1 冷たい風
ジェネリ神殿の異変___
ミキャックからの報せにサザビーは息を飲み、棕櫚の顔つきも厳しいものへと変わる。バルカンは冷静ではあったが、それでも事態の深刻さに言葉を失っているようだった。
「状況は___辺りを調べてはみたの?」
レイノラは努めて冷静でいた。しかしその指先は微かに震えているようだった。
「破壊の跡があります___」
ムンゾの神殿はまったく綺麗すぎるくらい綺麗だった。その点ではジェネリ神殿と違う。だがそれは些細な事かもしれない。
「ソアラは死んじゃいない!」
ミキャックと鏡の間に割り込むようにして、鏡面一杯に百鬼の顔が映し出された。
「そう思うって話じゃないぜ、確信があって言ってるんだ!」
そう言うなり映像は向きを変え、百鬼の左腕に。そこには無限の刻印がしっかりと刻まれていた。
「こいつが消えない限りソアラは無事だ!」
「分かった。それは信じよう。だがもう少し全体の状況を知りたい。」
刻印の力は誰かが証明したわけでもない。だからそれで間違いなくソアラが生きていると言い切ることはできない。しかし今はそんな問答をしているときではなかった。
「戦いがあったのは間違いないと思います。しかもまだそれほど時間は経っていないのではないかと___」
「俺も同感だ。破壊の跡が生々しすぎる。」
小さな鏡の中で、ミキャックと百鬼は頬を並べるようにして口々に言った。
「ムンゾはおそらく殺された。神殿に誰一人いなくなってしまったという点では、こちらもそちらも状況は同じよ。」
「では___」
ジェネリも殺された___ということか?
「ミキャック、彼らと一緒にオコンの神殿に戻りなさい。私たちがそちらに向かうわ。」
「待っててもいいぞ!俺たちもまだしっかりここを調べたわけじゃない!」
「危険よ。それに、ムンゾの世界から隣へ時計の針が動いた。次は___分かるわね?」
「___そうか!」
ジェネリの次はオコンかもしれない!それは推理としてはあまりにも短絡的だが、そうでもして彼らをその場に留めさせない必要があった。
「それにもしジェネリが襲撃を受けたとして、ソアラが居合わせていたとは限らないでしょう?彼女はジェネリの使いとして動き回っているのよ?」
「なるほど!」
今度は鏡面すれすれにリュカの顔が飛び込み、一言叫んで引っ込んだ。
「私たちも長居をするつもりはないわ。できるだけ早くオコンの元に帰るから。」
「___分かった!俺たちは先に戻る!」
「お母さんが帰ってきたときのためにメモを残しておこうよ!」
「そうね、そうしてあげるといいわ。」
「レイノラ様、くれぐれもお気を付けて。」
「そちらも。」
レイノラが魔力を断つ。すぐに鏡の中の像が消えた。
「___」
レイノラはすぐに言葉を発することができず、重苦しい空気を携えて振り返った。
「行くか?」
その肩にサザビーの手が触れる。
「___ええ、そうね___」
レイノラは弱々しく呟いた。恐れていたことが現実となっていく。こちらが何か手を打つ前に、敵は先手を打ってくる。それは今も昔も同じことだった。歴史は繰り返されるもの___否定はしてみても、レイノラにとってこの報せは悪夢のような現実であった。
グッ___
「___!?」
しかし昔と今では大きく違うことがある。
「大丈夫だ。俺たちは誰も諦めちゃいない。」
いたたまれなくなったのだろう。彼は昔から、誰であれ女が苦しむのを放っておけない男だ。
「なんと___」
バルカンは驚いていた。しかしサザビーを知る棕櫚は小さな笑みを見せていた。
「俺たちはいつでも、おまえの力になる。」
サザビーはレイノラを抱きしめていた。互いの温もりを共感させるかのように、強く、身体を合わせて抱きしめていた。
「___」
レイノラの身体は半ばサザビーに預けられていた。一瞬の緊張も、すぐに腕の中で彼女の強張りが消えたのがサザビーには分かった。
「本当に賢しいな、おまえは___」
「そうか?」
サザビーの耳元でレイノラが呟く。サザビーも同じように答えた。
「放せ。」
「あいよ。」
サザビーが腕を緩め、二人はゆっくりと離れた。レイノラの顔に笑みはなかったが、幾らかでも悲壮は消えていた。
「行こう、ジェネリの神殿へ。」
昔は誰の信用も得られない孤独な戦いだった。しかし今は一人ではない。それを実感させられたことで、確かにレイノラは少し強さを取り戻した。
風が泣いている。
抽象的な言葉ではあるが、少なくともジェネリ神殿の周囲に吹く風は、泣いているかのように寂しげだった。すでに夜明けを迎えている。空は少しずつ明るくなってきたというのに、風は冷たいままだった。
「屋根に大きな穴が空いているな。」
空を旋回するのはバルカン。人型でいるときより遙かに巨大な鳥へと姿を変えた彼の背から、レイノラたちは神殿を見下ろしていた。
自らの居場所に戻るべき___レイノラはそう進言したが、バルカンは知るべき事実を知った上で戻り、周囲の神々に伝えると言って聞かなかった。結局は彼の正義感にレイノラが折れた。思えば彼はかつての戦いでも進んで前線に立ち、Gを牽制し続けてくれた。そういう男なのだ、鳥神バルカンは。
「あそこから入るつもりだが___」
「そうね。」
「中に誰かいる。」
「!?」
「お母さんへ___」
傷だらけの神殿の中で、女は一枚の布きれを掴んでいた。それは神殿の中にある小さな台座の一つに括り付けられていた。
「僕たちはオンコのところにいます___オコンのことか?」
神殿に風を阻むものはない。そこは広々とした円形のドームであり、石と硝子と空間が入り乱れた幻想的な屋根を八つの太い柱が支えているだけだった。
ビュゥゥ___
「___」
一際強い風が、女の手から布きれを吹き飛ばした。女は逆の手で阻もうとするも、金属製の手はそれほど器用ではなかった。
布を追って女は動く。そして___
ズドゴォォォッ!
「!?」
爆音が轟いた。
カレンが布を捕まえたそのとき、彼女が今まで立っていた床は罅入り、土煙を上げていた。
「外したか___!」
熱を帯びた蒸気は、鳥の嘴の隙間から漏れていた。振り返ったカレンも驚きを隠せなかった。しかし彼女はすぐさま平静を取り戻す。
屋根には大穴が空いていた。それはここに来たときから空いていたものだが、いまそこから巨大な鳥が四人の男女を背に乗せて舞い降りてくる。
「思わぬところで会ったな。」
「レイノラ___」
バルカンの背から降り立ち、レイノラとカレンが対峙する。
「カレン!」
「!?」
バルカンの背からグレインが身を乗り出して叫んだ。すぐにサザビーが襟首を掴み、一瞬にして羽毛の中に引き戻す。カレンに彼の存在を伝えるにはそれで十分だった。
「君は義に厚い人物だと聞いている。あの小兵をアヌビスが必要としていないにしても、君はどうか分からない。だからあえてこの状況で聞きたいことがある。」
「___脅迫か?」
「いや、取引だ。」
刺すように冷たい風が吹き抜ける。長髪を靡かせて見つめ合う二人の視線にブレはなかった。
「聞こう。」
その言葉に誰よりも喜んだのはグレインだったかもしれない。
「まず、ここで何をしていた?」
「戦いの気配を感じたから様子を見にきた。そしてこれを見つけた。」
カレンは布きれを宙に投げ、それは風に乗ってレイノラの近くへと流れると、黒い輝きに包まれて彼女の手元へ。
「リュカの書き置きか___」
「私はそれを見て、ここがソアラの居場所だったこと、その他大勢がオコンの所にいることを知った。」
「ソアラの居場所も知らなかったというのか?」
「知らなかった。」
「こちらにやってきてからの出来事は?」
「私たちが降りたのはムンゾの世界だ。無論、当時はそんなことを知る由もない。すぐにソアラが怒り、アヌビス様を罵った。怒りの矛先は竜樹にも向いていたが、あの女は反抗もできないほど疲れ切っていた。アヌビス様はソアラの怒りを一笑に付し、共に行動しないかと誘った。答えは言わずとも分かるだろう?我々はそこで別れ、互いに正反対の方角を目指した。そこから先、竜の使いがどう動いたのか私は知らない。」
真実身のある話に思える。アヌビスが完全にソアラを解放したのかはともかく、そこで道を分けたのは本当のことだろう。
「それからアヌビスはどうした?」
「ムンゾの世界を脱し、妖精神エコリオットの元に辿り着いた。奇異な男だがアヌビス様とは気が合うようで、彼からこの世界のあらましを聞くことができた。竜樹はエコリオットに羅刹のことを尋ね、知りたいことがあるなら探求神オルローヌの元へ行けといわれ、そこで別れた。」
妖精神エコリオットはつかめない男だ。それはレイノラも良く知っている。いわゆる天の邪鬼であり、アヌビスが自分にとって危険な存在と知りながら、あえて彼との交流を楽しんだりするような人物だ。
「ムンゾの神殿には?」
「その時には行っていない。目指した方角の綾だ。だからソアラもここに辿り着いたのだろう?」
「後で行った?」
「行ってみた。なるほど、ここの神は誰かに殺されたらしいと知った。」
「おまえたちではない?」
「物理的に無理だ。」
それは時間の関係であり、おそらくソアラがアヌビスとムンゾ殺害を結びつけなかったのもそのためだろう。
「ここに来たのは?」
「戦いの気配を感じたと言っただろう。」
「ソアラの行方を知らないのか?」
「知らない。彼女がここにいたのだと感じたのは、その書き置きのためだ。」
「アヌビスは今どこに?」
「それは言わない。」
カレンの返答には何の躊躇いもなかった。それが彼女の意志の強さであり、曲がったことを嫌う気性を現している。敵であれ、この女は嘘は付かないと感じさせる明確さが彼女にはあった。
「神が二人殺されたかもしれない。アヌビスはどうする?」
「それはこれから聞くこと。」
「どう動くと思う?」
「私は常にアヌビス様の意志に従うだけだ。」
「___」
グッ___
レイノラは沈黙し、おもむろに右手を揺り動かす。それまで微動だにしなかったカレンが、僅かに義手を軋ませる。
「うげっ!」
しかし緊迫はグレインの呻き声で断ち切られた。彼がバルカンの背から落ちたのだ。
「礼には礼を尽くす。この男は返そう。」
「あ___!」
グレインの腕から手枷が消えていた。彼は何度かつんのめりながら、慌ててカレンの元へと駆け出した。
「お、覚えてろ!後悔させてやる!」
ヘルハウンドのリーダーの斜め後ろに立つなり、グレインは威勢良く吠えた。その時、カレンの眉間には幾らかの力が籠もっていたが。
「感謝する。」
「礼の代わりにもう一つ聞きたい。アレックスという名の少年を知らないか?」
「___さあ?そういう少年は知らないな。」
僅かだが答えに躊躇いがあった。これまでより、少しだけ回答の呼吸が遅れていた。そしてカレンは問答を断ち切るように踵を返す。
「行くぞ。」
「ぐべっ!?」
レイノラたちを虚仮にするようなジェスチャーをしていたグレインの腹に膝蹴りを叩き込み、彼女はその身を魔力で包んだ。直後、青白い輝きに包まれた二人は風と共にジェネリ神殿から消えた。
「どうよ?」
「風のせいでしょう、匂いがそれほど残っていませんね。」
風通しの良いジェネリの神殿。その祭壇付近で棕櫚は念入りに鼻を利かせていた。
「ムンゾの神殿と共通する匂いは?」
「___血ですね。あと、先ほどの彼女の匂い。あの人は確かにムンゾの神殿にも行ってます。」
棕櫚の後ろを付いて歩くサザビーの姿は、端から見れば犬の散歩である。一方で、レイノラは天井に空いた大穴を、バルカンはそこかしこに散らばる破壊の跡を調べていた。やがて棕櫚が一声吠えると、神々も祭壇へと寄ってきた。
「天井の穴で何を見てたんだ?」
うるさく靡く髪に手櫛を通しながらやってくるレイノラに、サザビーが尋ねる。しかし答えたのはバルカンだった。
「内からか外からかではないのか?破壊の跡を見れば、衝撃の向きがどちらかは概ね分かる。」
「なるほど。で、どっちなんだ?」
「内側からだったわ。」
「すると迎撃の一発って可能性もあるわけだな。あれが敵の作った穴とは限らない。」
「ソアラだと思うわ。」
サザビーとバルカンの思案を断ち切るように、レイノラはことのほかはっきりと言い放った。
「本当か?」
その答えにサザビーは面食らった。予想していなかったというば嘘になるが、「まさか」の範疇でしかなかった。
「きっと竜波動。僅かだけど気配の残存らしきものがあった。彼女は竜の使いの力を駆使して挑み___敗れた。」
「だが___」
「腕の刻印が何の証明になるの?あれをただ信用するわけにはいかない。現実はもっと苛酷なものよ。」
「___望みがあれば縋りたくなるもんさ。それにソアラが負けた証明だってなにもないだろ?」
サザビーが煙草を取り出す。顔には出さずとも、多少の動揺はあったようだ。
「それはそうね。でもここで勝ったのは襲撃者の方よ。」
「そのようですね。」
祭壇を背にして語り合う三人の間に、棕櫚が割り込んだ。彼は犬の姿のままで、それでもいつもと同じ調子で語った。
「おそらくジェネリはほとんど動いていません。動かずにして、敵の餌食になったのだと思います。血の匂いはあるのに痕跡がない。とするとこの世界のルールからして、残念ながら彼女はもう生きてはいないのでしょう。」
それは認めざるを得ない事実なのだろう。レイノラもバルカンもすでに覚悟を決めた顔だった。
「それからソアラさんの匂いも確かにあります。」
「やっぱり___って、おまえあいつの前で犬になったっけ?」
「頼むから犬を撫で回したいと言われて個人的に化けてあげたことがあります。」
その瞬間だけ風が止まったかのようだった。最初に動いたのはサザビー。おもむろに棕櫚の横にしゃがみ込んで、犬の肩に腕を乗せる。
「___でよ、実際のところ気持ちよかったりしたわけ?そのさ、頭だけってことも___ぐげっ!?」
直後、彼の頭に女神の踵が振り下ろされた。
「さっさと進めろ。」
さて、気を取り直して___
「襲撃したのはムンゾを殺した人物だと思います。」
緊張感を損なうと思ったからか、人の姿に戻った棕櫚は一際重苦しい言葉を吐いた。
「一致する匂いがあったの?」
しかしその問いかけには首を横に振る。
「分かりません。ただ、問題はジェネリが戦っているのに動いていないことです。」
「戦っている?」
「多分この神殿の中を風が吹き乱れています。あの大穴は違いますが、柱や床を大量に傷つけるほどの風です。しかもその風は、例えば香水の瓶やら何やらを巻き込んで、一瞬にしてその匂いを神殿全体に散らばらせるほどの速さです。」
「同感だ。あの破壊痕はジェネリの秘技、シロッコに違いない。」
それは風の女神ジェネリの力の一つ。乾燥した熱風は、あらゆる水分を奪う破壊の風となる。バルカンが観察していた破壊跡は、その周辺まで深い罅が広がっていた。
「なるほど。で、それとムンゾ殺しがどうして結びつくんだ?」
「動いていないということです。俺は風の女神というと軽やかでしなやかな女性を想像しますよ。それが動かずに戦った。」
「動けなかった___と言いたいのね?」
「束縛されてたってわけか。」
「憶測ですよ。何せ俺はムンゾもジェネリもよく知りませんから。」
とはいえ棕櫚の鼻が当てになるのなら、その線が有力なのだろう。そもそもムンゾの異変に気付いていたジェネリが、怪しげな人物をそう易々と侵入させるとは思えない。だがその人物がムンゾの力を継承していたなら、例えば人の五感全てに枷をすることだってできる___つまり、ここでも先手を取ったのは敵なのだ。
「戻りましょう。これ以上の収穫を期待するべきではないわ。」
「___そうですね。確かに、それほど手がかりはないように思えます。」
「ならば私も自らの居場所へ戻るとしよう。」
そう言うなり、バルカンは雄々しい翼を広げて宙に舞い上がった。
「周りの神々にも伝えてくれる?」
「無論だ。」
「道中くれぐれも気を付けて。それから、もし紫色の髪をした女性に会うことができたら、私たちがオコンの所にいると伝えて。」
現実は受け止めねばならないが、それはレイノラとて苦しいことなのだ。彼女も決してソアラのことを諦めたわけではなかった。
「___分かった。」
その心根を感じたバルカンはしっかりと頷き、屋根の穴から大空へと飛びだしていった。
「百鬼たちにはどう伝える?」
「行方知れずだと言うことは話しましょう。」
「納得しないと思いますよ。」
「仕方のない事よ。その時はあの刻印で納得してもらうわ。」
「お〜お〜、自分で信用するなって言っときながら。」
「___何とでも言いなさいな。」
レイノラの身体から溢れ出た黒い霧が、サザビーと棕櫚の身体をも包み込む。
「我々は先に進まなければならない。今必要なのは、一刻も早く敵の影を掴む事よ。」
三人を包んだ闇の雲は、颯爽とジェネリ神殿から飛び出していった。
静けさに包まれたムンゾ神殿。
「こりゃ___」
「おっかねえよぉ、兄者ぁ___」
密やかに十二神の世界へと侵入した空雪と丹下山は、穴に飛び込んだタイミングの綾なのか、ムンゾの世界へと落ちた。彼らは気の向くままに進み、やがて神殿へと辿り着いた。
流れ者の彼らは、奇異なものに巡り会う星の元にあるのだろうか。レイノラたちが見向きもしなかった神殿の一室に、彼らは足を踏み入れていた。
「どういう仕掛けだ?」
暗い部屋に松明を翳し、空雪は天井を見上げていた。そこに浮かぶのは無数の人影。
「この生々しさは普通じゃねえぞ___」
それは悶絶する人そのものだった。天井から逆さに、無数の人が悶絶の顔で硬直している。身体の半分を飲み込まれるような形で、人々が天井に刺さっていた。いや___埋まっていると言うべきか。彼らの身体と天井の間に隙はなく、肌の色合いも含めて同じ石の色だった。
「あ、兄者!」
丹下山が声を裏返らせて、天井の一角を指さした。そこでは天井と一体化していただろう男の一人が、蠢きつつ形を変えていた。
「生きてるんだよぉ兄者!」
「いや違う。」
空雪は片目で天井を睨む。蠢いてはいても、男の表情は何一つ変わらない。むしろ底なし沼に落ち込むように、その身体をどんどん壁へと埋没させているように見えた。
「食われてやがる。」
「ひぃぃっ!」
「ビクビクするな!てめえの臍だって似たようなもんだろうが!」
「お、俺はしまうだけだい!」
やがて天井の男は跡形もなく消えた。ただそれでもまだ十人以上の人々が天井に身体を埋めている。
「こいつぁおそらく詰め所だ。こいつらは有事に備える戦士だ。」
「た、確かに武器があるもんなぁ。」
そう、部屋には武具が備えられていた。装飾品とは違う、実用的なものだ。
「だが突然天井に食われた。」
「どうしてぇ!?」
「知るかこのスカタン!」
苛立ちを込めて、空雪は丹下山の臑を蹴飛ばした。
「行くぞ。ここは危険だ。」
踵を返した空雪に、丹下山は時折臑をさすりながら、それでも飛び跳ねるようにして続いた。
彼らがムンゾの神殿で見たもの。それをレイノラたちが見つけていれば、また違った対処ができたかもしれない。天井の仕掛けが何であるかも暴いたことだろう。
それはムンゾの術だ。束縛の神ムンゾは、いわばソアラの父である水虎の能力、陣に近い術を得意とする。おそらくその人物は誰に気取られることもなく、まずこの神殿の最深部でムンゾを殺すことに成功した。居合わせた神官たちをも瞬時に抹殺し、それから得たばかりのムンゾの能力を使って、神殿の住人を皆殺しにした。
だが、その全てを一度きりに殺すことはできなかったのだ。それは自らを守るためでもある。ムンゾという強力な存在を殺めたことで、身体にその力が流れ込む。それに対応しうる肉体を持たねばならない。現状で肉体にさらなる力を注ぎ込むことは控えなければならない。
天井はいわば冷蔵庫だ。お腹が一杯だから後で食べようというものを一時保存しているだけなのだ。
空雪と丹下山は、敵の「食事」に遭遇した。敵はムンゾの束縛術を用いることで、その場にいずして冷蔵庫の食べものを摘んだ。敵は「自らの強化に貪欲」であり、「それに耐えうる肉体」も持ち合わせている。これは重要な事実だ。
だがその場に居合わせたのが大事に無関心な二人であったことは、不幸としか言いようがなかった。
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