4 世界の命運

 バルカンはまたも革新を遂げた。追い込まれれば追い込まれるほど、傷つけば傷つくほど、彼は生まれ変わり、究極へと近づいていく。
 顔はバルカンだが、体の大部分が変わった。まず何よりも、大きくなっていた。身の丈は長身なバルバロッサの倍以上ある。ダイヤのように煌めく美しい嘴、長くせり出した後頭部は七色の飾り羽で彩られ、瞳は金色に輝いている。力強い首から胸は隆々とした筋骨と、肌には牙のごとき鋭い突起が並び、みぞおちには進化してもなお無限の紋様が鎮座する。両の腕からは羽毛が消え、しなやかな流線を描くが、所々穴が開いていた。そこからは七色の波動が揺らめきながら流れている。強靱さを増した脚は、宙で大気を踏みしめる。巨大な翼はもはや風を掴まえるためではなく、威厳を示すためと戦いのために存在している。それは羽の一つ一つが名匠の作る剣の輝きであることからも明らかだった。
 『フゥゥゥゥルルルル___』
 長い息を付くだけで、熱気と冷気が入り乱れ、大気に雪の結晶を生んでは燃やしを繰り返す。しかし、その瞳は虚空を見つめ、まだ焦点が定まっていないようだった。
 「ぅ___ぁ___」
 鳥に化けることのできない棕櫚は、翼の生えた獅子に化けていた。黄泉の怪獣の一種である。その背でフローラはただただ呆然としていた。辺りの熱と恐怖が言葉を許してはくれなかった。
 「___凄い___」
 竜樹は花陽炎で身を守っていた。もう盾の力は必要ないのに、彼女は解くことを忘れていた。
 「___」
 バルバロッサはいつも通りの無言だった。足場であった神殿が完全に崩壊し、周囲の大気が燃えさかろうとも、彼はいつもの彼だった。
 「うぅ___」
 「無理するな。」
 ミキャックは前方からの強烈な存在感に恐怖しながらも、神殿崩壊の瞬間に飛べないライとアレックスを抱えて舞い上がった。灼熱はブラックが邪輝を放って可能な限り防ぎ、今彼は衝撃に体を痛めたミキャックを気遣った。
 「棕櫚!」
 彼はバルカンを見ようともしない。必要以上に恐れることもなく、棕櫚を呼びつけてライをその背へと移す冷静さだった。しかしそうすることで、手を取り合えた夫婦は落ち着きを取り戻し、ブラックに肩を抱かれたミキャックも少なからず安寧を得た。
 (___もしかして本当に___)
 ブラックの手。冷たいその手に生命の温もりはない。だからミキャックは、疑問を抱きながらも質問を躊躇った。
 「みんな落ち着け!見た目も気配も別物だが、力の総量はもとのバルカンと大差ないはずだ!それを忘れるな!!」
 その立ち居振る舞い。年長者であった男が、本当に大事な場面だけで見せる顔。ソアラも、百鬼も、ライも、フローラも、棕櫚やバルバロッサまで、道に迷ったときに正してくれるのはいつも彼だった。少し離れて見ながら、ご都合主義を気取りながら、大事なときには必ず頼れる柱となってくれた。
 (あたしは___これが好きだった___)
 肩を抱かれたまま、ミキャックの手はアヌビスの仮面に触れようとしていた。
 「やめてくれ。これを取られるとまた死んじまうんだ。」
 手が止まる。しかし「また」という言葉が彼女に確信させた。指先は小刻みに震えていた。だが、それ以上問う時間はもはや残されていなかったのだ。
 「く、来るぞっ!!」
 竜樹が叫ぶ。その時、バルカンの瞳が意志を持ってこちらを見た。

 「___」
 世界の中心で、ルディーは落ち着かない様子だった。彼女は十二の岩が等しく円を描いて並ぶ場所の横で、母とその連れが戻ってくるのを待っていた。どの程度の時間が掛かるのか、レッシイは「分からない。でもあまりに時間が掛かるようなら良い結果じゃない」と言っており、余計にルディーをヤキモキとさせていた。
 「___でも、あたしも頼りにされてるんだから。」
 だが彼女は残らねばならなかった。それは彼女の呪文にある。人をターゲットとした転移呪文を修得しているルディーは、ソアラが正確に仲間の居場所に最短距離で戻るために、どうしてもこの場に残る必要があった。先に戻りたくなる衝動を抑えるために、彼女は何度も独り言を呟いた。
 その時である。
 「!」
 指先に痺れが走った。それは魔力の網に虫が掛かったことを意味する。この場に侵入者があったときの排除も彼女の重要な務めだ。周囲の大地に魔力の糸を走らせて、敵への探知機としていた。
 (どこから___?)
 しかし侵入者の感覚はあったのに、その後の気配が感じられない。
 「なら___!」
 ルディーは黄金の輝きに身を包む。それに呼応して、魔力の糸も黄金に輝く。それは一帯を照らすだけでなく、糸が魔法陣のような形で結ばれていることを明らかにする。
 「ホーリーブライト!!」
 聖なる輝きが魔法陣に沿って立ちのぼる。白い柱となって、邪を滅する結界を作り上げる。それは竜の使いの力を内包し、邪悪な侵入者を洗い出し、滅し、封じる効果を持つ。
 「!?」
 だが洗い出したことで動揺したのはルディーのほうだった。立ち並ぶ剣山岩の向こうで掴んだ侵入者の輪郭は、まさにバルカンそのものだったのだ。
 『セサストーン。』
 その言葉で、状況は一変した。光の柱は、内側に現れた小さな赤紫の三角柱に消し飛ばされた。柱の中に閉じこめられたルディーの力が断たれたからだった。
 『ファルシオンか。使い手一人ではGを倒すには至らぬ武器だが、私にとっていずれ目障りな存在にはなるだろう。』
 バルカンが現れる。金属質の体は、革新を遂げる前のバルカンだった。
 『良い獲物が掛かった。ここで君を殺し、今度はこの十二の岩を取り囲むように、大きくセサストーンを張ろう。』
 「ふ___ざけ___!」
 竜の使いの輝きは消し飛ばされている。しかしルディーは歯を食いしばり、神の牢獄への抵抗を試みた。
 「るな___!」
 『!』
 そして僅かだが黄金に輝いたかと思うと、赤紫の中に糸くずのような微細な黄金を残して明滅する。バルカンは少しだけ驚いた顔をして、その後は軽蔑とは少し違った目つきでルディーを観察していた。
 『なるほど、君たちも進化するのか。いや、進歩かな。何度かセサストーンを見たり経験することで、感覚的に対処法を編み出そうとしている。君は天才肌だな。』
 そう語りながら、バルカンは右手の指をルディーに向ける。途端に、鋭い爪が槍のように真っ直ぐに伸び始めた。
 『試してみよう。これが君の心臓を貫くまでに、セサストーンを克服できるかどうか。』
 爪は一定の速度で、早くも紫の三角柱に入り込む。ルディーはひたすら黄金の明滅を繰り返す。だがそれ以上のことはできない。無理は体を痛めつけ、関節が捻れ、口元からは血が流れていた。そうこうしている間に、槍は彼女の胸へ___
 『!』
 届いた瞬間、セサストーンが消えた。基点の一つが破壊されたのだ。そしてルディーは___
 「竜波動!!!」
 特大の黄金を放った。朝のファルシオーネが目映く輝く。だがそれは清々しいものではなく、ファルシオーネの象徴たる剣山岩を根こそぎもぎ取る破壊力だった。
 しかし、それは一瞬の抵抗。黄金は、新たな赤紫の柱の出現で断ち切られた。本当に一瞬の抵抗だった。
 『見事だ。』
 胸から上を消されたバルカンは、口まで再生すると同時に言った。今度のセサストーンはより大きかった。
 『君は確信を持ってセサストーンを攻略した。一瞬の抵抗を繰り返しながら、自らの力を凝縮し、極細の糸くずにして基点まで飛ばしていた。それで基点の一つを破壊したのだ。しかも私をギリギリまで引きつけ、回避を許さなかった。実に見事だ。』
 バルカンはこれ見よがしに拍手する。だがそんなものは皮肉でしかない。彼はルディーがセサストーンを破る可能性を考慮して、すでに一帯に無数の基点を作っていたのだ。同じ方法でルディーが脱出しても、別の基点を結んで新たな牢獄を作り続けるだろう。
 要するに遊ばれていたのだ。
 「___」
 馬鹿らしくなって、ルディーは輝くことをやめた。ただ最大限の憎しみを込めて、バルカンを睨み付けた。
 『潔いな。覚悟に免じて、簡単に殺してやろう。』
 今度の爪の槍は五本。しかもルディーの急所に向いた瞬間、躊躇い無く一気に伸びる。
 (お母さん___!)
 若くして気丈である。しかし最期の瞬間、ルディーは目を瞑って母に叫んだ。

 「大丈夫だ。」

 「え!?」
 良く知った声が聞こえ、ルディーは目を開けた。
 ズッ___
 「!!?」
 目の前では、バルカンが切り刻まれていた。最初に縦に真っ二つにされただろう体は、さらにタマネギの微塵切りのようにバラバラに破壊されていた。
 「邪輝。」
 その肉片群を、黒が飲み込む。漆黒に所々藍を散らした破壊の力は、バルカンの肉片の全てを炭へと変え、微塵も残らず消滅させる。一切の再生を許さない、完膚無きまでの滅殺だった。
 「よう。」
 黒い炎が消えると、その後ろから現れたのはやはりアヌビスだった。
 「危ないところだったな、生意気な嬢ちゃん。」
 彼はセサストーンに捕らわれたままのルディーを見て、面白げにニヤニヤと笑っていた。ルディーは再び敵意の籠もった目を取り戻し、黄金の明滅をはじめる。
 「あー、無理するな。俺はソアラの邪魔をしに来たわけじゃない。あいつが出てくるまでここで待たせてくれ。それと、おまえはそのままセサストーンの中にいろ。無理に出ようとしないほうが身のためだぞ。」
 「何が狙いなの!?」
 「楽しむこと、それだけだ。」
 アヌビスは先程よりも無邪気に笑ったかと思うと、その場に腰を下ろした。
 「リュカは!?」
 「まだ戦ってるんじゃないのか?無事かどうかは知らないよ。たださっきの奴の余裕からして、バルカンは生きてるだろうな。」
 「そんな___!」
 「無理するなって、おまえはおまえの役目があるんだろ?ソアラが出てくるまでは手伝ってやるから大人しくしてろ。」
 神出鬼没なアヌビスを信用することはない。しかし今はこの男に殺される恐怖と無縁なのも確かだ。それがこいつの手口なのだろうけど、今はそれでいいと納得するしかない。そんな事を思いながらルディーは暫く黒犬を睨み付けていた。しかしやがて別のことを考えはじめた。
 (さっきの声___)
 母に祈ったときに聞こえた声は、アヌビスのものではなかった。彼女がもっと良く知る、そして大好きな男性の声だったのだ。
 (父さん___?)
 そう、ルディーは確かに百鬼の声を聞いた気がした。自分の無意識がそう聞かせただけかも知れないが、その一言で計り知れないほど穏やかな風が胸に吹き込んだようだった。
 (父さん___)
 セサストーンの中は、自由はないが、完全に身を任せればそれほど居心地も悪くない。そう気付くと、ルディーの視線は自然にアヌビスから外れ、頭の中は父の思い出で溢れかえっていった。

 「見ろ。」
 オコンが下を指さす。虚無に囲まれた場所の森が、急速に朽ち始めていた。
 「これは___?」
 リュカが問う。良い返事が期待できないからだろう、彼は眉をひそめていた。
 「エコリオットが敗れたのだろう。」
 「バルカンは___?」
 「敗れたというのは相討ちではない。」
 リュカは押し黙った。自分の無力に嫌気のする思いだった。しかし壁に竜波動を放っても、衝撃無く消えてしまうだけというのはもう分かり切っていた。
 「リュカ、俺の命を継ぐつもりはないか?」
 唐突に、オコンが言った。
 「おそらく、いま残された十二神は俺とバルカンだけ。外の連中では、六割方Gに届いたバルカンに勝利することはできないだろう。まして、今のバルカンは肉体だけでなく、エコリオットの精神も克服したはずだ。先程までここで戦っていたバルカンとは、ものが違う。精神が成熟すれば、発揮される力の限界値は飛躍的に向上するからだ。」
 「戦ってみなきゃわからないよ。」
 リュカは落ち着いていた。オコンの提案に驚いた顔をしたのは一瞬で、それからは半ば辟易とした様子でオコンをあしらおうとしていた。
 「別々では駄目だ。しかし、俺と君が一つになれば勝てる。自信を持って断言できる。なぜなら君はすでに俺よりも強いからだ。」
 「そんなこと無い。」
 「いや、恥を忍んで言うんだ。俺は仲間を四人も手に掛けたのに、結局君の母さんよりも弱かった。たったの七年で、ソアラは俺たちの数千年を超えてしまった。それは君とルディーにしても同じ事だ。こんな事を言うのは、殺してしまった仲間たちにあまりにも申し訳ないんだがな___」
 「___」
 「リュカ、竜の使いの力は女性にしか発現しないという。それが君に現れたというのは、Gとジェイローグの因縁がそうさせたと俺は思いたい。時代は、Gに対抗しうる新たなジェイローグを求めている。君は運命の子なんだよ。」
 リュカは少し苛立っていた。しかし声を荒らげることもなく、無碍に否定することもしなかった。
 「それは___レイノラさんにも言われました。でも僕は竜神帝じゃない。」
 「ああそうだろう。だがそれに勝るとも劣らない存在だ。」
 「例えそうだとしても、僕はあなたの力はいらない。そんなことをして勝っても、やってることはGと変わらないじゃないか。」
 「___ああ、確かにそうだ。だが、君ならばGに支配されることなく、力を使いこなせる。そして世界を良い方向へ導けるはずだ。だからバルカンに渡すくらいなら君に託したい。」
 オコンの行動は、レイノラのそれと同じだった。確かに勝利への選択の一つであるが、フュミレイが拒否したのと同じようにリュカも拒否した。
 「駄目です。二人で最後まで戦うんだ。そんな、途中で諦めるなんて許されない。」
 「もはや理想の実現には拘れない。君が拒否するなら、せめてバルカンを完全なるGにしないよう、俺は虚無に消えよう。」
 「駄目だってば!」
 ついにリュカの語気が荒くなった。そしてオコンの腕を掴み、強く首を横に振った。
 「駄目だって___」
 「最悪の事態を避ける必要がある。」
 「___違う、それこそ思うつぼだ。」
 「___?」
 「バルカンが予測しないと思いますか?あいつは虚無の中で自由なんだ。きっと、オコンさんが自殺する可能性も想定している。例えば虚無の中に、力を奪うことに特化させた自分の分身を残しているかもしれない。」
 それは理に適った物言いだった。たしかにこれまでのバルカンを思えば、その程度の用意は怠らないだろう。彼は今でこそこちらを無視しているが、この戦いの最大の狙いは「オコンの命」だと言っていた。それを思えばなおのことだ。
 「バルカンにとって一番困るのは、僕たちが諦めずに戦い、オコンさんを守りきることだ。それに諦めるのはまだ早いよ。あいつは僕たちを虚無に飲み込ませることはしたくない。だから、絶対に自分自身で倒しにくる。僕は___」
 そこまで言いかけて、リュカは声を消した。残りは、握った腕を通じてオコンの意識に流れ込む。
 (その時がチャンスだと思っている。ここを出られる可能性も、その時ならあると思う。)
 彼は本気でそう思っている。揺るぎない意志の籠もった力強い瞳に、オコンは懐かしさを覚え、彼に従うことの正しさを思い出した。
 「分かった、君に任せよう。俺の命は君に預ける。気が変わったらいつでも貰ってくれ。」
 「いりませんってば。」
 人を勇気づけ、かつ穏やかにさせる素養もまた、ジェイローグを彷彿とさせる。だが彼はリュカだ。彼には彼の信念と正義がある。そしてこの少年は、今も逐次成長している。その存在がもたらす希望、無限の可能性は彼だけのもの。ジェイローグと比べるべきものではない。
 「頼りにしている、リュカ。」
 「___はい!」
 オコンは時を超えてこの青年と同じ戦場に立てることに、深い感銘を受けた。
 Gが不滅ならば、勇者もまた不滅なのだ。

 その頃___
 「___」
 ソアラは無言で前へと進んだ。体には一つの傷もない。しかし力はすでに百二十八分の一まで削られている。
 ファルシオーネの洞窟で、まずは数多くのカラクリを易々と突破し、レッシイ自身が鍵となる部屋まで辿り着く。石の扉の中に残った彼女は「またね」と言って微笑み、ソアラもそれに力強い笑みで答えた、それがほんの数分前。そこからは、フロアを一つ進むごとにファルシオンの力により力が半分に削られていく。それでもいくつかの魔獣やらを片手で捻り、ソアラは無傷であの部屋までやってきた。
 かつてフュミレイを苦闘させた、全面鏡張りの部屋へ。
 「?」
 部屋の中央に立つと、退路が断たれた。閉鎖空間の中に張り巡らされた大量の鏡と、それに部屋の中心から光を捧げる蝋燭。天井に吊された蝋燭は、鏡の中で跳ね返り続け、ソアラもろとも無限の像となる。
 「!」
 その像の中に、別の顔が現れた。ソアラは驚いて後ろを振り向く。ここに来て最も動揺した瞬間だった。
 「こんにちは。」
 そこには、アレックス・フレイザーが立っていた。いつもの眼鏡と優しい微笑みで。
 「久しぶりですね、ソアラ。そして目を疑うほどに成長しました。」
 「将軍?___本当に___?」
 ソアラは当惑し、僅かに後ずさった。ライの父であり、ソアラの道を正してくれた偉大な先生に、疑いの目を向けた。何しろ彼は十年も前に死んでいる。
 「フュミレイから聞いていませんか?彼女はこれを体験しているから、あなたも知っているかと思いましたが___その様子だと何も聞いてないようですね。」
 「___」
 「彼女の時は、私は最後に現れました。でもあなたには最初です。あらかじめここの仕組みを知った上で、全力で挑戦してもらいます。」
 ソアラはまだ信じ切れない様子でアレックスを見つめる。眼鏡の将軍は穏やかに微笑みながら___
 「返事は?」
 「あ!はいっ!」
 「フフフ、よろしい。」
 巧みにソアラをコントロールして見せた。短いやり取りだがとても懐かしく、ソアラの心もいくらか解れた。
 「ここはあなたの心と力を試す鏡の間です。これから、あなたの記憶に残る人々が、鏡の力で蘇り、あなたを襲います。ただの像ではありません。オル・ヴァンビディスは死の世界であり、遍く魂の中にはあなたの知る人々のものも含まれています。私はアレックス・フレイザーの魂そのものであり、この鏡の力で蘇って、ここに立っています。」
 アレックスの言葉は、フュミレイに語ったそれと全く異なっていた。フュミレイに対しては自らを「精巧な偽物」と言ったのに、ソアラに対しては「蘇った本物」と話した。それは誰の意志でもない、アレックスの判断によるところだった。
 「あなたは、好ましかれ憎かれ、その全てを倒さなければ先へは進めません。また、これを乗り越えられなければ、あなたにはGを倒すことも、それを御することもできないでしょう。」
 疑いの目は消えた。しかしソアラの鼓動は高鳴っていた。それは高揚のためではなく、これから来るであろう恐ろしい試練への緊迫だった。
 「フュミレイは私を殺せませんでした。ですから私は自ら去りました。魂を与えることなくここに残りました。なぜなら彼女の力ではこの先に待つ最後の番人には勝てないと感じたからです。やがて来るだろう次の機会、それはより強くなった彼女か、あるいは私が知っている別の誰かが来たとき、その人が最後の試練に通用すると感じたなら、私は先鋒として真実を告げるつもりでいました。」
 アレックスの手にはいつの間にか剣が握られていた。
 「それが今です。」
 その剣が白いオーラを纏って光り輝いた。明らかに見覚えのある力だ。
 (れ、練闘気___!?)
 生命力を源とするはずの力を、死んだはずの、しかもこの力の使い方を知らないアレックスが操っている。まがいものかと疑いながらも、しかし前方から流れる熱に彼女は唾を飲み込んだ。
 「私も無駄に死んでいたわけじゃありませんよ。魂だって鍛えられますし、肉体は所詮借り物ですから。」
 「将軍___っ!?」
 戦いたくない。そう言おうとしたソアラは慌てて後方に飛んだ。今まで自分のいた場所を、アレックスの剣が横に凪いだ。
 「私の見た目がアレックスだから戸惑うのですか?旧知の間柄だから戦えないのですか?」
 「!」
 アレックスはさらに剣を掲げて振り下ろす。練闘気が光のカッターとなって飛び、ソアラの髪を切り取った。反射的に体を捻らなければ、首を切り裂かれていたかもしれない。
 「生温い。」
 アレックスが吐き捨てる。生前はおよそ聞かないような台詞だった。
 「今必要なのは情けや郷愁ではありません。自分に課せられた使命の重さを知りなさい。あなたは世界の命運をも握っているのです。ここでしか形を保てないような者のために、世界を捨てるのですか?」
 「でも___」
 「一人で世界が変わる訳ではない、私はあなたにそう教えました。でも、あなたの戦いは世界を変えるところまで来た。もちろん一人の戦いではないでしょうけれど、あなたはより大きなものを見なければなりません。敵が命を食らうなら、あなたは命を生みなさい。命の母となるのです。」
 ソアラは黙り込んでしまった。しかし伏せた視線で虚空を見つめる紫の瞳から、徐々に迷いが晴れていくのをアレックスはしかと見届けていた。
 大丈夫だ___と感じられるまで時間は掛からなかった。
 「さあ来なさいソアラ!この試練は、あなたが超えるべき精神の壁!私にあなたの力を、命の母に足る偉大さを示してご覧なさい!!」
 アレックスの練闘気は彼の魂を源にしているのだろう。一段と大きく、強く輝く剣を振りかざす姿はあまりにも気高く、見る者を奮い立たせる。それがかつて人の世で勇者と呼ばれた男の姿だ。
 「うああああ!」
 ソアラが叫ぶ。闘志に満ち満ちた力強い面もちで、彼女は拳を構えた。
 「そうです!あなたの強さを見せなさい!」
 目を閉じることはしない。アレックスの願いを全身で受け止めるためにも、彼をじっと見据えたまま、ソアラは拳を揺り動かした!

 閃光が迸る。力が交錯し、互いの体が入れ替わった。ソアラはすぐに振り返り、背を向けて立つアレックスを見た。将軍はゆっくりとこちらを振り返り、いつもの優しい笑顔を見せた。
 「良くやりました。きっとあなたなら、世界を正しい方向へと導ける。」
 アレックスの背中、左胸の辺りに光の円が走り、そこから七色の輝きが流れ出る。それは音もなくソアラの体へ吸い寄せられていく。まるで殺された十二神の力がバルカンに流れ込むときのように。
 「これが___本当に正しいのでしょうか?」
 「あなたならばできますよ。大切なのは、自分を信じることです。」
 それがアレックスから聞いた最後の言葉だった。直後、彼は七色の輝きとなって消滅し、鏡の一枚が割れた。
 「将軍___」
 分かってはいる。それでも切なくて堪らなかった。だがここはセンチメンタルに浸れるような場所ではない。
 「!?」
 気配を感じて振り返ったとき___
 ゴガッ!!
 ソアラの顔面に拳が唸りを上げてめり込んだ。さらに胸と腹にも一撃加え、彼女は背後に吹っ飛び、鏡に叩きつけられた。
 「っ!」
 だが傷みに顔をしかめている暇など無い。追撃を逃れるためにソアラは横っ飛びし、男の拳は鏡を叩く。そこでようやく間が生じ、ソアラは現れた敵を目の当たりにした。
 「この鏡、衝撃じゃあ割れないらしいな。」
 小柄で、憎らしいほどに残忍で強かな男。そして実際に憎かった男。
 「おまえが切り刻まれて犯される姿を、いやがおうにも自分で見ちまうってわけだ。」
 八柱神のジャルコは今日も愚劣だ。しかしソアラは煙たがるどころか、不適な笑みを浮かべた。
 「ふふ___」
 「なんだ?薄気味悪いやつめ。」
 「あんたに言われたくない。こんなこと言ったら将軍に怒られるんだけど___正直、やりやすくって助かるわ。あんたなら、葛藤の余地もない。」
 「ほざけ。」
 ジャルコがサーベルを抜く、ソアラは紫のまま身構える。すぐに両者の力がぶつかり合い、洞窟を揺さぶった。

 「___」
 揺れを感じ、レッシイは目を閉じた。ソアラの戦いを、彼女は薄暗い部屋でつぶさに感じ取っていた。
 (フュミレイの時は精神を問う試練ばかりだった。あいつの父、姉、主君、いずれも力には乏しい。そういう相手をあえて出した。ファルシオンに届かないのは分かり切っていたから、精神鍛錬の場を与えた。でもソアラ、あんたは違う。あんたに与えるのは、力で超えなきゃならない試練だ。)
 百二十八分の一の力で、かつての難敵を倒す。それは真にソアラの実力が試される試練である。レッシイは全てを知った顔で思いをめぐらせる。
 「これはあたしがあんたを認めるかどうか、七年修行の総仕上げのテストだ。絶対に全ての鏡をぶち破り、しかも余力を残して前に進め___それができなきゃ、世界は終わりだよ。」
 重みある呟きが広い部屋に染み渡る。石扉の中に体半分埋めていたはずの彼女は、なぜだか別の場所にいた。




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