3 七年の思い
「進化ってどういうことだろう___」
腕を組み、眉間に力を込めて呟くのはリュカ。
「お父さんがなんとかって___」
ルディーもそう呟いて、口元に手を添える。その態度一つ取っても、二人の成熟が見て取れた。
「おまえたち、悩むのは後だ。」
しかしレイノラに言われてハッとすると、幼さを取り戻したように溌剌と飛んだ。
「ソアラ。」
ソアラは悩んでいた。バルカンに名指しされた言葉の意味を考えていた。フュミレイに肩を叩かれるまで、二人がやってくることに気付かなかったほどだ。
「お母さん。」
気まずそうだった。二人はこの瞬間を想像してはいつも不安になっていた。七年の間、外見も変わっていく自分たちを見ていて、母がどんなに驚くだろうと感じ続けていた。五年も過ぎた頃からは、きっと母は悲しむだろうと考えるようになっていた。
「ごめんなさい。」
でもできることは謝ることしかない。自分たちの勝手を詫びるしかない。
「___」
ソアラは黙って二人を見ていた。最初は驚いていたが、でもすぐに穏やかな顔になった。二人が頭を下げている間に、愁いの影も掻き消していた。
「ありがと。」
そして礼を言いながらその頭に触れる。
「助けてくれてありがと。すごく強くなったわね。」
「!」
「おかえり、リュカ、ルディー。七年ぶりだもの、思った通りにすればいいのよ。昔みたいに。」
優しい言葉だった。叱られると思っていた二人にとって、その言葉は何よりの救いだったろう。
「うぅぅ___!」
示し合わせた訳でもない。しかし二人は同時に頭を振り上げて、ソアラに抱きついた。ソアラも一人では持てあますくらい大きくなった子どもたちを、全身で受け止めていた。
「ごめんね、あなたたちにまで色々心配かけちゃって___!」
七年の思いを嗚咽に込めて、二人は泣いた。それを抱きしめるソアラの目元にも、涙の雫が光っていた。
「お久しぶりです。」
親子の再会を見守っていたフュミレイは、子どもたちに遅れてやってきたレイノラを見つけ、頭を垂れた。
「色々あったようね。」
「はい。十二神を三人も失いました。」
「謝らないの?」
「出過ぎた真似とお叱りになるでしょう?」
「___出過ぎたことを。」
そう言ってレイノラは笑みを見せる。しかしすぐに厳しい面もちに戻った。
「あなたの見てきたものを___」
「はっ。」
フュミレイはレイノラの差しだした手を握る。その手からレイノラの指へ、肌の上を黒い染みが走る。レイノラが目を閉じると、それは彼女の体に溶けるように消えた。
「___教えた訳でもないのに、できるのね。」
「レッシイが同じようなことをするのを見ましたから。」
そしてフュミレイの見聞きした出来事全てがレイノラに伝えられた。ただここ数日のフュミレイの記憶だけでは分からない部分もあった。
「バルカンの進化の方法、何か心当たりは?」
「性骨って男じゃないかしら。」
その問いに答えたのはソアラだった。子どもたちに胸を貸したまま、ソアラは言った。
「百鬼が最後に倒したのは性骨でしょ?確かセラの世界で。あたしは話に聞いただけだけど___色々考えてもそれくらいしか___」
「性骨___そうか、あれは殺しても蘇る力を持っていた。」
フュミレイも呟く。黄泉の河原で見た不気味な老翁の姿は、今でも鮮明に思い出せる。
「話したがらないかもしれないが、性骨のことは竜樹が詳しい。あいつは今___」
「あ!!!」
問いかけを遮るように、ソアラが大声を上げた。リュカとルディーも驚いて肩を竦めたほどだ。
「フローラたちがジェネリの神殿にいるの!ライも棕櫚もミキャックも、竜樹もいるわ!棕櫚が酷い怪我で___!」
「そうなのか___!」
「あ!!!」
またビックリ。ルディーなど堪らずソアラから離れたほどだった。
「でもオコンから逃げてたんだからもう心配ないか。あ〜、突っ走ってごめん。オコンに襲われて、それで何とかジェネリの神殿まで逃げ延びて、余裕のあったあたしがオコンのことを知らせるのと、みんなの救護を求めにここまで来たのよ。」
そう言ってる間にレイノラはソアラの額に触れた。言葉が終わるまでの間に手は離れ、彼女はソアラの見てきたものを読みとった。
「助けに行った方がいい。バルカンの脅威が去った訳じゃないから。」
「なら___」
「あなたは駄目。」
「えっ?」
「リュカ、ルディー。」
「はい!」
二人はすぐさま襟を正して元気な返事をする。七年間の教育の賜物か。
「任せるわね?」
「はい!」
「もちのろんです!」
闇の女神の渋い視線にリュカ苦笑い。そのままの笑顔でソアラを振り向いた。
「お母さん!すぐに戻るから!」
「え!?ちょっと本当に___」
「レイノラさん、どこに帰ればいいですか?」
「エコリオットの神殿。」
「了解です。ほらリュカ!」
「分かってるって!」
ソアラが呆気にとられている間に、二人は手を取り合うとルディーの体から魔力の渦が噴き上がる。
「ヘヴンズドア!」
そしてその姿は一筋の光となってジェネリの世界のある方角へ。あっという間に見えなくなってしまう速さだった。
「大丈夫、彼らなら心配ないよ。それほどに強くなった。」
「ええ___それは分かります。」
二人の姿が無くなると、ソアラは先程までの笑顔が嘘のような寂しげな顔になった。
「ただあの子たちがあたしと同じように戦いの道を歩むと思うと、ちょっとね。」
取り繕うような笑みだった。しかし今のソアラは少し前の彼女と違う。そこから前向きな思考に切り替え、周囲を明るくさせる気質を取り戻している。
「でもあたしと百鬼の子だからしょうがないかも。」
「確かに。」
悲壮感はおどけた顔に塗りつぶされていた。フュミレイが合いの手を挟んだことで、彼女は悪戯っぽく笑った。
「あ、妬いちゃった?」
「まさか。」
「でもショックだったよ。リュカとルディーのこともそうだけど、百鬼が本当に死んじゃったんだって。」
「そうだな___」
「でもさあたしさっき___」
そこまで言いかけたときだった。
「レイノラ。」
遠くから声がした。見れば眼下の森からオコンと、バルバロッサに担がれたキュルイラが浮上してきた。キュルイラは好みのタイプらしい男の首に手を回しながら、彼の胸の傷を治療していた。
「オコン。」
レイノラは冷静だった。激昂などするはずもなく、むしろ優しい眼差しで彼を迎えた。
「そんな顔をしないでくれ。俺は君を裏切った男だ。」
しかしオコンにはむしろそれが痛かったようだ。それでもレイノラは彼を戒めようとはしなかった。
「すまなかった。俺はバルカンの言うとおり、本当に愚かだ。言葉でどうなるものでもないし、信じてもらえないかもしれないが、バルカンを倒すために君の力になりたい。」
「ほんと、虫がいいわよねぇ。」
「まったくだ。自分でもそう思うよ。」
キュルイラの茶化しに反論することもできない。だが薄笑いを浮かべることもしないのがオコンだ。彼の顔は罪の意識に強張っていたが、かつての誠実さを取り戻してもいた。
「俺の命を君に渡す。好きなように使ってくれ。」
「オコン。」
そう言うなり自らの胸に手を当てようとしたオコン。その手首をレイノラが掴んだ。
「必要ないわ。」
彼の目を見据えて、首を横に振る。そして彼女は続けた。
「あなたはずっと私たちの味方だった。それは今でも変わらないと思っているわ。」
「レイノラ___」
レイノラは両手でオコンの手を握った。
「信じてる。」
オコンは彼女の暖かな温もりに震えた。耐えきれず天を仰ぎ、己の愚かさに憤怒を覚えた。一時は彼女まで自らの力に変えようと考えていた自分を、徹底的に断罪したかった。
(俺は___)
そして気が付いた。もしやもするとバルディスの頃から、自分はこの闇の女神にジェネリに対するのとはまた違った感情を抱いていたのではないかと。
(彼女のために生き、彼女のために死のう。)
オコンはそう心に誓った。その頬には、堰を切った涙の雫が伝っていた。
「よっ男泣き。」
「笑いたくば笑え___!」
「あ〜っはっはっはっ。」
「ふふっ。」
感情のこもってない笑い声を上げるキュルイラ。オコンとの対比がなんだか可笑しくて、ソアラも笑ってしまった。
「ひとまず私たちは生きている。今はそれを素直に喜ぶのもいいだろう。死者への祈りは勝利の報告と一緒でも遅くはないはずだ。」
しかし取り繕うまでもなく、レイノラの言葉で皆が笑顔になっていた。バルバロッサは無表情だったが、舌打ちしないだけましなほうだ。
「そういえばアヌビスは?」
オコンの涙が止まると、ソアラの問いをきっかけに話は次の行動へと移った。
「どっか行ったわ。」
「ダ・ギュールという男が現れて、連中はいずこかへ去っていった。」
キュルイラとオコンが口々に答える。ダ・ギュールの名にソアラたちの表情が曇った。
「ダ・ギュール___気になるなぁ、アヌビスはコソコソしすぎだし、あたしたちのこと助けたりもして___なに企んでるのかしら。」
「そうだな___」
「ヘルハウンドだっけ?あれも新しいのが入ってたのよ。アヌビスの面を着けた男。あんなのこっちに来たときにはいなかったのに、どっから連れてきたのかしら?」
ソアラはアヌビスと一緒にオル・ヴァンビディスにやってきた。だからその時にいた顔ぶれは覚えている。アヌビス、ダ・ギュール、ヘルハウンドの五人、他に魔族が三人、それから竜樹だ。だが仮面の男は三人の魔族の誰とも身長や体型が一致しない。
「生身だったわよ、あれ。」
「そうか、キュルイラさんは治療したんですもんね。」
「んで、結構手練だと思うわ。」
「どういう意味?」
「いゃん、あたしがどこ治したか知ってるくせに。」
ソアラ沈黙。フュミレイに「どこだ?」と聞かれても首を横に振るだけだった。
「それはともかくこれからどうする?バルカンの言葉を鵜呑みにすれば、俺たちに残された時間は僅か一日だ。」
「そのことだけれど___」
そう、いつまでもここでのんびりしている訳にはいかない。ソアラの復調とお調子者の酒の女神のせいでどうも緊張感を欠いていたが、レイノラが厳しい眼差しを取り戻すと、皆の顔つきも変わる。
「バルカンの進化の秘密を探り、復活を阻止する。それと同時に、最悪の事態に備えて七年で劇的に力を高められる可能性のあるものには、エコリオットのアポリオに入ってもらう。」
皆が一様に頷く。
「まずオコン。七年もあれば今とは比にならない力を身に着けるはず。」
「劇的な強化を約束しよう。」
「それからソアラ。あなたも行きなさい。」
「______えっ!?」
予想外の指名だったのだろう、ソアラの返事にはかなりの間があった。
「不服かしら?」
「いえ、ちょっと意外で。」
「なぜ?」
「時間があれば今より強くなる自信はありますけど、そう劇的には___」
「いや、なれる。」
迷いを見せるソアラに対し、はっきりと言い放ったのはオコンだった。
「気付いていないようだが、おまえはさらなる高みに辿り着ける。その兆候はすでに見えている。」
「___本当に?」
「変化、いやバルカンの言葉を借りれば進化と呼んでもいいかもしれない。おまえに必要なのは自分を見つめ直し精進する時間だ。」
変化。そう言われるとエコリオットの言葉が頭を過ぎる。
(ドラゴンになれる___そうだ、ジェイローグって言ってたのはリュカのこと?あたしのことをセティって言ってたし___)
信じていいのかも知れない。自分の可能性を。
(あたしの限界___)
あの幻聴めいた言葉を。
(百鬼。)
無限の意味するところを。
「分かりました。ただフュミレイも___」
「駄目よ。」
ソアラの要求を聞くまでもなく、レイノラは首を横に振った。
「彼女の探査能力、感応力はバルカンの動静を探るのに不可欠。それに七年あってもあなたほどにはならないわ。」
「___」
フュミレイはソアラの視線を感じながらもレイノラに背こうとはしなかった。それが彼女の意志だ。そう分かっていてもソアラは決断に苦しんだ。
七年の重みがソアラを迷わせる。優柔不断なのかもしれない。しかしようやく自分らしさを取り戻してきたと思うから、バルカンに翻弄されてきた不甲斐なさを払拭したいと思うから、それよりもなによりも子どもたちと一緒にいたいから、ソアラは雌伏の七年に抵抗を感じた。
「不安なんだろ?」
聞き慣れない声が、ソアラの図星を言い当てた。
「殺人鬼と二人きりじゃ、そりゃ不安だって。」
気が付けば、皆を見下ろす高さで日の光がキラキラと輝いている。それはツヤのある黒装束と、至る所に散りばめられた銀のアクセサリー、そして髪の半分の輝きだった。
ソアラ以外の全員がその顔を知っていた。
「レッシイ___!?」
「よっ。」
世界の中心の守護者は、驚いて名を呼んだフュミレイを見てしたり顔になると、馴れ馴れしい挨拶をして皆の高さまで降りてきた。そして___
「あたしも行くよ。いいだろ?母さん。」
軽い調子で言ってのけた。
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