2 抵抗
「炎爆の手甲!」
迫り来るバルカンにカレンは宙で体勢を崩しながらも拳を放つ。拳はバルカンの拳と真っ向からぶつかり合い、弾けた爆発がバルカンの腕から肩へと走る。しかしカレンの体も衝撃で後方に流れた。
「くっ___!」
開かれた嘴の奥が光る。痛打を覚悟したカレンだったが___
「ズオアアアッ!!」
気合いと共に振り下ろされたガッザスの豪腕がバルカンの頭に叩きつけ、嘴を閉ざす。口の中で弾けた波動はバルカンの目や鼻から迸った。
「ようし!」
手応え十分。しかし崩れかけたバルカンの頭はすぐに再生を始め、ガッザスに手を伸ばす。
「ガルフマグナム!!」
気合い一閃、カレンの手甲から放たれた赤熱の炎弾が、バルカンの顔で猛烈な爆発を巻き起こす。それはバルカンの首から上を粉砕する破壊力だったが___
「化け物め___」
バルカンはあっという間に再生した。
「花陽炎!絶空の霞!!」
戦場は分断されてしまった。一緒に三人のバルカンを相手にしたいところだが、竜樹とディメードは二人のバルカンを振り切れずにいた。
いまも凄まじい攻撃がバルカンの胸を切り裂くが、傷つけたそばから塞がってしまう再生の速さではあまりに厳しい。
「数は増えたが個々の力は落ちている___だがこれじゃあらちが明かない!」
掌の赤い宝石を輝かせ、ディメードが光線を放つ。それはもう一人のバルカンの開いた嘴の中へと抉り込み、背後へ貫く破壊力。しかし敵の動きを僅かに止めただけでしかない。
「体力勝負には自信があるけど、さすがに分が悪いぜ___!」
バルカンの攻撃を花陽炎で受け止め、反動を利用して竜樹は後方に飛ぶ。ディメードもそれにあわせて動き、二人は背を預けあった。それぞれの正面にバルカンが立ちはだかる。
「俺はおまえみたいにタフじゃないんだ。あいつの再生を超える強烈な攻撃はないのか?」
「ある、でも隙がない。相手が二人じゃ力を溜めきれねえ。」
その時、バルカンの一体に鞭が巻き付いた。首に力強く絡みつき、そればかりか強い電撃を走らせて動きを止める。
「隙はあたしとディメードで作る。」
その隙に颯爽と竜樹とディメード側に寄ったのはクレーヌだった。
「あんたの力、見せてご覧。」
「___頼りにしてるぜ。」
最初はいけ好かない連中だったが、グレインの死に憚らず泣く姿を見てから、竜樹のヘルハウンドたちへの印象は変わっていた。アヌビスの狙いが何かはともかく、今は信用に足る。竜樹はそう確信していた。
「神殿の一番下___って、どこから入るんだよ?」
エコリオットの巨木までは辿り着いたブラックだったが、そこで行く手を阻まれた。一周するにも大きな屋敷をグルリと回るくらいの巨大な幹。その最下層へ外から直接入り込める場所はない。へし折られた辺りまで上昇してから、長い螺旋階段を下るほか無いのだ。
しかし___
ドォォォォッ!
「ぬぉっ!?」
仮面の鼻先を掠める距離で、木の幹が爆発した。大量の木片と共に内から突き破って現れたのは___
(バルカン!?)
こともあろうか鳥神だった。だが明らかに劣勢の顔、いやそれどころかバルカンの体は半身が再生不十分だった。
(!)
弾き出されたバルカンにバルバロッサが斬りかかる。よく見れば二人の体はバルバロッサの左腕で輝く赤い光に結ばれていた。
『おのれ!』
抵抗すべくバルカンが爪を振り上げる。
ズグゥゥゥ___!
しかし勝つのはバルバロッサの剣。
『馬鹿な___切るたびに強くなっている___!?』
バルカンの指の間から食い進んだ剣は肘まで切り裂いて、腕の外側を切り離す。開いた傷はすぐに蠢き出すが、そこに赤い光が粘糸のように広がって、完全な再生を許さない。
だが、止めるべきは本体だけではないのだ。
ドンッ!!
「なに!?」
切り離された腕の肉が、猛禽の姿になって神殿の根元に開いた穴に突っ込む。
『ぬかったな。』
バルカンはニヤリと笑う。二人を結ぶパルーゼの光はいわばチェーンデスマッチ。バルバロッサはバルカンを捕らえる変わりに、自らも離れることができない。
「黒の盾。」
しかし、神殿の穴は突如漆黒の壁によって塞がれた。バルカンの力を分けた猛禽は、構わず黒い壁に嘴から突っ込んだ。手応えは軽く、破るのは容易に思えた。
『なにっ!?』
しかし猛禽はそれ以上進めなかった。黒い壁に頭を沈めた状態で動きが止まると、たちまち全身が黒く塗りつぶされ、しかも鋭い槍が内から外へ、鳥の体を貫いて飛び出してきた。
『アヌビスか___!』
バルカンはそう錯覚した。実際その漆黒は邪輝に相違ない。しかしそれを操ったのはアヌビスではなく、アヌビスの仮面を被った男だ。彼は神殿の最下層に上がり込み、内から壁を張って中にいたエコリオットとミキャックを守っていた。
(要領は簡単だ。今の俺の生命力は邪輝なんだから、練闘気を使うつもりになれば邪輝が出る___ま、できちゃったもんはしょうがねえんだが、ますます俺って奴が分からなくなるな。)
アヌビスの仮面の下でサザビーはそんなことを考えていた。鳥の体を外に落として槍を引き抜き、壁の穴を消す。一連の動作はまるで古くから邪輝を知り尽くしているかのようだった。
「アヌビス___」
澱みのない振る舞いと仮面の姿が、ミキャックを警戒させる。彼女はエコリオットを庇うようにして身構え、ブラックを睨んでいた。その瞳は今までになく迷いのない強さ、しかし今までどおり悲壮な決意を秘めていた。
改めて見ると、少し懐かしい。でも彼女が強い気持ちを保っていることに、仮面の下のサザビーは満足した。
「心配すんな。鳥はあいつが片づけるし、ここは俺が守る。」
手を振りながらそれだけ告げて、仮面のアヌビスは前を向いた。
「___」
ミキャックは訝しげにブラックを見つめながら、しかしやがて構えを解いた。
『迂闊だったな。』
虚無の中で金属質のバルカンが呟く。
『敵の力量を甘く見ていた___いや、まだ私の力がその程度だったと言うことか。たかだか十や二十に分けただけで、これだけ劣勢になるのだからな。』
バルカンは虚無の中の戦いを見つめていた。負傷と再生で進化したバルカンが三人、虚無の中のオコンとリュカを攻める。いや、攻めさせられている。虚無に身を隠したまま放った波動は大量の海水に飲まれて消え、姿を現せば水に捕まるどころか、モグラ叩きに集中しているリュカの竜波動が飛ぶ。
『オコンめ___』
戦いの鍵はオコンが握っていた。七年とは言わないまでも長い時間で力を馴染ませた彼は、それまでの海神と趣が違った。二人を虚無に捕らえて優位に立ったはずのバルカンだったが、最初の接触で一人が水に捕まり、ロゼオン譲りの硬度とビガロス譲りの破壊力の斬撃に粉砕された。そればかりか、千切れた肉片に何らかのカビやキノコや虫がこびりついて再生を封じたのだ。おそらくリーゼとリシスの力だろう。
これでバルカンは怯んだ。単純な力で劣ると悟った彼は、深追いせずにすぐさま虚無に身を隠したのだ。こうなれば二人に手出しはできない。しかし今度はオコンの水を中心とした隙のない守りとリュカの強かな反撃で、手をこまねくに至ったのだ。
だがバルカンには虚無がある。それを二人のいる場所まで伸ばせば始末は簡単に付くはず。
『虚無で消すのは簡単だ。しかしそれは私の邁進の終わりを意味する。やはりオコン、そしてジェイローグの末裔の力は我が手に収めねばならない。』
不完全では意味がない。究極にして完全になるためには、残るオコンとエコリオットは自らの手で殺す必要がある。
『___』
ふと外に目を移す。劣勢はこちらも変わらない。バルバロッサが半身のバルカンを滅多切りに粉砕すれば、竜樹が大地ごと吹き飛ばさんばかりの一撃で進化前のバルカンを消し飛ばす。
『仕方ない。口惜しいが己の未熟を認めよう。』
バルカンは深く目を閉じ、念を込める。そして、戦場に変化が生じた。
虚無の中は静かになった。黒い壁からこちらを狙い撃つ波動が、一切なくなった。
「攻撃が止んだ___」
リュカが呟く。しかし黄金の輝きは潰えさせない。
「恐れていた行動に出た可能性がある。奴は外に目先を変えたかもしれない。」
オコンが答える。しかし水の流れを途絶えさせることはない。
「どうにかしてここを出れないのかな___?」
虚無の中は後回し。バルカンのターゲットが外に向いたことで、リュカの気持ちに揺らぎが生じる。しかしオコンははっきりと首を横に振った。
「仲間を信じろ。ここにいたバルカンが外へ向かったと言うことは、君の仲間たちは十二分に抵抗していると言うことだ。」
「___そうか、そうだね。」
「それに___」
「それに?」
オコンは逡巡の後、意を決したように続けた。
「エコリオットがバルカンを倒すかもしれない。」
それはリュカにとって驚きの言葉だった。
「よっしゃあっ!!」
汗を弾かせ息を荒くしながらも、竜樹の声は猛々しさに溢れていた。たったいま、バルバロッサがカレンたちの相対していた金属質のバルカンを始末し、竜樹は渾身の力で解剖標本のようなバルカンを叩き伏せたところ。彼女は会心の勝利に雄叫びを上げたが、少し気が早かった。
「また出てきたぜ___」
溜息混じりのディメードの声に、竜樹は前を見る。黒い壁の中から金属質のバルカンが四人、出てくるのが見えた。
「何人だろうと同じ事だ。俺たちの攻撃は通じる。」
バルバロッサは威風堂々たる物腰。さしたる傷も負わずバルカンを圧倒してきた彼の剣は、竜樹から見ても頼もしく思えるほどだった。
「そうだ!我らに恐れるものなどない!」
「ああそうさ!やってやる!百鬼の仇は俺が討つ!」
「リヴェルサ!」
ガッザスと竜樹の気合いに答えるように、クレーヌが回復呪文を唱える。柔らかな光はその場にいた全員を包み込み、体力を蘇らせていく。
「あれ?ところでおまえたちって、なんで一緒に戦ってるんだっけ?」
「アヌビス様のご意志だ。それ以外に何がある。」
思い出したような竜樹の問いかけに、カレンは淡泊に答えた。
「細かいことは気にするな。私たちは与えられた務めに従うだけ。そして圧倒的に劣勢になれば引けと命ぜられている。」
『ならば今のうちに逃げておいた方がいい。』
カレンの声に答えたのはバルカンだった。言葉を発したのは小さな鳥。それは答えた瞬間に、バルバロッサの剣、竜樹の刀、カレンの爆撃に葬り去られたが、確かにバルカンの声だった。
『おまえたちに敬意を表して___』
また鳥。
『五割の力で応対してやる。』
鳥。
『これまでのバルカンと思うな___』
鳥。
『おまえたちが相手にしていたのは、一割未満のバルカンだ。』
鳥、鳥、鳥、鳥。眼下の密林から次から次へと鳥が現れる。それは怒濤の如く、いずれも小さな鳥だが、全てがバルカンの声で語りながら、正面からやってくる四人のバルカンへ向けて飛んでいく。
「な、なんだこりゃ!?」
「___肉片だよ!戦いの中で散らばったバルカンの残骸が一つ一つ鳥に変わってる!」
クレーヌが叫ぶ。確かに、群れの出所に目を凝らせば、木に引っかかった肉の塊が鳥に化けているのが見えた。つまりこれも再生能力!
「やばいんじゃないのか___これ?」
ディメードが引きつった笑みを見せる。前方の空で止まった四人のバルカンの一人が、おもむろに他のバルカンの首根っこを掴んだ。すると掴まれたバルカンの肉体から生気が失われ、やがて吸い込まれるように掴んでいたバルカンに溶けていく。
それが何を意味するのか、ディメードでなくとも察するのは容易だった。バルカンは散々バラバラになった力を、一人に戻そうとしているのだ。
「鳥を殺せ!少しでもバルカンに近づけるな!!」
カレンが声高に言い放つ。彼女はすぐさま手甲から大量の爆弾をまき散らしたが___
ズオオオオオッ!!
それは全て、青白い巨大な炎に飲まれて花火のように弾けただけだった。
「くっ!」
「花陽炎!蓮華の霞!」
竜樹の刀から広がった霞の粒が、その場にいた全員の足下に広がって盾となる。手出しができないほどの巨大な炎は、密林から舞い上がった鳥の全てを焼き尽くしていた。
『食わずとも___』
炎が弱まったとき、バルカンはすでに一人になっていた。
『殺せば力は戻る。』
その存在感は明らかにこれまでとは違った。目が合っただけで、首筋に鉈を宛われるような寒気が走る。だがこれでもまだ序章に過ぎないのだ。バルカンの全身から溢れ出る力は、時を追うごとに凄みを増していく。
「やるしかねえ___やらなきゃこっちがやられるだけだ!」
竜樹は冷や汗を実感しながら、それでも気を張り続けた。少しでも緩めれば、たちまち飲まれて震えが止まらなくなりそうだった。
「勝てない相手ではない。」
バルバロッサはより冷静だった。普段寡黙な男だからこそ、その言葉に過信はなかった。
「いくぜ、風間!」
「久しく聞かない名だ。」
竜樹とバルバロッサは意を決してバルカンに襲いかかる。しかし___
「なっ!?」
次の瞬間にはバルカンが目の前から消えていた。
『酒の女神キュルイラは、幻惑の術を得意とする。』
いや、二人が目測を誤ったというべきかもしれない。ともかく、バルカンはヘルハウンドの前に迫っていた。
「うおおお!」
ガッザスが叫ぶ。バルカンの爪の一凪に立ちはだかったのは彼の巨体だった。剛毅なる精神で、動きを失っていた仲間たちの前へと躍り出た。
ズバッ!!
その両腕が千切れ飛び、胸が裂ける。鋭い爪はデュランダルと同じ超振動の刃を放ち、触れることなくガッザスを切り裂いていた。
「おおおお!」
胸は半ばまで切り裂かれている。血飛沫は噴水のように、尋常でない勢いでバルカンに降りかかる。
『む。』
そこに砂のような飛礫が大量に混ざっていた。
ドドドドドド!!
飛礫はバルカンに触れると猛然と爆発した。砂の一粒一粒がカレンの爆弾。威力は乏しい。しかし連続した爆発は、血飛沫を霧状に散らし、バルカンの動きを止める。
「炎舞陽炎!!」
背後から竜樹が迫る。彼女は花陽炎から巨大な炎を放った。
カッ___!
それは砂礫の爆弾に一斉に点火して、バルカンを中心に竜波動にも劣らぬ大爆発を巻き起こした。しかしバルカンはあっさりとその爆炎の渦から脱出してみせる。
『!』
そこに剣を振りかぶったバルバロッサ。
シュッ!
が、バルカンは消えた。飛翔の女神フェイ・アリエルの力で、一瞬にして遙か上空に舞い上がっていた。
『驟雨の翼。』
バルカンが翼を広げ、大量の羽が宙に放たれた。羽の根元は鋭く煌めき、鍛え抜かれた槍のごとき鋭さ。その数は有に千を越え、戦場を覆い尽くさんばかり。
逃げ場はない!
「花陽炎!!」
竜樹が叫ぶ。バルバロッサが剣に力を込める。カレンが炎爆の手甲を、ディメードがエレメンタルジェムを突き出す。
「切り抜けろぉぉっ!!」
竜樹の絶叫がこだました。
「まずいな。」
ブラックは邪輝の壁越しに外の様子を見つめていた。
「劣勢ですか?」
「ああ、やっぱり敵は一枚上手だ。」
棕櫚の問いかけに、彼はそう答えた。邪輝の壁を透かして見えるのはここでは彼だけ。アレックスにも見えるかもしれないが、彼はこの騒動の中でもただ眠るだけだった。
「しかもどうやらバルカンは現状で五割らしい。」
「それは厳しいですね。全力ではないと言うことでしょう?」
「いや___あのバルカンは全力かもしれない。もう一人、ここから別の場所に出ていった奴がいるだろ?残りの五割はそれを追いかけてるんじゃないかと思う。」
「!___ではルディーを狙って___」
「どうかは分からない。ただあいつはソアラと一緒なんだろ?何とかなるよ。」
「そう願いましょう。」
声は嗄れている。だがブラックと棕櫚の会話にはあまりにも違和感がない。神殿の最下部には棕櫚とライ、フローラもいた。ブラックが邪輝を開いて、外にいた彼らを招き入れたのだ。
「どしたの?」
「え?」
二人を見ていたフローラは、ライに肩を叩かれて少し驚いた顔になる。彼女の膝はアレックスが枕にしていたが、少しの揺れでは眠ったままだった。
「あのアヌビスのお面、何ものだろうね。」
「うん___そうね、でもなんだか悪い人じゃなさそう。それにあたしたちのことにとても詳しいというか___」
「でもアヌビスだからね___!」
「そうね。」
アレックスの姿を見ろ、と言わんばかりに老翁の頭を撫でたライに、フローラも頷いた。たしかにブラック自身にはあまり敵意を感じない、それどろか妙にとけ込みすぎているのが気になるくらいだが、それもアヌビスのやることだ。あの邪神は、とにかく心に隙を作り、つけ込む名人だから。
「___」
ミキャックはお腹に手を当てる。なぜだろうか、ブラックを見ていると胸がむず痒くなるような、妙な違和感、不快感に襲われた。そんな自分を鎮めるように、彼女は愛しい我が子の無事を思った。
「よし、俺も助太刀してくる。」
と、ブラックは一つ手を叩いて言った。
「えっと、おまえたちはとりあえずここにいるのが安全だろうが、いざとなったらエコリオットに出口を作ってもらって逃げるんだ。生き残ってなんぼだからな。」
そう言うなり手を振って出ていこうとするブラックだが。
「___ちょっとまって。」
ミキャックが止めた。
「あなたの狙いはなに?」
率直な問いだった。違和感、不愉快さは、ヘルハウンドである彼がこちらを気遣う不気味さだと感じたからだった。
「んー、俺の狙いは知った顔が全員無事でいられるようにすることかな。アヌビスの狙いは別だがね。」
アヌビス。様と付けない呼称も異様だ。
「時間がないからもう行くぜ。」
「待ちたまえヨ。」
今度はエコリオットが止めた。この戦いが始まってからと言うもの、珍しくほとんど喋らなかった妖精神が、唐突に飛び上がってブラックの前へと躍り出た。
「僕も行くヨ。」
「なんだと?」
「そろそろ、罠を発動させようと思うんだヨ。」
少年の顔で、しかし無邪気さはなく、エコリオットはニヤリと笑った。
その頃___
「ついた___ここだ___!」
ルディーは肩で息をしながら、眼下の景色を眺めた。魔力の消耗を厭わず、全力で跳び続けた彼女がやってきたのは、剣山のように細く鋭い岩山が乱立する土地。オル・ヴァンビディスの中心、ファルシオーネだ。
「十二の岩___間違いない。」
ルディーが見おろす剣山の岩山は一見すると周囲の景色と変わりない。しかしその根元に目を移せば、均等に並ぶ十二の岩山に囲まれた空間があるとはっきり分かった。ここが世界の中心なのだ。オコンからそう聞いていた。
「よし。」
そしてルディーは懐から水晶玉を取り出す。アポリオは淡い輝きで包まれていた。本来もっと大きく、そしてエコリオットの神殿からエネルギー供給を受けて機能する高度なアポリオだが、ルディーの無尽蔵な魔力が持ち運びを可能にさせた。いわば彼女でなければこの役目は務まらなかった。
ルディーは念を込める。変化はすぐに起こった。
ズォォッ___!
アポリオが肥大化すると、水晶の中に白い円が描かれる。そして、そこから二人の人が現れた。ただルディーの目を釘付けにしたのは一人だけ。
紫の髪を後ろで束ね、雄々しき竜の装束を纏ったソアラの姿だけだった。
「お母さん___!」
現れた彼女を最初に見たのは横顔だった。その凛々しさ、何も恐れず、決意に満ちた視線に、ルディーは身震いする思いだった。
「はぁい。」
しかし次の瞬間には、こちらを振り返って微笑む。母はいつもどおりの母だった。七年経った母はもう三十云歳だが、容姿に全く変わりがないこともルディーを喜ばせた。竜の血族の長い寿命のことよりも、女らしい美意識が先に立つお年頃なのだ。
「親子の再会を楽しむのは後よ。」
だがいつもの顔は長くは続かない。アポリオから現れたもう一人、レッシイにはささやかな笑みすらなかった。ソアラもそれに誘われるように戦士の顔に戻り、ルディーの目には再び横顔が映る。
「分かってるわ。」
「ファルシオンを取りに行く。この挑戦は絶対に成功させなきゃならないし、これに失敗するようならあんたはバルカンに殺されるだけ。」
「何度も聞いた。早く行きましょう。」
そう言ってソアラはまたルディーに振り向いた。
「暫く待っていて。もし何かあっても中からは出てこれないから、自分の身は自分で守りなさい。いいわね。」
その言葉にルディーは少なからずショックを受けた。自立しているつもりではいても、普段の母からは聞かない突き放されるような言葉に、ルディーは寒気すら覚えた。
「下がりな、お嬢。」
レッシイの声にも少し上の空で、ルディーは困惑を隠しきれないままそれでもゆっくりと後方へ動いた。ソアラに抱き締められることもなく、まして母は七年ぶりの我が娘だというのに、手を握ってすらくれなかった。自立しているつもりでも、リュカより強いつもりでいても、いざとなると寂しくて、胸の奥からグチャグチャに澱むようで、とても気持ち悪かった。
しかし母は振り返らず、衝動を抑える素振りもなく、落ち着いた横顔をルディーに晒したままでいた。やがてレッシイの呪文とともに十二の岩山に魔法陣が結ばれていく。
(___あの人が変えちゃったのかな___)
ソアラの横顔と、その向こうに見えるレッシイの横顔が重なる。二人はルディーにはあまりにもよく似て見えた。あれが竜の使いの戦士の顔なのか。何かを悟ったようで、内に闘志を秘め、でもどこか殺伐とさえ見える。二人の表情は良く似ていた。七年の同居でレッシイが母をああ変えたのかと思うと、ルディーは少なからず彼女を嫌悪した。
そうしている間に景色が反転し、目の前でソアラとレッシイは消えた。
「___なにさ。」
一人残されると、ルディーは唇を尖らせて鼻を啜った。
ぐるりとひっくり返った景色。ソアラとレッシイは逆さになって、大地に立っている。十二の岩の中心部分に、洞窟が口を開ける。地の底へと続くはずなのに、上へと伸びる不思議な穴蔵、それがファルシオンの洞窟の入り口。
「かわいそー。確実に傷ついてたよ。」
「突き放すべきだと言ったのはレッシイよ。」
「でもやったのはあんたさ。それだけ覚悟してるって事よね、別れの覚悟を。」
「______いくよ。」
ソアラは険しい顔つきで洞窟へと踏み込んでいく。
「雑念たっぷり持って臨みなよ。ここはあんたの心を試す場所でもあるんだ。Gを倒すにはそれが絶対に必要だから。そして___あたしを認めさせてみな。」
聞こえないほどの小さな声で呟き、レッシイはソアラの後に続いた。
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