2 あなたのそばに

 その日、海洋都市クーザーには目映い太陽が燦々と照りつけていた。復興に熱を入れる都市の人々にとってこの暑さは酷ではあったが、体を動かし、汗にまみれるほど、自分が生きている実感と、母国の着実な復活を感じることができた。
 ダ・ギュールによって壊滅したクーザーは、君主フィラ・ミゲルが自暴自棄に陥っている間に復興の火が灯され、それは彼女の帰還と共に大きな炎となって燃え上がった。
 彼女が戻ってから、もう数ヵ月が過ぎた。フィラは自ら近隣諸国に足を運んで支援を懇願し、やがてクーザーには復興に必要な資材と人手が集まってくるようになった。クーザーを故国とする商人たちも、こぞってやってきては食料やら資材やら、様々なものを無償で提供した。
 「いえいえ、このようなものは受け取れません!」
 「危険を冒してここまでやってきてくれたあなたを、手ぶらで返すことなどできようものか。」
 その一人一人にフィラは懇切に応対していた。目映い日差しを避けたテントの下で、今も彼女は額に汗を浮かべながら、穏やかそうな商人と向かい合っていた。
 「私はこの国を愛しています。いや、ここを知る商人は皆そうですよ。なにしろクーザーは常に健全でした。それが、クーザーマウンテンが消え、国まで消えたと聞いたときには___全くもって夜も眠れぬ思いでした。しかし女王陛下はご立派でらっしゃる。再び国を蘇らせようと身を粉にしておられる。私は微力ながらそのお力になりたかっただけなのです。まして私なぞ、ほんの小船一艘の資材しか持っておりませんのに___」
 「量の問題ではない。あなたの心根に対する私の敬意だ。なんとしても受け取ってほしい。」
 殊勝な商人に、フィラは銀の腕輪を渡していた。素材はともかく、クーザー王家の紋章が刻まれているだけで、それは億万の価値になる。
 「国が蘇ったその時に、これをあなたの誇りとしてほしいのだ。」
 「全くもって、もったいないお言葉___」
 「それからあたしはもう女王陛下じゃない。ただの現場監督だよ。」
 そして商人は感激しきりでテントを後にした。彼はその後、同じく支援物資を運んできていた顔見知りの商人に声を掛け、すぐにより多くの資材の手配をしようと声高に訴えていた。
 「ふぅ___」
 フィラは深く息を付いて、額の汗を拭った。テントには他に兵士と財務担当者が一人ずついるだけだった。
 最近は少なくなったが、当初は毎日のようにこういった商人がやってきていた。無償の支援だけでなく、商売としてここにやってくるものもいる。腹黒い連中も少なくはないが、今は何よりも国の復興が第一。フィラはどんな相手も邪険にはせず、ねばり強い交渉に務めた。実際、相手が彼女の情熱に触れて、心変わりした例も少なくなかった。

 日が陰り、夜が近づいてくると海風が幾らか涼しさを増す。
 「___」
 フィラは木組みの櫓の上に昇って、風に髪を靡かせていた。その視線は復興進むクーザーの街並みに向いていた。この櫓は復興作業が始まった当初からあるものだった。
 当初、クーザー復活を諦めてしまった後ろめたさもあって、彼女は復興作業の先頭に立つことを躊躇った。しかし結果として、多くの人々の望みにより、彼女は毎日この櫓から陣頭指揮に当たることとなった。もちろんここまで全てが順調だった訳ではない。彼女に対する非難もなかったわけではない。しかし国は着実に復活へと歩みを進めている。その道程がこの櫓には染みついているのだ。
 一日の終わりにここで母国の復活を実感する。それが彼女の何よりの楽しみだった。
 「毎日見てもそんなには急に変わらないぜ。」
 雑な作りの柱を昇ってきた男がそう言った。
 「何度も言わせるな。ちゃんと毎日少しずつ変わってる、それを実感したいんだよ。」
 フィラも自然に答えた。櫓には他に誰もいない。フィラは一人でここから一日の作業を終えた街並みを見下ろすのが日課だったが、ここ数週間はそれにつきあう男が現れた。
 「ま、俺も分かって言ってるから。」
 「だろうね。」
 「今日の作業報告だ。」
 「うん、よろしく。師団長どの。」
 白竜軍のクーザー復興支援師団長に任命されたデイル・ゲルナだ。彼はフィラの帰還から間もなく、白竜軍が結成した支援組織の長としてクーザーに赴任してきた。

 一頻りの報告を終えると、デイルもまたフィラの隣で都市を眺める。クーザーはクーザーマウンテンの下に伏す都市であり、背の高い建物は少ない。かつての城でも三階層が最高だった。その伝統は新しいクーザーにも受け継がれようとしている。だから櫓からは都市がほぼ一望できるのだ。
 「今日は商人が来ていたな。」
 「ああ、三日ぶりだね。彼はゴルガで行商をしているそうよ。」
 「小さな船だった。」
 「陸商が中心だから自分の船じゃないらしいんだ。でもそうまでしてクーザーのためにっていう気持ちが素敵じゃない。」
 「小さな船だからここまで来れたんだ。」
 「?___どういうこと?」
 デイルの意味深な言葉に、フィラは彼を振り向いた。もう十年近く前だろうか、初めて見たときは薄汚い無精髭の男だった。それがクーザーにやってきた当初は精悍な顔で、今はまた元の無精髭とぼさぼさ頭に戻りつつある。
 「海上で道を塞いでいる奴がいる。」
 「!?___海賊?」
 「それを使ってはいるよ。ただ正確には商人の差し金による荷止めさ。」
 「誰が___?」
 「察しは付くだろ?」
 「___アンズワース?」
 デイルは頷いた。
 「この前の交渉を袖にしたから___?」
 「それ以外にないだろ。でもあれはああするしかないさ。復興後のクーザーの商業組合トップの地位と、都市議院の席ってのはちょっと横暴すぎる要求だ。あんなのを受け入れれば、復興計画そのものまで握られる。」
 ジェイミー・アンズワースは近年、世界有数のやり手商人として知られる。彼はかつて死の商人ドノヴァン・ダビリスの一派にあった人物で、アレックス暗殺に絡むダビリスの失脚後に、バラバラになった派閥の衆を軒並み食いつぶして台頭してきた。骨肉ともダビリスの後継者に相応しい、血も涙もない男と言われている。
 その人物がクーザーに目を付けた。クーザーは世界のほぼ真ん中に位置するため、行商面で利用価値の高い都市だ。港湾が充実し、海洋資源の豊富さは他の追随を許さない。住民の生活水準が高く、近年は観光面でも大きな成長を遂げていた。その都市に復興の見込みがあるかどうか十分に見極めた上で、アンズワースはやってきた。
 彼の本拠はケルベロスにある。世界で最も森林資源と鉱物資源の豊富な国だ。莫大な資源と資金の提供を申し出て、その見返りに復興後のクーザーでの地位を求めた。
 ゼルナスは彼とじっくり語らった上で、その申し出を拒否した。彼の要求は、都市の将来を思えば受け入れがたいものだったのだ。
 結局、アンズワースは去った。しかし世界の商人を牛耳る力を付けつつある男は、黙って引き下がった訳ではなかったのだ。
 「またアンズワースは来ると思う?」
 「来ないんじゃないか?君から助けを求めてくるのを待ってるはずだ。」
 「あたしはどうしたらいいかな?」
 「___俺に聞くのか?」
 「師団長様の意見を聞くのは悪いこと?」
 「ゼルナスの思うままにやれば良いと思うぜ。」
 ゼルナス。彼もフィラをそう呼べる男の一人だ。なるべくフィラと呼んではいるが、二人でいるときなどは不意にゼルナスの名が口を突いて出る。サザビーと共にケルベロスの手に落ちた彼女を助けに向かったあの時の印象が強いものだから、なかなかフィラという呼び名に慣れなかった。
 「___」
 「どした?」
 「ん、いや、なんでもない。」
 そしてフィラはフィラで、ゼルナスと呼ばれるのが嫌ではなかった。むしろこの男にそう呼ばれると、サザビーがそこにいるような錯覚に陥る。ドングリの背比べとはいえ身だしなみはサザビーの方が綺麗だし、顔もそんなに似ている訳ではない。でも、サザビーとデイルは幼なじみだ。互いに互いを最も良く知る親友だ。それだけに、フィラには時折デイルとサザビーが重なって見えるときがあった。
 「暫く静観するしかない。今のところは資材も食料も十分だからな、あいつを頼るまでもないだろ。」
 「そうだね。」
 「出せるか分からないが、カーウェン支部に警備艇を頼んでみよう。少しは効果があるはずだ。」
 「ありがとう。頼りにしてる。」
 でもフィラはデイルの前でサザビーの名を出すことを避けていた。サザビーのことを良く知る人物だからこそ、彼とその話をすると自分の中のけじめが揺らぎそうだから。

 しかしそれから十日も過ぎて、予想外の出来事が起きた。
 「このままここにいても仕方ない!とにかく今は避難するんだ!」
 強い雨風に身を晒しながら、フィラは叫んだ。風や波の動きで予想はしていたから、大半の人々を安全な場所へ逃がすことはできた。しかしやってきた台風は思いの外大きく、そして狙いすましたかのようにクーザーを直撃した。
 吹き荒れる風、激しい雨、暴れ狂う波。あの櫓も簡単に倒れてしまった。
 「なんで___なんでクーザーばっかり___!」
 都市を一望する小高い丘の上。それは黄泉から戻ったフィラが、復興への一歩を踏み出したクーザーを見つけたのと同じ場所だった。強い雨と風に身を打たれながら、フィラはそう吐き捨てて地を叩いた。
 国の再建を阻む悪魔を呪う彼女の隣にしゃがみ込み、デイルがその肩を抱く。周りに白竜自警団員がいても彼は躊躇しなかった。
 「行こう。まだ希望を捨てる時じゃない。」
 ゼルナスはただ頷くしかなかった。

 台風の被害は甚大だった。だが結果として作りの甘かった建物を洗い出す形にもなった。もともと台風が少なからずやってくる土地柄である。それを考慮して、しっかりとした建物を造り直そうという前向きな動きが生まれたのは幸いだった。そして都市の根幹を成す水路は台風をもろともしなかっただけでなく、大きな波に襲われた都市から素早く海へと水を排出して見せた。この成果も人々を活気づけた。
 ちなみに落ち込みの激しかったフィラに変わって、人々に前向き思考を吹き込んだのはデイルだ。もともと前向きな熱血漢が多い自警団員を導くことで、結果として彼らの活気が他の人々にも波及したのである。
 「___」
 だがフィラはそれでもまだ楽観視していなかった。もちろん復興現場に活気が戻ったことは喜んだ。しかし新たな問題が浮上するのも分かっていた。
 それは一週間もしないうちに現実になった。
 「受け入れるべきです。都市長、ご決断を。」
 かつてのクーザーの有力議員を筆頭に、男数人がフィラに詰め寄っていた。そこはフィラが仮の庁舎として使っている建物の一室だった。
 「食料、資材、いずれも不足しています。しかもここにきて台風の影響でかなりの病人が出ていることはご存じでしょう。」
 「アンズワースは薬も提供すると言っている。これは受け入れるべきだ。」
 一度は追い返した豪商ジェイミー・アンズワースである。彼はここぞとばかりに再度のアタックを仕掛けてきた。しかし今度は遠回しに。仲介役となったのがこの元有力議員だった。
 露骨だ。そこにどんな取引があったかは推して知るべしである。だがフィラには選択肢が無いと見抜いたからこそ、アンズワースは仕掛けてきたのだ。
 「このようなチャンスはもう無いかも知れませんぞ。以前、支援の申し出を断られたことでアンズワース殿は酷く傷つかれた。それが都市長殿の意向によっては過去を水に流すとおっしゃっているのです。」
 随分な物言いである。それこそ勝算があるからできることだ。
 ただ実際に、このままでは復興作業もじり貧だった。台風は、支援に訪れていた商人の船にも甚大なダメージを与えている。まだ整備不十分だった港には、波を防ぐ手だてすらなかったのだ。
 「ゲルナ師団長、君は___」
 「ご冗談を。」
 その場にはデイルも居合わせていた。フィラはデイルに意見を求めようとしたが、元有力議員がそれを許さなかった。
 「ゲルナ師団長はクーザーの人間ではありません。本来であれば、今この場からご退室いただくのが道理。恩義ある方ゆえに、我々もあえて言いませんでしたがね。」
 「確かに俺はクーザーの政治に口を出す立場にはない。」
 「左様。」
 「だが自警団の上級士官として忠告するなら、アンズワースという男は決して褒められた人物じゃない。我々としても決して目を離すことのできない人物だということだ。」
 それだけ言い残し、デイルは部屋を後にする。去り際にフィラを一瞥した。フィラは少し不安げな顔でデイルを見ていた。思いがけず目があったことで、デイルはほんの一瞬だけキョトンとした顔になる。しかしすぐにニコリと笑ってウインクし、立ち去った。
 「___都市長殿!」
 「?___ああ、すまない。」
 「ご決断を!」
 「___」
 難しい選択だった。

 二日後、クーザーの港を大量の大型船が占拠した。現場からも満足な資材が得られないもどかしさと、食料の備蓄への不安感が聞かれはじめており、結果としてフィラには選択の余地がなかった。彼女は自ら沖合で待つアンズワースの元に小舟を走らせ、厚かましい豪商に頭を下げた。
 「かつての女王陛下に頭を下げられては、私ごときには断ることなどできませんよ。」
 アンズワースはそう言っていたが、その眼差しに畏敬の念は感じられなかった。
 それから、アンズワースの意向を存分に反映させるべく、元有力議員が浅ましく動き回った。大型船には資材だけでなく多くの人員が乗り込んでおり、さらに既存の人員の一部を買収することで、思うままに復興計画を作り直していった。ミゲル家に執心な人々は反発した。しかしそれはたちまち少数派に変わっていった。
 フィラの立場は弱いものとなった。それでも彼女はクーザーの長であり続けたが、復興計画は実質アンズワースに握られる形となった。
 「これで良かったのかな。」
 届く報告の量も減った。いくらか寂しくなった仮の都市長室で、フィラはそう呟いた。
 「良かったと思うよ。アンズワースの人柄はともかく、あいつが持ち込んだ建築技術は本物だ。復興の速度はグンと速まったから、反目的だった人たちも渋々認めつつある。」
 壁に凭れて立つデイルは、軽い口調で言った。もう日は落ちて作業は終わっている。櫓が無くなって、アンズワースがやってきてからは、デイルの報告はここで行われていた。
 「___」
 「だがああいう男がいつまでものさばり続けられることはない。復興後のクーザーの全てがアンズワースの思うままになることはないよ。ここほど、かつての王家への尊敬がある国もないからな。故国を去った人たちが戻ってくれば、少しずつでも変わるさ。」
 随分と気長な目で見た答えだ。だがこういう考え方には思い当たる節がある。
 「デイルさぁ___」
 「ん?」
 「あたしがアンズワースを拒否しても、良かったと思うって言ったろ。」
 「___」
 図星だったので、デイルはニヤッと笑った。その態度にフィラは大げさな溜息をついて木組みのテーブルに突っ伏した。
 「そのご都合主義、サザビーにそっくりだ。」
 「お?珍しい名前だな。」
 珍しい。確かに珍しいのだ。サザビーのことを良く知る二人なはずなのに、彼のことを語らったことは皆無と言っていいほどだった。
 「___なあ。サザビーの話をしようよ。」
 「いいぜ。」
 それから二人はサザビーの話に花を咲かせる。デイルだけが知る彼の幼少期のこと。フィラだけが知る彼との恋愛関係。話題は尽きなかった。

 「残念だけど、クーザーの人たちは彼のことを嫌ってる。」
 なぜサザビーと結婚しなかったのか。そんなデイルの問いかけにフィラは顔を曇らせながらそう答えた。
 「そりゃそうだ。ほとんどクーザーに来ない上に浮いた噂が多い、かといってゴルガで王家らしい仕事をしていたかっていったらそんなこともない。」
 「世界から旧体制が無くなって、各国の王家は解体された。それはあいつらがアヌビスと戦っていたからだけど、外の国では地位におぼれた没落貴族くらいにしか見られない。それはあたしにとってはすごく残念なことだった。」
 「そうだな。今でもサザビーは戦っている訳だから。」
 この話題の間にフィラが見せる顔はいつもと少し違っていた。変わらぬ愛とそれが適わぬもどかしさ。頻繁に見せる遠い目は、むしろ悲しみの色が強く見えた。
 「ちょっとずるいよな。あたしだって少しは一緒に戦ってきたんだ。なのにあいつはあたしにはクーザーに残れってさ。」
 「君じゃなきゃ駄目だと思ったんだろう。ゴルガは実際、もうシルバ家の手を放れている。サザビーが今ゴルガに戻っても、心から歓迎する奴がいるかどうかは分からない。あそこは古くは民族紛争の耐えなかった地域で、国が解体されてからまたその気配が出始めている。今戻れば政治に利用される可能性が高いだろう。でもクーザーは違う。クーザーでゼルナスは絶対だ。若い連中にしたって、クーザーの女傑の歴史は好きだし、君を尊敬している。それがゴルガとクーザーの違いだよ。」
 「歴史を変えたっていいじゃないか。サザビーはクーザーのことを良く知っている。それが分かればきっとみんなも納得してくれたと思うのに。」
 フィラはサザビーの決断を尊重し、今生の別れのつもりで一人、黄泉から帰ってきた。でもそれを後悔していないかといえば別の話だ。彼女は今でも側にサザビーが居てくれればどんなに嬉しいかと思っていた。彼と一緒に、新しいクーザーを築いていきたかった。
 でもそれはもはや無い物ねだりだということも分かっていた。
 「いま旅しているメンバーに___」
 「いるよ。」
 「まだ聞いてないぜ。」
 「女でしょ?いるに決まってるじゃん。」
 ふて腐れた顔で投げやりに言うフィラの態度に、デイルは思わず笑った。
 「分かっていてもヤキモチは灼くんだな。」
 「うっさい。羨ましいだけだよ。」
 「羨ましい?」
 「あいつと一緒に戦える強さがあるのが。あたしはそこまで戦えない。」
 「海賊の頭だった女の言うことか?」
 「はいあたしのことは終わり。デイル、あんたは結婚しないの?」
 「はぁ?」
 強引に話題を変えられて、デイルは苦笑しながらなけなしのコーヒーを口にする。フィラは何も飲まずに長い語らいを続けていた。デイルに勧められても、彼女は断っていた。
 「___俺は何も考えてないね。一箇所にじっとしているタイプじゃないんだよ。ただ、強いて上げれば君と一緒にいるのは嫌いじゃない。」
 「あたしはやだよ。あんたほぼサザビーなんだもん。」
 「それは褒め言葉___」
 「なわけないだろ。」
 それからも語らいは続いた。サザビーの事だけで、明け方近くまで話題が尽きなかった。デイルにとって掛け替えのない親友であり、フィラにとって最愛の人。二人を結ぶ何よりのかすがいがそれだ。
 二人は互いを意識しようとはしない。しかし互いに互いを大切にしたいという思いはあった。遠いところに行ってしまったサザビーが帰るまで、互いの心の穴を埋めるには最適な相手だと感じていたから。
 それはとても淡泊な考え方だったが、口にせずともお互いに自然とそういう感覚に留まっていた。サザビーのことを思えばこそ、それ以上にもそれ以下にも、なるつもりはなかったのだ。

 夜更かしがきいたのだろうか、それから暫くフィラは体調が優れなかった。それを狙ってということもないだろうが、アンズワースの復興計画は一気に速度を増した。そしてあの語らいから十日後の夜、前日に完成した立派な商館で、アンズワース本人の出席の元、彼の子飼いの商人やら得意先やらを集めて、復興の第一歩を祝するパーティーが開かれることとなった。
 当然の事ながら、フィラもデイルもパーティーに招かれた。
 「私はこのクーザー復興の力となれることを、心より誇りに感じています。ここにおわす女王陛下の志にはまことに敬服するところ。今や世界屈指の商人たる私に、復興の指揮をご用命いただいた事を思えば、どれほど聡明な方かお分かりでしょう。」
 壇上に立つアンズワース。背が高く、髭を湛え、適度に肉付きの良い男。一見穏やかに見えるが、商人特有の鋭い視線を持つ男。その自信に満ちあふれた振る舞いは、見るものに訴えるカリスマ性を秘めている。それは認めなければならない。
 「___」
 続いて壇上に立ったフィラ。体調不良から顔色が優れず、明らかに疲弊して見える彼女とアンズワースの差は浮き彫りだった。それすらも演出に思えたデイルは小さく舌打ちし、同時にフィラの汗や顔色、ドレスに浮かぶ体の線が気に掛かって仕方なかった。
 (まさか___?)
 そして彼女が何か重大な隠し事をしている可能性に気が付いたのだ。それをひた隠しにしている理由は想像に難くない。それはおそらく時期とサザビーである。
 「う___」
 突如気をやったように、フィラが壇上で崩れた。すぐさま人が駆け寄り、彼女を抱え上げてパーティールームから運び出す。場内は騒然としていた。
 「静粛に。女王陛下、いや都市長は激務により体調を崩しておられた。私が無理を言って参じていただいたのだ。全く申し訳ないことをした。しかしご安心を、私は医術のプロもこのクーザーへと同伴しております。」
 用意周到に、全て己の功績へと変えようとするアンズワース。しかし会場はそれほど静かにならなかった。アンズワースに近しいものたちはフィラのことなど気にとめていない。しかし少しでもクーザーへの愛着があるものたちは違った。
 「フィラ様はご無事なのか!?」
 「正統なる王族にご無理を強いるとは何事だ!」
 非難の声も挙がるほどだった。
 「どうかご静粛に、すぐに様態をお知らせいたします。」
 だがその程度で機嫌を損ねるアンズワースではない。いや、むしろ確信めいた振る舞いだ。デイルはそう睨んでいた。そして事は彼の想像した通りに動く。フィラが消えた扉から一人の男が出てくると、素早く壇上のアンズワースに駆け寄り、耳打ちした。
 「おお!なんと___それはまことか!?」
 アンズワースは露骨に驚いた。だが口元に僅かに緩んだため、深刻な事態でないと言うことは会場の面々にも伝わっていた。
 「ふむ___しかしそれは妙だ。うむ___」
 男が離れると、会場に静寂が戻る。アンズワースは一つ咳払いしておもむろに言った。
 「お聞き頂きたい。フィラ・ミゲル閣下、ご懐妊である!」
 おおお!という怒濤のような歓声が巻き起こった。それはすぐに大きなざわめきに変わり、あるところでは拍手が、あるところでは疑問の声が飛び交った。
 祝福一辺倒ではなかったこと、疑念はアンズワースに近しい面々から上がっていたことはあまりに奇妙だった。デイルの舌打ちは、彼の隣にいた者でも聞こえない。それほど会場はざわめいていた。
 「いささか妙なことに、陛下は夫であるテディ・パレスタイン殿を亡くされている。そしてどうやらすでにご懐妊より半年以上を経ているようであります。ですが周りの者はそれを誰も存じ上げていない。すなわち、ミゲル閣下はこのクーザー崩壊の最中に何者かの元へ身を寄せており、それ故に身重であることを隠していたのでございましょう。しかし___いったいどこの誰のもとに?」
 鈍いどよめきが広がる。アンズワースの詮索に嫌悪を示すものも少なくはなかったが、それよりも復興の旗手であったはずのフィラの行動への動揺が大きかった。
 「ゴルガの愚息じゃないのか!?」
 「だがそれでいながらなぜ奴はクーザーに現れない!?」
 「陛下が一時行方知れずとなっていたのは、その男に___!」
 「では陛下は一度はクーザーを見捨てたというのか!?」
 サザビー・シルバはクーザーの要人から嫌われている。会場にはかつての都市議会議員も数多く参列していた。ただその多くは、ダ・ギュールの襲撃時に誰よりも早く逃げていたか、クーザーにいなかった面々である。疑念の声一つ一つに露骨に動揺する姿は、ミゲル家への忠義の薄さを現していた。
 「いやはや、詮索はこれまでといたしましょう。かつての女王陛下のご懐妊はなんであれ吉兆。クーザー復興を象徴するに相応しいではありませんか。」
 困惑の渦と化していたパーティー。しかしアンズワースは疑惑の種を播くだけ播いて、この場を治めようとしていた。フィラが求心力を失えば、得するのは彼だけでしかない。まして妊娠した彼女はますます復興現場から遠ざからざるをえない。
 アンズワースはおそらく、どういった手を使ったのかはしらないがフィラの妊娠を察知していたのだろう。その上で、彼女を追い落とすためにこのパーティーを開いたのだろう。
 「あまりに癪だな。」
 「は?」
 会場は相変わらずざわついている。しかしデイルの声は隣にいた元議員にもしっかり聞こえるほど明朗だった。
 「師団長殿?」
 議員の声も聞かず、デイルは歩み出た。アンズワースだけが立つ壇上に、彼は構わずに上がり込んだ。アンズワースが顔をしかめて何か言おうとしても、デイルは片手で制しながら大勢の客人を見回していた。
 「みなさんこんばんわ。白竜自警団のデイル・ゲルナです。」
 彼は名乗った。そしてあっさりと続けた。
 「フィラのお腹の子の父です。」
 アンズワースでさえ恭しく振る舞う壇上。そこに突如躍り上がったデイルは、いつも通りの緊張感のなさでそう言ってのけた。
 アンズワースが凍り付き、会場が一層騒然としたのは言うまでもなかった。

 「___」
 フィラはベッドに横たわっていた。少し窮屈だったパーティードレスを脱ぎ捨て、体を労るゆったりとした服装で、天井を見ていた。体調は確かに悪かったし、その原因が自分自身の体にあることはだいぶ前から分かっていた。でも隠すしかないと思っていた。アンズワースにクーザーを乗っ取らせないために、クーザーでは疎まれているこの子の父の尊厳を守るために、いま休息を強いられるのだけはどうしても避けたかった。
 ただその努力は水泡に帰した。結果として自分も、この子も追い込むことになってしまった。そう思うとフィラはやるせない気持ちで一杯になった。倒れた原因は貧血。もう立ち上がれるほど回復したとは思うけど、体を起こすのはとても億劫だった。
 「ああそうだ。二人にしてほしい。」
 廊下から声が聞こえる。
 「察しろよ___こういうときだから二人でいたいんだ。」
 すぐに扉が開いた。デイルだということは声で分かったが、彼が代表して事の次第を伝えに来ただけだろうと思ったフィラは、顔を傾けようともしなかった。
 「よっ。」
 天井を見つめる視線に、一輪の花が舞い込んできた。フィラは表情を変えず、ただ目を閉じる。笑みなどあるはずもなかった。
 「ありゃ、やっぱり廊下の花瓶から抜いてきた花じゃ駄目か。」
 「やめてくれ___そういう気分じゃない___」
 フィラは沈んでいた。目を閉じたまま、小さな声に苛立ちを滲ませるのが精一杯だった。
 「フィラ。」
 呼びかけに答えようともしなかった。
 「俺と結婚してくれ。」
 その言葉を聞くまでは。
 「______は?」
 フィラが目を開けた。疑念たっぷりに問い返したつもりが、視界に飛び込んできたのは、自分を覗き込むデイルの真剣な眼差し。それは彼女の瞳に焼き付いた。
 「そうしないとつじつまが合わない。あいつが戻るまででいいんだ。でもそれまで、俺と君は愛し合っていることにしたい。」
 「どういうこと___あんたまさか___?」
 デイルはニッコリと微笑んだ。
 「君が妊娠しているのは気付かなかった。でも、誰の子かってのはすぐに分かったし、君がなぜ隠していたかもすぐに分かった。あの場で君もクーザーもその子もサザビーも守るには、俺の子だ!って名乗り出るしかなかった。いや、そんな方法しか思い浮かばなかったんだ。」
 フィラは言葉を失った。歓喜でも嫌悪でもない、ただ呆然としてデイルの笑みを視界の中に置いているだけ。しかし沈黙が続くと、彼女の顔は徐々に崩れていった。
 「ごめんな。」
 泣き出しそうなフィラにデイルが詫びる。しかし彼女はしきりに首を横に振った。
 「違うよ___嬉しいんだ___」
 フィラの声は震えていた。
 「俺___あいつと離れてからずっと一人で___」
 もう言葉にならなかった。それでも彼女にはどうしても伝えたい言葉があった。これ以上彼に詫びさせないために。サザビーへの愛とは少し違うけれど、彼の優しさに心から感謝していることを伝えたかった。
 「デイルがいてくれて良かった___!」
 あれほど身を起こすのが億劫だったのに、フィラは飛び起きるようにしてデイルに縋り付いた。デイルの首に腕を回し、頬を合わせるようにして号泣した。

 翌日、私は人々の前でデイルとの婚約を報告した。
 妊娠を隠していた経緯は、パーティーで彼が語った「作り話」に従った。
 クーザーの崩壊で傷ついた私を、白竜自警団の兵が見つけた。
 絶望に暮れる私を励まし、勇気づけてくれたのがデイルだった。
 幸い、白竜自警団はクーザー復興の先鋒となり、当初から力を貸していた。
 それがあったから、デイルは「フィラの体調と精神状態を思えば、私たちがある程度復興の兆しを作り上げるまで、彼女をクーザーに戻すべきではないと思いました。これは私の独断です」というデイルの説明も、それなりに筋が通った。
 絶望はときに人を愛に飢えさせる。この間に二人の間に愛が芽生えたというのも、あながち不自然な話ではなかった。
 妊娠を隠していたのは私の意向にした。事実だから問題ない。
 なぜ隠していたのかは、復興の現場を離れたくなかった。例え相手が白竜の師団長とはいえスキャンダルには違いなく、復興に水を差すと思った。そろそろ隠し通せないかと思ったところで、台風とアンズワースの来訪があり、無理をせざるを得なくなった___といったところ。
 これがデイルの「作り話」。短い時間で良くこれだけの嘘がつけるものだと感心したし、呆れもした。ただそれ以上に、彼がまさに身を挺して私を守ってくれたことが嬉しかった。

 私の前にはこの先、まだ多くの困難が立ちはだかるだろう。
 でも一人で立ち向かうのではない。私には心強い友がいる。
 「俺はあいつの代役だ。」
 彼はそう言う。でも私は彼を愛することもできるし、彼も私を愛することができると思っている。
 ただ二人とも、それ以上にサザビーを愛している。彼が戻ることを切望している。
 お腹の子が生まれるころ、きっとサザビーは私の隣にいてくれるだろう。私はそう信じている。それはデイルも同じだ。
 もしも願いが叶うなら、蘇ったクーザーで、私とサザビーと私たちの子と、そして___デイルが側にいてくれることを願いたい。
 私たち三人の絆が永遠であることを願いたい。




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