2 さらばバルカン

 バルカンの頬が歪む。しかしソアラの足が彼の頬を捉えたわけではない。リシスの能力で生み出されたユグドラシルの指を簡単に振り払ったバルカンは、ソアラの攻撃を左肩で受けた。
 バンッ!
 音を立てて皮が破れた。頬であれ肩であれ、体の内に竜波動を流し込まれるのには変わりはない。左腕から肩にかけての羽毛が血にまみれて弾け飛ぶ。だがアヌビスの全身を食い破った神竜掌と同類の攻撃でも、片方の肩を壊すことしかできなかった。
 「パンタレイ!」
 背後からオコンの声が飛ぶ。直後、ソアラを回り込むようにして捻れた水流が迸り、バルカンの胸に激突した。それはソアラを狙っていたバルカンの爪を阻み、力の漏出で動きの鈍った彼女に逃れる隙を与えた。
 「ありがとう!」
 ソアラは素早くオコンの横へ。戦場で礼を言ってはビガロスに怒られそうだが、オコンに助けられたことが素直に嬉しかった。
 「おまえの攻撃は効く。活路は見出せるはずだ。」
 「ええ、やってや___」
 意気盛んに答えるソアラ。しかしその声は途中で消え失せてしまった。
 「どうした?」
 ソアラがバルカンを見て絶句している。バルカンは肩を負傷しただけで何も変わっていないように見えるが、まさか露出した鳥肌が苦手というわけでもあるまい。
 「なんで___」
 ようやく漏らした言葉は、聞き取れないほど弱々しかった。バルカンは肩に残る衝撃の余韻を楽しんでいるようだったが、ソアラの視線の向く先に気付いて嘴を歪めた。
 「どうして___」
 視線を辿る。
 「あれは!?」
 そしてオコンも、彼女が何を見ていたか知った。ソアラが見ていたのはバルカンの左腕。しかし傷でも赤い血でもなく、左腕に刻まれた紋様だった。
 「なんであんたが!」
 呆然から激情へ、ソアラは怒りの滲んだ声で叫んだ。バルカンの左腕には彼女の左腕にあるのと同じ、8の字を横にした無限の紋様がはっきりと浮かんでいた。彼女の反応を見て、バルカンは愉悦に浸るように答えた。
 「絶望するために答えを知るのか?」
 「!!」
 それが何を意味するのか、ソアラは瞬時に理解した。しかし認めたくはなかった。諦めた顔はしていても心のどこかで信じていたからだ。まして先程の幻聴めいた言葉に、過去の事実がダブっていたから余計に。
 「これは私がある男を殺した証だ。ただその男から得られたものはごく僅かだった。はっきりいって失望したよ。」
 オコンも理解した。彼も百鬼の左腕に同じ紋様があり、それを根拠にソアラの無事を主張されたことを覚えていた。
 「その動揺ぶりを見ると君は何かを期待していたようだが___残念だったな。」
 挑発だ。冷静でいなければならない。しかし___
 「うあああああ!」
 ソアラは憤怒を抑えられなかった。
 「いかん!くっ___!」
 オコンが止めようとする。しかし冷たい水も怒りを消し去るには至らない。いや、ソアラの力が水を一瞬にして消し飛ばしてしまう。それほど彼女の体から溢れ出る黄金の輝きは凄まじかった。
 彼女自身は怒りに我を忘れているから気付いていないだろう。しかし口元の牙だけでなく、頬にはうっすらと紋様が浮かび、そのしなやかな手にも指の付け根の関節に、僅かながら角のような突起が生じようとしている。少し前まで全てに絶望していた女とは思えない。今のソアラには十二神の一人くらい易々と打ち伏すだろう力が漲っていた。
 「!」
 ソアラが消えた。次の瞬間、バルカンの頬に鋭い拳が食い込んでいた。
 「ああああ!」
 猛烈なラッシュ。彼女はスピードを武器にする戦士だったが、今はそれに加えて強烈なパワーが漲っている。バルカンに反撃の暇さえ許さない連撃は、一つ一つがビガロスの斧にも劣らないだろう威力を秘めていた。
 (俺以上かもしれない___いや、間違いなく俺以上だ!)
 オコンの付け入る隙など無かった。強くなるために同志を四人も殺めたにもかかわらず、それが自分の身になっていないこと。オコンは改めて痛感し、ソアラの強さを認めながらも歯がゆさを覚えた。
 「だああああ!」
 怒りのままに、絶叫しながら攻める。その強烈な拳で、蹴りで、バルカンを押し込んでいく。防御を捨ててひたすら攻める。そして手数にして百十六発目、鋭い蹴りをバルカンの首めがけて放ったときだった。
 ガシッ___
 ようやくバルカンが、腕で攻撃を受け止めた。それまで彼はソアラの攻撃をその身に受け続け、後退こそせよ、なおも宙に留まっていた。
 「スピードが落ちてきたようだ。」
 体に傷を刻んでも、バルカンは冷静だった。その眉間に拳が打ち付ける。急所を捉える一撃は、バルカンを仰け反らせる。
 「黙れ!!」
 ソアラには突き進むしかなかった。敵の左腕に無限を見た瞬間から、彼女の頭から駆け引きや計算は消えていた。
 「うおおお!」
 ドラグニエルに意志を込め、黄金の爪を煌めかせる。バルカンの体を一刀両断にするつもりで、渾身の力を込めて彼女は爪を振り下ろした。
 シュッ___
 しかし刃はバルカンに届かなかった。バルカンは避けていない。黄金の爪が、振り下ろされた瞬間にバラバラと砕けていた。盾が作れなかったのと同じように、ドラグニエルはソアラの輝きに呼応しなかった。
 「それだけボロボロになると、服の中の彼も虫の息のようだ。」
 バルカンはそうなることを見越していたかのように笑みを浮かべていた。ダメージなどまるで無い。今仰け反ったこともパフォーマンスだったのだろうか。彼は涼しい顔でソアラの頬に手を触れていた。
 「黙___っ!!」
 その手を振り払って、嘴に拳を飛ばす。しかし先に鼻面を叩いたのはバルカンの拳。
 「残念だが、君もそこまでのようだ。力の馬鹿使いで明らかに全ての能力が落ち始めている。」
 「!」
 言葉の終わりと共にバルカンの蹴りが飛ぶ。右脇腹目がけて飛んできた一撃を、ソアラは右腕でガードした。
 ベギッ___!
 しかし砕けたのは腕の方だ。その一撃だけで体ごとへし折られるかのようだった。
 「ぁあっ!がっ!!」
 苦悶する。その間に、次の拳が腹にめり込む。内蔵が背に打ち付けられ、血まみれの胃液が口から弾ける。それでも辛うじて黄金は保っていた。口元を赤く染めたまま顔を上げ、バルカンを、その左腕を睨み付ける力は残っていた。
 その態度に、バルカンは頬を歪めた。蔑むような目で、適わぬ抵抗をあざ笑っていた。
 「そんなに私と同じ模様が嫌なら、切り落としてやろう。」
 バルカンはソアラの前に君臨し、神の裁きとばかりに高らかに右腕を上げる。避けなければならない。しかし臓腑への深いダメージが体を痺れさせていた。
 「ゼクロスの飛翔。」
 「!」
 言葉とともに腕が振り下ろされる。しかしその瞬間、バルカンは横を向いていた。そこにはソアラを救出せんと矛を振りかざして迫るオコンがいた。
 乾いた音とともに、オコンの体で血が弾けた。バルカンの腕は直接触れていない。しかしその軌道に白いオーラを走らせ、オコンの体を縦に裂いていた。額から股間まで、血を走らせてオコンの体が揺らぐ。バルカンの腕に迸る白いオーラは、揺らぎながら猛禽の顔を象っていた。
 それがバルディスの空王と呼ばれ、翼竜をも屈服させたと言われる怪鳥ゼクロスであることなど、ソアラには分からない。分かったとしてもどうでもいいことだった。
 「オコン!!」
 揺らぎながら落ちていくオコンの名を呼ぶ。しかしバルカンが視線の前へと立ちはだかった。
 「所詮は叶わぬ夢なのだ。私がGとなり、全ての頂点に立つ。それは揺るぎないことだ。ジェイローグの娘も、軟弱な黒犬も、私の前では存在の意味をなさない。それを分かれ。」
 バルカンはソアラを見下ろすようにして言う。ソアラにはその姿が計り知れず大きく見えた。どう足掻いても、超えることのできない壁に見えた。ただそれでも挑む気持ちは変わらない。そして絶対に、屈服はしない。
 「嫌よ。」
 最期までこの尊大な鳥を認めない。それがソアラにできる最大の抵抗だった。
 「そうか。」
 バルカンが右腕をゆらりと振り上げる。それが振り下ろされた瞬間、自分の命は終わるだろう。ならばせめてもの爪痕をバルカンに刻む。
 (ごめんねドラグニエル、こんなにズタボロにさせて。でもこれで最期だから、あたしに力を貸して。)
 守ることはしない。バルカンの攻撃にあわせて、全生命力を叩き込む。そのために、愛する人の技を借りよう。
 (練闘気。真似させてもらうよ。)
 ソアラはそう心に決めた。
 「ゼクロスの___」
 しかし___
 「!?」
 「なに?」
 その時は訪れなかった。バルカンの腕を、漆黒の光線が貫いていたのだ。それは彼の腕を包む白いオーラを一瞬にして霧散させた。傷口からは黒い染みが弾痕の罅のように広がっていた。
 「!」
 次の瞬間、バルカンは逆の腕を振り上げた。しかし攻撃のためでなく、自らの頭を狙った大剣を食い止めるためだった。
 凄まじい力の激突は、ソアラの体を弾き飛ばすほどだった。何とか踏みとどまった彼女が見たのは、バルカンの腕を半分まで食い進む剣と、それを握るバルバロッサの姿。
 「空牙裂砕!」
 新しい剣、ゼダンが赤い輝きを発する。それはバルカンを驚かせ、衝撃は彼を大地に吹っ飛ばす破壊力だった。
 「大丈夫か?」
 呆然と見ていたソアラの肩に、しなやかな手が触れる。それは最初に彼女を守った黒い光線を放った手でもあった。
 「元のソアラに戻ったみたいだな。」
 「___フュミ___レイ___!」
 漆黒の魔女の微笑みは、ソアラの心に染み渡る。彼女の名を呼ぶだけで、ソアラの顔はくしゃくしゃになった。
 「安心するのは早い。あたしたちが来ても劣勢には変わりないからな。」
 「でも嬉しくて___!」
 肩に触れる手は、そこから染み渡る癒しの魔力を抜きにしても暖かだった。しかしフュミレイの表情からは早くも穏やかさが消えている。怒りを押し殺した顔でいた。
 「ソアラ、喜ぶのは生き延びてからだ。あいつのためにも。」
 お互いに気を遣うから、二人が百鬼のことを話す機会は少なかった。そのフュミレイが、バルカンの左腕を見て自分と同じ怒りを覚え、共感を求めてくれた。傷を舐めあうようなことだけど、怒りと悲しみを分かち合える人がいることをソアラは素直に嬉しく思った。
 「そうだ!オコンを!」
 「大丈夫。森の中で闇に取り込まれるのが見えた。そこにいる奴が何とかする。」
 「またアヌビス___!?」
 「だが酒の女神もいる。悪いようにはしないだろう。」
 その言葉にソアラは驚いた。アヌビスが闇を張って森に隠れているのは、自分もそこから出てきたのだから知っているが、今となってはその位置も良く分からない。それをフュミレイは、闇の内側までさも当然のように見通した。
 彼女も進化しているのだ。こうして見せつけられると、自分も強くならなければならないと思う。今までもそうしてきた。ソアラにとってフュミレイは憧れでもあり、最も近しいライバルでもあった。
 「いくぞソアラ!」
 「うん!」
 二人ならより強くなれる。そんな気がした。

 三人は奮闘した。
 バルバロッサの剣にはロゼオンの願いが込められていた。掠めれば皮膚を裂き、触れれば肉を食らう鋭さだった。
 フュミレイは惜しみなく古代呪文を連発した。それは古代の魔術師たちを知るバルカンにとっても驚くべき所業だった。
 ソアラは蘇った。竜の使いの輝きは再び凄まじさを取り戻した。ドラグニエルを眠らせて、彼女は生身の肉体でバルカンに挑んだ。
 しかし抵抗が身になったのは、数分にも満たない短い間だけだった。
 隙を作るために、バルバロッサは我が身も顧みずバルカンに斬りかかった。結果として、彼はバルカンに手傷を負わせたが、自らの胸も爪に深く抉られた。
 彼の奮闘を形にするのは、ソアラとフュミレイだった。バルカンに向けてその手を突き出し、ソアラは竜波動を、フュミレイはレイノラの秘技である宵闇の裁きを放った。ジェイローグとレイノラが冥府を押し戻した秘技、光と闇の融合に賭けたのだ。
 しかし力は互いに不完全であった。ソアラは疲弊が著しく、フュミレイは闇の力の安定を欠いた。決死の波動だったが、バルカンは簡単に背後へと受け流した。
 バルカンの後ろ、エコリオットの広大なジャングルに落ちた光と闇の力は壮絶な爆発を巻き起こす。木々を粉微塵にし、土を吹き飛ばし、大気を灼熱に変えた。それでもバルカンだけは傷つけられなかった。
 力の差は圧倒的だ。しかし三人は諦めなかった。最初に気付いたのはフュミレイだった。
 「諦めるのはまだ早い___!」
 「え?___あっ!?」
 ソアラも気が付いた。
 「すぐにここを開けろ!俺も闘う!」
 「いや、その必要は全くなくなった。どうやら負けるのはバルカンだ。」
 闇の中。キュルイラに傷を癒され、戦場に舞い戻ろうと息巻いていたオコンだが、アヌビスの言葉に眉をひそめた。アヌビスは愉快とも不愉快とも取れないような顔で、しかし興味は擽られているようだった。
 「これが___真の力___」
 カレンも息を飲む。闇を通じて、彼らも感じていた。

 すでに二日が経ったのだ。
 三日と言っていたのは、戻るのに一日かかるとの想定からだった。
 ここがエコリオットの世界だったこと、それがソアラたちにとって幸運だった。

 そのとき、バルカンは無駄に長引いた戦いを終わらせようと、辺りを一掃するほどの力を体に満たしていた。彼が気付かなかったのは、自らを脅かすほどの力の存在をそもそも信じなかったからかもしれない。
 「適わぬ戦いの結末を知れ!」
 そして叫ぶ。その力で全てを飲み込もうとする。
 「!?」
 しかし、飲み込まれたのはバルカンだった。気が付いたときには、彼の周りは夜になっていた。漆黒の闇が辺り一帯を包んでいた。
 「ぐ!?おおおおっ!?」
 敵を滅殺するための力が、闇に食われていく。黒い柱の中で、強烈な力がバルカンを四方八方に引き裂こうとする。
 「や、闇だと!?___ぐぅぅぅ!?」
 闇。その使い手を彼は知っているが、これほどの力は無かったはずだ。いやしかし、千里を見渡すバルカンの瞳は、闇の向こうにうっすらとその影を見つけていた。たしかにそこにいるのは彼女だったのだ。
 「待たせた。」
 レイノラはソアラとフュミレイの前に現れた。外見は何も変わっていない。しかし力は明らかに変わった。露わになった白黒逆の瞳から溢れる鋭気に、ソアラもフュミレイもただ唖然とするしか無かった。
 「よくここまで耐えてくれた。あとは私たちに任せなさい。」
 私たち。そう、エコリオットの水晶に入り修行に励んでいたのはレイノラだけではない。彼らもすぐに戦場に現れた。バルカンを包む闇の柱に走る二つの流星となって。
 「があああっ!」
 雄叫びと共に、バルカンが闇を打ち払う。その瞬間だった。
 解き放たれた流星の一つがバルカンの背を撫でる。
 そして三つの星屑となる。一つは黄金の頭髪の戦士。残る二つは切り落とされたバルカンの翼。
 「ぐぉおおおっ!?」
 もう一つの流星は、喘ぐ鳥人間の前へと落ちた。現れたもう一人の黄金の戦士は、その手に光を満たしていた。
 「竜波動。」
 声が小さかった。ソアラほどの気合いも無かった。しかししなやかな手から噴きだした光り輝く波動は、バルカンの全身を一気に飲み込む巨大さだった。
 波動砲とでも言おうか。それはバルカンに抵抗を許さず空の高みへと運び、猛然と弾けた。そのエネルギーたるや、爆風だけで肌が引き裂かれるかと思うほどだった。吹き荒れる風は、宙に留まった二つの流星の髪を、服を、激しく靡かせた。そして二人が纏っていた黄金の輝きをも消し飛ばす。すると、栗色の髪が流れた。
 その色をソアラは良く知っていた。しかしそこにいる二人をソアラは知らなかった。だが彼らが振り返った瞬間、ソアラは思い知らされる。しかし現実だと認めるには至らなかった。
 「うそ___」
 そこにいるのは男と女。若々しいが、少年と呼ぶのは少し躊躇うだろう男女。男性はソアラよりも少し背が高く、凛々しくも優しい面立ち。女性はソアラとさほど変わらない背丈で、利発で気の強そうな面立ち。
 「お母さん。」
 少女が言った。
 「驚かせてごめんね。」
 「あとは僕たちに任せて!」
 その言葉でソアラも確信した。彼らは紛れもなくリュカとルディーだと。しかし幼児の面影はもう無い。リュカはいくらか声が低くなり、ルディーの体は女性らしさを増している。
 「うおおおおっ!!」
 バルカンの叫びがこだまする。空高く、爆風の余韻にまみれてみすぼらしさを増した鳥人間は、怒りをぶちまけるように吠えた。
 「いくよ!ルディー!」
 「言われなくたって!」
 二人は再び黄金に輝くと、空を蹴り、バルカンへと飛んだ。ソアラはただただ見送ることしかできなかった。
 「すまなかった。」
 その背にレイノラが声を掛ける。
 「彼らは紛れもなくおまえの子だ。しかし年は十六になる。」
 ソアラは反応しない。言葉を耳に流し込んでいるだけ。
 「エコリオットの水晶、アポリオには、外での一日が七年に相当するものがある。時の変化としては最大級のものだ。私と彼らはそこで修行した。」
 ソアラの側にいたフュミレイも動揺を隠せなかったほどだ。ソアラが絶句するのは無理もなかった。
 「私はどんな叱責も受けよう。しかし彼らは自らの力でこの戦いを終わらせ、母の苦しみを消し去りたいと願い続け、七年もの間、自己を磨いてきた。その覚悟をどうか責めないでほしい。」
 「___」
 返る答えはなかった。
 「フュミレイ。」
 「___はっ。」
 フュミレイのように素早く平静を取り戻すことはできなかった。
 「ソアラを頼む。」
 「はい。」
 そしてレイノラも戦場へ。しかしソアラの目にはバルカンと互角以上の戦いを繰り広げる子どもたちの姿しか映らなかった。

 リュカの剣はレイノラが授けたものだろうか、黒い柄に白銀の刃が煌めく美しい剣だった。それは黄金の輝きを浴びて、翼を失ったバルカンを襲う。バルカンは受け止めようとせず、避けることに終始していた。触れただけで、骨の髄まで切り裂かれる恐怖があった。
 しかし敵は一人ではない。黄金に輝くルディーはまさしく竜の使いそのもの。磨かれた魔力でろくな詠唱もなく強烈な攻撃呪文を放つかと思えば、恐るべき速さでバルカンの背後を取り竜波動を放つ。
 ずば抜けた強さ。七年とはいえ、十二神にとってはたったの七年である。生まれてから二十年の時の歩みも知らない彼らがこれほどの力を発揮する。それは数千年の時を生きたバルカンにとって屈辱的だったろう。
 「竜波動!」
 ルディーの手からソアラとは比べものにならないほど巨大な黄金の波動が放たれる。動きの鈍ったかに見えたバルカンをさらに追いつめるための攻撃だった。
 「馬鹿め!」
 しかしバルカンはフェリルの飛翔の能力で一瞬にして空の高みへと逃れる。波動はバルカンを挟み撃ちにしていたリュカを襲った。だがリュカに動じた様子はない。双子の姉弟、その片割れが放った攻撃に恐れるものなど何もないのだ。
 パンッ!
 軽々しく、リュカは竜波動を弾いた。それはさらに加速して下からバルカンを襲った。
 「う、うおおおおおおっ!!?」
 空が爆発した。全ての雲を吹き飛ばし、衝撃だけで大地を焦土に変えるかと言うほどだった。
 「ちっ。」
 アヌビスが舌打ちする。身を隠していた闇の一部が、空から迸った光に削られた。それはリュカとルディーの力が本物であることを意味する。ジェイローグの系譜を持ち、おそらくは光の神その人により近い力。
 「アヌビス様___」
 アヌビスは少し苛立って見えた。クレーヌが声を掛けようとするが、カレンに制された。今のアヌビスの感情は、ヘルハウンドに立ち入れる領域ではないはずだから。
 「ジェイローグだ___」
 闇に穴が開いたことで、オコンにもその姿が見えた。リュカとルディー。特に彼の目はリュカに注がれていた。
 「似てるわね。確かに。」
 キュルイラもまじまじと呟く。オコンは彼女の言葉に返すこともなく、青年リュカの姿をその目に焼き付けた。かつてよく見てきた男の姿をそれに重ねる。顔が似ている訳ではないと思う。しかし人物としての輪郭は寸分の狂いもなく符合すると感じた。
 「これが___時代の終わりか。」
 思いは口を突いて出た。予感は確信へと変わった。
 「___」
 アヌビスはそんな十二神の姿を横目に見やり、再び空を睨んだ。もう戦いは長くは続かないだろう。レイノラまでもがバルカンを追い込みはじめた。
 「アヌビス様。」
 計ったように、今まで無かった声が闇に湧いて出た。
 「よう、久しぶり。」
 アヌビスの軽い返事にいつも通りの無愛想で答えたのはダ・ギュールだった。

 「ありがと、少し落ち着いた。」
 フュミレイに手を握られて、ソアラは微笑んだ。しかし頬の引きつった、無理の感じられる笑みだった。
 「無理もない。あたしが同じ立場でも頭が真っ白になるはずだ。」
 フュミレイの慰めにソアラは小さく頷く。そして子どもたちの戦いに目を移した。先程までの呆然とは違う。無事を願う気持ち、成長を喜ぶ気持ち、こうなってしまったことを憂う気持ち、色々なものが複雑に入り乱れた横顔は、一見穏やかではあった。
 「___」
 しかし、掛ける言葉の見つかる顔ではなかった。
 「あたしさ。」
 だからフュミレイは黙って耳を傾けた。
 「こんな事にならないために闘っていたんだけど、結局こうなっちゃった。」
 「___」
 「あの子たちの成長は嬉しいけど、ちょっと素直に喜べない。強くなると言うことは、別の因果に人生を縛られることでもあるから。」
 「___」
 「でも応援しないとね。子どもたちが立派になったんだもの。」
 ソアラがこちらを見た。だからフュミレイも答えた。
 「___そうだな。その方が彼らも喜ぶ。褒めて、感謝してあげるんだ。」
 「うん。もちろん。」
 「多分、あいつも喜ぶ。」
 「うん。」
 そして二人は、互いの手を強く握りしめた。

 クライマックスはすぐに訪れた。ソアラがフュミレイがバルバロッサが、アヌビスがオコンがキュルイラがヘルハウンドたちが、多くの目が見つめる中、バルカンは最期の時を迎えようとしていた。
 翼を落とされ、嘴を砕かれ、今度は腕を断たれた。それでも彼は死なない。リュカとルディーも分かって攻めていた。彼らの役目はバルカンを追い込むこと。とどめはGの力をその身に留める決意と自信を得た闇の女神の仕事だった。
 「おおお!」
 バルカンは抵抗した。罅入り、先端が砕けて短くなった嘴の奥から、強烈な波動を放った。それは空中で呆然と見ていたソアラたちを襲ったが、立ちはだかったルディーに難なく弾き返された。苦悶の顔で身を捩らせるバルカン。しかし自らの攻撃を避けた先にはリュカが待っていた。
 「ぐはっ___!」
 その鋭い剣がバルカンの背から腹へと抜けた。それでもバルカンは死なない。しかしリュカの光の波動がバルカンの体にも広がると、彼は身動きが取れなくなった。
 「終焉だ。」
 そこにレイノラ。彼女はその手に円形の刃を握っていた。大きくはない。黒い円月とでもいうべきそれは一部がレイノラのドレスに繋がっていた。いわばドラグニエルからソアラが生み出す爪のようなものだった。
 シュッ___
 大気を凪いだだけのような軽い音。しかしバルカンの頭頂から尾底まで、背中に黒い飛沫が跳ねた。それはレイノラの斬撃の力が、バルカンの体を真っ直ぐに貫いた証だった。
 ズッ___
 風がバルカンの体をずらす。僅かな歪みが血管のズレを生み、裂け目を広げていく。自らの血圧で、バルカンの体は左右に押し割られた。血の炸裂とともに、脳が飛び、臓腑が乱れた。
 だがそれで終わりではない。Gの脅威の一つが再生力だったことを思えば、完全に粉微塵にしなければならない。
 「宵闇の裁き。」
 レイノラの掌から漆黒が迸る。それは左右に流れるバルカンの体を飲み込んだ。
 「コォォォォッ___!」
 苦悶の叫びだろうか、闇の中で体を砕かれながら、半分に割れたバルカンの喉が奇怪な音を立てる。そうしている間にも、バルカンの体は手先足先から闇に溶けて消えていく。腕、腿、腰、胸___
 「さらば、バルカン。」
 闇が大きくなる。砂粒一つ残さぬよう、残されたバルカンの頭を消しに掛かる。バルカンにもはや表情の変化はない。彼はすでに死んだのかも知れない。喉の音も消え、断末魔の恐怖に歪み、引きつった顔のままピクリとも動かなくなっていた。
 惨めな末期だった。
 「よく___」
 しかし。
 「俺を殺してくれた。」
 バルカンは言った。掠れきった声で、しかし彼は頭が消え失せる直前に、最後の力を振り絞って言った。
 「おかげで安らかに眠れる。」
 「バルカン___」
 鳥神バルカンは穏やかだった。レイノラにバルディスの頃の彼を思い出させるほどに。
 「レイノラ、感謝する。俺は___」
 懐古した。バルカンが道を踏み外す前のことを。そして彼自身も後悔していたのだろうと感じた。その思いを汲んでやることが、せめてもの供養になると。
 しかし___
 「俺はこれで進化する!」
 その言葉で全てが砕けた。
 「___なに?」
 いまわの際、死に安らかさを見出した。それがバルカンを穏やかにさせたと思っていた。 「殺される必要があったのだ!生まれ変わるには自ら命を絶つのでは駄目なのだ!おまえたちが殺してくれたことで、俺は進化できる!」
 「!?」
 誰もが耳を疑った。バルカンは声とも取れない声で、しかしはっきりとそう言った。目はギラギラと輝き、何の絶望も抱いていない。むしろ希望に満ちあふれているかのようだった。
 「予告しよう!新たなる誕生まで最低一日はかかる!その間にせいぜ藻掻くがいい!七年のアポリオを使うのも良いだろう!だがそれとて進化には遠く及ばないと忠告しよう!次の目覚めで、私は頂点に立つ!」
 嘴が消える。それでもバルカンの声は響いた。
 「生まれ変わるのだ!そう___ソアラ!これはおまえの夫が殺した男の力だ!」
 ボシュッ___!
 まだ言葉はあったかもしれない。しかしバルカンは消え失せた。闇の中に無数の捻れが生じてバルカンの全てを擂り潰していた。
 「これ以上聞く必要はない。」
 リュカとルディーがバルカンの残り滓に食ってかかろうとしていたのが見えたから、レイノラは始末を急いだ。二人は強張った面もちで、闇が収束していく様をを睨み付けていた。
 「ただの強がり___!」
 「いや違うな。」
 動揺の見えるルディーにレイノラは毅然と言い放った。
 「事実だ。私に流れ込む力がないこと、そして___」
 レイノラは遠くの空に視線を移す。
 「奴の統制は失われていないこと。」
 そこでは鳥たちが示し合わせたようにどこかへ飛び立つ姿があった。




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