1 試練の洞窟

 時は少し遡る。
 オコンが行動を起こす夜のこと、やがて荒れ狂うだろう海の世界に隣接した場所は、至って静かなままだった。しかもそこは悪の枢軸と化したバルカンの世界にも面している。全ての世界に触れながら不変であり続ける場所、それが世界の中心、ファルシオーネだ。
 「___」
 背高な岩が並ぶ不思議な景観。その岩の狭間に野営を取るのは寡黙さが滲む二人の男。鋼の神ロゼオンとバルバロッサである。
 「ふむ。」
 ロゼオンは漆黒の剣をじっくりと眺め、深く頷いた。大降りの刃には深紅の宝石が埋め込まれ、燃え尽きそうなほど小さなたき火を受けてギラリと輝いていた。
 「素晴らしい。やはりこれはパルーゼだ。」
 「___」
 剣はバルバロッサのもの。宝石は彼が自らの左腕からはぎ取って、剣に埋め込んだもので、赤甲鬼と呼ばれる妖魔の能力。しかしバルバロッサ自身、この宝石がなぜ鱗ように自分の左腕に蔓延っているのかは良く分からなかった。
 それをロゼオンは、初めて会ったときから知ったふうに「パルーゼ」と呼んだ。だが迷いもあったようで、「暫く君を観察させてほしい」とバルバロッサに申し出た。それをバルバロッサが受け入れたことで今がある。
 「疑っていたが、どうやら君は本当にパルーゼ族の末裔のようだな。」
 「___」
 バルバロッサはとくに問うでもなかった。身じろぎ一つしない彼に、ロゼオンは髭で覆われた口元を歪める。
 「ふむ、過去の血などどうでもよいか。確かに君はそういう男だ。だが自らを知ることを拒むでもあるまい。」
 沈黙は了承。そう理解したロゼオンは、蕩々と語り出した。
 「パルーゼ族はバルディスの少数民族だ。自らの意志で鉱石を生み出すことができる。血のような深く濃い赤色の石は、民族の名前そのままにパルーゼと呼ばれ、その秘めたる力ゆえに高価な品とされた。力というのはいま君が示しているものだ。パルーゼは鉱物に命を与える。心臓石という別名もその力に由来する。」
 パルーゼは鉱石でありながら命を持つ。ではそのエネルギーの源はどこにあるか、想像するのは難しくない。
 「君自身、実感しているだろう。パルーゼは創造者から命を分け与えられている。創造者はパルーゼを生み出すことで、自らの命を削っている。」
 「___」
 バルバロッサは何も答えないが、耳を閉ざすこともなかった。
 「パルーゼを鉱物由来の道具に埋め込むことで、成長する道具が生まれる。命を与えられたのが武具であれば、あらゆる名匠の業物を超えた究極の武具となる可能性を秘める。つまり君のパルーゼの使い方は実に正しい。無論、それだけ優れた武具を生み出せるのだから、パルーゼ族は戦闘能力にも秀でていた。」
 ロゼオンの語るパルーゼ族はまさに今のバルバロッサそのものである。彼は無情の男に見えて誰よりも武器を大事に扱う。自らの命を分け与えた子なのだから、当然のことだ。
 「ちっ___」
 だがその事実がバルバロッサを苛立たせた。自覚せずとも無意識のうちにパルーゼ族らしい振る舞いをしていたこと、未だ数千年前の血に影響されているこが、無性に口惜しかったのだ。
 「私は鋼の神であり、彼らとは浅からぬ関係であった。その末裔に出会えたのは幸福というしかない。」
 話がロゼオンの心情に及ぶと、バルバロッサは頬までマントに埋め、目を閉じる。聞くに及ばずという無言の主張だった。だがロゼオンは構わずに続けた。
 「君には同族がないと言ったな。ならば子を残せ、バルバロッサ。君が絶えれば血が絶える。君の血族は常に荒波に飲まれながら生きてきた。苦しみながら伝えられてきた血の一滴を決して絶やすな。」
 ロゼオンの声が大きくなった。バルバロッサが拒もうと、その言葉だけは絶対に伝えたかったからだ。
 「私は幾千年の長きに渡り、隔絶された世界でひたすら時を費やしてきた。君との出会いは私にとって、岩から削られた砂の一粒を、長き旅路の果てに辿り着いた砂漠で見つけたようなものなのだ。」
 「___た。」
 バルバロッサが何かを答えた。だが、ロゼオンを見るでもなく、聞き取れないほどの小さな呟きだった。
 「なぬ?」
 「来た。」
 今度はより明朗だった。さらにマントの陰から、右手の人差し指を空に向けて立てる。ロゼオンが見上げると、切り立った岩の狭間に銀髪の女が留まっていた。
 「お待たせしました。」
 「おおレイノラの!」
 フュミレイだ。

 「これだけ微細な気配をかぎ分けられるとは大した物だ。だてにレイノラの使いを名乗ってはいないな。」
 「ありがとうございます。」
 ロゼオンとバルバロッサは身を潜めながらも、僅かに自らの気配を沸き立たせていた。ある程度の場所を聞いていたとはいえ、フュミレイは迷うことなくそこへと飛んできた。まだ夜も明けぬうちなのだから大した速さである。
 「ふむ___そして実に美しい。なるほど髪の色こそ違えど君はレイノラに良く似ている。」
 「そうでしょうか?」
 そう言われるのは初めてではない。しかし初対面の相手に、色眼鏡でもなく指摘されるほど似ているとは思えなかった。
 「体から放つ空気が似ている、ということだ。まあそれはまたにしよう、私が聞きたいのはレッシイの居場所だ。」
 「さきほど彼女のアジトを覗いてきましたが留守でした。ですが生活の跡は残っており、察するに家を空けてからおよそ一日。」
 「すると___」
 「この辺りで我々を見ていると思います。」
 その直後だった。岩の間で乾いた音が共鳴し、二重三重に余韻を残していかにも投げやりな拍手が鳴った。
 「はいはい大当たり、凄い凄い。」
 そしてロゼオンのすぐ後ろから声がする。彼が背にした岩の陰から、しかめっ面のレッシイが出てきた。相変わらず、黒いレザースーツに銀の装飾を散りばめ、半分だけ染めた派手な髪。とても隠れるのがうまそうな出で立ちではないが、彼女はロゼオンとバルバロッサに全く悟られることなく側にいたのである。
 「あんたって相変わらず感じ悪いわね〜。あたし自分の行動が人に見透かされるのって大っきらいなのよね。」
 「それは悪かったね。あいにくあたしは人の自信を砕くのが好きだから。」
 「かーっ。」
 レッシイは額に手を当てて天を仰ぐ。フュミレイはその仕草に笑みを見せた。
 「レッシイ、私を監視していたのか?私が何度おまえのために好みのティーセットを送ってやったと思っているのだ?」
 「ああん、ごめんね〜ロゼオン。でもさあ十二神が直々にここに来るなんて変じゃん。だから警戒も強まったってわけ。そっちのは凄く鼻が利きそうだから、結構隠れるのに骨折れたわよ。」
 不満顔のロゼオンに猫なで声で擦り寄りながら、バルバロッサを指さして彼にもウインクするレッシイ。無論バルバロッサが反応するはずもないが。
 「あ、そうだ!バスティアのカップ割れちゃったのよ!また頂戴ね!」
 「ああいいだろう。いまここで作ってやっても構わないくらいだ。ただし、ファルシオンと引き替えだな。」
 「あぁ、やっぱり。それのこと。」
 お茶らけて、たっぷりと隙を作りながらも、体の芯には暗殺者のような鋭い気配を宿すのがベル・エナ・レッシイ。こうして少し真面目な顔を覗かせただけで、彼女の雰囲気はがらりと変わる。
 「今の気持ちは、お断りね。」
 ロゼオンの胸を突いて、レッシイは軽やかに彼から離れた。
 「なぜだ?」
 「必要性が分からないわ。事情も知らないし。」
 「ならば今から教える。」
 「でも多分お断りよ。」
 「どうして?」
 「Gとまともに戦える奴がいるのかってこと。ファルシオンだけあったって、使う側にGと張り合える奴がいないんじゃ、絶対渡せない。それともファルシオンを敵に壊されたり奪われたりしない絶対の自信があるわけ?」
 それに答えるのは難しい。ようは今のバルカンと一対一で戦える人物がいるのかと言うこと。少なくともロゼオンには適役が思い浮かばなかった。
 「レイノラ様がいる。」
 代わって答えたのはフュミレイだ。
 「レイノラ様はいまかつての力を取り戻すために、エコリオットの元にいる。おそらくあと二日あれば、レイノラ様はかつての力を取り戻すはずだ。」
 それを聞いたレッシイは少しだけ驚いた顔になる。しかしすぐに我を取り戻してニヤリと笑った。
 「希望的観測じゃん。」
 「___」
 「まあいいよ。とりあえず何があったかだけは聞いてみる。普段なら聞く耳さえ持たないんだから、ありがたく思いなさいよ。」
 そう言ってレッシイは無言で座るバルバロッサに歩み寄り、その肩に腰掛けた。
 「___」
 「___」
 「___」
 「何とか言わないの!?」
 「___」
 「いい度胸ね!」
 そう言いながら、レッシイは何とかバルバロッサを動揺させようと、彼の頬にお尻を押しつけたり、耳に指を這わせてみたりしている。ロゼオンは呆れた様子でそれを見やり、フュミレイはまた怒られそうだなと思いながら、世界の動きからあえて耳を閉ざしてきたはずの彼女の心境の変化を察した。
 彼女も分かってはいるのだ、今そこに迫る危機があることを。だからファルシオンに対して、幾らかでも垣根を低くした。

 「ふぅん、あの堅物のバルカンがね。世の中分からないもんだわ。」
 言葉ではそう言ってみせるレッシイだが驚いた様子ではない。ちなみに彼女、肩から膝の上へと移動したが、未だバルバロッサに座ったままである。
 「あまり___」
 「あたしは客観的に見てきたつもりだから。」
 態度の意味を問おうとしただろうフュミレイの声を、レッシイは強引に塗りつぶした。そして得意げにニヤリと笑う。
 「誰だってバルカンになる可能性はあったはずよ。確かに綻びを作ったのはムンゾの身勝手かもしれないけどね、きっかけが違えばGに近づいたのはバルカンじゃなくってロゼオンだったかもしれない。十二神はGのことを知っていて、そこに到達する方法も知ってるんだから。」
 「我々は信用がないのだな。」
 ロゼオンは小さな溜息をつくが、レッシイはむしろ鼻息を荒くした。
 「あたしはそうやって自分を律してきたんだ。あたしはファルシオンを預かっている。それはいざというときの審判を委ねられているようなものだから、常に公平じゃなきゃならないんだよ。」
 それが長い年月、十二神のように自分の世界を築くこともできず、この岩だらけの無人地帯で過ごしてきた彼女の拠り所だ。彼女は自分に厳しくあり続け、責任感だけで数千年の間を生きてきた。もしかしたら、この世界にいる誰よりも孤独な思いをしていたかもしれないのに。
 「___」
 「あ。」
 渋面のレッシイと目があい、フュミレイは思わず声を漏らした。
 「またあたしのこと詮索してたろ。」
 「性分なんだよ。」
 「ロゼオン、こいつの名前は言いづらいからこれからフーミンって呼んでやってよ。」
 「ほう。」
 「そ、それはやめてくれ。」
 「無口なあんたも!」
 グッ。太股を叩いてせがまれると、バルバロッサは親指を立てて応じた。意外にツボを押さえた彼の態度にレッシイは高笑いし、フュミレイは肩を落とした。
 「で、それはいいとしよう。ファルシオンは渡せるのか?」
 「手に入れる権利は与えてもいいと思う。いまのうちにバルカンを止めるのには賛成だから。」
 含みのある言い回しだ。ロゼオンもレッシイも、顔つきから緩みは消えていた。
 「権利とは?」
 「ファルシオンは簡単に取れないようにしてあるのよ。」
 「ほう。」
 「在処は言うまでもなく世界の中心よ。Gが封じられた経緯を思い出せば、ファルシオンがオル・ヴァンビディスのど真ん中に刺さっているのは分かるでしょ?」
 ロゼオンは頷く。フュミレイとバルバロッサはただ二人の言葉に耳を傾けていた。
 「そこの地下深く、ああ違う!そこの底にファルシオンはあるわ。」
 「底か___言い直すほどのギャグではないな。」
 「うっさい。問題は、それを取って帰ってこれる力があるかどうかよ。」
 レッシイは順にロゼオン、フュミレイと見やり、バルバロッサの腿に手を触れる。
 「まず無理だね。」
 そしてはっきりと言い放った。しかしロゼオンは納得していない。
 「レッシイ、おまえが座っている男はパルーゼ族の末裔だ。そしておそらく、過去を顧みてもパルーゼ族最強の戦士だ。」
 「そうね、バルバルが強いのは分かるわ。」
 「バ、バルバル___」
 「でもね、彼魔法だめでしょ。力と魔法を併せ持った戦士じゃないと先には進めないわ。しかも洞窟に入れるのはあたしも含めて二人だけ。」
 「レッシイも?」
 「そりゃそうよ。あたしは審判だし、洞窟を奥へと進む鍵はあたし自身だから。」
 そこまで話したところでレッシイはポンッと一つ手を叩き、バルバロッサの膝から立ち上がる。
 「あんがと。あたしバルバルのこと気に入ったわ。」
 「___迷惑だ。」
 「えーっ!やっと喋ったと思ったらそれ!?」
 「レッシイ。」
 レッシイがなあなあのままにこの場を収めようとしていると感じ、フュミレイは彼女を呼び止めた。レッシイはゆらりと振り返る。
 「あんたが行くの?」
 瞳に込められた気配が一変していた。相手を飲み込まんばかりの鋭気。黄泉の波法である気殺に似たレッシイの特技だ。それは彼女なりの審判の一つだろう。これで怯んでいるようでは、洞窟の奥に辿り着けるはずなど無い。
 「挑戦したい。」
 フュミレイは微塵の動揺も見せずに言い放つ。レッシイは目を閉じて溜息をついた。
 「ったく、大人しく母さんが出てくるまで待てばいいのに。」
 「少しでもできる可能性があるならやるべきだ。あたしたちはそうして戦い、ここまでやってきた。」
 自分らしくない言葉かもしれない。しかし今だけは、あいつが背中を押してくれていると信じたかった。
 「それに時間もない。力を満たしたレイノラ様にファルシオンを届ける、その挑戦が世界を変えるかもしれない。」
 「___しゃあないね。死んでもしらないよ。」
 フュミレイは力強く頷いた。

 世界の中心たるファルシオーネの、さらにど真ん中。景色はこれまで見てきたファルシオーネと変わらない。剣山のようにして、切り立った無数の岩が乱立するばかりだった。その岩の狭間に立ったレッシイは、スラスラと長い呪文を唱える。
 よく見れば、そこは十二の岩に囲まれた空間だった。背高な岩は途中で捻れ曲がり、空から見たのでは十二の岩が均等に並んでいるようには見えなかっただろう。しかし地表に立って、レッシイの呪文に呼応して光の陣が広がると、そこが特殊な場所なのだと実感できた。中心から魔法陣で結ばれた十二の岩の延長には、おそらく神々の神殿があるに違いない。
 そして景色が変わる。裏返ったというべきかもしれない。不思議な感覚だったが、魔法陣の中に立ったはずのフュミレイは次の瞬間、地下に立っていた。洞窟だから本来深く潜っていくはずなのに、穴は上へ向かって続いていた。つまり、地面がどんでん返しのようにひっくり返って、見上げれば地の底が見えるという状況だ。足下を掘り進めばやがて空が見えるかもしれない。
 「いちいち驚いてたらきりがないって。」
 言葉を無くして辺りを見渡しているフュミレイに、レッシイが窘めるように言った。
 そこは冷たく暗い洞窟だったが、明らかに人の手が加えられていた。フュミレイとレッシイは朧気に光る魔法陣の上に立っているが、足下は平坦で、壁や天井の凹凸こそ自然の面影を残すが四角い部屋になっており、正面には細い穴蔵があって上へと向かう石段が見える。
 「これはレッシイが作ったのか?」
 「この辺はね、なにせ時間はあったから。でも奥は違うわ。そこまで行ければ分かるけど、ファルシオンが勝手に作ったようなものよ。」
 「___」
 言葉少ななフュミレイの横顔を見つめ、レッシイは言いかけた意地悪な言葉を飲み込んだ。彼女の隻眼は新鮮な驚きにキラキラと輝いているだけで、恐れてはいない。茶化したところで堂々たる態度で流されるだけだろう。
 「ここから出る方法は教えないよ。この先に待つ試練に挑むのはあんただけだから、あたしに危険が及ぶことはない。諦めたくなったらちゃんとあたしに言うんだ。」
 「ああ。」
 返事だけは立派だ。しかしすでに歩き始めた彼女に諦める気など毛頭無いだろう。
 (稀代の魔道師の血族が、どこまで行けるかな___?)
 だからレッシイもここからは口を閉ざし、審判として彼女の挑戦を見守ることにした。

 ファルシオンの洞窟は蟻の巣のようだった。細い道を進むと少し開けた部屋があり、そこに試練がある。試練をクリアすれば壁の一部から次への道が現れるといった仕組みだ。試練はファルシオンを求める者にその資格があるかどうか、知力、体力、精神力などを見極めるテストのようだった。
 「___その暗がりに舞う翼を暁の輝きに染め、深雪の園に灼熱の息吹をもたらさん。」
 壁の窪みに手を触れて、聞いたこともない長い呪文の詠唱をよどみなく言い切る。反対側の壁の窪みに手を触れて魔力を注いだときだけ明らかになる文言を記憶し、正確に唱えるという試練。
 (さすがに知性の類は全く苦にしないわね。)
 これはほんの一例でしかない。パズルやクイズのようなものや、バルバロッサでは突破できないだろう魔力の量を試すようなものもあった。しかしその手の試練を苦にするフュミレイではない。問題は___
 「!」
 「お、さすがに敏感。」
 「魔道を禁じた部屋?」
 「そう。」
 魔力に頼れない試練である。試しに指先に微弱な魔力を集めてみると、皮膚が熱を持ち、血が煮えるように弾けた。理屈は分からないが、ここは体表に現れた魔力を過剰に熱する仕掛けがあるらしい。
 「___」
 部屋の中央には石の円卓があり、その上に巨大な石像が鎮座していた。石像の顔が反対を向くまで動かせば道が開くというのはすぐに分かった。
 (さてどうする?)
 力に頼らなければならない場所で、フュミレイは浅はかな実験で利き腕の人差し指を負傷した。それがただの過ちか、自信の現れかはこれから分かるが、レッシイは後者だろうと確信していた。この程度で手詰まりになるなら、彼女は洞窟そのものに挑戦しない。
 ゴッ!
 あっという間だった。しかしレッシイにとっては初めて見る彼女の境地。フュミレイは両手を暖かみのある光に包み、石像を回して見せたのだ。簡単に動かすだろうとは思っていたが、使った手段はレッシイの想像と違った。
 (闇の力は魔力を超越しているからここでも使える。だからそれでいくと思ったのに、あの光は___生命力の波動かしら?)
 部屋の奥で道が開ける。
 「ありがとう。」
 フュミレイはそう呟いてから光を消した。その言葉が誰に向けられたのか、レッシイには分かるはずもない。苦手な腕力を求められ、その解決に練闘気を用いたフュミレイの思いなど、知るよしもない。

 いくつの試練を超えただろう?もう数十のテストを受けたと思う。しかし命の危険を感じさせるものは少なかった。それでもフュミレイは集中力を切らすことなく、ただひたすら前を目指した。狭い通路を抜けると、今度は大き石の扉が立ちはだかる部屋に出た。
 「これで半分。」
 久しぶりにレッシイが口を開いた。魔力を禁じられた部屋以来だ。
 「___」
 「真剣だね。でもここからが本番。ここからはあんただけで行くんだ。」
 そう言うなり、レッシイはフュミレイを追い越して扉の前へと進み出る。そしておもむろに、扉に向かって手を伸ばした。
 ズ___
 何ら抵抗無く、レッシイの体が石の扉に沈んでいく。手から腕、片方の肩まで入り込んだところで、彼女は振り返った。
 「あたし自身が鍵ってのはこういうこと。鍵は扉に刺さったまま残る。先に進めるのはあんただけ。そして___ここからが本当の試練だよ。あんたはこれまでの予備試験で、苛酷な戦いに耐えうる基礎があると判定されたわけだから。」
 逆の手、足とレッシイは石の扉に入り込んでいく。フュミレイはただ黙ってそれを見ていた。
 「いいね、その気迫なら楽しみだ。じゃ、生きてまた会えるのを楽しみにしてるよ。」
 そしてレッシイは顔までも石の中に埋めていく。鈴をぶら下げた長い髪の先まで消えると、今度は石の扉が重々しい音を立てて僅かに開いた。
 その先は真っ暗で、奥の様子は良く分からない。しかしフュミレイは恐れることなく進んだ。中へ入ると案の定というか、後ろで扉が閉まり、暗闇の中で彼女一人になる。
 (これは?)
 隔絶された瞬間、自らの体に起こった異変をフュミレイはつぶさに感じ取った。
 (力が奪われた___?)
 少しだけ体が重く感じた。体重が増えたのではなく、自分の体に蓄積していた疲労が強まったと言うべきか。そしておそらく、体に漲る魔力が大幅に減じた。いやそれだけでなく、腕力も生命力も全てが減じられたのだろう。だから疲れが出たのだ。
 (これがファルシオンか。)
 この奥にあるだろう剣は、全ての力を半分にするという。この空間一帯にその効果が働いているとすれば、ここからはまさしくファルシオン自らが挑戦者に試練を課しているのだろう。
 (この先の戦いと言っていたな___)
 フュミレイはレッシイの言葉を思い出し、目を閉じて静かな吐息をさらなる静寂へと導いていく。そうするうちに彼女の周りでハタハタと、ごく軽い何かが地に落ちる音がした。さらにフュミレイはボールを放るように手を伸ばす。少ししてグッと指を閉じると、数メートル先で炎が煌めいた。火炎呪文を闇に包んで飛ばしたのだ。
 ビュビュビュ!
 その光は一斉に黒い粒に集られ、めためたにもみ消された。黒い粒自身が燃え上がり、また何らかの液体が炎と混ざって強い匂いを発した。
 (光に反応する毒虫。蜂か何かか?)
 一瞬の光で前に道があるのは分かった。フュミレイは全身から殺気を迸らせ、毒虫を寄せ付けることなく前へと進んだ。もし体に光を灯せば、虫たちはお構いなしに突貫してきただろう。
 (ここからは死と隣り合わせか。)
 しかし不思議と恐怖はない。闇の中でも道に迷う気すらしなかった。

 虫が蔓延る部屋を抜け、長い階段を上がり、下がり、また上がる。その先から赤い光が差し込んでいた。
 (___また?)
 再び力が削られる感覚。長く歩き続けてきたからか、足や背中に軽い張りが感じられた。少しずつ常人へと近づく自分がはっきりと実感できた。ただそれでも足取り乱さず赤い光の差す場所へ。
 (へぇ___良くできてる。)
 赤い光は部屋の奥に居座る竜の石像の目から放たれていた。フュミレイが部屋に踏み込むと同時に、石像が砂粒を零しながら重々しく動き出し、彼女の後ろでは岩壁が落ちた。石像の後ろにも出口はない。どうやらこいつを倒せば道が開くという、もっともわかりやすい試練のようだ
 ガゴン___
 音を立てて石のドラゴンが口を開く。赤く照らされた部屋の中で、口の奥が白い輝きを発した。
 「!___ストームブリザード!」
 フュミレイは咄嗟に氷結呪文を放った。ほぼ同時に、石像の口から灼熱の弾丸が迸る。
 「くっ!?」
 それは高熱を帯びた砂礫だった。フュミレイの対処は素早かったが、赤熱した砂礫の一部は氷のカーテンをぶち破り、彼女を襲った。
 「ディオプラド!」
 体に浅い裂傷を刻みながらも、ただでは終わらない。しっかりと敵を見据えて高速の白熱球を放つ。
 パァンッ!
 「!?」
 しかしディオプラドは石竜に届くことなく、空中で弾け飛んだ。どうやらあの石像の周りには、魔力を打ち消す力が働いているらしい。
 (なるほど___)
 ズン。
 思案している間に、石竜が前へと進む。そして再び口を開いた。
 「ヘイルストリーム!」
 だが灼熱の砂礫が迸るよりも早く、フュミレイは最上級の氷結呪文を放つ。それは猛烈な吹雪となって部屋一杯に広がった。石竜の手前で霧散してはいるが、灼熱の砂礫を防ぐには十分な盾だった。
 吹雪の背後からフュミレイが飛び出す。鈍重な石竜は横から迫る敵に振り向くこともできない。だが呪文の通じない相手にフュミレイが取れる策も限られていた。
 ゴッ___!
 フュミレイは石竜の顔、調度赤い光を発する目の当たりに拳を叩きつけたが、常人の腕力でしかない彼女では石に傷一つつけることもできない。それどころか肘や肩が鋭く痛んだ。
 「よし。」
 だがそれで決まりだった。力一杯打ちつつけた拳そのものは、闇に守られて傷一つ無い。そして石竜の顔も墨でもぶつけられたかのように黒く染まっていた。黒はすぐさま顔全体に網目状に広がり、瞳の奥の赤い光が明滅する。やがて石竜は黒の紋様をなぞるようにして罅入り、赤い光が消滅すると一気に砕け落ちた。
 力はいまや四分の一まで落とされたが、技術は変わらない。特にミキャックから習ったわけでもない呪拳の技術を応用し、魔力を超越した力を叩き込む。結果は思惑通りだった。
 (拳だけにしておいてよかった。闇の力は弱った体には厳しい___)
 ただ余裕があった訳でもない。石竜の残骸の向こうで壁が開くのを見ても、フュミレイは鼓動が落ち着くまでその場を動くことができなかった。並の肉体で高等すぎる力を使うのはそれだけのリスクを伴うと言うことだ。
 (まだあたしはこの力を自分のものにしていないということだ。)
 しかしフュミレイはだからといって戦い方を変えるつもりもなかった。
 (これはいい鍛錬になる。生きてここを出られれば、あたしは今よりも遙かに強くなる。)
 欲を掻いた考えではあったが、それも一つの糧になる。ニックを失い、ソアラが不安定ないま、彼女はより強くなることを求めていた。本当の意味でレイノラの力になれる存在になることを。
 「行けるな。」
 自らの頬を数度叩き、フュミレイはまた歩き出した。




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