1 女神の涙

 別々になってからすでに丸一日が過ぎ、二日目の夜に突入している。ムンゾ神殿を調べていた棕櫚からの連絡は、少なからずレイノラをホッとさせた。
 「無事で何より。」
 「ええ、今のところは。」
 だが棕櫚の答えは芳しくなかった。
 「というと?」
 「俺は今ムンゾ神殿の中にいます。ですが___です。」
 「?___もう一度言ってくれるか?」
 急に言葉が乱れた。闇の鏡は闇あるところ全てに通じるというのに、言葉が聞き取りづらいだけでなく、鏡面の棕櫚も歪んで見えた。
 「出口が分からないんですよ。」
 「出口が?ムンゾ神殿なのだろう?」
 「___」
 棕櫚は答えない。たださほど深刻さを感じさせない顔で鏡を見ている。
 「棕___」
 「ええそうです。ここはムンゾ___」
 答えが遅れた。そしてまた聞き取りづらい。
 「棕櫚、何か様子がおかしくないか?」
 「___」
 また間が空く。
 「レイノラさんのしゃべり方が遅いことですかね?」
 「遅い?」
 「そうですよ___す。」
 遅いという言葉で、レイノラは逆に棕櫚の言葉が早すぎて聞きづらいのではないかと感じた。
 「棕櫚、ゆっくりと喋ってくれ。」
 レイノラはあえて早口にして言った。
 「あ、聞きやすいですね。」
 答えまでには間があった。しかし棕櫚は何度か頷いていた。
 「俺も今ゆっくり喋ってみてます。どうですか?」
 「聞きやすい。」
 「これってどういうことです?」
 「まずおまえがどこにいるのかを聞かせてほしい。出口がないと言ったわね?」
 「ムンゾの私室らしき場所で、隠し部屋を見つけました。そこに入って色々探り回っていたら変な玉を見つけたんです。水晶玉みたいなものですよ。驚いたことにそいつの中に吸い込まれて、そうしたら見たこともない場所に。」
 「どこ?」
 「巨大な宮殿です。なかなかセンスのいい場所ですが、無人です。ここで敵の秘密を知りましたが、出口が見あたらないんですよ。」
 「建物の出口?」
 「宮殿からは出られます。でも一面の草原なんですよね。どこに行ったらいいのか___玉に吸い込まれて降り立ったのは神殿の中庭でしたが、そこには何もありません。彷徨って時間を浪費してもしょうがないですから、こうして連絡したわけです。いやぁ、通じて良かった。」
 棕櫚はにこやかに頷いた。出口がない謎の空間に閉じこめられても、彼には悲壮感がなかった。この程度のことで取り乱すような男でないのは承知しているが、それでも一度きりの闇の雫を使ったのは、彼なりの覚悟があってのことなのだろう。
 「取り急ぎ分かったことを聞きたい。どうも闇の鏡が不安定だから___」
 「分かりました。」
 覚悟を無駄にしたくはない。レイノラはまず目的を果たすことにした。
 「敵の名はフェリルです。」
 レイノラは頷く。
 「あ、これはもう知ってましたね?」
 「天族のような姿をした女よ。」
 「そうです。ではこれはどうですか?」
 会話に間が空くことで、棕櫚の言葉はいつも以上にもったいぶって聞こえた。
 「彼女はムンゾの妻です。」
 「!」
 レイノラの表情の変化を見て、棕櫚はニコリと笑った。
 「ムンゾに妻___そんな話は聞いたことがない。」
 「そりゃそうですよ、ムンゾの秘密の一つですから。」
 棕櫚は続ける。
 「ムンゾは十二神縛印によってGの力を封じ、他の神々と共にオル・ヴァンビディスを作りました。他の神は裸一貫でオル・ヴァンビディスを創造しましたが、ムンゾは違います。彼は宝物を持ち込んでいました。」
 「それが妻だというの___?」
 唖然とするレイノラを後目に、鏡の向こうで棕櫚は一枚の絵画を取りだした。そこには伸びやかに踊る女性の姿が描かれている。翼の生えた、美しい女。
 「この顔、レイノラさんは知らないですか?」
 「?___!___フェイ・アリエル!」
 遙か彼方のバルディスの記憶を呼び戻し、レイノラはハッとした。その名を口走るのに息苦しさを感じるほど驚かされた。
 「そう、飛翔の女神フェイ・アリエルですよね?」
 「フェリル___確かに彼女をそう呼ぶものもいた___だが彼女は___!」
 「アイアンリッチに殺された。確かにそうなっていますが、その時代はそう言っておけばどうにでもなったんじゃありませんか?人殺しだって神隠しだって、Gのせいにすればそれで済んでしまっていた。違います?」
 それはレイノラを一層凍り付かせる。棕櫚の言わんとしていることを察し、共に戦っていた戦士への疑念が浮かぶ。もし棕櫚の言う通りなら、それはバルディス時代から続く裏切りだ。到底、認めたいものではなかった。
 「ムンゾがやったの___?」
 だが問わねばならない。それが限りなく事実に近いならば、どんなに厳しい答えであれ、受け入れなければならない。
 「一人ではありません。」
 「え___?」
 「花の女神ディアデラ、紅玉の女神ウィアロージェ、慈愛の女神エリシャ、少なくともあと三人の神がムンゾと共にオル・ヴァンビディスに導かれています。中でも気に入っていたフェイ・アリエルを、彼は妻にしています。」
 レイノラはゾッとした。その仕草を棕櫚に見られようとも、彼女は肘を抱き、肩を竦めずにいられなかった。
 おぞましい___バルディスでの戦いを、十二神たちの決意を、ムンゾという男を、知っているからこそレイノラは震えた。それは恐怖であり、怒りであり、屈辱感でもあった。
 「ムンゾはGの混乱に乗じて、かねてから思いを寄せていた女神たちを我が手に収めました。束縛の神の名にふさわしく、いま俺がいる水晶玉の中に少なくとも四人の女神を閉じこめました。」
 「それで___その水晶玉をオル・ヴァンビディスに持ち込んだ___」
 「そうです。その一端から今オル・ヴァンビディスが危機に瀕しようとしているんですから、皮肉としか言いようがありませんね。」
 「これを___」
 レイノラは平常心を崩さない棕櫚を見据え、一度言葉を飲んでから続けた。
 「どうやって知ったの?」
 「ムンゾが記録帳を付けていました。もちろん持ち出せるものではありません。それを読むのに時間が掛かってしまったんです。」
 過去から何から雁字搦めにすることも束縛の一つと言うことだろうか。だが今となっては憤りをぶつける相手もいない。
 「他の三人の女神は___?」
 「死んでいます。それ以上は聞かないことをおすすめします。」
 差し出がましい言葉ではある。しかしレイノラも自分が動揺を隠せないでいると分かっていたから、反発はしなかった。
 似ているのだ、この感覚は。アイアンリッチの館の隠し部屋で、アイアンリッチの母、そしてレイノラの顔をした裸婦像をみつけた時によく似ている。とにかくおぞましく、あまりにも受け入れがたい事実に直面し、ただ震えを殺すのに必死になる。
 「___」
 棕櫚はじっと待っていてくれた。やがてレイノラは長く息を付き、瞳にいつもの気丈さを取り戻した。
 「すまない、話を続けよう。」
 「はい。この鏡は一度きりですからね。」
 「フェリルはどうやってそこから出たんだ?ムンゾを殺した方法は?」
 「それは分かりません。参考になるのはムンゾの記録だけで、とうのムンゾは殺されてしまったわけですから。」
 「フェリルは自力で脱出したのかしら___?」
 「もしそうだとしたら、俺もここからでれるんでしょうけど。」
 それもそうだ。封印術の達人であるムンゾの檻にそうそう綻びがあるとは思えない。だがそれだけに、今の棕櫚の状況が気がかりだ。
 「心配しないでください。すくなくともここは今のオル・ヴァンビディスのどこよりも安全です。気が向いたときに助けに来てもらえれば結構ですよ。」
 だが棕櫚はそれを見透かした様子で言った。
 「私たちが生きているうちに助けるよ。」
 「はい、お願いします。あ、ここまでの道のりを教えないといけませんね。もうじき朝みたいですし、手早くいきますよ。」
 笑顔の棕櫚は何気なく言っただけだった、しかしレイノラは眉をひそめた。
 「もうじき朝?」
 「ええ。だいぶ空が明るくなってきています。」
 レイノラは鏡から視線を逸らしてテラスの外を見る。酒盛りが続いているため下からの篝火はある。しかし空は以前として漆黒の闇だ。今はまさに夜更けである。
 「棕櫚、そこに侵入して___水晶玉の中にだ___そこに入って何日になる?」
 「四日です。だから遅くなったと思って___どうかしました?」
 レイノラが呻いたように見えたので、棕櫚は首を傾げた。
 「こちらは二日だ。」
 「!?___それじゃあ!」
 棕櫚もまた、レイノラと同じように呻いた。
 「こことそことでは時の流れが違う。」
 「___そういうことですね。そうか、それでお互いに聞き取りづらかったんですね。運良くどちらも夜で鏡は結ばれましたけど、時の流れが違うから通信がうまくいかない。」
 「棕櫚、だとすれば妙な点がある。その水晶玉はムンゾの作ったものではない。」
 レイノラは確信を持って言い切った。
 「もしムンゾの束縛だとすれば、それは檻のようなもの。既存の空間を切り取って、封をしたものだ。ムンゾにはそういうことしかできない。時の流れが違うというのは、まったく違った世界ということになる。水晶玉の中に小さな世界が作られているのよ。」
 「なら水晶そのものは別の誰かが作ったと言うことになりますね。」
 新たなる疑念の噴出に、棕櫚は唇を噛んだ。そこまで気付いてから闇の雫を使うべきだったと少し後悔していたのだ。その時である___
 「妖精神エコリオットじゃ。」
 二人の会話に別の声が割って入った。棕櫚を映すレイノラの鏡に、レイノラを映す棕櫚の鏡に、別の像が浮かび上がる。鏡を中央で二分するようにして、二つの顔が並んだ。現れたのは魔女のような風貌の老婆、リシスだった。
 「リシス?」
 「おぉ、レイノラ。久方ぶりよのう。相も変わらず美しいが、少々膿がたまっておるようじゃな?森で身を休めることを勧めるぞ、ホッホッホッ。」
 リシスは高い鼻をクンッと縦に動かしてから、そう言った。自らの森に潜み、表に顔を出さない彼女がこうしてコンタクトを取ってきたのだから、よほどの理由があってのことだろう。だがシワシワの老婆の言葉には僅かな焦りも見られなかった。
 「いやはや、立ち聞きするつもりはなかったのじゃ。おぬしにちと用があって鏡を使うたら、こうなってしもうた。それにしてもムンゾめ、とんだ不埒者よのう。」
 「リシス、エコリオットがなにを___?」
 年を取ると本題に行き着くまで時間が掛かるものだ。レイノラはささやかな笑顔を返してから、話を切り替えた。
 「あぁ、そうじゃった。その水晶玉と言ったか、それはエコリオットの趣味じゃ。奴はバルディスのころから創造に執着があってのう、己の手で小世界を作る研究に日々を費やしておった。まぁ、妖精族は肉体的に弱いものや環境への適応に欠けるものが多いからのう。奴なりに同族の未来を案じてのことじゃろう。」
 リシスはゆっくりと語る。棕櫚にとってはさぞまどろっこしかっただろうが、彼は苛立つ素振りすら見せず、黙ってリシスの言葉に頷いていた。
 「エコリオットはバルディス時代にそれをいくつか作った。そのうちの一つがムンゾに渡っていたとしても不思議ではない。当時からあやつらにはつきあいがあったようじゃからのう。」
 「なるほど___」
 「じゃがのう、エコリオットはオル・バンビディスに来てからもそれを作っておる。いや、むしろこの世界は力に溢れておるから、創造するのはより容易い。わしは受けとらなんだがな、確かセラとリーゼはもらったと言っておったはずじゃ。」
 「ということは、ムンゾはこれ以外にも玉を持っていた可能性がありますね。」
 「そうじゃな。」
 「その持ち主がフェリルに移っている可能性もあるということか___」
 「そうですね。十二分にあり得る___いや、多分そうですよ。これほど扱いやすい隠れ家もないでしょうから。」
 棕櫚の意見にレイノラも同調して頷いた。
 「ありがとうリシス。おかげで道筋ができたわ。私はすぐにでもエコリオットの元へ飛んで事実を確かめる。」
 「ああ待て、この話はわしが立ち聞きしたついでじゃ。今おまえに呼びかけたのは違う理由があってのことじゃよ、こやつらがどうしてもとうるさくてのぅ___」
 と、鏡からリシスの顔が外れていく。代わって見慣れた顔が飛び込んできた。
 「レイノラさん!」
 「ライか___!」
 すぐにフローラも顔を覗かせる。二人の服は至る所がボロボロ。体の傷こそ見られないが、やっとの思いでリシスの元に辿り着き、すぐに闇の鏡を使うよう頼み込んだことは明らかだった。
 「無事で何よりだった___話はサザビーからある程度聞いている。」
 「あ!やっぱりサザビーたちも無事だったんだ!よかった〜。」
 「レイノラさん、ソアラが___」
 安堵感から満面の笑みになるライとは違い、フローラは深刻そのものだった。リシスの元を目指す間も彼女を支配する感情は二つ。一つはソアラ、一つはアレックス、どちらもその身を案じてのことだった。
 「案ずることはない。フュミレイがサザビーたちと合流し、ソアラの救出に向かっているわ。」
 レイノラは優しい声で言った。だがフローラは眉間にいくらか力を込め、不安げな面もちのままだった。
 「フェリルは恐ろしい敵です___大丈夫でしょうか___」
 「今は彼らに賭けるしかないのよ。」
 もどかしさを誰よりも感じているのは他でもないレイノラなのだ。その言葉はとても心苦しいものだったが、レイノラは穏やかに言った。
 それから、ライとフローラはアヌビスとのやり取りについて事細かに説明した。アヌビスの言葉、「傍観者でいる」というのはおそらく真実だ。奴はまだオル・ヴァンビディスの動勢、そして敵の中枢を探っている段階であり、ライたちを助けたのは以前棕櫚が推察した理由、「世界のかき回し役は多い方が綻びが生まれやすい」ということに通ずる。ソアラをオル・ヴァンビディスに連れ込んだ時と同じだ。
 敵が慎重派であると感じたから、アヌビスは利用できそうな手駒を残した。実際奴の差し金があったからこそ、フェリルの存在、居場所まで暴かれようとしているのだから、正しい判断だったと言わざるをえない。
 「アヌビスはサザビーに頼まれて、ソアラの服にミキャックの転移のクリスタルを仕込ませた。それを頼りに彼らはフェリルのアジトを明かそうとしているわ。」
 「___レイノラさん、それをアヌビスが無条件で飲んだんですか?」
 「無条件ではない。アヌビスは彼らに目に似たものを渡している。行く先々の情報を共有すると言うことよ。」
 その目に似たものがサザビーの顔半分であることは口にしない。いずれ明らかになるだろうが、責任感の強い二人だからこそ今告げるのは得策ではなかった。
 「それで___アレックスのことだが。」
 「はい。アヌビスの言葉に間違いがなければ、リシス様のところに来るはずです。」
 「僕らがリシスさんを守ります!」
 そう息巻いたライの頭を木の杖が叩いた。
 「たわけ、わしはお主らの力など必要でないわ。」
 「確かにリシスの森はそれそのものが強力な盾になる。」
 「それは私たちも聞きました___でもここにいさせて欲しいんです。アレックスを取り戻すチャンスなんです___!」
 そう訴えるフローラはいつもの彼女と違ってみえた。我を出さず、常に仲間のために身を尽くしてきた彼女でも、我が子のこととなると別なのだろう。
 「リシスの側にいることは構わないわ。でもおまえたちがアレックスと接触するために、リシスの鉄壁を解れさせることはあってはならない。」
 「___はい。」
 「難しいことかもしれない。でも冷静でいなさい。アヌビスはおまえたちをリシスの元に仕向け、アレックスの後ろにはダギュールがいる。それがどういう意味か分かるでしょう?」
 フローラはハッと目を見開いたかと思うと、小さく唇を噛んで少し俯いた。
 「すみません___そうですね、本当___その通りです。」
 ショックだったのだ。アレックスのことがあってもまずは仲間のため、世界のために動けると自負していた。それなのに、アヌビスの差し金がリシスの鉄壁を崩すための一手だったこと、自分たちもまた「世界のかき回し役」だったことに、全く気が付かなかった。
 「ライ、他に何か?」
 言葉を失っているフローラでなく、ライに問う。
 「___いえ!とにかく僕らはもう少しここに残ります!」
 「ああ、それが安全でいい。」
 ライは嘘の付けない男だ。歪んだ眉、強張った頬に葛藤を滲ませながら、彼はフローラの肩を抱いて鏡から外れた。
 「リシス、彼らを置いてあげて。」
 代わって鏡面に立った老婆に、レイノラは囁いた。
 「まぁ___やむをえまい。早めに迎えに来ておくれ。」
 「ええ、必ず。」
 そして森の女神との通信は途切れた。
 「残酷なことをしますね、アヌビスは。」
 鏡面には棕櫚の姿が舞い戻っていた。アレックスの話題を、彼は静かに鏡から外れて聞いていた。
 「分かり切ったことよ。」
 「___ですね。」
 「でもフェリルはアヌビスとは関係ない。その点に限れば、あの犬の鼻に感謝しないといけないのかもしれないわ。あれの餌はきっと世界を揺るがす混沌なのよ。」
 「ふふ、かもしれませんね。まだ手遅れだとは思いたくありませんし。」
 「そうね___」
 レイノラは髪をかき上げた。
 「その癖、ソアラさんと同じですよ。」
 「?」
 「苛立つと髪をかき上げる。」
 「___嫌な男だな、おまえは。」
 「それが取り柄ですから。」
 レイノラは呆れた様子で苦笑する。
 「大丈夫。サザビーも言っていたでしょう。俺たちはあなたが思っている以上に頼りになりますから。」
 「分かっているよ。きっと全てがうまくいく。そう信じているさ___」
 「では、俺のことは後回しでいいですからね。もしかしたら自力で出る方法を見つけだせるかもしれませんので。」
 「ああ。」
 「それじゃあここまでの道順を言いますね。」
 「頼む。」
 やがて、棕櫚の姿も鏡から消えた。そして漆黒の鏡面は普通の鏡へと戻り、レイノラ自身の顔を映し出す。
 「なんて顔だ___」
 信じている?この引きつった頬でよくも言えたものだ。分かっていても不安なのだ。次はいったいどんな悪い報せが舞い込むのかと___
 「___」
 レイノラはまたテラスに出た。酒盛りは未だに続いている。夜はまだ長い。自分は闇の女神だ、夜こそ自らの時だ。でも今は目映い青空が恋しかった。
 (ジェイローグ___)
 その思いは抱かないつもりでいた。戦う強さを掻き消す軟弱さだと思っていた。だが、この戦いに愛しき人が、光の神ジェイローグが側にいないことがもどかしい。深い宵闇を見るにつけ、押し殺していた愛しさが溢れ出してくるのだ___
 その時である、漆黒の夜空に朧気な光が走った。それははるか彼方から猛烈な速さでキュルイラの神殿へと迫る。だが恐れるものではない。朧気な光を黒い雲が包んでいるのがレイノラには見えた。それは主の元へ舞い戻るかのように、レイノラのいるテラスへと吸い寄せられていった。
 ポンッ!
 雲が弾けた。
 「いでっ!」
 朧気な光は強い輝きへと変わり、それを両手から放つ少女と、テラスに尻餅をついた少年が現れる。
 「リュカ!ルディー!」
 「あ!レイノラさんだっ!」
 「レイノラさん!」
 二人の子供たちは母が慕う闇の女神を見て笑顔になり、飛び跳ねるように抱きついてきた。
 「レイノラさ〜ん!」
 涙は零さない。それでも上擦った声を上げて、二人はレイノラに縋り付いた。レイノラは半ば錯乱している二人の頭を優しく撫でる。なぜ彼らだけがここにやってきたのか、聞かなければならないことはたくさんある。でも、今はとにかく不安だったろう二人の心を鎮めてやるのが先だった。
 だが二人はソアラと百鬼の子だ。そしてこの年にして戦いを知っている。自分が成すべきことを察したのか、リュカは甘えるよりも先に顔を上げた。
 「セラさんが死んじゃった!」
 潤んだ目で、リュカはそう言った。レイノラは息を飲む。
 「お父さんがお姉ちゃんを助けたんだ!でもセラさんが死んじゃった___!」
 「性骨っていうやつ!あれがやったの___!」
 レイノラの温もりを感じたことで、二人はすぐに自らの使命を果たそうとする。自分たちが見てきたことを、精一杯の言葉でレイノラに伝えなければならない。幼い二人は、もう涙を消した戦士の顔でいた。
 それはレイノラをも勇気づける。
 「いいわ___あなたたちの見てきたものを私にも見せてくれればそれで良い___」
 レイノラはしゃがみ込み、二人と同じ顔の高さに。こんなに間近で彼女の顔を見たことがなかった二人の頬は、たちまち紅潮していった。そんな二人を両手に抱くレイノラ。勇気と躍動に溢れた幼子たちと頬を合わせ、目を閉じる。闇の女神の持つ静けさは、子供たちに言い得ぬ安らぎをもたらしていた。
 そしてレイノラは二人が見てきたものを知る。セラ、竜樹、性骨、百鬼___彼らは父を追うべく闇の雲を発動させたが、雲は彼らをセラの世界へと向かわせた時点で、二度目の発動時にはレイノラの元へと舞い戻るように作られていた。
 そして子供たちは父と性骨を追うことができず、ここへとやってきた。
 「大変だったのね___」
 「お父さんを追いかけたかったの___お父さん、きっと今一人だよ!」
 自分の言葉に不安を掻き立てられ、ルディーの顔が歪む。しかしレイノラは穏やかな笑みを見せ、彼女を優しく抱きしめた。
 「大丈夫。あなたたちのお父さんはとても強い人よ。」
 「そうだよ!」
 リュカは首がもげるのではないかというほど力強く頷いた。純朴な姿がレイノラを元気づける。いや、それだけではない。リュカには子供らしい活気だけでなく、体の奥底から溢れ出る何かがある。
 それは光、覇邪の意志、漲る勇気___ジェイローグを見るような暖かさ。
 「本当に___」
 温もりで彼らを癒したはずが、逆に幼い魂に勇気づけられる自分がいる。
 「本当に無事で良かった___!」
 レイノラは二人を強く抱きしめた。愛おしむように、熱を以て。
 「あなたたちが無事で___本当に___!」
 レイノラは泣いていた。子供たちには彼女の涙の理由が分からなかった。でもその温もりに身を委ねるのはとても気持ちの良いことだった。母に抱きしめられるのと同じ心地よさだった。




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