2 涙雨
「うう___」
雨の町並みの中で、一人の女が泣き崩れていた。
「うああああ___!」
止めたいのに止められない。どうしても溢れ出る涙を止めることができなかった。
「ああああ___!」
泥だらけの地面に膝を折れ、水たまりに拳を打ち付け、女は嗚咽した。
やまない雨が言葉にならない叫びをかき消す。
やまない雨が燃えさかる情熱を奪い去る。
やまない雨が気高き誇りを打ち砕く。
「うわあああああ!!」
竜樹の涙もまた、決してやむことのない雨の滴のようであった。
「___」
フュミレイは通りに立ちつくしていた。百鬼と分かれたあの交差点からほんの少し歩いたところで、彼女は立ちつくさずにはいられなかった。目の前には、汚れた番傘が転がっていた。
持ち主のことは良く知っている。だからこそ、フュミレイは胸の詰まる思いだった。
「あたしは___なんてことを___」
自責と自戒と怒りを込めて、フュミレイは番傘を拾い上げた。そして思うのだ___
「あたしは___!」
やはり人を不幸にする女だ___と。
「ただいま。」
「あ、おかえり。」
アパートの一室に戻ってきた百鬼をソアラが出迎える。
「口紅ついてるよ。」
「え!?」
唐突な言葉に百鬼は慌てて唇を拭った。
「あんたって本当に嘘付けないわね〜。」
「___あっ!」
「あたしは口紅が付いてるって言っただけ。」
そう言ってソアラは悪戯っぽく笑う。彼女が怒っていないのは明らかだったから、百鬼もばつの悪い笑みになって頭を掻いた。
「ちょっと心配だったのよ。もしかしたらもう帰ってこなくなるんじゃないかって。」
「なに言ってやがる。俺は一家の主だぜ?」
そう言うなり百鬼はソアラを引き寄せた。
「びしょびしょ。」
「嫌か?」
「ちょっとね。」
そう言いつつも、ソアラは百鬼に身体を預けて見つめ合った。
「ありがとな、ソアラ。愛してるぜ。」
「堂々と浮気してきて、そういうこと言うのって凄く軽いかも。」
「かもな。」
そして口付けをかわす。互いの愛が揺るぎないものであることを、フュミレイが互いにとって許せる人物であることを確かめるように、二人は深く口付けする。
「あー熱い熱い。」
用足しで外へ出ていたルディーが至極冷静な冷やかしの声を浴びせるまで、二人の口づけは続いていた。
「ただいま。」
「よう、どこ行ってたんだ?」
居ないのではないか?その予想は外れた。家に戻ると竜樹は晒しに腰布一枚巻いた姿で、濡れた袴を絞っていた。
「途中で傘を忘れてさ、もう酷いもんさ。晒しまでビチョビチョだぜ!」
妙に明るく振る舞ってはいる。しかし彼女はフュミレイと目を合わせようとしなかった。
「傘なら途中で見つけたよ。」
「___ああ!本当だ!」
会話がぎこちない。それは雨降る街の中で竜樹が何を見たのかを物語っている。彼女はそれを自分の独りよがりだと言い聞かせるように、気丈に振る舞っていた。
だがフュミレイにはそんな彼女の態度が痛かった。今の竜樹の振る舞いは、彼女の中で百鬼がいかに大きな存在になっているかを体現している。自分が一時の福音を得たことで、彼女に酷く辛い思いをさせてしまったのだ。
「竜樹___」
どうするべきか?多少の迷いはあったが、このぎこちない状況を互いに我慢できるとも思えなかった。
「私は卑怯な女だ。おまえの思いに気付いていながら、今まで隠し続けていた。」
「___」
竜樹の作り笑顔が消える。袴を絞る手も止まった。
「私と彼は古くからの友人であり、ある時は恋人でもあった。それを黙っていた私が浅はかだったんだ。本当にすまなかった。」
「なに言ってんだよ。」
竜樹はフュミレイから顔を背けるようにして、袴絞りを続けた。
「ゆっくり話せたのは十年振りくらいになる。だから私も冷静ではなくなった。こんなことを言えた立場じゃないが___おまえが見たもののことは忘れてほしい。」
あまりに無理のある物言いだとは思った。だがそれくらいの言葉しか見つからなかった。竜樹の肩は少しだけ竦んでいた。
「___なに言ってんだって。」
「___」
これ以上、何が言えるだろうか。追い打ちになるような言葉は浮かんでも、彼女の気を静めるような言葉は見つからない。
「よ〜し、こんなもんかな。」
絞りきってシワシワになった袴を広げ、竜樹は肌にまとわりつく感触に顔をしかめながら、それに足を通していく。
「竜樹___」
「もういいよ。」
「___」
だが全ての誤解を解くにはもう一つ付け加えなければならない。それが彼女の神経を逆なでするとしても、百鬼のためを思えば言う必要がある。
「竜樹、一つだけ分かってほしいのは、彼は誰のものでもないということだ。彼には妻子がいて、家庭がある。それだけは知っておいてほしいんだ。」
「あーっもう!!ごちゃごちゃうるせえんだよ!」
いつもの彼女にしてみればよく我慢したほうだ。しかしついに高ぶる気持ちを抑えきれなくなり、声を荒らげた。
「俺だって良く分かんねえんだよ!なんであんなに___くそ!まただ!」
大粒の涙が竜樹の頬を伝う。それは彼女自身止めたくても止められない悲しみの一滴だった。それこそが、彼女にとっての百鬼の重さを意味している。
女を捨てて生きてきたはずの自分が、男に初恋の念を抱いた。
友であり仲間と思っていた人物が、自分以上にその男と愛し合っていた。
だからなんだ!?俺には関係のないことじゃないか!
でも___何でこんなに悔しいんだ!!
涙が溢れてくる。自分が女であったことを痛感させられ、男に恋したことを情けなく思い、友であったはずの女に嫉妬を抱いている。
なんて女々しい!そんな自分に腹が立ってしょうがなかった。でも、竜樹はそれを素直に言葉に出せる気性でもなかった。
「竜樹___」
気遣いが痛い。優しい言葉を掛けられるほど、竜樹の胸の奥底で何かモヤモヤしたものが膨らんでいった。
「うるせえって言ってんだろ!!」
手元には袴を絞った雨を受けていた桶があった。竜樹は怒りの赴くままに、それをフュミレイに投げつけていた。
フュミレイは避けようとはしなかった。桶が額に打ち付け、身体を汚い水で汚しても、彼女は不平一つ言おうとしなかった。だがそれは竜樹の神経を逆なでする。優位な立場に立たれているような、荒れている自分が見下されているような気がして、もはや居ても立ってもいられなくなった。
「出ていく!もうおまえの世話にはならねえよ!」
「___待ってくれ!」
「止めればおまえでも斬り殺す!」
冗談には聞こえない。それほど今の竜樹には鬼気迫るものがあった。行かせてはならない、その思いはあったのにフュミレイは動くことができなかった。
ガタン!
戸を蹴破り、怒濤の勢いで竜樹は去った。
「私は___」
何もできず、ただ竜樹の心に傷を付けただけの自分を呪い、フュミレイはその場に崩れ落ちる。開け放たれた戸口の向こうで、雨は小やみになっていた。
牙丸ことアヌビスが鉱物を再生させる力を持った妖魔を見つけたことで、雨がやんでからの修復作業はことのほか早く進み、まだ路上の露の乾かぬうちに大会は再開へと動いた。彼がその妖魔の力を白廟泉に試したかどうかは定かでないが、いずれにせよソアラたちが再び戦いの舞台へと向かったのは確かなことだ。
「___」
そんな中で、つかの間の休息にもどこか心ここにあらずで落ち着かなかった人物がいた。それは彼女が闘技場に舞い戻ってからより顕著になる。
「ごくっ___」
一回戦の残りの試合はもう始まっているというのに、ミキャックは選手控え室へと続く廊下で人待ち顔でいた。これから戦いに臨むような真剣な顔で、音が聞こえるかというほどはっきり、生唾を飲んだ。
その時___
「わっ!!」
「うわぁあっ!?」
大声と共に背中を叩かれ、ミキャックの翼が膨れあがる。慌てて振り返るとそこではサザビーが腹を抱えて笑っていた。
「お、脅かさないでよ___!」
「いやぁ逆にこっちが驚いた。こんなとこでなぁにやってんだ?おまえ。」
「あなたには関係ないわ。」
脅かされた腹立たしさもあったのだろう、ミキャックは素っ気ない態度で廊下の入り口に視線を戻した。それは誰か、まだ勝ち残っている戦士がやってくるのを待ち伏せているということだ。
「そんなつれないこと言うなよ。」
「あっ、ばか!やめてよ!」
「せっかくの休みに二人で食事にもいけやしねえ。おまえ前にした約束忘れたのか?」
「忘れてないよ___ちょっと___!」
サザビーは後ろからミキャックにすり寄るようにして、背中などを撫でている。気持ち悪い感触ではなかったが、集中を削がれるのは大いに迷惑だ。しかも目当ての人物が廊下の先からやってきたとあっては、いても立ってもいられなかった。
「来た!___ったく、邪魔!」
「うがっ!」
サザビーを肘鉄で引きはがし、ミキャックはその人物の元に駆け寄る。あちらも鋭い眼差しで彼女を一瞥した。鼻っ面を抑えながらサザビーもその人物を見やり、少しだけ驚いた。
「花燐さんですね。」
ミキャックの呼びかけに、女は無言で視線を移す。何をせずともただそこにいるだけで鋭敏な気配を漂わせるのは、アヌビスの忠臣であろう女、カレン。そのすぐ後ろからクレーヌもやってきていた。
「私は次にあなたと戦う美希です。一つだけ、どうしても聞きたいことがあります。」
カレンは何も答えない。しかし沈黙のまま足を止め、鋭い視線をミキャックに向けた。
「先行くよ。」
その背に一言掛け、クレーヌはカレンを追い越して進む。
「よっ。」
「___」
サザビーが軽々しく手を挙げて声を掛けても、クレーヌは刺すような視線で一瞥するだけだった。
「あなたの名前はカレン・ゼルセーナ___ですか?」
「そうだ。」
短く答え、カレンはミキャックの横を通り過ぎていこうとする。
「父親の名はディック・ゼルセーナ___!」
少し早口になって、ミキャックはその背に呼びかける。するとカレンは歩みを止めた。
「___ですか?」
その時、サザビーはカレンの顔を正面から見ることができた。
クレーヌに負けず劣らずの艶やかさを持った美女。しかしその表情、視線の作りに宿る気骨と独特の悲壮感はただならぬものがある。誰に対しても、そして自らにも厳格で、不器用なまでに我が道を行く___
ミキャックの言葉に一切の惑いも見せない面持ちに、サザビーは彼女の気位を感じる。軽々しく触れれば火傷どころか命まで絶たれそうな、鋭利な女だ。
「___知らないな。」
ミキャックに背を向けたままカレンは言った。聞き取れるかどうかの呟きではなく、明朗な言葉で。
「アヌビス様の意に反し、路頭に迷ったあげく竜神帝の僕に誑かされ、地の果てで愚かしくものたれ死んだ盗賊気取りの魔族など。」
「!」
ミキャックは絶句した。彼女はカレン・ゼルセーナであり、父はディック・ゼルセーナだ。しかしその娘の口から発せられた言葉、背中越しの横顔に滲み出た嘲笑に、ミキャックは愕然とした。ディックという男を良く知り、激しく恋までした自分にとって、たとえ娘であっても決して聞き捨てならない言葉だった。
「おまえが何者だろうと私には興味がない。だが、そんな下らん名前を持ち出したところで、おまえの勝機は微塵ほども増えないし、何も生み出しはしない。」
そう言い残し、カレンは歩き出す。立ちつくすしかなかったミキャックだが、一つ二つと冷酷な足音が響くとたちまち胸の奥底に怒りがこみ上げてきた。
「くっ___」
しかし食ってかかることはしなかった。ここで声を荒らげたところで、厳格なる娘は顔色一つ変えないだろう。それに改めて見れば、衝動に任せて声を掛けた自分の勇気を褒めたくなるほど、カレンの背中には触れがたい殺気が充満している。
___もう行こう。
怒りを胸の奥底に閉じこめて、ミキャックは自らの控え室に向かおうとする。
グッ___
その腕をサザビーが掴んだ。
「待ちな。」
「気安くさわらないで___っ!?」
収まりきらなかった鬱憤が破裂しかける。それを止めたのはサザビーの唇だった。
驚いた。突き放そうとも思った。でも唇が触れたその時から、まるで怒りを吸い取られていくかのように、自分の身体から力が抜けていくのを感じた。
強引で、でも触れた瞬間からは優しくて、煙草の臭いが身体に染みる___
嫌いな臭い。でも、今だけは嫌ではなかった。
「___」
唇が離れた。
「昔の男に振り回されるな。」
乾いた音が甘美の余韻を掻き消す。ミキャックがサザビーの頬を張った音だった。何を言い残すこともなく、煌めきを宿した目でサザビーを睨み付けると、ミキャックは唇を拭いながら逃げるように走り去っていった。
「やれやれ。」
頬に真っ赤な掌の後を浮かび上がらせ、サザビーは壁に凭れて煙草に火を付けた。静けさを取り戻した廊下に、客席の歓声が鈍い響きとなって伝わった。
四の山の残りの試合。そこで注目すべきは誰か?
ソアラの目下の敵となるであろう酔亀か?
ライを危機に追いやりリュカとルディーに傷を負わせた大蹄か?
「あっ___と、こ、これは!?あっというまで何が起こったのか___!」
いや、ソアラにしろフュミレイにしろ注目していたのは竜樹ただ一人。そして当の彼女は坐呉将の腹を目にも止まらぬ一太刀で切り裂き、あっけない勝利を得た。しかし浮かれた様子は何一つ無い。竜樹は寡黙に、血を拭い落とした刀を収め、ゆっくりと自らの控え室へと歩いていく。
それは戦いだけを追い求める侍の姿。これまでの竜樹とは全く違う緊迫感が漂っていた。
「あれが悪い子じゃない___ね。」
ソアラは険しい顔で竜樹を見つめていた。今の竜樹に無邪気な少女の面影はない。アヌビス新八柱神に相応しい殺戮鬼の影を宿しているかのようだった。
「___どうしたんだ?」
そんな彼女の姿に百鬼は困惑する。ほんの一夜前に町で出会った時の快活さは微塵も感じられない。それはむしろ天界で見た羅刹竜樹を思わせる姿だった。
(竜樹___)
竜樹の心情を知るフュミレイは、苦い思いで舞台上の惨状を見ていた。
そして当の竜樹は___
「くそっ!」
控え室に戻るなり石壁に拳を打ち付けていた。苛立ちを戦いにぶつける自分にやるせなさを感じた?それも勿論ある。だが彼女が思い詰めている真の理由は、舞台の上で見た客席にあった。
偶然にも見つけた百鬼、その隣にいたあの紫の女。二人の間に流れるごく自然な融和の感覚。思い出されたフュミレイの言葉___彼には妻子がいる。
どうでもいいんだと言い聞かせても、竜樹は刀に衝動を傾けずにいられなかった。
「俺は___なんて未熟者だ!」
腹立たしくてしょうがなかった。
かくして黄泉の覇王決定戦一回戦が終わった。しかし戦いは間髪入れずに二回戦へと移っていく。次の休みがあるとすれば、それはまた激しい戦いで闘技場が壊れたり、猛烈な雨に見舞われたときだろう。
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黄泉覇王決定戦 二回戦対戦表
壱の山
玄道 対 堅灼
斗露 対 静
夜叉炎 対 狐狸
梅杏 対 剛倶
弐の山
竜光 対 風間
大土門 対 日輪
炬断 対 紗亜
竜花 対 麗濡
参の山
百鬼 対 黒閃
暫拍兎 対 吹雪
太鼓 対 七対
花燐 対 美希
四の山
由羅 対 酔亀
銀獅子 対 大蹄
瑠璃 対 秦冨波
虫角 対 竜樹
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二回戦。
「なかなかやるじゃない、あの玄道って。まだ力を隠している感じもするし。」
リュカとルディーはすでに控え室だが、出番まで時間のあるソアラと百鬼は、もはや傍観者のライたちと客席で戦いをみていた。早速ソアラの目に留まったのは玄道という男だった。
「若そうだな。」
「そうね。でも水虎の部下だったって話よ。」
「その人って確かソアラの___」
「パパね。」
フローラの問いに軽々しく答えたソアラだが、パパでは周りの妖魔には通じない。彼女なりに考えてのことだった。
舞台の上で優位に戦いを進めるのは青年風の玄道。堅灼は名の知れた妖魔だということだから、番狂わせの気配に会場の一部が沸いている。
「実際ちょっと気になるのよね。棕櫚、あなた知らない?」
「生憎。榊に聞いた方がまだ脈があるかもしれません。」
棕櫚は右手を振って簡単に答える。「ふぅん」と呟いて納得したソアラだったが___
「あれ!?右手は!?」
すぐさま振り返って棕櫚の右手を覗き込んだ。無かったはずのものがあるのだから驚くのも無理はないが、慌てているのはソアラだけだった。
「遅いな!」
「もう夕べから治っていたじゃない。」
ライとフローラに次々と突っ込まれ、ソアラは目を白黒させる。
「昨夜伝言を頼まれた段階で治ってましたよ。その時はまだ痛みましたけどね。」
「そ、そうだったっけ?」
「おまえ___俺を罠にはめるのに夢中になってたから気づかなかったんだろ。」
「何だよ?罠って。」
「えぇ〜違うの、何でもないのよ。」
どうやらフュミレイと亭主の密会を仕組んだことは秘密にしておきたいらしい。ソアラは取り繕う言葉を探していた。
「あれでしょ?買い物を頼んで実はフュミレイと再会させたって。」
「ああそのこと!」
だがフローラがソアラの隠していたことをあっさりと口にし、ライも納得の様子で手を叩いている。
「は!?」
ソアラにしてみれば寝耳に水。何がどうしてこんな状況になっているのか?
「あんたまさか___」
「いいじゃねえの、あいつはみんなにとっても大切な奴なんだから。」
ああやっぱり。口の軽い旦那を持つとこれだからもう___
「ちょっと、リュカとルディーを心配させたくないんだから、少しは慎んでよね。」
「仕掛けた奴がよく言うな。」
「本気なの!」
「分かってる。それはみんなにも話してあるよ。それに___俺にとってフュミレイは友人であり仲間だ。それ以上にはならない。」
そんな言葉までは求めていない。でも彼がそこまでいうのは、きっと自分でも些かの魔が差したからなのだろう。口付けしたそのときに、また彼女を愛したいと思ったからなのだろう。
そう思うと少し妬けた。でも、それは我が儘だ。
「分かってるよ___」
だからそれ以上は何も言わなかった。顔にも出さないように努めた。
「あ!試合が終わってるじゃない!しまったな、肝心なところ見そびれた。」
「ところで由羅さん、俺の右手が何で治ったか興味ありません?」
「あ〜、今はいいかな。」
棕櫚に気のない返事をしつつ、ソアラは舞台の玄道を見つめる。
「!」
気のせいかもしれない。彼がこちらを見たような気がした。ただ何となく、目があって、微かな電撃のような感覚が走った気がした。
「黄泉には強力な再生力を持ったトカゲがいましてね。動物の能力に目をつけたのはそういう理由が___聞いてます?」
「全然。」
素っ気ない態度で棕櫚を軽く傷つけながら、ソアラは舞台を降りていく玄道を見つめ続けた。
(なにか___変。)
彼が?自分が?分からないが、ソアラの心はいつもより少し大げさに拍動を刻んでいるようだった。
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