、その中で無数の魂が、箱の支配権を懸けて戦っているのではないか?そう思えたのだ。やもすると、敵は本当にバルカンなのか?とすら考えられるほどに。」
 「それを自ら食われて確かめるというなら無謀すぎます。根拠も何もないうえに、あなたは確実に命を失う。馬鹿げています。」
 「今ここで逃げたところでどうなる。もうこの世界が長くないことは君なら分かるだろ?」
 「だから全てを放棄して楽になるのですか?」
 「見くびるな。俺はそこまで堕してはいない。」
 その時、竜樹の犠牲に激昂したリュカの叫びが轟いた。フュミレイは驚いてそちらを振り向こうとする。しかしその体は、オコンの手で彼の方へと向き直され、なぜだろうか、直後に待っていたのはオコンの抱擁と短い口付けだった。
 「すまない、最期まで無礼で勝手な俺を許せ。だが、必ずうまくやる。」
 口付けと共に流し込まれた僅かな雫は、フュミレイの動きを一瞬だけ封じた。一瞬にしたのは彼女をここから逃れさせるため。オコンにとってはそれで十分だったのだ。
 「さらばだ。レイノラそしてジェイローグ。」
 リュカがバルカンを真っ二つに切り裂く。オコンは動きを封じられたフュミレイ、そして波動に飲まれて虚無の壁へと押されるリュカを見やる。リュカは彼の力で波動から抜き出されると、すぐさまフュミレイの元へと運ばれていく。その時には、フュミレイの体も自由を取り戻していた。
 「オコン___!」
 バルカンの巨体を仰ぎ見る。海神は再生をはじめたバルカンの体の間にいた。バルカンはおそらく気付いていない。それを知って知らずか、オコンはフュミレイに笑みとともに力強く拳を示し、勝利を誓った。
 「勝手だ___本当に!」
 フュミレイは忌々しげに舌打ちした。この結果は到底納得できるものではない。こんな形で十二神が一つになるとは思わなかった。彼女はオコンを飲み込んで一つに戻ろうとするバルカンを睨み付けたが、水泡に包まれて流れてきた竜樹を見つけると、魔力の糸を走らせてリュカと引き合わせ、素早く動いた。
 ___

 全てをリュカに伝えることはない。オコンが自爆したというのも陳腐な嘘だ。ただ、フュミレイ自身もオコンの行動を理解しきれない今、せめてリュカを納得させるには仕方のないことだった。
 「僕はなにもできなかった___オコンさんを守ることも、バルカンを倒すことも、竜樹も傷つけて___」
 リュカは自責の念に駆られ、青年らしからぬ悶々とした口惜しさを滲ませる。
 「君だけが責任を感じる事じゃない、全員が等しく悔やめばいいことさ。それにまだ希望を捨てるには早いはずだ。たとえGが完全になろうと、あたしたちはまだ生きている。」
 「うん、そうだよね。でも僕は___やっぱり自分が情けない。」
 勇気と正義に溢れたリュカ。それは見る者を奮い立たせる。彼自身は沈んでいても、その健気なまでの真面目さは、周りの者たちの心を律するのだ。それが勇者というものなのだろう。
 「そうだ!バルカンは!?」
 心情を吐露したことで少し落ち着いたのか、リュカは改めてバルカンの事を思い出した。フュミレイの言うとおり、十二神の力が全て揃ったのなら十二神縛印は解け、完全なるGがバルカンの元で蘇る。究極な存在が誕生するのだ。
 「バルカンはどうしたの!?それにこの真っ暗なのって___!?」
 リュカは慌てた様子でフュミレイに問う。当の彼女はいつもの落ち着きのままで頷いた。
 「ああ、そろそろ影を消しても大丈夫だろう。」
 リュカの望みに答えるべく、フュミレイは手を揺り動かす。すると辺りを包んでいた黒は彼女の手の中に吸い込まれて消えた。
 「なるべく気配を殺してくれ。遠くに離れたとはいえ、気付かれれば一瞬だ。」
 「凄い、レイノラさんみたいだね。」
 「___」
 フュミレイは答えない。しかしリュカは気にしなかった。
 「く___!」
 直後、おぞましい気配が全身を撫で回す。闇が消えると共に感じたそれは、空の彼方からやってくる異様な不快感だった。仰ぎ見れば、遠くに巨大な鳥人間の背中が見えた。
 「少し様子がおかしいんだ。くだらない罠に引っかかって、いまはムンゾの世界に向かっている。」
 「くだらねえたぁ、姐さんにはかなわねえな。」
 「え!?あ!あれ!?」
 見覚えはあるが見慣れない顔の登場にリュカが狼狽する。
 「空雪だ。」
 「あ、そうだ!」
 「あのガキンチョがいまはこれですかい。本当に怖ぇ所だな、ここは。」
 空雪はリュカをしげしげと見やり、同時に彼が抱く竜樹の裸体も眺める。それに気付いたリュカは、慌てて彼女を隠すように背を向いた。
 「へへ、若いのがお盛んなのは結構なこって。」
 「うるさいな!」
 「早くおまえが何をしたか教えてやれ。」
 「へいへい。矢を放っただけでさ。姐さんの気配を魔力って奴で矢に纏わせて、それを俺が世界の果てを目標に放ったってわけで。俺の矢は目的地まで際限なく飛ぶ。姐さんは半信半疑だったけど、みごとあの化け物は騙されて矢を追っかけてったって寸法よ。」
 空雪は鼻を鳴らして自慢げに語ったが、リュカの表情は晴れなかった。
 「何でぇその顔は。」
 「そうなるのも無理はないよ、間抜けすぎるものな。」
 フュミレイの言葉にリュカも頷いた。そして彼なりに考える。
 「体を分けたのかも___バルカンは何人にも別れて行動できるから。」
 「それはない。私は奴が虚無から出てくるまでも見ていたが、そんな様子はなかった。」
 「それじゃあ、本当に騙されてるの?」
 「それも分からない。ただ、オコンは彼も含めて五人の神の力を持っていたから、それが一気に流れ込んだ事による一時的な錯乱だろうと思っている。」
 あるいはオコンの策が功を奏しているのかも___フュミレイは大いに疑いながら、そうとも考えていた。
 「あるいはかつてのアイアンリッチと同じように、理性を保てなくなっているのかも。」
 「どっちにしろ今の内がチャンスってことだ!」
 「そうだな、ただその体じゃ無理だ。まずは皆と合流した方がいい。それにGが完全に蘇れば、オル・ヴァンビディスも役目を終えることになる。」
 リュカは目を見開き、頬を強張らせた。
 「それって___!」
 「世界が崩壊するということだ。おそらく今も、世界の外周を囲む虚無が少しずつ内へと狭まってきていると思う。」
 そう言うとフュミレイは静かに魔力を灯す。気配を殺しながら、しかしその内に漲る魔力はあまりにも凄まじい。リュカは彼女に触れられると驚きのあまり舌を巻いた。七年の修行で成長したルディーの魔力も凄まじいが、フュミレイのそれは遙かに超越していた。
 「とにかく皆と合流しよう。」
 「___」
 「リュカ?」
 「あ、ごめんなさい、魔力が凄すぎて。えっと、合流だよね、だったらファルシオーネだよ。母さんがいるはずだから集まるとしたらきっとそこさ。」
 「よし。」
 フュミレイが頷いて視線を世界の中心方向へ向ける。
 「ねえ。」
 飛び立とうかと言うとき、リュカは彼女の魔力に期待を込めて問いかけた。
 「竜樹の腕___なおる?」
 「残念だが、虚無に奪われたものは戻らない。」
 「そう___」
 リュカは寂しげに俯いて、しかしすぐに目を閉じたままの竜樹を見やると、他の視線があっても頬を赤らめることなく愛しげに抱き締めた。
 「行くぞ。気取られないように飛ぶ。」
 フュミレイを中心に広がった闇がリュカたちと空雪を包むと、地に這う影に変わる。それは大地を滑るように、猛烈な速さで世界の中心へと動いた。
 その少し後、ムンゾの世界へ入り込もうという頃になって、バルカンは思い出したように嘴の奥から波動を放った。空を灼熱に変えるほどのエネルギーは、空雪の矢を一瞬で消滅させ、そのままムンゾの世界に炸裂した。猛烈な破壊のエネルギーは、ムンゾの世界の一角に虚無の柱を立てた。
 『グゥゥゥオオオオオオオオ!!』
 雄叫びが世界に轟く。しかしバルカンの顔、鳥神らしい大きな目はまったく焦点が定まっていなかった。胸に居座る無限の紋様のほうが遙かに明朗だった。

 その頃、世界の中心ファルシオーネ。そのさらにど真ん中、十二の岩が均等に並ぶ場所。そこに光の柱が立ちのぼった。それは十二の岩を結んだ線の交差点から噴き上がり、辺り一帯を照らしたかと思うと十二の岩を消滅させた。
 「___」
 更地になった場所に、ソアラが立っていた。いつものように後ろで結んでいたはずの髪は、紐が解けて流れていた。見慣れない剣を手にしているのに、彼女は全くもって悲愴な表情だった。今まで以上に美しさを増したドラグニエルには、胸だけでなく、背にも刺繍の龍が鎮座していた。
 ソアラは剣を持つのとは逆の手に、鈴の付いた結い紐を握っていた。それを見つめると、彼女は剣を鞘ごと地に突き刺して、髪を結びはじめた。鈴の紐には血が染みている。それは持ち主の血だった。
 持ち主が、使命を全うするまでに経験した多くの戦いで染みついた血だった。
 (レッシイ___)
 いや、全うはしていない。全うするかしないかはこれからに掛かっているのだ。
 (必ず、Gはあたしが終わらせる。)
 ジェイローグの末裔として、ファルシオンを手にGを倒す。ソアラは決意を胸に、いつもの髪型へと戻った。
 「やっぱりそれの方がしっくり来るな。」
 その意気込みを邪魔する声がする。
 「関わらないでくれる?あんたと遊んでいられる状況じゃないの。」
 ソアラは振り向きもせずに答えた。馴れ合いを拒み、毅然としていた。アヌビスはそんな彼女の態度にもいつも通り飄々としていた。ただ、いつもと違うのは、彼も本気だと言うことだった。
 「分かってるよ。もうオル・ヴァンビディスは長くない。バルカンがどう動くかはともかく、今日中にここから撤退することになるだろう。」
 「だったら大人しく帰りなさいよ。」
 「ただ、Gをほったらかしというわけにもいかない。あれが動き出せば繋がっている全ての世界が滅びる。俺の冥府もな。」
 「!___まって、Gは___」
 ソアラが振り向いた。アヌビスはニヤリと笑って頷く。その時、ファルシオーネが揺れた。震源地はムンゾの世界。おぞましいバルカンの咆吼は、世界を揺さぶる地震とともに大気を震わせた。
 「まさか___全滅!?___十二神が!」
 バルカン以外の十二神が死んだ。その側にいたのは誰だ?皆の顔で頭が一杯になると、ソアラはすぐさまムンゾの世界へ飛び立とうとする。しかし___
 「まちなよ。」
 アヌビスが立ちはだかる。時を止めてソアラの前に回り込んだ。ソアラは構わずに薙ぎ払おうとするが___
 「っ!!」
 アヌビスが腕に抱く人物を見て、止まらざるを得なかった。
 「ルディー!?」
 愛しい娘はアヌビスの腕の中にいた。首には見慣れないネックレスを掛けられ、後ろ手に縛られている。そのいずれもが邪輝を宿した封印の呪具であることはすぐに分かった。ルディーは魔力も竜の力も封じられているのだ。
 「ごめんなさい___」
 「このネックレスはこいつの胸に張り付いてる。俺の意思一つで、心臓を貫く牙を立てるぞ。」
 アヌビスは悠然と語り、いつも以上にいやらしく笑う。ソアラは忌々しさを隠すこともなく、彼を睨み付けた。
 「墜ちたものね、アヌビス。」
 「必要とあれば手段は選ばない。それは昔からだ。」
 「あたしはいつから追われる立場になったのかしら。」
 「初めて会ったときから___いや、おまえがこの世に生を受けたときからずっとだろう。」
 二人の視線が交錯する。ソアラは少し後退し、距離を取ってアヌビスと睨み合った。避けられない戦いと理解したのだろう、煩わしさで満ちていた顔を漲る戦意が変えていく。それと共に、ファルシオーネの剣山岩が崩れはじめた。中心体が崩壊したからだろう、世界のど真ん中からまるでドミノ倒しのように、外へ外へと向かって岩が崩れ、更地が広がっていく。それはオル・ヴァンビディスの終末を感じさせる光景だった。
 「時間を掛けたくないの。全力でやりましょう。」
 「フフ、言うようになったな。」
 「言うわよ。もうあたしの方が強いもの。」
 折角結んだ髪紐を解くと、ソアラの体から凛とした空気が広がる。それは岩の残骸である砂を僅かに巻き上げたかと思うと、一気に蹴散らした。光の柱が立ちのぼるとソアラの体は驚くべき変化を遂げていく。
 ファルシオンの洞窟に挑む前の不完全な変化ではない。ソアラは非の打ち所のない、完全なる竜の使いとなって立っていた。角、牙、耳の形、肩や胸を守る竜の頭骨、肘や膝を攻撃的にする剣竜の棘、翼竜の翼に、陸竜の足に、しなやかな尾、鋭い爪から何から何までセティの変化と同じ、完璧な竜の使いの姿だった。でも顔はソアラ、そしてセティと違うのは、黄金に輝く髪が角度によって時折紫に見えることだった。
 「これだ___!」
 その力は圧倒的。アヌビスをもおそらくは凌ぐ。洞窟に入る前とは比にならない。アヌビスの腕の中で見ていたルディーが、ただひたすら呆然としてしまうほど別次元。しかしアヌビスは喜々としていた。
 頭の中に浮かぶのは、かつて地界のヘル・ジャッカルでの戦い、怒り狂ったソアラの最後の一撃だ。あの時、ソアラの後ろにアヌビスはこれと同じ影を見た。それがソアラの可能性だと信じてきたが、ついに本物がここにいる。その刺激は格別だった。
 「___」
 覚醒したソアラはゆっくりと目を開ける。しかしアヌビスを見やる前に、右手の人差し指に光る真紅の指輪を一瞥した。それは形を変えたレッシイの結い紐。
 (レッシイ、見守っていて___)
 そして今は亡き先人に、祈りを捧げた。

 ___
 「ぐあぁあっ!」
 床にたたきつけられ、レッシイは激しく喘いだ。真っ向からの力のぶつかり合いは、完全にソアラ優勢だった。それはファルシオーネの洞窟の最深部で巨竜と化したレッシイと対峙したときから、ずっと同じだった。
 「もういいでしょ___ファルシオンはどこにあるの!?」
 ソアラはレッシイの思いに答えるべく戦った。ドラグニエルのエレクとゼレンガもまた、それぞれの主に荷担して戦いへと導いていた。しかしいよいよ一方的になるとソアラはレッシイにそう呼びかけた。しかし変身を解こうとすれば、そうはさせじとレッシイが抵抗するのだ。いまも紫に戻ったソアラの頬を、竜波動に似た光線が切り裂いていった。もし反射的に避けなければ頭蓋か首を撃ち抜かれていたかもしれなかった。
 「ふざけるな___あんたが殺さないなら、あたしが殺す!!」
 左右の手から光線が一つずつ、ソアラの眉間と喉笛を狙う。しかしソアラが瞬時に黄金に輝くと、光線は彼女の体に届くことなく、迸る黄金のオーラに溶けて消えてしまった。
 「もうやめようよ___!」
 ソアラは訴える。しかしレッシイは揺るがない。
 「ファルシオンはあたしの中にある!封印はあたし自身だ!あたしは___未来を託せる奴が現れたら、そいつに殺されるために今まで生きてきた!!」
 「!!」
 「ましてやあんたは竜の使いだ___そして姉貴の認めた戦士だ!あんたは___何があってもあたしの力を受け継がなきゃならない!!二人で生まれたがために不完全だった神の戦士の力を、ソアラ・バイオレットが完全なものにするんだ!!」
 レッシイの体が燃え上がる。残された僅かな力を余すことなく放出して、彼女は再び真の竜の使いへと姿を変える。その膨大なエネルギーに、彼女自身の体が悲鳴を上げようと、一切構うことはなかった。
 「もう老兵の出る幕じゃない___あたしの屍を超えろ!ソアラ!!」
 レッシイがソアラに突っ込んできた。その動作だけで、陸竜の足がボロボロと崩れていく。腐りかけの果実のように、圧力の掛かったところから皮膚が剥がれ、肉が破れている。飛び散る血飛沫を己の黄金で燃え上がらせたその姿。赤と黄金の揺らめきは、彼女の染め分けられた髪に良く似ていた。
 「___」
 相対するソアラは動かなかった。しかし短い瞬きの後、決意に満ちあふれた瞳に変わってレッシイに対峙した。
 その時、彼女はレッシイの魂の叫びを聞いてしまった。聞くつもりはなかったのに、ソアラがレッシイの魂に願った「やめて!」という叫びが突き返されたとき、聞こえてしまった。

 親父の、母さんの愛した世界に___
 世界に宿る全ての命に___
 死ねないあたしに___
 救いを___!!

 レッシイの拳。それをソアラは片手で受け止めていた。それだけで、自らの前進する力で、レッシイの腕は粉々に砕けていく。彼女はソアラの逆の拳が突き出された瞬間、目を閉じた。そして望みもしない悠久の時が終わるのを知り、本当に安らかな顔でいた。

 ズッ___

 ソアラの拳はレッシイの胸を撃ち抜いた。レッシイはそのままソアラと胸を触れ合わすところまで進み、彼女に繋がりながら抱き留められていた。
 「レッシイ___!」
 ソアラは片腕をレッシイに突き刺したまま、逆の手で彼女の頭を抱く。貫いていた腕も、体の崩壊と共にすぐに自由になってしまった。しかしレッシイの顔を見やると、彼女の顔はまだ勝ち気で可愛らしいレッシイのままだった。
 「ありがとう、これであたしの役目は終わった。」
 「レッシイ___あたし___」
 涙は枯れ果てたと思っていた。しかしこんな穏やかな顔を見せられては、あまりにも辛かった。
 「やっとだ___あんたがやっと終わらせてくれた___やっと姉貴の所にいける___」
 喋ると、レッシイは顎から崩れていく。
 「レッシイ!」
 「必ずGをぶっ倒せ___失敗なんて許さない___から___!」
 崩壊を止める手だてはなかった。ソアラはただ、手の中でレッシイの頭が消えるのを見守るしかなかった。全てが崩れて七色の光に変わったとき、彼女の手にはレッシイの髪の結い紐が引っかかっていた。それは生々しい血で真っ赤に染まっていた。
 「レッシイ___」
 『泣くなよ。』
 胸で声がした。
 「!」
 見るとレッシイの纏っていた漆黒のドラグニエルが、ソアラのドラグニエルと同化している。喋ったのは今まさに体半分ソアラのドラグニエルへと移動していたゼレンガだった。
 『泣くのは勝ってからだ。いちいちメソメソすんな。』
 『ソアラ、前を見るのだ。』
 エレクの声にソアラは顔を上げる。そこに一本の剣があった。それこそが、レッシイが全てを犠牲にして守り続けてきた聖剣、ファルシオンだった。
 『ソアラ、今のおまえはセティとレッシイの加護を得て、最強の戦士となった。おまえが倒すべきはG、おまえに必要なのはファルシオン、そして共に戦ってくれる仲間だ。』
 『死を悲しむよりも、今何をすべきか考えろ。おまえの行動一つで世界が変わるんだ。』
 『ソアラよ、惑うな。前を向け。そしてGに勝て!』
 『その先のことはそれから考えりゃ十分だ。俺たちは最後まで付き合うぜ!』
 エレクは今まで通り胸に、ゼレンガは装束の肩を通り過ぎて背中に。それぞれの居場所に収まると、ドラグニエルは朧気に輝いて、紫に黄金を散りばめた彩りとなる。それはセティのエレク、レッシイのゼレンガではなく、真にソアラの双竜となったドラグニエルの姿であった。
 「___」
 ソアラは体の奥底から力が沸き立つのを感じた。瞬間的に、自分が今までの自分ではないことを感じ取った。バルカンが十二神の力を馴染ませるのに手間取ったのと違い、ソアラは一瞬にして変わった。
 そして彼女は一歩前へと進み、ファルシオンへと手を伸ばした。




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