3 小さな反乱
「そうだ、突然身体の内側から引き裂かれるような感覚だった。何がなんだかわからねえうちに視界がぐるぐる回ってきやがった。そこをこの姉ちゃん、いや姐さんに助けられたってわけだ。」
石造りの腰掛けに座り蕩々と語るのは眼帯の男、空雪。彼は神妙な面もちで、それでも普段の鋭敏さを携えたままそこにいた。
「まさしく姐さんは命の恩人で!」
弟分の丹下山が太い身体を必死に折り曲げてひれ伏す。お世辞かどうかは別にして、その態度はできる限りの感謝を体現していた。視線の先にはフュミレイがいる。
「アヌビスは多くの妖魔を雇いながら、連中に邪輝を住まわせていたようです。」
「用意周到というわけね___」
フュミレイの言葉にレイノラは深い溜息をついて答えた。
ここは界門の一角。白廟泉を中心にほぼ吹っ飛んだ闘技場跡が見える建物の屋上だった。そこにはレイノラやフュミレイだけでなく、百鬼、ライ、フローラ、サザビー、ミキャック、さらにはリュカにルディー、棕櫚、バルバロッサ、榊、耶雲、さらには玄道に吏皇までいる。
いないのはソアラだけだ。
事を整理しよう。
まずアヌビスが榊を引っ張り上げ、竜樹も奪回した方法。もとより彼は竜樹に自らの血肉にも等しい力、邪輝を宿らせていた。この時点で竜樹は彼の意志に逆らえない。そしてレイノラたちがなんとしても彼女を奪う、或いは限りなく白廟泉から遠い彼方に追いやるだろうと想像していた。竜樹を力ずくで動かすのは無理として、一瞬で彼女を白廟泉から遠ざけるには、話に聞く闇の番人の力を借りるのが最善だ。案の定、事は想像通りに動く。百鬼がいくら説得しようと、竜樹がアヌビスの手の内にある以上結果は変わらない。むしろ百鬼なり榊なり、いざというときソアラを突き動かす駒まで得ることができた。
白廟泉を満たした方法。アヌビスは白廟泉を満たすための殺し屋として多くの妖魔を雇っていた。しかし殺し屋たちはレイノラの配した守護者に仕事を阻まれる。だがそれも想定済みだった。殺し屋そのものの命を奪えば事足りる。金のやり取りととともに彼らに宿した邪輝で、内から命を絶てば済むことだ。うまくいった。実際に白廟泉は殺し屋たちの命で満ちた。フュミレイが強い魔力で邪輝を抑え、空雪と丹下山の命を守ったとしても、それは微々たるものでしかなかった。
そして___アヌビスはおそらくは十二神のいるであろう、Gの眠るであろう世界へと消えた。
穏やかでない。
阻もうとしたことは何一つできなかった。そればかりか___ソアラまで奪われた。
「とにかくこのままにしてはおけねえ。ソアラを助けに行く。」
百鬼の言う通り、ソアラを助け、アヌビスの野心に終止符を打つためにも、できることをやらなければならない。これからどう動くか、その道は自ずと決まっていた。
「どうやって?」
しかしできないことはやりようがない。煙草を挟んだ指で、サザビーは眼下に臨むすり鉢状の窪みを差した。再び干からびた白廟泉の成れの果てである。
「___やりようはあるはずだ!」
百鬼は焦燥を剥き出しにして、落ち着かない身振りで訴えかける。しかし反応は乏しかった。レイノラは沈黙のまま腕組みをし、サザビーは虚空を見て煙草を吸い、ミキャックは空雪と丹下山が気になるのか視線が落ち着かない。その中で百鬼に歩み寄り、彼の手に触れたのはライとフローラだけだった。ただ彼らにも策があるわけではない。
「僕も気持ちは同じだよ。」
「みんな焦っているの。でも今は冷静に考えないといけないわ。それに___アヌビスがあえてソアラを浚ったんだから、その___彼女の命を奪うことはないと思うの。」
確かにそうだ。それは理解できる。そもそも無限の刻印が消えない限り、ソアラは無事だと確信している。だがあまりにも釈然としなかった。
「くそ___何でソアラまで!」
百鬼はその場に座り込み、やるせない苛立ちを拳に込めて床を叩く。その怒りを静めるように口を開いたのは棕櫚だった。
「それが狙いだったのかもしれませんね。」
ある程度考えがまとまったのだろう、彼は蕩々と話した。
「アヌビスは俺たちも十二神の世界に連れて行きたかったんだと思います。」
「どういう事?」
「遊び半分とでも言いましょうか。」
「ふざけやがって___!」
気紛れで引っかき回されるのは今に始まったことではない。だが百鬼は改めてアヌビスにやるせない怒りを覚える。
「しかし___この遊びが彼にとって重要なんだと思います。つまりソアラさん、あるいは我々、とくにレイノラさんを十二神の世界に連れて行くことが、です。」
いつものようにもったい付けて、棕櫚は続けた
「一言で言えば攪乱戦法ですよ。」
「攪乱___?」
ライが呟く。
「十二神の世界は我々にとってもアヌビスにとっても未知数です。全くの無知の中で動くには大きな勇気と決断が必要。そいつが大いなる野心を持っていればなおさらね。まずは知ること、あるいは知られることが重要になります。」
「で、どういう事なんだ?」
答えを急くように、百鬼が問いかける。
「ソアラさん、あるいは我々の誰かでも構いません。十二神の世界にアヌビスと共に降り立ち、アヌビスから逃れられたとします。どうしますか?」
「十二神に危機を伝えに行く___」
「それが狙いです。アヌビスは十二神との接点を得るための駒を一つ、向こうに持ち込んだというわけですよ。未知の敵ではなく既知の敵なら扱いやすいしですしね。それを敵の本丸に投じておけば、いずれ本丸攻略の突破口になるかもしれません。それから、敵に危険な存在がやってきたと分からせることも重要です。それによって敵は緊張状態になります。しかも駒を通じてこちらのイメージを吹き込むことで、警戒に癖を付けることもできます。あるいは敵の身内に潜む野心を掻き立てることもできるかもしれません。」
「静寂の池に一石を投じるということね。」
レイノラの言葉に棕櫚は頷いた。
「石を投げればじっとしていた虫や魚が動き出します。しばらく、泉に静寂は戻りません。」
「それが攪乱戦法___か。」
納得はしたが、だからといって自分が大人しくしている理由にはならない。百鬼はもう一度床を叩いて立ち上がった。
「アヌビスがソアラを浚った理由は分かった。次は俺たちが向こうに行く方法を考えようぜ!どっちにしろソアラを助けに行くしか道はねえんだ!」
幾らか冷静さを取り戻したものの、百鬼は持ち前の情熱を隠すことなく訴えかけた。それに呼応するように、ライとフローラが頷き、サザビーも煙草を踏み消して振り返ろうとする。しかし思わぬ叫声が彼らの動きを止めた。
「もういいじゃん!」
一番驚いたのは百鬼だった。背中に投げかけられた良く聞く声に、彼は振り返って身を強ばらせた。
「もういい!もうお母さんの事なんて放っておけばいいじゃん!」
ルディーだ。あまりに唐突で、思いがけなくて、百鬼はただただ絶句していた。皆も驚きを隠さず、レイノラでさえいつもより少し目を見開いていたようだった。
「お父さんがどんなに心配したって、お母さんあたしたちのことなんてどうでもいいんだもん!放っておけばいいんだよ!」
「何言って___」
「いつもだもん!いつも___側にいるって言ったのにいつもあたしたちのこと置いてどこかに行っちゃうじゃん!そんな___そんなお母さんなんていらないよ!」
ルディーは爆発していた。九つという年齢以上に大人びて見えた彼女は、内に深い蟠りを抱えていた。母への不信は天界でその片鱗を表し、再会により消え失せ、黄泉で再び燃え上がった。百鬼の反論を許さないほどの迫力は、幼いながらもソアラによく似た顔から放たれていた。
「お母さんなんて大っ嫌い!」
「ルディー!」
ソアラが浚われた動揺、それ以上の動揺が百鬼を襲う。適当な言葉を見つけることができず、百鬼はルディーを一喝してしまった。ルディーの肩は一瞬ビクリと震えたが、それでも紅潮した顔で父を睨みつけ、真っ向から刃向かった。
「お父さんだって___お父さんだってフュミレイさんのことが好きなくせに!」
「!?」
百鬼は息を飲んだ。まさかそんな言葉が出てくるとは想像もしていなかったのだ。
「あたし見たもん!お父さんが___お父さんがフュミレイさんと___!」
言葉にはならなかったが彼女の言わんとしていることは分かった。それをルディーに見られていたとしたら、全く言い訳のできない罪である。母ではない女との関係で子を惑わしたこと、それを非難されれば弁解の余地などない。しかし___
「あたし___フュミレイさんがお母さんだったら良かった!」
ルディーの口をついて出たのは父への非難ではなく、母への当てつけとある種の憧憬だった。その言葉は百鬼を困惑させただけでなく、努めて冷静だったフュミレイを驚かせた。彼女の隻眼とルディーの涙で一杯になった鳶色の眼差しは、一瞬にしろ確かに交錯していた。
「馬鹿!」
耐えかねたか、誰に言うでもない捨て台詞を吐いてルディーは階下へ。転んだのか派手な音を立て、それでもまたすぐに乱暴な靴音を響かせて駆けた。
「いっちまった。」
新しい煙草を取り出し、眼下を走り去るルディーの背中を見てサザビーが呟いた。
「どっちだ?」
言葉尻を重ねるように百鬼が問いかける。
「裏街の方だ。」
「行ってくる。」
「僕も!」
そう叫んだのはリュカだった。彼にはルディーのような悲壮感はなく、紅潮した頬で熱っぽく続けた。
「お母さんは悪くない!ルディーに教えるんだ!」
「リュカ___」
双子でも感じ方は違うものだ。大人びたルディーよりもリュカの方が芯は強い。ルディーよりも甘えん坊に見えて、彼は幼いなりの自我を持っている。父である百鬼も今になって初めて気付かされたことだった。
「よし、行くぞ!」
「うん!」
去り際に百鬼はフュミレイを一瞥した。顔に出さずとも旧知の仲。視線で彼女に心「配するな」と訴えかけ、フュミレイも顎先だけで頷いた。
「やれやれ、問題の多い家庭だな。」
良く似た親子が駆けていくのを見送りながら、サザビーが煙草の煙を吐き出す。
「そうかしら?あたしたちの家庭環境を思えば___」
「あ〜、確かに確かに。」
フローラの自虐的な冗談にサザビーは笑いながら頷く。急に静かになった屋上には、ソアラを追いかけようという気勢を削がれたせいか、どことなく澱んだ空気が漂っていた。
「さて、俺たちはこれで失礼するぜ。姐さんには感謝の言葉もねえが、おたくらの災禍に巻き込まれるのはまっぴら御免でね。それに、どうにも関わりたくねえ顔もあるもんだから。」
そう言って腰を上げた空雪は、深い皺を畳んだ笑みでミキャックとサザビーを見やる。
「あたしたちも関わるつもりはない。」
ミキャックが怯んだのを見て、フュミレイは空雪を睨み付けた。笑みなど無い。
「姐さん、ご恩は忘れやせん。」
「右に同じく!」
「左だな。」
「向かって右でして!」
「早く消えろ。」
「へい!」
冷然とした言葉に尻を叩かれるようにして、空雪と丹下山は去った。
「んでレイノラさんよ、これからどうする?」
再び短い沈黙が舞い戻ると、すぐにサザビーが言った。
「白廟泉を復活させ、その向こうへの道を開く妖魔を見つけだす___ですね。」
口を開かなかったレイノラを代弁するように、棕櫚が答えた。
「でもどうやって?」
素朴だが難問だ。ライの言葉に棕櫚も首を捻った。
「妖魔はいる。」
「鵺ですね。」
「不本意だがあいつの力を借りるしかないと思う。いいだろ?」
「___」
屋上の隅で背を向けて安座するバルバロッサは、サザビーの声に沈黙をもって答えた。
「吏皇さんからも頼めるか?」
「尽力しよう。」
鵺にとっては父の死を思い起こさせることだ。説得は容易でないだろうが、やるしかない。
「問題は白廟泉だ。満ち足りるだけの殺しでもするか?」
「冗談!」
当然そんなことはできない。だがそうする以外に手だてはないようにも思える。云十年と時間を掛ければやがて白廟泉は満ちるだろうが、それを待っている余裕もない。
「何か知恵はありませんか?」
「どうじゃ?」
ミキャックが榊に問う。だが榊は受け流すように隣にいた耶雲を見上げた。
「冗談きついぜ。知ってればとうの昔に話してら。」
白廟泉の守護者であった北斗の知識を得ている耶雲でさえこの有様。八方塞がりに思えたが___
「私が力になれるかもしれません。」
光明はあった。
「私の能力なら、あの泉を蘇らせることができると思います。」
玄道だ。
「ルディー!」
広い界門、しかも今は「街」ではなく、人の気配がない「街跡」である。ここに紛れて消えた子供を捜すのは難しい。彼女に避けられたらそれこそいつまでたっても見つけることはできないだろう。ただそれでも百鬼は叫び、走り続けた。
「ルディー!どこだーっ!?」
必死になることが娘への罪滅ぼしとも言えた。
「僕向こう見てくる!」
「あっ!おいっ!」
大通りを外れる細道へ、リュカは百鬼の声も聞かずに駆けだした。
「ちゃんとさっきの建物に戻るんだぞ!」
「うん!」
アヌビスが消えた今、ここに危険があるとも思えないし、手分けをするのは悪くない。百鬼はリュカを見送ってからまた大通りを走り出した。
「___」
しかし暫くして___ふと足を止めると彼は急に踵を返した。元来た道を戻り、先ほどリュカが入り込んでいった細道の前で立ち止まる。
「双子って___知らないうちに同じ事をするって話があったよな___」
そして彼もまた、ジメジメした暗い細道へと飛び込んでいった。
___
たどり着いたそこは、より黄泉らしい建物が並ぶ場所だった。草の垣根、こけむした石垣、木組みの家屋、それらはソードルセイドの景色を思い起こさせる。なぜ黄泉とソードルセイドの文化が似ているのかなんて考えたこともなかったが、もしかすると遠い昔、世界はどこかで繋がっていたのかもしれない。
(んなこと考えてる場合か!)
何気なく物思いに耽ってしまった自分の頬を叩き、百鬼は再び歩みを進めた。すると___
「___は悪くないよ!」
「___約束破ってばかり!」
甲高い声が耳に届いた。まだ遠い、しかしどちらも張り裂けんばかりの涙声だというのははっきりと分かった。
「あたしたちと一緒にいるって言ったのに___!」
「お母さんはいつも一緒にいる!」
「どこに!?いないじゃん!」
些細な喧嘩は良くあることだ。でも今は違う。真っ向からぶつかって、それは喧嘩と言うより戦いの域に達しているかのようだ。声が上擦ったり、途切れかけたり、やがてギャーギャーと喚き声しかしなくなると、いよいよ百鬼は焦った。
「ルディーの馬鹿!」
「リュカの方がずっとずっと馬鹿のくせに!」
たどり着いたそこは社だった。厳かな雰囲気の社の前で、リュカとルディーが土にまみれながらもみ合っていた。互いに幾らか擦り傷はあるようだが、武器を持っている二人が子供の喧嘩で留まってくれたことに百鬼はホッと息を付いた。そして___
「それまでぇっ!!」
腹から出した大声で一喝する。すると二人の動きがピタリと止まった。もみ合ったまま、汚れた顔を百鬼に向ける。
「時間切れ引き分け!両者倣え!」
条件反射のようにリュカが立ち上がって百鬼の左手に数歩進んで向き直る。ルディーも頬を膨らましながら、右手のリュカと向かい合う位置へ。
「礼!」
「ありがとうございました!」
「___ました。」
リュカに釣られるようにして、ルディーも渋々ながら小さく頭を垂れた。ソードルセイドの武道の心得を教えていたこともあり、百鬼は昔からこうして喧嘩を諫めていた。実に二年ぶりくらいだが、九つになった二人にも効果はあったようである。
だが、だからといってルディーの機嫌が戻ったわけではない。リュカとの喧嘩で零した涙の痕跡こそ赤い瞼に残っているものの、いまは頑としてふて腐れ顔を貫き通していた。
「ルディー。」
「あたしはお父さんは悪くないと思う。」
言葉を濁らせることなく、ルディーは持ち前の強気ではっきりと言った。
「いつもお母さんにほったらかしにされて、だからお父さんが他の女の人を好きになっても、それは悪くないと思う。お母さんのせいだもの。」
「違うよ!」
リュカが物言いをつけるとルディーは彼をキッと睨み付ける。その表情一つ一つがソアラにあまりにも良く似ていて、百鬼はなんだか可笑しくなった。
「うははっ、ルディー、おまえのそう言う態度、母さんにそっくり。」
「そんなことない!」
「いんや、良く似てる。やっぱり俺たちの子だよなぁ。」
「う〜!」
「まあまあ。母さんはずっと側にいるって言ったんだな?でもおまえを残してどこかにいっちまった。でもよ、あいつだっておまえたちのことを大好きだし、信じているからアヌビスに立ち向かうんだぜ。」
「何でお母さんじゃなきゃいけないの!?お母さんはどうしてあたしたちと一緒にいるより、アヌビスと戦うの!?」
「それがお仕事だからだよ!」
リュカが敢然と言い放つ。その言葉は実に的確なのだが、百鬼は驚きもした。ソアラはアヌビスとの戦いを決して望んではいないが、もはや避けて通れないと感じている。運命とか宿命とかいう言葉は使いたがらないが、端的に言えばそういうことだ。それは計らずともソアラの人生の多くがアヌビスとの戦いに費やされてきたこと、そのために彼女が多くのものを得て、多くのものを失ったこと、さらにアヌビスが自分の先祖代々からして縁のある仇敵であったこと、これだけの接点を無にしようというのは無理な話だ。竜の使いのことを知った時点で、ソアラがアヌビスを知りアヌビスがソアラを知った時点で、遅かれ早かれ好奇心旺盛な二人は干渉しあうことになったのだ。
ただ、それを九つになる息子が何となく理解していることは怖い。ソアラの息子に生まれた以上、自らもアヌビスとの戦いを受け入れざるを得ないとおそらくは自覚しているところが恐ろしい。きっとルディーもなんとなくそれに気付いているし、リュカよりもその宿命を恐れている。母がアヌビスを追う限り、自分もアヌビスに近づかなければ母の愛を感じることができない。愛と恐怖の狭間で、彼女は混沌としているのだろう。それは昔ソアラが、自らの色の特異性を理解しその意味を追い求めながら、普通の女であることを望んでいたのと似ている。
「アヌビスは悪い奴だ。あいつを放っておいたら、俺たちにとって大事なものが奪われるかもしれない。だからソアラは戦うんだよ。」
「大切なものって!?」
「一番は、おまえたちを守りたいからだ。おまえたちを戦いに巻き込みたくないから、ソアラは時々おまえたちから離れる。でも、俺たちはいつも繋がっている。それが家族だからな。」
そう言ってルディーの前にしゃがみ込むと、百鬼は左腕を見せた。
「___なにこれ?」
そこには無限を意味する紋様が刻まれている。
「これが俺と母さんを結んでいる。洗ったってきえねえぞ、二人が結ばれている限り絶対に消えない模様だ。俺と母さんは互いに信じて、愛し合っているから、この印がある。これが俺たちの絆の証明さ。」
「___」
ルディーはふて腐れ顔のままだった。しかし怒りは和らぎつつあった。悔しいけど、どうにもならないことを受け入れつつあった。
「なあ、昔話をしてやろうか?」
「どんな?」
「俺と母さんと、あの銀髪の姉ちゃんの話。」
「___」
ルディーは結んだ口を尖らせて、小さく頷いた。
「よ〜し、ならそこに座ろうぜ。」
「僕も聞きたい!」
「お〜もちろんだ!俺がどんなにモテモテだったか教えてやる!」
「嘘ばっか。」
「ふっふっふっ、甘いなルディー!」
それから百鬼を真ん中に、両側を子供たちが挟むようにして、社の前で賑やかな昔話が始まった。一人の男と二人の女の恋物語。百鬼がそれを話そうと思ったのはルディーの誤解を解くためもあったが、なにより二人が少し大人になったと実感したからだった。
そうそう、ここはソアラと玄道が過去を語った社でもある。道順を覚えていたのかどうかは定かでないが、母の残り香に引かれるようにして、気付いたときルディーはここにやってきていたのだ。
「ただいま〜。みんないるか〜?」
ソアラとの馴れ初めは掻い摘んで話していたものの、これまではフュミレイのことを伏せていた。彼女のことを加えるといろいろと長くなる話しもあって、またルディーがフュミレイのことに興味津々だったから、百鬼たちが皆のいた建物に戻ってきたのは随分と遅くなってからだった。
「いや〜遅くなって悪かった。」
屋上にいた皆は、建物の二階にあった畳敷きの大広間に集まっていた。ひとまずは腹ごしらえと言うことで意見がまとまったのか、フローラのお手製だったろう料理の匂いと、空っぽの料理皿がいくつか並んでいた。
「機嫌は直った?」
フローラが優しく問いかけると、ルディーは少し恥ずかしげな顔で広間を見渡し、そこにフュミレイの姿を見つけると視線を止めた。
「ほら。」
百鬼に背を押され、ルディーは一歩前へ。
「ごめんなさい!私はやっぱり___お母さんのことが大好きです!」
気恥ずかしさはあったろう。でもそう宣言した後のルディーの顔は清々しく見えた。それこそが蟠りが解けたことの現れである。
「それと___!」
ルディーは急に走り出し、一目散にフュミレイの前へ。そして___
「弟子にしてください!」
ニヤニヤしている百鬼を除いて、誰しもが呆気にとられた。ルディーの視線を感じながら目を合わせないようにしていたフュミレイが、一番驚いた顔をしていた。
「お願いします!フュミレイさんみたいな魔法使いになって、お母さんと一緒に戦いたいんです!」
ルディーの言葉は熱を帯びて響き渡った。だがその時、ライ、フローラの視線は百鬼へと移った。そして我が子の「戦いたい」という願いを、父が力強い笑顔で頷いて聞いていることに胸を打たれた。戦いに巻き込むことを避けてきた百鬼をそういう気持ちにさせたのは、彼が二人の成長を感じたからに違いない。
子供の成長は早い。親もそれをつぶさに感じ取り、成長しなければならない。充実した父の横顔を見るにつけ、ライとフローラは未だその手に戻らないアレックスを思い、焦燥を掻き立てらた。
「お願いします!」
ルディーは髪を振り乱して何度も礼をした。
「なぜ私に?」
フュミレイの言葉でルディーは頭を振り上げて、彼女の前に気を付けする。こういう姿勢は武人の父の教育の成せる技か。
「___格好良いからです!」
そして隠し立てのない答えを、それでも頬を赤くしながら叫ぶ。その瞬間、先ほどまで泣いていた残骸だろう、鼻から一筋の鼻水が滴った。
「___ふっ___ふふっ。」
一本気なルディーの姿は、ソアラの顔をした百鬼のようでもあった。荒い呼吸と合わせてやんわりと上下する鼻水の効果もあってか、冷然を崩さずにいたフュミレイが根負けしたかのように笑った。
「あたしはお母さんよりも厳しいよ。」
「結構毛だらけ俺の臑、です!」
「?___それはお父さんの真似か?」
「そうです!よく言ってます!」
「あははは!ルディー良かったなぁ!フュミレイがお師匠さんになってくれて!」
額に汗しながら割って入った百鬼が、ルディーの頭をぐちゃぐちゃに掻き回して高らかに笑う。
「い〜た〜い〜!」
「ルディー、臑に火を付けてやれ。きっと良く燃えるぞ。」
「む〜!」
「あちち!お、おまえ本気でやりやがったな!」
広間は急に賑やかになった。何はともあれ、意外性の新コンビ誕生。ただフュミレイにとって複雑な心境なのは間違いない。もう終わったこととはいえ、三角関係に破れた女に娘の家庭教師を託すというのは大胆にもほどがある。そもそもが、いつの間に彼らの一団に組み入れられたのか?
「フュミレイ!師匠を引き受けたからにはソアラ探しにもつきあえよ!」
臑に火を付けて飛び回りながら、百鬼は叫んだ。要するにルディーをダシにして彼が言いたかったのはそれなのだろう。
「___はいはい。」
馬鹿らしい光景と露骨な計略に小さなため息を付いて、フュミレイは呟いた。ちょっと前に今生の別れのようなことを告げておいて、次の日にはこれだ。
(相変わらずデリカシーのないやつ。)
心中でそう零したくなるのも無理はなかった。
「あれ?そういえばサザビーたちがいねえな。」
ミキャックの治療を受けながら、百鬼が思い出したように言った。
「遅いな!今頃!?」
これ見よがしに畳で転倒し、ライが上擦った声を上げる。
「あ、レイノラもいないじゃねえの。」
「呼び捨てにしない。」
「いでっ!」
ミキャックがムッとして治りかけの臑を平手で打つ。そう、確かに広間にいたのはライ、フローラ、ミキャック、フュミレイだけだ。今、フローラとフュミレイは百鬼たちの腹ごしらえのために台所に向かい、子供たちも手伝いに行っている。ここには三人しかいないのだから、ライの言う通り今更気付いたのかという感じだ。ではレイノラたちはどこへ行ったのか?
「鵺を説得しに行ったんだよ。」
「鵺?例の扉を開く妖魔って奴か。でも白廟泉は?」
「新覇王の能力で何とかできそうなのよ。」
「玄道の!?」
ソアラの弟の能力で!?もしそれが本当なら、ちょっとばかり運命を信じてみたくなる。
「ソアラがあいつは覇王決定戦で一度も能力を使っていないって言ってたぞ___あいつの能力ってなんなんだ?」
その言葉を待っていましたとばかりに、転んだままでいたライが起きあがって百鬼の前に座り込む。
「びっくりするよ。」
「なんなんだよ。」
満を持して、ライは答えた。
「時を巻き戻すのさ!」
前へ / 次へ