3 誇り高き死

 「___!」
 夢を見ていた。だが目が覚めた瞬間、全て吹き飛んだ。むしろ夢だったら良かったのに、目覚めた瞬間あまりに鮮明な現実が蘇って、夢の全てを消し飛ばした。
 「___」
 ミキャックは体を起こした。掛けられていた彼の上着がずり落ち、白い乳房が露わになった。それが現実だった。
 「現実を受け入れたか?」
 「!?」
 ミキャックは肩を竦め、上着で体の前を隠した。振り向くとそこには、驚くべき人物がいた。深い緑の長髪を束ね、凛とした眼光と片手の義手に戦士の強さを、唇や頬の柔らかさに女性の魅力を宿す女。
 「!?___カレン!___ゼルセーナ___」
 ここにいて良い人物ではない。ミキャックはサザビーの余韻を感じる機会を失った。しかし微睡みからの覚醒には調度良い衝撃だった。
 「なんで___」
 警戒はする。しかしカレンに敵意はないように見えた。
 「おまえは不思議な女のようだ。」
 「___?」
 「男が命を捧げても良いと思えるだけの魅力があるのだろう。それはおまえの顔や体ではなく、内から醸す資質とでも言おうか。」
 「___何が言いたいの___?」
 褒め言葉なのだろうとは思う、しかし今のミキャックには苛立ちしかもたらさない。ただカレンは彼女が打ち拉がれていようと遠慮はしなかった。
 「あの男の死を受け入れられるか?」
 ミキャックは息を飲んだ。
 「あれは死んだ。だから私がここにいる。あいつがアヌビス様に頼み事をし、私がアヌビス様から言いつけられた。」
 「___」
 ミキャックとカレンの視線が交錯する。瞳が潤んではいる、しかしミキャックは強い眼差しのままでいた。
 「もう、私は受け入れているわ。」
 そして毅然と言い放つ。しかしカレンは彼女の勇気を鼻で笑った。
 「だといいがな。」
 その態度はミキャックを苛立たせた。
 「もう一度聞くわ___何が言いたいの?___何をしに来たの!?あたしを笑いにきたの!?」
 声を荒らげる。だがカレンは冷然とした面もちに戻っただけだった。
 「違うな。心底からおまえを笑うことが私にできると思うか?おまえを笑えば、私は自らをも笑うことになる。」
 そればかりか、冷酷極まりないはずのヘルハウンドのリーダーが、一瞬とはいえ滲む情念を隠せずにいた。敵愾心なんてとんでもない、それはむしろ同情の目だった。
 「あたしは父が嫌いだ。あたしにとってあの男は邪魔でしかなかった。だがあの男の誇り、自らが進んできた道への自信だけは、尊敬に値していたと思う。その父をおまえは愛した。だが所詮は相容れぬ種族同士。父はおまえの愛のために死を選んだ。それは娘にとって嫌悪と苦痛以外の何ものでもない。おまえとの愛は命にも勝ると父が認めたのだ。娘のあたしがそんなおまえを本気で笑えると思うのか?」
 カレンはすぐに枯れ果てた荒野のような殺伐とした表情を取り戻す。しかしそれは読んで字の如く、表向きでしかない。言葉の端に覗く情、瞳の奥に潜む熱、それこそが彼女の真の感情に違いなかった。
 怒ってはいるのだ。彼女は父を嫌うようなことを言っても、父を殺した女を前にすると冷静でいるための努力が必要だったのだ。
 「ごめん___」
 今一番悲しいのは自分だろうけど、任務のためとはいえ憎悪を押し殺して振る舞うカレンを罵倒したことに、ミキャックは酷く申し訳なさを感じた。筋違いだとは思っていても、彼女は自然と謝っていた。
 「あたしは___まだおまえの価値を疑っている。アヌビス様の指令についてとやかくいうつもりはないし、今のおまえは確かに竜の使いどもに真実を伝える重大な役目を担っている。だがあたしには、おまえがそれ以上の価値のある女だとは思わない。まして父や、おまえの仲間が命を捧げるほどの価値のある女かどうかは全く以て疑わしい。」
 「___」
 手厳しい言葉だったが、ミキャックには反論が思いつかなかった。それは彼女が言葉にしなくとも胸に抱いていた枷だったからだ。あまりに図星だったから、驚くことさえできなかった。
 「先程死んだおまえの恋人も、その精神力は私の父に通ずるものがある。アヌビス様を前にしても迷うことなく自らの進む道を見出す、その力強い意志は敬服に値するものだったと認めよう。その二人の男が、迷うことなくおまえのために命を捧げた。おそらくは、その行動そのものが、おまえの価値を如実に現しているのだろう。だがな___」
 カレンの頬が強張った。小さな間で奥歯を噛みしめていた。彼女がはじめて露骨に見せた怒りだった。
 「あたしにはそれが悔しくて堪らない。」
 ミキャックはただ黙っていた。少し俯き、彼女の言葉を胸に刻みつけるだけだった。
 「あたしはおまえを殺したい。しかしそれは父の誇りをも踏みにじることになる。それだけは絶対に許されない。だからあたしは、憎いながらもこの任務を全うする。おまえを無事に仲間のもとへ送り届けるのだ。」
 視線の交錯すらない沈黙が続き、やがてカレンが小さな溜息をついた。
 「さあ、いくぞ。まずは立ち上がって服を着ろ。」
 椅子に掛けられていたミキャックの服を取って、ベッドの上に投げ置く。自分の言葉を悔いるような女ではないが、なかなか動かないミキャックへの気遣いは、少しだけ見せた彼女の優しさだった。
 「ありがとう。」
 ミキャックは思ったよりも明朗な声で言い、服に手を伸ばした。落胆の色も無く、むしろあっけらかんとして見える彼女に、カレンは舌打ちした。
 「あなたはこんなこと言われても嬉しくないと思う。でもおかげで少し気分が晴れたよ。あなたのためにも立ち上がらなきゃいけないって思えた。」
 「不愉快だ。」
 「そうだよね。」
 もしかしたら、二人は少し似ているのかもしれない。ミキャックは図らずもカレンに勇気づけられた。もし励まされていれば、悲しみと後悔の念が募るばかりだったろう。これくらい辛辣な言葉を並べられた方が、ミキャックの責任感は自らを奮い立たせるのだ。

 「ねえ、サザビーはここで___?」
 「いや、ここを出て死んだ。この世界ではいずれ遺体は消えるが、あの男はなんとしてもおまえに自らの最期を見せたくなかったようだ。」
 「そう___」
 それが彼の美学なのだろう。そうだ、確かゴルガの古い伝統だと聞いたことがある。死は、とくに戦場に立ってきた男性の死は神へ近づく道であり、より崇高な場所へ向かうための儀礼であると。いまわのきわに並べば、命あるものまで崇高な道へ導くことになると。
 「彼のために祈ってからでいい?」
 「___好きにしろ。」
 用意を調えたミキャックは部屋の中心に立って目を閉じた。腰にはサザビーの上着を巻き付けていた。
 もう十分に、彼の腕の中で十二分に思い出を噛みしめた。だからいま、彼との素晴らしき日々を振り返ることはしない。ただひたすら感謝するだけだった。
 でも、これからソアラたちにこの話を伝えるとき、私は涙を堪えることはできないだろう。でもそれはそれでいい。彼のことを思って、もっともっと悲しむべきだ。彼の大きさをもっと私自身の胸に刻みつけるべきだ。
 彼の命の上に立つことを、誇りに思うべきだ。

 それからミキャックはカレンとともに山賊のアジトの出口へと向かった。憂いはありつつも、ミキャックは強い顔を取り戻していた。彼女は踏み出す一歩にも戦いの意志を滲ませ、一刻も早く事実をレイノラに伝えようという使命に燃えていた。
 「安直に動くな。」
 「___?」
 しかしそれをカレンが制する。なんら不穏な気配のない山賊のアジト。先の扉を開けて少し迷路を進めば洞窟の外へ辿り着くが、ここにきてカレンは慎重だった。
 「『敵』を知ったおまえなら分かるだろう?ここは連中にとって不利な場所だが、森となれば話は違う。おまえがここに残ったのは、生きて仲間の元に戻る手段を持っているからではないのか?」
 「___ええそう。この髪飾りに魔力を込めれば、帰巣の力が働いて、切り離したクリスタルの場所へと高速で移動する。ヘブンズドアよりも遙かに早いよ。」
 「魔力を使うのだな。」
 ミキャックは疑うようにぎこちなく頷く。今は親切にしてくれるカレンだが、それ自体にまだ違和感があるのも確かである。
 「なら駄目だ。少なくともこの森を出るまでは。」
 「?」
 「網に掛かる。連中はあの男がここから出ていくのを見ていたはずだ。あたしが入ったことは、アヌビス様の加護を受けたマントのおかげで感づかれなかったようだが、いまだこの洞窟が監視下にあると考えるのは容易だ。」
 ミキャックはハッとして目を見開いた。カレンはその仕草に後ろを振り返る。しかしそこには何もない。
 「どうした?」
 「あ___ごめん、なんでもない。」
 「___続けるぞ。」
 「ごめんなさい。」
 意味の無い謝罪にカレンはささやかな苛立ちを覗かせる。しかしその言葉は、いまさら彼女を疑ってしまったことを恥じて自然と出たものだった。
 そうとも、サザビーは重大な秘密を持ってフェリルの元から逃げ出した。確かに死の呪いのようなものを掛けられはしたが、敵がそれだけで安穏としているわけがない。その厳しい警戒網の中、「敵」に対して自らの姿を晒すかもしれないリスクを負って、カレンはここまでやってきたのだ。
 アヌビスの命令だから?それもあるだろうが、それだけで動くにはあまりに割に合わない任務だ。まして助けようとしている相手は父の仇だ。
 「いいか、私が爆撃で道を開く。おまえはとにかく森を脱するまで真っ直ぐ駆けろ。森を抜け、周りの敵を振り切った段階でそのクリスタルとやらを使え。露払いはあたしがやる。」
 「ねえ、カレン。」
 他意はなかった。しかし彼女との距離を近く感じたミキャックは、自然と彼女を名前で呼んでいた。カレンは当然ながら、露骨に嫌悪の顔になった。
 「___軽々しいな。」
 「___気に障ったなら謝る。でもどうしても聞きたいことがあって。」
 だがミキャックは真摯だった。カレンも彼女の本気を感じると、嫌気を消した。もとよりカレンは忠実であり、生真面目なのである。
 「あなたはそんな危険を冒してまで、どうして私を助けるの?アヌビスの命令だからだけじゃないはずよ。」
 「さっきも言っただろう。」
 カレンはミキャックの言葉尻に重ねるようにして、答えた。
 「私はおまえのことが嫌いだ。だが父の唯一の誇りをむざむざ踏みにじることはしたくない。無論、アヌビス様がおまえを殺せと言えば別だがな。」
 カレンはそこで話を切り上げようとしたが、ミキャックは先程の答えとの違いに気付いていた。
 「唯一って___?」
 「___」
 それはカレンを黙らせる問いだった。そして彼女は深い溜息をつく。じっと待つミキャックに対し最初は嫌々ながら、しかしすぐに吹っ切れた様子で答えた。
 「父は___父はアヌビス様の元を離れる前に、盗んだ全てをアヌビス様に託している。それはあらゆる金品、秘宝、骨董、さらには特定の人物にしか価値を成さないようなものまで、全てだ。」
 「でもディックは___」
 「アヌビス様と仲違いをしてヘル・ジャッカルを去った。」
 ミキャックは頷く。
 「確かに父はアヌビス様から命令を下されても、興味を引かなければ動かないような男だった。それはアヌビス様に忠誠を誓う者としてあるまじき態度だ。娘の私でさえそう思っていた。」
 その忠義心の欠如が、カレンに父を嫌わせたのだろう。魔族の一般的な親子関係がどういうものかは知らないが、彼女は骨の髄から滲むような強い自立心を持っているし、曲がったことを嫌う性格だ。父の不忠を揶揄されるほどに、嫌悪の度を増していっただろうことは想像に難くない。
 「だがアヌビス様は常に父を許されていた。父の才能を誰よりも買ってくださっていたからだ。しかし父はそれを良しとしなかった。ここは温い___それが私が父から聞いた最後の言葉だ。父は出奔したが、ヘル・ジャッカルで得た成果はアヌビス様の支えあってのものと全ての盗品を託したのだ。アヌビス様はそれを受け入れた上で、俺の宝を盗もうとすれば容赦はしないと告げ、父も是非盗みたいと応じたという。それが歪曲され、仲違いと言われている。」
 だがカレンはその誤解を正そうとはしない。アヌビスもそうだ。取り繕われて喜ぶディックでないと分かっていたからだろう。
 「あたしが唯一と言ったのは、いまとなっては父が盗んだ最後の品がおまえだからだ。そしておまえはいまだに、父に盗まれたままでいる。おまえが父に愛情を抱き続けている限り、父の誇りは保たれる。ゾヴィスの城から奪った光の源はおまえに返したが、おまえの愛はいまだ父の手の中にある。父にとっておそらく、それ以上の誇りはない。」
 そのとき、カレンが笑みを見せた。ほんの一瞬、しかも多分笑顔なのだろうというくらい小さなものだが、ごく自然だった。
 「___余計なことを話した。」
 いつになく饒舌になってしまった自分を戒めるように、カレンは頬を引きつらせてミキャックから顔を背けた。
 「ううん___すごくいい話だった。ありがとう。」
 シュッ!
 右手の手甲がミキャックの頬を掠めた。熱を帯びた鋭利な指が、ミキャックの頬に浅い裂傷を刻んだ。
 「ふざけるな___」
 感情的になった自分に腹が立ったのだろうか、カレンは舌打ちをし、すぐに腕を引いた。
 「行くぞ。」
 「___うん。」
 怒りの種となったのは「いい話」と言われたことだろう。カレンは父を嫌っているが、それは心底からではない。誇りのためとはいえ、父が命を失ったことを思えばいい話なわけがないのだ。
 (傷つけてしまってごめん。でも本当に嬉しかったんだ___)
 口にしても彼女を怒らせるだけ。ミキャックは心の中でカレンに感謝した。
 「おまえは憎い。しかし任務は全うする。おまえも全力を尽くせ。」
 「もちろん___!」
 そして二人は前を向いた。
 この先に待つであろう敵を打ち払うのだ。突破口を開くのだ。
 誇り高き死者たちのために!




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