2 心の波

 竜樹が会場の四分の一を大破させたことによって、また少なくとも一夜の休息が取られることになった。この恩恵を受けたのは他でもない竜樹だったろう。それほど彼女の消耗は激しかった。しかしフュミレイと仲違いしても、新たな友が彼女の傷を癒してくれた。そして心の傷さえも埋めてくれていた。
 「ありがとう、今は俺に目的を与えてくれたことに感謝してる。」
 「俺の方こそ協力に感謝する。」
 竜樹は黒犬の姿の牙丸と握手を交わしていた。傷は癒され、体力も回復していた。そして二人の間には何らかの利害の一致もあった。

 「あんな変化があるなんて思わなかった。結局あの子って何者なのよ。」
 医務室には自分も含めてフローラ、ミキャックと女性しかいないものだから、ソアラは恥ずかしげも無く裸で傷の治療を受けていた。ただその間も思い浮かぶのは竜樹のことだ。
 「あたしはよく分からないよ。天界でレイノラ様に絡んで少し会っただけだから。でもあの子、フュミレイさんと一緒に行動していたみたい___」
 「なんですって!?いててっ___」
 「傷が開くわよ。」
 背中、胸、右腕、どれもこれも深手だった。フローラの呪文の威力も凄まじいのだが、見た目にもまだ傷跡が消えていない状態でこれだけ動けるソアラもまた立派である。
 「で、フュミレイと一緒にいるって?」
 「そう___レイノラ様はフュミレイさんに一緒に来ないかって誘ったんだ、でも彼女は今はあれがパートナーだと思っているからって。」
 「そうか___あたしが会ったときも同じようなことを言っていた。でもなんで?フュミレイはどうして彼女と一緒に?って分かるわけないか。」
 「うん。」
 ソアラはフュミレイとの再会を思い出してみる。彼女はパートナーのことをなんと言っていただろうか?
 「___互いに都合がいい___」
 「は?」
 「うん、確かフュミレイがそんなことを言っていた気がして。」
 「どういうこと?」
 「さあ___」
 これだけでは何とも言えない。ただ頭では色々と考えてみる。二人にとって都合のいいこと___例えば力と頭脳の融合、確かにあの二人がペアを組んだら強そうだ。餓門クラスの妖魔が相手でもひけは取らないだろう。行動派の竜樹と、思慮深いフュミレイ、或いは熱血と冷淡の融合、思い浮かべていくとどうにもこうにも二人が対局過ぎておかしくなってくる。
 「何にやけてんのさ。」
 「え?あ〜、痛気持ちいいって感じだからかな。」
 「マゾ?」
 「___まあ、どっちかって言えばそうかも。って何を言わすのよ。」
 一人上手もいいとこじゃないか、と言いたい気持ちがミキャックの尖った口に現れていた。
 (ん、まてよ?人のつながりってどうよ、例えばあたし絡み___いや!百鬼か!?)
 竜樹は百鬼に好意を抱き、ソアラに妙なライバル心を抱いている。フュミレイにしてみれば、彼女を使ってこちらの動きを知ることができるまさに都合のいい存在___
 いや、やめよう。こんなことを考えても憶測の域を出ない。知りたければフュミレイに直接聞けばいいことだ。
 ただ考えれば考えるほど竜樹の嬢ちゃんは自分に縁がありそうだ。これだけ結びつきが見えるともはや偶然ではすみそうもない。あの小うるさいのと腐れ縁、である。
 「今度はなにさ、溜息なんかついて。」
 「ま〜いいじゃん。若奥様には悩みもあるっての。」
 「若ではないでしょ。」
 「それは言わない!」
 露骨に反応をしたせいで、また治りかけの傷が痛んだ。
 ところで百鬼はどうしたのか?
 「ふぅ、やれやれ。ありがとな。」
 ライたちの肩を借りて一足先にアパートへと戻っていた。医務室はあくまで大会参加者のもの。あらかた治癒がすんだなら、敗者はすぐに退室が基本である。もっとも彼らの一団でもう勝ち残りはいないわけだから、このアパートにもいよいよ用が無くなってくるわけだが。
 「まだ身体は駄目なんだな?」
 サザビーの問いにベッドの上で百鬼は頷く。
 「みたいだ。俺の体力そのものがもう少し自己回復しないと、回復呪文もいまいち効果が薄いらしい。いまはミキャックのぶち込んだ火種をフローラが膨らましただけで、なんつーか外側だけ綺麗に取り繕ったって感じだな。だから実際はまだ包帯ぐるぐる巻きみたいな状態らしいぜ。」
 その割に口調は明るい。何であれソアラが無事だったことが彼をほっとさせたのだろう。それこそソアラが敗れてからしばらくの間は、目も当てられないほど取り乱した顔に見えた。
 「んじゃ叩いたら痛い?」
 「やめろよおまえら!」
 ベッドの両脇でニヤリと笑って父の臑を見つめる子供たち。どうやらMの母の子はSだったらしい。

 観衆が去ると闘技場は静けさに包まれる___というわけではない。アヌビスの見つけた鉱物を再生する力を持った妖魔を中心に、慌ただしく修繕作業が始まるのだ。ただその音が響く頃には、覇王決定戦にご執心な人々は会場を去っている。
 「___」
 その時が来るまで瞑想をして、フュミレイはようやく控え室を立った。何となく嫌な予感がしていたから。
 「やっほ〜。」
 「う。」
 感づかれないように気配でも消していたのだろうか?それとも自分の瞑想が単に未熟だっただけだろうか?扉を開けるなりニコニコ顔のソアラとその後ろで苦笑するフローラ、ミキャックに出迎えられ、フュミレイは顔色を曇らせた。
 「何よその露骨に嫌そうな顔。」
 「実際こういう出迎えは嫌だ。」
 「あなたのパートナーにやられたんだからね、ちょっとは労ってよ。」
 その言葉にフュミレイは一瞬とはいえ顔色を曇らせた。彼女はソアラがそんな些細な表情の変化を感じ取れる探偵のような目をした女であることを良く知っている。
 「どうかした?」
 「___今は切れたよ。」
 「そうなの?」
 「ちょっと前にな。」
 きっかけを作ったのはソアラの罠だが、それを悪い方向に導いてしまったのは自分自身。フュミレイには委細を話すつもりなど毛頭無かった。
 「あの子どういう子?」
 「純真可憐な癇癪持ちさ。」
 「うまいわね。」
 「だろ?用はそれだけか?」
 早々に話を断ち切ろうとするフュミレイ。ソアラはまだ終わっていないとばかりに大きく首を横に振った。
 「あの子の性格は私もだいたい分かってる。そうじゃなくって、あの子の変身よ。あれが能力なの?」
 「あたしも良く知らないよ。そこまで踏み込んだ話は聞いていない。」
 「___そう。」
 「ただ、あいつ自身あれに苦しめられているのは確かだ。望んでああなったのを見たのは___さっきが初めてだからな。」
 「昔のあたしと似てるかしら?」
 二人の視線が交錯する。ソアラの露骨な好奇心に輝いた瞳に対し、フュミレイは冷然の内にささやかな嘲りを宿した瞳を向ける。
 「そう、わかった。」
 「答えてない。」
 「顔を見れば分かるわ。」
 「光栄だな。」
 そう言って立ち去ろうとするフュミレイだったが、ソアラは彼女の前に回り込んで進路を遮った。
 「もう一つお願い。もう一度百鬼と会って。」
 「___なんで___」
 明らかな嫌悪を滲ませた声でフュミレイは答えた。
 「今度はあたしの差し金じゃない。彼が望んだことよ。」
 その言葉にフュミレイはほんの少しだけ目を見開いていた。

 昔のあたしと似てる。
 フュミレイのことだから、意図を感じ取ってくれただろうとソアラは信じていた。そして彼女の態度からして、似ているのだと知った。だってもし似ていないと思っていれば、あの嘲りはあり得ないだろう。
 (あの子は自分がなぜ変われるのかを知らない___と考えて良さそうね。)
 ソアラの意図は「目指すもの」にある。昔の自分が躍起になって髪と瞳の色の謎を追い求めていたように、竜樹もあの凶悪な変身能力の謎を追っているのではないか?そしてフュミレイの答えは満足できるものだったと思っている。
 「___って、あっさり考え事が終わっちゃったじゃない。さ〜て、これからどうするか?」
 そんな独り言を呟いて、ソアラは闘技場の出口に立った。今は彼女一人、しかもアパートにはしばらく帰れない。旦那と元彼女の密会、いや密でもなんでもないが、ともかく二人の時間が過ぎるまで、自分はやむなく界門ブラブラの刑である。
 「とりあえず歩くか。傷の癒えた身体を馴染ませないと。」
 闘技場を背にして続く広い道をソアラは歩き始めた。すぐに商店などが広がり、彼女に声を掛ける人が出てくる。
 「あんた負けちゃったんだって?餓門に勝ったのにもったいないねえ。」
 「それ以上に強い人がいたってことですよ。」
 闘技場周辺の商店には覇王決定戦に事情通な店主などもいる。時間つぶしにはなるものの、すっかり有名人のソアラにはとても歩きづらい道になっていた。
 (落ち着かないわね。)
 路地にでも入ろうか___そう思っていると、ちょうど行く手の細い横道が目に止まった。しかも___
 「えっ?」
 思いがけない人物が顔を出し、微笑みを浮かべて控えめに手招きしている。
 (どういうこと?___行ってみるか。)
 警戒心は勿論ある。何しろ自分を呼ぶのは言葉すら交わしたことがない、それでも顔だけは知っている人物だったから。でもとにかく気になるのだ。
 「ここなら商店街からは外れます。歩くならこっちがおすすめですよ。」
 「ありがとう。お互い有名になると苦労するわね。」
 「まったく。」
 自己紹介もないままに二人は会話をしていた。そこにさしたる違和感はなく、互いに表情も堅くなかった。
 「向こうまで歩きませんか?」
 「そうね。」
 商店街との角で話していたらかえって店主にネタを提供することになる。二人はごく自然に細くて人気のない路地を奥へと歩いた。
 「この辺までくればもう大丈夫。我々に興味を示す人は少ないでしょう。」
 「それでもあたしの色は目立つからね、一緒にいると迷惑かけるわ。」
 「迷惑だなんてそんな。」
 「デート___ってなんていうのかしら?」
 「なんです?」
 「ほら、好意を持ってる男女が二人で散歩したり、食事したりってそういうこと。」
 「逢い引きでしょうか?」
 「それに誘ってる?」
 すると彼はほんの少しはにかみ、それでもあからさまな否定はしなかった。
 「下心はあるかもしれません。」
 「へぇ。」
 そんな余裕のある応対は嫌いではない。棕櫚と初めて会った時、彼に何か惹かれるものを感じたのを思い出す。今こうして話している彼にも、初対面とは思えない好感を抱いていた。顔?雰囲気?自分でもわからない。でも嫌いになることはないだろう。
 「自己紹介がまだでしたね。」
 「玄道(げんどう)。」
 「やはりご存じでしたか。あなたは由羅さんですね。」
 「よろしく。」
 「その___いかがですか?これからご一緒に?」
 「そうね___」
 彼に興味はあった。水虎の配下であり、派手さはないが堅実にここまで勝ち上がってきた手腕を持ち、それでいて若く、棕櫚でさえ名を知らないという。今もなぜ接触してきたのか?デート?いや、そんな陳腐な理由じゃないはずだ。でも不思議と警戒が無意味に思えてくる物腰が彼にはあった。
 「散歩くらいならね。」
 ただ最低限の糸は張らせてもらう。こちらから水虎の話題を持ち出さないのはそのためだ。彼が自分を水虎の娘と知って近づいてきたのかどうか、それを把握するため。

 「え〜、どうしようかな〜。」
 リュカが生意気に腕組みなぞして首をかしげる。彼の前ではミキャックが少し困ったような笑顔で答えを待っていた。ミキャックはリュカにサザビーたちと市場を見に行こうと提案したのだが、どうやら彼は父の側にいたいらしい。
 アパートからどうやって子供たちを連れ出すか、それが問題だ。大人たちは百鬼とフュミレイの関係を知っているから容易に説得できるが、子供たちはそうはいかない。両親が昔三角関係だったなんて話もまだ早かろう。
 「サザビーが頑張ったご褒美にいろいろ買ってくれるってさ。」
 「本当?」
 「行ってこいよリュカ。んで一杯おねだりしてこい!」
 結局父の後押しもあってリュカは外出することに。ミキャックと百鬼が心の中でサザビーに詫びたのは言うまでもない。
 さて、難関がもう一人。おませな少女は騙し討ちを看破しそうな怖さがある。
 「あたしはパス。ちょっと行きたいところがあるから。」
 ところがルディーははなから別件で外出予定とのこと。どんな用事かは疑問だったが、聞いても秘密の一点張り。ま、それならそれでいいかとミキャックも追求はしなかった。
 かくして子供たちの追い出しは成功。あとは彼女が来るのを待つばかりである。

 「ねえ。」
 「はい?」
 「なにやってんのよ、あたし。」
 「そう言われましても。」
 本当に何をやっているのだろう。先程竜樹と死闘を演じたかと思えば、今度は町はずれの静かな茶屋で男と机を挟んでいる。しかもだ、相手はほんの少し前に出会って自己紹介をした男。
 「自分が信じられなくなってくるわ。」
 「そうですか?」
 玄道がニコリと笑う。これに当てられるとソアラは正気を失いそうになる。水虎の配下というのは彼の自称でしかないし、彼が意図して近づいてきたとすれば穏やかでない相手の可能性もある。いやいや、実際そう疑っているのになぜ気を許すのだろう。
 「今日のあたしはどうかしてるのよ。」
 「なら普段のあなたも見てみたいですね。」
 「___あのねぇ。」
 玄道の態度に今まで以上の余裕が出てきた。彼はむしろソアラの挙動を楽しんでいるかのようだった。
 「ここ数夜は戦いに明け暮れる時間ばかりです。こういう時を大事にしたいと思いませんか?」
 「うん、それはそうだけどさ。」
 玄道を一言で言うならば柔和につきる。それが仮面かどうかはまだ読み切れないが、彼の穏やかな顔がソアラから警戒心を奪っているのは確かだった。背丈は少し大きいくらい、年は___妖魔だから何とも言えないが、上ではない気がする。それにしては物腰にゆとりがあるが、それは今彼がソアラをコントロールする立場にあるからだろう。
 「何であたしとなの?」
 「前から素敵な方だと思っていました。」
 「前っていつよ。」
 「予選の時からですかね。」
 「よく言う___あの大人数であたしにってそれこそどうかしてるわ。」
 「あなたも気にされていたんじゃありませんか?」
 「!」
 話が動いてきた。二人を結ぶものが水虎だというのなら、彼はやはり自分の正体を知って近づいてきたことになる。ならその思惑は何か?ソアラはなるだけ平静を装いながら続けた。
 「ここまで勝ち上がれた人よ。竜樹に負けるまでは気にしていたわ。」
 「戦士としてですか?」
 「そう。」
 「残念、私は一人の男として女性のあなたを気にしていました。」
 「はぁ。」
 はぐらかしているとしか思えない。しかしこれも駆け引きだ。水虎について何か思うところがあるのなら、彼がその名を出すまでは絶対に黙っていたい。しかし___
 「あなたはとても素敵な人です。」
 「___」
 初対面の相手に面と向かって言う言葉か?
 「私は戦っている姿しか見ていませんが、こうしてくつろいでいる姿も絵になります。世の男たちが放っておくはずがありません。」
 「___」
 そりゃ悪い気はしないけど___
 「あなたの美貌に惹かれた、それは確かですが、話してみても聡明で、それでいて女性の強さと弱さを併せ持つ、とても魅力ある方だと感じました。」
 「___どうも___」
 なににやけてるんだあたしは!?だいたいそこまで読まれるほどあたしは開けっぴろげだったの!?知らず知らず鷹揚になっていたの??
 「___」
 その時ソアラの心には確かに隙があった。
 「私と結婚してくれませんか?」
 だからこそ、その一撃は胸の奥底を一直線に突き刺していた。
 「___は?」
 「もう一度言いましょうか?」
 ソアラはおそるおそる頷く。
 「私と結婚してくれませんか?」
 冗談だと聞き流せばいいのに、胸が高鳴ってしまった。馬鹿げたことを言われているのに、きっと赤くなっている。一笑に付すことさえできなかった。
 この男は何という目をするのだろう。こんな趣味の悪いジョークをなんて真摯な目で言うのだろう。これは只の誘惑ではない、本当に愛の告白なのだと思わせるほど、揺らぎ無い眼差しをしている。
 「___そんなこと言われても___答えられないわ。」
 何だそれ!?妻子持ちが求婚されたら答えは一つじゃないか!___自らの言葉を疑ってしまう。何でこんなことを言ってしまったのかと。でも頭と口が一致しなかった。
 「僅かでも考えてくれましたね。脈があると分かっただけでも男は嬉しいものですよ。」
 遊ばれているのだろうか?玄道は楽しそうに微笑み、ソアラは少しだけ怒った顔になる。
 「試したの?」
 「いいえ。受け入れて頂ければどんなに幸せかと願っていました。今のは負け惜しみのようなものです。」
 「___」
 ソアラは自分でも分からなかった。自分の気持ちが分かるからこそ余計に分からなかった。これが「恋」の心地に似ているからこそ、自分を疑わなければやりきれないところだった。
 「不思議だわ___」
 「なにが?」
 いつの間にか彼への猜疑心も失せてしまっていた。そしてソアラは呆れた様子で続ける。
 「あたしたちはさっき会ったばかりよ。でもなぜこんなに響きあうのかしら?」
 「響き___ですか?」
 「性格の一致とかそう言うのじゃないわ。私はあなたのことを良く知らないのに、あなたなら許せてしまう気になれるし、あなたは女なら誰でもという人じゃないだろうに、あたしには自分でも驚くほど積極的になっている。違う?」
 「お察しの通りです。」
 「感覚、心で響きあうと言えばいいのかしら、あたしとあなた、二つの楽器が奏でる旋律は無意識のうちに調和しているのよ。」
 ソアラは玄道を見つめていた。彼に不思議な好意を抱いていると認めたことで、一層自然に彼を見続けることができた。
 「こんなの初めてよ。こんな感覚にさせる人に出会ったのは。」
 それこそもっと彼を知ってみたいと思わせる。例えば身体の相性も確かめてみたいとか___いけないことだがそんな発想が脳裏を過ぎってしまった。
 「やはり素敵な方です。多分___私がこの先人生を歩んでいくとしても、あなた以上に一緒に暮らしたいと思う人は現れないと思います。」
 「あたしも___独り身だったら受け入れていたと思う。」
 「独り身___そうですか、ご結婚なされて。」
 「そうよ。知らなかったの?」
 「残念です。」
 「___そうかもね。」
 不思議なのは自分だけではない、彼もなんだ。玄道の言葉を聞くほどに、ソアラはそう感じるようになっていた。ただ彼は不思議には感じていても驚いてはいない。それは___
 「なぜあたしたちは響きあうの?」
 「___」
 「知っているから近づいてきたんでしょ?」
 「___」
 そうだ。玄道は二人がこうも調和する理由を知っている。そしてソアラも、ある種の予感めいたものは抱いていた。ただやはり彼の口から答えを聞けば、きっと息を飲んで押し黙ってしまうだろう。
 「出ませんか?歩きながら話しましょう。」
 そして彼はその答えを言うべきか迷っている。結婚を申し込む以上に大きな勇気を伴う告白があるというのだろうか?
 ともかく、二人は茶屋を出た。人気のない町外れの小道へと足を向けた。
 「由羅さん。」
 「はい。」
 日当たりの悪い小道は少し寒く、石畳は所々コケが生えて滑りやすい。ソアラが足下を気にしながら歩いていると、玄道が急に改まった調子で彼女を呼んだ。
 「口付けをさせていただけませんか?」
 「___」
 百鬼に対する呵責はあった。しかし答えを迷っている自分に対する違和感はもうどこかに行っていた。
 「ん___」
 否定しなかったソアラに、玄道は唇を寄せた。自分より少し背が大きいだけなのに、彼の抱擁には百鬼にも劣らない暖かみがあった。ソアラの体からは力が抜け、自然と彼に身を委ねていた。
 「ありがとうございます。」
 唇を離すと、彼はそう言った。間近で見た彼の優しい眼は、うっすらと潤んでいるように見えた。
 「___泣いてるの?」
 「だらしないですね、男なのに。」
 ソアラは自分でもどうにもならないほど胸を締め付けられた。押し寄せた波が彼女の体を動かし、玄道の胸へと身を預けさせた。馬鹿なことをしている___そんな客観的な判断は効かなくなっていた。
 「あたしのせい?」
 「かもしれません。」
 「聞かせて。答えを。」
 「___何のですか?」
 「あたしたちが響きあう理由。あたしが唇を許してしまった理由。あなただけが泣ける理由。」
 玄道は押し黙り。ソアラの肩を抱いたまま湿った壁へと凭れかかり、彼女の耳元に唇を寄せた。
 「それは___」
 クッ___ソアラの指が少し強く玄道の服を握る。耳にかかる吐息が切ない。そして彼の続けた言葉はもっと切なかった。

 「私たちが姉弟(きょうだい)だからです。」

 予想はしていたが、ソアラは押し寄せる波を止められなかった。すぐに目尻が熱くなり、雫が一筋頬を伝った。
 「あなたが私の姉であり、私があなたの弟だからです。母は違いますが___父は水虎その人です。」
 玄道の肩を抱く力が強まった。彼もまた、自ら言葉にすることで新たなる波に打たれていた。
 「___ありがとう。おかげてあたしも泣けた。」
 互いの心が波が穏やかになるまで、二人は抱きしめあっていた。




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