3 その背に勇気を

 「何を馬鹿な!___あり得ぬ!」
 ビガロスは絶句の後、怒りをぶちまけるようにして声を荒らげた。拳を打ち付けられた石の肘掛けは無惨に砕けていた。そこはバルカンの結界に近い場所で、エコリオットの領内である。ビガロスはそこに石造りの砦を築いていた。彼をはじめ、彼の忠実なる戦士たちが、ここを拠点に日夜バルカンの結界に目を光らせている。そこへ招かれたソアラは、まず真っ先にオコンのことを告げ、それがビガロスの怒りを呼んだ。
 「リシスとリーゼが彼の手に掛かっています。それは紛れもない事実なんです。」
 「なぜオコンが!?」
 「あり得ない話じゃないわよ。」
 石の武骨な椅子に座って頭を抱えるビガロスに、部屋の入り口近くの壁に寄りかかった女が言った。
 「___あ、あなたは?」
 この部屋に招かれてから今の今まで彼女の存在に気付かなかったソアラは、ギョッとして問いかけた。
 「キュルイラ!どういうことだ!?」
 「この状況じゃね。このまま一人ずつ殺されるのを待ってるくらいなら、自分だけでもバルカンに抵抗できる力を得ようって、汚れ役を買って出た殊勝な犠牲心じゃない?」
 「貴様___本気で言っているのか!?」
 「ちょっとその前に名乗らせて。」
 そう言うなりキュルイラはソアラに近寄ると、戸惑う彼女をよそに手を握った。
 「ん?あんたお酒駄目なのね?」
 「え?あ、はぁ、そうですね。」
 「あたしは酒の女神キュルイラ。どうする?お酒に強くしてあげようか?それともあえて酔い潰れたいタイプかしら?」
 「いやその___」
 肌を露出している訳でもないのだが、同姓でもドギマギとさせる艶を持ったキュルイラに、ソアラはタジタジ。彼女が側に寄るだけで、強い酒を飲まされたような妙な高揚感があった。
 「キュルイラ!オコンのことだ!」
 マイペースな女神をビガロスが一喝する。怒声は体の芯に響き渡り、ソアラのほろ酔い気分も吹っ飛ばした。
 「だぁかぁらぁ___」
 慣れているのだろう、キュルイラの物腰や口調が変わることはなかった。ビガロスの苛立ちをよそに、彼女はソアラの肩に手を掛けながら色っぽい笑みを浮かべて答える。
 「結界の一つも破れない連中に、バルカンが倒せるのかって話よ。」
 「ぬぅ___」
 それを言われるとぐうの音も出ない。ビガロスは非道に走ったオコンに怒りは覚えても、今の自分ではそれを戒めることもできないと分かっていた。自らの力でバルカンに抗えることを示さねばならないのに、キュルイラの言うとおり結界すら破れないのが実状だ。だが彼の憤懣やるかたない気持ちはソアラには痛いほど伝わった。
 「エコリオットも同じようなことを言ってました。バルカンがやったことなら他の誰かが同じ事をしても不思議じゃないって。」
 「でしょ?」
 「でも___それってやっぱり間違ってると思います。」
 「ん〜?どして?」
 首を傾げてソアラの顔を覗き込むキュルイラ。ソアラは長い瞬きをしてから続けた。
 「バルカンがしたことは絶対に肯定できない。オコンのしたことも同じです。それを肯定してしまったら、あたしたちは何のために戦って、皆さんは___何のためにずっと生きてきたんですか?」
 「___」
 「今までずっと逃げていたあたしが言うのも変だし、でもだから分かるんですけど___諦めたり逃げてばかりじゃできることもできなくなるんです。それに今のままもしオコンがバルカンに勝ったとしても、それってきっと何の解決にもならない。」
 「だろうね。あたしもそう思うよ。オコンがそう動いたのは、ジェネリを殺されたことが最大のきっかけだろうからね。正義を振りかざしたって、その根底にあるものが憎悪じゃ所詮はバルカンと同じさ。」
 「だったら___」
 「だったら?どうするの?」
 「___」
 「バルカンの暴虐は、ムンゾへの憎悪から始まっている。アイアンリッチと何が違うのさ。あたしたちはGの全てを受け継いでるんだ。それは力だけじゃなく、欲望や野心や虚しさまで。それをすべて一人で受け止められる奴なんていると思う?レイノラ?無理よ、あの子はジェイローグへの罪の意識が強すぎて、心に特大の穴が開いてる。Gの力を体に宿したら、きっとその穴から負の意識に支配されて虚無に落ちるわ。それはあんたも同じ。自分のことだもの、分かるわよね?」
 ソアラは唇を噛んだ。取り繕うこともできず、百鬼のことを思い浮かべて辛い顔になってしまった。
 「ならばキュルイラ!おまえにも同じ事を聞く!だったらどうするのだ!?」
 絡み酒のようなキュルイラの言葉責めを見かねてか、ビガロスが反論する。
 「貴様の言い草は理屈でしかない!我々はGを二度と命ある者の世界へ戻さない、ここで全ての力が消え果てるまで守り続けると誓ったのだ!その責務を全うせず、しかも身から出た錆の横暴を黙って見届けろと言うのか!?」
 「あたしたちはやるべき事はやったわ。悪いけどあたしにはバルカンをどうやって止めたらいいのか分からない。もう誰かに任せるしかないって思ってる。だからといって自殺する気はないけど、この人なら全てを託せるって思った相手なら命を捧げてもいいわ。でも、そういう相手が今のところいないの。だから困ってるのよ。」
 「私___」
 神の口論が続く中、ソアラが呟いた。
 「バルカンは分かりません、でもオコンはまだ元の道に戻れるって思うんです。ううん、きっとバルカンも。リーゼもそれを願っていました。」
 「どうかしら?一度楽な思いをすると、苦労はしたくならないものよ。」
 「裏切りを受け入れろと言うのか!?」
 二人の矛先がソアラに向く。少し前の弱気な彼女なら尻込みしてしまうところだが、いまはかつての強さを取り戻しつつある。簡単には屈しなかった。
 「でも___十二神は死に急ぎすぎです。」
 「!」
 「ちょっと前の自分を見てるみたいで___キュルイラさんは言葉通り、ビガロスさんだって心のどこかで諦めてるんじゃないですか?力で適わないっていっても、かつての仲間じゃないですか。だったらその人の良心を信じて、もう一度元の道に戻してあげようって思えるはずです___なのにまるで殺しに来るのが当然で、それを待ってるみたいに___」
 綺麗事だとは分かっている。あれだけの屈辱を受けた相手を擁護している自分には、正直なところ虫酸が走る思いだった。でも十二神の振る舞いに感じていた疑問を正すにはそうするしかなかった。
 「そうかもしれないわね。」
 憂いの射した顔でキュルイラが答えた。笑みはなかった。
 「いままで十二人で手を取り合って、保ってきたものが切れたの。十二人だから保ててたのよ。でももう半分も残ってない。一人が勤めをほっぽり出して、緊張の糸が切れた同僚もそれにかこつけて好き放題やり出した。収集つくと思う?誰もが責任を持ちつつも、投げ出したいと思っていたのよ。それでも十二人一緒だったから続けてこれたの。十二人いたから繋げた糸なのよ。」
 「なら!___あたしたちがその糸を繋ぎなおすわ!」
 後ろ向きなことばかり言うキュルイラにソアラは動いた。彼女の両肩を掴み、自らその瞳を覗き込んで力強く言い放った。ほんの少し前、フローラがそうしてくれたように。
 「あたしたちはそのためにここに来たのよ。あたしもレイノラも、あたしの子どもたちでさえそういう気持ちで戦っている。あなたたちが迷惑に思っていても、これはあらゆる世界の、全ての形あるもののためにやらなきゃならないことなのよ!」
 その時のソアラの眼差しは、見る者を勇気づける気迫に溢れていた。玉座から彼女を見ていたビガロスは、その体になにやら目に見えないオーラのようなものを感じた。それは彼女の両腕、龍の刺繍が印象的な服の袖から覗いた腕で、特に強く靡いているように思えた。
 (こやつ___)
 戦いで感じた物足りなさとは違う。かつてジェイローグが持っていたものと同じ気配をこの女も持っている。ビガロスはそう感じた。ただそれは彼女だけのものではなく、その両腕に宿る何かと共鳴して醸し出されているようだった。
 「ソア___」
 それを問おうとしたとき。
 ゾゥゥゥッ___!
 背を何かが勢い良く撫で上げた。三人揃ってそんな感覚に襲われた。それは酷い寒気、切迫感、鈍い痺れを伴うかのような感覚だった。
 「出たか___!」
 伝令が来るよりも早く、ビガロスは玉座から立った。
 「バルカン___!」
 ソアラもまた慄然として気配の出所を睨み付けた。

 (予定よりは早い。だがそれでも十分に事足りる。)
 僅か二日だ。景色がそれほど変わる訳ではないのだが、バルカンは世界の変化を感じていた。結界から抜け出した自分に向けられる気配の多さに、己の置かれている状況を察した。
 「うおおおお!」
 砦の周囲で警戒に当たっていたビガロスの戦士たちがいきり立つ。しかし彼らではバルカンに近づくことさえ許されない。バルカンがほんの一度手で大気を切るだけで、迸った見えない刃が戦士たちの首や胴を切り飛ばした。
 それはフェリルの得意技デュランダルだ。自らの体に新たな力や技能がどれだけ馴染んでいるか、彼なりの試運転だった。
 ゴオオッ!
 そのバルカンを取り囲むように、巨大な指が飛び出した。大地から伸びた細長い岩が、彼をつかみに掛かったのである。バルカンは逃げるでもなく、岩に体を挟み込まれる。次の瞬間には斧を振り上げたビガロスが彼の眼前へと躍り出ていた。
 「シロッコ。」
 しかし岩の指などあってないようなものだ。風の女神ジェネリの奥義が岩からあらゆる水分を瞬時に奪い取り、猛烈な熱風で砂へと崩壊させる。
 「おおお!」
 ビガロスは構わずに斧を振り下ろす。だがその時にはもう、バルカンは彼の背後に回り込んでいた。しかしビガロスの前にもバルカンの姿はある。ジェネリの力が見せる風の幻だった。
 「あっけないな。」
 バルカンはビガロスの背後を取り、ニヤリと笑っていた。しかし___
 ゴッ!!
 その嘴が歪むほどの鋭さで、頬に強烈な蹴りがめり込んだ。黄金に輝いたソアラの一撃には、これまでの憤りが惜しみなく込められていた。
 「竜波動!!」
 吹っ飛ばされたバルカンに向けてソアラは黄金の波動を放つ。加減のない竜波動はビガロスをも驚かせる威力を秘めていた。
 「ふっ。」
 しかしバルカンは余裕だった。あっさりと宙で身を翻し、迫り来る波動の前に正対する。
 「カァッ!!」
 そして嘴の奥から同じようなエネルギー波を放った。それはゆうに竜波動を上回り、拮抗する暇もなく黄金を蹴散らすと、反動で動きの鈍ったソアラに一気に襲いかかる。
 ドゴオオオッ!
 猛烈な爆発。しかしそれはソアラの前で食い止められていた。間に入ったビガロスは左腕に巨大な盾を現し、バルカンの攻撃を真っ向から受け止めていた。
 「ほう。」
 バルカンは感心した様子で呟く。ビガロスの盾はバルカンの攻撃を苦にせず、頑として受けきっていた。ソアラはその広い背中の後ろにいた。
 「ありがとうございます。」
 「戦場で仲間に守られていちいち礼を言うのか?当然のことにかける礼など無いはずだ。」
 「!___そうですね!」
 ビガロスの骨っぽい言葉を聞くと勇気がわいてくる。この世界に来てからそれほど多くの人と出会った訳ではないが、こういう十二神がいると分かっただけでも嬉しかった。希望を持っている人物と共に戦えること、それがなによりだった。
 「通用するかは分からぬ。しかし二人であることを活かしたい。」
 「はい!」
 ソアラの返答は明朗だった。ビガロスは彼女が自らの意志を悟ったと感じ、小さく頷いた。
 「攻めは任せた。行くぞ!」
 「はいっ!」
 そして同時に飛び出す。ビガロスの背後にピタリと付いたソアラ。バルカンは動かずに二人の接近を待った。
 「うおおおお!」
 巨大な斧は大地を両断する。十二神の中でも最大のパワーを誇るビガロスの一撃は、例えバルカンであっても当たれば大ダメージが避けられない。しかし速さに乏しいから、紙一重の回避ができ、そこから容易に反撃に転じられる。つまり、ビガロスの特徴を知るバルカンがそう動くだろうと読むのも簡単だった。
 奴がどちらに体を開くか、ビガロスの後ろでギリギリまで見極めたソアラは満を持して大きな背中の後ろから飛び出した。拳は隙だらけだったバルカンの脇腹にめり込み、同時にバルカンの爪はビガロスの胸を裂いていた。
 「神竜掌!!」
 ミキャックの呪拳の技術を取り入れた竜波動、それが神竜掌だ。当てれば攻撃は成功となる!
 ドオオオオオッ!
 バルカンの脇腹を基点に、黄金の輝きが彼の全身に走った。それは皮膚を破り、肉を裂き、臓腑から体の端まで、轟音とともに一気に駆け抜けた。
 「はぁっはぁっ!」
 恨みつらみを込めた渾身の一撃はバルカンを一瞬にして血で染めた。ぐらつく鳥人の姿をソアラは肩で息をしながら睨み付けていた。ただただ見てしまった。
 「動かぬか馬鹿者!」
 「っ!!」
 自分よりも遙かに強いと分かっている相手だ。どんなに威力の高い攻撃であれ、動きを止めてはいけない。強敵を前にして一撃離脱は基本中の基本だ。しかし怨恨深い敵に、ソアラは勘の鈍りを露呈してしまった。反撃を受けない位置まで離れていたビガロスとは対照的だった。
 「ふ。」
 仰け反っていたバルカンの嘴が歪む。瞬時に体を戻すと共に、振り下ろされた両手の爪が煌めいた。
 フッ___!
 「い!?」
 しかし一瞬早く、ソアラの体はバルカンの前から消えた。彼女はなぜか苦痛に顔を歪め、大地に向かって猛烈な速さで落ちていった。まるで吸い寄せられるかのように。
 「ぐ___!」
 体が異様に重い。鉄の山にのし掛かられているかのようだった。このままでは地に叩きつけられると感じたソアラは、宙に留まろうと黄金の輝きを滾らせる。次の瞬間___
 「え?」
 体の重みが消えた。
 「うぅわぁあぁっ!?」
 「!」
 目一杯まで引っ張られたパチンコ玉のように、ソアラは真上へ飛び上がった。それは一直線にバルカンの股間を捉える勢いだったが、バルカンは冷静に飛び退き、ソアラは空の高みまで打ち上げられてから身を翻して止まった。
 「な、なんなのよ!」
 体がおかしい。急に重くなって地面に引っ張られたかと思ったら、今度は驚くほど軽くなった。バルカンは訝しげにソアラを見上げ、やがてその視線をビガロスに移した。
 「ソアラ、体に重さがある理由が分かるか?」
 ビガロスはバルカンを視界に収めながら、ソアラに問うた。
 「___なぜ?」
 「大地が引っ張っているからだ。」
 「ぬぅっ!?」
 ビガロスの瞳が輝く。すると今度はバルカンの翼が拉げるように捻れた。散った羽が石の固まりのような速さで地に落ちていく。
 「それは大地の力、名を重力という。」
 その言葉でソアラは状況を察した。間違いない。今バルカンの体は強烈に重くなっている。
 「これでも私が勝利を諦めていると言うか?」
 「___いえ!」
 諦めるなんてとんでもない。武骨なまでに実直な眼差しにソアラはまたも勇気づけられた。その姿に百鬼を重ねても、違和感がないと思えるほどだった。
 「分かればよい。行くぞ!勝機は我らにある!」
 「はい!」
 ビガロスの号令と共に二人は弾けるように動いた。




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