2 完璧な戦士
全身全霊とはいうけれど、そこで発揮される力の極限を正確に計れる人などいない。でもだからこそ、次こそはの思いが湧いてくるのだ。そして先に辿り着いた人がいるのなら、自分にもできるはずだと思うこともできる。
ただ例えば人種であったり、あるいは男女であったり、もともとの能力の限界値には差がある。できるかできないかは、それをやることで生命としての機能が失われるなら、できないと言わざるを得ない。
アイアンリッチにできなかったことをバルカンが実現しようとしているのも同じ。「器の差」は必ずある。ただ純粋なる竜の使いか、竜の使いと妖魔の混血か、どちらが上かはまだ誰も試したことがない。
可能性を否定することはないのだ。例え見栄えは悪くとも。
セティの手が、竜となってソアラを襲う。しかしソアラも真っ向から抵抗すべく、己の竜の手を合わせた。二つの竜が噛みつき合うように交わり___
ゴガッ!!
セティがソアラを食らった。片方の竜がもう片方の竜の口をかみ砕いたのだ。
「だあっ!」
しかしソアラは顔を歪めることもなく、両手を食らわせたまま飛び上がってセティの胸を蹴りつける。
「ああああ!」
気合いとともに蹴りのラッシュ!最初は胸、でもすぐに顔に照準を移して蹴りを連打する。だがセティは下がらないし、食われた腕を引きはがすこともできない。数では駄目だと感じたソアラは、両足で渾身の蹴りをセティの鼻面へ!
バンッ!!
そこでセティの手がソアラを放した。そして揃った両足を万力のようにして挟みつける。ドラグニエルに鱗の爪が生えただけのソアラの足先は、セティの鼻に触れないすれすれで黄金のオーラに止められていた。いや、セティの綺麗な顔を見れば、そもそもこれまでの蹴りも当たってはいなかったのだろう。
「光のブレス。」
「う!?あああああっ!?」
セティの両手から白い炎が吹きだした。普通の炎とはわけが違う、輝きの強さからして超凝縮された熱の塊といった様子だった。食らいついているのはソアラの足首。ドラグニエルの靴も、ソアラの黄金のオーラも、まとめて焼き尽くしていく。
「竜波動!!」
しかしセティは隙だらけ。ソアラは傷みに顔を歪めながらも、セティに両足を掴まれたまま上半身を持ち上げて黄金の波動を放つ。床に散らばった鏡の欠片が光を散らし、部屋一杯を目映く照らす。
「それで?」
しかしセティは涼しい顔だった。波動には確かに手応えもあったのに、彼女の顔に煤一つ付けることもできなかった。しかしソアラは愕然とはしていなかった。
「エクスプラディール!!」
次に放ったのは呪文だった。セティは片手を放し白熱球を後ろへと弾き飛ばそうとする。しかし同時にソアラの靴のつま先から練闘気が槍の鋭さで彼女の喉笛を狙っていた。
バンッ!!
セティがソアラの足を放した。投げ捨てられた彼女の体は壁に激しく激突する。しかし背中の痛みよりも重篤なのは足だった。肉が焼き尽くされた足首に力が入らず、ソアラは壁にしがみつくようにして体を支えていた。
何も諦めてはいない。しかし彼女は忌々しげに首を横に振った。
(駄目だ___これじゃあ!)
「駄目ね。」
セティはソアラの心を読み透かしたかのように言った。傷はまだ無い。
「ライディアの事を思い出してごらんなさい。」
「___分かってるわ。同じ質の力のぶつかり合いでは、ダメージが相殺される。地界でライディアと戦ったときに実感したあれと同じよ。あたしの竜波動があなたに全く効かなかったのは、あなたが纏うオーラと同質の力での攻撃だからよ。だからあたしは質を変えた___」
「でもそれは私に劣ることを認めたも同じ。あなたの攻撃は効かないのに、私の攻撃が効いている。だから駄目、分かるかしら?」
ソアラは頷き、壁から手を放した。力の入らない足、惨たらしくくすんだ肉から血が染み出していたが、彼女は自分の足で立つことにこだわった。少しよろめきながらも、自らの足で身構えたのは、セティに己の強さを示したいという意地だった。
「心は良し。でもそれで戦える?」
ソアラの戦いの意志に、セティは答えることにした。そして真の竜の使いの猛攻が始まった。
ソアラは完全に防戦一方だった。しかし耐えた。レッシイと戦ったときも「同質の力」であることに違いはなかったはずだ。だがあのときは全く手も足も、抵抗さえまともにできなかったのに、今は黄金の輝きに集中することで多少なりともセティの攻撃に耐えられる。
「うあっ!」
だがセティの攻撃は徐々に激しさを増す。最初は握り拳の打撃だったのが、指を開いて食らいつくようになり、肘や膝の剣竜の棘や、陸竜の蹴爪で切り刻むようになる。
(反撃しないと___!)
足を潰されたソアラは瞬発力に乏しく、壁を背にしながら僅かな隙に体を横にずらすことしかできない。敵の攻撃が激しさを増すに連れ、ソアラの意識は攻めに転ずる。しかし、猛攻の中でセティにどんな攻撃が通用するのかを考えると、頭は混沌とするばかりだった。
「加減しているのよ?」
リングサイドに追い込まれ、いつタオルが投入されても不思議でないような有様。反撃の糸口も見出せないソアラに、セティは足を振り上げたまま憮然として言った。
「必要ない___全力できなさいよ!」
「そう。」
足が飛ぶ。側頭部目がけて放たれたキックを、ソアラは腕でガードした。しかし陸竜の重厚な足はソアラの腕を軽々とへし折り、頭を打ち抜いた。吹っ飛んだ彼女は円形の部屋の壁に二度三度とぶつかって、部屋の反対側で紫色に戻って倒れた。
ガードに使った左腕は関節が二つ増えたようにねじ曲がり、髪と床はみるみる赤く染まっていった。
「不甲斐ない___レッシイ、これがあなたの希望なの?」
セティは吐き捨てるように呟いた。追い込まれたとき、戦士は覚醒する。セティにしてもかつてはそうだった。傷つきながらまた立ち上がり、強くなってきた。自分の姿を重ね合わせてしまうから、彼女はピクリとも動かずに寝転がっているソアラの姿に忌々しさすら感じていた。
「ほんと___こんなに駄目だと思わなかった。」
無理矢理立ち上がらせるつもりで近づこうとしたセティだが、思いのほか明朗な声に足を止めた。
「ちょっと考えすぎたのよ。びびりすぎってとこかしら___」
ソアラは健常な右腕を張って立ち上がる。左腕はダラリと垂らし、顔を上げれば蹴りを食らった左の側頭部から顔にかけて真っ赤に染まり、左は眼球すら赤に変わっていた。
「でも食らってて分かった。あたしの攻撃も負けてないって。」
そのとき、ソアラの体が白い霞に包まれた。暖かな蒸気のようなそれは、ソアラの体の内側から沸き立っているかのようだった。そして___
「傷が___!?」
セティを驚かせた。ソアラの体を蝕む深い傷の数々が、見る見るうちに塞がっていくのだ。左目の血が消えた頃には、彼女の体は精悍さを取り戻していた。
「あたしね、結局七年かけても自分の妖魔の能力って分からなかったの。」
ソアラは言った。傷は癒えても、彼女は紫のままでいた。
「目覚めるきっかけとか、そういうのって分からないのよね。バルバロッサは生まれたときから能力者だし、竜樹に聞けば参考になるかと思ったけど話してる時間もなかったし。」
しかしその両手だけが黄金のオーラを纏いはじめる。
「でもね、もしかしたらあたしの場合、この器用さとかが能力なのかなって思ったりするんだ。」
「!」
そして紫のまま、両手だけ竜に変わった。今のソアラの全力を、彼女は手だけに表したのだ。紫のソアラが手だけを輝かせる姿は、どうにも奇妙だった。
「馬鹿げている___」
器用だから何だというのだ。腕だけ輝かせたところで、何も変わってはいない。最初少しだけ面食らった自分に腹立たしさを覚えながら、セティの全身が波動に包まれる。
「傷はどうやって癒したの?」
「アポリオの温泉。ドラグニエルにタップリしみこませて渇かして、それを何度も繰り返して治癒効果を加えたの。レッシイのアイデアよ。おかげでエレクは水っ腹。」
『だが今の治療でほぼ使い切ってしまった。』
「ちょっと!そういうこと言わない!」
「はじめから様子を見るつもりだったと___」
セティはもともと凛々しく、馴れ合いなどない真剣勝負を挑んでいた。だが加減もしていたわけで、まだ全力ではなかった。しかし今はより張りつめた、獲物の急所を見つめる竜と変わらぬ目をしていた。
「なら、様子見の成果を見せてみるがいい!」
静かな輝石だったセティが黄金に燃え上がった。全身から抑えどころ無く溢れ出した輝きは、大気を嵐に変え、散らばった鏡の破片が一気に吹き上げられた。
「エレク!!」
ソアラが叫ぶ。それに呼応して、ドラグニエルの竜が輝く。しかしソアラ自身は未だ紫のまま、ただ両手の黄金だけが輝きを際だたせていった。
「ああああああああ!!」
鏡の嵐の中で、ソアラの両腕が燃え上がる。その光の強さはセティの視線をきつくさせるほどだった。
「___この力は!?」
だが彼女はすぐに目を見開いた。ソアラの両腕に迸るエネルギーがそうさせた。
「!」
その時、ソアラが飛んだ。両手の炎が手の中へ吸い込まれるように消え、両手が象る竜をより神々しく変えた瞬間だった。彼女は弾けるように動き、そして___
ゴッ!
セティの胸に拳を沈めていた。
「ぐぁっ!!」
セティが喘いだ。ソアラの拳は真の竜の使いのオーラを貫き、竜の甲殻に守られた胸に深く抉り込んだ。さらに___
「はあああ!」
光の竜はセティの頬へと襲いかかった。揺らぐことすらなかったセティの体が弾かれた。吹っ飛ばされた彼女に追撃をかけるソアラだったが、セティは尾で床を打って体を回転させると、ソアラに向き直った。
ガギッ___!
二つの竜が食らいあう。二人は再び両手を合わせる形で止まった。
「力を隠していたの___?」
セティの口から血が滴った。
「まだこの先があるからね。でもやっぱりあなたより強い相手が出てくると思えないから、玉砕覚悟で必死の大技よ。」
二つの竜は真っ向から食らい合う。先程はあっけなく砕かれたソアラの手だが、今回は拮抗するどころかむしろ押していた。
「両手だけに力を極限まで集中させているのね?」
「そういうこと。七年間いくら頑張ってもあなたみたいな姿になれなかったから、今できる変化で最大限に力を発揮する方法も探してみたの。そうするうちに竜の力のコントロールが少し分かって、それからは結構簡単。ただこれやると反動がね。」
「___それはお互い様よ。」
「え?」
ゴッ!!
セティの手が大きくなった。ソアラと同じく両手に力を誘導することで、手は巨大な竜の頭のようになり、そのままソアラの腕に食らいついた。腕を押しつぶす勢いだったが、ソアラの変化は肘から肩にまで広がっていた。ドラグニエルの袖は地肌に溶けて、竜の紋様を浮かび上がらせている。
「なに___?」
ソアラの変化に目を奪われ、セティは動きを止めてしまっていた。ソアラの手はセティの巨大化した手の中に。
「肉を切らせて骨を断つ!!」
次の瞬間、竜の頭を突き破り、目映い光が弾け飛んだ。その一撃でソアラとセティの体は離れた。ソアラは両手から残光を迸らせ、セティは両手を砕かれていた。
「やった!」
いわば敵に銃口を食わせて放った一撃は、竜の頭を内から粉砕したのだ。ソアラは自分にできる最大限の力を込めた竜波動、それを魔力を集中するのと同じ要領で極限まで凝縮し、セティの手の中で放った。
同質の力でセティを上回ったソアラ。竜波動の弾丸は彼女の手を砕き、胸に鎮座する竜の甲殻にめり込んで拉げさせた。セティの胸、胸骨の辺りは粘土に金槌を落としたかのようにベコリと凹んでいた。
「ぐっ___ううぅっ!」
だが先に呻いたのはソアラだ。手から光が消し飛び、変化していた肩口の辺りまで、皮膚が破れて血を噴いた。とくに両手は一瞬で真っ赤に染まるほど、大量の傷が開いていた。
「変化は___」
セティが語りかける。ソアラはすぐに気丈な顔となり、赤く染まった腕をそのままにセティを見つめた。
「できたのね?」
「初めてよ。追い込まれたら変われる気がしたの。」
それはソアラの腕のこと。彼女は本当にここまで、手の変化しかできていなかった。それがあの瞬間、なぜだろうか腕まで変われるイメージが湧いたのだ。もしあの時、腕が真の竜の使いのそれに変わらなかったら、セティの巨大な竜に食いちぎられていただろう。
「気付いていた?足も変わっていたわ。」
「え!?」
ソアラは慌てて足を見るが、いまはいつもの彼女の足だった。
「フフフ___」
そんなソアラの姿を見てセティは微笑む。もう戦意は消えていた。全身から光が消え、素敵な女性の姿に戻ると、今度は体中に傷が走って血が飛び散った。
「セティ___!」
ソアラは慌てて駆け寄る。崩れ落ちるセティに手を伸ばして触れようとしたとき___
ガッ。
最初の竜の使いは立て膝に踏みとどまり、ソアラの手を握った。先程までの食い付き合いとは違う、優しさと儚さと、なによりも強い願いの籠もった握手だった。
「セティ___」
そのとき、ソアラは直感的に思った。この人は確かにすでに死んでいる。しかし彼女の魂は朽ちていない。これは彼女の温もりそのものであり、力であり、意志である。いま彼女は魂の死を迎えようとしている。そしてその力を私に託そうとしている___と。
「分かるのね、凄いわ。」
セティはソアラの表情から、彼女が自分の願いを読んだと気付いた。まるでオルローヌのように、無意識に心を見たのだと。
「会えてよかった。あなたになら安心して任せられる。私を___あなたのきっかけに___そして世界を___」
胸の窪みが耐えかねるようにして背中へと破れた。それと同時にセティの体は七色の輝きに変わり、ソアラへと流れ込んでいく。ソアラはセティの手を握った姿勢のまま静止して、彼女の温もりを見つめ続けていた。
『見事だ。だがまだ終わりではない。』
七色の輝きが消え、鏡が割れる。それでも動かなかったソアラにエレクが声を掛けた。
「___ちゃんとお礼も言えなかった。」
『彼女はいまおまえの中にいる。礼はバルカンを倒してからで十分だ。』
コツッ___
エレクの言葉に重なって、後ろから靴の音がした。ソアラは姿勢を戻して振り返る。
「じっとしていなさい、まずは傷を癒します。」
そこにいたのは女性だった。初めて合う、しかし顔は記憶に焼き付いている。像がぶれないようにと、長いこと見つめ続けていたのだから間違いない。
『___竜の使いか?』
エレクが呟く。だがソアラは答えなかった。唖然とする視線の先で、黄金の髪をした女性が回復呪文を唱え、癒しの力がソアラを包む。
『ソアラ?』
微動だにしないソアラを異常に思ったエレクは、問いかけと同時に装束を少し締める。するとようやく彼女の目に力が戻り、それと同時に潤いに満ち満ちていった。
「かあ___さん___」
『なに?』
「あの人___あたしの母さん___!」
腕の傷があらかた消えていく。しかしそんなことよりも、ソアラは目の前に立つネメシス・ヴァン・ラウティの姿に夢中だった。体は極度の緊張で思うように動かなかった。
「ようし、そんなもんでいいだろう。寧々、こっちの壁際に寄ってろ。」
今度は横から男性の、張りのある力強い声がした。ソアラは肩を竦め、恐る恐るそちらを振り向いた。そこには筋骨隆々とした大男が一人。彼の前髪は紫だった。
「よう、俺の娘。いい女になったじゃねえか。俺がおまえの父親、水虎だ。」
水虎は白い歯を見せ、豪快に笑った。
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