4 希望の息吹

 「気になるの?」
 眼下にはエコリオットのジャングルが広がる。捻れた巨木の神殿を振り返るフュミレイに、レイノラが問いかけた。
 「___多少は。」
 「ソアラ?レッシイ?どちらもかしら。」
 「はい。」
 言葉を交わす間にも背後の神殿はどんどん遠ざかっていく。レイノラたちはある場所を目指し、滑空していた。
 「あなたの言いたいことは分かるわ。ファルシオーネを離れないレッシイがなぜ急に現れたのか、しかもソアラを鍛えるためだけに。」
 「___」
 「残念だけど、あの子は私にも本音は語らない。そういう子よ。」
 レイノラは笑みを浮かべる。いつも通り、優しくも美しく、それでいてどこかもの悲しい笑み。あからさまな誤魔化しの答えは、フュミレイの想像があながち間違っていないと指摘している。同時に、それ以上問うなと戒めてもいる。
 「集中なさい。我々は我々の務めを果たす。」
 「そゆこと。変なこと気にしてると鳥にやられるわよ。」
 レイノラとフュミレイの間にキュルイラが割って入る。遠巻きには無数の鳥がこちらの様子を窺っていた。
 「はい。」
 フュミレイはいつものように静かに平伏し、目指す場所に視線を移す。巨大な鳥の巣の影はまだ見えなかった。

 その頃、エコリオットの神殿内。
 「君は乱暴だから、本当に本当の本当は貸したくないんだヨ。」
 エコリオットはぶつくさ言いながら、神殿の奥まった場所へ皆を導いていた。捻れた巨木の中の狭い通路を、腰を屈めて下へ下へと向かっていく。
 「でもレイノラの頼みだから仕方ないネ。間違っても君だけだったら貸さないヨ。何度も言うけどレイノラの頼みだから君みたいな美的センスの欠片もない野蛮人に、貴重なアポリオを貸すんだヨ。ああ、壊されるんじゃないかと今から冷や冷やするヨ。」
 歩きながら徹底的にレッシイを虚仮にするエコリオット。妖精神の小さな背中を睨み付け、拳をワナワナと震わせるレッシイを抑えるのは、すぐ後ろに続くソアラの役目だった。その後ろにオコン、しんがりにバルバロッサが続く。
 バルバロッサの帯同はレッシイのご指名だったが、彼は___
 「おまえと本気で闘いたかった。」
 と、思いも寄らぬ積極的な言葉でソアラを驚かせた。
 「これだよ。」
 捻れているからいま巨木のどの辺りにいるのかいまいちピンとこない。しかしそこは大きな空間が広がっていて、そのど真ん中に巨大な水晶玉が鎮座していた。高さはソアラの胸くらい。それでいて向こう側がはっきりと透けて見える、規格外の大きさだった。
 「これは偶然できたものでネ、同じものを作れといわれてもうまくはいかないんだヨ。だから本当に大事に使ってほしいヨ。」
 幼い容姿のエコリオットは、まるで大事な玩具を貸さねばならない子どものように、不安げな顔をしていた。
 「そうは言ったって、バルカンが目覚めてあんたが殺されたらおしまいじゃないか。そうならないためにあたしたちはこれを使うんだよ。」
 「ぁぁあ、下世話だネ。君のそう言うところが嫌なんだヨ。」
 「こんのガ___!」
 「まぁまぁ。」
 「エコリオット。」
 限界点の近いレッシイを後目に、オコンが落ち着いた声で問う。
 「俺に言えたことではないだろうが、なんとしても生きてくれ。この一日は、世界の命運を決める。」
 「僕を生かすも殺すも君ら次第だヨ。」
 「分かってる。あたしの子どもたちがあなたを守るわ。」
 そう言ってエコリオットに力強い笑みを送るソアラ。すると今度は急に何かを思い出して手を叩いた。
 「そうだ!一日したらドラゴンになってあげる!だからその時まであたしたちを見守っていて!」
 その言葉にエコリオットは折れるのではないかと言うほど首を傾げ、勢い良く戻す。そんな奇怪な行動の後、ポツリと答えた。
 「それは楽しみだネ。」
 「ありがと!」
 ソアラは偏屈な妖精神に抱きつくと、構わずに頬に口付けした。エコリオットは無反応だったが、どうやら照れているだけらしい。
 「じゃ、行きたまえヨ。」
 「ええ。」
 ソアラが離れるなり、エコリオットはアポリオを指でつついた。巨大な水晶はすぐに内からボンヤリと青く輝き始めた。
 「さあ!行きましょっ!」
 「ああ。」
 「___」
 「なにこの差?あたしの方が母さんの実の子なのに。なんか釈然としないわ。」
 ソアラ、オコン、バルバロッサ、レッシイの順でアポリオに消えていく。触れたところから体が水晶に沈み込んでいくようだった。
 「レッシイ。」
 しかしレッシイが片足を踏み込んだところで、エコリオットが呼んだ。
 「ん?」
 「あの子はセティだヨ。変な色だけど。」
 その問いに、レッシイは虚空を見つめて逡巡する。
 「___それを確かめる七年よ。大丈夫、あたしが一人前の竜にする。」
 そして体半分水晶に埋もれた頃、そう答えた。
 「頼むヨ。僕はもう一度あれを見たいヨ。あんな美しい戦士はいないヨ。」
 「任しとき。」
 そしてレッシイも消える。最後にアポリオの外に残したのは、力強い笑みの余韻と、親指を立てた拳だった。

 アポリオの中は無味乾燥な世界だった。荒れ野とでも言おうか、剥き出しの地肌には草木もなく、大きな岩や山も見あたらない。ひたすらの大地だった。
 「ここに七年___」
 だがこの程度で滅入ってはいけない。むしろこの荒涼とした大地は自らを律するに相応しい。
 「これは戦場だ。」
 オコンがソアラの横に立ち、言った。
 「空から見れば分かるだろうが、おそらくここで壮絶な戦いがあった。遠くには潮の気配も森の息吹もある。」
 「___そっか、ここはレイノラとあの子たちの修行場ってことね。」
 「えっとね、ここはこの空間の中心。東西南北にそれぞれかなり遠くまでいけるみたいよ。」
 その二人の間にレッシイが顔を差し込んでくる。
 「改めてよろしく。あたしはベル・エナ・レッシイ。」
 そのままオコンとの間をすり抜けてソアラの前に立ち、レッシイは手を差しだした。
 「よろしくお願いします、先輩。」
 丁重に握手を交わそうとしたソアラだったが___
 「!?」
 レッシイには届かない。そればかりか、赤熱した金属に触れたかのような痛みに襲われた。反射的に引いた掌は、瞬時に赤く色づいていた。
 「鈍くさいわ。それであたしたちの末裔?」
 油断していた。言われてみればレッシイの手の周囲にだけ、波が立っているのが見える。しかしそれは彼女の手だけに留まり、鋭気をむやみに広げない。
 「神竜掌だっけ?あんたの技。あんなもんあたしに言わせりゃ馬鹿丸出しよ。全身にあれだけ力を滾らせてるくせに、掌にはほんのちょびっとしかないじゃない。」
 レッシイはニヤリと笑う。ソアラの眼差しが変わるのを感じたからだった。
 「人の戦い方、力の使い方じゃぁない。竜の使いの戦い方を基礎からたたき直す。まずは一年であたしを超えろ。それができなきゃあんたはお終いだ。いいね?」
 「はいっ!」
 この七年、退屈など何一つ無いだろう。そして日々の成長を実感するだろう。レッシイの存在はソアラにとってあまりにも刺激的だった。

 一方その頃、ジェネリ神殿。
 「うぃ〜、すっきりした。」
 朽ちかけの台座が痛々しいドーム。その外れにある地下への階段から竜樹が上がってくる。
 「女なんだから、そんなこと言わない。」
 「へ〜いへい。」
 生返事で階段近くの柱に隠れるミキャックの側へ。
 「裾、捲れてるよ。」
 「お?ホントだ。」
 女だとは認めても、相変わらず女らしさとは無縁のようだ。
 「あ、そうだ。ライだったっけ?変わるって言ってたぞ。」
 「あたしは大丈夫。フローラの側にいてもらった方がいいわ。」
 「もう来ちゃってるよ。」
 階段の中程に這い蹲るようにして、ライは周囲を窺いながら首を上げた。
 「ごめんミキャック、フローラが休もうとしないから変わってほしいんだ。魔力って眠らないと回復しないんだろ?君も疲れてるだろうけど___」
 「あぁそういうこと!なら変わるよ。」
 そう言ってミキャックは柱の影を脱し、階段でライとすれ違い様に手を合わせる。
 「ちょっと待った!」
 しかし竜樹の声で、二人は手を重ねたまま動きを止めた。
 「近くで戦いだ。」
 「本当?」
 二人は素早く竜樹の横へ。竜樹が見つめるのは枯れ草の原っぱの向こうの高台、そのさらに向こう側だった。盛り上がった高台に邪魔されて良く見えないが、彼女は敏感に察した。すると___
 「鳥だ___!」
 ライが声を上げる。高台の向こうで鳥が舞い上がる姿が見えた。急旋回して大地へと爪を向けて突貫しているようだった。
 「全ての鳥がバルカンのしもべ!誰かが襲われてるのよ!」
 すぐさまミキャックが翼を広げる。
 「俺も行く!」
 「僕も!」
 「ライはここに残って!他にも鳥がいるかもしれない!」
 「そうだ!今襲われてる奴が鳥どもを引き連れてるはずだしな!」
 そしてミキャックは低空を滑るように飛び、竜樹は驚異的な脚力で風のように駆けだした。ライには見送るしかなかった。

 「ひぃい___やめてくれ!」
 高台の向こうも神殿の周囲と同じく、枯れ草の広がる野原だった。その先には岩の入り組んだ地帯がある。鳥たちは、岩石地帯から現れた弱った獲物をしたたかに狙い撃っていた。獲物は野原にへたり込み、手にした木の枝をひたすら振り回していた。
 「ひぃい!」
 鳥たちは慎重に、獲物を弱らせるつもりのようだ。しかし弱々しいながらも木の枝は鳥の攻撃に的確に応戦していた。ただ多勢に無勢。岩石地帯から別の群れが編隊を成して飛んでくると、獲物に逃れる術はないように思えた。
 ザンッ___!
 しかし、新しい群れを巨大な鳥が切り裂いた。分断された群れは、翼の戦士の持つ槍に次から次へと落とされていく。
 「ゲャッ!」
 そして獲物を襲っていた鳥たちも、切れ味鋭い刀の前に成す術ない。甲高い悲鳴を上げて絶命するばかりだった。
 「ったく、よってたかって。」
 花陽炎には血の跡すら残っていない。それほど一瞬の斬撃だった。ミキャックが鳥の群れを一掃するのを一瞥し、竜樹は野原にへたり込む獲物の元へ、刀を収めて近寄っていく。
 「大丈夫か?爺さん。」
 鳥たちの獲物は老人だった。黒い服を纏い、白髪頭はぼさぼさ、髭も伸ばし放題という風体だった。色つやは良いが顔に明朗なものがない。どこか芯が抜けたような顔で、少し不安そうに竜樹を見上げていた。
 「おい爺さん。聞こえてるか?」
 「僕は___」
 「ぼく?僕って言ったのか?」
 風貌には似合わないが悪いことではない。全ての年寄りがワシと言うと思う方がおかしいはずだ。だがどうやらこの老人は普通じゃない。
 「誰だ?」
 「は?」
 「なにも分からない___僕は誰で、どうしてここにいる?」
 「おいおい___」
 随分面倒な老人に関わってしまったようだ。ミキャックに助けを求めようと思った竜樹は空を見上げる。彼女は安堵の顔でこちらに飛んでくるところだった。だが竜樹は彼女よりも、その後ろに気を取られた。
 「後ろだ!!」
 叫んだときには遅かった。光の矢が空を駆け抜け、体を捻ったミキャックの翼が射抜かれた。辛うじて身を捩っていなければ、背中から胸に風穴を開けられていただろう。
 「うぁあっ___!」
 だが命は保てても、天族の誇りは奪われた。ミキャックの背から血が噴き出し、彼女の長髪を赤く染めていく。光の矢はミキャックから翼の全てを奪っていた。
 「血紅の霞!」
 竜樹が花陽炎を振り上げると、ミキャックの背中から散った血が、赤いガラス玉を砕いたような細かい粒へと変わる。それは血の霧となって彼女を隠すと、次の瞬間にはミキャックの体は竜樹の後ろへと運ばれていた。
 再び走った光の矢が、血の霧を蹴散らす。そして止まった。目映いばかりの輝きは消え、純白の羽毛に包まれた鳥の姿が露わになった。
 「___」
 大きくはない。鳩ほどのサイズだが、鳥とは思えない理知的な顔をしている。折れそうなほど細い足でミキャックから奪った翼をしかと握りしめ、それでも雪のような羽毛には一切の返り血を残さない。高潔な存在であることを誇示するかのように。
 「白い翼か。」
 小さな鳥は、その細く鋭い嘴を開いて、言った。竜樹は視線を厳しくし、ミキャックは傷みに顔を歪めながらも、へたり込んだままの老人を庇うような位置へ体をずらす。
 「バルカン様に抗う者の分際で、翼を持つなど___片腹痛い。」
 「なにもんだ、てめえ。」
 竜樹は威嚇するように睨み付けて問うた。鳥の体から白い波動が走ると、足に掴んだミキャックの翼が燃え上がり、灰となって消えていく。
 「バルカン様のしもべの一、白のズィワイス。我らはこの世界に遍く命ある者の全てを、バルカン様に捧ぐために動く。」
 「鳥ってのは良く喋るんだな。」
 「それがバルカン様の思し召しだ。究極の神の一部になれると伝えれば、弱き者は自ずと命を捧ぐ。」
 「はっ。」
 片腹痛い。竜樹はズィワイスの言葉を鼻で笑った。
 「冗談よせよ。ピーピー騒いで空からウンコ落とすしか脳のない奴らが。」
 竜樹の頬に紋様が走る。口元から覗く牙と共に、彼女は妖魔の能力を露わにする。オコンとの戦いのダメージは未だ消えないが、だからこそはじめから全力で一気に片づけるつもりだった。
 「下品なやつだ。」
 「それが取り柄でね!」
 竜樹の刀が空を切る。それは鋭利な衝撃波となってズィワイスを襲った。光のごとき速さのズィワイスは簡単に飛び退いてやり過ごす。しかしそれを予見していたかのように、背後に竜樹が現れた。
 シュッ___!
 しかし刃は空を切った。そればかりか___
 「遅すぎる。」
 ズィワイスはすでに彼女の顔の横にいた。
 シャッ___!
 竜樹の顔面が裂けた。頬と鼻に真っ直ぐに裂け目が走る。もし素早く仰け反っていなければ、こめかみをぶち抜かれていただろう。
 「くっ___!」
 敵は小回りが利く。竜樹が態勢を戻すよりも早く、ズィワイスは急旋回して彼女の胸に光の矢となって突貫してくる。
 「炎舞陽炎(えんぶかげろう)。」
 しかし竜樹も冷静だった。花陽炎が猛然と燃えさかり、彼女の体をも炎に包む。その威力を推し量った光の矢は竜樹の前で再び急旋回し、大きく軌道を逸れる。
 「っ!?野郎!」
 その矛先は老人を守るミキャックへ。竜樹はすぐさま炎を吹き飛ばして追いかけようとするが、到底間に合わない。
 (あいつ___!)
 そればかりかミキャックの顔に覚悟を見てしまった。まだ親しい間柄ではないが、彼女の気性は幾らかでも分かったつもりでいる。彼女は他人のために自らの命を捧げることを厭わない女だと分かっていたから、竜樹は焦った。
 「やめろ!」
 光の矢を受け止めて、渾身の拳を叩き込むつもりだろう。ミキャックは魔力を高めていた。その時である___
 「トルネードサイス。」
 ミキャックの横から猛烈な風が吹き荒れた。
 「え!?」
 「なっ!」
 それはズィワイスだけでなくミキャックをも驚かせた。猛烈な風の刃は光の矢を飲み込み、その力を抑えるだけでなく小さなズィワイスを吹き飛ばした。
 「うそ___」
 ミキャックは目を疑った。しかし振り返ると、あの呆けた老人が確かに最上級の呪文を操っている。しかも十二分の威力で。
 「ぅう___」
 老人は肩を震わせた。すぐに竜巻が消え果て、老人は少しだけ青くなった顔で小刻みに震え出した。
 「おじいさん!あなたはいったい!?」
 「感心するのは後だぜ。」
 いつのまにか竜樹がミキャックの前に立っていた。羅刹は維持している、しかし顔は汗に濡れ、眼差しにもいつものギラギラとした輝きがない。それが先程の炎舞陽炎という技の消耗度を物語っていた。
 「よくもまあ、私の毛並みを乱してくれたものだ。しかも___」
 上空。ズィワイスは明らかに苛立っていた。広げた翼に付いた血染みを見せつけると、その殺気は夥しいものへと変わっていった。
 「汚れまで___」
 自らの血染みに口添えし、嘴に赤い彩りをくわえる。
 「少々無粋だが___思い知らせてやらねば気が済まなくなった。」
 そして彼の体はボンヤリとした光を放ち始めた。
 「貴様らの弱さ、我らの強さを。」
 ズィワイスの体が大きくなっていく。頭が不釣り合いなほどに肥大化したかと思うと、全身の肉が盛り上がり、羽毛の一つ一つも大きくなっていく。変化はやがて彼の体型そのものにまで及んだ。
 「まじかよ___」
 竜樹が引きつった笑みを見せる。
 「変身___」
 ミキャックも頬を強張らせた。見上げる先には、鳥の頭に人の体、まさにバルカンのそれと良く似た鳥人間がいた。おそらくこれがズィワイスの真の姿。生身ではないだろうこの鳥の戦士は、きっと生前からバルカンの忠実なるしもべだったに違いない。
 「バルカン様の偉大さを思い知れ。」
 漲る力はこれまでの比ではない。しかし体が大きくなった分、速さは___
 「!?」
 変わらなかった。ズィワイスは竜樹の横へと回り込んでいた。しかし竜樹も戦神の勘で反応する。その強烈な拳を辛うじて花陽炎で受け止めていた。
 ドゥオオッ!!
 しかし拳の威力は竜樹の身体を浮き上がらせ、ミキャックと老人を巻き込んで吹っ飛ばす。
 「く___!」
 距離ができた。ズィワイスはゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
 「強い___」
 「分かり切ったことだぜ。だがここを突破されたらもっと厄介だ。」
 「ええ___!」
 敵の力は圧倒的だ。しかし逃げるという選択肢はない。老人を守りながら、後ろにあるジェネリ神殿の皆を守りながら戦わなければならない。
 「ああそうだ、一つ伝えておこう。」
 だが現実は残酷だ。
 「我々は単独で動いている訳ではない。」
 その言葉は二人を凍り付かせる。
 「我が同志、青のエルシは神殿を見てくるそうだ。」
 「!!」
 動揺が走る。その隙を見逃さず、ズィワイスは動いた。
 「っ!」
 恐るべき速さで接近し、ズィワイスの手はミキャックの頭を掴もうとしていた。しかし瞬時に割って入った竜樹の刀に食い止められる。本来なら敵の勢いを借りた花陽炎が、肘の辺りまで切り裂くところだ。しかし刃は掌の皮を食らうことすらできない。
 「呪拳ディオプラド!!」
 しかしズィワイスを止めることはできた。すかさずミキャックがなけなしの魔力を絞り出して拳を放つ。
 ガシッ___
 ズィワイスはそれを左手で掴んだ。
 「しまっ___!」
 慌てたときには遅い。ズィワイスの掌の中で、ディオプラドが炸裂する。
 「うあああっ!!」
 ミキャックが叫んだ。ごく近くにいた竜樹は、鈍い爆発の中で細切れになった指が飛ぶのを目の当たりにした。ズィワイスが握るのは、真っ赤に染まった肉の固まりでしか無くなっていた。
 「てめえ!」
 竜樹はいきり立って刀を押し込むが、まるで及ばない。ズィワイスは刀の切れ味などまるで無視して、掌を刃に沿って鍔まで滑らせると、柄ごと竜樹の右手を鷲づかみにした。
 「くっ!!?」
 グンッと力任せに体が引っ張られる。ズィワイスは竜樹をぶら下げたまま刀を傾け、左手に捕らわれて荒い息を付くミキャックに向ける。慄然とする竜樹にズィワイスは残忍な笑みを送った。
 「こういうのもいいだろう?」
 「やめろっ!」
 花陽炎がミキャックを襲う。
 「ぅおおおっ!」
 しかし竜樹が捨て身の頭突きを刀の柄に叩き込むと、刃は僅かにミキャックの頭の上を過ぎた。
 「花陽炎!破幻の霞!!」
 そのまま叫ぶ。するとズィワイスに握られた花陽炎が針を打たれた風船のように弾け飛んだ。それは強い衝撃波を伴い、ズィワイスを、そしてミキャックを襲う。
 ズルッ___!
 ズィワイスの手が一瞬緩み、血の滑りも手伝ってミキャックの体が吹っ飛ばされた。彼女は老人を巻き込んでそのまま低空を滑ると、枯れ草の原へと優しく落ちる。その足下に水の飛沫に似た輝きが走ると、花陽炎となって地に転げ落ちた。
 「何のつもりだ?」
 その光景に、ズィワイスは問う。左手に竜樹の右手を握ったまま、勇ましくこちらを睨む侍に嫌悪の目を向ける。
 「虫の息の女を、あの程度逃がしたところでどうなる?貴様は武器を失い、私に捕らわれて、そこから何ができる?」
 愚かしい者、忌むべき者を見る目で、ズィワイスは竜樹を蔑む。
 「あまりにも見苦しい足掻きだ。この期に及んで偉大なるバルカン様の一部となることを拒むなど、あまりにも愚鈍だ。」
 「ふざけんな。」
 しかし竜樹は一切怯まなかった。
 「てめえごときに奪われるほど、俺の命は安くねえぜ!」
 そればかりか、右手を捉えるズィワイスを逃すまいと、左手で彼の腕に掴みかかった。そして___
 カッ!!
 全身を白く燃え上がらせる。彼女の持てる生命の全てが、破壊の力となって露出する。
 「ぬぅう!?」
 それは後先など考えず、何一つ惜しまない攻撃だった。燃えさかる白い輝きはズィワイスの羽毛を消し飛ばし、肌に焼き付き、浸食する。振りほどかなければならない。しかし夥しい熱の中でズィワイスの左手は竜樹に捕らわれたままだった。
 「俺が消えるか___てめえが消えるか!」
 白い輝きの中に、猫のように大きな竜樹の目が光る。決死の覚悟はズィワイスを一瞬狼狽させたが、彼自身にも命を捨てる覚悟を芽生えさせた。
 全ては偉大なる鳥神バルカンのために。死すらもバルカンのためと成すのだ。そう自らに言い聞かせると、ズィワイスから恐怖が消えた。
 「論じるまでもない!」
 左腕を捕らわれているだけだ。ズィワイスは臆することなく、右腕を輝ける竜樹に向けて振るった。力と力が激しい音を立ててぶつかり合う。その時、竜樹は全身に命の炎を燃やし、ズィワイスは防御を犠牲にして右手だけに破壊の力を集めていた。
 ズィシャッ!
 何かが押しつぶされる音がした。そして白い輝きの中から何かがはじき出された。それは女にしてはゴツゴツした手、竜樹の左手だった。
 「うおおお!」
 その瞬間、竜樹を包む白い炎の勢いが弱まった。しかし彼女の絶叫に呼応して、すぐに勢いを取り戻す。攻撃に力を割いたズィワイスの胸や腹が焼けていく。
 「いけない___このままじゃ___!」
 練闘気を知るミキャックは、竜樹の危機をヒシヒシと感じていた。竜樹はいま持てる生命力の全てをズィワイスを倒すために使おうとしている。片腕を落とされて弱まった練闘気、それが再び燃え上がったというのは、彼女が最低限の命を保つために必要な生命力まで捨てたということだ。
 「く___!」
 助けなければならない。命の源泉が枯渇しないうちに、回復呪文で生命力を増幅してやらねばならない。しかしミキャックの体も動いてはくれなかった。夥しい失血で、立ち上がるどころか、景色が歪んで竜樹の姿を見続けることもできない。
 「あたしは___!」
 肘を張り、仰向けの体を必死に起こそうとする。そうするだけで翼のあった場所から新しい血が流れ落ちた。その惨たらしい様を見てか、老人の皺だらけの手がミキャックの肩に触れた。
 「僕がやろう。」
 「え___?」
 冗談かとも思ったが、顔を見やればすぐに老翁が本気だと分かった。そしてその手には夥しいまでの魔力が渦巻いていた。
 「ヘイルストリーム。」
 嗄れた弱い声。しかしその手から放たれた氷の渦は尋常でなかった。巨大呪文を易々と放つこの老人はいったい何ものなのか?
 (っ___!?)
 しかも今度はただの呪文ではなかった。魔力に引きずり出されるように、老人の腕に黒い染みが走ると、吹雪の中に黒点となって入り交じっていく。
 (邪輝だ!)
 それはミキャックも良く知るアヌビスの力。この老人の体には邪輝が潜み、しかもそれを味方にしていた。
 「なにっ?」
 竜樹ごと飲み込むかに見えた吹雪は彼女の背後で二つに裂け、器用に回り込んで横からズィワイスを挟みつけるように襲う。練闘気のエネルギーに相殺されて氷の粒は消え失せるが、散りばめられた邪輝が墨を飛ばすようにしてズィワイスの白い羽を染めていく。
 「ぬぅっ!?」
 僅かな黒がズィワイスの力を押さえつけていく。竜樹の輝きへの抵抗が弱まり、その鋭い嘴に罅が走るとさしもの彼も呻いた。
 しかし慌てさせるには至らない。
 「うぅ___」
 老人の手から吹雪が消えた。まるで貧血に襲われたように、老人はバランスを失ってミキャックにもたれ掛かるように崩れ落ちてしまった。
 「お爺さん___!」
 無理がたたったのだろうか、老人はミキャックの胸に頬を横たえて気絶していた。青ざめた顔は汗で濡れていた。おそらく魔力の浪費による精神消耗で、体が勝手に意識を絶ったのだろう。
 「___!」
 その時、ミキャックは顎が触れそうなほど近くにある老人の顔に奇妙なものを見た。視界がぼやけていたからかも知れないが、やつれた顔の皺が増え、瞼が落ち込み、唇に小さな裂傷が走ったように見えた。
 「ぐ___がぁぁ!」
 老人に気を取られている場合ではない。竜樹の苦悶の叫びに、ミキャックは首を持ち上げる。見れば竜樹の首をズィワイスの右手が鷲づかみにしている。練闘気に骨身を焼かれながらなお、ズィワイスの爪はそれを突き破って竜樹の首を食い進んでいた。
 頸動脈を絶ち、気道を締め、頸椎を砕こうとする。竜樹は苦しげに顎を上げ、呻き声も聞こえなくなったが、それでも練闘気の輝きだけは消さずにいた。
 「このままじゃ___!」
 数秒と持たない。もはや彼女の命は風前の灯火。しかしミキャックにも手だてはない。
 「鳥に括り殺されるのだ。おまえに相応しい死に方だよ!」
 勝利を確信したズィワイスの言葉が絶望に追い打ちを掛ける。その時、竜樹の輝きは油の切れたランプのように急速に消え入ろうとしていた。
 ザッ___
 そして刃は肉を食らう。ただし、切り飛ばされたのは竜樹の首ではなく、それを掴むズィワイスの右腕だった。
 「え?」
 竜樹にとどめを刺すために籠めた力が、右腕の裂け目から大量の血を押し出すために使われる。消え入りそうだった練闘気が別の光に飲み込まれ、その中で走る刃。
 シュッ___!
 今度は左腕が落ちる。竜樹に握りしめられた腕は、仰向けに倒れる彼女の手に残った。
 「ちぃっ___!」
 三度目の攻撃は首を狙ってきた。しかしズィワイスは辛うじて後方に逃れた。光を帯びた剣が自分の喉元を掠めたのが分かった。
 「___何ものだ!?」
 ズィワイスは明らかに取り乱した様子で叫んだ。しかし突如現れた光り輝く戦士は彼のことなど目もくれず、立て膝を付いて竜樹を抱き留めていた。
 「貴様___!」
 最期の感情は苛立ちだった。黄金の戦士を罵りながら、ズィワイスは自分の意志に反して傾いていく景色を見た。掠めただけで首を落とされていたのだと知ると、彼の死はすぐに訪れた。
 「これって___」
 竜樹を抱く黄金の青年。ミキャックには輝きが竜の使いのそれであることは分かった。しかし現れた青年の姿に彼女の頭は混乱した。それがリュカであるとは気づけなかった。
 「お姉ちゃん___しっかり。」
 リュカは竜樹の首に食い込むズィワイスの腕に触れる。黄金の光の中で、忌々しい腕は粉々に砕けて消えた。そればかりか、彼の全身から癒しの力が溢れ出て、竜樹の身体を暖かな光に包み込んでいく。
 「う___」
 竜樹がうっすらと目を開けた。ぼやける視界の中で彼女は神々しい光と、記憶に焼き付く顔を見た。
 「百___鬼___」
 消え入りそうな声で、彼女はそう呟いた。リュカはニッコリと微笑み、竜樹の身体を抱き寄せた。その力を分け与えるように、光が竜樹の身体に溶けていく。
 「百鬼___百鬼___!」
 譫言のように呟く竜樹。その言葉を胸に染み付けながら、リュカも目を閉じる。
 「大丈夫。もう終わったから。」
 そして優しく竜樹の背を撫でる。
 「お姉ちゃんのことは、僕が守るから。」
 彼女を宥め、抱きかかえて、リュカは立ち上がる。そして唖然とするミキャックの元へ。
 「無事で良かったです。すぐに治療しますね。」
 歪む視界が煩わしい。しかし竜の使いの系譜を持つ男性は彼しかいない。
 「___リュカ?」
 「驚かせてすみません。」
 「本当に___?」
 暖かな光がミキャックの体を包む。すぐに視界に鮮明さが戻り、リュカの顔をはっきりと見ることができた。
 「!」
 それはミキャックにとって衝撃的だった。リュカの全てがジェイローグに重なって見えたのだ。その暖かな光、包み込むような優しさ、全てを見通すような崇高さ、気高き力強さ___
 「___」
 自然と涙が溢れてきた。自分でも説明がつかない。ただ心に響く芸術を目の当たりにしたとき、ひたすらの感動の前に訪れる、一瞬の無心に溢れ出る涙と同じようなものだった。
 「傷が痛みますか?急いで治療します。」
 「違う___分からないけど、なんだか嬉しくて___」
 涙を止めることができず、くしゃくしゃの顔を恥ずかしそうに隠すミキャック。リュカはただ暖かな笑みを浮かべて見守っていた。

 「本当に驚いた___ぇえっ!?だって本当にルディー___さん?」
 「驚きがぶり返してますよ。」
 「しかもさん付け。」
 傷だらけの体でも、ライはいつものライだった。青い鳥エルシの来襲に苦戦を強いられ、棕櫚まで痛む体に鞭打って抵抗したが、万全でない彼らは大苦戦を強いられた。ライのなけなしの練闘気で守り、棕櫚とフローラが一瞬の隙を突いて攻撃したが、圧倒的に上回るエルシにいいように遊ばれる状態だった。
 そこに現れたのが竜の使いだ。黄金に輝く女性の姿に、ライとフローラは「ソアラ!」と叫んだ。棕櫚がいなければ彼女が黄金を解くまでソアラだと思いこみ続けていただろう。ただルディーだと確信するには、棕櫚であっても時間を要した。
 「それにしても随分大きくなったねぇ。」
 今更なのだが、ようやくライも落ち着いてルディーのことを眺められるようになった。とうの彼女は頭に手をやって、恥ずかしそうに苦笑いしている。
 「でも本当にビックリしたわ。」
 フローラがルディーに近寄る。ルディーはこちらを見つめる視線に肩を竦めた。
 「どうしたの?」
 「あの___変じゃありません?なんか___自分でも良く分からないんだけど、なんかその___」
 「何が変なの?」
 「なんていうか___あたし七年ぶりに皆さんに会うからちょっと緊張するというか___だからお母さんともまだあんまり話せて無くて。」
 「なにも心配すること無いと思うわ。あなたがルディーであることには変わりないんだもの。」
 「うん___」
 「ほら、元気出して。七年ぶりにお姉さんたちに会えて、嬉しくないの?」
 「___」
 ルディーは首を横に振る。
 「我慢すること無いわ。嬉しいときに涙が出るのは恥ずかしいことじゃないんだから。」
 今度は縦に。そうしているうちにルディーは泣き出し、フローラに抱かれて頭を撫でられると声を上げての大泣きに変わった。母と同じ事を言って受け止めてくれたことが嬉しくて堪らなかったのだ。
 「青春ですね。」
 「そうなの?」
 強い竜の使いから、多感な年頃の女の子の顔に。ころりと変わったルディーの姿に棕櫚は感慨深げに呟き、ライは首を傾げる。
 「思春期というやつですよ。」
 「ああ!動物の!」
 「多分それは発情期です___」
 やがてリュカが傷ついた竜樹とミキャックを連れてやってくる。そうするとルディーも涙を止めてフローラから離れたが、リュカに指摘されてちょっとした言い争いが始まる。ただそれをフローラに優しく宥められると、今度はリュカも泣き出してしまった。
 大人になっても子どもの一面も残しつつ、しかも七年という孤独を埋める大人たちの笑顔は、彼らの郷愁を否応にも掻き立てていた。そして大人たちもまた、リュカとルディーの姿を見ていると、自然と暖かな笑みがこみ上げてくる。
 「違うよ!あのとき馬車でおねしょをしたのは実はルディーで、それをこっそり僕のせいに___」
 「絶対嘘!あり得ない。」
 「リュカ、男の子はそういうとき、僕がやりました!って言わないと。」
 「ライさんは本当に自分がやってそうですよね。」
 「うん、その通りよ。」
 「えーっ!?」
 本当は急いでエコリオットの神殿に戻らないといけないところだが、リュカとルディーも懐かしさに駆られて、しかもレイノラ先生の目がないものだから話が弾んだ。その光景はまるでピクニックにでも来ているような和やかさだった。
 竜樹とミキャックは少しだけ離れて、そのやり取りを眺めていた。二人とも、離れて見ていたい理由があった。
 「___にしても驚いたな。」
 「ん?」
 「驚いたっての。そう思うだろ?」
 「ええ、そうね。」
 「そっくりなんだもんなぁ。」
 「___そうね。」
 互いに思う人物は違う。しかし幾らかの愛おしさを込めて、リュカの笑顔を見ていた。いずれにせよ、リュカとルディーが現れたことで広がる暖かな空気には「希望」の息吹が満ちあふれているのは確かだった。
 それが人を笑顔にするのだ。竜樹とミキャックも、自然と頬を緩めたように。
 「あ、ところであれどうする?」
 竜樹が思い出したように言った。辺りを見回すと、神殿の外れにあの老人が座り込んでいた。なにも考えず、ただ何かをボーっと見ているようだった。
 「放っておけないわ。気になることもあるから、レイノラ様に見てもらおうと思って。」
 そう答えて、ミキャックは老人の視線の先を追った。
 (フローラ?)
 焦点が合っているのかどうかも定かでないが、そのとらえどころのない視線は最も暖かな女性に向いているように見えた。




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