2 フュミレイとオルローヌ
「馬鹿な___そんな馬鹿な___!」
ジェネリが殺されたであろうことを聞くと、オコンは激しく動揺した。隣の神が命を絶たれたことによる危機感?いやそうではない。かつてのGを巡る戦いでもジェイローグに協力的だったオコンとジェネリ。二人は神ではあったが、同時に互いを意識する男女でもあった。
だからこそ、ジェネリはムンゾの世界の異変についてオコンに意見を求めようとした。二人は互いの接触が難しい状況であっても、言葉を、あるいは愛を交わしていたかもかれない。それほど懇意だったのだ。
「今は自らの足元を固めるべきよ。そう単純ではないだろうけど、あなたが次のターゲットになる可能性は否定できない。」
むやみには動けない。しかしバルカンがいてくれたこともあって、他の神々も無警戒でいることはないだろう。やりかたはバルディスの時と同じ。Gになろうとしている敵、その動きを敏速に感じ取って対処するしかないのだ。
ただ、もう一つ気がかりなことがあった。
「戻っていない?」
「はい。オコンさんの話ではリシス神殿はそう遠くないそうで___何かあったのかも___」
フュミレイだけが未だにオコン神殿に戻らないことだった。
リシスの世界は彼女の思うがままだ。つまり、彼女の居室への入り口は広大な森の全てであり、同時にその出口も広大な森の全てである。そして木は生命であり、人の感情の起伏を感じ取るセンサーでもある。それは言葉を理解するということではなく、言葉という音波、大気の乱れ、体温の変化、発汗による体表成分の変化など、そう言った事柄を敏感にキャッチすることができるのだという。
リシスの木々たちはあの瞬間、フュミレイの意志を察した。そして開く出口の場所を変えていた。森から出てほんの少し進んだだけで別の世界に辿り着いたのだ。つまり彼女は、収穫の女神リーゼの世界にほと近い場所に送り出されたのだ。
「まあ!それは大変!」
ムンゾの死の可能性に驚いてはいた。しかしリーゼはこちらの調子が狂うほど穏やかな女だった。いや、穏やかなのは世界そのものだ。神殿は木組みの簡素なもので、その周辺には農村が広がる。人々は耕作に精を出し、収穫を喜び、祭りを開く。
「実は、この世界に留められた人間たちに食物は必要ないんです。でも作ること、実ること、恩恵を授かることは、自分の身体の仕組みにかかわらず喜ばしいことなんですよ。それが生命の本質なのでしょうね。」
黒い長髪を後ろで束ね、穏やかに微笑む顔はフローラに良く似ていた。優しく、母性に溢れる人物。それでいて飾らない美しさと、神だからこその奥深い神秘性を持ち合わせる。俗な言い方ではあるが、あらゆる男に好かれるタイプの女だろう。
「これをお持ち下さい。オコン、ジェネリ、リシス、そして我々が同じものを持っています。夜間だけですが、おそらくムンゾの障壁にかかわらず互いの連絡が取れるであろう闇の神具です。」
「まあ!これで久しぶりにレイノラとお話しができますね!」
「___そうですね。」
「良いものを頂きました。お祭りを開かなくちゃ!」
「___はぁ。」
「どうですか?あなたもご一緒に!」
フュミレイが誘いを断ったのは言うまでもない。どこまで暢気なのだと思いつつ、縁遠かった脳天気な空気、のどかな土地に多少の郷愁を抱いたことは否定できないだろう。
そして___
「私は命の恩恵を賜るとともに、その命への感謝を忘れません。同時に、命の喪失を感じる力も持っています。ムンゾの世界は遠すぎましたが、二つ隣の世界くらいまでなら感じ取ることでができるでしょう。必ずやあなたたちの力になることを約束します。」
「ありがとうございます。」
「ところで___少しは安らげました?ここはあなたの心を穏やかにする世界です。疲れたときはいつでもおいでなさい。」
「___ご好意、感謝いたします。」
リーゼがただ暢気なだけの神ではないことも、良く分かったつもりだ。
リーゼの元での滞在時間は短かった。しかしその短い時の間に、彼女は身も心も癒された気がした。そしてオルローヌの元へ向かうことに妙な緊張を抱いていた自分に気が付いた。
(自分を知るとは___存外恐ろしいものなんだな。)
心中での呟きはソアラに向けられていた。かつて彼女が、紫であることの真実に対して「自分は普通の女だった」という答えを求めていた頃の気持ちが分かる気がした。
(あれか___)
探求神オルローヌの神殿はもうすぐそこだ。
オルローヌの世界、それは探求を司るものらしく、森羅万象の息吹に溢れる刺激的な場所だった。切り立った山、流れる大河、深い森林、広大な平原、熱風吹く砂漠、様々な事象が入り乱れていた。
この落ち着きのない世界を束ねる神の神殿もまた、著名な遺跡を集めたような秩序に欠けるところだった。巨大な岩を組み上げた門や、一枚岩から作られたであろう天を刺す剣のような石碑、或いは複雑に入り組んだ迷路や、異様なまでに幾何学的な建造物___
「とんでもないところだな。」
この景色を一言で表すとしたら、それ以外の言葉はないだろう。フュミレイは眼下に広がる巨大遺跡を眺めながら、ここが本当にオルローヌの神殿だと言うことに多少の疑問を抱いた。
「___っ!?」
人影を探そうかと思ったのも束の間、剣のような石碑、オベリスクの先端が発した輝きにフュミレイは顔をしかめた。直視できないほどの目映さで、剣の向こうから日が昇るかのごとく光が溢れる。
「君は生身か。」
声がした。まともに見ようとすれば目が潰れるかもしれない。しかしフュミレイは一瞬だけ、光の中に人影らしきものを見ることができた。
「苦しむことはない。輝きを受け入れよ。君の人生の扉を開くのだ。」
穏やかな男の声。フュミレイはそれに逆らう気にはなれなかった。その人物が持つであろう風格に、神の威厳を感じたから。
「___!」
目映すぎる光に痛みを覚悟しながらフュミレイは目を開いた。すぐに視界が、頭が、全身が白に塗り潰されていくような気がした。
「___っ___」
目が覚めたとき、彼女はゆったりとした椅子に腰掛けていた。
「おはよう。」
「___」
向かいにも同じような椅子があり、男が腰掛けていた。白いローブを身に纏い、首飾りなどの色鮮やかな装飾品を付け、顎から口元を覆う黒い髭が印象的な男。日に焼けた肌、彫りの深い顔、短めに整えられた黒髪はカールしている。それは古代の王とでも呼びたくなる姿だった。
「冷静だな。」
「こういうことは初めてではありませんので。」
「そのようだな。リシスの元で同じような体験をしている。」
彼は明らかに知った顔で言った。
「私は探求神オルローヌ。ようこそフュミレイ・リドン。私は新たなる知識を求める者を歓迎する。」
名前まで言い当てた。だが驚くべき事ではないのだろう。自分が何者であるかを問うためにこの神の元へと来たのだ。だとすれば、すでに彼に全てを知られていても驚くべき事ではないのだ。
「___」
オルローヌの寛大な振る舞いに、フュミレイはほんの一度きり座ったままで頭を下げたが、それ以上何をするでもなく座って、彼と視線を交わし続けた。穏やかな笑みを浮かべ、先に口を開いたのはオルローヌだった。
「何も言わぬのか?」
「___その必要がないかと思いましたので。」
その答えに、オルローヌは声を上げて笑った。
「いや、君は自分自身をよく理解している。人を食った性格であり、素直でない、まさにその通りのようだ。そして___久しぶりに興味深い人生を見せてもらった。君の歩み、影響を受けた人物、そして今君がここにいる事実、全てが我々に深く関わっている。君のような客人は久しぶりだ。」
「探求心が満たされましたか?」
「フフッ、そうだな、その通りだ。そしてよもや新たな脅威が、この隔離された世界を脅かそうとしているとは思いも寄らなかった。」
オルローヌの力、それは知ること。彼は人の歩みの全てを知ることができる。いや、人だけではないだろう。建物であれ、自然であれ、なんであれ、そのものの成り立ち全てを紐解く力を持った神なのだ。
あの光の中で真っ白に塗り潰されたとき、フュミレイの全てが彼の知識の一端に刻まれたのである。それは彼女がこれまで経験した出来事の時系列だけでなく、その時彼女がどんなことを考えていたのかまで、例えば誰にも話したことのない秘密だって、一つの知識として彼に捧げられたのだろう。
「悲劇的な現実だとしても、受け入れるしかないだろう。いずれ私の元へも敵がやってくるかもしれぬな。」
「その時はどうされます?」
「どうすることもできまい。逃げられれば逃げる。私は敵の全てを暴くことはできても、それをうち倒す力はないのだ。」
ムンゾの死の可能性にも彼は達観した面もちだった。些細なことでは驚かない。あらゆる知識を求める一方で、彼はその一つ一つに感動することはないのだろう。
「ではいざその時が訪れても、敵の全てを知ることよりも逃げることを優先なさってください。」
「ククッ___そうだな、君の言う通りだ。」
オルローヌはフュミレイの一挙手一投足を楽しんでいるようだった。彼女の人生を知ったからこそ、この物怖じしない姿勢がどこで培われたものか考えるだけでも、楽しめる。知られた方が不愉快かどうかは別にして、彼は知ったことでフュミレイの何を見ても楽しめるのだ。
「この鏡を___」
「いやいや、それは君が持てばいい。もうそれ一つしかないのだろう?」
「しかし___」
「私は鏡を通じて話すより、君の仲間のうち誰か一人でもここを訪れてくれる方がありがたいよ。口で説明されるのには慣れていないものでね。」
「その人の秘密を知ることもできますね。」
「そうそう。」
オルローヌは満足げに頷いた。外見とは裏腹に、厳格というタイプの男ではない。相手の全てを知っていれば、自らの規範を強要する必要など無いということか。
「さて、それで___?」
オルローヌは幾らか前のめりになっていた身体を背もたれに預け、ゆったりと一つ息を付いた。
「本当に聞きたいことの答えを話そうか?」
貞淑に腰掛けて無駄な動きのなかったフュミレイの口元が、僅かに強張った。
「話すのは簡単だ。だが君が怖がっているようだから、あえて君の口から意志を聞きたい。」
「私はそれほど恐れていますか?」
オルローヌは全てを知っている。それこそフュミレイ自身が気付いていないような自己の弱さなども、彼は見透かしているのだろう。そんな人物の分析を受けられるとしたらなんと興味深いことか。そしてオルローヌは惜しみなく彼女の期待に応えた。
「君は実に強い。屈せず、うち倒し、突き破る力を持っている。君は不可能を可能にできるし、決して諦めない。だが、極端に寂しがり屋だ。」
「!」
「君は、それは幼少の頃から、常に胸の内に寂しさを抱き続けている。君のその気持ちが満たされたことは、今まで一度としてない。愛する人に抱かれていたとしても、君はそれに全てを傾けてはいない。この幸せが永劫続くわけがないと悟っているから、その先に現れるのは寂しさだ。」
当たっている___のだろう。幼少から、寂しさを寂しさと感じさせないような教育を受けてきていたから麻痺していたのだろう。だが心の内のどこかで、暖かさに触れるほどに、自分の寂しさを浮き彫りにさせていたのかもしれない。
「君自身が解き放たれなければ、その気持ちが満たされることはこれから先もない。君は寂しさを戦いの糧に変える力を持っているから、戦いが終わらなければそれを深く実感することもない。君が戦う必要性を失い、今愛する人以上に愛せる人と出会い、その人物に父性を抱くことができれば、はじめて君の心は満たされるかもしれない。」
「___その上で、互いの全てを知っていたいです。」
「そうだな。知りすぎることが障害になることもあるが、君を満たすにはそれも必要なことだろう。」
短い間。フュミレイの指先は微動だにせず、オルローヌは先ほどより幾らか強さを増した彼女の左目に満足した。
「君は死人ではない。しかし君の中に死人が宿っている。」
「___」
「カーツウェルという男は死体の収集家であり、彼のコレクションの一つに、古代から朽ちることのない死体がある。それは驚くなかれ、我らの世界バルディスで死した高名なる人物の死体だ。それが未だ朽ちることなく、カーツウェルの手元にあったのだ。」
フュミレイは沈黙したまま、ただ耳を傾ける。
「カーツウェルは死体を操り、武器とする術を持つ。しかし彼とて手に負えない死体がそれだ。高名なる人物の死体は、死してなお威光に守られており、姑息な術などもろともしないのだ。それは彼の貴重なコレクションではあったが、使い道のない材料でもあった。」
オルローヌはフュミレイに一切の動揺がないことを見知った上で、続けた。
「ある日、フェイロウという上級の魔族がやってきた。気に入った女がいるが脆くて困る。おまえの知恵で強くできないか?カーツウェルは死体と生体の融合の研究を行っており、それを試す良い機会だと考えた。術法をフェイロウに教えた彼は、その女が一介の人間でありながら魔道の才に長けているという話を聞き、興奮とともに一つの挑戦を試みた。彼の持つ死体の中でも最も崇高なものをフェイロウに提供したのだ。」
「___」
「その高尚なる死体。バルディスでも知る人ぞ知る人物であり、伝説的な魔女。名はギギ・エスティナール。世間ではギギ・エストと呼ばれていた人物だ。彼女は辺境の地に住み、普段はその力を示すことなく、あくまで孤独に自己を追求していた。しかし森の奥に潜んで外界との接触を断つような人物ではなく、天真爛漫な人柄で皆に好かれていた。」
「___」
「ギギが強大な魔力の持ち主であることに疑いの余地はないが、彼女は人前でその力を使おうとはしなかった。ただ、土地の人々の前に恐るべき脅威が現れたときだけは、彼らを守るために立ち上がった。」
「___」
「ギギの土地を統べていたのは、神の恩寵を受けた名士だった。彼は確かに実力者ではあったが、その人柄にはやや褒められない部分もあった。私は好奇心旺盛であることを否定する立場にないが、彼の場合は些か欲が強すぎたのだ。彼はギギ・エストを自らの私兵として迎えたい、あるいはその力で何らかの貢献を果たしてほしいと考えた。さて、君がギギだったらどうする?彼の要望に従うか?」
「愛する人々のためになるかどうかによります。」
「らしい答えだ。君はかつてはある強大な組織に属し、その後孤独に身を窶し、今は暖かく家庭的な人々と共にいる。どちらの味も知っている君はそういう答えができる。だがギギは違う。彼女はにべもなく断った。それはその名士の人柄に疑問を抱いたからだ。彼が支配的で独占的だと感じたのだ。」
多少なりとも話が読めてきた。おそらく、このギギという魔女は処刑されたのではないかとフュミレイは考えた。それは正解だった。
「それからというもの、ギギの愛する人々は強大な獣の襲撃にあうようになった。それは彼らの土地に古くからいる獣であり、共存共栄を果たしてきたはずだった。しかし森が酷く荒らされたことで里へと下ってきたのだ。」
つまり、それは名士の差し金である。実際彼の思惑通り、ギギは力を示して獣を倒し、人々を守った。名士は改めてギギの力に感服し、彼女を褒め称えた。しかし人々からは名士を疑う声が挙がり、不穏な空気が広がっていた。
彼らがまた名士の標的となることを恐れたギギはやがてその土地を去った。そうすることで名士が自分を諦めるとともに、人々との間に生まれた妙な軋轢が消えることを願った。結果としてそれは名士の怒りを呼び、人々を死の恐怖に晒すことになる。才長けるギギらしからぬ過ちだった。
しかし彼女は人々に一つの宝玉を託して去っていた。危機があればそれを叩き割れと言い残していた。かくして人々は言葉に従った。秘められていた転移の魔力により、燃えさかる里にギギが再び舞い戻った。
ギギは名士を殺した。怒りに震える彼女は、もはや歯止めを失っていた。だが神の恩寵を受けた人物を手がけるなど、許されることではない。審判にかけられたギギは、神の前でも頑なであり、生き残った人々の願いも虚しく処刑が決定した___
「ギギは死んだ。彼女は最期まで愛する人々への感謝と、彼らの安寧を願い続けていた。処刑までの短い時間に、己の研究の粋を集めた魔導書も記した。一切の魔力を封じる枷をされ、磔にされ、首に筋を入れられた。失血により死に至るまで数分、この惨たらしい処刑法にも彼女は穏やかな死に顔だったという。」
「___」
「人々の願いにより、遺体は彼女が愛した里へと帰った。人々は遺体を前に号泣し、それを埋葬するために立派な祠を建てた。だが驚くべきは、棺の中のギギがいつまでもその姿を保ち続けたことだった。ミイラ化したというのとは違う、人々は彼女の埋葬にそんな手順を踏んでいない。内臓や脳を取り除いたわけでも、腐敗を防ぐために油を施し乾燥させたわけでもない、ただギギの死体を風通しの良い祠の中に収めただけだ。しかしギギの遺体は、無論綺麗なままではないが、白骨化することなくその形を保ち続けたのだ。」
「それはバルディスが崩壊してからも変わらなかった。」
「そういうことだ。ジェイローグとレイノラにより世界が分けられても、彼女の遺体は変わらずにあり続けた。それを見つけたのが、遺体を操るだけでなく、探す術にも長けたカーツウェルだった。」
「それがあたしの中にいる___」
不思議な感覚だ。フュミレイは自らの胸元に手を添えて、鼓動を確かめた。
「だが本当に驚くべきはギギではない。君自身だ。」
「?」
「普通ならば君が思うように、生きてなどおれないよ。実際カーツウェルとてうまくいくはずがない思っていたのだ。あれほど高尚な遺体を受け入れられる人間などいない___とな。彼は自分勝手なサディストだから、フェイロウが失敗しようと構わなかったのだ。怒りを買うかもしれないが、それはそれでおそらくギギの遺体も、魅惑的な資質を持った人間の遺体も得ることができる。彼はむしろ失敗するものと踏んで、ギギの遺体をフェイロウに託したのだ。」
「___」
「しかし成功した。それは驚くべきことだ。」
「___なぜ成功したのです?」
「なぜ?君がギギを受け入れられたから___それ以外に何の理由がある。実際君は、その後暫く酷い頭痛に悩まされ続けている。君はそれを失われた魔力が急激に戻った反動と考えていたようだが、それは違う。君は魔力を放出する術を封じられてはいたが、その身体から力が失われていたわけではない。あの頭痛はいわば成長痛だ。」
「成長痛___」
「ギギと当時の君の魔力を比べれば、それはまさしく天と地ほどの差がある。しかし君は徐々に自らの器を広げ、時間を掛けて己の身体にギギを馴染ませていった。それを意識せずとも、自然にやれてしまっていることには驚かされる。」
「今の私の魔力はギギの恩恵と言うことですか?」
「どうだろうか?君はまだギギから全てを受け取っていない。君にとってギギはきっかけでしかなく、例えば君が操る術の数々は、君自身の工夫と努力により編み出されたものだ。そこにギギは何ら関与をしていない。」
「___」
「君は考えすぎるし、自分を安く見過ぎるきらいがある。はっきり言った方が良さそうだな。」
オルローヌはニヤリと笑って続けた。
「水が器から溢れてしまっては、その器は水を受け入れられたとは言わないのだ。分かるな?」
「___」
「私は君がギギを受け入れられたと言った。それ以外の何がある。確かに君はギギの恩恵を受けつつ強くなっている。しかしそれは君がギギを超える素養を持っているからできたことだ。あえて言おう、ギギは魔力に関して神を超える可能性を持った人物だった。ならば君は神を完全に超えた人物になれる。」
「私はシャツキフ・リドンとアナスタシア・リドンの子です。それだけの女になぜそんなことがあり得るのです?」
「君の生まれにカラクリがあるのは君も知っていることだ。だが無論それだけではない。例えば私は君の家系の全てを紐解くことができるが___まあそこまでする必要は無かろう。しかしバルディスの事を知った君がだ、己の家系を遙か遠くまで遡ったとき、そこに神と呼ばれた人物がいた可能性をなぜ否定できる。実際、云千年を経てもその力を紡ぎ続ける神の子が君のそばにいるではないか。」
「___常識的なものですから。」
その答えにオルローヌは笑った。
「自信を持つことだ。君はまだ自分が達するべき境地に届いていない。これから君はギギの存在を意識することで一層自らに磨きをかけられる。君は生きている。そして高尚なる遺体にとっても、君はおそらくとても居心地の良い場所なのだ。」
オルローヌは立ち上がり、フュミレイの前へと歩む。立ち上がろうとしたフュミレイの肩に手を置いて制し、二人は間近で見つめ合った。
「不可能なことなど無いと思え。君は私たちにとっても希望となりうる存在だ。」
「___ありがとうございます。」
彼の言葉はとても心強かった。恐れていた事など何もなく、事実を知っても打ち拉がれるような思いは全くなかった。
「来てくれてありがとう。とても楽しかったよ。」
「私もお伺いして良かったと思っています。」
「本当は君をもっと知りたい。だが今は君の思いを尊重しよう。」
そう言って、オルローヌはフュミレイの頬に口付けした。髭がくすぐったかったが、悪い心地はしなかった。
「ありがとうございました。私はひとまずオコンの神殿に戻ります。」
「私は君のことが好きだ。また来てくれることを願っているよ。」
「___照れますからやめてください。」
フュミレイの頬が少し紅潮したように見え、オルローヌは満足げに髭をしごきながら椅子へと戻った。
「そうだ、私としても贈り物無しに君を帰すのは忍びない。君の歩みの中で、一つ気になる人物を見つけた。彼女についてのヒントになるだろう話をしよう。」
「___彼女?」
「私の隣は戦神セラの世界だ。しかしセラはその力の半分、いやもっとかもしれないが、ともかく力を失っている。」
「なぜ?」
「この世界に住む生命は、君も知ってのとおり本来は死者だ。そして多くの死者たちは、再び本当の生命体になることを夢見ており、しかもそれは不可能ではない。この世界のルールに従い、生身を殺せば死者も生身になれるのだ。」
それははじめて知るルールだった。つまり、自分たちが生身であることが知れ渡れば、格好のターゲットになると言うことだ。
「ある日、セラの前に一人の青年が現れた。彼は再び本物の生命となり、故郷である黄泉に帰ることを強く望んでいた。セラは殺伐とした女だ___ああ、戦神だからといって男だと思うのは浅はかな発想だぞ。戦神セラは君のように氷の美をもつ女性だ。」
「先へ進めてください。」
「___うむ。セラは青年に問うた。なぜ生きて黄泉に帰りたいのか?と。青年はこう答えた___病に伏した短い生涯で自分は何一つ人のためになることをできなかった。両親に礼を言うことすらできなかった。生きて帰り、両親に礼を言い、人々に命の尊さを解きたい。再び病に倒れるまで、僅かな時でも構わない___その答えにセラは心を動かされた。何らかのきっかけで世界に迷い込んだ生身を探すという手もあったろうが、そもそも彼には命を奪うという選択肢が存在しなかった。」
本当に彼の説明に心を打たれただけかどうかは分からない。何でも物事を疑るのは悪い癖だが、オルローヌは彼女のそう言うところも気に入っているようだった。
「君はよく考えるなぁ。そうとも、セラはその青年に心を惹かれたのだ。彼は希望、躍動、勇気、あらゆる前向きな感情で満たされていた。セラが触れたことの無いような輝きを放つ人物だった。やがて彼女は思い立ち、秘術を用いることにした。」
「秘術___?」
「蘇生術だ。」
「!?」
つまり、死者を蘇らせる術。おそらく生命に関する究極の秘技。
「だが蘇生術は生身にこそ効果のあるものだ。オル・ヴァンビディスの人々に施したところで、肉体が形骸である以上、一時的な復活はできてもやがて肉体を保てなくなり崩壊する。」
「それでセラは___?」
「青年にある提案をした。」
「___」
「私を愛せ。私におまえの心血を注げ。」
「!?」
フュミレイは息を飲んだ。
「肉体を保てる時間はせいぜい一分。それまでに愛を深めあい、真に二人の源が混じり合うとき、蘇生術を施す。一瞬の復活に愛の血潮の全てを駆ける。青年は迷うことなく受け入れた。」
「___適ったのですか?」
「適った。交合の頂点に、セラは青年を蘇らせ、青年はセラに自らの全てを託して散った。セラは身ごもり、子が生まれ、彼女はそれを黄泉に帰した。幼子は黄泉で白童子となった。」
「!」
「白童子はセラの力の半分を受け継いでいた。そしてその力を切り売りするようにして、あるいは白廟泉から漏出するGの力を授けて、人々を治療して回った。多くの人々が救われたが、その行為は思わぬ厄災をも招いた。自らの力を切り売りしたことで、セラの本質をも受け継いだ妖魔が誕生してしまったのだ。」
フュミレイは息を飲んだ。
「難病に苦しむ幼子に授けられた白い秘薬、それは彼自身が死の直前に託した自らの力であり、セラの力の核とも呼べる部分だった。その後、白童子はその行為そのものをレイノラに否定され、彼女の手で断罪された。レイノラの判断は正しかったと思うし、白童子もそうなることを覚悟していた。Gの力を易々と一介の人に与える、それは咎められて当然の行為だった。」
「彼女とは___核を受け継いだ子ですか?」
「そうだ。成長した彼女のことを霊感に長けた祈祷師がこう呼んでいる___」
「羅刹。」
その言葉を言い放ったのはフュミレイだった。いつもと変わらない顔をしていても、胸の内ではいくらか冷静さを失っていた。
「___いいところを持っていくなよ。」
「ありがとうございます。おかげで胸がスッとしました。」
フュミレイは悪戯っぽい笑みを浮かべて、頭を下げた。言葉通り、ここを訪れたときとは違う晴れやかさが滲んでいた。
「行くのか?」
「ええ。でもその前に、色々良くしていただいたお礼を___」
と、オルローヌに近づくフュミレイ。
「柔らかさだけ教えましょう。」
「おぉっ!?」
かくしてオルローヌの辞書にまた新たな一文が刻まれた。
(三日目の夜か___心配しているかもしれないな___)
オルローヌの神殿を眼下に見る場所で、フュミレイはすっかり暗くなった空を見上げた。そのとき、ポケットの中に動きを感じる。取り出したのは鏡、その鏡面が蠢いていた。
鏡に効果があったのは嬉しいが、凛様に怒られるかも___そんなことを思いつつ、フュミレイは念を込めた。すぐに鏡の向こうにレイノラの顔が映し出される。
「無事だったのね。」
「申し訳ございません。」
「いいわ。リーゼから話は聞いている。今はオルローヌのところ?」
「はい。これから戻ります。」
「彼に会えるのなら、ジェネリが殺された可能性が高いと伝えて。」
「!」
「それからおまえにはある場所に寄ってきてもらいたい。できるわね?」
「無論です。」
そして___
「オルローヌ様!」
「おお!リドン!私のことが忘れられずに戻ってきたか!」
「違います。」
段々とオルローヌという「男」が分かってきたフュミレイは、抱きつこうとした彼を軽くあしらってジェネリのことを伝えた。
「そうか___ジェネリまで___」
「レイノラ様と話せますが、どうします?」
「いや、遠慮しておこう。それよりも現場を見た人物と会いたいものだ。私ならば彼らの知識から敵の手がかりを探し当てることもできる。」
「本当ですか___!」
「嘘は言わないよ。もっと正直に言おうか?私の妻になりたまえ!」
「遠慮します。」
出会ったばかりにしては馬の合う二人。オルローヌがやに積極的になってしまったので、フュミレイは柔らかサービスを少しだけ後悔したとかどうとか。
___
「分かった___ええ、そちらはお願い。」
鏡の向こうからフュミレイの顔が消える。
「あ〜、終わっちゃった。」
レイノラの肩に顎を乗っけていたリュカが残念そうに言った。反対側からはルディーがのぞき込み、後ろでは百鬼がしきりに鏡に向かって手を振っていた。
「何をやってるの___」
呆れた様子で呟くレイノラ。たぶん向こうでもフュミレイが同じような顔をしていただろう。
「オルローヌの所に誰かが行かなきゃならないんだろ?俺が行こうか?」
動かずにはいられないのだろう。ソアラの手がかりがないと聞いても、百鬼は腕の無限を頼りに気丈な振る舞いを見せた。しかし子供たちも含めて落ち着きが無い。でもだからこそ余計に、彼らを自由にするわけにはいかないのだ。
「いえ、両方の世界を見ている人がいいわ。サザビー、頼めるかしら?」
「了解。」
直々のご指名にサザビーはさもらしく敬礼で返した。さりげないウインクには、信用してほしいという彼の言葉を早速実践してくれたレイノラへの感謝が込められていた。
「ミキャック、あなたも一緒に___」
「あの!」
ミキャックとの二人旅になりそうなことにサザビーが満足げな顔をしたその時、思わぬ声が割って入った。
「___僕たちも一緒に行って良いですか?」
ライとフローラだった。
「なぜ?」
「アレックスのこと___オルローヌさんなら分かるんじゃないかと思って!」
「___」
確かに探求神オルローヌは類い希なる知識を持っている。彼は予言者ではないが、二人に何らかの道を示してくれる可能性はあるだろう。だが___
「望むべき結果が出るとは限らない。あなたたちを絶望させる答えであっても、オルローヌはハッキリと語るわ。それでも構わないの?」
二人はしっかりと頷いていた。
「さて___」
フュミレイの手元には方位を示す小さな神具があった。それはオルローヌが彼女に託してくれたもので、これから向かう場所で役立つとの話だった。
これから向かう場所、それは___
「行くか___世界の中心へ。」
オル・ヴァンビディスの頂点、ファルシオーネ。
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