3 伝説の終焉

 世界が歪んで見えた。今は真昼だというのに、空は藍と紫と黒が入り乱れ、不気味に、しかも高速に蠢き回っている。あれの正体は雲か瘴気か、ともかく異常事態であることは間違いない。大地が割れ、海原はそれ自体が渦潮のようにして激動している。
 これが世界の崩壊なのだろう。風は痛いほど強く吹き荒れ、大地を失った木々を舞い上げる。上も下も右も左もない、全てが入り乱れながら、終末に向かって疾走しているようだった。
 その元凶にはGがいた。
 彼は二本の足で立っている。その立ち姿は、人である。しかし、終末への蠢きと同様に、彼の身体も各部で蠢いていた。
 身の丈は雲に届く。
 足踏み一つで大地を崩す。
 手を薙げば竜巻が起こる。
 咆哮一つで大気が震える。
 肉の塊というほど無様ではない。彼の肉体は人の肌色を呈してはおらず、鱗や棘やヒレや甲殻など様々な形状ではあるが、いずれにせよそれなりに洗練されている。ただ顔に面影を探すのは無理というもので、口は円形で内周から伸びた牙が中央で重なり合う、イソギンチャクのような形をしており、鼻はすでに消え失せ、蠢く穴があるばかり。目は瞳無く青一色のガラス玉のようで、頭には前後左右に鋭く長い角が伸び、その狭間を縫って縄のように太い頭髪が揺らめいている。
 不気味だ、しかし偉大だ。人はこれほどの生命に至る可能性を秘めているというのだろうか。
 「これほど自分を小さく思ったことはない___」
 風は彼女の髪、服を激しく靡かせる。レイノラは遠くでゆっくりと動くGの姿を睨み付けていた。
 「あれは生まれるべくして生まれたのか___だとしたら、これは神と呼ばれる私たちでさえ抗えない運命なのか。」
 レイノラは首を横に振った。誰に答えるでもない、自分に言い聞かせるために。
 「抵抗してみせる。生きる希望を無くしたら、それは人形と変わりないわ。例えどんな弱い生き物でも、生きる事への情熱は変わらない。運命なんて一言で片づけられてたまるものですか!」
 細い腕で拳を握り、レイノラは覚悟を決めたようにGへと近づいていく。そうしている間も、Gの口からエネルギーが光線となって溢れ出し、彼方の大地に炸裂する。すると夥しい光のカーテンが大地に広がり、やがてカーテンの色は赤に変わる。遅れて、轟音、熱風がレイノラの元に届いた。
 あれでまた大地が消えたか裂けたか。爆発と共に大地が吹き上がり、空気の摩擦で一帯を灼熱地獄に変えた。赤いカーテンに見えたのはそれである。
 「く___」
 自らを覆う闇の波動がなければ、ここまで届いた熱風に肌を焼かれていただろう。改めて言うまでもないが、この化け物を力押しで倒すのはもう不可能だ。一縷の可能性もない。それほどGは絶大である。
 そんな計り知れない恐怖に、レイノラは果敢に近づいた。そして___
 「ロイ・ロジェン・アイアンリッチ!」
 澱んだ大気の中で、喉が焼け付かんばかりの大声で叫んだ。
 「アイアンリッチ!私はここだ!」
 振り向くか?いや、振り向かせてみせる。そして私の肉体を、母の温もりを求めさせてみせる。
 「___ロイ!」
 だから名前で呼んだ。愛情を込めて、彼の母マリアを思わせるように。
 「ロイ!私はここよ、ロイ!」
 風音を鳴らしながら、ゆっくりとだがGはレイノラへと首を傾ける。
 「ああロイ、寂しかったのでしょう?もう大丈夫___母さんはここにいるから!」
 レイノラはここぞとばかりに、微笑みながらGに呼びかけた。彼にはもう表情らしきものが無いから探ることはできない。しかし、きっとレイノラに母マリアの面影を思い出したに違いない。だから振り向き、動きを止めた。
 ただ、勘違いしてならないのは、アイアンリッチにとってはレイノラのみならず、母までもが欲情の対象となっていたことだ。それは、母の肖像にレイノラの裸体を重ねていたことでも明らか。
 「ゴオアアアアア!」
 Gが天を劈く咆哮を上げる。それだけでレイノラが纏っていた闇のオーラは綻び、服や皮膚の一部が深く裂けた。そしてGは、その巨体でありながら驚くほど機敏な動作でレイノラを捕まえに掛かったのである。
 「ほら!こっちよ!」
 レイノラは全力で逃げた。世界を破壊しながら追いすがるGを、できるかぎり自分に釘付けにするために。

 「く___」
 ファルシオンの工房にて、ジェイローグは形だけの剣を前にして呻いていた。掌から注ぐ光の波動は、剣を赤熱するには至らない。ただそれは、波動に力が足りないよりも彼の集中の欠如によるものだった。
 「レイノラが気になるか。」
 傍らで見つめるロゼオンは、重苦しい声で言った。工房には、汗と火の粉にまみれ続けた職人たちが、やつれてなお精悍な顔を呈している。彼らの多くは剣神ゼッドに仕えていた職人たちだった。
 「いや、そんなことは___」
 「ごまかしたところで、魂までは変えられぬ。迷いを断ち切れ。今おまえはファルシオンだけを見つめろ。」
 剣作りは剣神ゼッドの舞台である。しかし鋼の神ロゼオンは、剣の源となる鉱石のすべてを知り、また彼自身も鋼のごとき頑固さで磨き上げられた武具作りの天才であった。
 「迷いを断て。それ以外にない。その程度のことができぬようで、誰がおまえに未来を託せようものか。」
 未来を託す。それはロゼオンの覚悟が言わせた言葉である。ジェイローグはまだファルシオンでGを倒せる可能性を考えていた。しかしロゼオンは、すでに十二神縛印の一端となる覚悟を決めている。いや彼だけではない、ジェイローグとレイノラを除くすべての神がその覚悟を決めている。
 それは潔さ。今のGをみれば、ファルシオンで滅するなど夢物語。ファルシオンはあくまで、十二神縛印を成功させるための一助でしかないだろう。その冷静かつ潔い覚悟、それこそが今のジェイローグに欠けているものである。
 「よし___」
 だがロゼオンの覚悟を知り、彼もまた潔さに目覚めた。死力を賭したレイノラの揺動を生かすために必要なのは、彼女を心配することではない。ただ一心に、己の勤めを全うすることである。
 「いけるな。」
 「はい。」
 冷然とした言葉を返し、水を打ったように静まりかえった心で、ジェイローグはファルシオンにその手を翳した。

 レイノラとGの追い駆けっこは一晩続いた。だがもはや限界に近づいている。レイノラの体も傷ついてはいるが、彼女の体力はまだ十分に足りている。だが世界の体力がどれほど持つか。Gが手でレイノラを捕まえにかかったのは最初のうちでしかなかった。捕まえたいという意志が進化を助長したのか、いまや彼の腹からは無数の触手が溢れ出し、それが四方八方に広がってレイノラを捕らえようとしていた。しかしそれでもなお逃げられると、癇癪持ちの子供のように、夥しい波動を彼方に向かって放つのである。
 その都度、世界が深手を負わされていく。地獄絵図が本当の地獄に変わっていく。海水が消し飛び、マグマの海洋が広がる。いや、それさえ消し飛ばされ、虚無が生まれる。虚無はすべてを飲み込み、無へと返す。小さな虚無は静かに広がり、やがてすべての世界を無に返す。
 それはいわばブラックホールか。Gの度重なる攻撃で破壊されるものを失った空間に、黒い渦が生まれていた。大地も海も空さえも、歪みながら虚無に吸い込まれていく。
 「これ以上は___もう___」
 果ての空に見える黒い渦にレイノラは震え上がった。そして、彼女は下から迫る触手に気づかなかった。
 「!」
 レイノラはついに捕らえられた。無数の触手は折り重なるように彼女の体に絡みついていく。その一つ一つが、まるで強い吸盤のように体に吸い付いて離れない。そして___
 「!?」
 グァボァという醜い音とともに、Gの腹に口が開いた。縦に裂けた口に歯はなく、ただぬめった肉が蠢き、そのさらに深みに穴が開いている。それは見ようでは女性器のようでもあった。
 「私を___食べるのか___?」
 定かでない。しかし触手の海に飲まれるうちに服も裂けたレイノラの体は、ゆっくりと腹の口に運ばれようとしていた。
 その時である。戦場に光が走った。
 スッ!
 一刀両断というような鮮やかな音はしない。そもそもその剣は、実体がありながら肉体を透過する。そして力だけを切り裂く。
 「ゴゴァ___」
 切られた瞬間、Gは呻き、その体から七色の光が弾け出た。ジェイローグは戦場に現れると同時に、ファルシオンを横薙ぎに、Gの懐を腹から背へと駆け抜けていた。あの七色の光は切りとばされたGの力に相違ない。
 「うおお!」
 もう一太刀!ジェィローグはGの背後からその巨大な背中に斬りかかる。刃はGの肉体を通り抜け、またもその軌跡から七色の光が溢れ出た。
 「脱出を___」
 触手の締め付けが弱くなった。好機と見たレイノラは身をよじらせるが、触手そのものが体に張り付いてうまく逃れられない。闇の波動を放っても、それは不思議なことに触手に触れると溶けるように消えてしまう。まるで力を吸い込むように。
 「!?」
 吸い込む。それは新たな進化である。七色の光は大気に霧散することもなく、空間にとどまり、しかもこともあろうかGの肌に触れると再び体に吸い込まれて消えるのだ。
 「殺めるのではない___肌から直に力を吸収している!」
 ジェイローグは狼狽し、七色の光を体に引き戻し続けるGに向かって何度も切りつけた。しかし切り出された七色の光は、そのままGの体に舞い戻ってしまう。
 「力が分断されなければ神縛印もままならない___!」
 できればGの力を十二に分断したい。しかし神々しき聖剣で切り裂いても、二撃目には最初に分断された力がGに戻ってしまうのだ。
 「どうすれば___」
 レイノラも呻いていた。触手が彼女の肌から力を吸い込む。それは壮絶な脱力感だった。しかし___
 ザンッ!
 現れたもう一つの目映い光が、レイノラの悪夢を断ち切った。雲を切るようなファルシオンの一太刀とは違う、生身の生き物を切る毒々しい音が鳴った。それとともに触手からは力も吸着力も失せ、レイノラは解放された。
 「母さん!」
 「レッシイ!?」
 現れたのはレッシイである。彼女は竜の力を輝かせ、蹴脚で触手を叩き切って見せた。しかしその神々しい光も、背後に迫るGの腹の口に吸われるように、靡いていた。
 「くっ!」
 黄金の輝きを失いかけ、レッシイはあわててレイノラを抱いてGから離れた。
 「逃げよう、母さん!」
 「だめよ!まだジェイローグが戦っている!」
 それだけではない、レッシイが向かっている方角の空には、十二人の神がきれいな円を描いて浮遊していた。来るべき十二神縛印の時に向け、彼らは印を結んでいた。
 「でも___もう無理だ!見ればわかるだろ!?ファルシオンで切ったところで、切り飛ばされた力はまたすぐにGに戻っている!あれじゃあどうしょうもないよ!」
 十二神縛印も、ある程度Gの力を分断できなければ成功の望みはない。そして現在、分断はできていない。ましてGは攻勢に出始めている。最初は恐るべき脱力に戸惑ったのか、ジェイローグに切られるまま立ちつくしていたGだが、いまは彼に向き直り、あっという間に再生した触手で捕らえにかかっている。
 状況は圧倒的に不利だ。神々の挑戦も、圧倒的な力と、止まらない進化の前に打ち砕かれようとしている。しかし、誰も諦めてはいないのだ。
 「命燃え尽きるまで戦う。それは私も、あなたの父さんも、十二の神々も、みんな同じよ。何か手はあるはず。Gの力を分断し、なおかつ再吸収させない方法が___だって、ファルシオンそのものは効果があったのだから!」
 希望を見失わない母。普通はより現実を知った大人が、子供の無垢で純粋な信じる心に救われるものだろうに。レッシイは母の純粋さにあてられ、涙したくなるほど胸が熱くなった。と同時に、彼女に強い闘志がわき上がる。それはある種の覚醒でもあった。
 「母さん。母さんは絶対生き残らなくちゃいけない。」
 「え?」
 レッシイは止まった。Gからの逃亡をやめた。しかしレイノラの体を抱いたまま、そんなことを口走る小柄な娘は、母の心に一抹の不安を招く。
 「Gの力を分断する方法を思いついた。」
 「!」
 ボッ!
 レッシイの体が燃え上がるような黄金の輝きに包まれる。
 「母さん、短い間だったけど、あたしは母さんのこと大好きだった。それから___親父にはいまさら恥ずかしくていえないから、母さんからいってほしい。親父のことも大好きだったって。」
 「レッシイ___!?」
 レイノラは焦った。娘は死地に赴く者の達観した目をしていた。止めたい。しかし手を伸ばそうにも、彼女の体はジェイローグにも劣らない強力な光の波動に包まれ、戦場から遠くへと弾き飛ばされてしまった。
 「さよなら、母さん。できの悪い娘でごめん。」
 レッシイが最後に見た母の顔は、泣き顔だった。

 「くっ___どうすれば!」
 ジェイローグは手だてを失っていた。切っても切っても、分断した力はすぐさまGに舞い戻る。しかしそうと分かっていても彼には切り続けるしかない。だが堂々巡りの先に待っているのは疲弊の果ての死。このままでは何の活路も見いだせない。
 「親父!」
 戦場に甲高い声とともに光が舞い込む。それがレッシイだと知ると同時に、ジェイローグの顔は強ばり、青ざめた。
 ドゥムッ___!
 鈍い音をあげ、レッシイは自らGの腹に開いた口に足から飛び込んだのである。
 「レッシイ!?何を!」
 ジェイローグは訳が分からずに呼びかけた。何か攻撃をするわけでもない、その常軌を逸した行動にジェイローグは激高した。だがレッシイの次の一言が、彼の怒りをかき消す。その言葉に込められた意志を理解したから、彼は真っ白になるほど呆然とした。
 「親父!ファルシオンをよこせ!」
 明確な意図だ。力を飲み込もうとする場所に、核とも呼べる体の中心部に、自ら身を挺してファルシオンを突き立て続ければ良いのだ。そうすれば、半減の効力はGの体に停滞し、力の再吸収はままならなくなる。レッシイはそう読んだのだ。
 確かに、活路を見いだす術はそれしかないだろう。しかし、ジェイローグは突然のことに言葉を失い、ただ苦悶の顔でGに飲まれながら、こちらに向かって必死に呼びかける娘を見つめることしかできなかった。
 レッシイがそこまでの覚悟を胸に宿していたとは思っていなかったし、命を張る娘の姿がこれほどショックだとは考えてもみなかった。
 しかしそんな彼を、レッシイの一言が現実に引き戻した。
 「最後くらい親孝行させてくれ!」
 ジェイローグは我に返った。その時、胸のあたりまでGに飲まれていたレッシイから、光の輝きは失われていた。そして、彼の体は突き動かされた。

 その瞬間のジェイローグの胸の内、それは彼自身にもわからなかった。
 言うなれば、ただ無心だったというところか。
 ともかく、レッシイの覚悟に導かれるように、彼はファルシオンを投げていた。
 宙を舞う剣をしかとつかみ取り、笑みを浮かべた娘。
 その姿を目の当たりにしたとき、身を劈くほどの後悔に襲われたことだけははっきり覚えていた。

 レッシイはファルシオンをGに突き立てた。
 真核に杭を打たれた岩のごとく、Gの力は綺麗に裂けた。それは剣を突き立てられた腹を中心に、七色の光がひび入りながら、大きく円を描いて広がり、宙に止まったことでも明らかだった。
 その円は、十二の神々が描く円と狂いなく合致していた。
 奇跡的だった。

 ___
 「それで、Gは封印されたんですか?」
 ドラゴンズヘブンの光の部屋。その光のベッドで、石の胎児と化したジェイローグが眠る。その安らかな眠りを横に見て、レイノラとソアラが向かい合って座っていた。
 「封印されたから、いま私もジェイローグもここにいるのよ。」
 レイノラは微笑んだが、戦いからまともな急速もなく重苦しい過去を吐露した顔には、疲れがありありと刻みつけられていた。
 「十二神縛印は成功し、Gは十二の神の体に封印されたわ。封印の成功と共に、神々とレッシイは姿を消し、残っていたのはミイラのような男の亡骸だけだった。」
 「アイアンリッチ___ですか。」
 「アイアンリッチはもう死んでいた。力だけが生きて、一人歩きしていたのよ。」
 「___」
 ソアラは閉口し、肩を抱いて身震いした。
 「Gは消えた。でも世界は崩壊の道を辿っていた。生き残ったジェイローグと私は、虚無に飲まれようとしていたバルディスの維持を諦め、より特化した要素を持った三つの世界に分けることにした。それが今の三元世界よ。」
 自分が生きてきた世界の創世を、しかもそれを手がけた神に聞くというのはなんともはや、言葉にならないものがある。呆然とするソアラに微笑んで、冗談めいた言葉をかけるレイノラ。ソアラの心にようやくゆとりが戻ってくると、彼女は気に掛かった問いを投げかけた。
 「あの___十二人の神はどこにいったんですか?」
 「どこにいると思う?」
 悪戯っぽい問いかけのようで、レイノラは笑みを消していた。ソアラは薄々ながら自分が感づいているのを読まれたことを知る。
 「黄泉___ですか。」
 「その裏よ。」
 「裏?」
 ソアラは息を飲んだ。この心地よく暖かな光の部屋で、この闇の女神は恐るべき事を語ろうとしている。
 「裏と呼ぶことが正しいかは分からないわ。でも、黄泉にはもう一つの世界がある。それは十二神が作り上げた世界。私もその世界を訪れたことはないけれど、その世界と黄泉を結ぶものが何かは知っているわ。」
 「まさか___」
 察しが良いのは昔から。レイノラは彼女の答えを待っている様子で押し黙り、ソアラは少し胸の高ぶりを感じながら口を開いた。
 「白廟泉?」
 「正解。」
 なるほど、あの泉がなぜ生命力に満ち溢れているのか、分かった気がした。
 「十二神はGを封印するに相応しい強固な世界を探した。それが黄泉だった。ただ、それでも黄泉そのものではなく、黄泉と表裏一体にある次元にGの力で世界を作ったのよ。十二神は自身を封印の鍵とすることで、均衡の元にGをその世界に押さえ込んでいる。ところが、それがどこからか表の黄泉に漏出した。」
 「そうか___その兆候を感じたから、あなたは黄泉に降りたのね。」
 「そう、北斗とともに。」
 レイノラは深く頷き、ソアラは敬語を忘れたことに一瞬ハッとして、小さく舌を出した。
 「さてソアラ___十二神はおそらく今もなお、Gの力を封じ続けている。あの夥しい生命力は、彼らに死を、いやおそらくは老いることさえ許していないわ。」
 不老不死か___アヌビスが聞いたら舌なめずりをしそうな言葉だ。ん、アヌビス?
 「そうか!アヌビスはそれを知っていて黄泉に___」
 「鋭いね。」
 「あ、すみません。」
 レイノラの冷笑を見て、ソアラは口を閉ざした。
 「でも、アヌビスが白廟泉のことまで知っているとは思わないわ。ただ、ダ・ギュールはGを知っているから、その手掛かりが黄泉にありそうだと言うことはアヌビスも承知している。それは実際に、私も黄泉で奴に会って聞いた。」
 「天界の戦いの間、アヌビスは冥府にいたんですか___?」
 「奴は黄泉に残っている。だから、私たちもそう安穏とはしていられない。」
 小さく唇を噛み、レイノラはジェイローグを一瞥する。誤解でジェイローグを苦しめた上に、アヌビスがGに近づく助けとなってしまったこと、それを悔い、詫びる思いが視線に込められていた。
 「白廟泉は危険だ。あの生命力はGを源としている。それはつまり、白廟泉で冥府の表と裏は繋がっている。今でこそその接点はごく小さいものだけど、繋がっている以上はその穴を広げることも、通り抜けることもできるかもしれない。これをアヌビスに知られてはいけないし、アヌビスでない妖魔でもあの泉に近づくことは許されない。まあ、おまえは近づいてしまったみたいだけど___」
 「そんなものだって知っていたら___」
 「近づかなかったとでもいうの?」
 「___ごめんなさい。近づいてたと思います。」
 「フフ、やっぱり。」
 かつて命を奪われかけた相手を前にして、ソアラの心は平静だった。疲弊した中でも二人の会話が弾むのは、血縁ならではの相性の良さか。
 「今は天界に復興の目処を立てることが第一。その間に私も含め、できるだけ戦える体力を取り戻すことに努める。それから、少なくとも私とあなたは黄泉へ。そして___白廟泉を封じる手だてを考える。ジェイローグの思いを無駄にしないためにも、これは私たちがやらなければならない。分かるわね?」
 「はい。」
 使命を告げるような凛としたレイノラの言葉に、ソアラも姿勢を正してしっかりと頷いた。
 「できれば私たちだけでと言いたいところだけど___」
 レイノラが指をスナップする。すると、光の部屋に浮かび上がる扉が勢いよく開いた。
 「わっ!」
 と、支えを失った人山が部屋に雪崩込んできた。一番下にミキャック、その上に百鬼、さらにはリュカ、ルディー。
 「そうもいかないようね。」
 レイノラの苦笑を見るまでもなく、ミキャックの背に手を付いて体を起こした百鬼が、右手を高々と挙げる。
 「俺も黄泉に行くぞ!もうソアラだけで行かせるもんか!」
 「そうだそうだ!」
 百鬼の宣誓にリュカとルディーも拳を突き出して応じる。勝利がルディーに元気を取り戻させたのか、彼女も溌剌として見えた。
 「熱意は分かったから、ほらミキャックが可哀想でしょ。」
 「のわっ!?」
 下敷きになっていたミキャックが、顔を真っ赤にしてホープ家を跳ね除けると、彼女はすぐさまレイノラの前に跪いて敬服を示した。
 「凛様、地の果てまでもお供いたします。」
 「ありがとう。」
 ミキャックの掌に口づけするレイノラ。ミキャックの目に何だかキラキラとした薔薇色の煌めきを見た気がして、ソアラは小さな溜息をついた。

 ともかく、新たな出発の時は近づいている。
 目指す場所は黄泉。
 目的はアヌビスを探し出すこと。
 そして、白廟泉に破綻無きよう守り、外界より遮断すること。
 ただ___
 「天界での戦いの間、アヌビスは黄泉に残った___」
 レイノラは心中で、悲劇的な言葉を呟く。
 アヌビスが天界襲撃をダ・ギュールに任せた意味は?
 考えれば考えるほど、レイノラは背筋を走る寒気を止められなかった。
 今はただ祈るしかない。
 黄泉に残ったアヌビスが、白廟泉に辿り着いていませんように___と。
 が、その願いが叶うことはおそらくない。
 彼女には知る由もないが、アヌビスは微笑みを携えて冥府に戻ってきた。
 その事実は、戦いがより一層過酷な舞台へと移行していくことを意味している。

 さあ、舞台はGを巡る戦いへ。




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