3 震える世界
竜樹の死闘はセラの世界を震わせる。しかし時を同じくして、オル・ヴァンビディスそのものが震えていた。
「ビガロス様!」
「騒々しい!言わずとも分かっておるわ!」
大地神ビガロスは荘重な鎧に身を包み、巨大な斧を手に取る。
「ロゼオン様、膨大なる軍勢が神殿へと迫っております。」
「そのようだな。」
鋼の神ロゼオンは、長い髭に手を当てて思案する。
「キュ、キュルイラ様!敵襲です!」
「あらそう?困ったわねぇ、どうしようかしら。」
酒の女神キュルイラは、その情熱的な唇に笑みを浮かべる。
「よもやこのような事態になるとはな___」
鳥神バルカンは背高な神殿の頂点に立ち、鳥たちのざわめきを聞く。
その全てに押し寄せるのは大量の軍勢。それを差し向けたのはムンゾとジェネリを殺めた人物に違いない。この局面に立った全ての神がそう理解していた。
「スアボラの糸___ムンゾの力か。」
神殿のテラスに立ち、ロゼオンは呟いた。彼はムンゾを良く知る神でもあった。
束縛の神ムンゾ。彼自身はその力を悪用しない理性の持ち主であったが、彼の能力には非道なものが多い。死体・霊体を自在に操る「スアボラの糸」もその一つだ。生身には通用しない術だが、オル・ヴァンビディスでは話が違う。ムンゾを殺した誰かの手には、すでに限りのない私兵があるも同然であり、その私兵たちは君主の望みとあれば進んで命を捧ぐ。
つまり、大量の軍勢の誰かが神を殺しさえすれば、それは必然としてそれを操る「フェリル」のものとなるのだ。
狙われた世界はセラだけではない。五つ。時計に置き換えれば、短針の四時から九時までの世界が一斉に襲撃されていた。それはセラ、ロゼオン、ビガロス、キュルイラ、バルカンの世界だ。
スアボラの糸の限界なのか、あるいは束縛する対象を集められる限界だったということか、お隣のセラの世界での激動を思えば、三時から四時に位置するオルローヌの世界は静かなものだった。
「見えた、あれだ。」
フュミレイから聞いていたから見当を付けられたオルローヌの神殿。前方に広がる遺跡を指さして、竜の手綱を取るミキャックが言った。
「暗くて良く分からないわ。」
ミキャックの横で目を凝らすフローラだったが、微かに陰影が見える程度だった。
「普通鳥ってのは夜は目が利かなくなるんだろ?」
「あたしは鳥じゃない。単純に天族は目がいいのよ。それにほら、少しずつだけど空が明るくなってきている。」
「そうかねぇ。」
気のない返事をして、サザビーは器用に竜の背中の上を歩くと、どういう神経をしているのか決して広くない竜の背中で座ったまま眠るライの元へ。
「おい、付いたぞ。」
サザビーはくわえていた煙草の先をライの頬へ。そして___
「あちぃっ!うわわっ!」
驚いて跳ね起きたライはバランスを崩して後ろへと転げていく。
グリンッ!
しかしミキャックが竜の首を一叩きすると、竜は尻尾を跳ね上げ、見事に自らの背中へライの体を弾き返した。
「さすがに三回目だとこの子も慣れてきたみたい。」
「フフ。」
ミキャックとフローラは顔を見合わせて苦笑していた。
「そう言えばおまえオコンから貰った貝殻持ってるか?」
「え?ああ、これ。ちゃんと持ってるよ。」
ライは懐から取りだした貝殻をサザビーに渡す。生暖かいのも不愉快だが、それ以上にこの角のあるサザエのような貝を腹に入れていた神経を疑いたくなる。
「使い方を聞いておいたんだ。この角を折るとスピーカーになって声が響く。」
と、サザビーは貝殻の角を一つへし折った。すると___
『___なってるんだろ〜!___ここを穿ってみればいいんじゃない?___おいおまえら!オモチャじゃねえんだぞ!___』
全員の視線がサザビーの手元に集まった。
「あいつら___いじくっている間に、上書きしたらしいな。」
「だ、大丈夫かしら___」
「大丈夫だよきっと!」
「そうね___姉様があたしたちのことも話してくれてるよ。」
今度はミキャックに視線が集中。
「ネエサマ?」
「!!」
「そっちの人?」
「違う違う違う!絶対違う!」
「じゃあ俺にキスしろ。」
「なんでよっ!!」
オルローヌの神殿を目前にして、夜明けが近づく。セラの世界では竜樹が七ツ釜からの目覚めを迎えようとしていた頃だ。フローラのベルトにはレイノラから貰った鏡がぶら下がっている。世界の騒がしさとは裏腹に、今夜彼女の鏡は静かなままだった。
「___」
オコンの貝殻が役立たずになって一抹の不安がよぎったが、探求神オルローヌは簡単に四人を迎え入れてくれた。ミキャックの言う通り、フュミレイ姉様の顔が利いていたらしい。オルローヌは全て分かっていると言わんばかりに振る舞い、懐の深い笑みを称えていた。今、彼の前にはサザビーが立つ。オルローヌは時折長いまばたきをしながら、ゆったりと椅子に腰掛けていた。
「かまわんよ。」
オルローヌが唐突に言った。サザビーの後ろで座って見ていた三人は首を傾げたが、サザビーが煙草を取り出したことで、言葉の意味を理解した。オルローヌに記憶、或いは思考を晒している中で、彼は「煙草を吸っても良いか?」と声に出さず尋ねたのだろう。
今、オルローヌはサザビーの歴史を紐解いている。それはムンゾの神殿、ジェネリの神殿と見てきた彼の記憶に、オルローヌの知識を加えることで敵の手がかりを探るためである。そのはずなのだが___
「むふっ。」
オルローヌは口元を緩めた。何事かと彼を見やった後ろの三人。オルローヌとばっちり目があったのはミキャックだった。
「?___あ!」
オルローヌがなぜ笑ったか。彼はサザビーの経験を全て見通す訳だから。
「彼の見立てでは、君のお尻は歴代ナンバー1だ。」
ボッ!火が出たかのように、ミキャックの顔が真っ赤に染まった。
「ぜひ生で触りたいものです。」
「ああ、そうだろうなぁ。それだけ親密でありながら、まだ彼女を抱いていない君には感服するよ。」
「何でそこだけ声に出すわけっ!?」
「抑えて抑えて!」
拳をスパークさせて叫ぶミキャックをライとフローラが必死に掴まえていた。
___
「ふむ〜。」
口ひげを半分焦がし、オルローヌは腕組みする。
「やっぱりあんまピンとこねえかな?」
頬を真っ赤に腫らした顔でサザビーは尋ねた。
「そうだな___ジェネリの神殿から得るものはあまり多くない。敵はムンゾの能力を駆使してジェネリを仕留めた、それには同感だがそれ以上に得るものはないだろう。」
真面目な話なのに、二人の傷んだ顔のせいで余りしまらないのはご愛敬。
「ソアラのことは?」
「___君と同感だ。生きていたとしても無事ではすむまい。」
「敵については?」
「それも君と同感だ。」
「心当たりは?」
「あいにくだが、無い。もうすこしムンゾの神殿を詳しく見ていてくれれば、何か得るものがあったかもしれないが___」
「あそこに何か手がかりがある?」
「そうだ。事はムンゾの神殿から始まった。そこで何も見つけられなければ、敵に通じる糸口は無いだろう。」
「同感だ。もういいか?」
「ありがとう、君とは気が合いそうだ。」
「そだな。」
二人だけで矢継ぎ早に会話を進め、サザビーとオルローヌは握手を交わす。
「さあ、ミキャック。散歩にでも行こうぜ。」
「は?ちょ、ちょっと!」
手を放すやいなや、サザビーはミキャックの腕を取り強引に立たせた。
「説明は!?」
「後でするよ。それでいいだろ?」
サザビーはライとフローラに視線を送り、言った。二人は肯定も否定もしなかった。
「そうか___そうね、行きましょう。」
そんな二人の表情にミキャックも冷静さを取り戻す。引っ張られるようにして立ち上がったのに、今度は自分からサザビーを引っ張るようにして、足早に祭壇の間を出ていった。
焦れったかったに違いない。オルローヌがサザビーの歴史を紐解いている間、二人ははやる気持ちを抑えることを強いられていた。サザビーは彼らの焦燥を背に感じていた。そして二人を遠慮させないために、席を外した。
「お待たせした。」
オルローヌは一組の夫婦を見据えて言った。サザビーの記憶、或いはフュミレイの記憶から見る限り、とても朗らかなはずの二人。オルローヌは彼らの深刻な面もちしか見れないことに少し落胆しつつ、自らも笑みを消した。
「何を聞きたいかは言わずとも分かっている。そのために君たちが私に全てを晒すことを厭わないのも知っている。だが、私は見知った現実のみを語る。君たちを打ち拉ぐ事になるかもしれない。それでも構わないか?」
ライとフローラはただ頷いた。隣り合う椅子で、その手だけはしっかりと結んでいた。
「聞くまでもなかったな。覚悟があるから君たちはここにいるんだ。良かろう、君たちの探し物に力を貸そう。」
そしてオルローヌは、ゆったりと腰掛けたまま二人に向けてその手を翳した。
「女?」
「そうだ。」
「本当なの?」
「オルローヌも同感だって言ってたろ?」
オルローヌの神殿は広く、迷宮のように通路が入り組んでいる。それでいながら神官は誰一人としておらず、薄暗く、静かだ。二人が話し始めたのは、祭壇の間からだいぶ離れてからのことだった。
「でもどうして?」
「最初に死んだのが男だからだ。」
「はぁ?」
一面に壁画が描かれた通路を歩きながら、サザビーはオルローヌとのやり取りを説明した。オルロールは一方的に知るだけでなく、多少の情報を共有させてくれた。その一つが、「敵は女だと思うか?」ということだ。
「それで何で女なのよ。」
「そういうもんだろ。」
「ムンゾの能力が目当てでしょ?他の神を倒すのに使えるから最初がムンゾだったのよ。性別は関係ないわ。」
「何で使いやすいって分かるんだ?」
サザビーは壁画を眺めながら語り、ミキャックは彼の横顔を見据えて語る。
「それはムンゾのことをよく調べれば分かるでしょ?」
「不思議なのはな、ムンゾという男の人物像が見えてこないことだ。」
「?___どういうこと?」
「オコンもレイノラも、ムンゾのことはさほど詳しく語れない。オル・ヴァンビディスのそれぞれの世界に障壁を作って、神同士の覗き見ができないようにするような男だぜ?オルローヌでさえムンゾの歴史は探ったことがないらしい。」
ミキャックの眉に力が籠もった。
「他との干渉を嫌い、多くの秘密を持ち、いわば己の世界に閉じこもるタイプだ。十二神縛印なんて大それた事をやらかす割に、その実どういう奴か十二神たちもよくわからねえ。おそらくムンゾは自分しか信じない。外敵に隙を見せるような玉じゃないと思うね。」
「でも___それだったらムンゾそのものが黒幕___」
「かもねしれねえな。でも多分ムンゾは死んだ。食い物にされて死んだんだ。そういうタイプの男の牙城は、男には崩せねえ。敵意を持たれるか、酷く警戒されるか、どちらにせよ嘘と裏切りを胸に秘めた奴は信用されるまでに至らない。」
「女ならできるの___?」
「できる。盲目にさせられるからな。」
ミキャックは腕組みをして溜息をつき、首を横に振る。
「呆れた、そんなの偏見よ。」
「そうか?ならムンゾがそいつの束縛を望んだらどうだ?」
「え?」
「その女を自分のものにしたいと思っていたらってことだよ。俺がおまえを___」
サザビーはニッコリと笑って振り返る。
ゴンッ!
言葉の途中にもかかわらず、その額にミキャックの拳骨がめり込んだ。
「いてえな!」
「エロイ顔になってたから先手。」
「ほう、それはおまえが姉様の前でする顔のことか?」
ボッ!
「あちちちち!」
「あら素敵な松明!明るくてよく見えるわ〜。」
静かな遺跡に賑やかな二人の声は良く響く。それこそ回廊の奥の奥まで幾重にもなって届くほどに。
(うるせぇな。)
静かに潜んでいた誰かの顔をしかめさせるほどに。
「皮肉なものだな。」
全てを見終えて、オルローヌは長い息を付いた。
「父と母を知らずに育ち、その人の遺体の前で父を知った男。父と母を知らずに育ち、二組の父母に惑わされ、後にその全てを失った女。おまえたちほど子の幸せを願う親もいないだろうに、それがまだ言葉も喋れないうちから宝を奪われた。」
ライとフローラは黙っていた。しかしライの手には力が籠もり、フローラは少しだけ目を潤ませていた。
「心中で同情しよう。しかし現実は動きようのないものだ。」
「___お願いします。」
ライが答え、フローラも頷いた。
「アレックスはこの世界にいる。」
「!!」
表情は変わらなかった。瞳孔が開いたくらいだろう。静止画のように、二人は息を飲んで硬直した。
「よかった___」
フローラは力が抜けたように背を曲げると、溢れ出る吐息に乗せて呟いた。心底からの安堵がそうさせていた。ライは言葉にならず、ただフローラの手を握ったまま大粒の涙をこぼしていた。
「良かったのか?」
しかしオルローヌは冷酷に問うた。その言葉が意味するものは?ライはもうまともに考えられる状態ではない。一方でフローラは、ある程度答えを見いだしていた。
「いいんです___生きていてくれたことが何よりも___」
それは偽らざる本音だろう。どんなに苛酷な試練が立ちはだかろうとも、希望が根幹から潰えたわけではないのだ。そう分かっただけでも、心持ちは変わる。
「今どこにいるかまでは分からないが、アヌビスの配下としてこちらに来ている。それはつい最近、一時的にアヌビスの部下だった奴の記憶で見たから確かだ。」
「アレックス___」
「ただ、もはやそれはおまえたちの知るアレックスではない。そればかりか必ずや不幸を引き起こすだろう種だ。それはそうだろう?おまえはたちはこれからアヌビスの配下と本気で戦えるか?アヌビスがアレックスの命を天秤に掛けたらおまえたちは拒否できるのか?」
二人は答えない。ライは涙を止めるのに精一杯で、フローラはオルローヌを見つめて沈黙した。
「予言しよう。おまえたちがアレックスに拘れば、代わりに大切なものを失う。それでもおまえたちは我が子を追うのか?」
「追うよ___当たり前だろそんなの!」
ライは涙声で答えた。彼に比べれば冷静だったフローラは、頷きながらもそれに続けた。
「できる限り誰も傷つかない時を待ちながら挑戦します___」
「挑戦か。すでにアレックスの心が遙か彼方に離れていると分かっているから出る言葉だ。」
否定はできない。クーザーで対峙したアレックス、赤ん坊だった彼は非道な術により童と言えるほどまでに育っていた。二人にとってはまだ二年にも満たない時。しかし彼の肉体にとってはすでに五年以上の時が過ぎたも同然なのだ。両親の面影など、もう微塵ほどにも残っていないかもしれない。
「分かっています。でも___私たちは忘れません。」
「そうだと良いがね___」
オルローヌはそれ以上語るつもりはなかった。アヌビスたちがエコリオットのところにいると知った時点で、彼はアレックスがさらなる変化を遂げている可能性を感じていた。エコリオットがそう言う能力の持ち主だから。
しかしそれを言おうとは思わなかった。言ったところで疑心暗鬼の坩堝に落ち、不幸を増長させるだけだ。私たちは忘れない___その言葉に偽りがなければ、余計な不幸を避けられるかもしれない。ただそれを証明するのは難しいことだ。あまりに変わりすぎていれば___
「私から告げられるのはこれまで___」
オルローヌは背もたれに身を預け、虚空を見上げて呟く。しかし言葉はそこで止まった。
「馬鹿な___」
ライとフローラが彼の愕然とした面もちに気付いたのは、その呟きを聞いてからだった。
「なぜ気付かなかった___これほどの力に!」
悪寒が走る。壮絶なエネルギーを感じ、フローラも虚空を見上げ、ライは剣に手を掛けた。そして___!
ゴッ!
光が迸った。
ゴゴゴゴゴ___!
光の柱が祭壇の間を貫く。それは調度、我が子を案じる夫婦の座っていた椅子の上に降り注いでいた。その中にうっすらと影が差している。素早く飛び退いたライとフローラ、座したまま刮目するオルローヌ。
光が消えたとき、唖然として言葉が出なかったのはライとフローラの方だった。
無理もない、破壊の力を帯びて現れたのはあいつだった。
そこにあいつが立っていたのだ。
「紫髪の女___」
見慣れた装束、見慣れた顔立ち、見慣れた色___しかしその表情は、見たことのない機械的な無表情。
「ソアラ___ソアラ___」
ライが譫言のように呟く。念願の再会だったのに、笑顔にはなれない。
「ソアラ!」
「ソアラ!!」
ライとフローラが彼女の名を呼んだのは同時だった。ソアラは振り返る。
ただし黄金に変わって___
その手に夥しい破壊の力を宿して___!
ゴウッ!!
迸った輝きは周囲に強烈な圧力をかける。それだけで部屋を飾る装飾品を砕けさせ、遺跡の壁に亀裂を走らせる威力。それは紛れもなく竜波動だった。
敵がソアラだったことで呆気にとられていた二人は、動くことを忘れていた。
「うあああ!」
ライの絶叫と共に、光は一層の輝きを増し、爆音を轟かせる。破壊の光は二人を飲み込んで、遺跡そのものを震わせるように弾けた。
「くっ___!」
強烈な風圧、飛び散る破壊の残光。オルローヌは玉座から動かず、ただ顔をしかめた。舞う粉塵の中で、黄金の女がこちらを振り返ったのが見えた。
ギュンッ!
次の瞬間、ソアラはオルローヌの眼前にいた。光を纏った拳は神の大斧の破壊力を秘める。その手はオルローヌの喉笛を貫こうとしていた。
「君と会ったのが初めてで良かった。」
しかしそれ以上は動かない。意志に溢れるオルローヌと、無機質なソアラの目が合ったその時、彼女はすでに静止していた。
「今、新たなる扉は開かれた。私と初めてであった相手は、その知識を捧げるまで自由を失う。」
黄金は消え、紫が流れる。ソアラは立ったまま意識を失っていた。それはフュミレイがここを訪れたときにも披露したオルローヌの秘技。神の名において、彼は全ての知る権利を所有する。
「それはムンゾの束縛の力を以てしても抗えぬ事だ。」
誰であれ、初見の相手は彼に触れることすらままならない。そう、今背後から彼の首を狙うしなやかな右手の持ち主とて___
「分かってるわよ、そんなこと。」
「!」
しかしその手はオルローヌの首筋に触れた。阻まれることなく。
「花陽炎___花風散月!」
竜樹はセラを背負ったまま戦い続けていた。花陽炎を手にした途端、竜樹はこの刀から生み出される技のなんたるかを知った。それはセラが教えたものでもなく、ただ自分の中の戦神が覚えていたと言った方がいいかもしれない。セラが耳元で呟くのは技の名前だけ、今もこうして刃の一振りから無数の真空の刃を生み、白い大気の歪みを花びらのように散らして多くの敵を打ちのめした。
「後ろだ___」
苦しげなセラの声。竜樹はすぐさま振り返り、背後から迫っていたゼンガーの爪を刀で受ける。
「ちっ!」
止まっては負けだ。竜樹は全身から白い波動を迸らせると、ゼンガーの爪も、横や後ろから迫ってきた輩もはじき飛ばした。
「うおおお!」
そして荒々しい剣戟が始まる。迫り来る敵をバッタバッタと切り倒す。そしてどんなに不意を付かれようと背中だけは切らせない。だが実際はセラが呻かないだけで、彼女の背中のモバティキスが一層肥大しているのが現実を物語っている。
「俺は___生きる!」
小高い山から愚衆溢れる草原へと戦場は移っていた。ゼンガーとの戦いで山が崩れたことでそうせざるをえなかった。そこではどう足掻こうと多勢に無勢。竜樹は孤軍奮闘するも、すでに角も牙もなくいつもの姿に戻っている。体は傷だらけ、晒しも破け乳房が露わになっている。だがそれが何だというのか?血染めの体で刀を手に、ただ切り捨て続ける、今はそれしか意味を成さない。生きること、セラを守ること、それだけのために彼女は鬼と化して闘う。
その姿は「羅刹」そのものだった。
しかし限界も近い。それは彼女の背でセラも感じていたことだ。竜樹の傷口からは、もはやろくな出血もない。傷口は乾き、血は枯れ果てていた。もはや彼女には生きるための最低限の力しか残されていない。それでもなお、意志の力で戦い続けているだけだ。
彼女を嬲るようにいたぶり続けていたゼンガーも、なぜこれほど戦えるのかと半ば恐怖を抱き始めたに違いない。彼はやがて笑みを消し、竜樹を手早く殺すために動いた。
ズバッ___!
地中を潜伏する力を持った戦士が、竜樹の両足の腱を切った。竜樹はその場で倒れる。ただそれでも倒れしな、地中の男を一突きに仕留めていた。立ち上がることはままならない。花陽炎を地に突き刺して、体を支えるのが精一杯だった。
そして___
「おまえは良くやった。あれだけいた輩が今はもう二万と少しだ。」
竜樹はセラを背に凭れさせ、草原に座りこんでいた。その周りを黒山の人だかりが取り囲んでいる。その最前列にはゼンガーもいた。
「二万___なんでえ、俺三万しか倒してねえのか___」
座ったまま、それでも彼女は刀を構えていた。
「掛かって来いよ、このままあと二万やってやる。」
強がりにしてはあまりにも自信に満ちあふれた笑みだった。ただもはや竜樹にもセラにも策など無い。最後まで屈しようとしない二人の姿は、ゼンガーを苛立たせた。そして、二人を取り囲む猛者たちは一斉にトドメの一撃へと動き出す。
その瞬間、竜樹は呟き、セラは答えた。
「わりぃ、無理だった。」
「かまうものか。」
一人でも多く道連れに。竜樹は花陽炎を振り上げた。次の瞬間!
ギュンッ!
彼女と敵の狭間に光が割り込んだ。それは竜樹を取り囲むように、丸い光の玉が六つ宙に止まっていた。それは見たことのある光だった。
光の球は軋むような音を発しながら竜樹の周りを回転し___
ギュギュギュギュ!
光線を放った。
「な、なんだ!」
ゼンガーは飛び上がって難を逃れた。高速回転する破壊光線に、大量の戦士たちが葬られていく。
「おまえが大将だな?」
「!?」
空中で、ゼンガーは額を触られた。手の主は宙で逆さになり、ゼンガーを見つめていた。銀髪は逆立ち、閉じられた右目も露わになっていた。
「エクスプラディール。」
ゼンガーの頭が爆発した。それは今まで見たどんな花火よりも惨たらしかったが、竜樹にとっては希望に満ちあふれていた。胴体だけのゼンガーの体が血の帯を描きながら落ちていく。
「どうした?やけに弱ってるじゃないか。」
そしてフュミレイは竜樹の前に立った。
「うるせえ___」
憎まれ口に腹を立てる。それがいつもの二人の姿だった。
「セラ様は?」
「ここだ___」
竜樹の肩越しに、セラは顔を上げた。
「レイノラ様からの報せを受けて馳せ参じました。お守りいたします。」
「頼む。」
深々と一礼するフュミレイに、セラは笑みを覗かせて答えた。
「暫く寝ていろ、竜樹。」
「相変わらず一言多いな、てめえは___」
竜樹とセラを包むように、大地から白い光が吹き上がる。その中はとても心地よく、全身の傷が癒えていくのが目に見えて分かった。セラの背中のモバティキスが苦しげに呻き、膨れあがった肉の固まりが少しずつ小さくなっていく。
(これは浄化の術法___これほどの使い手が___)
セラは素直に驚いていた。右手で高等な浄化の術法を施しながら、左手には破壊の魔力を宿している。
「竜樹___彼女は___?」
「心配いらねえ、冬美はいつだって最強だ___!」
何者か?そう聞こうと思っていたのに、竜樹の答えはあまりにも的はずれだった。だが頬を強張らせ、涙をこぼす彼女の横顔を見たら、セラもそれ以上聞くことはできなかった。
君が困っていれば地の果てからでも飛んできてくれる___
今の竜樹には、オルローヌの言葉が痛いほど身に染みていた。
前へ / 次へ