2 ベル・エナ・レッシイ

 「やっと___」
 朝の爽快さは昼の目映さへと変わる。いくらか日焼けした肌に玉の汗を浮かべ、そいつは煩わしそうに呟いた。
 「やっとここまで来たってのに___」
 周りは壁。細い通路だろうか、ともかく壁だらけ。先に進んでも後ろに戻っても、あるのは壁、通路、分かれ道に行き止まり。天井は植物の蔓延った棚が張り巡らされていて、光は入るが上から見ると草むらでしかない。
 「どうなってんだここは!?」
 竜樹は苛立っていた。己の強靱な足でオルローヌの世界までやってきたのは良かったが、彼の神殿の一部である複雑怪奇な遺跡の迷路にどっぷりと嵌り込んでしまったのだ。
 「ちくしょ〜っ!どこにいやがるんだオル何とか!」
 はっきりいって爆発寸前。
 (面白い奴。名前を思い出せたら助けてやろうかな?)
 当のオルローヌは祭壇で高みの見物。しかし竜樹の癇癪が爆発したら、彼とて助け船を出さないわけにはいかないだろう。
 「あったまきた!片っ端からぶっ壊してやる!」
 (えぇ〜!?)
 そら見たことか。

 「神様も意地悪だぜ、俺が半日も迷ってるの見てたなら早く助けてくれよな。」
 ゆったりとした椅子の上に、竜樹は胡座をかいていた。
 「君は見るからに凶悪で怪しい。そう簡単には招き入れられないよ。」
 向かいの玉座で悠然と腰掛けるオルローヌは、苦笑半分で彼女の姿を見ていた。
 「んなこと言って、俺の名前知ってたじゃんか。」
 「ほう、気付いたか。」
 「馬鹿にしてんのか?」
 「してるかもな。しかし君が探求の心を持ってここに来たことは尊重している。だからこそ招いたのだ。」
 全てを見透かしているようなオルローヌの口振り。竜樹はこういう思慮深いやり取りを好まないから、威勢良く自らの膝小僧を叩いた。
 「そこまで分かってるならさっさと教えてくれ!俺の中の羅刹は何者なんだ?」
 「せっかちな女だ。」
 ピクッ。竜樹の眉が引きつった。
 「___てめぇ、わざとだな?」
 「良く分かっているじゃないか。」
 ダンッ!鞘に収めた愛刀で、竜樹は椅子の肘掛けを付いた。それだけで肘掛けには綺麗な裂け目が走り、ぽとりと転げ落ちた。
 「そういうのやめてくれるか!?俺は知りたいことだけ聞ければそれでいい。そのためにここまで来たんだ!」
 「君はそれでも良いだろうが、私はその対価が欲しい。そして現状で私が君に話せることは僅かでしかない。全てを見せてくれれば、君の思い通りにもなるだろう。」
 オルローヌの言葉が終わるよりも早く、椅子の上に立った竜樹は着物の紐を解き、袴を脱ぎ捨て、汗で湿ったサラシまであっという間にはぎ取っていく。豪快というか爽快というか、ともかくたちまち全裸になってオルローヌの前で仁王立ちした。
 「これでいいのか?」
 「___別に脱いでもらう必要はなかったんだが。」
 「は!?だって全て見せろって___!」
 「嫌いじゃないよ、その性格。」
 その時、二人の視線は真っ直ぐに交錯していた。吸い込まれるような感覚、それは竜樹に野性的な反射をさせたが、彼女が飛び退くよりも早くオルローヌの光が彼女の全てを塗りつぶしていた。
 ___
 「!」
 目覚めた瞬間、先ほどの動きを呼び覚ますように、竜樹は跳ね起きた。椅子から飛び上がった彼女は、こちらを見て微笑するオルローヌの姿にようやく我を取り戻す。
 「あ!」
 そして自分がなぜだか乙女チックなドレスを着て、長髪のカツラを着けていることに気が付いた。指輪、ネックレス、これまでの人生で触れたこともないような装飾品まで身に着けている。
 「な、なんだこりゃ!?」
 「そうしていると君は本当に綺麗だよ。」
 オルローヌはおもむろに大きな手鏡を取り出した。竜樹はそれに映った自分の顔に愕然とする。
 「な、なな、なんじゃこりゃぁぁっ___!?」
 顔は化粧で彩られていた。口紅やらアイシャドウやらなにやら、とにかくレディに仕立て上げられている。竜樹は気持ち悪くなって顔をかきむしろうとしたが___
 「待て!落ち着いてよく見てみたまえ!」
 「嫌だよ___!」
 「君が女であることと羅刹を受け入れることは符合しない!」
 「!?」
 口紅を拭おうとした手が止まった。
 「竜樹は八つの時まで、可愛らしい女の子だった。」
 何を見るでもない、彼女はただ虚空を見つめて硬直していた。
 「その時に起こった悲劇的な出来事、そして君自身に起こった予期せぬ変化、それが人生を変えたのだ。」
 微かに震えながら、竜樹は口紅のずれた顔を上げ、オルローヌを見据えた。
 「私は君の全てを見た。腹を割って話すとしようか。」
 竜樹はただ、コクリと頷いていた。

 「ありがとな、オルローヌ。」
 ほんの一時間後だろうか、竜樹はオルローヌの神殿を出ようとしていた。いつもの着物姿に戻り、晴れやかな顔で旅立とうとしていた。
 「全てを語ってしまった以上、私には止める権利はない。だが勧めはしないな。」
 「あんたの直感を無視するつもりはないさ。気を付けていく。」
 吹っ切れた、そう言うのが適切だろう。何か重大な事柄を知らされたとき、人はその衝撃に打ち拉がれながらも、なぜだが晴れ晴れしい気持ちになるものだ。
 オルローヌは竜樹が知り得ない過去を、彼の知識によって埋めた。羅刹をその身に宿してからの人生については語るまでもない。オルローヌが彼女に語ったのは、記憶の片隅にもないであろう生後間もなくの話だ。

 我らの世界から脱した力の断片、それを薬液としたもの、幼少期の君はそれを口にした。そして___戦神セラの力の一部を受け継いだのだ。

 竜樹にとっては革命的な言葉だった。祈祷師の言葉に従って「羅刹」と呼んでいたそれは「戦神セラ」なのだという。その凄まじい力、場合によっては宿主の肉体を破壊し、或いは乗っ取るやもしれない。それを彼女は受け入れられた。それが今の竜樹の強さの源であり、同時に彼女を苦しめる厄介の種でもあるのだ。
 「今は戦神がおまえを上回っている。しかしおまえが戦神を上回れば、その力はきっと真におまえのものになるだろう。拒むことはないのだ。力を理解し、巧みに利用すればいい。野心的な黒い犬の力など借りずにな。」
 全てを知られたことへの抵抗もなかった。竜樹は素直に、ドレス姿でオルローヌの話を聞き続けていた。それどころか、今までは興味もなかっただろうオル・ヴァンビディスや十二神のことを、自分から聞き始めたほどだった。

 戦神セラの力。
 竜樹が白廟泉を開く力を持っていたのもそこに起因する。
 今、彼女は自分の力の正体が分かったことを素直に喜んでいるだろう。
 だがいざその時___
 戦神セラと出会うその時、彼女が今の感情のままでいられるかどうかは定かでない。
 その力が自らの運命を狂わせたこと。
 その力が邪神に利用され、オル・ヴァンビディスに新たな危機を呼んだこと。
 その力で友を傷つけたこと。
 その力を己の盾としていたこと。
 その力のために女を捨てたこと。
 そして、まともな恋の一つもできないこと。
 考える時間はたっぷりある。
 心を落ち着かせて考えたとき、彼女が天真爛漫に笑っていられるかどうか、オルローヌは疑問に思っていた。
 そして彼は、フュミレイに語ったセラのエピソードを竜樹には告げていない。それは___少なくとも彼女に対しては、セラ自身が語るべきだと考えていたから。

 「この先、おまえの前には幾多の艱難辛苦が待ち受けているやもしれない。その時には、おまえのことを思ってくれる友を頼るべきだ。」
 オルローヌは別れる前に竜樹にそう告げた。
 「でもよ___」
 「心配するな、彼と彼女は君が困っていれば地の果てからでも飛んできてくれるよ。」
 竜樹が誰を思い描いたかは言うまでもないだろう。
 「___ったく、なんだか見透かされすぎて腹立つな!」
 でも彼女は怒らなかった。ひたすら清々しさだけを残し、セラの元へと発ったのだ。

 一方そのころ、竜樹のためなら地の果てからでも飛んでくるかもしれない彼女は___
 「ドラギレア!」
 「グゴガァァッ!」
 戦っていた。
 「やる___!」
 壮絶な炎の渦を突き抜けて、大蛇はフュミレイに噛みつきに掛かる。ドラギレアが全く効いていないことに舌打ちし、フュミレイは背後に聳える塔のような岩まで滑空した。
 巨大な蛇は頭だけはドラゴンのようであり、その口元はぼんやりと光っていた。無数の細長い岩が立ち並ぶ剣山のような土地を、大蛇は驚くほどの速さで縫うように滑る。そしてフュミレイの隠れた岩に向かっておもむろに口を開いた。
 ズゴガァァァンッ!!
 目映い閃光と共に爆音が轟く。大蛇の口から放たれた稲妻は一瞬にして岩を砕き、フュミレイの皮膚をも裂く。無色の魔力で身を包んでいても、それを突き破るだけの破壊力だった。
 「ガアア!」
 だが、いきり立つ大蛇とは対照的に、頬を滴る血が凍り付くのではないかと思うほど、フュミレイは冷血だった。
 「ヘイルストリーム!」
 フュミレイの両手から凄まじい冷気の波動が巻き起こる。それは最強の氷結呪文ヘイルストリーム。しかも彼女は、通常であれば広範囲に及ぶ吹雪を自らの両手の狭間に結集し___
 ドンッ!
 一直線に放った。差詰めヘイルストリームキャノンとでも言おうか。濃縮された冷気と氷の渦は真っ白い光線となって食らいつこうとしていた大蛇の口に食い込んだ。
 それからはあっという間だった。大蛇の巨体は顔から瞬く間に凍り付いていく。身体半分も氷付けにされた頃には、のたうつように動いていた尾も動きを止めた。
 「っ___」
 竜の頭を持つ蛇の氷像ができあがったとき、フュミレイは酷く顔をしかめていた。稲妻で裂けた傷が急速な自然治癒のように塞がろうとしている。その不愉快さが彼女を苛立たせた。
 「___まただ。」
 それは大蛇の命を奪った証だ。相応の力を持つ生命、それは人でなくとも、命を奪ったことで彼女の身体に敵の力が流れ込んできた。この剣山のような岩が並ぶ土地に来てから三度目。いずれもこの大蛇に負けず劣らずの強敵、いずれもドラゴンのようなモンスターに襲われてのことだった。
 「これがGへの道か___」
 フュミレイは自戒の念を込めて呟く。その時だった___!
 「!?」
 らしくない。身体に流れ込む力に気を取られていたのだろう、彼女は敵の接近に全く気付いていなかった。
 「っ!?」
 背後から痛打され、その身体は一直線に剣山岩の根本にぶち当たる。衝撃はそれでも収まらず、瞬く間に罅入った岩は根本からへし折られていた。
 「ぐ___」
 無防備の身体はしぶといがさほど頑丈でもない。背中に受けた一撃はフュミレイの身体の芯深くに残存し、彼女から力を奪っていた。土煙の向こうに光が見える。それが敵だと察したフュミレイは、かろうじて風を引き起こすと視界を妨げる煙を吹き飛ばした。
 そして驚愕するのだ。
 「竜の使い___!?」
 殺意の籠もった目で上空からこちらを見下ろす女。そう、女だ。しかも彼女は黄金の頭髪と空色の瞳を持ち、激しく光り輝いている。それは竜の使いのソアラにそっくりだった。
 だが面食らっている暇など無い。竜の使いに似た女はその両手に目映い波動を宿していた。
 (竜波動___!)
 解き放たれた波動はソアラの秘技に良く似ていた。驚異的な破壊力を宿しつつも、スピードに欠けるところまでそっくりだった。
 「なっ!?」
 フュミレイはすぐさま飛びすさぶがそこで予想外のことが起こった。上空から地に向かって放たれた波動が、跳ね上がるように向きを変えて追尾してきたのだ。
 直撃。壮絶な爆破がまだ辺りに蔓延っていた砂煙を全て吹き飛ばす。轟音と共に剣山岩を同心円状に何本もへし折って、波動は炸裂した。しかし___
 「手応えが軽い___」
 竜の使いは殺意を消さなかった。消えたのは___
 ドンッ!
 姿だった。彼女は瞬時に気配を感じ取り、離れた背後にいたフュミレイの腹に靴裏をねじ込んでいた。
 「ベル・エナ・レッシイ。」
 「!?」
 気がしただけだ。竜波動の爆炎の名残から聞こえた声に、女は振り返った。そこには服の袖を吹き飛ばし、両腕を赤くしたフュミレイがいた。彼女は波動を受けつつ、空蝉とも言える魔力を放っていた。あえて食らったのは攻撃の「質」を確認するため。彼女が竜の使いだという確信を得るためでもあった。
 「あたしはレイノラ様の命を受けてここに来たんだ。」
 「___っ!?」
 女の殺意はすぐに揺らいだ。

 ベル・エナ・レッシイ。
 彼女はレイノラの娘の一人であり、Gとの戦いでファルシオンと共に特攻し、十二神縛印を成功に導いた張本人である。神々と共にオル・ヴァンビディスへと去った彼女は、今も世界の中心でファルシオンを抱き続けている。
 ジェイローグとレイノラの娘。さぞ誠実で生真面目で整然とした人物かと思いきや___
 「驚いたわ〜、まさか!?って感じ?だって母さんがこっちに来てるなんて知らなかったし、あんたも正直なとこさぁ正義の味方って顔してないじゃん!」
 その気質は破天荒。そもそも着ている服からして変わっている。黒くなめした皮の衣服はかなりタイトで、至る所に意味のないベルトや銀の飾りが付いている。星だったりハートだったり髑髏だったり、いかんせん節操がない。胸元やポケットには同じく銀の鎖が下がっているし、靴や手袋に至るまで黒と銀で彩られていた。
 「あぁ!傷ついちゃった!?って___んなわけないかぁ、あんた図太そうだもん!」
 バチン!とレッシイの平手がフュミレイの背を打つ。
 (このところあたしに絡むのはこんなのばかりだな___)
 背中にヒリヒリした感触を残しながら、フュミレイはそんなことを考えたとかなんだとか。
 「んあっ!そういえばまだちゃんと名前も聞いてないじゃん!ほら名前は?なんてーの?」
 「フュミレイ・リドン。」
 「フュ〜???な〜んか難しい発音ね。フーミンでいいかしらフーミン。」
 「や。」
 体型は小柄。顔立ちはソアラに似て見えるが、彼女よりも猫顔かもしれない。ともかくキリリとした目が印象的。光を消した髪は金髪が半分。もう半分は赤色のグラデーションに染められている。髪型も服装同様に落ち着きが無く、細かく編み込んでみたり、またほんの僅かな髪だけを色紙を交えて編み込み、膝の辺りまで伸ばしたりしていた。よく見ればそのとびきり長い髪の先端には、鈴がぶら下がっている。
 「あたしはベル・エナ・レッシイよ。レッシイって呼んでくれればいいわ。んじゃ、フーミンよろしく。」
 「それは認めてないんだけど。」
 「まあいいじゃん!ほら握手!今日の出会いを言葉じゃなくって肌で感じる!それがファンキーな人生ってもんよ!」
 「___はぁ。」
 レッシイの差しだした手をフュミレイはやや渋りながらも握り替えした。この空気、竜樹以上に慣れるまで骨が折れそうだ。

 「さ、ここよ。入って入って。」
 レッシイに導かれてフュミレイはある剣山岩の根本へとやってきた。岩肌に突き出た部分をレッシイが軽く叩くと、岩の一部に裂け目が走り、蓋となって待ち上がった。
 そこが彼女の家。膨大な剣山岩の中、何の変哲もない岩の一つを根城にしていたのだ。
 「むっ!」
 「っと。」
 入ってと言いながらレッシイが急に止まったので、フュミレイは彼女の肩に手を触れて踏みとどまった。
 (!)
 そして感じた。陽気なレッシイの肌から溢れ出る気配。その夥しい殺気を彼女は自らの肌際に止めていた。
 「侵入者がいる。」
 「あたし?」
 「そ〜!って、んなわけないでしょ。誰かがここに入り込んだ___いや入り込んでいるのかも!」
 レッシイは隠し立てしない。決して広くは見えない岩の中の家には、ざっとみて四つほどの部屋しかない。どこに誰がいようと聞こえる声であえて言ったのだ。
 そう、これは先ほどから彼女が使っている手段だ。レッシイは微弱な気配の変化を鋭敏に感じ取る術に長けているのだろう。おそらく敵の些細な鼓動や吐息の変化を嗅ぎ分けられる。だから、握手を求めて発汗の有無や拍動の乱れからフュミレイの言葉に嘘がないか調べたし、いまこうして敵の気配の乱れを誘うべく疑念を声に出しているのだ。ただ気になるのは___
 「なぜ侵入者がいると分かったんだ?」
 「そりゃ玄関マットの位置が少しずれてるのとか、あの本の向きが変わってるのとか、カップの持ち手の位置が変わってるのとか___いろいろ!」
 「あ、そう。」
 そちらはかなり古典的だったようである。
 「何をしようとしていたのかはだいたい想像が付くけど、何者かってのは難しいところよね。とりあえず___燻りだしてみよっか?」
 と、レッシイは家の中へ慎重になることもなく上がり込み、仁王立ちする。すぐにその体から、目に見えた変化はないが気配の渦が吹き上がってきた。
 (気殺___黄泉で見たことのある波法だ___)
 フュミレイは玄関に留まって、レッシイの背中を見ていた。光が溢れ出ているわけでもないが、レッシイを中心に波が広がっている。池に広がる波紋のようにして、彼女の体から気配が波打っているのだ。それは空気の震えというものでもなく、いわば精神波。
 あまりに強烈な殺気は毒であり、無防備な者に悪寒を与えたり、意識を奪ったり、時に命をも陥れる壮絶な気配の波となる。気配を自在に操る術は黄泉では「波法」とよばれ、殺気のみで敵を圧するこれは「気殺」と名付けられていた。
 「あんた凄いね、そんな平然としてられるんだ。」
 振り返りはしない。レッシイは背に威圧感を携えて、言った。
 「他を疑りつつ、私のことも試しているようだな___」
 「あたしはまだあんたを完全に信用した訳じゃない。」
 「なら___」
 「!?」
 異変は突如として起こった。レッシイが自らの殺気をより威圧的に広げるよりも早く、玄関口から走った白い糸が部屋中を覆い尽くしていった。
 「魔力の糸を家全体に走らせた。侵入者は___」
 そう、右手奥の部屋にある存在感を魔力の糸はすでに感知した。しかし___
 ダンッ!
 「___!」
 レッシイが床を強く踏みつける。それだけで魔力が弾けた。鳥に突っ込まれた蜘蛛の巣のように、糸の網はあっさりと崩壊したのだ。
 「やめろタコ。それがてめえの腹か?」
 部屋に広がっていた殺気の波、それは一筋の渦巻きとなってフュミレイに向けられた。レッシイは今までの陽気が嘘のように、フュミレイを睨み付けていた。そして!
 ゴッ!
 小さな棚が爆発した。そこまでほんの一瞬のこと。奥手の壁を突き破って赤い光線が走り、レッシイはそれを振り返りもせず手で殴りつけ、行き先を変えた光線は戸棚に炸裂したのだ。
 (いまのは___!)
 驚くべき事はいくつかある。光線は敵の正体を示すものだったが、それよりも今のレッシイの所作だ。あの光線は魔力に近い。それを素手でいとも簡単に跳ね返した。いや、そもそもさっきだって足の一踏みで魔力の網を蹴散らしたではないか。
 「あぁぁ!しまった!苦労してロゼオンの所からちょっぱってきたバスティアのカップが!」
 それにしてもこの女、時折見せる冷酷な顔と、今こうして自分が壊した戸棚に愕然として頭を抱えている顔、どちらが本性なのだろう?
 「あったま来ちゃったよ___」
 「なにっ!?」
 気配の波が唐突に白い実体を伴った波動に変化する。そして奥手の壁を撫でると、それだけで木製の壁は罅入って砕け落ち、奥の部屋で息を潜めていたディメードの姿を露見させた。
 「見っけ。」
 彼女の性格はまだ良く分からない。今言えることはただ一つ。
 ベル・エナ・レッシイは強い、それだけだ。




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