3 輪廻転生
「何者だ___あの戦士は?」
鋼の神ロゼオンは物静かだが確かな力を持った神だ。あらゆる鉱物に精通する彼は、それを原料とした武具の扱いにも長け、今も身の丈の倍はあろうかという長剣で、群がる敵を根こそぎなぎ倒していた。だがそんな彼の動きを止め、視線を止めさせる存在がそこにはいた。
「分かりません___しかしどうやら我々に加勢していただけるようで___」
武装したロゼオンの神官もまた、怪訝さを残したままの顔で答えた。二人の視線の先にいるのは漆黒の戦士。左手に紅玉のような鱗を持つ凄腕の剣士、バルバロッサだ。
「___」
突如として戦場に現れた彼は、口数同様無駄のない剣技で次から次へと敵を斬り殺していく。躊躇いのない太刀筋、弱点を見抜く感覚、一撃で仕留める破壊力、全てが卓越していた。優れた戦士であるロゼオンをもうならせるものがあった。
グンッ___!
休み無く襲いかかる大軍に僅かな隙ができた。その瞬間バルバロッサは剣を大地と平行に構え、刃の根元に埋め込まれた赤い宝石を輝かせた。
ズオオオオッ!
剣から沸き上がった波動が渦巻く刃となって放たれる。それは敵を飲み込み、切り刻み、跳ね上げていく。その一撃で五百は仕留めたのではないかという破壊力。それを彼はごく短い蓄積で放ってみせた。
強くなっているのはソアラたちだけではない。必要以上に表に出さないだけで、バルバロッサも壮絶な進化を遂げている。そこに壮大な目的はなくとも、彼は孤独な自分を満たす手段の一つとして、強さを追求しているのだ。
「素晴らしい。」
ロゼオンは感嘆の言葉を漏らした。
「は?ああ!そ、そうですね。確かに素晴らしい力です。」
見ず知らずの相手を軽々しく賞賛するような人物ではないのだろう。神官はロゼオンの言葉に面食らった様子で答えた。
「いや、素晴らしい石だ。」
だがロゼオンが見ていたのはバルバロッサそのものではなかった。彼が剣を振るのも忘れて見とれていたのは、バルバロッサの剣に埋め込まれた赤い宝石だったのだ。
ところで、なぜロゼオンの世界にバルバロッサがいるのか、それは収穫の女神リーゼが恐怖に震えながらレイノラにセラの世界の危機を伝えたことによる。
「大変だ!すぐにセラの世界に行こうぜ!」
リーゼの姿が鏡から消えるなり、百鬼は声高らかに言った。
「そうだな___」
だがレイノラはすぐに動こうとはしなかった。それはムンゾの神殿へもうさほど遠くないところまでやってきていたからだ。
「だかここにきてムンゾ神殿を見ないのは、酷い過ちのようにも思う___」
「でもよ、今目の前で起こっていることを何とかするのが先じゃねえのか?」
百鬼は相手が誰であれ遠慮をしない。レイノラは腕組みをして目を閉じた。
「なら俺がムンゾの神殿を調べましょう。」
そこに棕櫚が一石を投じた。
「___危険がないとは限らないわ。」
「平気ですよ。おそらくこの中で一番ずる賢いのは俺ですから。」
棕櫚は何食わぬ顔で言う。この男には何かしら底の見えない部分がある。それは悪い意味ではなく、人を食ったというか、全てを見通したような自信家の顔がある。だからこそ、彼ならば任せても良いという気にさせるのだろう。
「分かった。ならムンゾの神殿のことは棕櫚に任せる。」
レイノラの決断は早かった。彼女はすぐさま夜の闇を掴まえるかのように手を揺り動かすと、黒いビー玉を作り出した。それを棕櫚に手渡す。
「闇の鏡の力を込めたわ。それを鏡、あるいはその代わりになるものに投げつければ、闇の鏡と同じ効果を示す。」
「使い切りタイプですね?分かりました。なら骨の髄まで調べ上げたところで連絡します。」
「オコンの所に戻ってからでもいいわ。とにかく、何かあっても無茶はしないように。」
「それはお互い様ですよ。」
「そうね。」
そうと決まれば話は早い。夜更けだったこともあって、この騒ぎにも目覚めなかったリュカとルディーを起こし、棕櫚を除いた五人、レイノラ、百鬼、リュカ、ルディー、バルバロッサは一路セラの世界へと急いだ。
『分かりました。セラのもとへ急行します。』
「気を付けて。」
「無理すんなよ!俺たちもすぐに行く!」
だがそれに先んじて、よりセラの世界の近くにいたフュミレイに指示を送る。百鬼は心配そうにレイノラの肩越しから彼女に訴えかけていた。
レイノラたちはムンゾの世界からレッシイのいるファルシオーネへと入り、セラの世界に向かっていた、それは確かだ。しかし夜明けも近くなったとき、鏡が慌ただしく騒いだ。
鏡面に現れたのはオコンだった。
「ビガロスの左手を通じて連絡があった!セラだけではない、どうやら複数の世界が一斉に襲われているようだ!セラ、ロゼオン、ビガロス、キュルイラ、バルカン!隣接する五つの世界だ!ビガロスは大地の震えから察して、セラ、ロゼオン、キュルイラの世界により大きな危機があると見ている!」
その報せで状況が変わった。先行していたフュミレイの力を信じ、彼らは別の世界へと行き先を変えたのだ。その一つがバルバロッサの向かった鋼の神ロゼオンの世界だった。
だが、この期に及んで最大の危機に瀕していたのは標的から外れたかに見えた探求神オルローヌの世界であり___
真なる外道、性骨の現れたセラの世界だった。
湯気が充満する風呂場、湯の中で刃を構える裸のセラ。洗い場の壁際に、湯とは違う粘液で濡れた裸体を晒す性骨。セラは竜樹の腹によからぬ気配を感じていた。荒療治ではあったが、予感は的中した。しかしこんなものが引きずり出されるとは思っても見なかった。
(こいつ___)
敵を睨み付けているうちに、セラは性骨の体が徐々に大きくなっていることに気付いた。そうだ、刀の幅でしか裂けていない傷口から老人とはいえ成人男性が出てこれるはずもない。まして竜樹の腹には妊婦のような膨らみがなかった。こいつは生まれ落ちたその瞬間から、急速に人型へと変貌を遂げているのだ。
ただ一つ間違いないのは、竜樹の腹、子が宿るべき場所にこいつが入り込んでいたこと。それだけは確かだ。
「わしはのう___女を食い、女の腹で強くなる。より強い女に巡り会い、わしは輪廻転生を繰り返すのじゃ___」
成長が止まった。それで性骨本来の体になったということだろう。彼は何度か首や手を捻り、感触を確かめているようだった。
「貴様の思想など聞くに及ばず。」
不気味だった。バルディスの時代から省みても、これほど得体の知れない相手と対峙したことはなかったかもしれない。こいつだけは生かしておいてはいけない、率直にそう感じたセラはすぐさま刀を振るった。
「花陽炎、春幻の太刀!」
花陽炎をその場で横凪にしただけ。ただ次の瞬間には性骨の体が血を噴いていた。春の幻と名付けられた剣技は、霞や霧、あるいは湯気の中で力を発する。花陽炎から放たれた無数の刃を水蒸気の中に潜ませ、知らず知らずのうちに敵を切り刻む奥技だった。
「やはり強い。先の我が母よりもな。」
だが性骨には効いている風さえ見えなかった。片腕を切り落とされ、胸、腹、首、頭まで、体の至る所が裂け、顔面も真ん中でずれているというのに、彼は全く変わっていなかった。
ゴバブッ___
傷口から血が噴き出し、その圧力で性骨の首は背中の方までめくり上がり、頭の重さに耐えかねてちぎれ落ちた。この程度、普段のセラであればなんら感じ入るものなど無い。だが今日の彼女はいつもより息づかいを荒くして、おぞましい光景を睨み付けていた。
「おっと、いかんいかん。」
転げ落ちた頭が喋り、首のない体が頭を持ち上げる。それを元の位置に戻すかと見えて___
ギャウンッ!
猛然とセラに向けて投げつけた。セラは動くまでもなく花陽炎を振るい、一瞬にして性骨の頭は四分五裂に砕け散る。
「ぐっ!?」
しかしそれをあの老獪そうな敵が予想しないはずもない。むしろセラの対処が冷静さを欠いていた。切り裂かれた頭から口だけが弾丸のように放たれ、セラの大腿部へと食らいついたのだ。
ガシュッ!
頑丈な歯のぶつかる音がして、セラの太股で血が弾け飛んだ。切り離された口は、まさしく彼女の足を食い進もうとしていた。
「ちいっ!」
セラがきつく目を見開くと、大気が歪み血みどろの口蓋に強烈な圧力弾が炸裂する。おぞましい口は砕けた、しかしその時にはすでにセラの体に影が差していた。
宙に飛び上がった性骨の体がセラに掴みかかろうとしていた。しかし戦神は至って冷静。もはや手先の届く距離であった性骨の胸に深々と花陽炎を突き刺していた。まるでこうなることを知っていたかのように、不意を付かれたはずの彼女が一縷の無駄もない動作で性骨の心臓を貫いていたのだ。
それだけではない。
「陽炎霧散!」
花陽炎の刀身が輝くと、それは覇邪の白い炎となって性骨の体を包み込んだ。崩れ落ちた肉片が湯の中へ没し、刃に引っかかるものが無くなるまでごく一瞬のことだった。
「!」
だがセラは目にも止まらぬ速さで湯から飛び出すと、翻って距離を取った。
「ほう、よく気付いた。」
その時、セラは口惜しさの余り歯を食いしばった。湯船の中から立ち上がったのは、性骨ではなく竜樹。しかし性骨は確かにそこにいるのだ。
「ぅえ___」
竜樹は意識を取り戻していた。しかし恐怖し、錯乱し、動転し、青ざめた顔で唇を震わせていた。
「なんで___俺___どうなっちまって___!」
竜樹は弱々しい声で問うた。青ざめているのは失血のせいではない。性骨の恐怖を知る彼女だからこそ、今の自分が置かれている状況がどうしても理解できなかった。
「なんで___俺の腹に___!」
竜樹の双眼から涙がこぼれた。それは真の恐怖がそうさせた。いま裸の自分、その腹は明らかに張っている。臨月の妊婦ほどではないが、確かにそこには存在感があるのだ。それだけではない、竜樹の身体には一切の自由がなかった。いま覚醒したのも、立ち上がったのも、彼女の意志とは違う。
「愚問よのう小娘___いつぞやの夜を忘れたか?」
まして自分の腹から嗄れた声が響くなんて、到底信じられるものではなかった。
「うぁぁあっ!」
竜樹が喘ぐ。セラが僅かに体を沈めた代償がそれだった。腹の奥底の鈍い痛みとともに、竜樹の内腿を血が伝った。
「その一刀を走らせるのと、わしがこの娘の腑を食い破るのとどちらが早いか___勝負してみるか?いやさ___すでにこの娘の脳をかき回すのも難しくはないがのう___」
絶望的な言葉に、セラはただ視線を厳しくするだけだった。性骨の言葉は嘘ではない。竜樹の右眼が彼女の意志に反してグラグラと揺れ動き、口が引きつり、手が痙攣していた。
「ふむ、わしはいま実に機嫌がよい。こやつよりも優れた母胎と出会えたこと、それはまさに最上の喜びじゃ。」
「貴様___」
「まずは刀を置くがよい。」
セラは言われるがまま花陽炎を投げた。それは弧を描き、湯船の縁の木に突き刺さった。
「わしは輪廻転生のもとに生死を繰り返す。わしの力は、死してなお生前の全てを後代へと引き継ぐ事じゃ___」
それはいわば死の超越である。前の体から新たな体へ、死とともに新たなる性骨が生まれる。ただ奴は細胞分裂で増えるわけではない。
「我が力の永続に唯一必要なもの、それは女だけじゃ。女がいるかぎり、わしは永遠に存在し続ける。無論、種を植えねばならぬがのう。」
性骨は死を恐れない。例え死したとて、その時すでに「種を植えた苗床」がいれば、そこから新たな性骨が生まれるのだ。それはつまり、黄泉の河原で竜樹に両断されたときはおそらく彼が蓄えていた女の中に、天界で百鬼に敗れたときは捕らえていた天族の女の中に、さらに再び滅せられたときは竜樹の中に、すでに新たな種が植え付けられていたということに他ならない。
「理解したか?小娘よ___」
聞いてはいる。戦きながら自分の腹を見下ろして、竜樹は聞いていた。だが聞くべきではなかったのだ。これほどおぞましく、恐ろしく、卑劣な罠はない。
「わしはおまえに殺された。だがその前にわしはおまえを孕ませている。」
それはかつて無い屈辱の記憶だったが、今の今までは百鬼との思い出が全てを包み隠してくれていた。なのに、その希望さえも水泡に帰したようだった。
「以来、わしは今までおまえの腹の中にいた。生き死にを繰り返しながらのう___」
「___繰り返し___?」
聞くべきではない。しかし竜樹はそう呟いてしまった。非道の真髄に触れてしまった。
「わしは精の一滴から意志を持つ。おまえの中で生まれた新たなわしはいわば精の塊じゃ。自ら子袋の出口を封じ、おぬしの新たな卵を抉り出しては己で染める。新たに生まれたわしは、わしの躯を養分とし、また新たなわしをつくる___」
もはや言葉にもならない。冷静沈着なセラでさえ、こめかみの疼きを止められなかった。
「わからぬか?わしはそのつどおまえの資質を得る。わしはおまえを母に幾重にも継代され進化しておる___だがそれも終わりじゃ___先程の死で、もはやおまえの雌は枯れ果てた。」
竜樹がその言葉の意味を理解したかどうかは定かでない。いや、理解してほしくはない。この下劣に女としての全てを奪われたことなど___!
「私は___」
セラは堪りかねていた。自らの分身でもある竜樹の尊厳の喪失に、彼女は涙さえにじませていた。
「私は数千年の時を生きてきた___しかし貴様ほどの非道は知らぬ!」
そしてセラは動いた。動かざるを得なかった。
もはや言葉さえ失った竜樹。救いを求める彼女の眼差し、恐怖からの解放を渇望する彼女のために、セラは動いた。
「やれぇぇぇぇっ!」
竜樹の渾身の叫び。その瞬間、湯が逆巻く。それは湯船の縁に刺さった花陽炎から流れ出た刃の花びらで溢れかえっていた。
風呂場は真っ赤に染まった。大量の刃が悪鬼を一網打尽にすべく、竜樹の腹を食った。赤が花火のように弾ける。
「ちくしょう___!」
はっきりと、竜樹は口走った。倒れながら、彼女は弾けた自分の腹から肉の固まりが飛び出すところを見ていた。それが最期に見たもの。直後に全てが暗転した。
ギャウン!
風呂の壁に穴が開く。性骨はセラを狙わず外へと逃げた。
「ジバン!」
すぐさま風呂の戸が開いた。老翁は一目散に湯船に浮かぶ竜樹へと駆け寄った。側ではセラが手にした花陽炎で自らの手首に筋を走らせていた。
「我が血を託す。あらゆる手を尽くせ!」
「御意に___!」
セラの血はジバンの手に受け止められると、真っ赤な水晶玉のように球を象っていく。その時にはすでに手首の傷が塞ぎ止められていた。いや、そればかりか彼女の肌をなぞった血が蠢くと、一気に膨れあがって全身を真っ赤な帯で包み込んでいく。
「ご武運を!」
セラは真っ赤な装束に身を包んでいた。それは決意の現れである。
「断じて許さぬ___!」
燃えさかる炎よりも赤く、立ちはだかる全てを血の海に落とす。深紅の血装束は殺戮の意志を露わにした戦神の姿だった。
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