2 鳥と犬

 「まいったな。」
 その頃、アヌビスは困っていた。といってもそれは口先だけで、彼自身はこの状況を愉しんでいるようだった。
 「こんなところで二人きりになるとは。」
 彼が視線を送る先には、大量の枝を組んで作られた巣の中で、巨大な鳥が眠っていた。足を畳み、翼に自らの嘴を埋めて眠るその顔は、鳥神バルカンそのものだった。
 (さて、どうするか。)
 眠れる鳥神を叩き起こすか、それともここから出る方法を考えるか。
 (問題なのはこれでディメードとクレーヌが変な動きをしかねないことだ。ガッザスがうまく宥めてくれればいいが。)
 静かに眠る鳥から目を逸らす。ここはうろになっていて、出入り口は壁に開いた穴だった。いわばキツツキの巣のようなものだ。アヌビスが見る先には出入り口の穴があり、夥しい力がうねっている。
 (結界なぁ。どうしたもんかな。)
 力は結界だった。バルカンが眠りを邪魔されないよう張っただろうもので、この世界を囲む結界と質は似ている。極めて鉄壁。触れることもままならない強力さだ。しかしこちらは永続的ではなく、ごく僅かな切れ目が高速で動くのをアヌビスは見つけた。そこで時を止めて、隙間を固定し中に入った。そして結界のもう一つの効果を知ったのだ。
 (むむん。)
 時を止めるのは彼の意思一つだ。それがここでは適わない。闇の力もいつになく渋っていた。
 (十二神縛印といったか、ここに同じようなのが張られているらしい。)
 このうろの幹となる部分、その外周に十二の篝火があった。それが結界の基点かどうかはともかく、十二神縛印と同類のものだと想像するのは難しくなかった。
 「やっぱり___」
 眠るバルカンから強い力が感じられる。触れようとすれば滲み出るエネルギーに肌を焼くだろう。だがそれでも今は熟睡状態だ。無防備であり、力を発揮する意思もない。だから結界まで張っている。それでいて肌に感じる力の夥しさに、アヌビスは興味を擽られていた。
 となれば___
 「起こすか。」
 彼の行動は決まったようなものだ。寝起きの観察と共に、この結界の鍵を開けてもらうとしよう。

 「ケァァァァッ!」
 鳥がけたたましく騒ぐ。嘴の奥から魔力を迸らせ、大気が渦を巻く。しかしそれはディメードの掌に輝く宝石に吸い込まれ___
 ギュンッ!
 放たれた光線が鳥の喉奥へと突き刺さり、首の後ろに抜けた。
 「エレメンタルジェムは今日も美しく残忍だ___っ!?」
 髪をかき上げるディメード。視線が上に向いたことで、猛禽の爪が目前まで迫っていることを知った。しかし彼が抵抗を試みるよりも早く、蹴爪に鞭が絡みつくと猛禽の体はグイと引っ張られ、待ちかまえていたクレーヌが嘴に見事な蹴りを叩き込む。
 「気取ってる場合か!」
 嘴の割れた鳥を地に捨てて、クレーヌはディメードの横に取りついた。
 「おまえがいるから心配はしてなかったよ。」
 「あんたのその口、今度針と糸で縫ってあげるわ。」
 「それは嫌だな。でもおまえの唇で塞いでくれるなら大歓迎だ。」
 二人の周りに大量の鳥が集まっていた。全周囲、前後や横だけでなく上に下にと大量の鳥が飛び回り、完全に取り囲んでいた。しかしアヌビスが入り込んだ鳥の巣はもう目前。となればこの程度の妨害で屈するヘルハウンドではない。
 「あたしの唇はそんなに安くないの。代わりに魔力だったらあげてもいいわよ?」
 「そうだな___今はそれで満足しておくか。」
 クレーヌが両手から莫大な魔力を漏出させる。それは鳥たちへの合図となり、一斉に二人に襲いかかってくる。
 しかし___
 ドォゥッ!!
 光線と呼ぶにはあまりに巨大なエネルギーが鳥たちを蹴散らした。クレーヌの魔力はディメードの宝石に吸い込まれ、直径が彼の身長にも達するほどの破壊光線を生み出していた。それは鳥の包囲網に風穴を開けると同時に、そびえ立つ鳥の巣に抉り込み、大きくぐらつかせた。

 「___」
 激しい震動。それは巨木のような鳥の巣の中、奥まったところにある「うろ」にも響き渡った。
 「___む。」
 鳥神の眠りを妨げるには十分な刺激となった。
 「___」
 バルカンはゆっくりと、柔らかな翼に埋めた首を持ち上げる。その鼻孔からは、ベッドにしていた枝が何本も飛び出していた。あくび代わりの鼻息で枝をふっ飛ばすと、彼の体は鳥から人へと変わっていく。羽毛に覆われてこそいるが、二足歩行の人の体に鳥の頭と翼を持つ、鳥人間の姿へ。
 「___」
 自らの体を一通り眺めると、バルカンは早々に部屋の出入り口へと歩き出した。鳥の目覚めは早いというが、バルカンも同じなのだろうか、目を擦ることも伸びをすることもない。ただ淡々と結界に手を伸ばすだけ。
 「誰か知らないが、私の鼻に枝を詰めるためだけに来たのなら見上げた奴だ。」
 良く通る声で振り返りもせずにそう告げると、バルカンの体は何の抵抗もなく結界を抜けていく。翼の先が抜けるまで一瞬のことだった。
 直後、鳥の巣が揺れる。
 (しまったな、あいつは自由に通れるのか。)
 枝葉のベッドの奥。闇に走った切れ目から鼻面を出したアヌビスは、思案顔で忌々しい結界を見やる。バルカンと語ることもなく、うかつにも鳥かごの中に一人取り残されてしまった。

 「こいつら___どれだけ出てくるんだ!?」
 包囲網は脱したが、巨大な鳥の巣からはまだまだ大量の鳥たちがわき出してくる。小振りな鳥たちが人海戦術とばかりにうねりを成して飛び回る姿は、まるで空を走る龍のようでもあった。
 「なっ!?」
 鳥の集合体の龍が口を開けると、炎が溢れ出た。ディメードがそれをやり過ごすと、別の鳥たちが待ってましたとばかりに襲いかかる。しかし割って入ったクレーヌの鞭が鳥たちを蹴散らした。
 「一気に片づける!」
 ディメードの側に寄ったクレーヌの手には魔力が満ち満ちていた。迫り来る鳥の集団に巨大な一撃をお見舞いするつもりだ。最強の爆発呪文エクスプラディールならば、敵の数がどれほどであろうと一網打尽にできる!
 「!」
 その時、ディメードは鳥の集団に色鮮やかなオウムが何匹も混ざっているのを見た。最初は何気なく、しかしすぐにそれが何を意味するか気付いて蒼白になった。
 「待て___!」
 「エクス___!」
 弾け飛んだ。血飛沫は大量の鳥たちでなく、クレーヌの腕から噴き出していた。彼女が呪文を唱えようとした瞬間、色鮮やかなオウムが鳴いていた。
 「クレーヌ!」
 両腕は一瞬で真っ赤になった。派手好みの彼女が、望まずとも紅に染められていた。すでに滅びたと言われる怪鳥カルコーダ。全ての魔道師に恐れられるその鳥の鳴き声は、術者の魔力を暴走させる。ここは生死の境の世界であり、鳥の世界でもある。いても不思議ではない敵だった。
 「クレーヌッ!!」
 気絶したクレーヌをディメードは必死の形相で抱き留めた。両腕は縦に裂けて血は止めどなく溢れ、傷は肩や首にも開き、目玉も赤く染まっていた。彼女の蓄えていた魔力が膨大だったからこそ、傷はあまりにも深かった。
 「っ!?」
 ディメードにも異変はあった。掌でエレメンタルジェムが煮えたぎり、両手が異常な高熱に支配されたのだ。彼はすぐさま掌を外に向け、腕を捻って手首でクレーヌを抱くようにした。彼女をこれ以上傷つけないよう必死に藻掻いた。しかしそうしている間にも鳥たちは彼を追いつめる。
 「無様な___!」
 クレーヌを傷つけ、助けることもできそうにない自分に、ディメードは腹を立てた。と同時に、せめてまだ何とか息のある彼女だけでも無事でいさせる方法を考える。魔力を使わずとも宙を舞えるのは幸いだったが、それ以上のものでもない。
 「うおおお!」
 カルコーダがいてはエレメンタルジェムも使えない。結果として、自分の体を啄ませながら逃げることしか思いつかなかった。全くもってスマートでない。
 「こんなやり方___ガッザスのやることだ!」
 「おおおっ!」
 自分を奮い立たせるはずの言葉だったのに、返事があった。そして次の瞬間、強烈な衝撃波がディメードの肩越しに伸びた腕から放たれていた。
 ドゴォォォォッ!!
 ガッザスの剛力が活路を開いた。その腕力で大気を震わせ、生命力を爆発力に変えて鳥たちを打ち砕く。カルコーダも彼の前では意味を成さない。目の前に開けた空に、ディメードは希望を見出した。
 「アヌビス様はどうした!?」
 と、同時になぜガッザスがここにいるのかという疑問が噴出する。
 「バルカンの寝床へと踏み込まれたが、どうやら力を断つ結界の中だっようだ。」
 「無事なのか?」
 「その質問は無礼だぞ!」
 ガッザスが腕を振るう。それだけで数十の鳥たちが見えない衝撃に打ちのめされる。彼の豪腕には鳥たちを怯ませる迫力があった。
 「我らの命あるうちに、アヌビス様が危機に陥ることなど無い!」
 魔族なのに魔法を使えないガッザスは、万能戦士でないから八柱神になれなかった。しかし腕力とアヌビスへの忠義心は誰にも負けない自信があった。だが忠義心に関しては上がいた。だからこそ彼は、カレンをリーダーと認め、彼女の元でアヌビスのために働くことに最上の喜びを感じている。
 「___それもそうだ!」
 ディメードも同じようなものだ。彼は万能戦士として八柱神の競争に敗れた。力の差を埋めるため、一芸を得るべくカルコーダの血から作られたと言われるエレメンタルジェムを掌に埋めた。しかし馴染ませるのに時間が掛かりすぎた。使いこなせるよう血の滲むような特訓をしている間に、ソアラによって八柱神は壊滅し、アヌビスは地界から撤退した。彼はなんの役にも立てなかった自分を呪い、次こそはアヌビスのために戦いたいと強く願った。そしてヘルハウンドの一員となった。
 「蹴散らすぞディメード!まずはクレーヌを助けることが第一だ!」
 「言われるまでもない!」
 剛胆と気障、好対照だが一つの志で結ばれた男たちに諦めなど無かった。常に這い上がってきた二人だからこそ余計に。
 ババババ___!
 「!?」
 鳥たちが一斉に怯んだ。ガッザスとディメードにではなく、何かを恐れ、戦き、また畏敬の念を持って、二人を仕留めるよりも隊列を整えるために少し下がった。その光景は異様だった。鳥たちの殺気、こちらに浴びせられる視線が全て失せたのだ。
 二人がその原因を知るまで一秒とかからなかった。
 「騒がしいな。」
 振り返るとそこに、奴がいた。
 外見は少し変わっただろうか?しかし人の体に鳥の顔、大きな翼に、長く色鮮やかな尾、頭には黄金の飾り羽、特徴はそのままだった。一番変わったのは顔つきかもしれない。かつての誠実さはそれを上回る残忍さに塗りつぶされているかのよう。唇を歪め、長い舌を覗かせる表情がよく似合っていた。
 バルカンは欲望に正直になっていた。
 「なっ!?」
 バルカンに気を取られていたガッザスとディメードの横を、数羽の鳥が通り過ぎた。二人が驚くのも束の間、鳥たちは一目散にバルカンへ___その嘴へと突進する!
 「!!?」
 肉の拉げる音、骨の砕ける音。鳥たちは開かれたバルカンの大口に自ら飛び込んでいった。バルカンはそれを容赦なく、嘴で噛み潰したのだ。血肉を余すことなく喉奥へと注ぎ、上を向いて肉の固まりを丸飲みで流し込んでいく。首が鳥の体積で盛り上がったかと思うと、その膨らみもすぐに消え、バルカンはしばし目を閉じる。
 「そうか、私の寝床にいたのがアヌビスか。」
 目を開けると、バルカンはおもむろに言った。それはディメードとガッザスを慄然とさせる言葉だった。
 「なるほど、私が結界を張った段階でアヌビスとおまえたちはここにいたわけだ。それで好奇心旺盛な犬が私に近づいてきた。しかし私の寝床の結界で犬の力は遮断され、おまえたちを守っていた闇が消えてしまった。そこで慌てたおまえたちは、ここまでやってきたと。いや、その細身の男と傷ついた女のことだ。大男はアヌビスに付き添って神殿に入っているが、外の異変を知って出てきている。」
 まるで心まで見すかしたように話すバルカン。ディメードとガッザスはただただ言葉を失って、大粒の汗を滴らせて、バルカンを見据えるしかなかった。
 「おまえたちには他にもカレンという仲間がいるが、彼女はここにはいない。そしてグレイン___ああ、そんな男もいたかな。あれもおまえたちの仲間だったわけだ。」
 「!」
 眠っていたはずのバルカンが全てを知っている。
 「不思議か?」
 疑問を見透かすように、バルカンは言った。
 「オルローヌの力が馴染みつつある証拠だ。ムンゾの結界、オルローヌの過去を知る力、フェリルに貢がせたものが身になりつつあるということだ。分かるか?世界に遍く全ての鳥が私の目であり耳である。彼らが見聞きした全てを、私は寸分違わず知ることができる。」
 大きな翼、その羽の一つ一つがざわめいているようだった。目覚めとともに、バルカンの体の隅々まで力が行き渡ろうとしている。
 「だが、鳥たちでは内情を知るまでには至らない。」
 「!?」
 次の瞬間、バルカンはディメードの後ろにいた。肩に担いだクレーヌを見つめて、残忍な笑みを浮かべていた。
 「教えてもらおうか。」
 ディメードがクレーヌを守ろうと身を翻すよりも、ガッザスがその豪腕を振り上げて殴りかかるよりも、バルカンの手の方が早い。鳥ならではの正確さで、クレーヌの頭を捕らえに掛かる。
 フッ___
 「!?」
 しかし空を切った。女だけでなく、それを守ろうとした二人の男も消えていた。
 「___そういうことか。」
 雨粒のように、地に落ちていく血の雫。人の目では気付きようもなかったろうそれを、バルカンは見ていた。

 「申し訳ございませんアヌビス様。」
 闇の中で、クレーヌがアヌビスに詫びていた。意識を取り戻しただけでなく、全身の傷も漆黒に塗り潰されていた。
 「しかしアヌビス様がこれほど傷つくとは___」
 「ん?まあそれはどってことないぞ。」
 驚いているディメードをよそに、アヌビスは事も無げに答える。真っ赤に染まっていたクレーヌに負けず劣らず、漆黒の肌では目立たないがアヌビスの体にも大量の黒い血の跡が蔓延っていた。
 「とりあえず無事で良かったな。あのままじゃおまえたち三人全滅だ。」
 バルカンに襲われたあの瞬間、時を止めたアヌビスが彼らをかっさらっていったのは一目瞭然だった。
 「しかしアヌビス様がそのように傷つかれては我々の気が治まりませぬ!かくなる上はすぐにでもあのバルカンに一撃浴びせて___!」
 「やめやめ。」
 熱くなっているガッザスの首に闇から伸びた紐が絡みつく。軽く絞めあげられて、ガッザスも怒声を止めた。
 「あの状況を招いたのは俺だ。おまえたちが心を決めて俺のために命を捧ぐなら、俺は見届けはしても止めることはない。だが今のは完全に俺のミスだ。それを許すわけにはいかない。」
 そう言いながら、アヌビスはクレーヌの頭に大きな手を乗せた。
 「ましてこいつに死なれちゃあまりに寝覚めが悪いだろ?」
 「___アヌビス様。」
 その掌の重さがクレーヌの心に響く。なんであれ迷惑を掛けた無念さと、命を救われた幸福感が入り乱れた。とても不思議な気持ちだった。
 しかしそれも一瞬で終わる。
 『邪神にしてはぬるいのだな。』
 立ち入れないはずの闇に割り込む声があった。
 「___バルカン!」
 ガッザスとディメードが身を強ばらせる。クレーヌもすぐさまアヌビスに背を預けて身構えた。
 『ああ、案ずることはない。今は君たちに興味はないよ。』
 闇の中に黒い嘴が覗いていた。それを見つけたクレーヌは鞭を振ろうとするが、アヌビスが腕を掴んで止めた。
 『私は外に向かう。しかし君たちは私のテリトリーから出れるかな?今度は力づくで破れるような結界じゃないぞ。』
 バルカンは饒舌だった。それは自信の現れだろう。
 『より強力になった私が戻るまで、ここで待っているといい。知っているだろう?食材は少し寝かせた方がうまいのだ。』
 そう言ってやかましく笑う。しかし次の瞬間には、アヌビスの手から介抱されたクレーヌの鞭が嘴を打ち砕いていた。
 ズ___
 すぐに嘴を砕かれた小振りな鴉が、力無く闇の中に落っこちてきた。ガッザスがすぐさまそれを踏みつぶす。何のことはない、この鳥はただの伝令役だ。
 「伝令とはなめた真似を___!」
 ガッザスは苛立った口調で言った。しかしアヌビスは、怪訝なヘルハウンドの面々とは違って、一人不適な笑みを浮かべていた。
 「面白い。」
 「は?___っ!」
 クレーヌは思わず振り返った。そのときに見たアヌビスの顔、黄金の瞳の輝き。口は笑っていても、ギラギラと獲物を見つめる獣の如く鋭い眼差しに彼女は息を飲んだ。
 「こいつは挑戦状だ。」
 「挑戦___?」
 「伝令役?確かにそうかも知れない。しかし俺の邪輝で作られた闇に入り込んできた。その点では、この鴉はソアラよりも強い。」
 「!?」
 それは三人にとって衝撃的な言葉だった。彼らは鴉があまりに易々と侵入してきたから、この空間は邪輝に関わらない闇の術で作られたものだと思い込んでいた。邪輝は絶対無比な力だと思っていたから。
 「あいつの張った結界を強引にぶち破ったことでついた傷、その程度を見てあいつは俺の肉体の強靱さを計った。その上で、今度は俺の持ち札の一つである邪輝に揺さぶりを掛けようとしている。大したもんだと思わないか?」
 アヌビスは明らかにこの状況を愉しんでいる。挑戦とは言ったが、バルカンはすでにアヌビスを上から見下ろそうとしている。それを知った上で、アヌビスは身に疼く高ぶりを感じているかのようだった。
 (ああ、やはりアヌビス様は___)
 そしてクレーヌは感じた。彼の真意を知ったうえで今の表情を見たからこそ、この邪神がいかに純真な男であるか実感できた。世界の創造主となる、その言葉に嘘はない。しかしそれは目指すべき結果であって、その時々の彼の行動はもっと単純だ。容易に触れがたい奥深さと、子どものような無邪気さを併せ持ち、ただ好奇心の赴くままに動いているのだ。
 話しに聞く邪神とは、光に源を成すもの全てを滅ぼすことを宿命にするという。だがアヌビスは明らかに違う。結果としてジェイローグ打倒に動きはしたが、彼の目指すものは違うのだ。
 「行くぜ。期待に応えてやろうじゃないか。」
 苦難を乗り越えてこそ、生命は成長する。自らを追い込みかねない存在の登場こそが、何よりも彼の好奇心を擽るのだ。
 「ええ、やってやりましょう!」
 「お〜、乗り気だな。」
 「やられっぱなしじゃ癪ですもの!」
 クレーヌは確信した。彼の真意を知ったからこそ分かった。
 (カレン、あたしも少しはあんたの心境に近づけたかもしれない。あたしたちはただアヌビス様の後に続けばいいんだって、やっと理解できた。だって___)
 彼の進む道こそが覇道なのだから。




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