2 限りを知らぬ者

 ___暗闇。
 これが死というものか?
 俺は死を恐れない。しかしそれは矛盾だ。
 死を恐れなければ戦う必要はない。
 死が安らぎならば、自ずから求めればいい。
 戦い、生きようとするのは、死を恐怖しているからだ。
 戦士とは、誰よりも死を恐れている。
 しかし___
 これが死だとすれば思いのほか安らかではないか?
 「ま___」
 あぁ、違うのか。
 「風間___」
 これは死ではなかった。
 これが死なら、もう俺は戦うまいと思ったが___
 「風間___!」
 どうやら俺はまだ戦い続けねばならないようだ。

 「風間!!」
 片方だけになった視界が開く。そこにあったのは、不安と期待と歓喜と嗚咽と、とにかく色々なものが混ざり合ってグチャグチャになった少女の顔だった。
 「風間ぁっ!」
 目覚めに見たのは鵺だった。そして肌に感じる空気は、彼の良く知る匂いだった。
 「良かったよぉぉ!風間ぁ!あたし___赤い石が___あなたにもらった___うわぁぁぁん!」
 鵺は支離滅裂だった。バルバロッサに抱きつきたい衝動と、全身傷だらけの彼を苦しめるという葛藤とで、体をあたふたと揺さぶりながら泣き喚いたかと思うと、今度はその場にパタリと倒れてしまった。
 「心配いらぬ。歓喜のあまり気を絶っただけじゃ。じきに落ち着く。」
 そんな彼女と入れ替わって、榊が顔を覗かせた。
 「いま治癒能力のある妖魔を呼んでおる。しばしの辛抱じゃ。」
 榊はバルバロッサが無事だったことを喜んではいたが、彼の負傷の酷さに別の不安にも駆られていた。笑顔の端を少し引きつらせたのは、焦燥以外の何ものでもないだろう。
 「俺は___」
 何が起こったのか分からないが、ここが黄泉だと言うことは分かる。そして潰れた片目、失った左腕、全身の痛みを思うに、直前までバルカンと戦っていたのも確かだ。
 「鵺がやったのじゃ。おぬしに貰った宝石が黒ずんでいくのを見て、鵺は錯乱した。破れかぶれになって扉を出した。お主たちを異世界に送って以来の事じゃ。はたして鵺の願いは扉に通じ、開いたそこから出てきたのは傷だらけのお主じゃった。」
 榊はそう言っておきながら失笑する。
 「嘘みたいな話じゃろう?」
 「___」
 「じゃが奇跡だとは思わぬ。私は扉が開いたとき、鵺の首飾りから弱々しい光が走ったのを見た。もう一度同じ事をしろといってもできぬじゃろうが、何が出るか分からない扉から、鵺はお主の力を借りて望むものを引き上げたのじゃ。」
 そう聞いたときのバルバロッサは、榊が知る限りもっとも穏やかな顔をしていた。
 「___そうか。」
 「鵺に感謝するのじゃな。」
 「無論だ。」
 「フフ、愛じゃの。」
 「黙れ。」
 しかし二言目にはもういつものバルバロッサだ。やがて別の妖魔がやってきた。治癒の力は実に暖かだったが、鵺の愛に比べれば微々たるものでしかないだろう。
 口にはしないが、彼の腹は決まっていた。
 救われた命の全てを、愛する鵺に捧げようと。

 ギャゥンッ___!
 黄金に輝く矛が、空を一直線に駆け抜ける。バルカンの体はまだ半分程度しか虚無の中に入っていない。腹は内に、背は外に。それぞれ肌を覗かせていた。内から放たれた矛はバルカンの腹を貫いて、柱の外の空へと抜けた。
 ドゥオオッ!!
 それに続いたのが大量の海水。バルカンの背に開いた穴から一気に流れ出す。それは滝となって荒れ果てた密林地帯へと降り注ぐ。
 バンッ!!
 その滝の流れから、男が飛び出した。リュカを支えるように抱いたオコンである。二人は覚悟を決めた顔で目を閉じていたが、瀑布の音にすぐに目を開けた。
 「まさか___できたのか!?」
 「やった!!」
 オコンとリュカは口々に言った。二人が見たのは、周囲に広がる広大な景色と、虚無の柱に体を埋めて穴の開いた背中を見せるバルカンだった。
 そう、二人はまんまと虚無の檻から脱したのである。だがどうやって?
 『なるほど、私の体にトンネルを掘るとは、考えたな。』
 「!!」
 答えを言ったのはバルカンだった。虚無に体を埋めているのとは別の彼が、遠巻きに二人を見てにやけていた。
 「ヘヴンズ___」
 『無駄だ。』
 一気にこの場から逃れようと魔力を迸らせたオコンだったが、すぐに思いとどまらざるを得なかった。バルカンがほんの指を鳴らしただけで、遠くの景色を漆黒の壁が塞ぐ。先程の檻よりも遙かに広く、しかし切れ目なく、周辺一帯を囲むように虚無が広がった。
 『ここまで来たのだ、この程度の用意は怠らない。だが、本当に脱出されるとは思わなかったよ。』
 バルカンはオコンたちの居場所へ戻る前に、己の体を二つに分け、さらにより広大な檻の用意をしていた。当然の慎重策だった。
 『君たちの考えはこうだ。私の体は虚無の中にあって唯一の有。すなわち虚無の中でも我が体内では有が維持される。そこにトンネルを掘るという奇策は見事。しかし私の体の厚みが虚無の幅よりも広くなければならない。』
 虚無に埋もれていたバルカンが出てくる。リュカの開けた大穴は、海水の瀑布が断たれるとすぐに塞がっていく。
 『その点君たちは、残酷ながら賢明だった。私が君たちを後回しにした時点で、君たちは私が力を増して戻ってくると考えた。その結果、体がいくらかでも大きくなる可能性があると。虚無の幅は、最初の爆発の記憶から推測した。この思考はどちらか___オコンの驚きようからすれば彼のものか。』
 二人のバルカンが近づきあい、一つに戻る。二つの体が互いに溶け合い、正中線で結ばれようとする様はあまりに奇妙だった。
 『その後も見事だ。私の腹にトンネルを掘るには、強力な攻撃が必要だ。竜波動では足りないが、君はより破壊力のある攻撃を隠し持っていた。それは武具に君の全霊を傾けるものであり、その点オコンの槍は適材だった。なまくらな武器ではまともに君の力を受け付けられないからな。』
 瞳が輝きを取り戻すと、バルカンからは一切の体のズレがなくなった。半身ごとに溶け合い、一人に戻ったのだ。
 『しかもそれだけじゃない、あらかじめ檻の内側をオコンの海水で満たすことで、私の体を虚無に押し留め、開けた穴に海水を流し込めばトンネルの開通を確認できる。しかもオコンの海水は私の傷口に圧をかけ続け、回復を遅らせた。さらに海中であれば、オコンは君を運んでも超速で動ける。』
 何ら違和感なく一人の巨大なバルカンとなった彼は、さもらしく拍手した。
 『素晴らしいよ。時間があったとはいえ、私の体の厚みさえクリアすれば、それなりに実現できそうな方法だ。もっとも私には防ぐ手だても十分にあった訳だが___相手の策を完全に受け入れた上で、まとめて飲み干す方がより安全だ。』
 リュカとオコンはそもそも聞く耳を持っていない。彼らはただ己の力を高めることに腐心した。とくに先程の一撃にかなりの力を要したリュカはなおのこと。
 『しかし策を弄することしかできないのが今の君たちだ。もはや力で私に抗える域にはない。』
 「フッ、良く喋る九官鳥だ。そんなに囀る鳥でもなかったろうに。」
 尊大なバルカンをオコンが鼻で笑う。
 『自信___いや、確信がそうさせるのだ。』
 しかしバルカンは挑発を挑発とも思わず、自らの振る舞いに徹した。
 「確信、俺を殺してGになれるという確信か?」
 『それ以外に何がある。』
 「変わるもんだな、バルカン。俺が言うのも何だが、俺には何がおまえをそうさせたのか、未だに分からない。フェリルがおまえを変えたのか?」
 『違うな、私がフェリルを変えたのだ。』
 策の次は説得か?オコンとの会話を無意味に感じたバルカンは、構わずに腕を振るった。爪が砲弾となってオコンを襲うが、彼はリュカを抱えたまま横に飛んで回避する。しかしその動きを読み切って、バルカン本体が襲いかかった。
 ギンッ!!
 爪と槍がぶつかり合う。しかしバルカンの片手を止めたところで、彼にはまだもう片方の手と両足の爪がある。それらを一斉に放って至近距離からオコンを襲う。
 バシュッ!!
 しかし、大地から巨大な水柱が立ち上がると、オコンとリュカ、さらには飛ばされた爪からバルカンまでまるまると海中に飲み込んだ。それは飛んでいた爪の動きを殺し、バルカンの動きまで鈍らせた。水は先程バルカンの腹のトンネルから大放水させたものだった。
 「今だ!」
 オコンが叫ぶ。そして彼の抱える懐刀が、さらなる秘密兵器を解き放つ。
 「蘇れ!水竜!!」
 リュカが勢い良く腕を振り上げると、水柱の底から光り輝く矛が天へと駆け上った。それは先程バルカンの腹を貫いたオコンの矛。あの時、矛は空の彼方まで飛んだのではなく、静かに地に落ちると大量の海水に隠れて地表を漂っていたのだ。力を維持したまま!
 ドンッ!!
 矛はバルカンに真下から突き刺さる。それは真っ直ぐに鳥神の股間から入り込み、しかし貫くことはなく体内に留まった。それが狙いだ。体の内から粉砕するために!
 「弾けろ___竜波動!!」
 リュカが黄金の輝きを全開にする。
 「全てを飲み込め!メイルシュトロム!!」
 オコンもまた、槍に込めた破壊の力を弾けさせる。体の内から破壊すれば、一矢報いることができるかもしれない。そう考えた二人の渾身の一撃だった。
 ドゥォォムッ!!
 それはバルカンの体を膨らませた。体の内から皮膚を破り、幾らかの水しぶきと、強い光が噴きだした。
 「___!?」
 だがバルカンは砕けない。最大の攻撃だったのに、彼の巨体はバラバラになるどころか、ほんの深呼吸でもした程度に膨らんだだけだった。
 「吸っている___!」
 「え!?」
 オコンの呻きにリュカは耳を疑った。しかし、バルカンの傷から漏れた光が、彼の傷口に広がって再生を助けている様を目の当たりにしては、認めるしかなかった。
 「Gの恐るべき能力の一つ、力の略奪___だが、これほどとは!」
 オコンは明らかに引きつっていた。そして溢れ出る汗を止められなかった。それは自らの力の喪失を肌に感じていたからだった。
 ズォォオオオオオ!!
 水柱が渦を巻いて動き出す。吸水口はバルカン自身。大量の海水はバルカンの体、彼が開いた嘴の奥へとどんどん吸い込まれていった。
 『進化は留まるところを知らず。少し前の私なら、吸収が間に合わずに砕けていたかも知れない。しかし時を追うごとに私は唯一無二の存在となる。』
 全ての水を飲み干して、一時的に膨れあがった体が元に戻っていくと、バルカンはおもむろに言った。オコンとリュカにはもはや打つ手が見つからなかった。オコンが自らの力を結集した武具に、リュカが己の竜の力を乗り移らせて放ったのが先程の矛だった。それが通用しないどころか、飲み込まれてしまったのだから、もはや手はない。
 「リュカ、今でも私を殺す気はないのか?」
 肩を貸すリュカに、オコンが囁く。しかしリュカは毅然として答えた。
 「全くありません。」
 「このままでは二人ともバルカンに殺される。」
 「大事なのは生きる意志を持ち続けることです。バルカンの中で父がそう言ってます。」
 「___そうか。」
 オコンは彼の正義感と潔さに半ば呆れながらも、戦場で最期を共にするのがジェイローグの生き写しのような男であることを、少なからず嬉しく思っていた。
 だが___
 「おまえは___何か聞こえているのか?」
 不意に前の言葉が引っかかった。その時___
 ゴッ!
 リュカが黄金に輝くとオコンごと凄まじいスピードで横に飛ぶ。二人のいた空をバルカンの腕が引き裂くと、迸った真空の刃が腕の軌跡に沿って、大地を一直線にえぐり取った。
 「無茶苦茶だ___」
 大地に火の線が走り、爆音を轟かせると、その一部に黒い筋が断つ。エコリオットの死によって世界が脆くなっているのだろう、バルカンの攻撃は易々と世界を消して虚無を呼ぶ。
 「リュカ、おまえには何が聞こえている!?」
 「聞こえた気がするだけです、父さんの声が。」
 バルカンの攻撃に対し、リュカは逃げることしか許されない。なにしろすでに剣がない。戦いの中で、レイノラから貰ったジェイローグの剣は朽ち、オコンに託された矛も消え失せた。
 「___」
 彼の逃亡に身を預け、オコンは沈黙した。その意識をバルカンに向けてみても、彼には何も聞こえない。しかし敵のみぞおちに依然として鎮座する無限の紋様には、なにか惹かれるものがあった。外見上、あまりに違和感があるからかもしれないが。
 「より強い精神、意志、魂___」
 「くっ!!」
 リュカは必死に逃れる。いつの間にか、肩を貸していたはずのオコンが彼に抱えられていた。バルカンの攻撃は激しさを増し、羽の一つ一つが刃となって放たれると、いよいよリュカは追い込まれていく。
 「!!」
 バルカンは戦場に虚無を虫食い状に散りばめ、リュカの逃げ場を封じた。やがて両側を虚無に封じられ、ついに行き場を無くしたリュカの前でバルカンは腕を振りかざす。
 ドンッ!!
 そのとき、リュカはオコンを後ろへと突き飛ばした。両側を封じられ、前にバルカン。ここで盾になろうという意志が、膨れあがった黄金と、それに合わせて纏った練闘気に現れていた。
 ゴッ!!
 蠅たたきのように振り下ろされた腕を、リュカは頭上で腕を交差して受け止めた。守りに徹した彼の体は世界を破壊するバルカンの腕にも揺らぐことなく、受けきって見せた。だが衝撃は全身を巡り、腕はもちろん、肩や首、背中、脚、全身で皮膚が裂けて血が弾け飛んだ。
 『無謀な。』
 「まだまだ!」
 『付き合いきれないよ。』
 練闘気と竜の力の輝きが、バルカンの掌へと靡く。肌のふれあいにより、リュカの力は易々とバルカンに吸い取られていく。
 (頑張れリュカ___もう少しで___が!)
 心の声がした。先程から、バルカンと接触するたびに聞こえた気がした。リュカは自分の妄信が聞かせた声と思っていたが、改めてオコンに言われてみるとどうだろう?もし、バルカンの中に父が、父の魂が息づいているとしたら?
 「うおおおおお!」
 思いはリュカの底力を呼び起こす。黄金が混ざった練闘気は、吸い込まれようとも勢いを増して膨れあがった。それは触れていたバルカンの掌、その甲に、火傷の水ぶくれのようなものを吹き出させた。それはバルカンをほんの僅かとはいえ驚かせた。同時に、誰の力も奪わずにここまで戦える青年に、些かのおぞましさと、多大な妬ましさを感じた。
 『___目障りだ!』
 バルカンの感情が弾けた。弄ぶように敵を追いつめていたはずの男が変わった。そしてリュカを押さえつける右腕に重ねて、左腕を振り下ろす。
 ズゥゥンッ!!
 それはリュカの体を沈めたが、一瞬のこと。リュカは地に叩き伏せられることもなく、宙に留まって黄金に輝き続けた。力を奪われようとも、頬が幾らかこけて眼が落ち込んでこようとも、彼は屈しない。
 『く___』
 それはバルカンを怯ませるほどの強い意志。かつて彼は、こういう意志の持ち主と対峙し、殺めた。セラの世界で百鬼と出会ったとき、バルカンはまだ正しき男としての体裁を保っていた。しかし百鬼に本質を見破られ、彼が戦神の力を苦もなく継ごうとしている姿を恐れたことで、それを捨てざるを得なかった。
 絶望は限りを知り、希望は限りを知らぬ。彼の無限をその身に宿したとき、バルカンは己の野望の実現を確信した。しかし、それを脅かしかねない男がここにいる。
 それは彼が殺した百鬼の息子。
 あの時と同じように、我を忘れて全力で殺さなければ、大きな支障となる!
 『うおおおおおお!!』
 バルカンは右手でリュカを押さえつけながら、左手を横から走らせた。輝きの抵抗をうち破り、バルカンの左手はリュカの脇腹を鷲づかみにする。
 「まだだ!!」
 リュカは口から血を溢れさせながら叫ぶ。肋骨が砕かれる音を聞かせないほど、夥しいオーラを保ったままでいた。
 『ぬおおおお!』
 バルカンが絶叫する。我を忘れた野獣となって、左手に掴んだリュカを右手で殴打しはじめた。まるでタンバリンを叩くかのように、リュカを乱雑に殴打する。七発も打たれた頃には、リュカの光は明滅し、彼の全身から力が失われようとしていた。
 「まだ___だぁぁっ!!」
 しかし、少しでも間をあけると彼は蘇るのだ。瞳が光を失ったかに見えても、彼は地の底からはい上がってくるのだ。叩いても叩いても簡単には死なない、腑が潰れても触角を動かし続けるゴキブリのようだった。
 『砕け散れ___!!』
 終わらせるには粉々に砕くしかない。原型を無くすほど無茶苦茶にしてやるのだ。あの時の百鬼のように!
 そしてバルカンは渾身の力を込めた手を、リュカに向かって振り下ろす。その時___

 「目を覚ませ!!リュカ!!」

 父の声がリュカを深淵から呼び覚ました。先程から、彼はほとんど意識を失っていた。雄叫びを上げ、バルカンを睨み付けていたが、掴まれて殴打された途中から、彼の意識は深淵にいた。それが父の声によって目覚めたのだ。
 「!!」
 そしてリュカは驚くべき光景を見た。自分を叩こうとしていたバルカンの左腕が、千切れ飛んで頭の上を過ぎていった。彼の視界にあったのは、目を見開くバルカンの前で、見事なまでの一刀で左腕を切り落とした竜樹だった。
 彼女の花陽炎は、白く光り輝いていた。リュカにはそれが練闘気を極限まで凝縮したものだと直感的に分かった。なにしろ、羅刹の姿ですらない竜樹自身よりも、刀の方が彼女らしい生命力に溢れていたのだから。
 「リュカ、集中だ。力を一点に集中すればこいつだって斬れる。でも、こいつの意識を別に向けなけりゃ、吸収されちまう。そういうことだ。」
 その瞬間はスローモーションだった。時が止まったかのようだ。そんなに話せるほどの時間ではないのに、リュカにはこちらを振り向いた竜樹が落ち着いた口調でそう諭してくれたように聞こえた。
 そして彼女が左腕を失っていることにも気付いた。腕だけじゃない、装束の袖も、花陽炎の鞘も、乱れのない切り口で失われていた。先程のバルカンの攻撃か、あるいはこの戦場を包む壁か、いずれにせよ虚無に消えたのは明らかだった。それでいながら彼女はリュカのために命の全てを刀に預けたのである。
 バン!!
 スローモーションが終わった。リュカを放したバルカンの右手が、竜樹の脳天に振り下ろされたからだった。竜樹は目にも止まらぬ速さで地へと落ち、生気を感じさせない木々の中に没した。しかし、叩き潰される直前、彼女は花陽炎をリュカに投げていた。
 「___」
 それは吸い寄せられるように、リュカの手へと治まった。刀には、竜樹の強さと暖かさが満ち満ちていた。まるで彼女がそこにいて、共に刀を握ってくれているようだった。
 「うああああああああ!!」
 リュカが絶叫する。露ほども残っていなかったはずの力が、どこからか蘇ってきた。それはおそらく、彼自身の命を保つための最低限の生命力まで絞り出してのこと。しかし決死の思いは、戦神の忘れ形見の力を借りて、リュカを進化させた。
 彼自身は気付いていない。しかし竜の角、牙、手足、それは竜の使いの究極の姿に似ながらも少し違う、より竜そのものの特徴を色濃く残した変化だった。顔こそリュカであれ、人型の竜のようであった。

 それからは一瞬だった。
 リュカは渾身の力で刀を振るい、バルカンは渾身の力で嘴から波動を放った。
 大地に激突すれば一帯を虚無に変えるほどの力が、リュカを飲み込んだ。
 リュカは構わずに花陽炎を振り下ろした。
 しかし体はそのまま、一直線に伸びた波動に飲まれて流された。
 刀に込められた力は波動の尾を真っ二つにし、バルカンの体を一陣の風となって通り過ぎた。
 波動は虚無に当たり、跡形もなく消え去った。
 しかし同時にバルカンの体も、ど真ん中から真っ二つに裂けた。
 だが刻々と増す再生力はバルカンに終わりを許さない。
 裂け目から血が噴き出し、体が左右へ倒れはじめた矢先に、肉体は互いに触手のようなものを伸ばして繋ぎ止め合っていた。
 その時である、最後の十二神が動いた。密かに走らせた水でリュカを波動から引きずり出すと、彼はおもむろにバルカンの元へと飛んだ。
 「___?」
 薄れ行く意識の中で、リュカはオコンの背中を見た。なぜだろうか、彼は自らバルカンに近づき、そして真っ二つに裂けた体の内側に入り込んだように見えた。
 直後、彼の視界は暗転した。




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