3 魂への干渉

 「父さん___母さん___」
 ソアラは足を開いて仁王立ちする水虎と、その斜め後ろで慎ましやかに立つ寧々を代わる代わる見た。目のいく先は顔だったり体だったり、膝と唇はどうしょうもなく震え、高鳴る鼓動と荒ぶる呼吸を整えられない。
 「えっと、ソバ?___いや、違うな。」
 「ソアラ・バイオレット。」
 「ああ!そうそう!略して蕎麦!でも覚えられないから、紫竜だ!俺の付けた名前で呼ぶぞ!」
 ソアラはコクコクと落ち着かない様子で何度も頷く。
 「なんでぇその態度は。もう少しシャキッとしろ!」
 「無茶言わないの。この子には人生最大の衝撃かもしれないのよ?」
 「そうは言っても俺たちゃ死人だぜ!」
 「すぐそういうことを言う!紫竜の夢を壊すつもり!?」
 「死人に緊張するなんて馬鹿らしいってんだ。あえるのは今だけなんだぜ?」
 「あたしたちは今だけでも、この子にはまだ人生があるの。落ち着くまで待ってあげるのが優しさでしょ?」
 「だから落ち着かせるために俺たちが死人だぞって教えようとしてるんじゃねえか。」
 「それががさつだって言ってるの!」
 ヤイヤイと、二人は呆然とするソアラそっちのけで口喧嘩をしている。三歩下がって歩くような位置にいながら寧々の気の強いこと。そして豪快だけどもちょっとした気配りに欠ける水虎の大きいこと。
 そんな二人の姿を見ているうちに、ソアラから動揺が消えていった。そして胸の興奮を持続しながら、きっとリュカとルディーはこんな気持ちで自分と百鬼の喧嘩を見ていたのだろうと感じた。
 似ていたのだ。とても。外見云々でなく、母が好きになった男性と自分が好きになった男性は、とても良く似ていた。例え父でなかったとしても、水虎はとても好きなタイプの人だった。
 「フフ___フフフ___」
 ソアラは笑った。そんな彼女の変化に、父と母は喧嘩をやめて、一緒になって笑ってくれた。とても暖かな、ソアラが憧れていた情景だった。
 「よくここまで生きてくれたな。俺は嬉しいぞ。」
 水虎はソアラに近づき、彼女の頭を撫でた。ソアラはそれだけで涙目になり、父の大きな胸に縋り付きたい気持ちになった。
 「なんでえ、その顔。シャキッとしろって言ったろ。」
 「ちょっと無理___」
 「なら十秒だけだ。十秒だけ父親らしく抱き締めてやる。」
 「それだけ___?」
 「それだけだ。俺たちは感動させるために出てきたんじゃない。それを忘れるな。」
 「___」
 そうだ、これは鏡の試練なのだ。つまり十秒後に待つのは___
 「戦えなくなるなら抱き締めねえぞ。」
 戦いだ。出会ったばかりの父、そして母と戦わねばならない。母が先程からあまり優しい顔を見せないのもそのためだろう。
 「大丈夫。だって死人だもの。」
 「言いやがるな!さすが寧々の子!」
 「どういう意味よ。」
 「どうって___なぁ?」
 「ねぇ?」
 二人して首を傾げあい、寧々が溜息混じりに微笑むのを見届けると、ソアラは水虎の胸に飛び込んだ。水虎は大きな手で、太い腕で、しっかりと彼女を抱き締めた。短い時間だったが、その感触はとても大らかで、暖かで、百鬼の抱擁とはまた違った安らぎをソアラにもたらしてくれた。
 本当に心から身を委ね、甘えられる人。しかも百鬼にはない「同じ血の臭い」を持つ人。その抱擁は格別だった。
 「はい十秒。」
 「___」
 水虎はソアラの肩を抱いて自分の胸から引き離した。ソアラも満足はしていないが納得した様子で頷いた。
 「良い子だ。よぅし!やるぞ!」
 「うん___!」
 ソアラは水虎が翳した掌を引っぱたいて答えた。直後、部屋の隅三点に光が走り、三角形が結ばれていく。寧々は部屋の壁際に寄り、三角形の外側に立っていた。
 (十秒とかいって、自分で十五秒抱いてるんだものね。)
 そんなことを思いながら。

 「これは___」
 ソアラと水虎は三角形に囲まれていた。体は動くし苦しさもない、しかし見た目はフェリルが得意としたセサストーンに似ていた。
 「俺の能力、陣だ。」
 「これが___!」
 父の能力は熟知しているつもりだ。この陣の中では、どんな人物であれ陣のルールに逆らえない。例えば外から入ってきた人間は体の浮上を止められなくなる、というルールで陣を張れば、空に恐るべき闇が広がる黄泉では鉄壁の防護術となる。
 「いまこの中では、妖魔の能力以外の力は使えない。」
 「!?」
 ソアラは驚きと共に胸のエレクを見やった。しかしドラグニエルの竜は、本当にただの刺繍となって服にいるだけだった。もちろん言葉など聞けるはずもない。
 「回りくどいのは嫌いだから言うぞ。妖魔として俺に勝て!それがこの部屋での最後の試練だ。」
 そう言うなり水虎は腰を沈めて身構える。その姿にソアラが見惚れているうちに、彼は素早く動いた。
 ドンッ!!
 水虎の掌底がソアラの体を突き上げた。ソアラは両腕を交差して守ったにもかかわらず、軽々と弾き飛ばされてしまう。
 「どうした!気を引き締めろ!」
 追い打ちを掛けようと向かってくる水虎にソアラは反射的に掌を向けていた。呪文で牽制するつもりだったが、魔力はその影も見せない。
 「しまった___!」
 それどころか付きだした腕を水虎に掴まれてしまった。彼はそのままソアラの体を引きつけると共に、娘の腰に自らの腰を叩きつけるようにして跳ね上げると、一本背負いで投げ捨てた。
 「うあっ!」
 叩きつけられるとき、水虎は腕を放していた。いつものソアラなら抜群の身のこなしで着地して反撃に転じるところだが、今は簡単に尻から落ちてしまった。
 (体が思うように動かない___!?)
 腰の痛みがジンジンと響く。後ろから飛んできたキックは横に転がってやりすごしたが、ソアラの動きは並の俊敏さでしかなかった。
 「!」
 転がりながら飛び上がって向き直ると、そにはすでに水虎が距離を詰めていた。
 「くっ!」
 顔に飛んできた拳を身を捩って回避すると、ソアラはがら空きになった水虎の懐にキックを放つ。ようやくの反撃だったが、水虎の体はびくともせず、逆に今度は足を掴まれた。
 「力をつけすぎると戦いは大味になりがちだ。こういうねちっこい戦闘は久しぶりだろ?」
 水虎はニヤリと笑うと、急速に体を捻りながら倒れ込んだ。足を掴まれていたソアラのも捻りに飲まれて回転しながら倒れた。
 「ぅああっ___!」
 関節、とくに膝をいたぶる投げ技。地味だが今はとてつもなく効いた。
 「忘れたわけじゃないだろう?ここだとおまえの力は百二十八分の一だ。しかもおまえが持つ資質のうち、妖魔に由来する部分以外は全て封じてある。魔力も、竜の力も、練闘気も使えない。」
 水虎は悠然とソアラを見下ろしていた。膝の痛みにへたり込んでいたソアラには、彼がとてつもなく大きな山に見えた。
 今の自分は弱い。このズッシリとくる体の重さや疲労感だけでも、自分がいかに竜の力に頼っていたか分かった。百二十八分の一はこの部屋に来てからずっと変わらないのだ。だとしたら先程あのセティと対等に戦えたのは、自分の竜の力と、ドラグニエルの助けがあったからに他ならない。口では父の血の誇りと宣っておきながら、いざその部分だけを抜き出されるとこれほどに弱かったとは!
 「おまえの能力は何だろうな?本当に何もできないのか?もしそうだとしたら、今のおまえの武器はその肉体だけだぞ。」
 「それは違う___」
 だがソアラは臆さない。飛び跳ねるように立ち上がり、己の胸を指さした。
 「体だけじゃなくて、闘志もここにあるよ!」
 「おう、よく言った!」
 水虎は娘の意気を喜び、一つ手を叩いてから身構えた。ソアラも呼応するように武闘の構えを取る。その顔つきに一切の悲壮感はなく、むしろ生き生きして見えた。
 それもそうだろう。父の大きさを感じること、拳で会話できること、なにより自分の成長を助けてくれること、ソアラにとっては全てが新鮮で、全てが嬉しくてしょうがないことなのだから。
 「おれもちょっとだけ本気を出すぞ!しっかりと食らいつけ!」
 「はい!」
 ただ、嬉しくてしょうがないのは父も同じのようだ。
 戦いは水虎が圧倒的に優位だった。しかし彼は一方的に攻めるのではなく、ソアラに隙を見せ、反撃の余地を与え、倍にして返したりもした。それは戦いではなく、鍛錬や修行である。父と娘は気の合うところを見せ、いつしか娘は父の攻撃を読むようになり、父は目を輝かせていた。
 「もう___」
 母はそんな二人にほほえましさを覚えながらも、素直に喜んではいなかった。
 (時間がないのは分かっているはずなのに___しょうがない人。)
 そう思いながら、寧々は水虎を伏し目がちに見つめる。
 「え?」
 すぐに水虎と目があった。すると彼は声に出さず、口をぱくぱくと動かして何かを言おうとしていた。
 (紫竜の___ちか?___力を引き出す___?)
 拳を交えながら、水虎は何か手応えを感じたのだろう。
 (できるのね?)
 そう理解した寧々は声に出さず問い返し、水虎は大きく頷いた。その頬に娘の跳び蹴りが炸裂した。
 「不意打ちか!」
 「よそ見してるからよ!」
 「なにを!?」
 水虎は手を伸ばしてソアラにつかみ掛かる。しかし今度は簡単には捕まらなかった。そればかりか水虎が距離を詰めてくるのを読んで、不意に前方へ飛んでカウンターを叩き込む始末。いつのまにか戦いの主導権は娘に移りはじめていた。
 父が追い、娘がかわし、巧みなタイミングで攻撃をして手数を当てる。そんなやり取りが続くと、寧々もあることに気づきはじめた。
 「あの子まるで___水虎が次にどう動くか分かっているみたい___」
 そしてハッとする。
 「もしかして___それが?」
 彼女の能力なのだろうか?
 ダンッ!!
 そのとき、陣の内から突風が吹きつけ、寧々は肩を竦めた。見れば水虎の拳を、ソアラが両手を交差させて体の前で受け止めていた。しかし筋張った水虎の腕に込められた力は、娘の体を軽々と弾き飛ばす強さだった。
 「くぅぅっ___」
 ソアラは両腕の痺れに顔をしかめながら、歯を食いしばって身構える。拳が握れない状態だったが、父に隙を見せたくはなかった。
 「良く分かったな。」
 しかし水虎は追い打ちを掛けることもなく、ソアラを見つめてニヤリと笑う。
 「いま俺は何の前触れもなく、殴りつける瞬間だけ力を高めた。分かってなきゃ反応できないはずだが、しっかりと守ったじゃないか。」
 「勘だよ。あたしだって長いこと色んな相手と戦って来たんだから。経験からピンと来るの。」
 「それが特別な能力だとは思わないのか?」
 その言葉にソアラの時間が止まった。
 「!」
 隙を突いた水虎に後ろへと回り込まれ___
 「あがっ!」
 背中に強烈な蹴りを食らう。しかしソアラは壁に叩きつけられる前に体を捻って、床を跳ねながら水虎に向き直った。慣れてきたのだろうか、先程まではできなかった動きができるようになっている。
 「騙し打ち!?きったないの!」
 食ってかかるだけの余裕もあった。しかし水虎は笑顔だったのに、なぜだかソアラは急に真顔になり、寂しげな目をした。それに気付いた水虎もまた、笑みを消した。
 「紫竜。」
 「___」
 そしてソアラを呼ぶ。
 「いま聞こえたとおりだ。」
 「もうおしまいなの___?」
 ソアラは潮らしく問いかける。その言葉を聞いて水虎はしばし目を閉じると、快活な笑みを見せて娘へと近寄っていった。
 「紫竜、おまえが聞いた言葉を教えてくれるか?」
 娘の頬に手を添えて、水虎は尋ねる。しかしソアラは小さく首を横に振った。
 「どうして?___嫌だよ___」
 「大事なことなんだ。聞かせてくれ。」
 「レッシイの声だった___楽しいのは分かる。でも遊んでいられるほど時間はないんだよね。外に出たときに後悔させたくなければ、そろそろ切り上げて欲しい___って。」
 言うほどにソアラは俯き、声は小さくなる。水虎はその一言一言に頷いて、やがて彼女が言い終わると、大きな手でポンッと頭を叩いた。
 「気付いていないだけだ。おまえは立派な妖魔だった。」
 「え?」
 「まだ力を使いこなせているとは言えないが、おまえはちゃんと能力を持っていた。」
 「___意味が分からない。」
 「本当にそうか?」
 水虎はソアラの頬を両手で抱いて、顔を上げさせる。吐息の掛かる距離で、父と娘は見つめ合った。水虎は娘の美しい紫の瞳に心を吸い込まれるような気がした。一方のソアラは水虎の瞳の中に小さな紫色を見つけ、体が総毛立つような感覚に襲われた。

 「おまえの能力は、魂への干渉だ。」

 水虎は口を動かさなかった。しかしソアラにははっきりとそう聞こえた。彼の瞳の紫の部分から、言葉が流れ込んできたようだった。
 「これはおまえたちの得意な魔力による伝達や、特殊な能力者の疎通とは違う。いまおまえは俺の魂と会話している。おまえがその気になれば、俺が伝えたくないささやかな感情まで読むことができるはずだ。」
 水虎は語らない。ただ瞳と瞳で二人が結ばれ、思いが直にソアラに伝わるだけ。
 「おまえが教えようと思えば、おまえ自身の意志を俺に注ぐこともできるだろう。それはつまり、おまえは相手の動きを読むだけでなく、無意識のうちに自分の思いに沿って相手を誘導することもできる。それがおまえの能力だ。」
 その意志を伝えた直後。
 「これでお終いなんて嫌だ___もっと父さんと話がしたい___」
 思念の末尾を重ねるようにして、ソアラの思いが水虎に流れ込んだ。
 「父さんと母さんの思い出を全部知りたい___」
 「あたしのことも知ってほしい___あたしの子供たちのことも___」
 「父さんと___もっとずっと一緒にいたい___!」
 いくつもの思いが水虎の胸に二重三重に響き渡り、彼を身震いさせた。娘の寂しさ、愛しさを感じながら、その思いの強さと、その願いを断たねばならない状況に、彼は臆した。
 「紫竜。」
 思念の坩堝から脱するべく、彼は声を出した。
 「おまえの能力は不完全だが、使い方次第で魔性の武器になるし、この世界を救う力にもなる。俺たちはおまえに何もしてやれない駄目な親だったけど、今こうして出会えたことを本当に嬉しく思ってるよ。」
 そしてソアラを抱き締める。十秒などというルール無しに。
 「___父さん。」
 「紫竜___いやソアラ。俺の娘ソアラ。そして俺たちだけの紫竜。おまえを紫竜と呼べるのは俺と寧々だけだ。」
 「___」
 ソアラは泣いていた。別れがすぐそこまで迫っていると分かった。肌を触れると父の思いが直接流れ込んでくる。それは父がこれまで見てきたものの全てであり、魂の一生である。
 「これは別れじゃない。これからはずっと一緒だ。」
 「うん___」
 やがて水虎の体が紫色に煌めくと、光はソアラの体へと溶けていく。そのまま水虎の体は色が薄らいでいき、やがて全てが紫の光となってソアラの中に溶けて消えた。
 同時に、鏡の間を囲んでいた陣も消える。
 「私たちは剥き出しの魂。肉体は飾り物だから、あなたに溶けることができる。」
 寧々ことネメシス・ヴァン・ラウティは落ち着いて、しかし凛々しい面もちで言った。
 「あなたの力、彼は魂の干渉と言ったけど私はその先、支配にまで達する力だと思っているわ。つまり、あなたが健全であれば悪しき魂はあなたの干渉により浄化され、あなたが憎悪に落ちれば清き魂もあなたの干渉により悪の道へと落ちる、そういう能力だと思うべきよ。」
 「はい。」
 「よろしい。」
 ネメシスはソアラに近寄る。しかし笑みはなく、ソアラもまた彼女の言葉を背を正して聞いていた。
 「あなたと共に歩んできた人々は、あなたに少なからず影響されながら、しかしそれを恐れない優れた魂の持ち主。そして___あなたがこの契りを結んだ人は、きっと他の誰よりも強い魂の持ち主。」
 ようやくだった。ネメシスはソアラの左腕に触れて彼女を見つめると、翳りを消して優しく微笑んだ。
 「今までよく頑張ったわね。でもまだこれから___これからが本当の勝負所よ。うん、大丈夫。紫竜ならできるわ。私たちの___紫竜なら___」
 母の微笑みはソアラにとって何よりのご褒美だった。今までの全ての苦労への報いとなる大いなる福音だった。やがてソアラは母に縋り付き、本当に子供のように、声を上げてわんわんと泣きじゃくりはじめた。
 それは最上の幸福だった。

 最後の場所へ、ソアラは一本道を光の射す方へと進んだ。途中でまた力が削り取られたが、かつてフュミレイがそうだったのと同じように、無反応で進むだけだった。
 鏡の間はそれほどに人の精神を成長させる。さらにソアラは肉体的にも大きく成長した。セティに竜の使いとしての飛翔のきっかけを与えられ、両親には妖魔としてのイロハを学んだ。あとどれほど力を削られようと、ソアラは気にもとめなかっただろう。
 「グゥゥゥルルル___」
 地鳴りのような声が響く。それはソアラが部屋へと辿り着く前から、威嚇するように唸った。
 「グゥァァアアォォッ!」
 熱風が吹きつける。景色が開けた瞬間の洗礼だったが、ソアラは涼しい顔でいた。ドラグニエルのエレクが淡く光り、熱風を彼女に触れさせなかった。
 フュミレイの時とは違う。出迎えたのはあの時と同じく巨大なドラゴンだったが、圧倒的な強者だったはずのドラゴンは、ソアラの接近を感じるなり彼女を揺さぶろうとした。しかし何一つ成功していない。篝火に照らされてオレンジに煌めく鱗も、ソアラの五倍はある身の丈も、ほんの小さな紫色に塗り潰されようとしている。
 「ガァァッ!!」
 ドラゴンの口から炎が広がり、飛び退いたソアラに巨体とは思えないスピードで爪が襲いかかる。爪だけで彼女の半身ほどの大きさだったが、それはより小さな竜に簡単に食い止められた。ソアラの手は竜の使いのそれに変化していた。力みもなく、ごく自然な変化だった。
 ゴバッ!
 手は巨竜の爪を罅入らせ、砕いた。
 「ギィアア!」
 それでも怯まず、竜はその大きな口の喉奥を輝かせる。
 ドンッッ!!
 至近距離から、ソアラに壮絶な波動が放たれた。巨大な光の渦はソアラの体を捉えたかに見えたが___
 「!」
 光はソアラの両手に受け止められていた。
 「はぁぁぁっ!!」
 気合一閃。ソアラは巨大な波動を両手で押しつぶしていく。驚愕している巨竜の目前で、巨大な波動のエネルギーは猛然と弾け飛んだ。
 ゴォォォッ!!
 衝撃がファルシオンの洞窟を揺さぶった。飛び散った力は巨竜の体を浮かび上がらせ、部屋の奥殿まで吹っ飛ばした。凄まじい爆風が収まったとき、部屋を照らす篝火は全て吹き飛び、ソアラの黄金の光が皓々と辺りを照らしていた。
 「もういいよレッシイ。」
 ソアラは壁にめり込んだ体を引きはがそうとする巨竜にそう言った。
 「ありがとう。あたしこっちに来てから泣いてばかりで、もう涙も枯れたと思ってたけど、さっきは今までで一番泣いたわ。それもすごく幸せな涙だった。おかげで強くなれたよ。」
 巨竜は動きを止めた。しかし威嚇するような恐ろしい顔つきは一向に変わらなかった。
 「レッシイ___」
 「あたしの心に気安く触れるな。」
 変わりはじめたのは体だ。竜は朧気に輝きはじめると、その体を縮めていく。
 「人の覚悟を覗き見たり、書き換えたりするのが妖魔の能力だっていうなら、あたしはおまえを否定する。」
 そして巨竜はレッシイその人の姿に。それも、かつてアポリオの中で見せつけ、さきほどセティが示した竜の使いの真の姿に変わった。セティよりも猛々しく、闘志に満ちあふれた戦士の姿がそこにあった。
 戦いたくない。
 図らずともレッシイの真意を知ってしまったソアラはそう願った。しかしそれは孤高なる魂に簡単にはねつけられた。
 「さあこい!あたしの命とファルシオンを奪い取って見ろ!そして完璧な戦士になって___絶対にGに勝て!!!」
 レッシイの叫びの前には、どんな干渉も及ばなかった。なにより彼女の、数千年の雌伏の時を、抱き続けた覚悟を、願いを、踏みにじるのは許し難い行為にも思えた。覚悟とは覗き見たり、小手先で気安く触れるものではない。全身に迸り、全身で感じ、受け止めるものだ。いまのレッシイのように。
 『ソアラ、戦え。偉大なる戦士の妹と、我が弟のために。』
 エレクが言った。ソアラの変化が手だけに留まらず広がるまで、もうわずかな時間も掛からなかった。




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