3 孤独な戦士
剣山岩の中に造られた家はさほど広くない。そこにレッシイ、フュミレイ、そして穴の開いた壁の向こうにディメード。
「やあ、あんたか。」
レッシイの殺意を肌に感じたのだろう、ディメードはやや詰まった声でそう言った。
「ディメードだったな?」
「フーミンの仲間?」
「敵だ。」
フュミレイの答えを聞くやいなや、レッシイの右手に輝きが迸る。殺気の渦に動きを封じられたのか、ディメードはただ身を強ばらせるだけだった。
ガッ___
しかし殺意の光はフュミレイの手で遮られた。彼女は自らの右手に黒いゆらぎを宿し、レッシイの右腕を掴んでいた。闇と光がレッシイの腕で激しく絡み合っていた。
「殺すことはない。」
「それはあたしが決めることよ。」
「あたしは情報がほしい。生かしてこいつの話を聞くほうが先決だ。」
「ここはあたしの家だ!放さなきゃあんたの手も吹っ飛ばす!」
レッシイの右腕が輝きを増す。その力は剣山岩全体を震わせているかのようだった。しかし___
「!?」
闇は負けなかった。それまで押さえ込まれていた力がフュミレイの全身から露見する。体中から吹き上がった闇はフュミレイの右手に結集し、レッシイの光と真っ向からぶつかり合った。
「あんたいったい___!?」
たまらずにレッシイが振り返った。フュミレイは明らかに苦しげな、しかし強い意志を持った顔でいた。その時!
ドゴォォォォォ!
凄まじい轟音とともに、岩が崩れた。強烈な爆撃でも受けたかのように、岩はあっという間に瓦礫の山へと変わり果てたのだ。
「助かったぜ。」
ガッザスの肩に担がれた格好で、ディメードは夥しい粉塵を見下ろしていた。
「帰ってくるどころか、あんなオマケまでついてくるとは思わなかったわね。」
空中にはクレーヌ、そして爆炎の手甲から蒸気を上げるカレンの姿があった。
「どうする?ひとまずずらかるか?」
ガッザスの問いにカレンは首を横に振った。
「そうはいかないようだ。」
直後、風がカレンたちの髪を慌ただしく吹き上げた。その一瞬で、立ちこめていた粉塵は跡形もなく消し飛んでいた。
「なんだい___今日はやけに客が多いじゃないか。」
瓦礫の山の上に何事もなかったように、ベル・エナ・レッシイは立っていた。傷どころか煤けた様子すらなく、しかも彼女は輝いているわけでも、何らかの波動や魔力で体を覆っているわけでもない。
素の状態に見えるのだ。しかし隙は一切ない。身構えているわけでも、誰かを露骨に睨んでいるわけでもない。しかしヘルハウンドのうち手練れの四人が八つの目で見たとしても、レッシイに付け入る隙はなかった。それは彼女のすぐ後ろで息を整えるのに苦労しているフュミレイにしても同じことだった。
「休んでな。ただの人間が母さんの真似事をしようなんざ一万年早いのさ。」
「!?」
レッシイが指をスナップすると、フュミレイの体に電撃が走る。その瞬間、彼女の両手足は杭でも打たれたかのように動かなくなった。それどころか、勝手に体が後方へと引っ張られ、声も出ないまま瓦礫の陰へと追いやられてしまった。
そこにわずかな隙。いや、隙に見せた誘い水がある。ヘルハウンドたちは弾けるように動いた。そして___抑え込まれていたレッシイの殺気が解放される。
「黄金の風!」
左手を振るう。それだけで戦場が黄金に包まれた。金色に輝く波動は手の軌道に沿って広がり、カレンが宙から放っていたすべての爆弾を暴発させる。黄金の風に彩られた花火は、直視できないほど目映く輝いていた。
「閃光弾!?」
レッシイは呻いた。黄金は壮絶な輝きとなって彼女自身の視界を奪う。
「おおお!」
爆撃はただの囮でしかない。黄金の風から逃れたヘルハウンドたちは、磨き抜かれた連携プレーでレッシイを脅かそうとしていた。怒声とともに先陣を切るのはガッザス!
バギッ!
「!?」
ではなかった。ガッザスの声も囮なのだ。違う方角から襲いかかったディメードこそが先鋒だった。しかし目を開けられずにいるレッシイは、音もなく瞬速で迫ったディメードのサーベルを完全に見切っていた。柔らかに仰け反って体を崩し、突きに出たディメードの右肘を的確な回し蹴りで打ち抜いていた。
「ぐあぁっ!?」
鈍い音とともに、彼の肘は外側へと捻れた。その瞬間、レッシイに迫ろうとしていたクレーヌは思いあまって瓦礫に踏みとどまり、すぐさま遠距離から鞭を振るった。
「おおお!」
タイミングを合わせるようにしてガッザスが殴りかかる。目をつぶされても気配で察するというのならそれはそれ。大声の大男が露骨な殺気で迫るのと併せて、無機質の鞭で痛打を狙う!
ギュン!
だがレッシイはそれすらも察し、黄金の軌跡を残して手刀と蹴撃を放った。
「!?」
しかし手応えが浅い。いや、斬撃が敵を掠めただけで、レッシイの攻撃そのものは空を切っていた。飛びかかるかに見えたガッザスは壁に当たったボールのように突如後方へと跳ね、クレーヌの鞭はレッシイの首ではなく、ディメードの片腕に巻き付いて彼をレッシイの射程距離から引きはがす。彼らは攻撃よりも仲間の救出を選んだのだ。
「はっ!?」
だが攻撃も捨てたわけではない。レッシイがこの戦いで初めて息を飲んだそのとき、カレンは彼女の真後ろに立っていた。
ドゴォォォォッ!!
豪快な音が剣山岩の狭間で響き渡る。カレンの作り出した爆弾は、瓦礫の山を四方八方に拡散させたが___
「ふう。」
レッシイにはあまり効いていなかった。虚を突かれたことで多少ドキリとさせられた。そんな顔だったが、彼女自身は傷つくどころか、黒い装束も銀のアクセサリーも欠けた様子すらなかった。
「ファルシオンの守護者だな?」
ヘルハウンドたちはレッシイから距離を置いたところで一団となっていた。誰よりも前に立ち、カレンが勇ましく問いかける。その姿をレッシイは鼻で笑った。
「余裕じゃん。生きて帰れると思ってるんだ?」
「その答えは肯定と受け取れるな。」
「あたしに気付かれずに背後に回ったのは凄いよ。それは褒めてやる。あんたスリか盗賊向きだね。」
「ファルシオンのことを教えてもらおうか?」
短い無理問答はレッシイの顔つきを豹変させた。嘲笑から一転した冷然の面もちで、殺気の塊のような右手を上げる。確かに竜の使いではある。しかしその研ぎ澄まされた殺意は、殺し屋のそれに等しい。
カッ!
閃光が走った。指先に結集した力を光線に変え、無愛想な女の顔を射抜くつもりでいた。
ドゥボォォッ!!
しかし次の瞬間には、レッシイが地獄の業火に包まれていた。剣山岩よりも高く火柱を立ち上らせ、レッシイの体が爆発した。
「貴様は強い。しかしどんな強者であれ、敵を嘲れば己を滅ぼす。貴様の敗因は、私への敬意の欠如だ。」
燃えさかる炎の中で崩れ落ちていく影を見つめ、カレンは呟いた。
仕掛けは背後からの攻撃にある。あの時、背後を取りながらカレンの爆撃はレッシイに傷一つ負わすことができなかった。それはそうだろう、あれにはそもそも殺傷力が皆無なのだ。だからといってあれが囮だと気付くのは難しい。絶好機を囮にするとは考えづらいから。まして周辺の大気の比重が変わったことに気付けというのは不可能だ。しかし体にこびりついた液体の痕跡を無視したのは失態である。それは敬意を欠いたが故の散漫でしかない。
最初の爆発はレッシイを火薬箱の中に入れただけ。挑発に乗って火を付けたのは彼女自身だ。そして彼女の周りに漂っていた、あるいは服の内側にまで浸透していた見えない火薬が弾けた。
「あたしが尊敬しているのはただ三人。両親と育ての親だけだ。」
「!」
未だ燃えさかる炎の内から青白い光が溢れ出る。それはすぐさま黄金の輝きに変わると、立ち上る火柱を蹴散らした。蝋燭を吹き消すほど容易い___現れた黄金のレッシイの笑みがそう語っていた。
「悪いね、あたしは敬意の安売りはしないんだ。」
「グレイン!」
直感で危機を感じたのだろう、カレンはこの場にいない五人目のヘルハウンドの名を呼んだ。するとすぐさま四人の体が黒い霧に包まれる。レッシイがカッと目を見開き、波動で霧を蹴散らしたときには、すでにその姿は跡形もなく消え失せていた。
(やる___初めから逃げるつもりで戦ってたな___)
敵の周到さ。カレンたちの姿が消えてから改めて、レッシイは油断ならない連中を相手にしていたことを実感した。黄金の輝きを消すと、波動に覆われて服の内に留められていた血液が、手先足先へと一気に流れ落ちた。
(結構きいた___)
脱力するようにレッシイはその場に座り込む。その体に影が差した。顔を上げたレッシイは疲れの滲むしかめっ面を浮かべた。
「少しは信用してもらえた?」
「___」
フュミレイの問いにレッシイは小さな溜息をついた。あの火柱の中で、もし大地から吹き出した氷の粒が幾らかでも盾になってくれなかったら、より傷は深かっただろう。だがレッシイはその前の接触で彼女の動きも魔力も封じたつもりだったのだ。それをうち破れるこの女は本当に底知れない。
「三分の一くらいは___」
「なら、治療しよう。」
「あんた意地悪でしょ。」
「どうかな?」
一概に信用できない。竜の使いの光を真っ向から押さえ込もうとした闇、強力な封印術を簡単に破綻させる力、臆することのない気質___もし敵だとすれば恐るべき存在だ。だが___
(あたしも甘ちゃんだな___)
レッシイはフュミレイにレイノラの面影を感じてしまった。それだけで警戒心が薄れてしまう自分に少しだけ嫌気が差していた。
「あちこちに同じような家があるのか?」
「そう。一箇所に留まってるほど暇じゃないんでね。」
フュミレイは壊された剣山岩の家と同じ場所にいた。失礼、同じような場所にいた。いずれにせよ別の剣山の中に造られた家には違いない。
「まあお茶でも入れるから、そこに座ってて。あ、その前に体洗ってきて良いかな?血生臭くって。」
「どうぞ。」
どうやら水場もあるらしい。レッシイは居間から見て左手奥の部屋へと消えていった。居間には書棚があったり、最初に訪れた家と同じようにおしゃれな小物があったり、部屋の作りは奇抜なレッシイの服装とは裏腹に女の子らしかった。
暫くして___
「お待たせ。」
黒服から一転、レッシイは着古したシャツとショートパンツ姿で戻ってきた。ゴチャゴチャと編み込まれていた髪も解かれ、がらりと雰囲気が変わっていた。
「三分の一しか信用していない割に無防備だな。」
「あんたってほんと意地悪___!」
レッシイが奥に姿を消している間、フュミレイは動かなかった。僅かの魔力すら現さず、ただ彼女は居間の椅子に座っていた。おそらく彼女は僅かな小物のズレも看破するから。
「まだ半分よ。それに敵を倒すのに格好はそれほど問題じゃない。」
「それもそうね。」
「ま、あんたの姿勢は感じたよ。茶でも飲みながら話を聞こうじゃないのさ。あんたが何者か、何のためにここまで来たのか。」
「ありがとう。」
フュミレイの話を聞くに連れ、最初はお茶らけていたレッシイも次第に真剣に耳を傾けていた。いくつかの話には身を乗り出して聞き入る熱心さだった。
そのうちの一つは「竜の使い」。
ジェイローグとレイノラの血の系譜が、長い時を経た今でも続いていることに彼女は驚きを隠さなかった。
「んじゃ、あたしは元祖竜の使いってわけだ!」
そう言って笑ったレッシイだが、双子の姉セティのことを思い出したのだろう、感傷的な目で虚空を見る時間もあった。
「姉貴は凄いな〜。姉貴がいたからそのソアラって子がいるんだ。それに比べてあたしは何も残していない。」
「そんなことはない。レッシイの頑張りがなければ、そもそも私たちの誰もが生まれていなかったかもしれないんだ。」
「そういうこと言われると、なんていうか普通に嬉しいけどさ。やっぱり姉貴は凄いよ。」
豪放磊落に見えて、細やかで感じやすい人物。敵に相対すれば冷酷なアサシンを装うが、その実は感情的で、神経質で、情に脆く、傷つきやすい人物。フュミレイはレッシイにそんな印象を持った。その気質はソアラによく似ているとも感じた。
二つ目、レッシイが聞き入ったのは「父と母」の話。
二人の蜜月が終わっていたことに彼女は強いショックを受けていた。そこに至る経緯をフュミレイは知る範囲で説明したが、いずれにせよバルディス時代の二人の愛の深さ、特に母レイノラのジェイローグへの執念の愛を知っていたレッシイにとっては、とても衝撃的だったようだ。
ショックがありありだったから、フュミレイは二人がすでに寄りを戻したことを話した。ただレイノラが単身でこちらに来ていることを説明するには、ジェイローグが傷ついたことを告げざるをえない。しかしその程度について、彼女はあえて語らなかったし、レッシイも聞こうとはしなかった。
「母さんには会いたいけどあたしはここを離れられないからね。帰ったらちゃんとあたしのこと伝えてよ!そうだなぁ___元気にしてるって事と〜、あとねぇ___」
「手紙を書いたらどう?」
パンッ!と両手を合わせたレッシイ。目がキラキラと輝いていた。
「いいねそれ!や〜ん、フーミンったら冴えてるわ!」
「その呼び方だけはやめてくれないか___」
三つ目、彼女が強い興味を抱いたのは「アヌビス」。
「ふ〜ん、ってことはそいつが混乱の源ってわけ。」
「その取り巻きも含めてだ。レイノラ様とジェイローグ引き離した男は、今はアヌビスの右腕だからな。」
「根深い因縁って奴ね。」
「その通り。だが今この世界を包む混沌の源は奴だけではないようだ。」
「混沌?」
「神が二人殺されたことだ。」
「!?」
レッシイは驚いていた。それはフュミレイにとってはあまりに意外な反応だった。彼女はこの世界の異変に目を配っているものと思っていたから。
「知らなかったのか?」
「___知る必要がないわ。余計な情報よ。あたしはここでファルシオンを守り続けていればいい。周りの状況を知るのはいらない不安を増やすだけよ。」
徹底している。彼女がこの世界にいる意味、それはファルシオンの守護、ただそれだけだ。敵意の有無にかかわらず、興味を示せば抹殺する。この剣山岩のテリトリーを守ることだけに集中しているのだ。
「あたしがにここに向かうよう命ぜられたのは、Gを狙う敵がいつか必ずレッシイの元を訪れると思ったからだ。」
「それが誰にしたってあたしのやることは変わんない。単純明快よ。」
「それは構わない。だが一人で守り続ける限界もある。」
時と場合によっては、共にファルシオンの守護に当たることも考える。レイノラからここに向かうことを命ぜられた時点で、フュミレイはそう思っていた。レッシイが孤独に自分の使命のためだけに生き続けていること、そしてアヌビスの手下たちがここを訪れたことを思うと、その選択肢は現実味を帯びてきた。
「そうかもしれない。それでもこれはあたしの仕事なんだ。」
お気に入りのカップを傾けて、レッシイは一つ息を付いた。
「ファルシオンのことはあたしだけが知っていればいい。あたしはもう三分の二までフーミンのことを信じているけど、それでも話すことはできない。」
「レイノラでも?」
「もちろん。」
彼女は頑なだった。
「分かった、ならこれ以上は聞かない。」
「あらま、意地悪なだけじゃないんだ。」
「___どうして欲しいんだ?」
「ああいいのいいの!聞かないで!ねえ、それよりももっと他の話聞かせてよ!フーミンの人生って結構面白そうだわ!」
自らの使命を頑なに守り続けながら、それでも寂しさは抱き続けていたのだろう。誰かとこうして語り合う事なんて、もう未来永劫無いと思えるような場所で彼女は一人戦い続けていた。それを思うと、フュミレイもできるだけ彼女と緩やかな時間を共にしたいと思うようになっていた。
孤独は人を強くする。それは一見でしかない。実のところ孤独に生き続けることはできない。それは自らの生きる意味を見失うことになるから。彼女もファルシオンという唯一無二の使命がなければ、こうして戦い続けることはできなかったはずだ。
女二人、話は思いがけず弾んだ。レッシイが語りを求め、フュミレイがそれに答えたことで、話題はいつまでも尽きなかった。
「あたしは今まで数少ない人としか触れあったことしかない。自分の人生もとても貧しい。だからね、いろんな人生の物語を聞いてみたいんだ。ま、今となっちゃなかなかそういう機会もないんだけどね。」
そういってレッシイは笑っていたが、それが彼女の内に秘めた寂しさの源なのだろう。そして、それには共感できる部分がある。狭い世界の中で育ったからこそ、人とのふれあいが生む暖かみの重さは良く分かる。いや___誰かさんに分からされたつもりだ。
自然とフュミレイはいつもより饒舌になっていた。
___
「へえ、じゃあフーミンは国のお偉いさんだったわけだ。」
「さぁどうかな?若い女というだけでさらし者になるのはいつの時代も同じだよ。」
「でもそれを逆手にとってのし上がれるだけの度量があったって事じゃん。」
「そうかもしれない。ただそれであたしは大事なものを見失ったのも確かだ。」
___
「じゃあソアラのことは最初から気になる存在だったの?」
「色がね。」
「ああ、色ね色!ハハッ。でも何でそんな色になったの?竜の使いだったっけ?それってあたしみたいな金髪___って染めてるからピンとこないか。」
「それはソアラの生まれに秘密があるんだが___本人から聞いた方がいいよ。きっといずれ会う機会もある。」
___
「なんだか面白いねぇ、フーミンとソアラの関係って。でぇ?そのニックって奴はそんなにいい男なの?」
「どうかな___そう言われるとズバッとは答えづらい。」
「なんだそりゃ。んじゃさ〜、そいつの一番の魅力ってなんなのよ?」
「包容力。」
「うわわ、そこは即答しちゃうのね。」
「ふふふ。」
___
「ギギ・エスティナール、聞いたことあるような無いような___」
「バルディス時代の人物と言うだけで、それがレッシイと同じ世代を生きた人かどうかも分からない。知らなくてもおかしくないよ。」
「まぁそうでなくてもあたしは世界のことに疎かったからな〜。」
___
話し続けているうちに、外は夜も更けていた。手紙を書くからそれまではここにいて欲しいと言われて、結局何も書かないまま話が弾み、挙げ句の果てには「泊まっていきなよ」と言われる始末。
断るべき。そうは思ったが、さもらしい言い訳をするならもっとレッシイという人物を知りたかったし、本音を言えば久しぶりにとても楽しい時間が過ごせて名残惜しかったし、ここしばらく寝ていなかったのもある。ともかくフュミレイはあまり迷うこともなく、レッシイの家に泊まることに決めた。
ただそれにしたって主の許可を得なければ___
「あ〜いいよ!大丈夫だって!緊急だったら向こうから連絡来るんでしょ?先に手紙であたしが元気だって事を教えたいからさ。なんつ〜かさ〜、そう!段階踏んで再会したいんだよ!まずは手紙で、次は鏡で、そして感動のご対面!」
「_______面倒くさい性格。」
「った〜っ!今日会ったばかりだっていうのにそう言うこといっちゃうわけ!?だいたいあたしあんたより何千歳先輩だと思ってんの!?」
「年齢の感覚は無いよ。レッシイと話すときはこうしたほうがいいと思ったからそうしただけ。」
「___そう言われると照れるわね。」
「なぜ?」
夜が更けていく。寝室で、レッシイの勧めでフュミレイがベッドに入ってからも、話題は尽きなかった。しかし数日間不眠不休で動き続けたからだろうか、いつの間にかフュミレイは眠りに落ちた。
「フーミン___?」
声を掛けても反応がないと分かると、レッシイは少し前まで彼女が口にしていたお茶を、鉢植えの土に捨てた。そして穏やかな寝顔を見やり、笑みを浮かべる。
「たまにはしっかり寝なさい。大丈夫、ここは安全だから。」
根からお茶を吸っても鉢植えの草が眠ることはないだろう。しかし、この子には眠りが必要だった。それはあのとき、えっと___ヘルハウンドだったっけ?アヌビスってやつの部下たちと戦って、その時にこの子の力を感じて分かった。
疲れを微塵にも見せない、いや疲れを感じないのかもしれない。実際、魔力さえあれば傷だって、体力だって癒せる。でも肝心の魔力は眠らなければ大して回復しないんだ。
(母さん___)
フュミレイの寝顔。少し長くした前髪で左目が隠された姿、それはレイノラに通ずるものがある。
(母さんは___もしかするとこの子のことを___)
ただレイノラを思わせるのはそれだけではない。竜の使いの光を抑えた、あの闇の力。あれがレッシイの心に深く焼き付いていた。
スッ___
躊躇うことなく、レッシイはフュミレイの枕元から鏡を取った。
テーブルの上に本を重ね、そこに鏡を立てかけて、レッシイは目を閉じて「ふぅ」と一つ息を付いた。そして手に魔力を灯すと、鏡に送り込む。それまで彼女の顔を映していた鏡面が黒一色に変わった。
「あ!」
今の自分がだらしない格好だったことを忘れていた。ともかくテーブルに投げ出されていた髪留めを一つ取り、そそくさと前髪だけ簡単にまとめる。改めて鏡の前で背を正したとき、黒一色の鏡面が変わった。
「ご苦労様、なにか___あら、レッシイ。」
「がくっ。」
映し出されたレイノラの顔。凛々しくも優しい母がどんなに驚くだろうと思っていたのに、彼女はほんの少し目を見開いただけでしかなかった。
「は、反応薄いなぁ、ひっっっっさしぶりに娘の顔を見たってのに。」
「フフッ、それはあなたと会えたときに取っておくわ。」
「え?あ〜!確かに段階は必要だもんね。」
「?」
「ううん、こっちの話し。」
感動のご対面を期待していたのは確かだ。でも自分もいまこうして母と云千年ぶりの再会を果たし、愛しい人のあまり変わらない姿を見て安心すると共に、空白の時を吹っ飛ばしてしまうほどの安堵感に包まれた。
泣いて鏡に縋り付くのも柄じゃないし、心からホッとした。それはきっと母さんも同じだったのだろう。
「フュミレイと会ったのね?」
「そう。今はあたしの特性のお茶を飲んで寝てるけど。」
「あらあら。」
母の微笑に心が癒される。とその時、愛しい母の肩越しに男の顔が割り込んできた。
「え?これがレイノラの娘!?」
「僕も見たい!」
ブバッ!
レイノラの髪が勢い良く広がり、邪魔な男たちを鏡面から締め出した。
「気にしないでいいのよ、レッシイ。」
「どんな人!?どんな人!?」
「ちょっとソアラに似てたかもしんねえなぁ。」
「え〜!」
「お父さんじゃ当てにならないよ。棕櫚さんに見てもらおうよ。」
「何だとルディー!?」
しかしめげない外野連中は、声で積極的妨害行動に出る。
「ちょっと待って。」
ほんの短い間だけ、鏡面はレイノラの後頭部を写し、静かになったところでやや微笑みの引きつらせた母が振り返った。
「ごめんなさいね、一人じゃないものだから。」
母はちょっと苛立っていた。でもそんな姿がとても新鮮で、微笑ましくて、ますますレッシイの心を穏やかにさせた。
「んじゃまたにするよ。やっぱり直接会いたいしね。」
「あらそう?」
「うん。なんだか元気そうでホッとしたし。」
色々聞きたいこともあったのだ。思いの根幹にあるのは、母が死ぬつもりでこの世界にやってきたのではないかという不安だった。フュミレイの闇の力。あれを見せつけられたことで、母がこの銀髪の魔法使い後継者に選び、自らの命を軽んじているのではないかと予感したからだった。
でもそんな憶測は吹っ飛んだ。母はとても穏やかで、そして一人ではなかった。
大丈夫、父のジェイローグと離れていても、母は暖かな仲間と共にいる。そう思うとレッシイ自身も勇気づけられるようだった。何しろ彼女の家では今、その一欠片が寝ているのだから。
「それじゃあ。」
「ええ。レッシイも元気で。」
「あたしはここを離れられないから、母さんからこっちに来てよね。」
「分かったわ。」
そしてレッシイは魔力を断った。鏡に映っていたレイノラの顔は、すぐに自分の顔と見慣れた家の中に戻る。
名残惜しかった?確かにそうかもしれない。でも不安はなかった。
レッシイは寝室へと戻り、鏡を枕元に置くとそのまま無垢な寝顔にそっと唇を寄せた。
「ありがと、フーミン。おかげで今日は良い夢見れそうよ。」
母は何も諦めていない。そして今も戦っているんだ。
信頼できる仲間たちと共に!
___オル・ヴァンビディスのどこか。
そこにいるのは、新たなる神。
欲望に正直に生きる彼女は、二人の神を食い、もはや新たな神と呼ぶに相応しい力を手に入れた。彼女の元には、いくらかの狩人たちがいる。そのうちの一人、新参者の紫髪の女を彼女はとても気に入っていた。
奈落に落ちるかに見えて踏みとどまり、綱渡りの中で自我を保ち続け、何とかして苦境を脱しようとする。
その挫けぬ心。それを支配してこそ悦び。それこそが彼女の欲望。
「さてと___」
数日の空白を経て、フェリルは再び動き出す。
「ほら立ちなさい。行くわよ。」
「___はい。」
やがて全てが我に平伏す。この紫の女はその端緒でしかない。
しかしこれこそが第一歩なのだ。
「三人目、誰にしようかしら?」
彼女は渇望する。
全てを。
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