2 不穏
『様___』
どこかで呼ぶ声がする。
『レイノラ様___』
この声は___
『どうかお答え下さい!凛様___!』
「冬美?」
レイノラはようやく彼女を呼ぶ声に気が付いた。声の主がそこにいる訳ではない。側ではビガロス、キュルイラ、ロゼオン、オコンがこれからどう動くべきか話し合っていた。
バルカンが逃げた場所は、おそらく自らの神殿だろう。それをすぐに追おうとしたビガロスを、慎重なオコンが腕ずくで止めたことから今に至る。
フュミレイからの呼び声は、その議論の最中にレイノラの元へと届いた。
「どうしたの?」
声に出す訳ではない。ただ闇のオーラを身に纏って脳裏で問う。突如力を露わにしたレイノラに他の神が訝しい顔をするが、はじめて見た訳ではないオコンが「従者と会話中だ」と説明した。
『ご無事でしたか!どうか___どうか一刻も早くお戻り下さい___!』
生の声が聞こえる訳ではない。しかし懇願するようなフュミレイの言葉は、先程サザビーの死を伝えたときにも増して沈痛であり、レイノラの心を悪戯にかき乱した。
「なにがあったの___?」
『それは___今この場で伝えたくはありません___お戻り頂きたいのです___私たちを___どうか私たちを勇気づけて欲しいのです___』
フュミレイは常に気丈だった。レイノラが黄泉で彼女を拾ってから今の今まで、常に気高く、強く、戦いの意志を持った人物だった。それがまるで別人のように沈みきっている。
「どうしたの___」
『___』
ついにフュミレイは答えなくなった。
「分かった、すぐに戻る。だから気を確かに持つのよ。」
『ありがとうございます___』
そこで二人の会話は終わった。
「従順な彼女からか?」
オコンが茶化すように問う。だがレイノラは苦笑を返す気にすらなれなかった。それに気付いたオコンは、改めて真摯に問い直した。
「何かあったのか?」
「分からない___でもとにかく私は神殿に戻るわ。」
「バルカンを追わぬのか!?」
レイノラの答えにビガロスが大げさな身振りで声を荒らげた。
「奴は戦神セラを殺め、あげくフェイ・アリエルを殺めたことで、ムンゾ、ジェネリ、オルローヌの力まで得たのだぞ!時を置けば手が付けられなくなるやもしれん!」
「リシスは?」
相変わらず頭に血の上りやすいビガロスの横で、キュルイラがいつもの飄々とした調子で問うた。
「___リシスはフェリルの手に掛かったわけじゃない。彼女が殺されたのは私の同志がフェリルと接触していたときだから。」
「バルカンもセラを殺したことは口走ってたけど、リシスのことは何も言ってなかったね。」
「なら誰が?」
「みんなの耳にも届いているはずだけど、アヌビスに関係した誰かだと思う。でもそれは___」
レイノラはそこまで言いかけて言葉を止めた。
「それが誰かまでは分からないけど。」
そして小さな溜息混じりに答えた。敵がバルカンだけでないことに辟易としている、そんな態度だった。しかし実際は違う。
(___どういうつもりかしら___?)
レイノラは___「それは収穫の女神リーゼが調べている」___と続けるはずだった。しかしリーゼに「あなただけの心にとめておいて。決して誰にも言わないで」と固く口止めされていたのを思い出したのだ。意図を問いただすと彼女は、「私のやり方では調べるのに時間が掛かるの。多くの人に知れれば知れるほど、都合の悪い誰かが私を殺しに来るかもしれないから」と答えた。どうも本当の理由には思えなかったが、レイノラはひとまず納得してリーゼに任せていた。そういえば彼女はまだバルカンが敵だと知らない。エコリオットもそうだ。
「レイノラが戻るというんだ、俺も一度神殿に戻る。」
「ならば私一人でもバルカンのもとに踏み込むぞ!」
「ったく何でここまで来て足並み揃わないのかね。」
神々はまだ不毛な口論を続けていた。しかし___
「!?」
全員が一斉にある方角を振り返った。そちらにはバルカンの世界がある。神々の目には、遙か遠くの空に黒い澱みが漂っているが見えていた。
「結界___?」
「そうらしいな。」
キュルイラの言葉にロゼオンが続ける。
「鳥が巣に籠もったと言うことか___?」
「フェリルから奪った力を馴染ませるため___」
「しかし!この僅かな時間で奴は自らの神殿まで辿り着いたというのか!?」
確かにビガロスの疑問ももっともだ。ここからバルカンの神殿まで、間にはエコリオットの世界がある。そうそう短時間で辿り着ける距離ではない。
「あ、そうだ!できるわよ!」
そのカラクリに気付いたのはキュルイラだった。
「バルカンはきっと、エコリオットの水晶をこの場に持ってきていたのよ。しかもそれは一つの世界を二つの水晶に共有させたもので、一つの世界の中に二つの出口があるやつ!それを使えば、別世界を通じることで離れた場所を短時間で結ぶことができるわ。片方の水晶をバルカンの神殿に、もう片方はあいつ自身が持ってね!」
キュルイラは流暢に解説してみせたが、一同寝耳に水な話ばかりで言葉を失ってしまった。それに気付いたキュルイラは慌てて取り繕うように笑う。
「わ、忘れてたのよ、だいぶ昔のことだったから。エコリオットも一つしか完成しなかったらしくって、不安定で使い物になるか分からないけどいるか?って聞かれたのよ。あたしはそんなものいらないからってバルカンに声を掛けてみたの。その後どうなったかなんて聞いてなかったしさ___」
「き、貴様〜!」
「ごめんってば!」
ワナワナと拳を震わせるビガロスに、キュルイラは愛嬌で許して貰おうと縋っていた。
「しかしそうするとバルカンはリシスを殺しに行くこともできたかもしれない。」
オコンの言葉にレイノラは首を横に振る。
「それはないわ。バルカンが水晶の中に消えれば、水晶そのものはその場に残る。バルカンがもう一度リシスの世界に水晶を回収しに行く時間はなかったはずよ。」
「なるほど___待てよ、ということは___!」
「鳥に運ばせてでもいない限り、水晶はまだこの場に残っている。」
神々の目の色が変わった。
水晶はさしたる時間も掛からずに見つかった。おそらくあの鳥の集団が多少なりとも運んだのだろう、戦場からは少し離れた場所だった。ただ水晶は原形を留めておらず、粉々に砕けていた。
これでバルカンが自らの神殿にいることはほぼ間違いなくなった。そして奴は夥しい力を自らの体で受け止めるべく、眠りについているはずだ。なぜそう言いきれるか?進化に眠りは不可欠だからだ。
バルカンはフェリルを殺めたことで一度に十二神のうち三人の力を得た。これで彼自身も含め、Gの力を分担した十二の神のうち、五人分の力がバルカンの元に結集したことになる。すでに半身がGと化したようなものだ。
かつてアイアンリッチがそうしたように、バルカンはこの急激な成長に対して、自らの体を進化させなければならない。その手段がなければ彼は滅びるだろう。だが結界を張ったという状況からして、彼は進化の手段を持っている。そして今まさに、それを実行しているということになる。
それが何を意味するか?
「バルカンには当の昔から、Gの力を我がものにしようという野心があったと言うことだ。奴は自らの肉体を進化させる術、それがどんな方法かは分からないが、それを用意していた。だからフェリルを殺せたのだ。」
ロゼオンの見解に、他の神々も同調した。
「確か___Gは眠るとしばらく起きなかったわよね?五日間くらいだっけ?」
「どれだけの命を奪ったかにもよるよ。」
キュルイラの問いにオコンが淡々と答える。
「いずれにせよ、我らには貴重な時間が与えられたということだ。その間に、次の決戦に向けて万全の用意を調えるとしよう。」
落ち着きを取り戻したビガロスが重厚な声で語る。他の神々も一様に頷いた。
ビガロスとキュルイラはそれぞれの世界へと戻った。バルカンの世界に近い彼らは、戦力を整えると共に、昼夜問わずバルカンの世界を監視し続ける。
レイノラもオコンと共に神殿に戻ることにした。あのフュミレイの様子は尋常でない。不安に駆られながらの帰還となりそうだった。
そしてロゼオンは___
「私はファルシオーネに向かう。」
最終兵器を得るために、世界の中心へと発った。バルバロッサを連れて。
一方そのころ___
「___」
収穫の女神リーゼは、目映い日差しの下でいつになく深刻な顔をしていた。素朴で朗らかな彼女が、耕された畑の真ん中に立って、何をするでもなくじっとしていた。
畑の四方には、祈祷杖のようなものが立てられていた。そしてリーゼの手には、たくさんの草木の種が握られていた。
「滅びし森の命の種よ、おまえの父の、おまえの母の、願いこの実に宿らせや。一つ二つと地に立って、根張り芽を出し幹となし、思いの全てを実らせや。」
それは歌のような、あるいは呪文のような調子で、リーゼは言葉を並べながら手一杯の種を播きはじめた。畑の中央から、渦を巻くようにして外へ外へと歩く。
ポンッ!
小さいが元気ある音がする。リーゼの歩いた後すぐに、たくさん播かれた種のうちいくつかが芽を出した。
「雨よ晴れよと日が巡り、土に足成し、風に手を成し、頭を上げて凛と立て。」
リーゼが歌い歩くほどに、畑には芽が顔を出す。だが播いている種の数に比べると、芽の数はあまりにも少なかった。芽を出している種は自ら土に潜っていくのに対し、大半の種は土の上に転がったまま、ピクリともしない。動かない種は、焼け焦げていたり、外皮が溶けていたり、罅入っていたり、傷みの激しいものだった。
(リシス___あなたの子供たちの思いを無駄にはしない。)
リーゼは思いを馳せる。彼女が握る種は、リシスの世界から持ってきたものだった。灼かれ、主を失い、枯れ果てた森が最後の力を振り絞って残した種だった。リシスの死を聞いて、リーゼはすぐに彼女の世界へと飛んだ。そして森たちが残した自らの結晶を、涙しながら拾って集めたのである。
「農」とは巡るものである。
収穫とは、巡りの一端を担う行為である。
熟した命を頂き、そこに宿る新たな種を土へと返すのである。
そうすればまた新たな命が生まれる。
いまこの畑に芽を出しているのは、リシスの森の子供たち。彼らは父と母が見たものを体のどこかに記憶しているはずだ。
おそらく___偉大なる母リシスが死したあの時あの場所で、いったい何が起こったのかということも。
前へ / 次へ